聖玉と巫女の物語
魔族の男
一目見て、アシュリータにはその男が魔族だとわかった。
胸の辺り、温度の変化で、聖玉が微かな光を帯びて反応しているのがわかる。
周りにいる騎士たちは気付いていない。
うまく人間に化けているな、と彼女は思った。
アシュリータたちが立ち寄った村の近くに、昔の城の廃墟があった。
村の若者が散策しているように見えたのだろう。連れの騎士たちは何の疑いもなく、その男の傍らを通り過ぎた。
だが、アシュリータは馬の歩を止め、その男に対峙した。
馬は何事もないかのように草をはんでいる。そのことにアシュリータは少し不審を持った。今までも眷属のみの出現時に馬の反応が鈍い時があったが、妖魔がいる時にはすぐに察知して、毛を逆立てていななくのが常だった。
(妖魔ではないのだろうか)
アシュリータがそう思った瞬間。
廃墟のそばの木に手を置いていた男は、おもむろに彼女の方を向いた。
とっさに、攻撃をしかけようとしたが、
「待ってくれ。ここではなく、違う場所にして欲しい」
そう、男が言ったので、アシュリータは驚いた。
「ここで争うと、この木たちが傷つく」
「……」
あまりの衝撃に、アシュリータは攻撃するのも忘れて、目の前の男を見た。
この辺りでは珍しい、濃い金髪をしている。瞳の色は薄い茶色で、その目からもどこからも、妖魔独特の禍々しさは感じられなかった。
「あなたは本当に魔族?」
そんな質問をしてから、(間が抜けている)と彼女は思った。
「僕を、人間じゃないと思ったから立ち止まったんだろう?」
やはり、魔族なのだ。化けて人間の言葉を話すとは聞いてはいたが、実際に見るのは初めてだった。
フェネルやゴヴィといった眷属を連れていないのも珍しかった。
でも、一体、この男はどうして……。
そんな様子を見て男は、
「これは父と母の木だ」
並んだ二つの木を指差した。
「太い方が母の木で、陰から成る。細いのが父の木で、これは陽から成る」
その説明を聞いた途端、アシュリータは警戒心を無くした。
「どうしてそんな事がわかるの?」
巫女特有の、順応性の高さと探究心から、彼女はこの男に興味を持った。
「触れたら、わかる」
彼女は馬にまたがったまま、言われた通り、その木に触れようとした。
しかし、後ろから騎士の一人に声をかけられ、その動きは止まった。
「アシュリータ様、どうかしましたか?」
一人の騎士が心配そうに、こちらに近づいてきた。
アシュリータは魔族の男の方を見た。
男は動じない風で、その場に立っていた。
「何でもないの。今そちらに行くわ」
彼女はそう言って、馬を歩かせた。
その背後から、男は言った。
「いいのか?」
アシュリータは答えなかった。
「わかった。じゃあ、また会おう……アシュリータ」
その瞬間、アシュリータは振り返ったが、すでに男の姿はなかった。
その後、何度となく、城の廃墟に行ってみたが、魔族の男とは会えなかった。
(私……どうして妖魔を見逃したんだろう)
後悔のような、罪悪感のような想いにとらわれていた。
今、思い出しても動悸がする。
木に触れてみると、風もないのに、木の葉がサラサラと音をたてた。
(言葉がわかるみたい)
アシュリータは人知れぬ悲しみに襲われると、この木を抱きしめ、心を慰めた。
しかし、旅は続く。この地を離れる時がやってきた。
「アシュリータ様、もうすぐ出発ですよ」
まだ年若い騎士が、城跡に立つ彼女を呼びに来た。
「……そう」
アシュリータは、最初に見たあの男のように手を伸ばして、木に触れていた。
(さよなら。また、一人で頑張らなくちゃ)
彼女は一度だけ、振り向いた。
二つの木は廃墟に寄り添うように立っていた。
「アシュリータ様は、あの場所がよほど気に入ってたんですね。あの城のいわれはご存知ですか?」
「えっ……」
「悲劇ですよね。ホントか嘘かわかりませんが」
そう言って、騎士は話はじめた。
むかし、その城には独裁的な若い王が住んでいた。彼は、ある種の人間を嫌い、ひどい扱いをした。ある時、彼は臣下に、「あの一族の中から、一人選んで、殺せ」と命令した。そして、死体が彼の目の前に引き出された時、意外な事が起こった。王は驚愕して、叫んだ。
『なぜだ!』
殺されたのは、王の恋人だった。
『娘が、志願してきたのです。私はあの一族の者だと』
王は憔悴し、城は荒廃した……。
「王は恋人が死んで、初めてわかったんですね。人の命の大切さが。それを教えたかったんでしょうか、その娘も」
若い騎士は、アシュリータが物思いに耽っているのを見て、言った。
「でも、ああいう廃墟ですから、後世の者が想像して作った話かもしれませんね」
アシュリータはその心遣いに感謝し、微笑んだ。
「近くに昔の墓地があるでしょう? そこに、古代の王の墓といわれているものもあるんです。村人から聞いた話なんですけど、後で寄ってみますか」
「ええ、ぜひ」
騎士はそれで安堵した。
女神を悲しませるような事はしたくない。
口にこそ出した事はないが、ふつうの女性ならば目をそむけたくなるような惨状ばかりだ。巫女とはいえ、本当に耐えられるのか。
しかし、それは言ってはならない禁忌のような気がした。
巫女は絶対的な存在。恐れるものは何もない神聖なる存在。
女神と呼ばれる巫女をふつうの女性として考えるのは、神を愚弄するようなものだ。
魔族狩りの季節が終わり、冬が近づいていた。
