語られない物語~異界の天使たちによる異聞禄~

密談と洋服選び

 とあるホテルにある高級料理店の個室に三人分のコーヒーが運ばれ、それぞれが口をつけた。

 そこで一番に感想を言ったのは蘭雪だった。

「こんなに美味しいコーヒーは久々に飲んだわ。今度、家で淹れてよ」

 蘭雪の無茶振りに風真がコーヒーを吹き出しそうになる。この味を家庭で出せるとしたらコーヒー専門店は軒並み閉店するだろう。

 だが、オーブは慣れたようにあっさりと手を横に振った。

「ここはコーヒー豆の鮮度にこだわっているからね。家でこの味を出すのは無理。それより、二人にしたのは失敗じゃないか?朱羅も一般常識が怪しいところあるし」

 窓の外を見ているオーブの視線の先には、大通りを歩いている紫依と朱羅の姿があった。すれ違った人々全員が驚いた表情で振り返り、もう一度二人の姿を見ている。いわゆる二度見をしているのだ。

「だから、こうして遠くから見守っているんじゃない」

 蘭雪の答えに風真が「遠すぎるけどね」と心の中で呟いた。口に出したら面倒なことになる、と第六感が警告を発したからだ。こういう勘はあまり外れたことがない。

 風真がコーヒーとともに呟きを飲み込んでいると、オーブが茶化すように蘭雪に言った。

「このために仕事を早く終わらせてきたもんな」

「当然よ。こんなおもしろいこと見逃せないわ」

 冗談で言ったことを本気で返されてオーブが呆れたように蘭雪を見る。

「あのなぁ」

「でも、仕事を急いで終わらせてきたのは本当よ。これで二人の素の動きが見られるもの」

「……あの、ちょっと聞いてもいいか?」

 言葉の応酬を遮るように風真が手を挙げて発言の許可を求める。

 蘭雪が視線だけで、どうぞと許可を出したので風真は素直に訊ねた。

「蘭雪さんは何者なんだい?」

 突拍子もない発言をしたかと思えば、素の動きを見るなど行動学のようなことを言いだして、何者なのか見えてこない。

 蘭雪は妖艶な微笑みを作るとあっさりと言った。

「私のことは呼び捨てでいいわよ。私、こう見えても医者をしているの」

「医者?」

 どう見ても自分と同じ二十歳ぐらいの外見であり、医師免許を取るにはまだ大学に通っている年齢のはずだ。

 蘭雪は表情だけで風真の疑問を読み取って補足説明をした。

「飛び級で入学して飛び級で卒業したのよ。異例の早さとは言われたけど。ちなみに大学は朱羅と同じ大学よ」

 朱羅が通っていたのは国立の某有名大学であり、全世界でも十本の指に入る偏差値を誇る難関大学だ。その大学の、しかも医学部に飛び級で入学して飛び級で卒業したという事実に風真が驚く。

「僕も朱羅と同じ大学に通っていたが、君の噂は聞いたことがない」

 朱羅も飛び級で入学して飛び級で卒業したため、大学で噂は流れていた。その学生時代、とある出来事で風真は朱羅と友人になるのだが、その時のことは記憶の奥深くに密封しており開封する予定はない。

 風真は密封した記憶の存在自体を忘れるように軽く首を横に振ると、もう一度蘭雪を見た。

 艶やかな漆黒の黒髪に、切れ長の黒い瞳。一目で女性と分かる豊満な体型ながらも、猫のような俊敏さとしなやかさを感じる。興味がなくても一度見たら忘れられないほどの強烈な印象を相手の脳裏に残す容姿だ。

 飛び級だけでも十分な話題となるのに、これだけ富んだ外見も重なれば噂の一つでも流れていないほうが、おかしいぐらいである。

「ワケあって目立ちたくなかったから、情報規制をさせてもらったの。あなたのためにも、そこはあまり深く聞かないほうがいいわよ」

 蘭雪がニッコリと微笑む。妖艶で見惚れてしまいそうになる笑みなのだが、風真は背筋に悪寒が走った。まるで断崖絶壁に立たされ、命綱なして背中を押される一歩手前のような感覚に襲われ、風真の顔が青くなる。

 そんな風真を見て蘭雪がクスリと笑った。

「勘が良いのね。その勘は大事にした方がいいわよ。で、話を戻してもいいかしら?」

 蘭雪の問いに風真はかろうじて首を縦に振った。

「私は今、アクディル財閥の病院に席を置いているけど、実働はしていないの。私が医師免許を取ったのは、自分たちの体に何か起きたときに対処するため。そして、今は紫依の精神状態が一番の問題点かしら」

