ストロボガール -落ちこぼれの僕が、時を止める理由-

藤 夏燦

41. お互いの話

 タピオカというものは餅のように弾力があって丸いのに、のどごしがある妙ちくりんな食べ物だ。この世のどの飲食物にも似ていない。太く大きなストローでタピオカミルクティーを啜りながら、僕は思った。目の前でヨスガも初めて飲む味と触感に感激している。右手にはタピオカの容器、左手には横ムカデことハルキゲニアのぬいぐるみを抱えて


「もちもちで美味しいです」


と僕を見上げる。
 一人で二人分の注文をするのにも慣れてきた。誰も動かないタピオカの屋台の前で、僕はヨスガに声をかける。


「せっかくだから歩きながら飲もう」


☆☆☆


 傾いてきた西日が、街を黄金色に染めた。人ごみのある商店街を抜けて住宅街へ出る。東に向かう僕らの前に僕とヨスガの影ができる。僕より一回り小さいワンピースの影。片手にぬいぐるみを抱えた女の子の影。デートでどこかへ行って楽しむ時間も僕は好きだったが、こうやって何も目的もなく街を歩くのも悪くない。昔、綾野先輩とも二人で並んで帰った。あの頃の話題は流行っていたテレビやゲームか、学校の噂が専らだった。今は他の物や誰かの話よりも、お互いのことを話したい。


「そういえば博物館で思ったけど、ヨスガはどうして古代の生き物が好きなんだ?」


 ピンク色のハルキゲニアを腕にかかえたヨスガは、タピオカを飲むのを止める。


「家に『大昔の動物』っていう図鑑があったんです。それで覚えました」


「なかなかマイナーな図鑑だね。そういうのって普通は昆虫とか星座の図鑑でしょ?」


「そうかもしれないですね。でも父が変わり者だったので、こんな図鑑を選んだんだと思います。大学で法律を教えてたんですけど、日曜日は書斎に籠って割りばしで工作ばかりしていました。初めは昆虫が多かったんですけど、そのうちに図鑑に出てくるような古生代の生き物を作り始めたんです」


「じゃあお父さんが工作の資料として使いたいから、その図鑑を買ったってこと?」


「そうなりますね。娘へのプレゼントだと家族には言っておいて、実は自分のために買っていたんです。まあそのおかげで、私はハルキゲニアに出会えましたからよかったですけど」


 目の前に小さな交差点があった。歩行者信号は赤色に染まっているため僕は無意識に立ち止まった。すると横にいるヨスガがタピオカを飲みながれ交差点を歩きぬけていく。


「おい、ヨスガ赤だぞ」


 僕の注意にヨスガはタピオカを吹き出しそうになる。


「ソウくんどうしたんですか。待っていても永遠に赤のままですよ」


僕ははっとして


「あっ、そうか」


と彼女に追いつく。今日のヨスガは一段と生き生きとしていて、僕は時間が止まっていることを忘れ、素直に信号機で止まってしまっていた。この辺りの住宅街は人通りが少なく、ヨスガ以外の人影が見えないことも大きい要因だった。
 信号機の色が変わることも、夕日がかげっていくことも今はない。ただ砂時計の砂だけが、丸底に静かに流れる。


「今もお父さんは工作を続けているのか?」


「いいえ、父は幼いころに亡くなったんです」


「そうなのか、ごめん」


「いいんです。おもちゃや本はたくさん買ってくれるけど、どこにも連れて行ってはくれない。そんな父でした。ソウくんのほうがいろんな場所に連れて行ってくれた気がします」


 歩きながら話していると、昔ながらの門前町に出た。古い建物が多く残っていて、観光客や地元の人で賑わっている。石畳の坂を抜けると、大きな霊園がある。


「私の話はいいんで、ソウくんの話を聞かせてください」


「え? 僕の話?」


「はい」


「人に話せるようなエピソードなんか持ってないよ」


「あったことをそのまま話してくれればいいんです。私はソウくんがどう育ってきたのかを知りたいんです」


 いつもより足が速く動いて、僕らは霊園まできてしまった。その間に僕はいじめられた小学時代、小林と出会った中学時代、いないものだった砂時計を手にするまでの高校生活を正直にヨスガに語った。一番大事な綾野先輩の話はしなかった。今好きなヨスガの前で、違う女の人の名前を出すのはまずいと思ったからかもしれない。しかしそれだけではないことは薄々感じてはじめていた。



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