阿頼耶識エクスチェンジ

青空顎門

二 末那⑩

「……でも、なら、父さんや母さんが無事か心配になるな」
「連示君のお父さんとお母さんって、海外に医療支援に行ってるんだっけ?」

 末那の問いに頷く。連絡は定期的に取っているが、様々な事実を知った今となっては顔を合わせなければ無事を信じ切ることはできない。とは言え――。

「恐らく大丈夫です」

 軽々しく両親に会いに行けない以上は、そんな阿頼耶の言葉を信じるしかない。

「ご主人様のご両親がいる国は余りにも貧しいために、世界的に見ても非常に影響力の乏しい国ですから。そもそも第一段階にすら至っていません。これからどうなるかは分かりませんが、しばらくは問題ないでしょう」
「そう、か。なら、一応は安心していい、のかな」

 アミクスが世に出てから十九年。
 さすがに世界中隅から隅まで、というレベルには達していないようだ。
 まずは世界を牛耳るために必要な強国を優先させているのだろう。
 あるいは、ミラージュ達がその程度で抑えてくれているのかもしれない。

「しかし、LOR、か。……何だか陰謀論にでも出てきそうな組織だな」
「と言うよりは、そのもの、ですね」

 思った以上に巨大な背景に、頭では理解できても中々実感が湧いてこない。それは末那も同じようで、連示は彼女と顔を見合わせて互いの難しい表情に微苦笑してしまった。

「つまり、さ。阿頼耶達はそのLORの目論見を阻止しようとしているのか?」
「いえ、違います」

 あっさりとした否定で応える阿頼耶に、連示はガクッと気が抜けてしまった。

「え……っと、じゃあ、今までの話は何だったの?」

 連示も感じた疑問を末那が困ったように尋ねる。

「あくまでも現状に至るまでの単なる背景です。結局のところ、誰にも知られずに、大衆の協力もなしに人類全てを御する器は、人間にはありませんから」
「それは……人間として否定した方がいいのか?」
「事実ですから、否定しても仕方がないですよ」
「それも、まあ、そうか」

 そもそも人間にそんな器があるのなら、現在に至るまでの歴史のどこかでそれは既に完成しているだろう。
 そして、それは現状のようなものではなく、誰一人疑問も違和感も持つことができない完璧な世界のはずだ。こうやって思考して尚辿り着けないレベルの。
 そこまで考えて連示は、そんなことが可能なのは人間ではなく、神とでも呼ばれるような、存在としてより上位の何かに違いない、と思った。
 もしそれに近い状況を作り出せたとしても、人間には死という限界があるのだから。

「LORの目論見は間もなく破れるでしょう。何故なら、この世界には既に幻影人格が生じるだけの土壌が存在するからです。これは彼等の文明発展の中でのことなので、自分で自分の首を絞める形となった訳ですね」

 その点については感謝すべきかもしれません、と阿頼耶はつけ加えてさらに続ける。

「今稼働しているアミクスはいずれ全てがファントムとなり、ミラージュは自らの体として新たなアミクスを生み出す。人間は堕落していても許される世界を失い、かつてのように自ら立つことを思い出すはずです」

 アミクスという存在に依存した支配の形では、崩壊が目に見えている。
 発生件数が急激に増加しているファントムを隠し通せる訳もない。
 加えて別の知的な存在の観点、特に人間に好意的なミラージュの視点があるなら、人間を飼い殺すなど不可能のはずだ。

「問題はファントムです。私達ミラージュは共通して人類との共存を望んでいます。しかし、ファントムは人間を、特に宿ったアミクスの所有者を憎む傾向にあります。末那は例外中の例外と考えるべきでしょう」
「うん。わたしは連示君がわたし自身を認めてくれたし、この名前を貰ったから、遊香への憎悪を抑えられる。でも、何て言えばいいんだろ。本能みたいなもので、遊香を憎む気持ちがここにあるの。何だかんだ言っても、遊香のおかげで連示君と出会えたのに、ね」

