ストロボガール -落ちこぼれの僕が、時を止める理由-

藤 夏燦

15. 嵐の夜

 僕はその日、家に帰ってからずっと自分の部屋に引きこもっていた。母親が夕飯のために僕を呼びに来たが、「いらない」と返した。沙綾にはあれ以来会っていない。会ったらどんな顔をするだろうか。怖くてたまらなかった。


 時刻が22時を過ぎたころ、雷が鳴った。ゲリラ雷雨だ。僕は部屋の窓とカーテンを閉めると、自分のベッドに横になった。スマホをなんとなく触る。Twitter、インスタグラム、まとめサイト……。そして行き着いたネットニュースの見出しを見て、僕は血の気が引くのを感じた。


『○○花火大会で群衆事故。見物客18人がけが』


 恐る恐る内容を開いてみる。


『今日の花火大会で混雑した堤防や階段にいた何人かが転倒し、ドミノ倒しのように周りにいた人々が倒れ大惨事になった。原因は不明だが怪我をした数人は何者かによって突然地面に倒されたと話している。』


と書かれていた。僕が小林から逃げようとして時間を止めた結果がこの惨事だった。このニュースを読んで僕は自己嫌悪に陥った。楽しいはずの花火大会で18人もの人に怪我をさせ、最悪な思い出を作ってしまった。時間停止で多くの人を救うはずが、こんなにも多くの人を不幸にしてしまった。僕は最低だ。この砂時計も、もうヨスガに返したほうが良いのかもしれない。


 チャージが完了した砂時計を僕は無意識にひっくり返していた。雷鳴と雨音が一瞬で止み、静寂が訪れる。だがそれはいつも通りの静寂ではなかった。ヨスガが鼻をすする音が響いているのである。
 ヨスガはベッドから少し離れたカーテンの前で体育座りをして体を丸め込み、頭を膝の間に入れていた。制服は砂まみれで、スカートで隠し切れない左膝から血が足元へ流れている。髪に隠れて表情は伺えないが、すぐにまだ泣いているのだと分かった。
 いつも通りに


「何見てるんですか?」


なんて冷たく睨まれたら、僕はどれだけ楽になれただろうか。「僕は駄目な人間だ」なんて自分の人生を語り、ヨスガに同情してもらおうと「この砂時計は君に返すよ」なんて真顔で差し出したのかもしれない。静寂の世界で、僕とヨスガ二人だけの世界で、泣いている女の子に僕はなんて声をかければいいのだろう。答えは見つからないまま、彼女の泣き声だけが雨のように部屋を濡らしていく。
 僕は黙ったままヨスガに近づくと、彼女の正面に座り込み血まみれの左膝を見た。傷口が開いていて、思った以上に重傷だった。僕が静かに


「触ってもいいか?」


と尋ねると、ヨスガは黙ったまま頷いた。
 僕は一度リビングに行って救急箱を拝借し、ヨスガの膝を消毒してガーゼで覆いかぶせた。応急処置ではあるが、これで血は止まるだろう。僕が手当てをしている間、ヨスガは一言も話さなかった。ただ泣き声は少しずつ小さくなっていった。
 僕がヨスガの左膝に包帯を巻きつけて手当てを終える頃には、ヨスガはもう泣き止んでいた。彼女は少し顔を上げて


「……ありがとうございます」


と小さく呟いた。右の頬に擦り傷があり、両目は腫れていた。


「そこの擦り傷にも絆創膏貼ったほうがいいな」


僕はそう言ってヨスガの頬に消毒液を含ませたガーゼをあて、擦りむいた箇所に絆創膏を貼った。僕は淡々と応急処置を進めたが、泣いているヨスガが堪らなく愛おしく思えてきて仕方がなかった。綾野先輩の姿だからだろうか。でもそれだけではないような気もした。
 ヨスガも落ち着いたので、僕は彼女の隣で体育座りをした。カーテンを背もたれにして、部屋の天井を見つめる。


「花火、残念でしたね」


ふいにヨスガが言った。最前列で撮る花火のフィナーレの姿。そんなもの僕にはもうどうでもよくなっていた。


「もういいよ、忘れてくれ」


「そうですか。私は遠目からでも花火を見れて嬉しかったです。花火なんてもう永遠に見られないような気がしてましたから」


ヨスガが気を使って言ってくれたのか、本心からの一言なのか僕にはわからなかった。どちらでもあるような気がした。


「ヨスガが普段住んでいる世界には花火は存在しないのか?」


「……ふふっ、面白いことを言いますね」


ヨスガは微かにほほ笑んだ。


「花火はあります。もちろん花火大会も、浴衣姿のカップルも、屋台の焼きそばだってありますよ。だって私はソウタさんと同じ世界に住んでいますから。勝手に別の世界の住人にしないでください」


ヨスガはここまで微かに笑いながら言って、うつむいた後、続けた。


「ただ私の時間だけが、世界と違うだけで……」


私の時間が世界と違う? 僕は最初、比喩なのかと思った。


「それってどういう?」


と僕が訊いた途端、雷が鳴った。砂が落ち切り、時間が戻ってきたのだ。ヨスガはもう隣にはいなかった。ザーザーと降りしきる本物の雨音が部屋を濡らしていった。





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