ゼロからはじめる島津大河誘致

郭隗の馬の骨

第10話 島津義弘の考察(2)

祭り之介もまたニコニコ動画から島津義弘を調べていた。
再生数が多かったのは関ケ原の戦いで島津が退却するいわゆる「島津の退き口」であった。約300人の兵士が突進し100人足らずが生きて薩摩にたどり着くという決死の作戦であった。
このとき彼は都城島津邸でのとあるパネルを思い出した。それは都城の兵もその中に多数おり生き残った者もいるという歴史的事実であった。
その参加した兵士の中には北郷(ほんごう)の名を持つ都城を拠点とした有力氏族の名も記されていたのだ。
「これはすごい」祭り之介は興奮した。もしドラマ化したら一番のクライマックスの場面に都城出身のご先祖さまや大先輩が出演するのだ。
時間だけを見た場合同じころに都城で起きた島津家臣の伊集院家の反乱である庄内の乱の方が長いだろうが、視聴者が湧きたつ場面はといえば断然関ケ原の方が反響が大きいに違いない。ネットのニコニコ動画と日本の端っこの都城の展示から大河ドラマの未来の名シーンを見出したようでその興奮はしばらく続いた。
次に彼はフウイから勧められた島津日新公の教えという義弘の祖父が教育のためいろは歌になぞらえた47首の言葉を勉強した。
流し読みしていたので頭には入っていかなかったが、不思議と印象深い文があった。
それは「独り身を 哀れと思え 物事に 民には許す 心あるべし」という、年老いて独りぼっちでいる人は優しくしましょう。また目下の人々には、事あるごとに慈しみ恵む心を忘れないように心がけましょうというものでした。
勇猛果敢なイメージの薩摩隼人の国から福祉国家を思わせるような優しいアドバイスである。ただ、言われてみるとただ厳しいだけでは人はついてこないし、義弘も情に厚く涙もろいという伝聞があったことを考えると納得できることではある。
福祉というワードにひらめきを感じた祭り之介は宮之城市の友人の杉田をとおして都城の福祉について調べてみた。
すると、驚くべき点がいくつかあった。まず、都城福祉協議会という経済的、精神的にこまった人や障碍者を助ける組織、その組織の長である会長に都城島津家の当主が就任していたのである。
さらに、関わっている障碍者たちにそれとなく評判を聞いてみると、おおむね親身に接してくれていて一部のネットで言われるような申し訳程度の手助けではなく細かく親身に接していることが分かった。
もちろん、地方の苦しい財政状況から金銭的には厳しい面もあるが、それでもいやいやではなくできる範囲で援助を行っているように祭り之介には強く感じていた。
少なくともこの分野ではいろは歌の教えが知ってか知らずかはわからないが反映されていることを強く感じた。
この点に関して言えば島津誘致に影響のない話だが祭り之介の心は満足とさわやかさに満たされていた。

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