語られない物語~異界の天使たちによる異聞禄~

帰る家と身の危険

 朝食を食べ終えた後、紫依は一階にある車庫で風真の見送りをしていた。

「じゃあ、これは父様に渡しておくから」

「はい、お願いします」

 風真が可愛らしくラッピングされた袋をカバンに入れる。袋の中身は紫依が作ったクッキーだ。

「紫依の手作りクッキーをプレゼントされたら父様は喜ぶよ」

「そうだといいのですが……」

「きっと紫依が作った料理も食べたいって言うよ」

「その時は腕によりをかけて作ります」

 意気込む紫依の頭に風真が手を伸ばす。紫依は一瞬避けそうになったが、意識して立ち止まった。そのことに風真が気づくことなく紫依の頭を撫でる。

「紫依の料理を楽しみにしているよ」

「はい」

 風真は運転席に乗り込むとエンジンをかけて窓を開けた。

「いってくる」

 そう言って風真が手を出す。紫依は風真の手を両手で軽く握った。

「お気を付けて」

「ああ」

 車庫のシャッターが開く。紫依はそっと手を放すと、風真は手を一振りして車を発進させた。車が遠ざかり自動でシャッターが下りる。ガタンという音で外からの光が遮断され、車庫が薄暗くなった。

 紫依が無言のまま家の中に入り、二階のリビングへ行くと、食器を洗っているオーブが声をかけてきた。

「見送りは終わった?」

「はい」

 どことなく寂しそうな紫依にオーブが微笑みながら声をかける。

「大丈夫。また、すぐ会えるよ」

「そうですね」

 頷いた紫依はリビングを見回してオーブに訊ねた。

「ところで蘭雪と朱羅はどちらに?」

「二人は地下室で転送装置の最終調整をしているよ。覗いてみたら?」

「作業の邪魔にならないでしょうか?」

「ならないよ。それに転送装置がどんなものか見といたほうがいいと思うよ。見たことないでしょ?」

「そういえば、見たことがないです。ちょっと行ってきます」

「おう。オレも差し入れのお茶を後で持って行くから、先に行っといて」

「わかりました」

 紫依は地下へ行くと、鍛錬場の隣にある小部屋のドアをノックした。

「入っていいわよ」

 紫依は蘭雪の返事を聞いて部屋に入ると、そのまま立ち止まってしまった。

 いつの間に持ち込んだのか部屋の壁一面に機材が山積みにされている。もし今、地震が起きたら、逃げ場のないこの小さな部屋では倒れてきた機材の下敷きになるしかない。

 その中で蘭雪が椅子に座ってパソコンの画面を眺め、隣では朱羅が中腰でパソコンを覗き込んでいた。ごく自然に二人の陰が重なり合っている。二人とも容姿は抜群に良いため、こうしていると知的美男美女カップルに見える。

 紫依が声をかけることに躊躇っていると朱羅が背筋を伸ばした。

「やはりデータが足りないな。俺のパソコンに入っているデータを持ってくる。紫依、遠慮せずにもっと中に入ったらいい」

 そう言うと朱羅は部屋から出て行った。

 戸惑う紫依に蘭雪が微笑みながら手招きをする。たかが手招きのように思うが、危険な香りの先に甘い蜜があるかのような、男の狩猟本能を刺激するような誘惑的な動きだ。

「そんなところに立ってないで、こっちに来たら?」

 呼ばれた紫依はゆっくりと蘭雪に近づいた。

「どのようなことをされているのですか?」

 蘭雪は部屋の中央にある台を指さした。

「これが向こうの世界への転送装置。今は紫依の情報を入れて、うまく作動するかシミュレーションをしているところよ」

「すごいですね。オーブが一人で作ったのですか?」

「そうよ。オーブの前世、ウリエルは機械工学を専門にしていたから、こういう工作が得意なの」

「料理もお上手ですし、オーブは本当にいろいろなことが出来るのですね」

 蘭雪がクスリと笑う。

「本人の前でそんなこと言っちゃあダメよ。すぐ調子に乗るから」

「そうなのですか?」

「そうよ。それに装置が作れても正しく情報を入れて操作が出来ないと意味ないんだから」

「それで蘭雪が情報を入れているのですね」

「そう。私は医者だから人体について勉強しているしね。転送する人の人体情報を正確に入れないと、転送先で大変なことになっちゃうのよ」

「お医者様なのですか?すごいですね」

 素直に感心する紫依に蘭雪の顔が自然とほころぶ。

「ちなみに朱羅は生まれ変わる前、ミカエルの時に遺伝子工学の研究をしていてね。少し前まで大学で遺伝子工学を勉強していたの。それで朱羅には遺伝子情報を中心に情報を入れてもらっているわ」

「みなさん、すごいですね」

「そんなことないわ。向こうの世界の知識と技術があれば誰でもこれぐらいは出来るもの。向こうの世界の人間は遺伝子操作で優秀な人材しか生まれてこないから」

「遺伝子操作?」

「簡単に言うと、神が優秀な遺伝子を掛け合わせてヒトを作り出しているの」

「それでは家族は、どのようになっているのですか?」

「ないわ。神はヒトが団体になることを極端に恐れているの。それは親、兄弟という家族単位でさえも排除したわ」

「……なにか寂しいですね」

 どこか悲しそうな紫依の声に蘭雪が微笑む。

「あなたは家族に恵まれたのね」

 そう言うと蘭雪は少しだけ視線を下げて、椅子ごと体をパソコンの方へ向けた。

「恵まれたっていえば朱羅も恵まれているけど。私とオーブは家族がいない……いえ、生物学的にはいるけど家族としての繋がりがないの」

 蘭雪は瞳を伏せると、どこか影のある声で続けた。

「……だからかしら?夜道を歩いていて、ふと明かりがついた家を見ると切なくなるっていうか、寂しくなることがあるの。私を待っている明かりはないんだって、つい考えてしまうことがあるわ」

 そう説明を終えた蘭雪は、いつもの妖艶で自信に満ち溢れた表情が消えていた。うれいに沈み、儚い薄幸の美女となった蘭雪は、紫依が知らない女性のように見える。

 紫依は両膝を床につくと、蘭雪の手の上にそっと自分の手を乗せた。

「そのようなことはありません。私が待っています。ここを蘭雪の家にして下さい。私が明かりをつけて待っていますから」

 その言葉に漆黒の瞳が大きくなる。そして、妖艶に微笑むとゆっくりと右手を伸ばした。

 紫依は蘭雪の手を避けそうになったが、すぐに動きを止めて蘭雪を見つめた。

 紫依が触られる覚悟を決めたことを悟った蘭雪はクスリと笑った。そして、右手で紫依の頬を触れると、そのまま顎まで滑らせて紫依の顔を固定した。

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