ゼロからはじめる島津大河誘致

郭隗の馬の骨

第59話 薩摩の教え フウイを立たす

ある時祭り之介がネットで薩摩について調べているとこんな記事が載っていました。
「薩摩の教え、男の順序」
ネットでは島津義弘の言葉として紹介されている、(実際は諸説ありさだかではありません)内容です

1.何かに挑戦し、成功した者
2.何かに挑戦し、失敗した者
3.自ら挑戦しなかったが、挑戦した人の手助けをした者
4.何もしなかった者
5.何もせず批判だけしている者
更に、その次もあるので、ご参考に。
6.何もせずに批判するだけでなく、足を引っ張る者

この言葉が義弘公のものか、あるいは薩摩の言葉かどうかの出典はさておき現代ではそのように伝わっているのは事実です。
余談ですが、似たような話でハンス ゼークトと呼ばれるドイツの軍人の言葉で兵士が4種類に分けられそれぞれ評価されている話がありますが、この言葉もゼークトではなくハンマーシュタイン(舌かみそうですね)の言葉だそうで結構間違った情報がネットには転がっています。(笑)
さて、祭り之介はこの資料を添付し、フウイを励まそうとしました。
フウイはもちろん親友の文章を読みました。
その中で2.何かに挑戦し、失敗した者という言葉に目が行きました。
そして祭り之介の心情をおもんばかったとき、フウイの目は涙であふれていました。
かれはフウイの失敗を批判するどころか、島津義弘伝の言葉として励ましてくれたのです。
フウイは少し時間をくれるよう祭り之介に頼みました。
まともにパソコンが見れなかったのです。
そのあいだ祭り之介はもう一つフウイに紹介したい「薩摩の教え」がありました。
それは西郷隆盛のエピソードで、かれは薩摩の国父(つまり薩摩の絶対的実力者)島津久光から目をつけられたり、あるいは幕府から危険人物呼ばわりされて島流しにされたり殺されそうになったことを資料を添付して準備しました。
フウイが情報の島流し状態になっていることを憂い、それでも頑張れば道は開けることに気づいて欲しかったからでした。
少しおちついたフウイはここで再び涙腺の門が解放された状態になりました。
いい年をした男がまさに男泣きをしてしまったのです。
薩摩島津を熱心に宣伝していた自分がまさかこのような形で励まされるとは思いもよりませんでした。
ただただ祭り之介に感謝、しかし感謝の言葉が見つからない。
ただありがとう、ありがとうと言葉に表すしか出来なかったのです。
祭り之介もその心が通じたのか、涙を浮かべフウイの心証をおもんばかり胸を熱くしていました。
フウイは精神的にはかなり楽になり復活を遂げました。
しかし、ネットの状況をはじめかれらかのじょらの置かれた状況は依然よくありません。
これから長い下り道が始まるのでしょうか。
それは次回の章で。


          

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