「どういうことだ?」

 先ほど怯えていたことも忘れ、風真が漆黒の瞳を睨む。蘭雪もまっすぐ風真を見返して率直に訊ねた。

「紫依はいつから感情を抑えるようになったの?それとも感情を術か何かで抑えているの?私は今日、初めて紫依を見たけど、あれは感情が欠落しているとかではないわ。もともとは、ちゃんと感情があって自由に表現していた顔よ」

 風真は窓の外に視線を向けたが紫依がどこにいるのか、まったく見えない。無言の風真に蘭雪はたたみかけるように言った。

「これは重要なことよ。人間は感情によって力が大きく左右されるわ。紫依の感情の状態を正確に把握していないと、巨大な力は相手だけでなく本人も傷つける。何かあってからでは遅いのよ」

 蘭雪の力説に風真が深く息を吐く。そして、あまり思い出したくない記憶を語ることにした。




 一方、買い物中の二人は……

 結局、紫依は茶碗に揃えて箸と湯呑とランチョンマットを選んで朱羅が購入していた。

 そして、二人は和雑貨店を出た後、大通りを歩きながら気になる店に入っては商品を眺め、購入した。
 その中でも一番大きな買い物は、ぬいぐるみ専門店で肌さわりの良い大きなクマのぬいぐるみだった。そのため現在、朱羅は可愛らしい動物たちが印刷された袋を肩から下げており、大きなクマが袋から顔だけ出している。

 なかなかシュールな光景だがクマが顔を出した袋を持っている朱羅も、その隣を歩いている紫依も気にしている様子はない。

「様々なお店があるのですね」

 表情には出てないが、紫依がどことなく嬉しそうに周囲を見ている。

「そうだな」

 朱羅は紫依の感情の動きがなんとなく分かるようになっていた。無表情なのは変わらないが、声の抑揚の微かな違いや動作などで、ごくわずかではあるが感情の揺れがある。

「まったくない、というわけではないようだな」

 朱羅の呟きに紫依が反応する。

「どうかされましたか?」

「いや、なんでもない」

 朱羅は紫依の隣を歩きながら、ふと視界に入った店の前で足を止めた。

「紫依、ここに寄ってもいいか?」

「はい」

 二人が店内に入ると、そこには可愛らしい女性服が並んでいた。平日の早い時間のためか客は数人しかいない。

「いらっしゃいま……」

 二人の姿を見て出迎えた店員の声が止まった。店員の不自然な様子に他の客たちも出入り口を見て、動きが止まる。中には持っていた商品の服を落とす人までいた。

 そんな状況でも二人は気にすることなく店内を歩いていく。

 朱羅は軽く店内を見ると一番近くにいた女性店員に声をかけて、マネキンが着ている服や壁に掛けてある服を指さした。

「これと、これと、これに合う服をコーディネートしてほしいのだが、できるか?」

 モデル以上の美形の登場に目を奪われていた女性店員は、声をかけられた事実を認識することに数秒の時間を要した。

「え……あ、はい。少々お待ち下さい」

 赤くなった頬を隠すように慌てて女性店員が指示された服を集めてコーディネートを考える。

 その頃、紫依は店内にある服を眺めながら服を手に取っていた。

「気になるか?」

 朱羅に声をかけられて紫依は服を元の場所に戻した。

「生地が薄いですし、裾がヒラヒラして動きにくそうです」

「確かにそうだな。だが生地が薄いのは重ね着すればいいし、裾がヒラヒラしているのは動いてみると意外と気にならないぞ」

 予想外の答えに紫依は戻したレースのワンピースを再び手に持った。

「朱羅はこのような服を着たことがあるのですか?」

 それこそ予想外の質問に朱羅は目を丸くした後、吹き出すように笑った。

「さすがにそれはないな。ただ、裾が長い服を着たことがあるだけだ。ヒラヒラしていたが動いても気にならなかった」

「そうなのですか」

 紫依がレースのワンピースを眺めていると、朱羅がそれを持ってコーディネートをしている女性店員のところに持って行った。

「これも一緒に頼む」

 凛とした声に女性店員は自分の心臓の音が聞こえるのではないかと緊張しながらレースのワンピースを受け取った。

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