ゼロからはじめる島津大河誘致

郭隗の馬の骨

第30話 2019年島津発祥祭り

2019年今年も島津発祥祭りが始まりました。
始まりは午前11時から、まずは祭りの会場である神柱(かんばしら)公園を見てみました。
宮崎の人々らしく11時になり挨拶が始まっても人数はまばらでした。
それには理由があります。
祭りの最大のイベントである明道館パレードはここから離れた都城島津邸が出発点のため、そちらの方に多くの人が集まっていました。
筆者も挨拶が終わってからそれに気づき、電動自転車に乗って都城島津邸に向かいました。
補足ですが都城島津邸とは歴史資料館であり、都城の歴史を基軸としつつ、他の歴史館と連携して島津やほかの大名や歴史上の偉人たちの展示会などを行っています。
建物はコンパクトで気楽に見学できますので良かったら寄ってみてください。
話は逸れましたがパレードに行く途中沢山の警察の方が道沿いに並んでいました。
悪いことするわけではないですが緊張します(笑)
さて、やっと目的地に着くと沿道にはあふれんばかりの人だかりと先頭を進む都城島津家29代ご当主島津久友様とご嫡男久豊様の姿がありました。
お二方はこしに乗りその前を小姓が、周りには警護の侍たちが、後ろにはカラフルな姿の着物女性がいました。
見とれていると係の人が沿道の見学者たちにパレードの順列之図とその姿の歴史的解説の載せられたパンフレットをわたしていました。
何度か触れましたが島津の歴史は約1000年前にさかのぼります。
大宰府の役人であった平季基(たいらのすえもと)が日向の国諸県郡島津院を中心として荘園を開墾し時の関白に寄進しました。
これがのちに中世最大の荘園「島津荘」の始まりです。いわば季基は島津荘の祖であります。
また同時に島津荘の総鎮守として神柱大明神を勧請(かんじょう、勧め請願する意味)しました。今の神柱宮です。
さてそこから約200年後島津宗家初代当主島津忠久が登場します。
武名名高い島津氏の始まりです。
順番がずれましたが、この前に熊本から「熊本城おもてなし武将から」島津義弘、黒田官兵衛、大村喜前が登場しました。
パンフレットには熊本城の復興支援の募金活動の勧めも記されていました。
ずいぶんたったように見えますがまだまだ傷が癒えていない様でした。
ここで島津について豆知識を紹介します。
源頼朝の側室であった多田久の母・丹後局は身ごもったことで北条政子から追放されてしまいます。その後、摂津の国(住吉大社)で丹後局は雨の降る夜更けに狐の火を借りて男の子を出産しました。
その子が忠久です。
この伝説から島津家では出立や神事などに降る雨は縁起の良いものとして「島津雨」といわれるようになりました。
南国島津のイメージからするとしんみりした話ですね。
パレードはまだ始まつたばかりですがこの続きは次回に紹介しましょう。

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