ストロボガール -落ちこぼれの僕が、時を止める理由-
46. それまでといつまでも
この時期になると雲が速くなるように、時の流れもそれに比例する。お盆が明けて僕と家族は東京に戻った。住み慣れた街の、住み慣れた家に帰る。僕は自室のベッドに横になり、天井を見上げた。不思議なことに恐怖は感じなかった。大海原を前に帆船で繰り出すような、日常では絶対に味わえない期待が僕の体中を満たしている。時間の狭間への冒険を前に、僕はある種のハイな気分に陥っていた。夏休みが明けるまでまだ一週間ほどあるのだが、今から行動に移さないと決心が鈍る気がする。
僕は軽く部屋を掃除して、リビングに戻って麦茶を飲んだ。父さんも母さんも明日からの仕事に備えて寝入ってしまったのだろう。冷蔵庫の明かり以外は何も部屋を照らしていない。僕は自室に戻る前に、沙綾の部屋の前に立っていた。片手に掃除のときに見つけた三冊の本を抱えて、ドアを小さくノックをする。
「沙綾、起きてるか?」
「起きてるよ」
薄い木製の扉の向こうで、沙綾が暢気そうに言った。ドアノブに手をかけ中に入ると、相変わらずのデザイナーめいた部屋に沙綾が一人、ベッドの上でスマホをいじっていた。
「どうしたの?」
「ちょっと本を返しにきた」
僕はそう言って三冊の表紙を沙綾に見せる。時間を止めて沙綾の部屋から拝借した写真の入門書だ。
「あ、それ私の本。いつの間に」
「ごめん、ちょっと借りちゃった」
「勝手に部屋に入らないでよ。言ってくれれば貸してあげたのに」
少し嫌そうな顔をして沙綾は僕を睨む。
「悪かった」
と僕は謝ると、そそくさと本棚に向かい三冊を元々あった場所に戻す。そんな姿を横目に沙綾が尋ねた。
「兄貴も写真に興味あるの?」
「うん、少しだけね」
「教えてあげよっか?」
「いや、そこまでじゃない」
僕はそこで沙綾の机を見て、額縁に飾られている泥まみれの兄妹の写真を見つける。前に見た時と同じで、机の上の一番目立つところに置かれていた。
「この写真、懐かしいな」
僕は沙綾に分かるように写真に目線を送ると、沙綾は照れ臭そうにスマホから手を放す。
「あっ、それは初心を忘れないために飾ってるのよ」
「あんなに小っちゃかった沙綾がこんなに大きくなるなんてな」
「急に兄貴ぶるな。だいたいそれは兄貴も同じじゃない」
「いつか沙綾も結婚してこの家を出て行っちゃうのかな」
僕は父さんの口癖を、少し声真似を入れて言ってみる。
「なにそれ、今度はお父さんの真似? そりゃまあいつかは、私も出て行くでしょうね」
僕の心が寂しさで空洞を作る中、沙綾は続けた。
「でもうんと先のことだよ。それまでは仲良い兄妹でいようよ、お兄ちゃん」
それまでは。つまりいつかやってくる終わりに、僕は焦燥に駆られ、咄嗟に幼い兄妹の写真をスマホに収めた。
「何撮ってるの?」
笑いながら妹が尋ねる。
「この日のことも、今日のことも、いつまでも思い出せるようにスマホの中にいれておく」
「どうしたのよ? なんか今日兄貴らしくないね」
沙綾には悪いことをしてしまったと思う。僕は罪悪感が生まれる前に部屋を出ようと思った。
「ごめん沙綾、いろいろありがとう。おやすみ」
「あっ、うんおやすみ」
妹は安らぎと希望を持って微笑んでいた。それが僕が見た最後の姿になった。
☆☆☆
「もしもし、麻倉さん?」
「佐々良くん? こんな時間にどうかしたの?」
「黙っていたんだけど、実は僕、時間停止の――」
僕は軽く部屋を掃除して、リビングに戻って麦茶を飲んだ。父さんも母さんも明日からの仕事に備えて寝入ってしまったのだろう。冷蔵庫の明かり以外は何も部屋を照らしていない。僕は自室に戻る前に、沙綾の部屋の前に立っていた。片手に掃除のときに見つけた三冊の本を抱えて、ドアを小さくノックをする。
「沙綾、起きてるか?」
「起きてるよ」
薄い木製の扉の向こうで、沙綾が暢気そうに言った。ドアノブに手をかけ中に入ると、相変わらずのデザイナーめいた部屋に沙綾が一人、ベッドの上でスマホをいじっていた。
「どうしたの?」
「ちょっと本を返しにきた」
僕はそう言って三冊の表紙を沙綾に見せる。時間を止めて沙綾の部屋から拝借した写真の入門書だ。
「あ、それ私の本。いつの間に」
「ごめん、ちょっと借りちゃった」
「勝手に部屋に入らないでよ。言ってくれれば貸してあげたのに」
少し嫌そうな顔をして沙綾は僕を睨む。
「悪かった」
と僕は謝ると、そそくさと本棚に向かい三冊を元々あった場所に戻す。そんな姿を横目に沙綾が尋ねた。
「兄貴も写真に興味あるの?」
「うん、少しだけね」
「教えてあげよっか?」
「いや、そこまでじゃない」
僕はそこで沙綾の机を見て、額縁に飾られている泥まみれの兄妹の写真を見つける。前に見た時と同じで、机の上の一番目立つところに置かれていた。
「この写真、懐かしいな」
僕は沙綾に分かるように写真に目線を送ると、沙綾は照れ臭そうにスマホから手を放す。
「あっ、それは初心を忘れないために飾ってるのよ」
「あんなに小っちゃかった沙綾がこんなに大きくなるなんてな」
「急に兄貴ぶるな。だいたいそれは兄貴も同じじゃない」
「いつか沙綾も結婚してこの家を出て行っちゃうのかな」
僕は父さんの口癖を、少し声真似を入れて言ってみる。
「なにそれ、今度はお父さんの真似? そりゃまあいつかは、私も出て行くでしょうね」
僕の心が寂しさで空洞を作る中、沙綾は続けた。
「でもうんと先のことだよ。それまでは仲良い兄妹でいようよ、お兄ちゃん」
それまでは。つまりいつかやってくる終わりに、僕は焦燥に駆られ、咄嗟に幼い兄妹の写真をスマホに収めた。
「何撮ってるの?」
笑いながら妹が尋ねる。
「この日のことも、今日のことも、いつまでも思い出せるようにスマホの中にいれておく」
「どうしたのよ? なんか今日兄貴らしくないね」
沙綾には悪いことをしてしまったと思う。僕は罪悪感が生まれる前に部屋を出ようと思った。
「ごめん沙綾、いろいろありがとう。おやすみ」
「あっ、うんおやすみ」
妹は安らぎと希望を持って微笑んでいた。それが僕が見た最後の姿になった。
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「もしもし、麻倉さん?」
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