ストロボガール -落ちこぼれの僕が、時を止める理由-

藤 夏燦

32. エレベーターホールで

 沙綾の曇り顔をよそに、名門高校の写真部員たちがお見舞いに訪れた。女子生徒3人に男子生徒が2人。みんな沙綾の同期だろうか。今日も部活があると見えて、制服を着ている。真ん中にいた眼鏡をかけた大人しそうな女子が、僕に気づくなりまず頭を下げた。


「し、失礼します。写真部で部長をしております小茂田絵空こもだ えそらです。あの、沙綾さんのお兄さんですよね」


 僕はソファーから立ち上がって、同じように頭を下げて続ける。


「あ、はい。佐々良蒼汰です」


「つまらないものですが。よろしければ……」


 絵空はそう言って、たどたどしく菓子折りの紙袋を差し出した。両手で紐を持ち、肩をすぼめるその姿は、いかにも自信が無さそうな印象だ。この女子が沙綾と喧嘩した部員なのだろうか。


「す、すみません。わざわざ、ありがとうございます」


 僕は小さく呟きながら、絵空から紙袋を受け取った。初対面の人と話すのはあまり得意ではない。それに年上なのだから大人の対応をしようとして、無理に力が入ってしまいぎこちなかった。


「絵空先輩、ありがとうございます」


 僕らのやり取りを見ていた沙綾が、ベッドの中から言った。絵空が沙綾のほうを向く。


「沙綾ちゃん、もう怪我は大丈夫なの?」


「はい。もう大丈夫です。すみません、ご心配おかけしました」


 沙綾はベッドの上で起き上がったまま深々と頭を下げた。すると絵空の横にいたショートカットの女子生徒が


「沙綾、何畏まっちゃってんの」


と笑いながら言った。沙綾が頭をあげると


「元気そうでよかった。めっちゃ心配したんだよ」


と少し涙目になって沙綾に抱き着いた。


未来みく。ごめんね。ありがとう」


 未来と呼んだその生徒と沙綾は嬉しそうに抱き合った。何となく心の仮面は外れている気がする。僕はソファーに腰掛けてその様子をぼんやりと見守った。その後も、沙綾と部員たちは言葉を交わしあう。
 会話の流れから、絵空と男子のうちの一人は3年生であることが分かった。つまり僕と同い年だ。沙綾が喧嘩したのは時期部長の子で、絵空は今の部長なのである。3年生たちはこの夏を最後に引退するらしかった。未来と残りの男女二人は、2年生で沙綾と同期らしい。あんなにも曇っていた沙綾の表情に反して意外にも会話が弾み、僕は少し居心地が悪くなった。


「もうすぐ詩帆しほ先生も来るから」


 未来が沙綾の手を握りながら言った。それを聞いて明るかった沙綾の顔に陰りが見え始める。


「アオイたちは?」


「声はかけたんだけどね」


 未来は同期二人と顔を見合わせた。絵空たち3年生も若干気まずそうである。


「そう……」


「ねえ沙綾、アオイたちと仲直りしようよ。うちらの代には沙綾が必要だよ」


 未来が沙綾に訴えかける。同期の二人も頷いて同意した。


「いい。私、写真部やめるから」


 沙綾の一言に病室中がざわついた。


「やめるってなんで」


「もう決めたの。カメラも壊れちゃったし」


「沙綾ちゃんどうして?」


 絵空が弱弱しい声をはき、沙綾を見つめた。沙綾は黙ったままだ。すると今まで黙っていたもう一人の三年生の男子が口を開いた。


「そんなすぐに決めなくてもいいだろ。詩帆先生が来てから、ゆっくり話し合おう」


 低く渋い声の主だった。丸眼鏡でパーマっぽい髪が襟まで伸びている。いかにも首から下げた一眼レフが似合いそうな男子だ。


畑中はたなか先輩……」


 沙綾はそう言ってしばらく畑中を見つめていた。見とれていたというほうが正しいかもしれない。なんだか淡い青春の一ページを目撃した気がして、僕は急に恥ずかしくなった。少なくとも僕だけはここには不似合いだ。
 重くも甘酸っぱい空気を察して、僕はしばらく席を外すことにした。砂時計とスマホ、暇つぶしに日本史の教科書だけをもって、病室のドアへ近づく。去り際に軽く会釈をすると、絵空たち写真部はつられて頭を下げた。
 沙綾を見たが、うつむいていて表情はわからなかった。心の中で頑張れと激励する。いい仲間たちに囲まれた沙綾が羨ましくもある。仲直りできても、できなくても、僕はずっと沙綾の味方でいようと思った。


☆☆☆


 沙綾たちの論議が終わるまで、僕は屋上テラスで日本史の勉強をすることに決めた。昼前に差し掛かった病院は、今朝の慌ただしさが嘘のように引いている。
 人の疎らなエレベーターホールで、屋上行きを待つ。目の前のドアが開いて、車いすの患者と看護師さんがおりてきた。薄いカーディガンを羽織った女性が一人、操作盤の前に立ち、『開く』のボタンを押している。僕は一瞬、綺麗な人だなと思った。車いすが階に降りきると、患者と看護師さんは軽く頭を下げた。ボタンを押している美人の頬が緩んで、小さな笑窪ができる。その特徴的な笑みに、僕は一人の少女の面影を見る。
 大人になった彼女は僕を一瞥して、エレベーターを降りた。髪は栗色に染められていたが、肩までの長さは変わらない。横を通りすぎる時、ふと懐かしい匂いがする。


「綾野先輩……」


 僕は呟くように想い人の名前を呼んだ。彼女が振りかえれば、その人であると答え合わせができるように。


「はい」


 栗色の髪をなびかせて、彼女は振り向いた。化粧をしていてもわかる、変わらない端正な目鼻立ち。僕の背と同じくらいの立ち姿。憧れの先輩に。6年間忘れたことのない先輩に。僕はやっと会うことができた。期待と不安の入り混じったアンビバレンスな心臓から、高鳴る鼓動とともに再会の言葉を引っ張り上げる。


「僕のこと、覚えていますか?」



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