電脳将ウェブライナー~街が侵略者に襲われている件~

吉田明暉

5月のお話

序章「ホームレスの友達」
関東圏にある町、稲歌町。最近いろいろあったこの町だが、現在深刻な問題を抱えていた。
事の発端はつい1ヶ月ほど前、稲歌町に拠点を置く1つの暴力団組織が消滅したことである。組織の組員は全員失踪。組の事務所も家屋そのものが引っ越ししたかのように敷地内から消えていた。
これにより、稲歌町の治安は良くなったのかと言われればむしろ悪化した。
暴力団組織の存在は、地域の不良や暴走族などの暗黙的な抑止力になっていたのだ。下手に事をおこせば、暴力団組織に目を付けられる。武器も所持している彼らを相手にするのは下の者にすれば何の良いこともない。過激な行動は避け、自重するような形が取られていたのだ。
しかし、その均衡は崩れた。
目の上のタンコブがいなくなり、押さえつけられていた奴らはのびのびと行動し始めたのである。警察など元々眼中にない。少年法で守られている連中も多い彼らにとっては、捕まっても軽微な罪で出てこれる。
社会は彼らに暴走を許した。もちろん、これは稲歌町だけの問題ではない。だが、稲歌町は条件に恵まれていて事件が大きく広がってしまったのだ。
彼らの被害を受けるのはもちろん一般市民である。中でも住む場所が無い者、ホームレスへの被害は顕著であった。
自分の方が立場が上であるという証明からか、社会的弱者である者をいたぶり服従させることにより優越感を得る。そんな非人道的な行為は、メディアには取り上げられることは少ないがたびたび起きている。
稲歌町西部地区。東部地区と並び、稲歌町を代表する住民居住地域である。元々、稲歌町は中央から発展が始まり、そこへ勤めに通うため地盤も強く、平地で建物が建てやすい西武地区に民家を集中して建てたことが所以で稲歌町最初の住宅地域と言われている。
しかし、発展していくことで住民を住まわせる土地が無くなったため、次に住みやすい東部地区に住民が移ったとされるのが歴史である。南部は古くから水田や畑の風景が広がり新たに住民が住むスペースが無く、北部は広葉樹林が広がり開墾する労力とわざわざそこに住もうとする人々が少なく釣り合わなかったため、現在に至るまで稲歌町の人口は西部、中央部、東部に集中している状態である。
そんな西部の住宅街の中には多数の公園が存在するが、その中でも地域の住民に知られている公園がある。
『稲歌町西部第三公園』、通称『ホームレス公園』。
名の通り、たくさんのホームレスが滞在する公園である。雨風をしのげる屋根が公園内の至る所に設置されていることと付近に商店が集中する通りがあるため稼ぎに出るときの利便性から稲歌町ホームレス人気ナンバー1のベストスポットである。
地域に貢献し、付近への迷惑な行為をしないという『その日暮らしの掟』というものが存在し、ホームレス内の治安維持が整えられているのもこの公園が人気の理由の1つである。
そんな公園に荒くれ共の手が伸びようとしていた。

5月3日 稲歌町西部地区 ホームレス公園 午後9時45分
「源さん、大変だ!あいつらがまた襲ってきたぞ!?」
ホームレス公園に居住しているホームレスの悲鳴と共に源と呼ばれた髪をボサボサに伸ばし、うぐいす色の作業着を上下に着用した老人が目を覚ますと飛び起きた。
布団をどかした彼の目に飛び込んできたのは真夜中に輝く段ボールから立ち上る炎と耳障りな奇声。
そして普段から馴染みの知り合いが狂ったように奇声を上げるガキ共に金属バットや鉄パイプなどで暴力を振るわれ、追い回されている悲惨な状況だった。
「長さん、今すぐみんなに避難するように言え!」
「あいつ等の狙いは俺たちの金だ!せっかく貯めたのにあんな奴らに渡すなんてごめんだ!」
「馬鹿!あいつ等はただ俺たちを殴りに来ただけだ!」
源は、頭から血を流し涙で顔を崩れさせた白髪混じりのホームレスに怒鳴りつける。
最初から俺たちのスズメの涙みたいな金なんてあいつらは当てにしてない。この公園に来た理由は1つ、俺たちに暴力を振るって愉しむためだ。
ホームレス公園の重鎮たる源はすぐに相手のことを推測した。
長と呼ばれたホームレスは大声で叫びながら、仲間のホームレスの所に戻っていく。
「逃げろ!みんな、逃げるんだ!!」
しかし、彼の声は暗闇の中で突然途切れる。途端に地面に倒れるような音。そして大声で彼に怒鳴りつける男の声が響いた。
「おい、逃げてんじゃねえよ?せっかくの楽しみを台無しにするなよな」
自分の息子以下の年齢に見える赤いジャージを着た若造が金属バットを長の体に叩きつけ、地面に倒していたのだ。若造は頭のネジが飛んだように嘲笑すると長の頭目がけてバットを振りかぶる。
源はすぐさま大声と共にその若造に飛びかかると、体当たりをして地面に押し倒した。
「てめえ、どけよ!」
「長さん!早く逃げろ!!」
倒れされた若造は源を殴りつけながら、どかそうとするが必死の形相で源は食らいついていた。
「おっ!?いたいた。お前等、こっち集合!」
倒れていた源は謎の声と同時に背中に鈍器で打たれたような痛烈な一撃を力なく手を離す。そのまま若造から引き離されると周囲から蹴りと鈍器の暴行を体に受ける。源は為す術もなく打たれ続け、動かなくなる。
「はい、ストップ。ちょ~っと俺にお話しさせろ、このじいさんと」
源は薄れていた意識の中ゆっくりと目を開けて、周りの光景を確認できた。目の前には運動シューズ、金属バット、黒いジャケットと地面に着くような長いズボン。どうやら、周囲を取り囲まれたようだ。人数は5,6人くらい。暗闇で顔がよく見えないがどうやら、自分の年の半分も経過していないような若造たちだった。
「じいさん、いい加減この公園から立ち退いてくれないか?ここは俺たちの縄張りなの。てめえらみたいな薄汚れた雑巾の居場所なんてないの」
リーダー格のような男が源の頭の方に回り込むと、ドアをノックするように源の頭を軽くバットで叩きながら見下して話してくる。
かなり体格の良い男だった。上は灰色のパーカーを羽織っているが両腕の筋肉が盛り上がって見える。おそらく、何か武道をかじっているのだろう。背も180センチメートルは超えていそうだ。まともにやっても勝ち目はない。今の状態で逃げるなんて無理だ。
「お前等こそ、町から出て行け…!相良組もいなくなってやっと平和になったんだ!」
「だから、俺たちの時代が来たんじゃねえか?あのゴロツキ共がいなくなったおかげで俺たちの天下が来たんだ。誰だか知らないが感謝しているぜ。噂じゃ全員殺されたって話だ」
「俺たちだって、好きでここにいるんじゃない!近所に迷惑をかけているのも分かってる!けど、どうしようもないんだ!だから、罵られても頑張って生きているんだ!てめえらみたいに遊び感覚で生きちゃいないんだよ!」
「おい、そいつの体動かさないように押さえておけ。ちょうど素振りの練習にぴったりのボールを探してたんだ。うぜえから黙らせてやる」
男の冷たい声と共に源は無理矢理4人ほどの若造に無理矢理立たせられるともがくことを封じられる。
そして、目の前の男は軽く源の前で素振りをするとそのまま源の左頬にバットを置く。
「地獄に堕ちろ、小僧!」
「はっ?それはてめえだ…」
男はバットを振りかぶったが突然バットが重くなるように感じた。さらに一瞬でバットの感覚が手から無くなった。そしていきなり髪の毛を掴まれる激痛、抵抗を許さない剛力。男の前に地面が急に現れた。直後、頭部に受ける凄まじい衝撃、男の意識は為す術無く途絶えた。
源を押さえていた男達は突然の光景に震え始めていた。今まで誰もいなかったリーダーの背後に2メートルを超える大男が立っていたのである。大男はリーダーの後頭部を掴むと、一瞬で頭部を地面に叩きつけていた。
パーカーの男は地面に倒れたままピクリとも動かない。
源を押さえていた男達は 謎の巨人の襲撃に源を置いて悲鳴と共に逃げ去っていった。
「殺された!逃げろ!リーダーが殺されたぞ!!」
絶叫と共に本来の目的であるホームレス狩りなど気にも留めず、公園から全速力で暗闇の中に散って逃げ出した。
源は地面に力なく崩れ落ち、自分が無事であることに安堵した。大男はTシャツの上からエプロン姿、下は黒いジャージを着て源に近づくとしゃがみ込み源の様子を確認する。
「大丈夫か?源さん」
「大<<だい>>ちゃん?ありがとう…本当に助かったよ」
大ちゃんと呼ばれた大男は源に肩を貸すと、近くのベンチまで彼を案内し座らせた。座ると同時に源が苦痛で顔を歪める。
「骨にヒビが入っているかもしれないな、親父の知り合いの医者がすぐ近くだから車で迎えに来させるよ。他の仲間と共に診察を受けてくれ」
「大ちゃん…」
「心配するな、金はこっちで引き受ける、貸しにしとくよ」
不安そうに語りかける源に大男は笑いながら答えた。
「違う。あの野郎のことだ。まさか殺したのか?」
源は地面に転がっているパーカーの男を睨みながら大男に問う。
「人を殺す度胸なんて俺にはねえよ。頭に強い衝撃を与えて気絶させただけだ。5分くらいで目が覚める」
「何で分かるんだ?」
「親父に教わったからだ。他の奴らの無事も見てくる」
大男は当然とばかりに答えると、源を離れて他のホームレスの所に行こうとしたときだった。突然パトカーのサイレンが聞こえると、暗闇奥に見える公園の入り口が赤く点滅している。
「警察だ!お前ら、そこを動くな!」
15名ほどの警官が公園に突入し、ライトで人物を確認後、保護していく。
そんな警官の群れは大男の前にも現れた。
「動くな!」
「はいはい…動きませんよ」
大男は慣れたように両手を挙げると、大人しく警官に囲まれた。
「大悟<<だいご>>…またお前か?」
警官の中から一人、灰色でよれよれのスーツを着たチョビ髭姿の中年刑事が大悟と呼ばれた大男の前に現れる。まるで何度も同じものを見るのに飽きてうんざりした表情で大悟に接してきた。
「ホームレスのみんながチンピラに襲われていたんだよ。新井のおっさん」
「そ、そうです…!刑事さん、彼は私を助けて…」
大悟を弁護しようとした源が体の痛みに声を出せず、うずくまる。
「…とりあえず、そちらの方は病院に…」
「みんな金がねえんだ!親父の知り合いの医者にしてくれ、新井のおっさん。すぐそばの家なんだ」
「…だそうだ。言うとおりにしてやれ。とりあえず、この巨人は警察署でじっくり話を聞く。俺が直々にな。パトカーに案内してやってくれ」
大悟は心配そうに見てくる源に「大丈夫だ、何とかなる」と頷きながら微笑むと警官を率いて、パトカーが待つ公園の入り口へと向かっていった。