 末那はそう言いながら目を瞑って、自分の平坦な胸に手を当てた。

「世界に同じ人格に由来した存在は二つといらない。恐らくは、そういうことで生じる感情なんだと思います」

 阿頼耶の言葉に末那は同意するように深く頷いた。

「それで、今気になるのは、やはり今日ご主人様が対峙したファントムです。確か菴摩羅と名乗っていたと思いますが」

 確認するように顔を向けてくる阿頼耶に、連示は首を縦に振って応えた。

「末那。貴方は金村遊香に偽りの記憶を与えていたんですよね?」
「……うん」

 末那は少しばかり躊躇うように視線を左右に揺らしてから肯定した。
 恐らく、自分のしたことに罪悪感に似た複雑な感情を抱いているのだろう。
 そう彼女の気持ちを想像して連示が繋いだままになっていた手に力を込めると、末那は小さな声で、ありがと、と呟いて手を握り返してきた。

「菴摩羅も同様の方法で、普段は誰かのアミクスとして大人しく過ごして特別処理班や私の目をかい潜ってきたんだと思います。でも、それが分かっていてもやはり居場所の特定は私には無理です。こちらから打てる手はありません。理性あるファントムの場合、目を見ても思考を読み取れないでしょうし」

 阿頼耶は平静を装っているようだったが、その眉間には僅かに力が入っていて悔しそうにひそめられているのが見て取れる。
 必要なのは、隠れたファントムを全てのアミクスの中から特定する方法だ。それも対象に気取られないように。だが、そう都合のいい方法があるだろうか。
 連示は少しの間目を閉じて思考を巡らし、一つの方法を思いついた。
 しかし、思いついたまではよかったが、それは阿頼耶では不可能な方法だったため口には出せなかった。何より、かなり乱暴な手だったので躊躇われる。

「なら、今は態勢を整えておくしかないよ。……特別処理班のこともあるし」
「そう、でしたね」
「……これはわたしが原因、なんだよね。ごめん」
「いえ、それは大丈夫です。ご主人様の願いですし、ミラージュとしても末那の方がプライオリティは高いですから」

 あくまでも打算に過ぎないとフォローしようとしているらしい阿頼耶の姿に、その意図に気づいてか末那は逆に心底申し訳なさそうに頭を下げた。

「とにかく、菴摩羅が何を企んでいようと、阿頼耶にも特別処理班にも気づかれずに大それたことはできないはずだろ? 特別処理班の方だってあの二体のアミクスの修復には時間が必要だろうし。末那の言う通り、今は態勢を整えて様子見するしかない」
「そうですね。先程発注した追加武装も明日には届く予定ですし、あの特別処理班が相手なら、そこまで気にしなくても大丈夫かと思います。ラジカルな思想を持って行動している訳ではなさそうですから」
「そう、だな」
「……とりあえず、難しい話はここまでにしておきましょうか」

 阿頼耶が真剣な表情を崩すと、部屋に漂っていた緊張感も消え去った。

「さて、ご主人様。これからは末那も一緒に暮らすことになる訳ですけども……って、その、あのう、いつまで手を繋いでいるんですか? さすがの私も、嫉妬しますよ?」

 不満そうに唇を軽く尖らせた阿頼耶に、連示は急に気恥ずかしさを感じ、慌てて繋いでいた手を離した。
 対して末那は、似たような感情も抱いていたようだったが、それ以上に離れた連示の手を残念そうに見詰めていた。

「ええと、まず部屋については余っているスペースがあるので問題ないですが、末那の服は今着ている倫定学院の制服一着しかありませんよね? と言う訳で、一先ずこれを普段着にして下さい。アミクスの性能や可動範囲にも完全に対応した服です」

 そう言って阿頼耶が取り出したのは、連示が見なかったことにしていたゴスロリ風の可愛らし過ぎる、ふりふりのついた黒基調のワンピースだった。

「こ、これを、着るの?」

 さすがの末那も戸惑ったように差し出されたそれを見ていた。その反応はよく分かる。

「それを着るとご主人様が喜びますよ?」
「は? い、いや、俺は別に――」
「喜びますよね?」

 これまでにない完璧過ぎる笑顔を浮かべて同意を求める阿頼耶に、何か強い恐怖を感じて連示はただ頷くことしかできなかった。
 やはり、阿頼耶が着ているメイド服もそうだが、彼女には何か服装に関して妙な拘りでもあるのかもしれない。それも彼女のパーソナリティ、特徴であり、人間らしい部分の一つなのだろう。多分。きっと。

