ストロボガール -落ちこぼれの僕が、時を止める理由-
47. 新たな始まり
「なんだスパッツか」
あり得ないほど静謐な朝の渋谷駅で、眼鏡をかけた小太りの中年男性が紺色のスカートに手をかける。男性は女子高生の後ろでしゃがみ、スカートから手を離すと次の獲物を探しにホームを歩き出す。彼以外はすべて静止しており、電車の列に並ぶ女子高生見つけては背後でしゃがみ、スカートを丁寧に慎重にめくっていく。僕はどのタイミングで彼の前に現れてやろうか思案していた。大抵は自身の痴態に気づいて顔を真っ赤にするのだが、たまに僕が男だからか構わずに続ける観察対象もいる。
僕はしゃがんでいる男性の真横に立ち、手を振りながら彼のほうを見つめる。
「ったく近頃の女子高生は、みんなスパッツかよ」
男性が悔しそうにスカートから手を離すと、横にいる僕と目が合う。信じられないような形相でその場に倒れこむ、腰まで抜かしてしまった。
「え?! なんでぇ動けるんだ?!」
「あなただけ以外にもいるんですよ、動ける人」
僕は男性に手を差し伸べる。はるか昔に思える高校時代のブレザーを着て、右手にはスマホを握りしめる。
「僕の名前はヨスガです。その砂時計を発明した者の使いで、時間停止能力を得た人間が能力をどう使うのか観察を行っている者です」
ほかの人間たちと同じように固まったままの男性を見つめて僕は続けた。
「どうしたんですか? 僕にかまわず続けてください」
☆☆☆
この男性でもう何人目だろうか。僕は幾重にも重なる久遠の刹那を経て、観察官の仕事に励んでいた。時間の狭間に取り残されてしまうのは、想像を絶するほど過酷だった。それに唯一自由に動ける仕事中も観察対象によっては安らぐような時間では無くなってしまう。それでも僕はこの仕事に満足をしていた。僕にしかできないことを突き詰めた結果の、天職であると感じた。100の速度で進む現実の時間で何年経ったかはわからないが、僕の体は老いることはなく永遠に高校生のままであり続けた。
男性は栗原と名乗った。多額の借金を抱え、妻にも先立たれた不孝な中年だった。栗原さんは僕の時間停止についてのルール説明を聞くと、絵を描くために使いたいと言ってきた。久しぶりにまともな観察対象のようだ。まあ出会ったときはスカートをめくっていたのだけど。
「私は鉄道が好きでね。こうやって誰にも邪魔されず実物をスケッチできる機会を探していたんです」
砂時計を使うようになって3週間。栗原さんとも大分打ち解けた。彼が時間を止めた場所はかつて沙綾が飛び込もうとしていた駅のホームだった。夕焼けに照らされたオレンジ色の電車が映える。栗原さんはホームの端に座り、まもなく駅に入ろうとする電車のスケッチを始めた。この人は絵を描きだしたら止まらない。話しかけても無視されることがほとんどだ。僕は退屈になって、思い出のホームを歩き出した。
ホームの上は人で溢れかえっており、これから入ってくる各駅停車に乗るであろう高校生やサラリーマンが規律よく並んでいる。その中に沙綾と同じ高校の制服を着た女子生徒が目についた。列の一番前に立ち、電車を待っている。妹な訳ないのだが、僕は顔を覗いて確かめたくなった。短く切りそろえたショートカットに微かに緩んだ頬、そして特徴的な笑窪。僕が一生忘れないであろう人の顔がそこにはあった。
「綾野先輩……」
先輩は時間の狭間から解放されて、遅れてきた青春時代を謳歌しているようだった。当然、僕のことも砂時計のことも忘れてしまっているのだろう。それでも僕は満足だった。先輩の大人びた美しい横顔を見て胸の中が満たされていくのを感じた。
「ヨスガくん、終わりましたよ」
栗原さんがスケッチブックを持って僕を呼ぶ。僕は綾野先輩に別れを告げて、ホームの端まで歩いていく。
「時間、戻しますね」
栗原さんがそう言うと、夕焼けがさらに濃く茜色に染まって僕らを包む。途端に暗黒の世界に僕だけ飛ばされ、体感速度が徐々に遅くなっていく。
100に戻った速度の世界でこの後、電車の警笛が甲高く鳴り、ブレーキ音が響き渡ったことをこの時の僕はまだ知らない。後に栗原さんから一人の少女が命を散らしたことを聞いた時、僕は自由に動けるのに全身が震え、目の前が暗く淀んで真っ暗になってしまった。生きることも死ぬこともできない世界で、彼女の声が耳から離れない。
「……うん、ソウくんは私のヒーローだもんね」
あの時、心が通い合っていると信じ、明確に言葉に出さなかった自分を恨み続けた。ああ、なんて僕はダサいんだろう。