同日 午後10時24分 稲歌町警察署 第4取り調べ室
大悟は暗く静まりかえった部屋の中、机の前で椅子に座っていた。部屋の隅では会話を記録する警官がすでに筆記作業を始めている。天井中央には電灯が点いていて、明るさは十分だったがどこか薄暗さが部屋全体に充満していた。それもそれのはず、背後の窓を見ると真っ暗闇ですでに夜だということを教えてくれた。
警察署に事情聴取のため、連行されすでに30分以上。その間、ずっと椅子に座りながら待機である。あくびをしながら、部屋全体を見回すことしかやることがなかった。
「なあ、刑事さん。いつになったら、話を聞きに来てくれるんだ?」
「もうしばらく待機だ」
「こんなに長く待たされたことは今まで1度も無いんだけど」
「色々忙しいんだ!いいから、もう少し待っていてくれ」
大悟はすでに取り調べ室の常連だった。普段から何かともめ事の多い大悟は大体新井刑事の取り調べを受ける。
少し前まで出席停止処分で自宅に謹慎。ようやく学校に行けると思ったら、町では不良やゴロツキが溢れている状況。特に力も無いホームレスはその標的になりやすく、大悟は彼らを助けて警察送りである。
すでに警察署の連中で彼の顔を知らない人はいなかった。
修行僧のような坊主頭を掻きながら、大悟は暇に耐えていた。
すると、ノックと同時に新井刑事が疲れ切った顔で部屋の中に入ってくる。そして大悟と合い向かいの椅子に崩れ落ちる。
「…お疲れみたいだな、新井のおっさん」
「ここんところ、チンピラの取り調べで大忙しだ。ただでさえ、相良組の件で寝る暇も無いって言うのに今度は不良共が暴れ回ってやがる。昔の方がマシだったな」
2人は軽く会話をかわすと、新井刑事は大悟の顔を5秒程見て、右手親指で背後のドアを指さす。
「さっさと帰れ」
「はあっ!?俺、何にも話してないぜ?」
話を聞きに連れてこられたのに、話も聞かずに帰らされるという新井刑事の行動に大悟はどのように対応したら良いか分からなかった。
「さっき、源さんというホームレスから連絡があってな。あの時、起きた出来事を1から10まで話してくれたんだ。お前は彼を助けたことはすでに分かっている。ただ、その手段が暴力だというのは認められないがな」
「源さんは死にそうだったんだぜ!?バットで頭をぶっ飛ばすとか殺す気満々じゃねえか!?」
「チンピラの頭を掴んで地面に衝突させて気絶させるお前の行為も殺意満々だと見られるぞ?検察の人間は冷静に物事を見るのが得意だからな。お前がいくら人助けのためにやろうとしても、裁かれるのはお前になる可能性が高い」
新井の言葉に大悟は返す言葉も見つからず、俯いた。そして背後で会話の記入を行っている警官から黒いファイルを受け取ると中身をめくる。
「心堂大悟<<しんどうだいご>>。3年間で取り調べ回数36回。9割近くが自身が犯した暴行事件について。さらにそれら全ての事件でお前は第3者扱い。不良などから暴力を受けていた被害者を助けるような形で事件に介入。結果、不良の骨を折る、殴り倒す、気絶させる……奇跡的に今まで殺人無し。ほんと馬鹿みたいな経歴だな」
「馬鹿?」
大悟はイラッとしながら、聞き返す。
「結局、損をしているのはお前って事だよ。全てがお前のお節介じゃねえか?わざわざ首突っ込んでいつも警察に取り調べを受けている。一歩間違えば少年院行きだ。被害者の証言のおかげでいつも首の皮一枚繋がれている状況。呆れ果ててものも言えねえ…。お前は人を救わなきゃ死んじまう病気でもかかっているのか?」
新井はため息を吐きながら愚痴るようにしてページと大悟を交互に見つめる。
「人が殺されるのを黙って見てろって言うのか?」
「そうは言ってないだろ!俺が言いたいのは何で暴力で解決しようとするのかってことだ!話し合いや説得で解決しようとしたことはあるのか!?」
「あるが相手が聞き入れてくれなかった」
新井は机に崩れ落ちた。あるということにも驚いたが、何より相手が話も通じない馬鹿だということにさらに驚く。
大悟は2メートルを超える筋肉の塊のような巨体もそうだが、どこかの誰かさんのように顔が怖く作られている。ヤクザの中でもここまではっきりと怖い顔をしている奴はそうはいないだろう。今まで犯罪者を何人も見てきたが、みんなこいつより優しい顔をしていた。
何でこいつと一悶着起こす奴らは馬鹿ばかりなんだ?こいつの図体と鬼みたいな顔を見れば普通はびびって逃げるだろ?何でみんな病院に行きたがる?
町ではどんな相手にでも飛びかかっていくチャレンジャー精神が流行っているのか?
「口で言ったらいきなり相手がぶち切れてきて、返り討ちにしたこともある。俺は口喧嘩は得意じゃねえんだ」
「だろうな。頭が悪そうなことはよく分かる」
新井は本音をぶちまけた。
「人を見かけで判断するなよ、おっさん」
「どうせ図星だろ?」
「俺は馬鹿じゃねえよ!いつも間が悪いだけなんだよ!」
見ていて悲しくなってくる程立派な脳筋だな。大悟の言い訳する姿に涙が滲んでくるのを堪えた新井はファイルを閉じると再びドアを指さした。
「頼むから帰ってくれ。上司の判断もすでに聞いてある。今後はできるだけ外を出歩かないようにしろ。特に最近は物騒だからな」
「何かあったんか?」
「捜査情報は教えられません。とっとと帰って下さい」
大悟は新井を睨むとそのまま立ち上がり、大股で歩きながら部屋の外へと出て行く。
「新井さん、良いんですか!?彼は暴力事件の加害者ですよ?」
新井の背後にいた警官は新井を問い詰める。
「冴島<<さえじま>>、何が言いたいんだ?」
「今まで何度も事件に介入して暴力沙汰を起こしているじゃないですか?社会人だったら傷害事件で逮捕で起訴ですよ?身柄を預からなくていいんですか?」
「今まで何度も検察に書類送検した。けど、一度も起訴になったことは無い。何かしら理由を付けられてあいつは釈放だ」
「そんな…おかしいんじゃないですか?」
冴島の言葉に新井はすべて同意するように頷いた。
「ああ、おかしいんだ。今、この町ではおかしな事が頻発している。チンピラの暴走、相良組の失踪、警察が踊らされる前回の情報錯綜。もはや、無法地帯だ」
新井は軽く机を蹴った。机がずれ、大きく音が鳴る。体から行き所のない怒りが溢れているようだった。
「仮に起訴したとしても情状酌量で執行猶予が付いたかもしれない。それにメディアから見れば、大悟は自分が罪を引き受けることで悪人を潰したヒーローだ。そういう世論を想定して上の人間も起訴に踏み切れないのかもしれないな。あいつを起訴したらまるで警察や検察が悪みたいになっちまう。そんなのよろしいわけないだろ?」
「だから、彼の罪を見逃すというのですか?」
今度は新井は頭を横に振る。
「いやいや、もっとすごいことをやるんだ。そんな事件起こらなかったように知らんぷりするんだよ。事件が起きなきゃ罪も罰も必要もないだろ?」
冴島は愕然として大悟が座っていた席に着いて新井と向かい合った。
「そ、それは…本当ですか?それじゃあ警察の意味が無いじゃないですか?」
驚く冴島に新井はふっと笑みを見せる。
「仮の話だ、本気にするな。けどな冴島、お前はまだ若い。だから知っておいてもらいたい。世の中には知らなくて良いようなドス黒い闇の部分があるんだ。1度踏み込んだら元に戻れない部分がな」
新井は真剣に若き新米の顔を見て、警告した。冴島は視線を落とすと震えるように手を握っていた。
「警察や検察は縦社会。上の命令は絶対だ。例え犯人を見つけても、上が釈放と言えば釈放だ。まあ、そんなことはなかなか無いから安心しろ」
「新井刑事。今、この町で何が起こっているんですか?」
新井は冴島の質問にしばらく黙り込むとゆっくりと口を開いた。
「……『喧嘩』だろうな」
「『喧嘩』?」
「ああ、俺たちの見えないところでとんでもない喧嘩が始まっている気がする。おそらく、それには司法では対抗できないだろうな。あくまで俺の勘だが」
「じゃあ…俺たち警察の意味って何なんですか?」
新井は真剣に尋ねてくる冴島の態度にまた笑いを浮かべた。
「冴島。お前、夢ってあるか?」
「えっ?急に何ですか?『夢』ですか?そうですね…一日も早く一人前の刑事になって犯人を逮捕したいことですかね」
「パーフェクト。さすが期待の新人。実に刑事らしい答えだ」
新井は拍手しながら冴島を祝福した。
「新井刑事は何ですか?」
「ん?俺か?俺はそうだなあ…。何にも起こらない日を送ってみたいな、それで1日署の中で寝て過ごしたいな」
「何にも起こらない日って…犯罪も何も起こらない日ですか?」
「ああ。長い間刑事やっているとなあ、事件が起こるたびに思うんだ。『またか…』ってな。一度で良いから容疑者も被害者もいない、世界中で何にも起こらない日を味わってみたい。もう…罪を犯す奴も被害を受ける奴も見たくないのかもしれないな、俺は。そろそろ刑事の辞め時かもな。とは言っても、家族の面倒があるから辞められねえけど」
新井は悲しそうに呟くと、最後に笑いのオチを付けて大笑いをし始めた。冴島はそんな新井の姿を見て、改めて自分の未熟さと彼の素晴らしさを感じた。刑事は事件を解決することも大切だが、事件が起きないようにしていくことも同じくらい大事なのかもしれない。
「いつか、そんな日が来ると良いですね」
「俺の夢を聞いたんだ、もう他人事じゃねえぞ?そんな日のために今を頑張ろうじゃねえか、行くぞ冴島!」
「はい!記録が終わったら行きます!」
「お前は真面目だなあ…」
新井は後輩の真面目さに苦笑いしながら薄暗い部屋を出て行った。

次章「今までのあらすじ」
やあ、読者の皆さん。2次元と特撮を愛する引きこもりオタク、渡里祐司<<わたりゆうじ>>です。
今までは何の取り柄もない俺でしたが、周りの人たちのおかげで最近ようやく一皮剥けました。俺は本当に周りに恵まれているよなあ…。
さて、事の始まりは4月の入学式までさかのぼります。
俺の友人のたっくん、不動拓磨はチンピラに絡まれてはボコり、また絡まれてはボコる忙しい毎日を送っていました。おかげで警察にご厄介になることも多く、彼の叔母である喜美子さんや叔父である信治さんは苦労の絶えない毎日。
ほんと、不動家の苦労に比べたら俺の家の苦労なんて象とノミを比べるような物!だから、デカ乳…もとい葵<<あおい>>!いい加減に俺の趣味を認めろ!無駄な抵抗は止めるんだ!我慢が足りないぞ!!
おっと…つい熱が入って脱線してしまいました。失礼いたしました。
さて、そんな多忙の日々を送っていたたっくんに転機が訪れます。
1日で作った小学生の工作品を自慢気に俺に見せたあげく、憂さ晴らしのために騙し討ちで俺を空中拷問の刑に処したマニュアル宇宙人ゼロアとの出会いです。

あの恨みは絶対に忘れないからな…。

そんな奴と意気投合したたっくんは町の平和を守るために頑張り、町中の人々がさらわれた事件を見事に解決。原因であった相良組組長は圧倒的進化を遂げた我らが電脳将ウェブライナーのライナービームで消滅。
相良もライナー波に出会わなければもっとマシな人生を送れたんじゃないかと思うと、非道を為した相手でもどうしても憎みきれないよね…。
さて、そんな事件の後、新たな事件が。
まず始めに俺たちの小学校時代の友人、白木友喜が高校に転校してきました。
彼女と俺の間にはマリアナ海溝より深い溝があったわけです。小学校の頃、俺は彼女にとてもひどいことをしてしまいました。
俺たちの知らない間に彼女は変わっていました。高校の先輩と付き合い、さらにその先輩と悲運な別れを遂げていて彼女自身も心に大きな傷を受けていたようです。
さらにたっくんも相良事件の件で被害者となった金城勇先生や恋人である先輩の件で友喜に責められることに。非があるとは言えやはり責められるのは辛いことだ…。
どうやら、この事件の裏にはライナー波を用いてこちらの世界に攻撃をしかける惑星フォインの組織、リベリオスの存在があったようなのです。
友喜の恋人だった先輩はリベリオスの刺客にして俺たちの小学生時代の先生、馬場達也に操られていた模様。
最終的に友喜を人質に取った馬場達也は大気圏を突破しそうなほど巨大なロボットに乗り、ボロボロのウェブライナーを追い詰めました。友喜を救出した俺たちも徹底的に追い詰められ絶体絶命のピンチに。
その時、ライナー波が恐るべき事を引き起こした。
スレイドさんという友喜と親交のあった人とこの俺、渡里祐司が契約。怒りの『装身』を経て黒き巨人ウェブライナー・カオスフォームに姿を変えたのだ。
新たな力を得て、何とか馬場に勝利した俺たち。友喜とも昔のような友人関係に戻ってひとまず一件落着かな?
さて、次はどんな攻撃をリベリオスは仕掛けてくるのか?しかし、俺たちは負けられない!どんなに辛くても必ず勝たなければ地球人に未来は無いのだ!
人々のために『装身』せよ、電脳将ウェブライナー!
俺の名前は渡里家長男にしてアニメと特撮を愛し、地球の人々のためにスレイドさんとたっくん、その他1名と戦うことを決めたオタク、渡里祐司。これは高校生の時に俺に起きた出来事だ。
いくつか熱を込めて言い過ぎた部分もあるが、別に後悔していない。
最初にしてはまあまあ、いや十分に上出来だ!それでは本編をどうぞ!

「君がいかに解説に向いていないということがよく分かったよ、祐司。エア・ライナーの試運転は今度から全部君にやってもらおう」

「嫌だあああ!あんな自殺用ポンコツ飛行マシンで墜落事故なんてそんな人生嫌だあああ!」

「いい加減私も怒るよ、祐司!!」

第1章「動物園から逃げ出してきた男」
5月4日 稲歌町東地区 渡里家 午前7時00分
始業式から1ヶ月が過ぎ、暖かさも肌に感じることが多くなった春の1日。天の恵みである太陽から放たれた光は今日も地上を照らす。その光はいつも通り渡里家2階の一室、十畳程の葵の部屋にも届いた。
周囲をクローゼットや学習机、化粧台で囲まれた中に鎮座する中央のベッド。
クリーニングに出したばかりでふわふわな白いシーツの上で桃色のパジャマを上下に着用した美しく長い黒髪を持つ端正な顔立ちの女性が顔に光を浴び、夢から醒める。
まず最初に寝たまま自分の口元を触ってみる。かすかによだれの痕が残っていた。
最近見た中ではかなり良い夢を見た。
「不動ベーカリー・10周年目記念『新作メロンパン・食べ放題』」。
不動ベーカリーの店前に専用のテラスが用意され、山ほどのメロンパンを直径2メートルほどの皿に載せたまま、無愛想な拓磨が召使いのように店の奥とテラスを行ったり来たり。私は至極の満足感と満腹感を味わいながら、牛乳を片手にメロンパンを平らげ続けている。全て腹にしまい込んだところでちょうど夢が覚めたのだ。
「今日はチョコチップメロンパンにしよう、決まり」
葵はにんまりと笑いながら呟くと、ちょうど隣で鳴る目覚まし時計をすばやくチョップで止めると体を起こし、ゆっくりとその美麗な体を天井に向かって伸ばす。
いつものように息を大きく吸い込み、豊満な胸をさらに膨らませると一気に溜めた空気を吐き体の中で空気を循環させる。
さてと、あいつのために食事の準備だ。
嫌な現実に引き戻されると、葵はパジャマを脱ぎ制服に着替え始める。黒い靴下を履くと、そのまま化粧台に座り髪を梳(す)き始める。背後から陽光が髪に当たり、金色のような輝きをまとっていた。そして髪をポニーテールに束ねると、一旦部屋の外に出る。
顔を洗いに部屋の外に出ると、静寂な朝と耳に残るスズメの声が聞こえてくるはずだった。代わりに聞こえてきたのは、1階から聞こえる炒め物をするフライパンが奏でる料理のメロディーである。
えっ?1階で誰か料理している?
葵は急いで右側の洗面台で顔を洗い、タオルで顔を拭くと中央にある階段をゆっくりと音を立てないように降りていく。
祐司だろうか?いや、炊き込みご飯しか作ったことの無いあいつにフライパンを使うなどという高度な技術ができるわけがない。お父さんは今日も会社に泊まり。
まさか…泥棒?泥棒が私の家で空腹に耐えきれずご飯を作っているのか?
馬鹿な妄想をしていると自覚しながら葵は慎重に階段を降りて、1階のひんやりとした木製の廊下に足を着く。すぐ右側のドアをゆっくりと握ると、少しずつ押して中の様子を確認する。
視線は左、調理台の方へ。いた、誰かいた。
その人物は自分よりも小柄だった。豊かな髪をツインテールにして背中の服の中にしまい込んである。調理中、髪が邪魔にならないようにしているのだろう。紺色のエプロンを身につけ、こちらに背中を見せたままフライパンを軽々と動かしている。調理中、髪が邪魔にならないようにしているのだろう。そして手慣れた手つきで、フライパンにある中身を白い皿に盛りつけている。
どうやら女性のようだ。小柄で長い髪、まるで友喜みたいだ。
「あとはデザート~。アイスフルーツポンチでいいかな~」
かなりご機嫌のように鼻歌交じりで、調理台にあるビニール袋から缶詰を出して、缶切りで開け始めた。
何…だと?デザートだと!?家でデザートなんて作ったことなんて滅多に無い!あのオタクにそこまで気を使いたくないし、作ったところで「まず自分で毒味して」とふざけたことをぬかしたことがあるからその時に2度と作ってやらないと誓った。
さっきからずいぶんと料理に慣れている。まるで実家が食堂でもやっているかのようだ。まるで友喜のよう…だ?
あれ?まるでも何もまさかの本人?
「友喜!何しているの!?」
「あっ、葵。おはよう、もうすぐできるから待ってて」
眼鏡に手をかけ、葵の姿を認識すると友喜は調理台の方を向いたまま缶詰を開け続けている。
「何で友喜が私の家で朝食作っているの!?」
「葵。喋っている暇があるんだったら、バニラアイスとイチゴアイスを人数分器の上に載っけて」
友喜は桃やオレンジ、ナタデココ、キウイなどを崩さないように混ぜ合わせると後ろで吠え続ける葵を上の空で答える。
「うるさいな~、朝早くから何だよ?」
珍しいことに寝過ごし常習犯の祐司が1階の異変に気づいたのか、寝ぼけ眼(まなこ)で目を擦りながら「俺、変身!」と背中に書かれたTシャツと赤い半ズボンを履いてキッチンに入ってきた。
「おはよう、祐司」
「えっ!?友喜!?もしかして朝食作りに来てくれたの!?」
一気に祐司の眠気が吹き飛び、満面の笑みを浮かべる。
「祐司の分だけじゃないけどね。あの人の分も。スレイドさんってまともな食事していないんでしょう?」
「優しいなあ~。スレイドさんもきっと喜ぶよ、本当にありがとう!」
祐司は葵を空気のように素通りし、友喜のそばに近寄ると友喜の料理を皿に盛るのを手伝い始めた。
……は?何これ?何2人で今の会話が通じているの?そもそもスレイドさんって誰?
置いていかれた葵はテーブルの前の椅子に座ると、異常な光景を眺めるように楽しそうに朝食の準備している2人を警戒して眺めている。
5分後、テーブルの上には料理の数々が揃った。
本日の朝食事。
稲歌町産米『いなびかり』の炊きたてご飯。複数の味噌をブレンドした白木家特製の味噌を使ったアサリのダシがたっぷり利いた味噌汁。栄養面を考え、野菜を入れつつもほうれん草独特の臭みを隠した出汁巻き卵。バターで焼くことで甘みと旨みを引き出したにんじんに、白木食堂の名物の1つ群馬産黒豚を使った祖父直伝『豚の生姜焼き』。そして締めのデザートにバニラアイスとイチゴアイスの載ったフルーツたっぷりのフルーツポンチ。
朝食にしては豪華すぎた。まるで宿で出てきそうなラインナップである。
祐司は椅子に座ると歓声を上げ、友喜は満足げに笑顔で祐司の隣に座り炊飯器をテーブルの上に置き、ご飯を茶碗に盛りつけている。葵はただ呆然として食事1つ1つに目を通し、幻覚ではないかどうか確認していた。
「いただきます!」
祐司は両手を合わせ、元気よく叫ぶと食べ始めた。葵も一拍テンポを遅れて食べ始める。
「朝の食事は大切だからガンガン食べてね」
3人にご飯を渡し終わると、友喜も食べ始める。
「美味い!それしか言えない!」
「本当?お世辞は言わなくてもいいんだよ?」
「本当だって!やっぱり食堂の孫だよ!朝食というのをよく分かってらっしゃる!」
「ありがとう、全部みんなのおかげだよ。こんなんで喜んでもらえると私も嬉しい…」
ご機嫌でバクバク食べる祐司を顔を赤くして照れながら隣で味噌汁を飲み込む友喜、そして2人の前で2人を交互にジロジロ見つめる葵。
この2人…いつの間にこんなに仲良くなった?新婚夫婦みたいに見える。
それにこの朝食を「こんなん」とか言われたら、そんなのもう卑怯でしょ?強すぎるでしょ、食堂の孫。圧倒的スペック差で白旗を挙げざるを得ないでしょ。
こんなの出されたら私の作っていた料理って『犬の餌』じゃない…。
知らないうちに精神的にボコボコにされた葵は何だか泣きそうになっていた。
「あれ?葵。どうしたの?」
「友喜…。何で私の家で食事を作っているの?」
葵は無理矢理話を最初に戻した。
「祐司から話を聞いて、ちょっとでも助けになれたらなあって思って。家も近いんだし、合い鍵ももらったし。葵も部活動と家事の両立は大変でしょ?私は帰宅部だから手伝いに来ようと思って」
合い鍵!?いつの間に祐司の奴、友喜に鍵を渡していたの!?
まさか、二人はもう付き合っていたりして…。こんなこの世の掃きだめにいそうなオタクのどこがいいんだ!?あなたにはもっと良い男がたくさんいるでしょ!?
葵は目の前で起きている状況が理解できず、ただ白米を口に放り込み続けた。
「そうだ、葵。お前も気をつけろよ?」
「……何?いきなり」
祐司がご飯を置くと真剣な顔で葵に話しかけてきた。
「あまり携帯電話とかTVを見るのは控えろよ?いつ、ライナー波が放射されるか分からないんだからな。リベリオスの奴らもいつ攻撃をしかけてくるか分からない」
「何言っているの、寝言?頼むから日本語を喋って」
葵はまともに話したら脳がおかしくなると思い、瞬間的に祐司の言葉を打ち落とした。
「具合が悪くなったらすぐ俺かたっくんに電話しろよ?できれば部活動の連中にも知らせてくれ。体がおかしくなったら、すぐに周りの奴が助けを呼ぶようにって」
「頭のおかしな奴なら目の前にいるじゃない。今、電話して良い?」
葵はさすがにキレそうになっていた。この前からこんな妄想話を朝から晩まで喋られている。祐司だけではなく、拓磨にも。あいつだけはオタクじゃないと信じていたのに。もはや我慢の限界である。
「葵。祐司の言っていることは本当だよ?できるだけ携帯電話は使わないで。話すときは直接話さないと大変なことになるから」
「あんたまで一体何言っちゃっているの!?」
周囲の友人がオタクに変貌していく様子に耐えきれなくなり葵は叫んでしまった。
葵はそのまま勢いよく、友喜の用意した食事を平らげていく。祐司と友喜は声をかけようとしたが、凄まじい剣幕で睨みつけてくるため声をかけようにも出せずにいた。
「ごちそうさま!二人とも、学校に遅れないようにね!」
「おい、葵!」
「行ってきます!!」
祐司の言葉を強引に断ち切り、ドアを飛び出していく。
2階に一気に駆け上がり、自分の部屋で鞄を取るとそのまま階段を駆け下り逃げ出すように家の外へと飛び出していく。
最高の一日が始まると思ったのに、気分はすでに最低だ。周りの状況が変わりすぎていて頭が理解できない。拓磨や祐司の騒ぎが起きてから、これからマシになるだろうと思ったがますます悪くなってしまっている。一体何をどうすれば元の生活に戻れるのだろうか?
リベリオスやライナー波を知らない葵にとって、友人の突然の変化は驚くことしかできなかった。どうにかしたいと思っても案が浮かばない、そんなもどかしい気持ちと共に葵の一日は始まってしまったのである。

