阿頼耶識エクスチェンジ

青空顎門

四 菴摩羅①

「ご主人様、ご主人様!」
「連示君、起きて! 大変だよ!」

 夜。熟睡していた連示は、阿頼耶と末那の騒ぐ声と体を激しく揺さぶられる感覚によって無理矢理目を覚まさせられた。

「ど……どうしたんだ? そんなに、慌てて」

 余りに中途半端な眠りに思考に靄がかかったようになったまま起き上がり、軽く欠伸をしながら時計を見ると午前二時だった。丑三つ時だ。

「そ、それが、どうやら先手を打たれたみたいなんです」
「先、手?」

 阿頼耶の口調から感じる焦りに不穏な空気を感じ、頭の中の靄がすっと晴れていく。
 ようやく思考が明瞭になってきた。

「アミクスに対して次々とショックイメージが送り込まれています。不幸中の幸いで、自動的にこの区域がネットワークから隔離されたようなので、被害は日本全土まで広がっていないと思いますが……もしも共有作業中にあるアミクスがそれを受け取ったら、所有者は精神的なダメージを負い、下手をすれば発狂してしまうかもしれません」

 送信されたイメージの内容を知っているのか、阿頼耶は、よくもあんなものを、と苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。

「ちょ、ちょっと、待て、阿頼耶。今の時間ならほとんどの人が眠っていて、アミクスと記憶の共有作業を行っているはずだろ? なら――」
「……はい。隔離されたこの地域だけでも相当の被害者が出るかと。これは、もはや完全に悪意ある攻撃です」

 これまでになく深刻そうな表情を見せる阿頼耶に、その言葉の重みが増す。
 しかし、何者かによる攻撃にしても、余りにもタイミングが悪過ぎる。計ったかのようだ。丁度、菴摩羅の居場所を特定する方法に目処が立ったところだったというのに。
 思い返せば、特別処理班の面々と会話していた時に現れたアミクスには全く意思というものが感じられなかったし、末那の時の不自然なネットワーク異常もある。
 連示はそんな疑問から、何者かに、かなり高い確率で菴摩羅によって行動を読まれていたのではないか、という考えに至った。

「あ!」

 何かに気づいたように突然大きな声を出した末那に阿頼耶共々視線を向ける。

「す、鈴音ちゃんと友井君は?」

 連示は末那の言葉にはっとして血の気が引いた。
 すぐさま机の上に置いてある携帯電話を手に取り、まず鈴音に電話をかけようとする。
 焦燥感で、電話帳に登録された数少ない番号から選択することさえ難しく感じられる。
 ようやく電話口からコール音が聞こえ、それから数秒の間、連示は祈るように待った。
 最悪の状況を想像してしまい、冷や汗が背に伝うような嫌な感覚がすると共に、心臓の鼓動がこれ以上ない程に速くなっていた。

『ふあい……鈴音れす』

 だから、完全に寝惚けた鈴音の声が耳に届いた時、連示はその場にへたり込みそうになる程安堵した。末那もまた同じようでホッとしたように胸元に手を当てていた。

「風守さん、よかった……けど、一体どうして――」
『ふえ? 何がぁ?』
「今調べたところによりますと、どうやら、彼女のアミクスはネットワークと繋がっていないようです。しかも接続していないのではなく、物理的に接続できないようです」

 だから、彼女は被害を免れた訳か。しかし――。

「風守さん、どうしてアミクスをネットに繋げてないんだ?」
『それはあ……世良君に恥ずかしくないように……』

 微妙に呂律の怪しい感じで答える鈴音。まだ思考がはっきりとはしていないようで、それはつまり今の発言は彼女の本音ということになるだろう。

「お、俺に?」
『……アミクスがくれた記憶に世良君がいたから……それで世良君と一緒に学校に通いたくて……でもアミクスがネットの情報なんて持ってたら一緒の条件じゃないから……だから、わた、し……え?』

