ゼロからはじめる島津大河誘致

郭隗の馬の骨

第28話  祭り之介の陳情活動

宮之城市、人口4万人の過疎と戦う町、小学校の数はこの10年で半減し祭りにも子供の姿が目に見えて少なくなったと実感させるような厳しい状況でした。
家々を見渡しても空き家が目立ちます。
町は老人の姿が目立ち。壮年が若者扱いされる空気、最近は多少景気が持ち直したため一息ついているがこのわずかな余裕があるうちに起死回生の打開策を見つけないとこの町に未来はない。
祭り之介はそう考えていた。
周りの大人はすでにえん戦気分でごく一部を除けば新しいことにチャレンジする気力すらなかったのです。
でもそのことを責められない、祭り之介は彼らが彼らなりに再三努力していたのを見ていたからでした。
例えば新しい祭りを開いたり、テレビの芸能人を招いたり、他の地方で成功したイベントをまねして企画をしたり、それこそ何度も会議もしました。
ですが、そうしたイベントはことごとく集客で失敗し、ただでさえ少ない資金を結果的に無駄にしてしまう結果になりました。
「やらないほうがまし」彼らは長年の経験からそうした結論に達していたのです。
ある時宮之城で市長選がひらかれました。
この時期は県議員や市の議員が選挙民の声を聴いてくれる機会が増えます。
祭り之介は選挙対策事務所に行き熱心にこの町の将来の危機と新しい企画の必要性について政治家の先生たちに話しました。
その中で他の地方自治体の話題として大河ドラマの誘致みたいなことも話した記憶もおぼろげながらありました。
10日連続、会える限り何人もの政治家と話をし議論をしたのです。
この時期なので政治家たちは話を合わせてはくれます。
ですが、それで終わりでした。
結局時間だけが過ぎ何も変わりませんでした。
その間、宮之城市は惰性で祭りが行われ、時間が経つにつれ少しづつ過疎化が目に見えて祭りに影響するのを見ることになりました。
「何とかしなければ」日本標準語ではこう表現します。
彼は有名な前の宮崎県知事の方言でその言葉を発しました。
そして、フウイやコモロウと話をするうちにネットで島津が話題になっていることを知り、度々聞いているうちに1話で述べた「島津義弘を大河ドラマに誘致する」という結論に至ったのです。
都城は宮之城のとなり、影響は大きい、なにより宮之城の連中が、そうどの企画も成功せず落胆したあの人々がやる気を取り戻すような大きな企画をやりたいと猛烈に思いました。
彼らとネット民の心をつなげ協力して一つのことを成し遂げたい。
祭り之介はその道が開けるように今日も人々に自分の考えを伝えていきました。
祭り之介の理想は、島津大河ドラマ誘致次活動が祭りであり祭りを開くための参加者に宮之城の人々とネットの先の人々を巻き込むことでした。
もしこの祭りが成功したらさぞにぎやかになるだろうなあ、彼は遥かな理想の世界線に向かって進んでいきます。

          

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