ストロボガール -落ちこぼれの僕が、時を止める理由-

藤 夏燦

34. 真実

 綾野詩帆先生が屋上に現れたのは、それから随分と後のことだった。沙綾の説得によほど時間を有したのだろう。太陽がじりじりと照り付け始めたので、僕は高層ビルの陰になるベンチに移動し、腰掛けて日本史の教科書を読んでいた。詩帆先生は僕を見つけると、急ぎ足でこちらに向かってきた。暑いのかカーディガンを脱いで、ブラウス一枚になっている。


「ごめんなさいね、遅くなってしまって」


「いえ、大丈夫です」


 僕は教科書をたたんで、脇に置いた。詩帆先生の座るスペースを空ける。


「暑かったよね。ジュースか、何か奢るよ?」


「あ、すみません。ありがとうございます」


 額に出ている汗の粒を見て、詩帆先生は僕に自販機のアイスコーヒーを奢ってくれた。先生も同じものを買って、両手に抱えたままさっきのベンチに戻る。最近流行っているペットボトルに入ったコーヒーが、緊張と暑さで乾いたのどを潤す。


「沙綾はどうなりましたか?」


 先生と二人でベンチに腰掛けて、まず僕から話を切り出した。


「ちょっと大変だったけど、喧嘩した子と仲直りすることで納得してくれたわ。部活もやめないって」


「そうなんですね。よかったです」


「沙綾ちゃんね、負けず嫌いなとこがあるから。ネットで有名になってる投稿者の写真を見て、自分たちも負けてられないって少し熱くなっちゃってたみたい」


「ネットの投稿者ですか?」


「ほら最近インスタとかツイッターで話題になってる、どうやって撮ったのかわからない写真ばかり投稿するアカウント。ソウタくん知らない?」


 詩帆先生はそう言いながらスマホを取り出すと、インスタのあるアカウントを僕に見せてくれた。躍動感のあるゴールデンレトリバーに、稲妻の一瞬の姿。真下から見上げた噴水。それは紛れもなく僕のアカウントだった。


「……見たことあります。すごいですよね、この人」


 僕はとりあえず知っていることにして、その場を繕った。


「でしょ。でも写真の出来は、ネットの投稿者や仲間と比べるものじゃない。自分が信じた感覚や良いと思った感性を、作品として後世に残していくものなの。そしてその作品の感性を時には共有し、時には相違点を見つけて上達していくために部活の仲間たちはいる。沙綾ちゃんには、そのことを思い出してもらったわ」


 いいねやリツーイトの数を追っていた僕にも、詩帆先生の言葉は鋭く刺さった。もちろん悩んでいる沙綾には、先生が心を傷つけないように慎重にオブラートにでも包んで伝えたのだと思う。しかし当然ながら僕に対してはそんな心遣いなどなく、不本意にもむき出しの鋭利さを保ったまま、胸の深いところに届いてしまった。


「沙綾は良い仲間や先生に恵まれていると思います」


「良いお兄さんにもね」


 詩帆先生は頬に笑窪を作った。


「そんなことないですよ」


「沙綾ちゃん言ってたわよ、お兄さんに命を救われたって。感謝してもしきれないってね」


 僕は照れもあってか、それ以上何も言えなくなってしまった。


「沙綾ちゃんとは一歳違いなんだっけ?」


「あ、はい。一歳差です」


 詩帆先生は一呼吸おいてから、本題に入った。


「私と夏帆は三つ離れてた。しっかり者で、頭も良くて優秀な、自慢の妹だった」


 過去形で始まった綾野先輩の話に、僕は口の中が苦みを増していくのを感じた。もちろんアイスコーヒーの苦みなどではない。


「6年前の7月。中学2年生だった夏帆は、学校に行くと言って家を出ていったきり、戻ってはこなかった」


「……亡くなったんですか?」


「わからない。すぐに警察にも相談して、事件の可能性もあるからかなりの大規模で捜索してもらったわ。でも結局、未だに手がかりすら掴めていない」


「行方不明、なんですね」


「まあ、そんなところね」


 詩帆先生の話は何かに似ている。記憶を巡らすと二つの話が繋がって、僕ははっとした。マグロが語った、永遠に消えた少女の話だ。先生はコーヒーを一口飲んで、僕に尋ねた。


「夏帆とはどんな関係だったの?」


「小4の時、いじめられていた僕を綾野先輩が助けてくれたんです。それから先輩が卒業するまでの間、友達でいてくれました」


「あの子、おせっかいだったからなあ。当時、中学生の私より家に帰ってくるの遅かったし……」


「でもそのおせっかいに、僕は救われたんです。先輩がいなかったら、今の僕はいないと思います」


「夏帆と親しかった人と会うたびに、みんながそんな話をするから参っちゃうな。あの子は本当に困っている人をみると放っておけなかったんだなあって」


 詩帆先生は少し寂しそうにうつむく。


「夏帆には夢があった。私や母の前でその夢の話を得意気に語っていたわ」


「どんな夢だったんですか?」


 僕には決して話さなかった綾野先輩の夢。


「絶対に教師になる。教師になっていじめや差別で困っている子どもたちを救いたいってよく言ってた。中学にあがってからも、夢に向かってひたむきに走っていたと思う。一年生から生徒会に入って、友達も多く、みんなから慕われてた。
 あの子が叶えられなかった夢の続きを引き継ぐことが、私の使命だと強く思ったの。教師になって、この学校に就職して写真部の顧問になったのは、どこかで夏帆の面影を追いかけていたからなのかもしれない」





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