結婚を意識してどうしても俺と別れたくない彼女がとった方法

tantan

第2話◎悪魔か?天使か?

「ねぇーねぇー、ほんとのところどっちなの?」
「えっ……、なっ……何……が……ん……」
「ウケル!なにがん、って何?『ん』って!もう一回言って!『ん』ってもう一回言ってよねぇ~」

下卑た笑みの真奈美は、そのまま大笑いをしながら俺に何か訪ねてきた。
恐らく右手が俺を掴んでいるという特異な状態でなければ、床に右手を何度も打ち付けていたのではないかという感じがする。
幸い、今の状態で彼女は自分の右手を何度も打ち付けたりはしていない。
もししていたら俺が大変な状態になっているのは明白な事実と言えるだろう。

だが、そうは言っても俺の方も楽な状況というわけではない。
強い衝撃はない代わりに、彼女が大笑いをすることで微妙な振動というものが生じていた。
その微妙な振動は彼女と俺が今ふれあっていることで、当然ながら俺の方にも伝わってくる。
俺は彼女の下卑た笑みをみながら、ひたすらに耐えていた。
その結果、彼女の質問に無理に答えようとして不自然な『ん』を生んでしまったというわけなのだ。

「もう……やめて……」

彼女の笑いが収まり、振動がなくなった瞬間を見計らって俺はコンパクトに用件だけを伝えた。
タイミング的なことを考えると、これ以上は考えられないほど神がかっているはずだ。
涙こそは流していないが、俺の嘆願はきっと目の前の天使にも届くはずなのだろう何て言う期待を大いに寄せ、俺は彼女に問いかける。

だが、俺がそう思っていたのもつかの間で……

本当に神がかっていたのは、目の前にいる真奈美の方だったのかもしれない。
彼女は、俺の渾身のお願いを聞くと直ぐ様、頭をフル回転させて、それを自分なりに解釈したのだろう。
いわゆる曲解というやつに他ならないというのは、俺の方も直ぐに感じた。
例の下卑た笑みが俺に身の危険というのを感じさせてくれたからだ。

「あっ……つっ……あっ……、ちょ……な……」
「そう、それ!信ちゃんさー、そう言う割りには何なの?コレ!」

彼女は、そう言いながら右手の力を強める。
彼女の右手には、そう!
うん!
俺がいるんだ!

「へ?ちょ……きひぃ~……けはっ……」
「はぁ~?何それ!ちょっと、言葉にって言うか……声にすらなってないんだけど。って言うかさぁー、信ちゃん。さっきから?いや、最初から思ってたんだけど……貴方、今…おはようちゃんだよね?」

【おはようちゃん】
俺はこの時、彼女から出されたこの言葉。
【おはようちゃん】という言葉に、どうしようもないやるせなさを感じていた。

この【おはようちゃん】という言葉は俺が彼女と付き合うようになって、ある程度の期間が経過した頃、彼女がふとした拍子に発していた言葉である。
確か最初に聞いたのは、彼女が俺の家に初めて泊まりに来た朝だったはずだ。
「一言で両方すむから経済的でしょ?」 とか言う訳の分からんことをのたうち回っていたはずなのだ。

そして、あの時は個性的な子だなぁ~、何て言う感じで微笑ましく見ていた俺なのだが……
とてもじゃないが、今彼女の事をそんな感情で見ることができないのだ!
だから、俺は彼女から黙って目をそらすしかなかったのだが……

もちろん、それを黙って見過ごせるほど目の前のお方は優しくないわけで……

「ちょっとぉ~!誰が!」

そう言いながら、一度すこーーーーしだけ緩めた右手の力を再びめい一杯握り直してきた。
多分だけど、もし仮に俺がバイクだったとしたら「アクセル壊れんだろーが!」とか怒鳴り付けていたのかもしれない。
それほどの衝撃を受けてしまった。
だが、俺は決してバイクではないので、そんな感情は心の中に厳重に仕舞っておくことにする。

「だっ……あっ……うっ……」
「そう!そう!いい子だねぇ~。信ちゃん!そうだよ。こっち向いてお話ししましょうねぇ~」

彼女は、一つ一つの表情を大きく、そして豊かにしながら俺に言ってきた。
恐らく周囲に第三者がいたとしたら、まるで赤ん坊をあやしているようにさえ思えただろう。

「えっ……話するなら……さぁ……んへぇ……おふぅ……」

俺が言葉を発しようとした途中、彼女の右手が微妙な動作を繰り返した。

恐らく証拠は全くないのだが……
俺の方の考えとしては、彼女の確信犯なのではないかと思ってしまう。

「ん~?どうしたのぉ~?あー!分かっちゃったかもぉ~!」

彼女は俺がこんな意味不明な言葉しか話せなくなった状態を、あたかも分からないと言うように話している。「それはお前が行った悪魔の所業を棚にあげてるからだろーが!」と俺は怒鳴り付けたい気分であったのだが……

もちろん、そんなことなど出来るはずもない!

