夜明けの最終章

雪待月

夜明け



やっぱりダメですか、彼女が問いかけてきた。
しばらく沈黙が続いて僕は頷いた。
「わたし、諦めませんから」
店を閉めて、片付けをしている時のことだった。ここ最近、彼女は休まず毎日来てくれる、がそれは僕に会いに来て私じゃダメですかと言いに来る為に思えた。それほどまでに毎日なのだ。
しかしその問いに答えるとそれ以上何も言わずに作業をするのだ。そしてまた何も言わずに帰ってしまうのだ。僕は何か病的なものかとも思ったが、あの明るく前向きな彼女がそうはならないと信じたかった。


12月になった。
クリスマスが近いという事もあって扱う食材も、提供する料理も少しだけ豪華になったり色鮮やかになったりする。それとは逆に彼女との会話は数を減らし、色味も薄くなっていた。気まずいというやつだ。
何を言っても他人行儀というか、距離がある気がする。告白を断ったから当然なのだがやっぱりやりにくいし、仕事にも影響が出始めていて、お客さんにも触れられた。
ちゃんと謝って話を聞いてもらおうと思った。
「陽子ちゃん、話があるんだ」
こちらを一瞥し、浅く頷いた。
「あの時は酷い言い方をしてごめんなさい」
もっと君の気持ちを考えるべきだった、そう伝えると彼女は唇を噛んで机を叩いた。
「なんですかそれ、なんでそんなこと言うんですか」
今にも零れそうな瞳で睨まれた。
「わたしをこれ以上惨めにさせないで!」
そう叫んだ彼女は店を飛び出してしまった。
それから彼女は店には来なかった。


夜明けが来た。向こうの空が白み始めていた。
僕は慌てて外に出て浜へとおりた。
すると異様な光景が目に飛び込んできた。この寒空に腰まで海に入って佇んでいる女の子がいるのだ。
僕はすぐに誰かがわかった。走り出した。
濡れるのも構わず、冷たい海水で身が切られるような感覚にも構わず肩を掴んだ。
何してるんだ、そう叫び出す前に彼女は僕の手を払った。
「やめて!」
震えた声に僕は竦んでしまった。
彼女は手にカッターナイフを持っていた。
それだけはダメだと腕を掴むと彼女は激しく抵抗した。
「店長はわたしが高校生だからって相手してくれないだけなんですよね」
違う、とそれはすぐに答えることができた。
「…僕は、ゲイだから、そういう人を好きになるのは違うと思った」
そうじゃない、そんなのは建前で逃げる為の理由だ。
「そんなの店長が決めることじゃないです…」
「でも、だからと言って自殺は違うだろ」
また彼女は僕を睨みつけた。
「…店長は、店長はどういう理由で死にたい人の気持ちを、覚悟を止められるんですか」
手に握っているはずのカッターナイフを首元に突きつけられたような感覚だった。
「そこにどんな理由があるんですか」
僕は答えられなかった。そして彼女の腕を掴んでいた僕の手は脱力しきって、終いにはだらんと海の中へと垂れ下がってしまった。
彼女もカッターナイフを海に捨てた。
そして、僕にも言葉を捨て置いて行った。
「わたし、店長のこと一生許しませんから」
彼女の足音が聞こえなくなった頃には日が昇っていた。


あれから10年が経った。
結局、店は続けているし毎朝浜へ降りるのは欠かさずにやっている。
彼女、陽子ちゃんの事はあれ以降会うことは無かった。噂では他県へ引っ越したと聞いているが本当のところはわからなかった。
僕は彼女が許さないって言ったのはその時の怒りとかそれだけだと思っていたけれど、10年経ってわかったのは、許さないという呪いの事だった。僕は海を見る度に彼女、陽子ちゃんの事を思い出す。結局、僕が彼女の自殺を止めたのは悪い事だったんじゃないかと思う。人の覚悟や気持ちをどんな道理があって、そこにどれだけの大義があって止められるのか。もし死ぬ事で救われるのなら僕はその救いの機会を自殺はダメという先入観だけで奪ってしまったのだ。
そしてその呪いとは僕は彼女の事を片時も忘れた事がないというものだ。海を見る度に、包丁を握る度に、新しいお手伝いさんが店に来る度に、彼女が脳裏をよぎるのだ。また彼女は僕の事なんて忘れて新しい生活を、新しい恋を見つけて幸せに生きているのか、はたまた別の場所で暗く死んでしまっているのか、それが分からないということだ。
僕の時間はあの日から止まったままだ。
だからこの呪いは永遠に続く僕の葛藤の人生と、浜へ降りて毎日見ていた、夜明けの最終章なのだ。

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