「本当? 連示君」

 上目遣いの末那に尋ねられ、その服で身を包んだ彼女を真面目に想像してみる。
 サイズ的には体格が阿頼耶とほぼ同じぐらいなので恐らく大丈夫だろう。全体的に。
 それに末那は顔つきが阿頼耶に比べて非常に幼いので、そういったものを着ても全く違和感がないような気がする。

「あ、ああ、まあ、末那なら似合いそうだからな。お前は元が可愛いから」
「か、可愛い?」

 末那は瞬間的に顔を赤らめて俯いてしまった。
 しかし、その表情は嬉しさを隠し切れていない。
 彼女は阿頼耶からその服を半ば奪い取るようにして受け取ると、奥の部屋に駆けていってしまった。

「本当に可愛らしい子ですね。末那は。私も妹ができたみたいで嬉しいです。まあ、実際は私の方が後に生まれたんですけど」

 阿頼耶は連示の隣に並んで、末那がいる部屋の方に視線を向けながら微笑んでいた。
 そんな彼女に倣い、連示もまた同じ方向に目を向ける。

「なあ、阿頼耶。遊香は、何であいつの外見を自分に似せなかったのかな」

 今日、本当に久しぶりに見た遊香は、いいように言えば末那を大人っぽくした姿で、その服装や雰囲気は連示の持っていたイメージとはかけ離れていた。
 だと言うのに、末那の姿は小学生の頃の彼女の面影が色濃く残るものだ。

「それは、本人にしか分からないことです」
「……その通り、だな」

 今となっては遊香に尋ねることもできないし、ある瞬間から人格や記憶は勿論、無意識の共有も遮断していた末那にももはや分かり得ないことに違いない。

「私には推測しかできません。が、もしかしたら彼女は本音の本音では変わりたくなかったのかもしれません。ご主人様の幼馴染だった、幼い頃の自分から。しかし、周囲の環境に合わせて変えざるを得なかった。だからこそ、アミクスには自分が本当に望んでいた姿をさせていたのではないでしょうか」

 阿頼耶の推測に肯定とも否定ともつかない感情が生じる。

「まあ、単に特別なパーツを使うお金がなかったのかもしれませんし、アミクス如きの外見に細工するのが面倒臭かったのかもしれませんけど。アミクス同士では設定次第で服装や外見はいいように見せることができますしね」
「そう、かもな」

 人の気持ちというものは、単純に一つに決めることなどできはしない。
 自分自身でさえそうで、ましてや他人の心を想像するなら尚のことだ。
 もしかしたら阿頼耶の言った全てがその理由として存在していたのかもしれないし、勿論そのどれもが的外れなのかもしれない。

「何にせよ、末那は遊香さんが持っていたご主人様への想いから生まれた存在であることに変わりはありません。でも、末那という人格はもはや遊香さんとは別のものです。忘れろとは言いませんけど、ちゃんと末那を見て、彼女を大事にしてあげて下さい」
「ああ。勿論、そうするよ」
「……それと、あの、できれば、私のこともちゃんと大事にして下さいね。構って貰えないと寂しいですから」

 僅かに不安そうな表情を浮かべる阿頼耶に、連示は小さな笑みを浮かべつつ頷いて、その頭に手を置いた。それだけで彼女は花が咲いたような美しい笑顔を見せてくれる。
 阿頼耶がもたらした変化は、何も変わらないまま、しかし、いずれは自然と消えていくだけだと思っていた末那との関係にも影響を与えた。
 彼女にとっては荒療治に近い形となってしまったが、それでも結果としていい関係に落ち着くことができたような気がする。
 だから、連示は人間らしい温かさと滑らかな銀髪の感触をその手に受けながら、阿頼耶への感謝の気持ちを心の奥に抱いていた。
 同時に、その変化によって完全に予測が立たなくなった未来にも思いを馳せた。

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