「拝啓、親愛なるヒカルに告ゲル」

コバヤシライタ

第五部「雨降りと嘘つき」⑧

そうめんを食べ終えた後、僕は身動きをとれないでいた。ただ単におなかが一杯になったからだけではない。自分の出ている試合を、しかも何年も前に「お蔵入り」した試合を見て目を離せないで居たのだ。もうほとんど負けの決まった試合を横目で見ながら投球練習をしている。しかもかなりの本気だ。きっと青木に触発されて試合を捨てなかったのだろう。しかし目を離せない理由にはもう一つあった。
ベンチ一人一人、本当に誰一人とも目を離さずに試合を見ているのだ。ただでさえ元気なベンチだったが、少しも衰えることはない。確かに興居島中は二人のヒカルが支えてきたチームだった。しかし、このチームは僕のものだけではないのだ。たとえ絶対的なエースが点を取られたとしても、変化球を打てないようなレベルの選手が次々と代打に送り込まれても、最後までゼッタイに試合を諦めない。そのベンチのメンバー達に心を奪われてしまった。この大会が終われば大半がただの中学生に戻ってしまう。それでも、みんなは今この試合が勝つことだけを信じている。
野球は一人では出来ない。そんなことは言われなくても分かっている。しかし一人の実力が大きくチームの事情を変えるのも事実だ。このチームは明らかに僕を中心にチームを作ってきた。僕の投手力を軸にみんなで1点を守り抜くスタイルを貫いてきた。それを積み重ねてきた結果が今この舞台を用意してくれたのだ。たとえその試合があと少しで終わろうとしていたとしても。だれひとりとして諦めるはずがないのだ。きっと今テレビでものすごいスピードのストレートで投球練習をしているヒカルも、そのすごさを噛みしめているのだろう。
良い試合だ。間違いなくそう思えた。どうして今まで見ないでおいたのだろう。そう思えるくらいだ。しかし、きっと今見たことはそれなりの理由と意味があるのだろう。そう確信できる。僕は今野球を辞めようとしていた。僕の野球の理由はお父さんを見返すこと、お父さんに認められること、お父さんに頼ることのためにあると思いこんでいたからだ。しかし、あの試合をみて気付くことが出来たのだ。

僕が野球をする上で
必要な人はお父さんだけじゃない
もちろんお父さんも大切だけど、
きっとそれも含めてそれ以上に
僕の投げるボールはそれ以上に
たくさんの誰かに支えられている
それはお父さんであり
青木であり
もうそれいじょうの誰かであるはずだ

それが分かってしまったら簡単には辞めれないような気持ちになってきた。急いでさっき送ったメールの全く反対の内容のメールをチームの一番偉いと思われる人と、いつも追いかけてくる新聞記者に送った。するとすぐに、おそらく全く同じようなことを聞くつもりで二件のメールが受信され始めたが、まぁすぐに返さなくても大変な事にはならないだろう。

見る度に明らかに小さくなっていく背中が何とも切ないお母さんが、また無駄にたくさんの食べ物を持たせてくれた。下宿を始めた時から、たまに戻るとお母さんはいつもとてつもない量のものを食べさせ、お土産に持たせる。そして他に話す人はいないのかと言うくらいたくさんのことを喋る。きっとそのくらい嬉しいのだろうと思って疑わなかったが、このお母さんの暖かいクセも、たくさんの食べ物も全部無くならないうちに、してあげれることをしてあげれるだけしてあげないと。僕の右腕でどれだけの事が出来るか分からないが、腕がちぎれるまで、あっ、腕がちぎれるとお母さんが悲しむから、きっと死ぬまで大好きな野球を辞めずに続けよう。そうすれば僕が心からほしいと思っている誰かの笑顔は必ず得られるはずだ。

-これはお父さんが死ぬ間際まで握っていたボールよ-

あの大会の準決勝のボールをお父さんはこっそり持っていたのだ。全く。死ぬまで隠すなんて死ぬまで頑固なお父さんだ。でもいい。

-お父さん。今までありがとう。絶対に大好きだから-

霧が晴れるまでフェリーは出ないらしいが、ボールを握って見つめていれば、一日中時間をつぶせそうだった。

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