夜明けの最終章

雪待月

まだ夜は明けない



その日、陽子ちゃんは遅れてやってきた。
19時を回る頃だった。
「遅れてすみません!」
と、慌てて入ってきた。
お客さんは待ち人が来たように、「おかえり!」「ゆっくりでいいよ」と陽子ちゃんに声をかけた。その一言一言に丁寧に返事をして陽子ちゃんは2階へと駆け上がって行った。


準備が済んで階段を転がるように降りてきた陽子ちゃんはせっせと手を洗って食器を洗い始めた。
その後の陽子ちゃんは失敗を重ね続けた。洗ったお皿を三枚も割ったりお客さんへ提供する水をこぼしたり、散々だった。
店を閉めて、陽子ちゃんを家まで送る道で今日はどうしたのかとたずねたら、悩み事がある、とだけ言って俯いてしまった。
しばらく言葉も交わさぬままアスファルトを叩いた。居心地が悪いからわざと音を立てて歩いてみたり、指をポキポキと鳴らしてみたりしていたら、その居心地の悪い静寂を破ったのは陽子ちゃんだった。
「…店長の好きな人ってどんな方だったんですか?」
僕はしばらく悩んで、乾いた唇を開け放した。
「僕の好きな人はね、綺麗好きで真面目で、頭が固くて、優しくて、料理が下手で、正義感があって、音楽が好きな人だったよ」
じっと向こうの空を見つめながら思い出すように答えた。
「その人は今はどこにいるんですか」
陽子ちゃんはこちらを睨むように見つめていた。僕は答えられなかった。ちょっと寄り道していこうか、そう言うと陽子ちゃんは頷いてくれた。
しばらく来た道を戻って、店の前に来た。
ここで待ってて、と言って僕は店の中へ入って行った。と言っても目指すのは僕の家の、僕の書斎だ。机の、右にある引き出しの二段目。大量の紙と封筒の束、その中から一枚封筒を引き抜いて僕は店の前、陽子ちゃんの元へ戻った。途中にある自動販売機で陽子ちゃんと僕に缶コーヒーを買った。
そして、あのいつもの浜へと降りた。
「僕の恋人はね、カメラマンだったんだ。この街に来たのも、彼が生前ここの風景を撮影してその写真を僕に見せながら話してくれたんだ。港のある街で、海がすごく近くて、活気のある市場があって、素晴らしい街だって。」
陽子ちゃんは何か言いたげにしていたが、僕は遮るように話を続けた。
「僕と彼はね、話からわかると思うけど違う街に住んでたんだ。そこはここよりも都会でね、僕はレストランで厨房に立ってたんだ。彼は個展を開いたり、たまにグラビアアイドルの撮影もしてたみたい。でもある日彼が、「俺はもっと撮るべきものが、人が、場所があると思う」そう言って荷物をまとめて海外に行ってしまった。」
そう、忘れもしない。あれを引き止めていれば今僕はこの街で店なんて開かずにいたはずだった。
彼は、所謂戦場カメラマンに転身した。
彼は正義感が強かったし、写真家として名前が売れてその気持ちがより強くなったのは理解出来た。紛争が起こっている国に行って写真を撮って、彼が持ち帰る写真は想像を絶するものだった。それもあり、彼の写真はどんどんと評価され、彼は度々紛争地帯に身を投じる事となった。
そして、四度目だった。帰ってきたのは彼のカメラと財布だけだった。財布の中には確かに、彼の免許証やキャッシュカード、そしてしばらく離れている間、お互い寂しくないようにと送りあっていた手紙が挟んであった。
そして、それと共に彼の死が僕に報せられた。正確には行方不明なのだと言う、遺体が見つからず荷物だけ見つかってもう一週間だからということらしい。それから半年、逃避行のようにこの街に来て5年も料理を振る舞って宛のない手紙を書き続けている。
ひとしきり話し終えたら陽子ちゃんは俯いていた。
「それって、店長は男の人が好きだったってことですか」
怒るような悲しいような、絞り出したように陽子ちゃんは問いかけてきた。
「そういうことになるね」
僕はただ肯定するしかなかった。
「それっておかしくないですか!男の人が男の人を好きとか、変です!」
仕方の無い反応だった。同性愛はこの国では異端で、異質で、気持ち悪いものなのだ。
「そうだね、変かも知れない」
なら、と陽子ちゃんのその言葉に続きは無かった。
陽子ちゃんもどういう言葉をぶつければわからないのだと思う。いっそ握り拳をぶつけてくれればそれならわかりやすいと思ったが、陽子ちゃんはただ「やっぱり、おかしいです」そう呟くばかりだった。
僕は持ってきた封筒の中に入っていた物を見せた。
なんてことはない、ただの写真だった。
僕と、彼の写真だった。
肩を組んで右手に酒の入ったグラスを持って思い切り笑っている彼と、困ったように笑っていた僕だった。
「こんな写真がなんですか…」
陽子ちゃんは泣いていた。言葉が、行動がわからないから涙を流すしか無いのだと思う。
「わたしは、店長が、好きです」
「僕は彼が好きなんだ、その気持ちには応えられない」
そう言うと陽子ちゃんはただ涙を流すばかりだった。しばらく黙ってから一言「わたし、諦めませんから、店長が普通になるまで」そう言って駆け出して去ってしまった。
普通ってなんだ、そう叫びそうなのを堪えて僕は空を睨みつけてやった。
また、夜が明ける。

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