ストロボガール -落ちこぼれの僕が、時を止める理由-

藤 夏燦

5. 兄と妹

 今日は午後から雨になった。
 放課後、誰もいなくなった教室で掃除当番の僕とマグロは机と椅子を運び、床を箒がけしていた。本来は掃除当番が5人いるのだが、残り3人はいわゆる不良生徒で一度も掃除をしに来たことがない。
 雨音だけが響くなか、僕とマグロは黙々と掃除を続けた。頼りにされない者同士が、面倒くさい仕事だけ押し付けられたような気がしてならない。こんなこと一刻も早く終わらせて帰りたい。
 ただ帰ったといころで僕の居場所があるわけではない。でもここよりはマシだ。僕には優秀な一つ年下の妹がいて、両親はいつも僕ら兄妹を比較する。底辺校の「いないもの」と進学校の秀才をだ。
 最近は専ら帰宅すると部屋にこもり、アニメや小説で気を紛らわす。自分を主人公に投影し、ヒーローになった気になる。この時間が僕にとって一日の中で一番心が安らぐ。


☆☆☆


 一通り箒掛けを終えるとマグロと目が合った。


「……もう終わりにしようか」


 マグロも同じ気持ちを思っているのだと察して、僕は彼女に言った。マグロは表情一つ変えずに黙って頷いた。掃除道具を片付けて、下駄箱へ向かう。
 雨はまだ止まなかった。上履きからスニーカーに履き替えると、マグロが玄関で立ち尽くしている。どうやらマグロは傘を忘れたらしかった。


「……麻倉さん、駅一緒だよね。よかったら入る?」


 僕は傘を差しだしてマグロに言った。


「……ありがとう」


 マグロは小さめの声でそう返した。前髪が顔に隠れていて表情は伺えない。


☆☆☆


 僕はマグロと学校から駅までを一つの傘で歩いた。普通なら女の子と相合傘で帰る夢のようなシチュエーションだったが、相手がマグロなので僕はなにも感じなかった。もしもこの相手が綾野先輩であったなら、僕の心臓は飛び出していたに違いない。
 何も感じていないと言ったが、久々に誰かを助けることができた喜びを僕はわずかに感じていた。ただ、仮に傘を忘れてしまったのが僕だったとしても、マグロはきっと助けてくれただろう。そう思うと相変わらずダサい奴のままだったことに気づいた。
 駅までの長い沈黙が嫌で僕がなにか話題を探していると、マグロが口を開いた。マグロは無表情ではあるが無口ではない。特に好きことに関しては饒舌になるタイプである。


「今朝、○○線で人身事故あったよね」


「ああ、あったね。それで僕も電車が止まって遅刻しちゃったし」


 ネットニュースで見た。利用者が多い路線であるため、朝から東京の交通網は混乱状態になった。轢かれたのは2人で、2人とも即死だったという。自殺を図った女子大生と彼女を助けようとしたサラリーマン。匿名で報道はされたが、サラリーマンの死に多くの人が同情のコメントを寄せていた。
 サラリーマンはどんな気持ちだったのだろう。きっと正義感の強い本物のヒーローだったに違いない。もし僕が同じ現場に出くわしたら、助けることができたのだろうか。
 僕は複雑な気持ちになってしばらく黙り込んだ。雨音だけが聞こえてくる。


「ねえ佐々ささらくん、6年前にも同じ駅で人身事故騒ぎがあったこと知ってる?」


「え? いや、知らないけど」


 知るわけがないだろと僕はマグロに対して思った。毎年何回も発生する人身事故、それも6年前のことなんて覚えているわけもない。


「結構有名な話だけどね。6年前も同じように中学生の女の子が電車に飛び込んだ。その時ね、運転手もホームにいた乗客も女の子が飛び込んだ瞬間を目撃したらしいんだけど、電車は何も轢かなかった」


