ストロボガール -落ちこぼれの僕が、時を止める理由-
30. 台風一過の約束
次の朝は台風一過で、晴れ晴れとした青空が広がっていた。台風が置いていった風たちが、白い薄雲を速く動かしている。病室のサッシには垂れた雨粒に、朝日が反射してキラキラと光っていた。
まだ明け方だったので、沙綾はすやすやと寝息を立てて眠っている。熱も引いて今は元気そうだ。僕は疲れからか、慣れないソファーの上でもぐっすりと眠れてしまった。身体を起こして、スマホで時刻を確認すると、指紋汚れのついた液晶が、午前6時を示していた。僕は立ち上がると、沙綾のために病室のレースカーテンを閉め、スマホと砂時計を手に静かに廊下へと出た。
☆☆☆
夜の静けさとは打って変わって、朝の病院は慌ただしい。朝食を準備する看護師さんや職員に、リハビリをする患者。僕はトイレを済ませると、人の少ない場所を探した。この病院には屋上テラスがあり、街の景色を一望できるらしかった。まだこの朝の時間なら人が少ないだろうと思い、僕はエレベーターに乗ると屋上階へのボタンを押した。
屋上テラスに出ると、僕は心地いい涼しげな強風にさらされた。ほのかな秋の匂いを連れてきている。僕の読み通りテラスはとても空いていた。2、3人リハビリをしている患者はいたが、誰も僕には目を向けていない。僕は砂時計を手に取ると、茜色の光を呼び出し、時間を止めた。
途端に物凄い速さで流れていた雲が、頭の上で静止する。涼しげな風も、秋の匂いも消えうせた。代わりにヨスガが僕の真横に現れる。
「妹さん、無事でしたか?」
開口一番、ヨスガは沙綾の心配をした。雨で汚してしまった白いワンピースから、薄手のパーカーにチェックのキュロットスカート姿に着替えている。あの夏の綾野先輩を彷彿させる格好だ。
「うん。でもヨスガがいなかったら危なかったと思う。ありがとう」
少々の照れはあったが、僕は精一杯の感謝をヨスガに伝えた。
「良かったです」
そう言ったヨスガは安堵感からか、少し頬が緩んでいる。本当に嬉しそうな横顔をしていた。どうしてヨスガは観察対象のためにここまでしてくれるのだろうか。
「晴れましたね」
僕の思惟を遮って、ヨスガが言った。
「うん、台風一過だ。ねえヨスガ、こんな言い方するのも変だけど、どうして沙綾のこと助けてくれたんだ?」
「当たり前じゃないですか」
少し食い気味にヨスガは続けた。
「あの状況で妹さんを見捨てることなんて私にはできませんよ」
「ごめん、そうだよな。ありがとう」
「それにソウタさんの悲しむ顔なんて見たくないですから」
夏の早い朝焼けに二人分の影が伸びている。高校生くらいの青年と少女の影だ。僕は先ほどの思惟が浅はかだったことを恥じた。ヨスガはやっぱり人間なんだ。それも心の優しい、十代の女の子。
「そうだヨスガ。今回の件、僕に何かお礼をさせてほしい」
「え? お礼ですか」
ヨスガが驚いたように笑った。
「なんでも言ってみてくれ。僕にできる範囲であれば叶えるから」
ヨスガは少し考えてから、恥ずかしそうにぼそっと呟いた。
「パンケーキ……」
「え?」
「パンケーキ、食べてみたいです」
「わかった。めちゃくちゃ美味しいところ探して、ごちそうする」
ヨスガの願いを僕は素直に聞き入れた。時間の狭間に取り残されたヨスガは、食べ物を味わうということを知らないんだろうなと思った。
「あとタピオカミルクティーも飲んでみたいです。博物館にも行きたいですし、観覧車にも乗りたいです」
ヨスガの興味は食べ物だけに留まらない。年相応の少女のように、僕に甘えてきた。こんなの遠回しにデートしたいと言われているようなものだ。
「わがまま言って、すみません……」
ヨスガはそこではっとしたのか、小さくうつむいた。
「うん、わかった。じゃあその日一日は、ヨスガの行きたいところに行こう」
僕がそう言うと、ヨスガは嬉しそうに僕のほうを見て、初めて僕の手を握った。
「約束ですよ」
「もちろん、約束する」