同日 稲歌町東地区 不動ベイカリー前 午前7時25分
不動拓磨はパン屋『不動ベイカリー』の中でパンを並べていた。店の奥から叔父、不動信治の焼き上げたパンを熱々の鉄板のまま、店内に運びプラスチックのトレイボードの上に並べるのである。並べ終わると、再び店奥に戻り新たな鉄板を持ってくる。ひたすらこの作業の繰り返しである。
「拓磨、良いわよ!すごい仕事してる!」
レジカウンターでサラリーマンや大学生の購入したパンの精算をしている叔母、不動喜美子は嬉々として賛辞を飛ばしていた。
4月終わりにリベリオスの事を聞かされ、息子が今とてつもない渦中に身を置いていることを知った二人は自分たちの今後の方針について話し合うことにした。
血は繋がっていないが我が子のように育ててきた拓磨に対して、どのように接するかである。結論はすぐに出た。
『いつものように扱う』である。
別の世界で命を賭けた死闘をしているなら、せめて日常は普段通りの生活を送らせてやろう。この日常にいつでも帰ってこれるようにしてやる。戦いの世界を日常にしてはいけない、拓磨の日常は稲歌町での高校生活なのだ。
育ての親、二人は決意を固めありのままの彼を受け止め高校生活を過ごして貰おうと今日も彼を暖かく見守っている。
「なあ、喜美子さん。1つ聞いて良いかい?」
「ん?何?」
レジの前で10人ほどの客が一斉に忙しく動いている拓磨に目を向けながら眺めている中、買い物を終えた常連客のサラリーマンがスーツ姿でパンの入ったレジ袋を受け取ると喜美子に尋ねてきた。
「あれ、拓磨君だよね?」
「そうよ。あんな図体のデカイ男、この家には1人しかいないでしょ?」
喜美子はさらりと答えると、次の客の精算を始める。
「……何でお面付けているの?」
今日の拓磨はひと味違った。近所の幼稚園児が劇で使ったピンク色の毛並みをしたウサギのお面を着用しているのだ。大木のような豪腕をした筋骨隆々の大男が無言のまま、エプロンを着用し店内と店奥を耐熱手袋を着用して鉄板を運び往復している。何かの罰ゲームのような光景にお客全員は混乱していた。
「ああ、決まっているでしょ?顔が怖いからよ。主婦層や子供客にウケるためにはあの顔はちょっとキツいのよ。本人は整形手術は嫌だって言うから、妥協案でお面をかぶることになったの。おかげで子ども人気は上々。商売繁盛よ。オホホホ!」
喜美子は小さくガッシリした丸い体を笑いで揺らし、朝から非常に上機嫌だった。
「…不気味じゃない?何か頭のネジが飛んだ人みたいだよ?」
サラリーマンは忠告した。映画に出てきそうな猟奇的殺人犯みたいな雰囲気である。警察に通報されても仕方ないと思えるような異常具合である。
「元々頭のネジが飛んでいるから心配するだけ損よ。また、買いに来てね~!元気でいってらっしゃい!」
血も涙も無い返答がサラリーマンの忠告を打ち砕いた。サラリーマンは苦笑するとそのままレジ袋と共に不動ベイカリーの外へと追いやられた。
5分後、素早い客対応で喜美子は最後の客を不動ベイカリーから笑顔と共に送り出すと店の中で直立不動で立っているガタイの良いウサギのゴツい手を掴むと感激の声を漏らして上下に振った。
「拓磨!叔母さん、嬉しいわ!あなたがこんなに商売で役に立つ日が来るなんて!見なさい、今日の朝の売り上げを!今年に入って最高の売れ行きよ!さすがは私の息子、良くやったわ!」
「喜美子、君の前世は悪魔か?」
白いコック帽子をかぶった細い体を持つ叔父の信治が店の奥から妻に対してぼそっとツッコミを入れるが、喜美子の耳には入らなかった。
「さあ、拓磨!学校へ行きなさい!町の平和を守りに行くのよ!」
喜美子は拓磨に学生鞄を握らせると、そのまま背中を押して光り溢れる空に晴天輝く道路へと飛び出させる。
「きゃあああああ!!」
ウサギはゆっくりと声の方を向いた。見ると、学生服姿の葵が店に入ろうとしてきたようでウサギの面をかぶった大男の登場に腰を抜かして道路の中央にへたりこんでしまう。
同時に鳴る甲高い車のクラクション。左方向から青い車体、セダンが倒れ込んだ葵に向かって避けるように連続して警音を鳴らした。葵は車に気づいたがすでに車体は2メートル程前に迫り、避けることは不可能だった。葵は轢かれることを覚悟した。
だが、ウサギにとっては可能だった。ウサギは瞬間的に葵の腕を掴み、引っ張る。あまりの怪力に座り込んでいた葵の体が宙に浮く。宙へと浮かんだ葵は何が何だか分からないままウサギの右脇に飛び込む。ウサギは右腕を瞬時に引き、勢いを殺して葵の腹部分を受け止めていた。
間一髪で車がウサギの前を横切る。だが車は通り過ぎることなく、停止すると運転席から柄の悪そうな灰色パーカー姿の男が詰め寄ってくる。地面に顔をぶつけたように赤く擦り剥かれた部分が目立つ。
「どこ見て歩いているんだ!?」
「ご、ごめんなさい!あの…」
葵が慌てて頭を下げるが、擦り傷だらけの男は詰め寄ってくる。よく見ると葵よりも背が低かった。170センチメートルくらいだろうか?だが、勢いのせいで葵は劣勢に立たされてしまう。
「俺の車に傷ついたらどうするんだ!?弁償物だぞ!?てめえに弁償できるのか!?風俗で働く覚悟はできているんだろうな!?」
「学生が風俗店で働くことは法律で禁止されていると思いますが?」
目の前の巨体のウサギが葵の手を引っ張り、自分の背中に隠すと盾となって話し始めた。
「はあ!?お前、変態か!?でかい図体をして人の顔も直視できないのかよ!?」
「営業時間中なので。これは衣装みたいなものです」
ウサギは冷たく淡々と答えた。信治や喜美子はチンピラよりも拓磨の方が得体の知れぬ不気味さを増していることに気が付いた。二人の間の空気は明らかにウサギが支配し始めていた。
「そんな気持ち悪い面を取れ!その女を庇うんだったら土下座して修理代よこせ!!」
「……取って良いんですか?このお面」
ウサギはパーカー男に確認した。
まるで死刑受諾の確認のように信治と喜美子は受け取れた。
チンピラ…お願いだから早く消えなさい。そのウサギはあんたじゃ相手にならない…。
「いいから取れや!!」
二人の願いも空しくチンピラは目障りなウサギのお面を手で払った。ウサギの面は宙を舞い、地面に軽い音と共に着地した。
お面の中から鋭い眼光、野獣の体毛のようなボサボサの髪の毛、彫りの深い顔立ち、どう見てもまともな人生を歩いてきたとは思えない極悪人が男を見下ろしていた。
男は心臓を止められたように一瞬全身を痙攣させ拓磨の面を硬直したまま直視する。男は視線を外そうとしたが、拓磨の目がそれを許さなかった。獲物を前に食らうのを楽しみに待つ肉食獣のように男の眼中を視線で貫いている。
「土下座はした方が良いでしょうか?」
「あ……が……は……あ…」
もはや会話が成立していなかった。恐怖が男の体内を支配し、あらゆる言語機能を使用不能に陥っていた。
「先ほどはこちらが全面的に悪いと思います。申し訳ありませんでした。しかし、こちらも商売人の身でしてあまり事を荒立てたくないのが実情です。慰謝料の件ですがどうもお車の方には傷は見当たらないのでどうか勘弁願えませんでしょうか?謝罪が足りなければ土下座でも何でもいたしますが?いかがいたしましょう?」
「な、何だよ!?この町は!?化け物しかいないんかよ!!」
拓磨が話を進めている最中、男は顔を恐怖で強ばらせヒステリー気味に声を挙げると足を絡ませながら車の方に走っていき勢いよくエンジンを吹かせ、逃走する。
「……やっぱり俺に接客は向いてねえな」
拓磨は逃げていく車の後部を見つめながら残念そうに呟く。すると、背後から信治と喜美子が拍手喝采で我が子を祝福する。
「素晴らしいぞ、拓磨!よく暴力を使わずにあの場を納めた!日に日に成長しているお前に私は感無量だ!」
「おまけに葵ちゃんも助けたし、途中までは接客も上手くいっていたわよ!良いわね、お面作戦!明日は『リス』のお面よ!」
整形手術の件は無くなりそうだがこれからは変態として生きることになるのか。いつになったら、素顔のままのびのびと生きていけるのだろう?
拓磨は先行き暗い自分の人生に不安しか感じていなかった。
「…大丈夫か、葵」
「う…うん。ありがとう…その…庇ってくれて」
葵は恐怖のせいか若干震えていたが、顔を赤くしてすまなそうに頭を下げ謝った。
「元々、こっちが脅かしたのが悪いんだ。巻き込んですまなかったな。それで、今日は何のパンを買うんだ?メロンパン?」
「ちょ…チョコチップメロンパン」
「はいは~い!今日は私の機嫌が良いからサービスしちゃう!普通のメロンパンもおまけよ!ガンガン食べなさい葵ちゃん!痩せようとするんじゃなくて筋肉を付けて、代謝を上げるのよ!だから、部活動頑張りなさい!」
叔母は風のように不動ベイカリーに駆け込むとメロンパンとチョコチップメロンパンの入ったビニール袋を渡す。
「ありがとうございます…。それじゃ、本当にありがとうね。拓磨」
「朝練、頑張ってこい。さっきみたいのがいるから車には気をつけろ?」
葵は3人にお礼を言うと、髪を風になびかせ太陽を背にアスファルトを力強く蹴り上げ走り去っていく。
「しかし…朝から絡まれるとは葵もついてねえな」
「相良組が無くなったせいで彼らに抑圧されていた不良グループが最近台頭してきたみたいだ」
信治が顔をしかめて拓磨に説明する。
「不良グループか。リベリオスのこともあるから、注意しておいた方が良いかもしれないな。また、そいつらを洗脳などで利用して何かしでかすかもしれない」
「彼らは稲歌町の西地区で勢力を拡大していたみたいだからね。東地区は相良組のおかげで何とか被害は防げていたってわけだ。勢いがある分、ある意味ヤクザより厄介かもしれない。十分気をつけるんだよ?拓磨」
「分かった、叔父さん」
信治は地面に落ちたウサギのお面を拾うと喜美子と一緒に意気揚々と不動ベーカリーへと戻っていく。すぐに移動販売や学校の購買のための準備に入るのである。
彼らを見送り拓磨は渡里家の玄関チャイムに手をかけようとしたとき、すぐに玄関が開き制服姿の祐司と友喜が渡里家から出てくる。
友喜?何で祐司の家から出てくるんだ?
拓磨の疑問もそっちのけで祐司が笑みも満面で現れる。
「やあ、たっくん!今日も実にたっくんだ!俺は嬉しいよ、うんうん!」
人間は喜びが頂点に達したとき、興奮のためか我慢できなくなりはしゃぎ回るようだが、本日の祐司はまさにそれである。意味の分からない朝の挨拶と共に大手を振りながら拓磨の前に現れる。
「おはよう、不動君」
「おはよう。何で友喜が祐司の家から出てくるんだ。まさか泊まったのか?」
友喜と挨拶を交わすと拓磨は早速尋ねる。
「違う違う。葵は部活動も部長で頑張っているし、祐司の世話もしないといけないし、色々大変でしょ?私、早起き得意だから朝ご飯ぐらい2人に作って上げようと思ったらどうもうまくいかなくて…」
なるほど、そういうことか。つまり、葵の面目丸つぶれということだ。
「おまけにリベリオスのこともちっとも聞こうとしないし、どうしようもない奴だ!」
「それはお前の説明が悪いからじゃないのか、祐司?異世界の話なんて信じる方が少ないんだ。直接体験でもしない限りは空想話で終わるだろうな」
拓磨は笑いながら、祐司に釘を刺す。
「友喜も少し頑張りすぎたかもしれないな」
「えっ?何かダメだった?料理のラインナップがまずかった?」
「そうじゃない。葵は葵なりに部活動と家事を両立して今までやってきたんだ。それをいきなり友喜がやってきてあいつから料理を取り上げたんじゃ、葵の顔が立たないだろ?『今まで自分がやってきたことは何だったんだ』って落ち込むとは思わないか?」
拓磨の意見に友喜ははっと気づく。
「ああ…そっか…。私、やり過ぎちゃったんだね。悪い事しちゃったなあ…もうやらない方が良いのかな?」
友喜は花が閉じるように落ち込んでしまい、悩んでしまっていた。拓磨はしばらく考えると、祐司の方を向く。
「祐司、友喜の料理は美味かったか?」
「美味い。今まで食べたことが無いほど、絶妙な味加減。文句の付けようのない一級品。ミスターパーフェクト。さすがは食堂の孫娘。毎日食べたい味だった」
ズラズラと満点の評価を並べる祐司の言葉を受け、拓磨は友喜に声をかけた。
「友喜が葵にレシピを教えてやったり、料理を手伝ったらどうだ?友喜が全部をやるんじゃなくて、葵にやらせて友喜はそれを補助するくらいが良いのかもしれないな。それなら葵も料理技術を磨けるし、友喜は葵の助けになる。おまけに祐司は美味いメシが味わえる。誰もが得できる結果になるんじゃないか?」
「おおっ!?良いこと言うね、不動君!分かった、これからは私が葵の支えになるよ。ちょっと用事があるから先に行ってるね!」
拓磨の意見を承認し、友喜は元気よく鞄を振り回しながら葵の後を追って駆けだしていった。
「すごいね、たっくん。仙人スキルがさらに向上しているね。いつかは雲を食べて生活していけるかもね。最終的に富士の樹海の中で生活するのかな?」
「アホなことを言うな。そんな生活まっぴら御免だ。それより、この前の買い物はどうだった?」
拓磨は祐司だけに聞こえるように小さく尋ねた。
「いやあ喜んでくれたよ。ちょっと泣きかけてたね。髪飾りを買ったときは『まさか、祐司がそんな気が利く奴だったなんて』って。すごい複雑な気分だけど…まだまだ元通りとはいかないと思う。でも、とりあえず友達関係に戻れて良かったよ」
「戻る必要なんかないだろ?関係を進める方が簡単かもしれないぞ?」
「そうはいかないよ。前に付き合っていた山中さんのこともあるし、リベリオスのこともある。あれだけの体験をしたんだ。気持ちを切り替えるのは難しいと思うからじっくり話をして支えていこうと思うんだ」
現実の恋愛については非常に紳士的な祐司だった。こいつも前回の1件で1回り成長したようだ。もう助ける必要はないな。これからは俺が助けられる番なのかもしれない。
隣を歩く少しばかり大きくなった風に見える祐司を見下ろしながら感慨深げに拓磨は考えていた。
「それはそうとスレイドさんはどうした?さっきからずっと黙ったままだが」
「そういうたっくんだって、ゼロアはどうしたの?」
お互い携帯電話の中にいる惑星フォインの宇宙人、ゼロアとスレイドについて尋ねた。
彼ら不在には理由があった。
実は前回の戦い後、ちょっとした作戦が両者で行われていたのだ。