胸の辺り、温度の変化で、聖玉が微かな光を帯びて反応しているのがわかる。
周りにいる騎士たちは気付いていない。
うまく人間に化けているな、と彼女は思った。
アシュリータたちが立ち寄った村の近くに、昔の城の廃墟があった。
村の若者が散策しているように見えたのだろう。連れの騎士たちは何の疑いもなく、その男の傍らを通り過ぎた。
だが、アシュリータは馬の歩を止め、その男に対峙した。
馬は何事もないかのように草をはんでいる。そのことにアシュリータは少し不審を持った。今までも眷属のみの出現時に馬の反応が鈍い時があったが、妖魔がいる時にはすぐに察知して、毛を逆立てていななくのが常だった。
(妖魔ではないのだろうか)
アシュリータがそう思った瞬間。
廃墟のそばの木に手を置いていた男は、おもむろに彼女の方を向いた。
とっさに、攻撃をしかけようとしたが、
「待ってくれ。ここではなく、違う場所にして欲しい」
そう、男が言ったので、アシュリータは驚いた。
「ここで争うと、この木たちが傷つく」
「……」
あまりの衝撃に、アシュリータは攻撃するのも忘れて、目の前の男を見た。
この辺りでは珍しい、濃い金髪をしている。瞳の色は薄い茶色で、その目からもどこからも、妖魔独特の禍々しさは感じられなかった。
「あなたは本当に魔族?」
そんな質問をしてから、(間が抜けている)と彼女は思った。
「僕を、人間じゃないと思ったから立ち止まったんだろう?」
やはり、魔族なのだ。化けて人間の言葉を話すとは聞いてはいたが、実際に見るのは初めてだった。
フェネルやゴヴィといった眷属を連れていないのも珍しかった。
でも、一体、この男はどうして……。
そんな様子を見て男は、
「これは父と母の木だ」
並んだ二つの木を指差した。
「太い方が母の木で、陰から成る。細いのが父の木で、これは陽から成る」
その説明を聞いた途端、アシュリータは警戒心を無くした。
「どうしてそんな事がわかるの?」
巫女特有の、順応性の高さと探究心から、彼女はこの男に興味を持った。
「触れたら、わかる」
彼女は馬にまたがったまま、言われた通り、その木に触れようとした。
しかし、後ろから騎士の一人に声をかけられ、その動きは止まった。
「アシュリータ様、どうかしましたか?」
一人の騎士が心配そうに、こちらに近づいてきた。
アシュリータは魔族の男の方を見た。
男は動じない風で、その場に立っていた。
「何でもないの。今そちらに行くわ」
彼女はそう言って、馬を歩かせた。
その背後から、男は言った。
「いいのか?」
アシュリータは答えなかった。
「わかった。じゃあ、また会おう……アシュリータ」
その瞬間、アシュリータは振り返ったが、すでに男の姿はなかった。
その後、何度となく、城の廃墟に行ってみたが、魔族の男とは会えなかった。
(私……どうして妖魔を見逃したんだろう)
後悔のような、罪悪感のような想いにとらわれていた。
今、思い出しても動悸がする。
木に触れてみると、風もないのに、木の葉がサラサラと音をたてた。
(言葉がわかるみたい)
アシュリータは人知れぬ悲しみに襲われると、この木を抱きしめ、心を慰めた。
しかし、旅は続く。この地を離れる時がやってきた。
「アシュリータ様、もうすぐ出発ですよ」
まだ年若い騎士が、城跡に立つ彼女を呼びに来た。
「……そう」
アシュリータは、最初に見たあの男のように手を伸ばして、木に触れていた。
(さよなら。また、一人で頑張らなくちゃ)
彼女は一度だけ、振り向いた。
二つの木は廃墟に寄り添うように立っていた。
「アシュリータ様は、あの場所がよほど気に入ってたんですね。あの城のいわれはご存知ですか?」
「えっ……」
「悲劇ですよね。ホントか嘘かわかりませんが」
そう言って、騎士は話はじめた。
むかし、その城には独裁的な若い王が住んでいた。彼は、ある種の人間を嫌い、ひどい扱いをした。ある時、彼は臣下に、「あの一族の中から、一人選んで、殺せ」と命令した。そして、死体が彼の目の前に引き出された時、意外な事が起こった。王は驚愕して、叫んだ。
『なぜだ!』
殺されたのは、王の恋人だった。
『娘が、志願してきたのです。私はあの一族の者だと』
王は憔悴し、城は荒廃した……。
「王は恋人が死んで、初めてわかったんですね。人の命の大切さが。それを教えたかったんでしょうか、その娘も」
若い騎士は、アシュリータが物思いに耽っているのを見て、言った。
「でも、ああいう廃墟ですから、後世の者が想像して作った話かもしれませんね」
アシュリータはその心遣いに感謝し、微笑んだ。
「近くに昔の墓地があるでしょう? そこに、古代の王の墓といわれているものもあるんです。村人から聞いた話なんですけど、後で寄ってみますか」
「ええ、ぜひ」
騎士はそれで安堵した。
女神を悲しませるような事はしたくない。
口にこそ出した事はないが、ふつうの女性ならば目をそむけたくなるような惨状ばかりだ。巫女とはいえ、本当に耐えられるのか。
しかし、それは言ってはならない禁忌のような気がした。
巫女は絶対的な存在。恐れるものは何もない神聖なる存在。
女神と呼ばれる巫女をふつうの女性として考えるのは、神を愚弄するようなものだ。
魔族狩りの季節が終わり、冬が近づいていた。
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