ストロボガール -落ちこぼれの僕が、時を止める理由-

藤 夏燦

42. 僕らの終わり

 どんな一日にも終わりが来る。砂が落ち切れば、また僕はしばらくヨスガと離れ離れになる。時間が動き出した時、僕は霊園で一人、6時のチャイムを聴いていた。どこか暖かみを感じる懐かしい音色が今は虚しく胸に届く。
 一人の相手に自分のことをこんなに長く語ったことは初めてだった。ヨスガは僕のつまらない話を、飽きることなく、興味津々に微笑みながら聞いてくれた。


「ソウくんは砂時計を手に入れて、変わることができたんですね」


 僕の話を総括するようにヨスガは言った。


「砂時計じゃない。ヨスガのおかげだよ」


 ヨスガがいなければ、僕はよこしまな考えで砂時計を使い続けていたはずだ。カンニングを働き、絵里香の胸を触り、花火大会では逃げ出した挙句、大勢の人を怪我させてしまった。おまけにズルをした写真で沙綾を傷つける原因を作った。こんな僕がヒーローになんてなれるはずもない。でもヨスガがいてくれたおかげで、沙綾や小林、絵里香とも和解できた。今まで透明なままだった僕の姿が、やっと周りに見えるようになった。


「ねえヨスガ、写真撮ってもいい?」


 ヨスガは驚いた顔をして僕を見た。


「いいですけど、夏が終われば私の姿は消えますよ。それに、ここ霊園じゃないですか……」


「それでもいいんだ。むしろそれがいい」


 僕はスマホを開いて、ヨスガの全身を収めた。背景は夕方の霊園で、ヨスガがいなければなぜ撮ったのかわからない写真の出来上がり。彼女が消えた時、不思議な愛着がこの写真に沸く気がしてならない。それがいいと僕は言い切ったが、この一枚の写真では虚しさの浸食を抑えることはできなかった。


☆☆☆


 日が落ちて、夜が訪れる。月が支配する、始まりでもあり終わりの時間。眠らないこの街も夜になると風情が変わる。多くの人が自宅へと足を急ぐ中、僕は街の真ん中を目指して電車に揺られている。
 観覧車。残った一つのヨスガのお願いを、僕はデートのクライマックスに選んでいた。この街の真ん中には商業施設に併設された遊園地があり、そこに大きな観覧車もある。この場所も幼いころに沙綾と来て以来、久しく訪れていない。
 中央のフレームがない観覧車の真ん中を、まるで糸を通すかのようにジェットコースターのレールが抜けていく。この時間になってライトアップされた遊園地は、赤や黄色、青色に輝いて、彩りの少ない街に花を添えるようだ。僕は二人分のチケットを買ってカップルばかりの列に並ぶ。またチケット売り場でも、列の中でも怪訝そうな目で見られる。でもそんなことはもう、どうでもいい。
誰もいないゴンドラに僕は砂時計を持って乗り込む。ゆっくりと動きだしたゴンドラは、空を浮遊するように東京の夜景観察に出かける。遊園地の夜景が、街の夜景になり、やがて都市の夜景となっていく。そうして頂上に着いた時には、もうこの大きな街を十分見渡せる高度まで達していた。割れたガラスのように光が散り、ミルクのように暗闇が流れる。こんなにも美しい夜景を前にしても、そこにヨスガがいなければ、僕の世界は意味をなさない。
僕らには、少なくとも僕には、もう時間なんて必要なかった。頂上で静止したゴンドラから、誰も動かないこの街を僕とヨスガで見下ろそう。静謐な街の王様となって、妃を迎えた気分だ。


「約束を果たそう」


 僕はあまりにも小さな玉座の間で、向かいに座った白いワンピースの少女に声をかけた。手にはまだハルキゲニアを抱えている。


「……こんなに綺麗な街だったんですね」


 ヨスガはあまりの美しさに言葉を失ったあと、呟くように小さくはいた。時間が動いていれば数秒間の頂上からの眺めも、僕らはこうして、しばらく二人占めにできる。ゴンドラの中も外も、今は僕とヨスガだけの世界だ。


「僕もしっかり見たことなんてなかった。この街で暮らしてると居場所を作るのに必死で、街を見下ろすことなんてないからな」


「こんな景色まで見せてもらって、私は歴代の観察官の中で一番の幸せ者ですね」


 儚さを持った笑顔をヨスガは浮かべる。その笑顔が、今朝からの焦燥感に息を吹き込む。


「ねえ、ヨスガ。僕らが一緒に暮らせる方法はないんだろうか?」


「え?」


「このままの関係でもいい。夏が終わってもヨスガといる方法ってないんだろうか?」


 俯きながらヨスガは答える。


「ありませんよ。実験の期間は定まっていますから。夏が終われば、砂時計のことも私のことも忘れます」


「期間の延長とかはできないのか? それとも僕が観察官になってヨスガと一緒に……」


「どちらも無理です。できることなら、私だってソウくんとずっと一緒にいたいんです。こんな感情抱くなんて、観察官として失格なんですけど。でも出来ないんです、それはわかってください」


 ハルキゲニアの腕なのか足なのかわからない部分を、ヨスガは俯きながら強く握った。


「どうして出来ないんだ。砂時計の開発者のせいなのか?」


「開発者のせいとかではなく、自然の摂理みたいなものです。砂時計というより、中の砂の特性で一人が使える期間が決まっているんです」


「じゃあなにか他に方法は」


「もういいんです。私のためにここまでしてくれる人なんて初めてでした。この一か月の思い出を、私は一生大切にします」


「まだだ、僕はまだ足りない。僕はヨスガに救われたんだ。ヨスガを救いたい」


「もう救われてます。時間の間に取り残されるのは嫌ですけど、私はこの仕事にすごく満足してますから」


 僕は焦りから立ち上がってヨスガの両腕を掴む。勢いで激しくゴンドラが揺れる。


「どうしてそこまで運命を受け入れるんだ! 二人で呪われた運命に挑もう、そんな運命を打ち破ろう!」


 揺れる空間に、僕のセリフが浮き上がる。やっと言えた、ヒーローみたいなセリフ。それを聞いたヨスガが強く僕の手を振り払う。


「ヒーロー気取りはやめてください! これ以上のソウくんの善意は私のためにはならないんです!」


 好きな人から言われたすべてを否定する言葉「ヒーロー気取り」が僕の全身を貫く。


「でも僕はヨスガのために」


「私のためにって言いますけど、本当に私だけのためなんですか? ソウくんのエゴは少しも入ってないんですか?」


 すべて図星の一言に止めを刺されてしまった僕は、空気を抜かれた風船のようにゴンドラの椅子に倒れこむ。


「ごめんなさい。言いすぎました……」


 小さく手を組んで、ヨスガは謝った。せっかくの景色が台無しになる。僕は行き場のない未来に苛立ち、悶々とする。揺れるゴンドラでお互いが無言になる。
 この時、素直に謝っておけばヨスガを傷つけずに済んだ気がする。でも僕は彼女から目を逸らし、暗闇の夜空を逃げるように眺めることしかできなかった。ついにここまで来ても、ダサい奴のままだった僕はこの空間には僕しかいないものだと思っていたのだ。僕と、僕の理想の存在であるヨスガだけ。本当に最悪だった。ヨスガだって人間の女の子だったっていうのに……。


 無意識のうちに茜色の砂が落ちきって、ゴンドラが動き出した。この時を最後に、ヨスガは僕の前から姿を消した。



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