4月末日 稲歌町東地区 渡里家 祐司の部屋 午後5時40分
日も暮れ始め、夕日がオレンジ色のカーテンのように壁を隠した部屋に姿の祐司が入ってきた。
今日を簡単に説明するなら『説教を受ける日』であった。相変わらず朝から葵の説教が始まり、学校では担任の南先生の説教。ようやく解放されて家にたどり着いたのだ。
まあ、ズル休みしたことは事実なので自業自得なのだが、連続で耳に怒鳴りつけられるとさすがに堪える。
「祐司殿、折り入ってお話したいことがあります」
帰宅した祐司に胸ポケットのスレイドが話しかけた。
「ん?何だい、スレイドさん」
祐司は疲れたように鞄を床に放り投げると、撮りだめをしておいたアニメを見るためにTVのリモコンに触れる。
「実は祐司殿に修行していただくようにお願いしたいのです」
「…へっ?『修行』?急に何?」
今まで生活してきて馴染みの無い言葉が頭を駆け巡る。
祐司は胸ポケットからスマートフォンを取り出し、床の上に置くと液晶画面をのぞき込む。そこには赤い髪を1つに束ねたハンサムな顔立ち、時代劇で出てくる武士が着る作務衣の姿をした青年がこちらをのぞき込んでいた。作務衣は黒色で、襟元が赤くなっていた。前回の戦いで着ていた囚人服は捨てたようだ。
「ウェブライナーについて、いくつかゼロア殿から報告がありました。それで修行の必要性を感じて提案した次第です」
祐司は顔をしかめてしまった。
すごい嫌な予感する。ゼロアが関わるとロクなことが起こらない。
祐司はゼロアが苦手だった。どうも、あの男とは馬が合わないというか…気が合わないというか…相性がとても悪い気がする。
同じフォイン星人でもスレイドさんとは『月とすっぽん』、なぜこうも違うのだろうか?  ウェブスペースでのエア・ライナーの1件からゼロアに対して感じていた違和感が不快感となって祐司の中で暴れていた。
「何で修行をしなければいけないんですか?」
「ウェブライナーの動かし方についてはすでに知っていますよね?あのロボットは操縦者の意思を反映して動きます」
「知ってますよ。椅子に座って目の前の球体と床に手と足を置けば、思うとおりに動きましたからね」
実際に動かしてみた祐司はスラスラと答えた。
「この前変化した黒いウェブライナー。『カオスフォーム』でしたか?あれは私の剣術と祐司殿のライナー波に対する適合力が反映された強力な姿です。つまり、あの姿は私と祐司殿が協力して初めて真価を発揮する。そのようにゼロア殿と結論づけました」
スレイドの説明を聞いていると、祐司の頭の中に閃きが走った。彼の言いたいことが何となく分かったのだ。
「もしかして…俺が頑張って動けるようになればウェブライナーはもっと強くなるってこと?」
「その通りです。それに危険はウェブスペースだけではありません。現実世界でもいつ巻き込まれるか分からない状況です。そうした状況を切り抜けるすべを身につけると言うことは決して無駄では無いかと思います」
なるほど、ようやく修行の意味が分かってきた。
俺が強くなれば、ウェブライナーも今より動けるようになって強くなる。おまけにそれは現実世界でも役に立つ。いつ、化け物に襲われるか分からないのだ。都合が良いときにたっくんがいるわけじゃないし、俺も自分で自分の身を守らなきゃいけないってことか。ましてや友喜はリベリオスに狙われたばっかりだ。俺が頑張らずにどうするんだ?
気分が高揚としてきた祐司だったが、不意にある事実に気づき空気が抜けるように気分が萎え始める。
「あ~……でもな~」
「どうしました?」
「スレイドさん。気持ちは嬉しいんだけど、俺どうしてもたっくんみたいになれる気がしないんだよね。たっくんみたいに怪物相手に一歩も引かず叩きのめす俺なんて……とてもじゃないけど想像できないよ」
危機を回避するということは、ライナー波で変化した化け物と戦うということだ。俺みたいな線の細い棒きれみたいなオタクが強くなるなんてどう補正をつけても無理だ。
「祐司殿、誰があなたに『戦え』などと言いましたか?」
「へっ?」
祐司は奇妙な生き物を見るようなスレイドの視線にすっとんきょうな声を上げた。
「はっきり言いましょう。あなたを拓磨殿のようにするなんて、どんな凄腕の師でも不可能です。希望を通り越して妄想にもほどがあります」
ここまで言われるとなんか清々しいな…。
納得の事実だったので、苛立ちは感じず満足感を感じてしまう祐司だった。
「私があなたに教えたいことは『何としてでも危険な状況を回避する』ということ。すなわち…『逃げる』ことです」
「……はっ?『逃げる』?戦うんじゃなくて逃げること?でも、逃げたら相手に勝てないじゃないですか?」
「なぜ勝つ必要があるんですか?危険を回避するのは敵を叩きのめすことだけではありません。状況を把握し、最適な逃走をする。自分を含め、周りに被害を出さないことが最高の利益なのです。もちろん、最終的には相手を倒す必要もあるかもしれません。けど、それは拓磨殿に任せれば良いではありませんか?」
スレイドの言葉に祐司は言葉を返すことはできなかった。
「リベリオスがいつ攻めてくるか分からない現状では時間は非常に貴重です。本当ならばあなたにも戦闘術を教えたいところですが、ここはそれを捨てあなたの長所を活かして伸ばす方法を選択します。短所を埋めるのではなく、短所の意味が無くなるほど長所を限りなく伸ばす。いかがでしょうか?」
「き、聞いたことも無いような理論なんだけど…本当に大丈夫?」
「もちろんです!それにあなたは逃げるのが大の得意だと拓磨殿から聞きました。きっと上手くいきますよ」
なぜだろう?褒められているのにあまり嬉しくない…。
聞けば聞くほど、落ち込んでしまった祐司をスレイドは嬉々として称えていた。
「要するにスレイドさんが俺を鍛えてくれるってことでいいのかな?たっくんの千分の一くらいの強さしかないただのオタクですが、みんなの足は引っ張らないようにしたいのでよろしくお願いします」
祐司は正座をすると、スマートフォンに向って両手を着き頭をカーペットに叩きつけた。絵に描いたような『土下座』である。
「いやいや、そんなかしこまらないで下さい。実は私も祐司殿に1つお願いがあるんで」
「『お願い』?一体何ですか?」
「この前、カオスフォームに姿を変えるときにウェブライナーは変なポーズを取りましたよね?」
祐司は土下座の姿勢のまま、顔だけ上げてスマートフォンを見つめたまま硬直した。不意を突かれた質問だったのですぐには返答できなかった。
「ええ…しましたね、ポーズ。俺も無我夢中でやったんで100点とは言えない出来だったんですけど」
「あれは…一体何なんですか?武術の1つですか?それとも舞のようなものでしょうか?惑星フォインで数多くの相手と手合わせをしてきましたが、名乗りを上げてポーズを取る者は1人としていませんでした」
祐司は苦笑いしながら頭を掻きむしった。非常に返答に困る質問だったのだ。
「そりゃそうでしょうね…。あれは、日本で独自に進化してきた『特撮』という人類の至宝の根幹を担う動作ですからね。あれをやるのはある意味『選ばれし者』と言えるでしょう。おもちゃメーカー的にも、テレビ番組的にも」
自分の中のオタクの本能にスイッチが入った。盛りに盛った誇大解釈をスマートフォンに向けてベラベラと祐司は語り出す。
「『選ばれし者』?何か壮大な響きを感じますね」
腕を組みながら祐司の誇らしげに語る姿を見て、スレイドは『あのポーズは何か崇高な目的を持った者にのみ許される神聖な儀式』というふうに解釈をした。当然、そんな風に納得したから話を聞きたくもなる。スレイドは興味津々で真剣に祐司を見つめた。
「ところで、何で急にポーズについて質問を?」
「実はですね、ゼロア殿曰くカオスフォームになるにはあのポーズをしなければ姿を変えられないと聞きまして」
「………え?あの『装身ポーズ』をずっとしなきゃいけないの!?」
酔いが醒めたように祐司はスレイドに聞き返す。
「ええ。前回の戦いの時、祐司殿と私のデータをウェブライナーが取り込んだときにそのようにプログラムされたようで。ゼロア殿は躍起になってプログラムを変更しようとしているのですが、どうやら『のれんに腕押し』状態で…。ついには諦めたようです」
あののっぺらぼうは一体何を考えているんだろうか?
巨大ロボットが変身ポーズ?アニメじゃあり得ないことじゃないが、いくら何でも現実では非効率的だ。特撮などではポーズを取るのは言わば『お約束』として成立しているからあんな芸当が可能なのだ。
『ポーズに意味はあるのか?』と問われれば『格好良いから』、『お約束』と言う答えが一般的だ。現実的な人が言えば、間違いなく無駄と言われるだろう。
「ううむ…そんな問題が発生したのか。これは対策をする必要があるなあ…」
「あのポーズを作ったのは祐司殿ですよね?ですから、祐司殿にご教授願おうと」
「えっ?ご教授ってあのポーズを?まさか…スレイドさんもやるんですか!?」
驚きの連続で錯乱状態の祐司を笑いながらスレイドが追い詰めていった。
「ゼロア殿曰くカオスフォームは私と祐司殿、どちらが欠けてもいけないようです。祐司殿はこれから体を動かす修行を行う。私は祐司殿から『装身ポーズ』を含め、あなたの経験や知識を学ぶ。お互いに師となり生徒となり腕を磨いていけば必ずカオスフォームは強力な力になるはずです」
オタクの経験や知識を学んでもロクなことにならないと思うんだが…。
祐司は必死に頭を回転させていた。
予想外の事態になってしまった、どうやら修行だけではなくスレイドさんに教えなければならないらしい。俺の今までの経験や知識をスレイドさんに教える、でも一体何を教えれば良いのだ?
考えれば考える程、果てしなく困難な事態であることがよく分かる。すでに祐司の頭はオーバーヒートを起こしていた。しかし、そんな彼を救ったのは小さいときからの友人だった。
いや、ここはたっくんのように冷静になるんだ。彼はどれだけ不良に囲まれようと冷静に対処し、いつも切り抜けてきた。問題をできるだけ簡単に考えろ!

要するに、俺の経験や知識を教えてスレイドさんを特撮オタクにすれば良いのだろう?