ヨスガの手は身長の割には小さく、僕の手よりもはるかに小さい手だった。
まだ明け方だったので、沙綾はすやすやと寝息を立てて眠っている。熱も引いて今は元気そうだ。僕は疲れからか、慣れないソファーの上でもぐっすりと眠れてしまった。身体を起こして、スマホで時刻を確認すると、指紋汚れのついた液晶が、午前6時を示していた。僕は立ち上がると、沙綾のために病室のレースカーテンを閉め、スマホと砂時計を手に静かに廊下へと出た。
☆☆☆
夜の静けさとは打って変わって、朝の病院は慌ただしい。朝食を準備する看護師さんや職員に、リハビリをする患者。僕はトイレを済ませると、人の少ない場所を探した。この病院には屋上テラスがあり、街の景色を一望できるらしかった。まだこの朝の時間なら人が少ないだろうと思い、僕はエレベーターに乗ると屋上階へのボタンを押した。
屋上テラスに出ると、僕は心地いい涼しげな強風にさらされた。ほのかな秋の匂いを連れてきている。僕の読み通りテラスはとても空いていた。2、3人リハビリをしている患者はいたが、誰も僕には目を向けていない。僕は砂時計を手に取ると、茜色の光を呼び出し、時間を止めた。
途端に物凄い速さで流れていた雲が、頭の上で静止する。涼しげな風も、秋の匂いも消えうせた。代わりにヨスガが僕の真横に現れる。
「妹さん、無事でしたか?」
開口一番、ヨスガは沙綾の心配をした。雨で汚してしまった白いワンピースから、薄手のパーカーにチェックのキュロットスカート姿に着替えている。あの夏の綾野先輩を彷彿させる格好だ。
「うん。でもヨスガがいなかったら危なかったと思う。ありがとう」
少々の照れはあったが、僕は精一杯の感謝をヨスガに伝えた。
「良かったです」
そう言ったヨスガは安堵感からか、少し頬が緩んでいる。本当に嬉しそうな横顔をしていた。どうしてヨスガは観察対象のためにここまでしてくれるのだろうか。
「晴れましたね」
僕の思惟を遮って、ヨスガが言った。
「うん、台風一過だ。ねえヨスガ、こんな言い方するのも変だけど、どうして沙綾のこと助けてくれたんだ?」
「当たり前じゃないですか」
少し食い気味にヨスガは続けた。
「あの状況で妹さんを見捨てることなんて私にはできませんよ」
「ごめん、そうだよな。ありがとう」
「それにソウタさんの悲しむ顔なんて見たくないですから」
夏の早い朝焼けに二人分の影が伸びている。高校生くらいの青年と少女の影だ。僕は先ほどの思惟が浅はかだったことを恥じた。ヨスガはやっぱり人間なんだ。それも心の優しい、十代の女の子。
「そうだヨスガ。今回の件、僕に何かお礼をさせてほしい」
「え? お礼ですか」
ヨスガが驚いたように笑った。
「なんでも言ってみてくれ。僕にできる範囲であれば叶えるから」
ヨスガは少し考えてから、恥ずかしそうにぼそっと呟いた。
「パンケーキ……」
「え?」
「パンケーキ、食べてみたいです」
「わかった。めちゃくちゃ美味しいところ探して、ごちそうする」
ヨスガの願いを僕は素直に聞き入れた。時間の狭間に取り残されたヨスガは、食べ物を味わうということを知らないんだろうなと思った。
「あとタピオカミルクティーも飲んでみたいです。博物館にも行きたいですし、観覧車にも乗りたいです」
ヨスガの興味は食べ物だけに留まらない。年相応の少女のように、僕に甘えてきた。こんなの遠回しにデートしたいと言われているようなものだ。
「わがまま言って、すみません……」
ヨスガはそこではっとしたのか、小さくうつむいた。
「うん、わかった。じゃあその日一日は、ヨスガの行きたいところに行こう」
僕がそう言うと、ヨスガは嬉しそうに僕のほうを見て、初めて僕の手を握った。
「約束ですよ」
「もちろん、約束する」
ヨスガの手は身長の割には小さく、僕の手よりもはるかに小さい手だった。
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