俺は自分の心を無にするべく必死に心を落ち着かせようとしたのだが……
やろうと思って簡単に無の境地等に到達出来るはずもない。

せいぜい今出来ることと言ったら、彼女の顔を必死に見て無言で首を左右に振るぐらいのことだった。

そうしたら……

恐らくは俺の願いと言うのが彼女に通じたのであろう!

彼女の表情は、付き合った当初に俺がぐっと惹かれた魅力一杯の表情を浮かべ、俺に向けていた。

ヤッタ!
ありがとう!
やっぱり貴方は、女神様です!
とそう!
俺は何度も心の中で叫んだ!

すると……

「もしかしてぇ~、信ちゃんってばー!あれでしょぉ~!ファイナルアンサーしたいんだぁ~!」

俺は彼女のこの言葉を聞いた瞬間、目の前が真っ暗になってしまった……

そして……

そう!

気づいたのだ!

「あえて思おう!(この目の前の女が)クズであると!」。
もちろん、実際に口に出すのは怖くて出来るわけがない。
日本国憲法の中では良心と言うのは自由なはずなので、思うだけにしておきたい。

自由権バンザーイなのだ!

少し脱線しそうになったので話を戻すことにするのだが……

とは言っても、この件に関してはそう思われた彼女の言葉に俺は責任があると思う。

と言うのは、彼女は俺にファイナルアンサーしたいだろと訪ねてきたのだが、彼女には「そんな訳あるか」といってやりたいからだ。

今は仕事終わりの居酒屋。
そして本日は金曜日で明日は仕事休みの土曜日だ。

もし今ここで彼女の言う通り、ファイナルアンサーしてしまった場合。
その時は、俺のスーツが大惨事となってしまうことであろう。
その場合は、確か土曜の午前11時までに家の近くのクリーニング店に持っていくとお急ぎコースとやらで当日20時~21時の受け取りと言うものが可能だったはずなのだが……
そんなことが明日の俺に可能なのだろうか?

恐らく彼女は先程の話からすると、朝まで居酒屋で話をするつもりのはずだ。
話し合いの内容からするとお酒は飲まないとは言え。
状況によっては、本当に朝までコースと言うのも考えられる。
そうなった場合、俺に朝起きる余裕なんてあるはずがないだろう!

そして、目の前の悪魔は俺のこの長い思考のトンネルを黙って見過ごすほど寛容な存在ではなかった。
彼女は今、右手で俺を握っている。

だがしかし、左手はフリー!

そう!

フリーなのだ!

彼女は左手の前腕部分を俺の首元に押し当てると左手部分に自身の体重を傾けてきた。
軽い女性の体重とは言え、別に俺は格闘家やスポーツ選手などでもない、一般的な社会人。

そもそも一般人で好き好んで首をしっかり鍛えるなんて言うのはよっぽどのことであろう。

確か以前にやっていたテレビ番組でスポーツ選手が、両手補助なしでリバースレスラーブリッジをやっていたのをみて人知れず自分も試そうとしたところ。
危うく首が明後日の方向を向きそうになったことがあるほどの貧弱さの俺である。

そんな俺が彼女の体重を支えることなど出来るはずもない。

「おあぁ……」

俺は嗚咽なのか言葉なのかよく分からない声を発していた。

決して彼女の重みに耐えるのなら首だけではない。
腹筋と背筋も重要だったのだというようなことを思っての声などでも絶対にないのである。

そして、そんな時でも彼女の右手はしっかりと握っている。
なので実際に動くのは腰から上の部分だけ。
気がつくと俺は腰から上がギロチンチョーク。
腰から下が変則の横四方固めというべきような奇妙な体勢で押さえ込まれていた。
初めてかけられた技だけに困惑しているのだが……

もしかして、これが全くもって有名ではない【真奈美ホールド】という技なのかもしれない。

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