祐司は簡潔にしすぎて歪んだ考えになったことに気づかないまま、目の前のスマートフォンの侍を見下ろした。
「スレイドさん、無礼を承知で言います。いきなりポーズを教えるというのは無理です」
「な、なぜですか!?たかがポーズでは?」
「今『たかがポーズ』と言いましたか?その『たかがポーズ』に一体どれほどの人の願いが想いが込められているかご存じでしょうか?人はあのポーズを見ることで安堵と希望を見いだし、悪逆を為そうとする者は恐れと緊張を抱きます。装身ポーズというのは人々のために自らの闘志を奮い立て、相手の戦意を一瞬で喪失させるほどの絶対的な儀礼なのですよ。それを『たかがポーズ』とは口が裂けても言ってはいけませんよ!!」
祐司は目をカッと見開くとスレイドを一瞬で黙らせた。その気迫は尋常では無く、スレイドは殺意のような感覚を感じてしまった。
場の空気はたった一言で祐司の制圧下に置かれた。
「も、申し訳ありませんでした。あのポーズにまさかそれほどの意味があるとは…」
祐司は黙ったまま立ち上がると部屋の半分を占めるDVDが大量に収納された移動式収納棚を探り始めた。
「しかし、リベリオスはいつ襲ってくるか分かりません。ですから、スレイドさんには2つ課題を出します。1つはポーズの練習、これは俺がマンツーマンで行います。一瞬のブレも許しません、極限のキレを追い求め、一切の妥協はしません」
「な…何だか分かりませんが了解しました。もう1つの課題は?」
床に置かれたスマートフォンが動き出すと奥で音を立てながら棚をいじくる祐司を見つめる。
祐司はふと手を止めると10巻ほど束になった黒いケースを持ってくる。ケースは相当触れた痕跡があり、角はボロボロに欠け、至る所の塗装がはげていた。
「俺が学校にいて修行の相手をできないときはご自身の修行以外にこれを義務とします。休憩の時は必ず1本見ること。途中退席は不可です」
祐司は黒いケースをスマートフォンの目の前に見せつける。
「そ、それは?」
「変身ポーズを取る人々がどのような葛藤や想いを胸に戦い続けたのか、それを知ってこそポーズは真の意味を持つのです。『DVD鑑賞』、これから寝る時間は無いものと思って下さい」
祐司はニヤリと笑い、その不気味さのせいでスレイドの顔より笑みが消える。
その日から祐司にとっては修行、スレイドにとっては地獄の日々が始まったのだった。

4月末日 ウェブスペース 午後5時00分
どこまでも白い砂の大地と青い空が続く光の世界、ウェブスペース。太陽が見当たらないのに光に満ちたその世界は今日は静寂を帯びていた。
つい最近、ここで巨大なロボット同士が戦闘を繰り広げた痕は微塵も感じない。何事も無かったように風がどこからともなく吹き、戦いの痕跡を撫で消し始めていた。
そんな砂の上に巨大な白い巨人が立ち尽くしていた。
全長は100キロメートルを超え、中世の騎士の姿と酷似したその姿、電脳将ウェブライナーは仁王立ちをしながら遙か地平線の彼方を見つめていた。
その足元にはハンググライダーが2台設置されており、その隣ではアリの頭をかぶったような人型生物が4体程で小さな円を作っている。
その中心に紫色のラインが刻まれた黒いコートを着こなす拓磨が周囲を見渡し、腰を落としていつ動き出しても良いように構えている。
10秒程保った沈黙と静寂、それは1体のアリの突進によって打ち破られた。
2体のアリが拓磨の正面から、背後から2体が拓磨目がけて襲ってくる。
拓磨は力強く地面を蹴り出し、右側のアリに向かって2メートルほど跳躍すると巨大なアリの頭めがけて飛び蹴りを浴びせ、勢いそのままにアリの頭を踏みつける。踏まれたアリは気絶したかのように動かなくなる。
すぐに左側からアリの右ストレートが飛んでくるが、拓磨は体を右側に素早くずらし、そのまま相手の右腕をひねりあげる。相手は突然加わった力で回転しながらバランスを崩して地面に倒れる。
拓磨は素早く背後に回るとアリの背中を蹴り、地面に倒す。相手の右腕を背後に回して動けなくさせ、頭の方に向かって無理矢理腕を曲げ右腕を破壊する。最後に後頭部からアリの頭を踏みつけ動けなくさせた。
背後から来た2体のアリは同時に拳と足蹴りの連続攻撃を絶え間なく拓磨に放ってきた。彼に攻撃のチャンスを与えないつもりであった。
拓磨は背後に後退しながら左右から襲いかかるアリの攻撃を打ち落とすように払い続け防戦を続ける。だが、そんなアリの攻勢も5秒と続かなかった。
一瞬の隙を見て拓磨を自分の左肘で左側にいるアリの右拳を受け止め、鈍い音と共に砕く。右側のアリに対しては左足の蹴りを拓磨は右腕で受け止め、体を支えていたアリの右膝目がけて前蹴りを叩きつけ、木の枝が折れるような音と共に膝を破壊した。
攻勢をそがれたアリは一瞬ひるむ。それを機に拓磨は反撃を開始した。
右側のアリの胸に2発平手突きを素早くたたき込み、間髪入れずアリの頭を掴みながら遠心力に身を任せアリの背後に移動。アリの頭を両腕で掴み、そのまま背負い投げをするように一気にアリの頭に一気に体重をかける。頭の首元から鈍い音が聞こえる。頭が本来とは逆方向に曲がったせいで首の骨が折れたのだ。そのままアリは力なく地面に倒れる。
もう一体のアリは気を取り直して攻撃を仕掛けようとしたが、形勢は圧倒的に不利だった。拓磨はアリの左肩、右肩を箸を割るように手刀で素早く破壊。そのまま、右膝と左膝をリズム良く砕いてその場にアリを座らせると素早く左回転をして勢いをつけアリの頭に右かかと落とし。地面にアリの頭をめり込ませた。
所要時間約30秒。アリ4体は無残に動かぬ身となった。
「畜生おおおおおおおお!!!!!」
拓磨の戦いが終了したとき、ウェブライナーの中から反響した怒号が響き渡ってくる。
すると、突然光がウェブライナーの左足から飛び出し地面に降り立つと中から白衣を着た紫色の髪をした青年が手に持っていたスパナを地面に向かって叩きつけ、回転しながら倒れこみ砂の上に仰向けに寝転ぶ。
「やってられるかああ!!こんな作業おおお!!」
拓磨はため息を吐きながら、アリを無視して砂を踏みしめ若者の側まで近づいていく。
「作業は難航か?ゼロ」
「こんな意味の分からないロボット、関わるだけ時間の無駄だ!何なんだよ、一体!?前よりおかしくなってる!」
ゼロと呼ばれた、地面でじたばた暴れながらヒステリーを起こしているこの青年はゼロアという。今まで拓磨と協力しながらリベリオスと戦ってきたフォインという惑星から来た宇宙人だ。
前回の戦いで新たな進化を果たしたウェブライナー。どのような機能が加わったのか解明すべく、この前の戦いから調査をし続けること丸3日。調べれば調べるほど頭がこんがらがるようで、何もかもが嫌になって駄々をこね始めた今現在である。
「具体的にどんな変化があったか、教えてくれないか?」
拓磨の問いにゼロアはポケットから掌に載るサイズの小さな銀色のボールを取り出すと拓磨に投げつける。拓磨はそれを受け取ると掌の上に置く。すると、ボールから光が放たれ空中に文章が現れた。
『ウェブライナー・カオスフォーム性能まとめ』
以下、白いウェブライナーと対比した記録。
デメリット。
装甲による物理的防御性能10分の1まで減少。つまり、もの凄く打たれ弱い。
ハルバードなどの一切の武器使用不能。ライナービームが使えないことにより、遠距離攻撃には打つ手が無い。
物理攻撃、3分の1まで破壊力減少。パンチやキックを使った格闘戦には不向き。特に大人数相手の戦いは何も使わなければ苦戦必至。

メリット。
回復技能に優れている。外的損傷は特殊装甲のためライナーエネルギーを体に取り込むことで一瞬で修復可能。
回避技能に優れている。敏捷性、機動性が2倍以上向上し攻撃を今まで以上に避けやすくなった。
回復技能の関係もありエネルギー攻撃に対し異常なまでに強い。エネルギーは全て吸収。余剰エネルギーが生まれれば衝撃波として周りに放出。
回復道具『カオス・トランサー(連結変換針)』。黒い針と赤い針を体内で生成したカオスフォーム唯一の道具。刺したものにエネルギーを送り込む機能と刺したものからエネルギーを抜き取る機能がある。黒い針と赤い針にそれぞれ上記の機能があるのだが、どちらの針にどの機能を持たせるのかは搭乗者の意思で自由に選択可能。両方の針が同じ機能を持つことは不可能。簡単に言えば、すごく巨大な注射器のようなもの。
2本の針を繋げるとそれぞれの機能が失われ、『刺したものをライナーエネルギーに変換する』という機能が生まれる。100キロメートル級のロボットであれば10秒ほど刺せばエネルギー化が完了。引き抜くことで一気に構造が崩壊、ウェブスペースの一部となる。

以下、ゼロアのまとめメモ。
前回の戦いでロボットに針を突き刺したが、どうやらあれは間違った使い方の模様。本来は針を使って大気中からエネルギーを吸収して、自分の体に刺すことにより回復するのが正しい使い方。それだけではどうしてもエネルギーが足りない場合は連結して地面に突き刺し、ライナーエネルギーを生み出してそれを利用する。
あくまで回復道具であり、戦闘用に使われることは一切想定していなかった模様。カオス・トランサーが一目では武器に見えないのもそのせいか?あれではまるで大きなチョコバーとイチゴバーである。
結論から言うと、カオスフォームはどうやら本当に回復しかできない模様。

拓磨は文章を読み終えると、見上げても足しか見えないウェブライナーを見つめた。前回の戦いで粉々に砕かれた装甲だったが、まるで新品同然のように神々しく白い輝きを放っている。
「なるほど。スレイドさんの剣術のおかげで回復道具はとんでもない殺戮兵器に生まれ変わってしまったわけだ。少々意図は違ったようだが、頼もしい力が増えて何よりだ。そう落ち込むこともないだろ?」
「それだけだったらどんなに良いか…」
ゼロアはすねたように体を横にして拓磨に背を向ける。
「まだ何かあるのか?」
「聞いてくれるかい、拓磨。カオスフォームというのは実にふざけていてね、いちいちポーズをしなきゃあの姿になれないんだ」
すると、空中のメッセージに新たな文が加わる。
『カオスフォームの意味不明な不可解要件』
①カオスフォームになるにはウェブライナーに渡里祐司とスレイドが搭乗後、2人が渡里祐司が考案したポーズを取る必要がある。
②ポーズを取らなければ絶対にカオスフォームにはなれない。
③ポーズは最初から最後まで通して行わねばならず、途中で中断された場合は最初から行う。
④ポーズのキレが良いほどカオスフォームの能力が向上。逆にキレが悪い、祐司とスレイドの間にポーズの不一致や乱れがある場合は能力の低下、最悪の場合はウェブライナー全体の機能停止まで陥る。

