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青空顎門

二 血戦②

 視線で道場を示して歩き出す姫子に、佳撫と並んでついていく。
 中に入ると、定期的に入れ替えているのか真新しい畳の、藺草の匂いに包まれた。
 自宅にも一応和室はあるが、久しくこの匂いは嗅いでいない。
 八年前の新築の時以来だ。

「さて、適当に準備運動したら始めるわよ?」

 そう言いながら、ストレッチを始める姫子。
 見せつけるように、体操選手のような体の柔らかさを目の前で晒す彼女に、思わず気まずくなって目を逸らしてしまう。
 と、逸らした先にいた佳撫からどういう訳かじとっとした目を向けられる。
 妹のそんな視線に、徹は別に何か悪いことをした訳ではないはずだったが、誤魔化すように自分の柔軟に逃げることにした。
 何にせよ、運動の前に体を解すのは必須だ。
 しかし、どうにも一般人レベルの柔軟性しかなくて見かねた様子の佳撫に手伝って貰うことになったのだが……。
 全体的に力が妙に強く、彼女の不機嫌さが痛みとなって伝わってきた。
 裂けたりしたらレオンに治して貰えばいいんです、という佳撫の不満げな言葉に、どれだけ激しいストレッチだったかが集約されているだろう。

「えっと、それで何をするんだ? 筋肉トレーニングか?」

 微妙な空気の中で一通り柔軟を終え、姫子に尋ねる。

「そんな面倒なことしないわよ。血戦まで後三日なんだから。実戦あるのみ」
「いや、その、悪いんだけど、俺、素人だぞ? それに実戦って誰と――」
「私と、よ」

 道場の端に飾られていた刀を手に取り、軽く言う姫子に徹は言葉を失った。

「大丈夫。刃は潰してあるから」

 徹の様子に呆れたように刀を抜いて刃を見せる姫子。
 だが、それでもある程度の勢いと共に打ち込まれれば骨が折れる、どころか砕けるだろうし、当たりどころが悪ければ当然死んでしまう可能性もあるはずだが。
 そんな徹の不安を看破したようにレオンが腕輪から言葉を発した。

『彼女は相当の腕前だし、お前は俺が操るから問題はない。お前はその目で相手の動きをしっかり目に焼きつけ、同時に己の動きの感覚を掴むことにだけ意識を集中しろ。俺は全力でお前の体を動かすことで、強制的に筋肉も鍛錬する』

 レオンの簡潔な説明を理解はする。納得は中々難しいが、彼の特性とやらを利用した上手いトレーニング方法だ。
 短期間で最低限戦える体になるかもしれない。
 恐らく、木刀などではなく態々刃の潰れた刀を使うのも、実際に真剣を向けられた際の恐怖心を僅かでも抑えるためなのだろう。

『ちなみに実戦中心とは言っても、当然彼女には疲労が蓄積するからな。彼女が相手をできない間は基本的な型を反復することにする』
「……俺の疲労は?」
『俺の治癒力があれば感じない』
「あ、そう」

 何と言うか、酷い裏技で強くなろうとしている気がするが、それをして尚、勝てるかどうかあやふやなのが対峙する相手のレベルなのだから仕方がない。
 徹としてもこんなところで死にたくはないので、形振りは構っていられなかった。

「それがレオンの特性、なんだよな?」
『その通りだ。俺は最後の瞬間まで、たとえ一人になっても戦い続けるための剣。故に折れることはなく、使い手には死を許さぬ回復力を備える。とは言っても、一撃致死の攻撃を受けて命を救うことまではできないがな』

 その言葉が軽く自嘲しているように聞こえるのは、やはり本来の所有者であるこちらの世界の徹を死なせてしまったからだろう。
 正に一撃必殺の攻撃を受けてしまい、治癒不可能な状態だったに違いない。

「はいはい。無駄話はそこまでよ」

 その言葉が聞こえた瞬間には、徹の体は勝手に回避行動を取っていた。
 既に姫子は刃の潰れた刀を構えていて、一瞬で間合いを詰めて頭部を狙って振り下ろしてきたのだ。
 しかし、それは空を切った。
 遅れてレオンがまた体を操ったのだと認識する。
 明らかにそれは徹の肉体の限界を軽く超えた挙動だったし、それ以前に徹には全く反応できなかった。