あり得ないほど静謐な朝の渋谷駅で、眼鏡をかけた小太りの中年男性が紺色のスカートに手をかける。男性は女子高生の後ろでしゃがみ、スカートから手を離すと次の獲物を探しにホームを歩き出す。彼以外はすべて静止しており、電車の列に並ぶ女子高生見つけては背後でしゃがみ、スカートを丁寧に慎重にめくっていく。僕はどのタイミングで彼の前に現れてやろうか思案していた。大抵は自身の痴態に気づいて顔を真っ赤にするのだが、たまに僕が男だからか構わずに続ける観察対象もいる。
僕はしゃがんでいる男性の真横に立ち、手を振りながら彼のほうを見つめる。
「ったく近頃の女子高生は、みんなスパッツかよ」
男性が悔しそうにスカートから手を離すと、横にいる僕と目が合う。信じられないような形相でその場に倒れこむ、腰まで抜かしてしまった。
「え?! なんでぇ動けるんだ?!」
「あなただけ以外にもいるんですよ、動ける人」
僕は男性に手を差し伸べる。はるか昔に思える高校時代のブレザーを着て、右手にはスマホを握りしめる。
「僕の名前はヨスガです。その砂時計を発明した者の使いで、時間停止能力を得た人間が能力をどう使うのか観察を行っている者です」
ほかの人間たちと同じように固まったままの男性を見つめて僕は続けた。
「どうしたんですか? 僕にかまわず続けてください」
☆☆☆
この男性でもう何人目だろうか。僕は幾重にも重なる久遠の刹那を経て、観察官の仕事に励んでいた。時間の狭間に取り残されてしまうのは、想像を絶するほど過酷だった。それに唯一自由に動ける仕事中も観察対象によっては安らぐような時間では無くなってしまう。それでも僕はこの仕事に満足をしていた。僕にしかできないことを突き詰めた結果の、天職であると感じた。100の速度で進む現実の時間で何年経ったかはわからないが、僕の体は老いることはなく永遠に高校生のままであり続けた。
男性は栗原と名乗った。多額の借金を抱え、妻にも先立たれた不孝な中年だった。栗原さんは僕の時間停止についてのルール説明を聞くと、絵を描くために使いたいと言ってきた。久しぶりにまともな観察対象のようだ。まあ出会ったときはスカートをめくっていたのだけど。
「私は鉄道が好きでね。こうやって誰にも邪魔されず実物をスケッチできる機会を探していたんです」
砂時計を使うようになって3週間。栗原さんとも大分打ち解けた。彼が時間を止めた場所はかつて沙綾が飛び込もうとしていた駅のホームだった。夕焼けに照らされたオレンジ色の電車が映える。栗原さんはホームの端に座り、まもなく駅に入ろうとする電車のスケッチを始めた。この人は絵を描きだしたら止まらない。話しかけても無視されることがほとんどだ。僕は退屈になって、思い出のホームを歩き出した。
ホームの上は人で溢れかえっており、これから入ってくる各駅停車に乗るであろう高校生やサラリーマンが規律よく並んでいる。その中に沙綾と同じ高校の制服を着た女子生徒が目についた。列の一番前に立ち、電車を待っている。妹な訳ないのだが、僕は顔を覗いて確かめたくなった。短く切りそろえたショートカットに微かに緩んだ頬、そして特徴的な笑窪。僕が一生忘れないであろう人の顔がそこにはあった。
「綾野先輩……」
先輩は時間の狭間から解放されて、遅れてきた青春時代を謳歌しているようだった。当然、僕のことも砂時計のことも忘れてしまっているのだろう。それでも僕は満足だった。先輩の大人びた美しい横顔を見て胸の中が満たされていくのを感じた。
「ヨスガくん、終わりましたよ」
栗原さんがスケッチブックを持って僕を呼ぶ。僕は綾野先輩に別れを告げて、ホームの端まで歩いていく。
「時間、戻しますね」
栗原さんがそう言うと、夕焼けがさらに濃く茜色に染まって僕らを包む。途端に暗黒の世界に僕だけ飛ばされ、体感速度が徐々に遅くなっていく。
100に戻った速度の世界でこの後、電車の警笛が甲高く鳴り、ブレーキ音が響き渡ったことをこの時の僕はまだ知らない。後に栗原さんから一人の少女が命を散らしたことを聞いた時、僕は自由に動けるのに全身が震え、目の前が暗く淀んで真っ暗になってしまった。生きることも死ぬこともできない世界で、彼女の声が耳から離れない。
「……うん、ソウくんは私のヒーローだもんね」
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