「おい、最後の文章は言い過ぎだろ?」
拓磨は文章を読みながらゼロアにツッコミを入れる。
「ウェブライナーのデータを調べたら出てきたんだ。間違いないよ」
ゼロアは夢であって欲しいとばかりに頭を砂に擦り、顔を両手で覆いながら顔を振る。
「祐司らしいと言えば祐司らしい能力だな。カオスフォームは特撮オタクのみが操れる姿という訳か。まあ、問題ないだろ?」
「問題大アリだ!こんなふざけた性能のロボットなんて聞いたこと無い!大体『ポーズのキレ』って何だい!?そもそも何でポーズが必要なんだい!?」
あっさりとした拓磨の感想にゼロアが食ってかかった。前代未聞のポーズを強制されるロボットの誕生に涼しい顔をして答える拓磨がどうにも我慢できなかったのである。
「祐司から聞いた話だが、特撮ヒーローのポーズには重要な意味があるらしい。元々特撮ヒーローの設定として『改造人間』というのが代表的だったようだ。その改造人間が姿を変えるための起動スイッチが変身ポーズだとさ。別に彼らは『格好良い』等の理由では無く、そうしないと敵と戦えないから大まじめでポーズを取っていたみたいだ」
「そんなオタクの知識をよく知っているね?」
濃い顔に似合わないオタク知識にゼロアは不気味さを感じてしまった。
「毎日アニメや特撮の話を聞かされてみろ?嫌でも覚える。だから、別に問題ないだろ?カオスフォームになるための起動スイッチができただけの話じゃないか?」
「ウェブライナーは改造人間じゃないぞ!『一応』ロボットだ!」
拓磨はゼロアの言葉に自分自身を無理矢理納得させるような意思を感じた。
とてもじゃないが、今のウェブライナーを素直にロボットとは呼べない。
もはや『生き物』である。
だからゼロアも困っているのだ。こちらの都合の良いようにシステムを書き換えることもできないし、意味の分からないシステムが導入されたらそれに従わなければならない。カオスフォームを理解するには特撮の常識を知らねばならず、ゼロアのやることはさらに増大する。リベリオス対策だけでも忙しいのにこれ以上負担が増えたら本気で倒れてしまいそうになる。しかし、彼の心と体は素直だった。おかげで科学者ではなかなか見られない今みたいな仕事放棄を実行したのである。
「ゼロ。カオスフォームについては祐司とスレイドに任せたら良いんじゃねえか?ウェブライナーの事はとりあえず置いておいたらどうだ?」
「科学者としては調整をしておきたいんだけど…もう諦めたよ」
「じゃあ諦めたところ悪いんだが、あっちのロボットを修理してくれないか?」
拓磨は苦笑いをして背後でスクラップになっている4体のアリを指す。
「ああっ!せっかく作ったロボットがもう壊れてる!?」
ゼロアは飛び跳ねるように立ち上がると拓磨が先ほどぶちのめしたアリの具合を確認するため、しゃがみ込みボロボロに壊れた体の具合を確認し始める。
「腕の関節も折れてるし、首の駆動パーツにも亀裂が入っている…」
「ゼロ、すまないんだがもう少し強く設定できないか?自分なりに模擬実践を重ねてリベリオスへの対策にしたいんだ」
「何回そのセリフを言うつもりだい?どれだけ設定しても君が軽々と叩き潰していくだろう!?」
拓磨の何気ない注文にゼロアは拓磨を睨みつけると一喝した。
前回の戦いの後、拓磨は体を鈍らせないため自主練習を始めた。武術を教えてもらえる師もいなければ、切磋琢磨してくれるライバルもいない。自分の力を高めるのはやはり自分で日々の積み重ねを怠らないことだと考えたためである。
その結果、たどり着いたのが実戦訓練である。可能な限り実践に近い状況で模擬戦闘を行うことにより自分の技術を洗練していこうと考えたのだ。
ゼロアは開発の傍ら、喜んで協力してくれた。拓磨が強くなればそれだけリベリオスに対抗できるためである。その結果、前回の戦いで倒した巨大ロボットの部品を加工して訓練用ロボットまで作ってくれた。拓磨の動きを認識し、自分の動きに取り入れる成長プログラム付きの凝った代物である。
全ては順風満帆、何もかも上手くいっていた。
いや、事態は上手くいき過ぎてしまった。訓練を行うほど、拓磨は強くなっていった。いくらロボットが拓磨の戦いを学習しようとそれをさらに上回る成長速度で拓磨はロボットを撃破していく。訓練が終わるとボロボロになったロボットと無傷の拓磨が突っ立っている光景をゼロアは何回も見てきたのだ。
そのたびに拓磨に『もう少し強く設定してくれ』と言われているのである。訓練にも関わらず殺傷用のパーツまで導入したが、相変わらず拓磨に傷が付いたことはない。
拓磨の成長は嬉しいのだが、ここまで自分の発明品を完膚なきまでに潰され、ゼロアの中の科学者としての心が踏みにじられる想いが募り何とも複雑な心境をゼロアは抱いていた。
「ずっと、聞きたかったんだが言っても良いかい?拓磨は武術を誰に教わったんだい?いくら何でも高校生らしからぬ強さだ。さぞかし師匠も強いのだろう」
「いや、誰にも教わってないけど」
拓磨はさらっとゼロアの問いを打ち返した。
「えっ?まさか、全部自己流だって言うんじゃないだろうね?」
「ううむ…自己流と言えばそうだが…なんだろうな?ちょっと事情が違う」
「事情?」
「実はな、俺も不思議なんだが相手を倒すときは自然と体が動いてしまうんだ。おまけにどのくらいの力で殴れば相手を行動不能にできるのか、何となく分かるんだ。物心ついたときからずっとこうだ。俺でもおかしいと思っているんだがとりあえず護身になっているから今まで誰にも話さなかったんだが」
拓磨の発言にゼロアは唸ってしまう。
拓磨は感覚で戦ってきたのか?いや、いくら天才でも最低限の練習は必要だ。自己流なら尚更練習が必要になる。
一体、どういうことだ?素人目だが彼の戦い方は明らかに何らかの基礎の上に身につけられた強さに思える。まさか、生まれたときから戦い方を身につけていたとでも?
「ということは…赤ちゃんの時から今の強さだったと言うことかい?」
「おそらくそうだと思うぜ?後は不良に絡まれるなり、場数を踏んで今みたいになったってわけだ」
「実践を重ねて戦い方が洗練されたってわけか…。なるほど、確かに君の強さには複雑な事情があるようだ」
まったくもって力の源が分からないため、ゼロアはとりあえず相槌を打っておいた。
「まあ、その辺も研究材料に入れておいてくれよ」
「はあ…とりあえずロボットは後で修理しておくよ。とりあえず今日はこれで終わりにして帰ってくれ」
そう話すとゼロアはポケットから半径5センチほどの丸い方位磁石を拓磨に渡す。方位磁石には方位の代わりに1~10までのメモリが中心から全方向に向けられて刻まれていた。
「何だ、これは?方位磁石か?」
「ふふ、そう言うと思ったよ。前回、ライナー波測定器が壊れてしまっただろ?今回のは耐久度と感度を上げて、持ち運びも楽にできるように小型化したんだ。もちろん、周囲へのライナー波飛散も考慮してコーティングしてある。けど、それでも100%防止を保証しているわけじゃないから他の友達に貸すなんてことはしないでくれよ?」
「分かってる。色々と助かる、ゼロ。またあんなデカイ音は出ないよな?」
拓磨はゼロアに恐る恐る確認した。あの救急車のサイレンのような音は正直心臓に悪い。また、電車の中で鳴るのは勘弁して貰いたい。
拓磨の問いにゼロアは笑いながら答えた。
「今度は感度に応じてメモリが光って、さらに振動するように設定したよ。携帯電話のマナーモードみたいな感じだね」
「さすがは科学者だ。対策が早くて助かるよ」
「今度は君に壊されないようにロボットをさらに強くしておくから、覚悟しておいてくれ」
「それは楽しみだな?よろしく頼んだぜ?」
ゼロアの挑戦的な言葉に、調子を合わせながら拓磨は虹色の光の渦をくぐり現実世界に戻っていった。
彼を見送ったゼロアはため息を吐きながら、ロボットの部品を回収し始める。
「はあ…金属をへし折るとかどんな筋肉しているんだ、拓磨は?」
見事にへし折られたロボットの腕の部品を見ながらゼロアは愚痴を呟く。そんな彼の前に再び光の渦が現れ、その中から髪を背で1本に束ねたハンサムな顔立ちの青年が現れた。
「ただいま戻りました、ゼロア殿」
「おおっ、スレイド。おかえり。祐司と友喜は上手くいっていたかい?」
「友人以上恋人以下というものでしょうな。前回の祐司殿の一念発起で今まで見たことが無いほど友喜殿は嬉しそうな表情をしていました」
スレイドは砂の上に胡坐(あぐら)をかいて座ると、先ほどまで見てきた光景を思い出すように目を閉じ深く頷きながら笑みをこぼす。
「カオスフォームについてはロボットの片付けが終了してから話すよ。それより、報告を聞かせてくれないか?」
ゼロアは急に真剣な顔をすると、スレイドもそれに反応して先ほどの笑みを一瞬で打ち消す。
スレイドにはゼロアから任務を言い渡されていた。前回の戦いで、スレイドはリベリオス本部に捕らわれていたわけだが、その情報を活かし本部を偵察する内容であった。
「了解です。リベリオスの本部ですが、どうやら前回の戦いの後移動したようです。地下の牢獄などは跡形も無く爆破されており、完全に放棄されていました」
「証拠は全て隠滅。さすがに一筋縄じゃいかないね…。おそらく、ウェブスペースのあちこちに彼らの基地があるんだろう。本部を叩く方が効率的だが…彼らのことだ、しっぽはなかなか出さないだろうね」
ゼロアの言葉にスレイドは顔を曇らせた。
「それと…ゼロア殿に一言お知らせしておきたいことが」
「何だい?」
「本来ならばいち早く伝えるべきでしたが…私はこの前マスター・シヴァにお会いしました」
その名を聞いた途端、ゼロアの顔に驚きと笑顔が一気に生まれる。まるで名前そのものに強大な力が宿っているようであった。
「そ、それは本当かい!?そうか…やはりマスターは生きておられたか。彼とはどこで!?今すぐ会いに行かないと…。彼が協力してくれればリベリオスとの戦いも一気に有利に立てる」
ゼロアの喜びとは裏腹にスレイドの顔は暗かった。
スレイドがいち早く話を切り出せなかった理由はまさにこれであった。マスター・シヴァの話をすれば必ずゼロアは喜ぶ。自分だって逆の立場だったらそうだろう。それだけ、彼の存在は並外れているのだ。
そして、次の話をすれば起こるゼロアの反応も分かっていた。だから、上手く言い出せなかったのだ。誰しも悲しい表情をするのは辛いものである。
「彼は…リベリオス本部にいらっしゃいました」
「何!?つまり、捕らえられたということかい?彼が捕らえられるなどとてもではないが信じられないんだが…」
「いいえ、違います」
「えっ?違う?捕まったのでも無いのに何でリベリオスの所にマスターが…」
そこまで話して突然、ゼロアの言葉が途切れた。
スレイドは目を伏せてゼロアの顔を見ることができなかった。
ゼロアは気づいてしまったのだ。なぜ、スレイドがすぐにこの情報を話さなかったことに。そして想定していなかった事態が起こってしまったということに。
あらゆる希望の感情が雷に打たれたように衝撃を受け、瞬く間に崩壊し始めた。
「まさか…いや、そんな馬鹿なことがあるわけがない!マスターは我々の方の人間だったはずだ!君だって知っているだろう、スレイド!」
「ええ…私も十分に知っております。到底信じられるものではありません、ただ事実なのですよ」
ゼロアはスレイドの肩を強く揺するが彼は全く態度を崩さない、絶望を飲み干したような表情をしていた。
夢なら醒めて欲しいとこれほどゼロアは願ったことは無かった。
その男の強さは惑星フォインの誰もが少なからず知っている。武道を少しでもかじった者ならこの世で敵に回したくない人物の一人に誰しもが入れる程の存在。
「マスター・シヴァがリベリオスの一員になった…?」
何の力も湧いてこない。喉は渇き、胸は押しつぶされ、頭は思考を停止する。
対策を考えようにも何も浮かばない。そもそも彼には策が通じないのだ。圧倒的な力で全ての策を小細工にしてしまう。荒れ狂う台風のように全てを飲み込み、破壊し尽くしてしまう。冗談みたいな存在である。
「ゼロア殿、気を確かに持って下さい。これから、我々はリベリオスに挑むのです」
「一体何をどうしてどうすりゃこうなる!マスターは一体何を考えているんだ!?」
ようやく前回の戦いを乗り越え、ウェブライナーも強化され希望も見えてきたというのにそれを超える絶望に出会うとは思いもしなかった。毎日が厄日のようだ。血の雨が降ってきても納得できる。
これから起こるかもしれない未曾有の危機に二人は嘆くことしかできないでいた。


時は戻って5月4日 稲歌町立稲歌高校校門 午前8時11分
「スレイドさんが祐司を教えるのは何となく分かるが、まさかその逆も行うことになるとはな」
ゼロア達の苦労も露知らず、拓磨と祐司は歩道を歩きながら学生の波に飲み込まれて稲歌高校へと吸い込まれていった。相変わらず拓磨の顔のせいで、拓磨の周辺には空白が生まれていた。学校に入ったばかりの女生徒が、拓磨の顔を見た途端小さく悲鳴を上げ逃げ出してしまうこともあった。
「ほんとだよねえ~、俺も教えることになるとは思わなかったし」
「ポーズを教えるならすぐ済むんじゃないのか?」
拓磨は本音を漏らした。スレイドは運動神経も良さそうだし、2日もあれば習得できると思う。
その拓磨の言葉を瞬間的に反応し祐司が目くじらを立てて迎え撃つ。
「甘いぞ、たっくん!ポーズだけしても意味が無いのだよ!そのポーズを取る特撮ヒーロー達がどのような責任や苦悩をして敵と立ち向かうのか、それを知ってこそポーズに重みが生まれる。重みが生まれることによってキレも増す!そして真のポーズが完成するんだ!スレイドさんにはまずは彼らの生き様について知って貰わないとね」
「その結果がDVD鑑賞とはな…、俺はスレイドさんの体調が心配だ」
「大丈夫だよ、たっくん!スレイドさんなら必ず特撮ヒーローの素晴らしさを分かってくれるよ!」
話が全然噛み合わず、人の流れに飲まれて二人は昇降口へと入っていく。
「祐司、お前普段は何時間寝ているんだ?」
サンダルを取り出すと拓磨はずっと聞いてみたかったことを祐司にぶつけていた。祐司はいつも夜更かしをしていると葵から聞いている。
オタクの睡眠時間は一体どのくらいなのだろうか?
一度聞いてみたかった質問だった。
「えっ?昨日はちょっと寝過ぎたなあ…。スレイドさんがDVD鑑賞の途中で倒れてゼロアと喧嘩になったから」
「睡眠5時間くらいか?」
拓磨は試しに切り出す。
「はっはっは!たっくん、冗談にしては上手いね。俺たちの間じゃそれは永眠の時間だよ」
祐司は上機嫌にサンダルを廊下に放り投げると、履いて稲歌高校校舎の中央に置かれている庭園を右にして廊下を歩いていく。
「じゃあ……3時間くらいか?」
「長すぎるよ」
睡眠3時間が長い?どんな生活しているんだ、オタクとは?
「降参だ。いいかげん答えを教えてくれ」
「昨日は40分くらいだったかな?特訓のせいもあるかもしれない。いつもは30分くらいなんだけどおかげでアニメを最後まで見れなかったよ、悔しいなあ…」
まさかの1時間切りだった。俺が言うのも何だが正気ではない。
祐司はキリンとほぼ同じ睡眠時間だったのだ。
そりゃ葵が怒るのも無理はない。そんな生活を続けていたら、精神も持たないし何より体が壊れる。病気に担ぎ込まれて即入院だ。
「病院に連れて行かれたことはないのか?」
「何度もあるよ。葵がしつこくて、無理矢理行かされたんだけど体のどこも異常なし。見事な健康体だったんで医者が『神様って不平等だね』って褒めてくれたよ」
呆れを通り越して馬鹿にしているようにしか聞こえないのは気のせいだろうか?
拓磨は祐司の異常性に目をつぶりつつ、いつも通り2年1組に入っていく。拓磨がクラスに入ると一斉にクラス中の視線が向けられる。
そのとき、クラスに生徒の集まりがあるのに拓磨は気づいた。クラスの中央付近に1つの机を囲むように男女が集まっている。
「ん?何かあったの?」
祐司が拓磨の脇を通り過ぎると、生徒の集まりに向かっていく。拓磨は祐司の後についていくとその中心は男子生徒がいた。
額と頬に白いガーゼのようなもので応急手当がされている。特に頬はひどい有様で赤くはれ上がっており、まるで誰かに殴られたようである。
「ど、どうしたの!?」
「昨日、西地区の不良にやられたんだよ」
驚いた祐司に集まっていた短髪の男子生徒の1人が事情を説明する。
「えっ?何かちょっかい出したの?」
「何もやってねえよ!あいつらにちょっとぶつかったらこんな風にされたんだよ!」
怪我を負わされた生徒が悔しさから泣き喚くと自分の机を何度も拳で殴る。
「ちょっと…物に当たるのは良くないよ」
「お前らに何が分かるんだよ!奴らの気が済むまで殴られ続けた俺の気持ちが分かってたまるかよ!」
短い髪の女子生徒がなだめようとしたが逆上されてしまった。生徒はどのように対処したら良いか分からないようで周りの生徒と顔を見合わせていた。
拓磨はゆっくりと列を掻き分けると怪我をした生徒に近づくと見下ろしながら尋ねた。
「なあ…1つ聞いてもいいか?」
「ひいっ!?な、何だよ?」
拓磨のドスの聞いた声と恐ろしい雰囲気にヒステリーが一気に収まる。
「どうやって不良から逃げられたんだ?気が済むまで殴られたんだったら、学校に来ることができないほど怪我をしていてもおかしくないからな」
「た…助けられたんだよ。お前みたいな大男に」
周りの生徒の視線が再び拓磨に集まる。
「俺は西地区なんて行ってないぞ?」
拓磨はあたかも自分が助けたかのような雰囲気を一蹴した。
「夜だったから顔はよく見えなかったけど、身長2メートルを超えるくらいの大男だった。そいつが俺をリンチしていた不良を片っ端からぶちのめしたんだ。まるで漫画みたいに」
「へえ…今のご時世でそんなお節介な人がいるなんてねえ。とりあえず、助かって良かったじゃないか。その大男にはお礼をするべきだね」
祐司は笑顔で生徒の肩をポンポンと叩いた。途端に悲鳴が上がり、生徒は祐司を睨みつける。
「肩も殴られたんだ!」
「わ、悪い悪い…。とにかく今日は早退でもした方がいいかもね。南先生に言っておこうか?」
「それぐらい自分で言う。お節介はもう結構だ」
すねたように男子生徒が言った途端、拓磨の背後でドアの開く音が聞こえた。
髪をスポーツ刈りにした若々しい男性教師、南光一がノートを片手に教室に入ってくる。
「ほら!ホームルームを始めるぞ、席に着け!」
拓磨と祐司は教室の後部、窓際の隅にある自分の椅子に着席する。
「あれ?友喜と葵は?」
自分たちより先に来ているはずの女性2人組がいないことに祐司が疑問の声を上げる。
葵は剣道部だが、いつもならホームルームには席に戻っているはずだ。朝練が長引いているのだろうか?
拓磨は祐司の背後の席に腰を下ろすと、担任である南を見つめた。いつもは笑顔を見せている彼が今日に限ってはいつになく真剣な表情をしている。
「さてと、何人かいない生徒もいるかもしれないが時間が来たんで始めるぞ?後で来たらみんなが教えてくれ。最初に真面目な話からだ。今、稲歌町では不良グループの活動が盛んになっている。このクラスにも彼らに行動に巻き込まれた者もいるようだ。大変遺憾なことだ」
南は話を切り出すと、先ほど拓磨達が話した怪我をした生徒を悲しそうに見つめた。そして再び視線をクラス全体に戻す。
「彼らには極力関わらないようにしろ。何かあったらすぐに警察を呼ぶんだ。今朝、警察から学校周辺で複数の警官が生徒が犯罪に巻き込まれないように特別にパトロールをする連絡が入った。彼らの騒動が収まるまでこの活動は続く。くれぐれも学校が終わったらまっすぐに家に帰ること。しばらくは絶対に寄り道禁止だ、いいな!?」
南の確認に生徒が声を上げて応じる。同時にクラス中にざわめきが大きくなった。
不良グループの活動が盛んになっている?わざわざ警察が出張るほどに騒動が大きくなっているのか?
拓磨は初めて体験する事態に考えを巡らせていた。
「たっくん、やっぱりリベリオスが関わっているんかな?ちょっと普通じゃないよ」
祐司が小声で振り返りながら拓磨に尋ねる。
「今の段階じゃまだ奴らの仕業とは限らない。ただ単に不良が粋がっているだけだったらいいんだが…どうも妙な雰囲気を感じるな。まあ、気のせいだといいんだけどな…」
「静かにしろ、話はまだ終わっていない!」
南は各々勝手にしゃべり出す生徒に大声を出してざわめきを鎮めた。
「お前ら小学生じゃないんだから、人の話は最後まで聞け!社会人としてやっていけないぞ!先ほどの話とは違って、今度は良い話だ。我が校の3年生、桐矢秀一<<きりや・しゅういち>>選手がつい先日、合宿を終え学校に戻ってきた」
クラス中で「お~」と再びどのめきが走り、今度は歓声までもがあちこちから聞こえてきた。特に女性陣が発しているようだった。
「えっ?誰?そんなに有名人なの?」
祐司は全く興味が無いように、耳の穴をほじりながら周囲の盛り上がりに驚いていた。
拓磨はどこかで名前を聞いたような気がしたが、どうしても思い出せないでいた。
「彼は剣道部の主将であり、全国大会では何度も優勝していて国指定の強化選手としても登録されている素晴らしい逸材だ。みんなも彼のように部活動を頑張れば1番は無理でも上位には入賞できるかもしれないぞ。何事も諦めずに頑張ることに意味があるんだ!」
「そういう先生は何か賞を取ったことがあるの?」
クラスの女子生徒がおもむろに質問した。
「『給食残さず食べましたで賞』というのでは地元じゃレコードホルダーで今でも破られてないぞ」
「はははは、くだらねえ!先生、もっと県で1番とか全国大会に行ったとかそういう記録は無いの?」
男子生徒の1人が耐えきれず南を馬鹿にするように大爆笑した。
「く、くだらなくなんかない!じゃあ馬鹿にした奴らは絶対に俺よりすごい記録を打ち立ててみせろよ!?小中高12年間ご飯粒1つ、味噌汁一滴すら残さず、あらゆる魚の骨もかみ砕く俺の偉業に勝てるものなら勝ってみろ!」
「生徒相手に大人が本気になるなよ!大人げないよ、先生!」
クラス中で笑いの渦が巻き起こった。
南が非常に生徒受けが良いのは生徒と同じ立場に立って、真剣に向き合おうとしているからかもしれない。学校の中で南の評価は担任教師の中でも上位に食い込んでいた。決して突出した才能があるわけではないが、彼の親しみやすさというのは何よりも魅力的な輝きを放っていたのだ。
「そうか…葵の代理部長の件か」
クラスの笑いそっちのけで拓磨はようやく名前を思い出した。
「えっ?たっくん、知っているの?」
「ああ、葵は剣道部の部長をやっているだろ?実はあれはあくまで代理で、本来の部長が今の話に出ていた桐矢という人だ。葵は桐矢先輩の推薦で部長になっていたんだ」
「何で全国大会に出るほどの選手が葵のような体しか能のない女を部長に推薦するの?葵より強い奴なんていくらでもいるでしょ?」
確か葵と桐谷先輩は親しくてその結果選ばれてしまったと、この前話していたが単純に葵が強いのが1番の理由かもしれないな。昔からあいつは運動能力は良かった。
「他の3年生より葵が強かったからじゃないのか?」
「いや、たっくん。ひょっとしたら女の武器を使って枕営業をしたのかもしれないよ?葵のことだ、あいつは手段を選ばないから侮れん!」
拓磨は軽く笑ったが突然殺気のようなものを感じると教室のドアの方を慌てて振り向いた。葵が無表情のまま、こちらを見つめていた。どうやら祐司の発言を地獄耳で捕らえていたらしくゆっくりと足音を立てないように祐司に近づいていく。その背後から友喜が歩いてくる。小声で「葵、抑えて」と必死に葵を思いとどまらせようとしているが、友喜より一回りも体格の大きく肉付きの良い彼女を止めることは無理であった。
「祐司、後ろに気を…」
拓磨が助言するより早く葵が動いた。右拳を強く握り締めると祐司の脳天目がけてげんこつを振り下ろす。
祐司は全く葵の様子には気づいていない。しかし、突如体を左にずらしげんこつの直撃を避ける。まるで急に体にスイッチが入ったかのような唐突な行動に拓磨は目を見開いた。
ただのオタクが自分への殺気を感じ取り、とっさに体を反応させた。
おそらく、スレイドとの特訓の成果であろう。今までの祐司なら頭を抑えて悶絶していた。わずか数週間で驚異的な進歩である。
「うぎゃあああ!!か、肩にガツーンてねえええ!」
だが、まだまだのようであった。頭への直撃を回避したのは賞賛に値するが、そのせいで右肩にげんこつがめり込み祐司は悶絶して悲鳴を上げる。
途中までは格好良かったが詰めが甘い、いつもの祐司がそこにいた。
「先生、すいません。朝練が長引いて遅れてしまいました。友喜にも部活の方で手伝って貰いました」
「そうか。みんなはこれから、桐矢選手の歓迎会があるから1時間目は急遽体育館に集合だ。全員急いで移動するように。それと…祐司はこれから1週間、職員室の隣にあるトイレ掃除を放課後一人でやる罰を与える」
「ええっ!?先生、俺には町を守るという使命が…!」
「アニメの見すぎでおかしくなったか!?第一、そんな使命を持つ者ならトイレ掃除くらい文句言わずやってみせろ!さっさと移動だ、急げ!」
担任の南を先頭にしてクラスの生徒がミミズのように床で痛みにのたうち回っている祐司を横目に部屋から出て行く。葵は友喜を連れて即座に生徒の後を付いていく。
拓磨はため息をつくと、祐司に肩を貸して一緒に体育館へ移動するため部屋を後にする。
「ちくしょ~、こんなの理不尽だあ~。こんな世界滅びてしまえばいいんだ~」
先ほどまで町を守ると言っていたのに今度は世界の滅びを求めているオタクがぶつくさと悪態をついていた。
「全てお前の自業自得だ」
拓磨は無情にも祐司にトドメを刺すと、引きずるようにして廊下を進んでいった。