「これは私の鍛錬の一環でもあるんだからね!」

 続いて回避先を予測していたかのように見事な足捌きで攻撃の間合いを保ちながら、姫子は流れるような、しかも的確なタイミングの連撃を放ってきた。
 全てが本気の攻撃だった。
 模擬戦ではなく、実戦と彼女が言った理由を思い切り体感できる。
 が、それすらもレオンが操った徹の体は回避し切っていた。
 先のアニマとの戦いの時とは違い、徹は自分の体の動きをはっきりと知覚することができていた。
 恐らく、あの時も同じ状態だったのだろうが、完全に現実逃避していたせいで気づけなかった。

「そこっ!」
『甘いな』

 レオンに言われた通り、体の感覚を意識しつつも目は姫子の動きを見詰め続ける。
 攻撃に次ぐ攻撃を避け続ける己の体。
 無駄なく右に左に斬撃を繰り出す姫子の動き。決して交わらない両者はまるで定められた舞を踊っているかのようだ。
 攻める側の姫子としてはたまったものではないだろうが。
 ある程度の数、攻撃を重ねたところで彼女もさすがに一撃も与えられないことに苛立ちを覚えたようで、しかし、それを自戒するように距離を取った。

「……さすがはレオン、か」

 そして、間合いの外から厳しい瞳を向けてくる姫子。

「その力で徹を守ってくれていれば」

 呟くような声には僅かながら怒りが含まれ、姫子はそれを全て吐き出すように裂帛の気合いと共に愚直にも真っ向上段からの一撃を放ってきた。
 徹は何となく、これを回避してはいけないような気がして咄嗟にあの片手剣をイメージした。その意図を汲んだようにレオンが体を動かす。
 次の瞬間、金属と金属が激しく打ち合い、それが砕ける音が道場に響き渡った。
 その余りの大きさに、壁際で事態を見守っていた佳撫がビクッと体を震わせる。
 一瞬後に何かが畳に落ちる音が徹の耳に届いた。
 見ると、姫子が振り下ろした刀の刀身が圧し折れて転がっていた。

「……ちょっとインターバルを取らせて貰うわ」

 姫子はペース配分を一切考えずに、全力の全力で動いていたようだ。
 軽く息を荒げている。
 しかし、レオンがそれでも回避できる以上は、彼女は全力を出し続けなければ訓練にならない。
 とは言え、表情を見る限りでは、それ以上に高まった感情を抑えるための休憩なのかもしれないが。

「でも、これで、大丈夫なのか?」

 これもまた全く自分が言える義理ではないとは自覚していたが、徹は正直不安を感じてしまい、右手の剣を見詰めながらレオンに尋ねた。

『彼女はあれで符号呪法を使用しない純粋な剣術ではかなりのレベルにある。訓練の相手としては申し分ない。ただ単に、俺がお前の体を使用した場合の強さが半端ではないだけの話だ。実際に、あのアニマとの戦いの時よりも本気で動いているしな。それに、回避を優先させているということもある』
「でも、優司はさらに強いんじゃないか?」
『いや、徹は急襲されて抵抗する間もなく殺された訳だからな。俺が全力を出せれば五分五分以上の戦いはできたはずだし、徹なら更に可能性は高かっただろう』

 つまり森羅の徹はレオンよりも優れた剣士だった、という訳か。

「……そんなに強かったのか? この世界の俺は」

 昨日の話では何名もの復号師、それも当時トップレベルの者達が容易く殺されたと聞いた。だと言うのに、この世界の徹はそれをなした相手に、ただ単に状況的に負けただけで実質的には互角だっただろうとは。
 あくまでレオン達からの伝聞に過ぎないが、規格外過ぎてどうにも信じられない。

『確かに徹は別格に強かった。だが、優司に挑んだ復号師が負けた理由は、驕りもあっただろうが、それ以上に優司も実力者であり、何より固有呪法の相性が悪かったせいでもある。優司は徹と同じく武器生成の固有呪法を有していたが、奴が生み出す刀、意思なき妖刀、村正は相手の符号呪法を全て打ち消すからな』
「全て打ち消す……」