「電車が轢かなかったってどういうこと?」


「事故後の現場検証で遺体どころか、人がいた痕跡さえ何ひとつ見つからなかった」


マグロは表情を変えずに続ける。


「……不思議じゃない?」


マグロはこういう話になるとよくしゃべる。所謂、オカルトマニアだ。僕はこの手の話は苦手だった。


「もしかして幽霊とか、そんな感じ?」


「さあ、正体は誰にもわからない。ただ監視カメラにははっきりと電車に飛び込む少女の姿が映ってたらしいよ」


☆☆☆


 怖い話を聞くと夜眠れなくなるから嫌だ。僕はマグロと別れたあと帰りの電車の中で、さっきの話を忘れようと必死だった。嫌な気持ちになったときは必ず綾野先輩のことを思い出すようにしている。
 先輩は今、どこで何をしているのだろうか。会いたいようで会いたくない。変わらないままの僕を見ても先輩は昔のように接してくれるのだろうか。
 先輩がどう思うかよりも、僕が先輩を見てショックを受けるような気がした。2つ上だったから今は大学生だろうか。きっと彼氏もいてその人とお似合いのカップルになっているに違いない。綾野先輩にとってのヒーローは僕ではない。はじめからそんなことは決まっていたのだ。
 そんなことを考えていると、怖い話なんかよりはるかに怖くなった。自分は一生、誰かに必要とされないんじゃないか。寂しさと虚しさで車窓が霞んでいた。


☆☆☆


 家に帰ると、まだ誰もいなかった。「ただいま」と空虚につぶやく。リビングのソファーに寝そべって目を瞑った。今日は疲れた一日だった。朝の電車は遅延するし、掃除当番だし、おまけに何日かぶりに家族以外と会話した。
 時刻は18時をまわった。しばらくソファーに寝そべっていると、妹が帰ってきた。


「……ただいま」


疲れ切った第一声が聞こえる。


「ん? おかえり」


 僕はゆっくりと体を起こす。妹の沙綾さやは僕には目もくれず、ポニーテールを解いている。綾野先輩と同じ名門中高一貫校の制服。この姿の妹は何度見ても慣れない。


「母さんは?」


 制服を脱ぎ部屋着に着替えたあと、沙綾が僕を見て言った。


「まだ帰ってきてない」


 父さんは大手企業で営業職。母さんは事務職として働いている。二人とも残業が多くこの時間に家にいることは稀だ。


「すぐに夕飯作るね」


 こんな日の夕飯はきまって沙綾が作ってくれる。決して美味しいとは言えないが不味くは絶対にない。僕なんかよりは料理の才能がある。


「手伝おうか?」


と言うも


「いや、いいよ大丈夫」


と素っ気なく返された。


 僕はいたたまれなくなって自分の部屋に駆け込んだ。沙綾に相手にされなくて嫌になったのではない。情けなさでこの場にいれなくなったのだ。


 沙綾は家族思いのいい妹だ。勉強も出来、部活でも優秀だった。写真部の妹は中学時代にお下がりの一眼レフで撮影した写真たちがコンクールで賞を総なめにし、今は高校写真部のエースである。
 小学校時代、僕と沙綾はいつも一緒だった。ただ年子だったこともあり、僕の兄としての威厳は薄かった。でも僕を慕い懐いてくれていたと思う。


 兄と妹でどうしてこんなに違うんだ。


 受験に失敗し、高校では居場所を失っている僕を沙綾はどう思っているのだろうか。表向きは優しく接してくれている。でも裏ではきっと僕を見下しているに違いない。
 今日も昨日も料理が苦手な僕を気にかけて夕飯を作ってくれる。どれだけ沙綾に助けてもらっているかわからない。
 僕の人生はなんなんだろう。僕がいなくても社会はまわる。このまま一生誰かに助けられて生きていくのだろうか。誰にも認められず、誰からも必要とされない僕に、生きている意味はあるのだろうか。
 いっそのことみんないなくなってしまえばいいのに。布団にくるまり深く目を閉じて、そう強く願った――。



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