 鈴音はそこで何かに気づいたように言葉を止めた。

『世良、君?』

 それから彼女は呆然と連示の名を問うように口にする。
 どうやら、完全に目が覚めてしまったようだ。

『世良君だよね?』
「……はい。俺です」

 確認するように尋ねる鈴音に、何となく居た堪れなくなって無駄に丁寧語になる。

『え? え? 今、私……え? ちょっ』

 混乱している鈴音の気持ちも分かるし、とてもとても申し訳ないが、余り時間もないので話を進めさせて貰う。

「風守さん、念のためアミクスを停止しておいてくれ。それと、風守さんのご両親も早く起こして同じことを。いいね?」
『え? 一体、どういう――』
「詳しい事情は後で話すから。じゃあ」

 それだけ言って連示は電話を切った。色々と鈴音の本音を聞いてしまったが、それは今は忘れておくことにして、今度は紀一郎に電話をかけようとする。

「しまった。友井の番号は、分からない」

 鈴音の無事を確認し、少し落ち着いた心が再び大きく波打つ。焦燥に冷や汗が出る。

「友井紀一郎、ですか? ……恐らく、ですが、彼なら大丈夫でしょう」
「阿頼耶? どうして、そう言えるんだ?」
「それこそ後に。今はこの事態の収拾を」

 紀一郎なら大丈夫という根拠は気になったが、阿頼耶の言うことはもっともだ。
 ファントムという名も特別処理班のことも本来なら一般には知られているはずがないのに、逸早く情報を手に入れていた紀一郎だ。
 あの独特の掴みどころのなさを思えば、根拠はなくとも無事を信じられる気がする。
 そう自分自身に言い聞かせ、連示は阿頼耶へと向き直った。

「阿頼耶。特別処理班に連絡を取って、今すぐこの地域にいる全てのアミクスをシャットダウンして貰ってくれ。今更所有者への影響も何もない」

 阿頼耶は頷いて、静かに目を閉じた。
 特別処理班に連絡を取ってくれているのだろう。

「大丈夫、なのかな」

 不安に揺れる瞳を向けてくる末那に、連示は平静を装いつつ無言でその手を握った。
 それで僅かに表情を和らげた彼女は、連示が慰めてくれているのだと思ったのかもしれないが、その実、連示が彼女の手の温もりを頼りに心を落ち着けていただけだった。
 窓の外、住宅街の光景は真夜中らしい暗闇の中に隠されていた。
 この騒ぎの中にあってどの家からも明かりが漏れてきていないのは、誰もがアミクスを利用し、そのために皆が被害を受けてしまったことを示している。

「第六班との連絡が取れました。あちらも何やら混乱していたようですけど、シャットダウンは完了したようです。すぐにこちらへ向かうとのことです」

 一先ずこれ以上被害が増えることだけは避けることができたようだ。
 しかし、元凶を取り除かなければ繰り返されるだけだ。それも恐らく、より広域で。
 連示は突然のことに乱れ続ける心を引き締めるために、一つだけ大きく息を吐いた。

「マンションの入口に来るそうなので、私達も出ていましょう」
「分かった」

 先導するように歩き出す阿頼耶に、連示は末那と手を繋いだままで従った。
 マンションを出ると既に特別処理班の車両が、そのライトによって窓から見た闇を照らしている。その側面の扉は予め開けられており、連示達は阿頼耶、連示、末那の順番にそこからトラックに乗り込んだ。
 その内部は拓真達の緊張感で満たされていた。人懐こく、おどけた雰囲気だった美穂の表情にもそれは見て取れ、そのことで余計に空気が張り詰めている。
 それはショックイメージが送信されたことだけが原因ではないようだった。
 連示はそこに立ち入った瞬間から、場がそんな雰囲気に支配されている理由そのものに目を奪われていた。それは阿頼耶も同様だった。

「か、火輪ちゃん……ど、どうしたんですか?」

 戸惑いの声は末那のもの。その視線は連示達と同じく火輪に向けられている。内面的な差異はあるが、同じアミクスである彼女の現状がショックなのだろう。
 火輪は拘束されていた。それも一切の身動きを封じるように徹底的に。
 彼女の顔が表現する苦しみはそのせいではなさそうだが、胸をかき毟られるような光景だ。外見的には彼女は非常に幼く愛らしい少女なのだから。

「これは火輪が望んだことだ」
「火輪ちゃんが?」
「実は火輪が何者かによって行動に強制がかけられていると訴えたんだ。シャットダウンも受けつけない。何とか体を制御することはできていたようだが、俺達に危害が加わらないように、とな」

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