 それは確かに厄介な力だ。何故なら、この森羅での戦闘は、前提に符号呪法を使用することがあるはずだから。
 それを取り払われてしまえば、相手が通常の武器で対抗できる相手と都合よく考えても、後は技巧と身体能力の勝負になってしまう。
 しかし、相手は異常復号体と呼ばれる、あのアニマすらも超えた存在。身体能力は人間のそれを遥かに上回っているに違いない以上、まともな勝負にならない。

『奴が異常復号体になどならなければ、その性能のために重宝されていたことだろう。奴ならば、アニマをも一撃で葬ることができるからな。村正で軽く触れるだけで。……今更言っても詮ないことだが』

 どこか残念そうに呟くレオン。
 しかし、徹には過去に向けられた彼の感情の意味を知ることなどできる訳もなかった。それよりも優先すべき確認事項がある。

「な、なら、レオンも打ち消されるんじゃないのか?」
『いや、俺は性質的に例外となる。俺は戦い続けるために破壊され得ない剣だからな。故に性質を保ったまま戦うことができる。つまり、治癒力を保持したままだ』
「そう、なのか?」
『ただし、それ以外の、系統呪法で生み出した武器などは村正で一撃されれば消え去るだろうがな。もっとも、無意味なものを学ぶのに時間を割くつもりはないが』
「とにかく、このレオンの剣と治癒力はまともに使えるんだな?」
『そうだ』

 と言うことは、相性のために意外と直接戦っても生き残れる可能性は高いのかもしれない。負ける可能性が高い勝負が負けにくい勝負程度にはなった気がする。

「なら、俺は勝てるのか?」
『お前が勝つ訳ではなく、俺が勝つんだが……それは鍛錬次第だな。三日後までに筋肉も骨格も俺の全力に完全に対応できるだけの強度を持って貰わなければならない。もし今のまま全力で戦い続ければ、戦闘中に強制操作が不可能なレベルの損傷を起こし、身動きができなくなる可能性もある。そして、当然だが、精神、感覚的な部分も鍛えなければならない。視界の動きに脳が処理不可能になって機能停止、などということも避けなければならないからな』
「……成程」

 この鍛錬の本当の意味を聞かされた気がして、僅かながらやる気に火が灯る。
 下手に逃げる方法を探し続けるよりも、きっちり戦えるようにしておいた方が生き残れる可能性は高いのかもしれない。
 しかも実質は体を貸すだけのようだし。

『あの場では厳しいことを言ったが、さすがに勝算もない戦いにお前のような弱者を巻き込む訳にもいかない。徹と同じ顔のお前がこうも情けないとかなり腹立たしく思うのは確かだが、所詮は別の世界の人間だからな。その弱さでお前の人生がどうなろうと知ったことではない』
「それはまた、辛辣な言葉で」
『本音だからな。しかし、お前はどこか、自分から逃げて小さくまとまろうとしている気がするな』

 安定を求めることの何が悪いのか、と反論したかったが、何故だかレオンの言葉は核心をついているような気がして何も言えなかった。
 心底、己の本質から安定を求めているのなら、全く問題はないはずなのだが。

『ともかく、戦いについては体を貸すだけでいい。余り心配するな。佳撫は慕っていた兄を殺されているから、相手を過大評価し異様に恐れているようだが、な』

 しかし、それも全ては佳撫が自分を想ってくれているからこそのことだろう。
 徹はそう思い、鍛錬を邪魔しないよう壁際で佇んでいる佳撫に視線を送った。
 すると、彼女は少しの間不思議そうに首を傾げてから小さくはにかんだので、思わず苦笑する。

「さてと、インターバル終了。そっちもいい?」

 その様子を見て判断したのか、姫子は腕を回したり屈伸したりと体を軽く解しながら尋ねてきた。
 そして、壁から新たな刀を手に取って、徹の真正面に立つ。
 その表情には冷静さが戻っていた。

『こちらも筋肉の修復は大部分が完了した』

 今のインターバルに型を行わなかったのは、筋肉の再生と強化を行っていたためだったようだ。
 それが昨日よりも遥かに短い時間で済んでいるのは、昨日の時点で最低限の筋肉は強化されていたからか。

「じゃあ、もう一度。行くわよ?」

 と、言葉を発した時には姫子は既に徹のすぐ目の前まで肉薄していた。
 そして、そのまま二度目の実戦訓練が始まった。

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