同日 稲歌高校内 体育館  午前9時36分
稲歌高校の体育館は学校とは直接繋がっておらず、一度昇降口で靴に履き替えてから行く必要がある。高校内で最も北側に位置する建物であり、高校が建築されたと同時に建てられその歴史は結構古い。体育館は2階建てであり1階はバスケットコートが2面敷かれており、その奥には50センチ程高い所に劇などを行えるスペースが確保してある。イベントがあるときや朝礼の時に校長がそこでマイク越しに生徒に挨拶を行う。
2階は卓球場やバトミントンの練習場になっている。しかし、天井が近いためバトミントン部からはクレームが来る。そのため、体育館全体の増築が行われる計画もあるようだが、町の予算不足のためかなかなか現実にならない。
「皆さん、おはようございます」
体育館の両側にあるドアと窓が全て開かれ光差し込み、生徒がまぶしさで顔をしかめる体育館内に年季が入った貫禄ある声が轟いた。
頭は既に白髪も多く、老眼のためか眼鏡をかけている。赤と黒の混ざったネクタイを着用しており、上下とも灰色のスーツを着こなしていた。
壇上から響き渡る我が稲歌高校校長の第一声は元気良い挨拶から幕を上げた。
「1年生の皆さん、学校の方は慣れましたでしょうか?勉強はもちろんそうですが、部活動には励んでおりますでしょうか?今は分からないかもしれませんが、1番活発に動けるのは皆さんの年頃だと私は思います。ついこの間、試しに走ろうとしたら腰を痛めてしまい2週間ほど動けなくなりました。私のような老後を送りたくなかったら、普段から積極的に動き回る週間をつけましょう」
体育館の中で小さな笑いが起きる。どうもウケがイマイチで校長は不服の顔をしたが、すぐに話を切り返す。
「さて、我が校に嬉しいニュースが飛び込んできました。先日、剣道の全国合同合宿で学校を離れていた桐谷秀一君が無事に戻ってきました。彼は今まで何度も全国大会に足を進め、優勝も経験している我が校の誇りです。今回は特別に来年、我が高校に進学するかもしれない中学3年生も招いています」
校長は最前列に横並びをしている稲歌中学3年生の生徒を見渡した。
普段は壇上に近い方から、高校3年生、高校2年生、1番離れたところに高校1年生と並ぶのだが今回は特別に中学生を招いたせいでいつも以上に列の間隔がきつくなっている。体育館の中心付近で体育座りをしている体格のでかい拓磨にとって肩身の狭い思いをするはめになった。
「あまり私の長話をしても飽きてしまうので、そろそろお呼びしましょう。桐矢秀一選手、壇上へどうぞ!」
校長の声と共に壇上とは反対側にあるドアが開く音がする。背後から突然女子生徒の黄色い声が響き渡ってくる。男子生徒からは歓声が轟く。
拓磨も見ようとしたが、動くと他の生徒に接触するため視界に入るまでしばらく待った。
歓声は背後から右側へと移動していく。ようやく、声をもたらしている主が拓磨の視界に現れた。
身長は190センチ近くあり、髪は短髪黒色、目はキリッとしており、顔立ちは細く整えられている。見方を変えれば女性にも見え、若い男性歌手グループにいそうなイケメン面である。体全体は制服の上からでも引き締まっていることが分かる。見事に制服を着こなしており、ただ歩いているだけに品を感じてしまう佇まい。
『完璧』という言葉がふさわしい男が笑顔で体育館の壁に沿って壇上まで向かっていった。
なるほど、確かにあれはモテるな。
拓磨は、自分にジェットエンジンを搭載しても追いつけそうもない超時空戦闘機のような存在に素直に感心してしまった。追いつく方法としたら可能性があるのは整形手術だったが、拓磨は心の中でその考えを一蹴する。
一方、前の方に座っている祐司は頭をゆっくりと前に動かし、しばらくして横の女子に小脇を突かれ、動きを停止した。どうやら居眠りをしていたらしい。壇上にいる稲歌高校の誇りに全く興味が無いようだ。そしてしばらくした後、体育座りの姿勢でまた眠り出す。
壇上に上がった桐矢はそのまま校長に一礼をしてガッシリと両手で握手をする。
そしてそのままマイクスタンドに近づくと生徒の方に一礼をして満面の笑みで声を届けた。
「皆さん、私のためにお忙しい中このような式典を開いて頂いて本当にありがとうございます。校長先生から説明がありました、3年の桐矢秀一です。合宿の方も終わり、ようやく皆さんと一緒に学校生活を送れることを楽しみにしております。遅れての合流なので分からないことも多いかと思いますが色々教えてくれると助かります。これからよろしくお願いします」
落ち着いた優しく響く声が終わると同時に会場の中で爆発が起こったかのように歓声が上がる。特に女性陣からは声が大きく、嬌声<<きょうせい>>があちこちから飛び交っていた。
「桐谷君、今後も活躍を期待しているよ。それでは最後に、中学生と高校生の代表者から花束の贈呈だ。ではまず、高校生代表、木下梨璃<<きのしたりり>>さん」
校長先生が自ら代表者の自己紹介を行うと。前方から2人の女性が立ち上がった。
「はい」
高校3年生の列から声と共に立ち上がったのは、拓磨が1年の時に生徒会の選挙に立候補したときに姿を見た女子生徒だった。
レンズが小さくフレームが薄黄色に輝く眼鏡をかけ、長いスカートと黒いソックスを履きこなし、風に揺れるカーテンのように長い髪を揺らしながら壁側に置かれた長机へ向かう。胸元には黄色い刺繍で稲穂が頭を垂れていた。そこでピンク色のビニールラップに包まれた色とりどりの花々を両手で抱えると堂々と壇上に上がっていく。何度も同じような体験をしているらしく、落ち着いた態度でずいぶん手慣れた様子を見せていた。
「それでは、次に中学生代表。心堂桜<<しんどうさくら>>さん」
「は、はい!」
緊張した声色と共に一番壇上に近い列から一人の少女が立ち上がる。漆黒の高校生の制服とは異なり、黒に青を足したような青みがかったブレザーとスカートを着用した少女が立ち上がる。
先ほどの木下先輩が堂々としすぎていたのか、ずいぶん華奢(きゃしゃ)に見える女子生徒であった。身長は先輩より10センチほど低い。
しかし、その笑顔は可愛らしく愛嬌に溢れ、人形のように顔がほころんでいた。手足は細く、太陽光が少女の体に当たると光が体を這い少女の制服を着飾っているような不思議な雰囲気を放っていた。短く首筋を覆う薄い茶髪のショートカットヘアも光のせいで輝く長髪に見える。
可愛らしいと言う以外に拓磨は言葉が思いつかなかった。
例えるならば「満開の桜の木々の根元でさりげなく咲き誇っている可憐な花」のようなイメージである。自己主張は全く感じないが、素直に可愛らしいと思ってしまうのだ。ある種の才能なのだろう。
少女は周囲の視線に落ち着かない様子でロボットのように強張りながら歩いていき、壁際で花束を抱えると慎重に歩きながら壇上へと移動していく。木下の隣に立つとより一層、彼女が貧弱に思えた。
「心堂さん、緊張しているけど大丈夫?」
「だ、大丈夫です!私、緊張しているんで!」
背の高い桐矢先輩の優しい声に緊張がピークに達したのか少女は支離滅裂な言葉を放ち、体育館内は笑いに包まれた。少女は恥ずかしさからか、顔を真っ赤にして花束を桐矢に渡すとそのまま床を見つめて彼の顔を一切見なかった。
「さてと、それでは2人ともありがとうございました。それでは列に戻って下さい。さてと次の…」
校長先生が式を進めようとしたとき、突然体育館の外からバイクの排気音が聞こえてくる。道路をバイクが通過したのだと拓磨は思った。校長が音に構わず司会を続けようとしたが徐々に大きくなる音が耳障りになったのか背後のドアから外を見たときだった。
校長は硬直した。まるで蛇に睨まれたネズミのようだ。恐ろしいものに萎縮し、体が強張ってしまったようだった。しかし、彼の悲鳴がそれを解いた。大声と共に校長はドアから飛び退いた。
その瞬間、耳をつんざくような排気音が一気にドアから流れ出し共に白銀の大型バイクが2台程体育館内に飛び込んでくる。
体育館の空気は一変した。生徒が悲鳴を上げながらバイクから逃げ靴下のまま反対の出口から体育館の外で飛び出していく。
拓磨は突然の事態に呆気に取られていた。
バイクが体育館に突っ込んできた。しかも事故では無い。明らかにドア目がけて飛び込んできたのである。明らかに生徒の集まりを狙った行動だった。
「オラアアア!!逃げんな、てめえら!」
髪を真っ赤に染めたボサボサ頭の男2人組がバイクから飛び降りると体育館を内から震わせるような怒鳴り声を上げた。壁際にいた生徒はほとんど外に逃げ出していたが、体育館中央付近にいた生徒達は逃げ遅れ、取り残されていた。ほとんどが高校2年生であり、その中には拓磨を含め祐司達もいる。
拓磨はできる限り冷静に周りを見渡し、周りの様子を確認した。
生徒はほとんど外に逃げている。逃げ遅れた生徒も何かきっかけがあればすぐに逃げることができる。
20人程いた教師は半分近くが生徒と一緒に外に逃げたようだ。残っている教師は生徒達の前で盾になり危害を加えないように尽力している。中には震えている先生も数人いたが、教師の意地を見せて何とか踏みとどまっている。
拓磨は次に相手の方に目を向ける。赤い頭のチンピラが2人。学校にバイクのまま乗り込んでくるなんて普通なら考えられない。
じゃあ、何のために朝会を襲撃した?そもそも何者なんだ?
拓磨はチンピラを見ていると閃きが頭に舞い降りた。今朝、叔父が偶然手がかりを口にしていたのである。
こいつら、もしかしたら叔父さんが今朝話していた稲歌町の西地区で暴れている不良グループの一員か?
拓磨は視線を不良の服装に移した。
2人ともボロボロの赤いジャケットに黒いインナーシャツ、紺色のジーパン、そして首には銀色のドクロが胸元に光るネックレスを付けている。
服装はともかく、2人とも同じネックレスを付けているのは妙に目立つ。よく見ると彼らが乗ってきた大型バイクの正面ランプの上にも銀色の人間の頭の形をしたドクロが載せられている。
ドクロが不良のトレードマークみたいなものだろうか?
「お前ら、昨日俺たちの仲間がせっかく楽しいゲームをやろうとしていたのに背後から襲われて病院に放り込まれたんだ。この学校の奴だっていうのは分かっているんだ、さっさと前に出ろ」
「お前等、生徒に近づくな!」
体格の良いラグビー選手のような体格の教師が一喝と共にチンピラに近づいていく。
「活きが良いじゃねえか、先生!」
高笑いしながら男の1人がバイクの排気を噴かす。
拓磨は先生の危機を感じると一気に立ち上がり、飛び出した。生徒の間を風のように駆け抜けるごとにバイクが教師を轢き殺そうと近づいていく。
拓磨は20メートル近い距離を1秒ほどで走り抜くと、空中に体を投げ出し教師にタックルを食らわせはじき飛ばす。そして、身代わりとしてバイクの直撃を全身に受けた。全身に衝撃を受けた拓磨の体は宙を舞い、生徒の列に突っ込む。
「ははは、馬鹿か!?轢かれに来るなんて物好きもいるもんだな!?」
男は拓磨の行為を笑ったが、何事も無かったように周りの生徒の手も借りず立ち上がる威圧感の塊のような大男にすぐに笑いは引っ込んだ。
自分の体の異常性はすでに認識していたため、拓磨は飛び出すことやバイクに跳ね飛ばされることにも躊躇は無かった。あそこで出なかったら、教師はバイクに轢かれて大怪我、下手をしたらバイクがそのまま生徒の列にも突っ込んでさらなる被害が出ていたのかもしれない。
今までの話を整理すると、どうやら不良の動機は仲間の敵討ち。昨日不良相手に誰かが戦いを挑んで勝ってしまったことが原因だ。喧嘩が強いことが自慢の奴らにとっては仲間のこともそうだが面目そのものも丸潰れだろう。見栄を張らなければ甘く見られて終わり、ずいぶん辛い世界だ。…かと言って全く同情する気になれないし、わざわざ学校を襲う気持ちも分からないが。
もうすでに逃げ出した生徒や教師が警察を呼んでいるだろう。5分もすれば警官が到着する。奴らはそれで終わりだ。それまで犠牲者が出ないようにすればいい。問題はその方法だ。
とにかく警察が来るまで時間を稼げば良い。そのため、だったらいくらでも体を張ってやる。犠牲者は絶対に出すわけにはいかない…。
拓磨が決意を固めて男を冷たい表情で見つめていた時、突然壇上から声が響いた。
「止めろ!自分たちが何をしているのか分かっているのか?」
声の主は桐矢だった。彼は壇上から降りるとゆっくりと不良に向かっていく。
「あ?誰だ、お前」
「桐矢だ。大人しく高校からすぐに出て行け」
桐矢は背の高さもあって不良の一人を見下ろしながら警告した。教師はその隙に他の生徒を逃がそうと動き出した。
「格好良いねえ…。気に入った、お前をゲームに混ぜてやるよ。おい、あれ寄こせ」
「ゲーム?おいおい、ここで『的当て』やるんかよ?」
赤い髪の二人はお互いに笑みを浮かべると内輪話で盛り上がっていた。
拓磨は、桐矢のことを心配すると同時に嫌な予感がすることで心がざわついていた。
そもそも高校に強襲を仕掛けるのも正気の沙汰とは思えないが、先ほどから不良の顔から余裕が溢れていることが気に掛かる。
すると、離れてバイクに乗っていた男の一人から2つの黒い塊が宙を舞い、桐矢の前の赤髪に投げ渡される。
それが何かを知った途端、会場の至る所で大きな悲鳴が上がった。
「よお、兄ちゃん。これ、何か分かるか?」
桐矢は言葉に詰まり答えられなかった。
流線形の弾を撃ち出し、多くの命を一瞬で奪える非常に効率的な凶器。テレビドラマ等で見たことがある人は多いが、目の前で見る実物は映像を通して見るものと比べものにならないほど禍々しさを放っていた。
黒い拳銃が2丁、男の両手に握られていた。
「け、拳銃なんてお前ら不良が手に入れられるはずが無い!どうせ…」
「偽物か?はははは!だったらビビることはねえだろ?さっきまでの威勢はどうした?兄ちゃん。声が震えているぞ?」
拓磨の予感は最悪の形で姿を現してしまった。
何人もの人間を一瞬で殺せる武器を握り締めた不良はまさに金棒を握らせた鬼のようである。
なぜ、拳銃なんて持っているのか?
当然の疑問が出てくるわけだが、それどころではない。拓磨は銃については詳しくないが1つだけ心の中で何の根拠も無いが確信できることがあった。
目の前の不良は本気で銃を撃ち放つつもりである、と。
「さてと、兄ちゃん。ちょうど良い位置にいる2人の女子。好きな方を選べ」
男は先ほど桐矢に花を手渡した木下亜紀と心堂桜に銃口を向ける。2人は恐怖で震え出すと動けなくなってしまった。
「な、何言っているんだ!?」
「さっき言っただろ、『的当て』だよ。お前が言った奴だけは外してやる。兄ちゃんはこれがおもちゃだと思っているんだろう?だったら、そんな心配することはねえじゃねえか、気軽に選べよ。ただ……俺は『本物』だと思っているけどな」
不良は笑顔を浮かべながら、桐矢を侮蔑するように見つめた。
拓磨はとっさに動こうとしたが、思いとどまる。
銃を持った男を無力化するのはおそらく可能だ。だが、もう1人の男が同じように拳銃を持っていたら対処のしようがない。1人を倒している間に女子が撃たれる可能性がある。
祐司や先生達に助けを求めようにも拳銃を持っている相手に飛びかかっていくのは無謀だ。確実に事を起こすならどうしても手が足りないのだ。
拓磨は悔しさで拳を無意識に強く握り締めていた。
「う、撃つなら私を撃て!」
震え上がり、トーンの外れた声が突然、壁際から聞こえる。
全員の視線が壁際へ移った。周りの教師に支えられた手を振りほどき、白髪の校長先生が震える膝を殴りつけて壇上に上がるとそのまま生徒2人を背に隠し立ちはだかる。
「ははは!じいさん、あんた撃たれてもいいのか!?無理すんなよ、どうせ生徒の前で良い格好したいだけだろ!?」
「か、彼女たちは私の生徒だ!私の目の黒い間は絶対に許さんぞ!」
今にも崩れ落ちそうなほど、体を震わせていたが校長の目は全く動じることなく銃口を見つめていた。
不良の顔から笑みが急に消え、不愉快という感情が顔に現れた。
「うるせえジジイだ…!そのデカイ腹ぶち抜かれて女共々死にやがれ!!」
不良は校長の啖呵にキレると銃の引き金に人差し指を伸ばした。
拓磨と周りの教師は校長の危機に飛び出した。だが、間に合わない。
すると、突然風を切るような音が聞こえる。
祐司はこの時、ようやく目を覚ました。周りの出来事など知る由もなく、先ほどまで夢の中を漂い続けていた彼を待っていたのは理解不能な光景ばかりだった。
体育館内のオートバイ。真っ赤な頭の男。なぜか、男が拳銃を持っている。校長先生が撃たれそうになっている。
現実離れした光景に夢を見ているのだと祐司は思い込んだ。
だが、彼がそう思い込む光景がもう1つあった。
自転車がフリスビーのように宙を舞っていた。おそらく、駐輪場にあった自転車だろう。カゴも付いているし、後輪の上部に荷物を置けるように金属フレームが取り付けられている。
その自転車が回転しながら飛んでいき、銃を持った男の左脇腹に前輪をめり込みそのままバイクへと男を吹き飛ばす。銃声がバランスを崩した拳銃から放たれ、天井の方で鋭い音が響き渡る。
拓磨は突然の出来事に冷静に対処した。もう1人の男目がけて、突っ込んでいく。
バイクにまたがっていた男は襲いかかる拓磨目がけて、喚き散らし恐怖を顔に表しながら腰に手を伸ばす。手には同じ形の黒い拳銃が握られていた。
やはり、2人とも拳銃を持っていた。だが、今度ばかりは動きが遅かった。
拓磨は大きく跳躍すると、右手で男の頭を掴み、思いっきり手前に引っ張る。男は乗っていたバイクのハンドル上部、ガラスで作られた速度計やエンジンの回転を表すタコメーター目がけて頭を叩きつけられる。頭とガラスがぶつかる鈍い音が響きわたり、ガラスは砕けちり、男の頭からガラスの破片が突き刺さり血が流れ出す。
意識朦朧と銃を掴もうとする男の右腕を拓磨は左手で強く捻り上げ、バイクから引きずりおろすと体育館の床にたたきつける。男はそのまま拓磨に背中を踏みつけられて意識を失った。
あまりに手慣れた一瞬の早業であった。
拓磨は周りから駆け寄ってきた4人ほどの教師に男を預けると、先ほど自転車に吹き飛ばされた男を見る。こちらも6人程の教師が群がって抑えていたが、すでに男は気絶しているようだった。吹き飛ばされあげく自分の乗ってきたバイクにドミノ倒しのように叩きつけられて、動かなくなっている。
残りの教師は校長先生や女子生徒の無事を確認したり、周りの生徒の誘導に追われている。桐矢は教師と一緒に壇上に上がっていた。ほっとして安堵のため息をこぼしている。どうやら弾丸は大きく逸れ、天井に当たったようだ。
拓磨はそのまま視線を移し、自転車が飛んできた方角を見つめる。
男2人がバイクで入ってきたドアの所に背に光を浴びて巨大な影が伸びていた。
自分よりも大きな男だった。身長はおそらく2メートルは超えている。学校指定の制服を着て自分と同じような筋肉の鎧を身につけた筋骨隆々の鍛え上げられた肉体。頭は丸刈りでまるで修行僧のようだ。顔が野獣のような表情でこちらを睨みつけていた。
まるで髪型を変えた自分を見ているような錯覚に一瞬拓磨はとらわれた。
「あ、あいつだ!!」
生徒の席から声が上がる。今朝、拓磨達と話した顔の包帯が目立つ生徒が大声を張り上げ突然現れた2メートル超えの男を指差していた。
確か、不良に絡まれていたところを誰かに助けられたという話だったな。
その男は俺みたいな身長2メートル近くの大男。
もしかして…あいつが?
「だ、大悟君!今までどこに行っていたの!?」
拓磨の呟きを遮るように声を出しながら、もやしのような体付きをして寝癖みたいなパーマをかけた眼鏡の教師がオドオドしながら大男に走り寄っていく。
どうやら、彼が大男の担任のようだ。身長の差が40センチほどあり、子どもが大人に説教しているように見える。
「弁当の配達」
大男は面倒くさそうに言葉少なく答える。
「学校はもう始まっているんだよ!学校をサボってまでやることかね!」
「親父が従業員雇わねえから俺がやらなきゃどうしようもないだろ、先生。だったら、先生が代わりにやってくれるんかよ?」
イライラしながら声を漏らすと大悟は眼鏡教師を見下ろす。
「無駄口は結構!とにかく、職員室に来なさい。朝から暴力騒動を起こして…」
「俺がやらなきゃ、校長と女子2人は蜂の巣にされていたぞ?」
大悟は苦々しく呟くとドアの向こうに姿を消した。眼鏡教師は慌てて大悟を追いかけていく。
不良の襲撃。拳銃の発砲。自転車が宙を飛ぶ朝のひととき。
わずか10分ほどの間にこれほどの出来事が起こってしまった。
忙しい朝だった。2度と体験したくは無いが…。
拓磨の耳にパトカーのサイレンが聞こえてくる。ようやく、警察の到着だ。できればもう少し、早く来て欲しかった。
拓磨は心からの願いを胸に生徒の列に紛れて、校舎へと戻っていった。

