ゼロからはじめる島津大河誘致

郭隗の馬の骨

第32話 2019年島津発祥祭り(3)

さて、幕末の都城の歴史です。25代島津久静(ひさなが)は薩摩藩の実力者島津久光の娘婿で、300の兵を率いて京都御所護衛のために上洛します。
しかし都城島津家が中央で輝こうとしていた矢先に久静ははしかにかかり急死してしまいます。
家臣たちは主の死を隠し、役目をまっとうし、お家の危機を乗り越えました。久静の陣羽織は当時としてはめ珍らしいビロードや二重のフリルなどが施され、大名クラスの儀礼装束でした。
イメージとしては幕末の薩摩藩の偉い人などが着ていた赤い陣羽織が近いかもしれません。
そして幕末の薩摩軍の黒い兵士と鉄砲を持った隊員が続きます。
幕末といえば「新選組」パレードには新選組の装束を着た若者たちが行進します。
都城では都城六烈士の悲劇が新選組と関わってきます。
伏見で幕府軍の動きを偵察する斥候や警備に当たっていた都城一番隊の隊士6人は新選組数十人の武装行軍を見つけましたが斥候の任務は戦わずにに報告するのが本命と直ちに本部に報告しました。
その後、他の隊から応戦せず逃げたと中傷を受けた彼らは自分の責務を果たしたことを自負しながらも京都、東寺で自害しました。
彼らは17~23歳の若者でした。
当時薩摩藩から切腹は軍機違反とされて遺骸は都城に戻されず6人の墓碑は京都市の孤塚墓地にあります。
後年、任務を果たして義心に殉じたと名誉回復され、都城島津家の歴代当主が墓参、そして平成30年には都城島津家墓地に慰霊碑を建立しました。
昨年は、6烈士没後150年を迎えました。
そしてパレードには錦の御旗が掲げられます。
有名な鳥羽・伏見の戦いで薩摩軍の本営に掲げられました。
この旗の効果により官軍は大いに士気が上がり、逆に賊軍とされた幕府側の士気は下がることになります。
そして、列の終盤には戊辰戦争のため藩の命令を受けて123人から編成された「私領一番隊」(都城隊)を出兵させました。
このように都城の人たちも日本の歴史を大きく変えた戊辰戦争に参加していたのです。
そして最後は未来を担う子供武者と島津姫の行列で締めくくられます。
都城1000年の歴史いかがだったでしょうか?これでもパレードの説明を半分近く省いています。
特別有名な建物はないかもしれませんが都城の歴史遺産について興味や関心を持っていただけたなら喜びです。
3回にわたってお送りしましたがほとんどは係の人が沿道の人に配っていた明道館パレード歴史解説というパンフレットの引用または意訳です。
今年は11月23日に開かれましたが恐らく来年も同じ時期に開催されると予想されます。
もしよかったら都城にお越しの際には見ていただければ旅の土産話になると思います。
次回は祭りで気づいたことについて報告する内容をお送りしたいと思います。
ありがとうございました。


          

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