ゼロからはじめる島津大河誘致

郭隗の馬の骨

第42話 祭り之介の面接相談(3)

祭り之介にとってうれしかったのはもちろんあの歴史上名高い島津一族の方と話が出来たのもそうですが、ほかにも理由がありました。
そのなかで大きかったのは「宮崎県都城市」について研究をされていて関心を持たれていたことです。
「薩摩」という名称は基本的には鹿児島県を示します。
それに対して都城は「日向」をさす場合が多いのです。
つまり大雑把に例えるなら薩摩は東京で都城は横浜のような関係でした。
もし都城で島津義弘公を大河誘致する時によそ者が口を出すななどと言われたら元も子もなくなってしまう、そんな心配もしていたのです。
なので、都城の歴史を敬意をもって紹介するその文章を読んで、祭り之介は安どと感動の涙を浮かべていたのでした。
さて、話を戻しましょう。
祭り之介は口下手なので彼の感情を表現する半分も言葉にはできなかったのですが、それでも杉田には十分伝わったようです。
その後もう一人の武将、加藤清正とえにしをもつ方の話題に移りました。
その方は親の養護とお子さんを抱えており難儀していることが彼にも伝わりました。
祭り之介が福祉に関心を持ったのはこの人物と話をしたからでした。
きっかけはツイッターで島津義弘の祖父島津日新斎の言葉の中で独り身の年寄りや目下の人々も慈しみをもって接するようにという言葉と共に都城での福祉について取り上げたことでした。
決して長い文章ではなかったのですがそのことがとてもうれしかったようでメールや電話までして喜びの声を伝えてきました。
杉田に無理はさせられないが、何とか自分も勉強して期待に少しでも応えたい、偽らざる祭り之介の本心でした。
ちなみにこの方は佐竹曙山という逆境の中でも慈しみ深く時代を生き抜いた人物を大河ドラマで見てみたいと強く願っていました。
祭り之介はあまり歴史を知りませんがこの人物の熱と情熱には尊敬の念を抱いていました。
この方からはあるありがたい申し出がありました。
それは芸術のような美しい絵を祭り之介のアイコンに使ってもいたいいという破格の提案でした。たい
もちろんありがたい話でしたが、祭り之介のパソコンの調子と彼自身のスキルのなさ(メカ音痴ともいう)のため実現はなりませんでした。
もちろんこの二人だけではなく、沢山のひとから応援のいいねをもらったり、リツイートしてもらったり、困ったときなどは親切に教えてくれる人々が現れました。
一通り話していたら1時間20分かかりました。
杉田の退社時間ギリギリまで話をしていしまいましたが、お互いに満足して次の面接をすることを約束しました。
※この回も一部設定を変更して人物を紹介しています。実際の登場人物の発言と同じものもあればあえて表現を変えた場合もあることをご了承ください。



          

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