同日 午後4時00分 稲歌高校 校門前
日に陰りが現れ、夜が来る準備を空が整えている夕刻。
授業も終わり、校門から生徒が溢れ出している最中、祐司と葵と友喜は校門に寄りかかりながら帰宅ラッシュの生徒の列を眺めていた。
朝の騒動もあり、本日部活動は全て活動停止になった。職員会議が行われ、生徒を即刻帰宅させるという話も現れたが警察官30名が1日学校周辺に張り付き、経過するという条件の下、授業が行われることになった。
あの後、不良が乗り込んでくることは無かったが出来事があまりにもショッキングすぎてほとんどの生徒がまるで授業に身が入らなかった。
拓磨は、オートバイにはね飛ばされたこともあり、病院に連れて行かれそうになったが傷一つ体に付いていなかったため、警官の度肝を抜いた。
あの後、2メートル近い大男と共に警察関係者直々の説教を食らわされ、2度と危険な行動をしないようにとお灸を据えられた。授業後のクラスミーティングの後、今度は教師に呼び出され、再び説教を受けている始末である。
「遅いなあ…たっくん」
「葵、桐谷先輩大丈夫だった?」
校門の横で祐司が心配している隣で、友喜が自分の長い髪を指でいじりながら、さりげなく葵に尋ねる。
「拓磨とあの生徒のおかげでね。ほんと、誰も怪我しなくて良かった…」
「えっ?不動君、はね飛ばされたじゃん?心配してないの?」
全く拓磨に対して心配の欠片もない葵の態度に友喜はツッコミを入れた。
「別に心配してないわけじゃないけど…拓磨だからね。付き合い長いから、何となく平気だっていうのは分かるし。どちらかというと心配なのは拓磨にやられたあの不良の方かも」
友喜は納得してしまった。被害者はこちらなのに、加害者が無残になりすぎて加害者の方に同情してしまうという変な事態になってしまっている。
「ほんと、許せない奴らだよなあ!何なんだよ、あの3流バンドグループにいそうな世紀末頭!」
「祐司殿。ゼロア殿と調べましたところ、現在稲歌町では西地区を中心に不良グループが台頭している模様です。彼らはそのグループの一員なのではないでしょうか?」
「なるほど!相良組がいなくなったから出張ってきた訳か!」
祐司はスマートフォンに映るスレイド目がけて返答していた。その様子を葵が不気味そうに眺めている。
「ねえ、あんた。こんな時までゲームをやっているなんてどうかしているんじゃない?時と場所を考えなさいよ」
「だから、これはゲームじゃなくてスレイドさん!葵の方こそ、現実を見ろ!こんな高性能なゲームあるわけないだろ!リベリオスからこの世界を守るために…」
「私にはオタク用語はサッパリ理解できませ~ん。お願いだから友喜をあんたの趣味に巻き込まないで。私たちの半径5メートル以内に近づかないで」
葵は耳に指を入れると、祐司から5メートル程横にずれる。
「…スレイドさん、こんなストーカーみたいな扱いを受けるようなことをしたのかな?あんな融通のきかない体しか能の無い濡れ場専用女子高生も守らなきゃいけないのかな?」
「言っていることはよく分かりませんが祐司殿、いつか葵殿もきっと分かってくれます!その時まで耐えるのです!」
祐司は恨めしげに小声でスレイドに呟く。
「あっ、来たよ。2人とも」
「えっ、2人?」
友喜の声に誘われて、葵と祐司は校内を覗く。
そこには凶悪殺人犯のような面をした大男2人がこちらに歩いてくる。できることならあまり拝みたくない光景がそこにあった。周りの生徒は恐怖からか、2人に触れないようにする。
「ねえ、祐司。不動君って双子だっけ?」
「そんなわけないだろ、友喜」
友喜のとんちんかんな発言に祐司はツッコミを入れる。
「だって…すごく似てない?あの2人」
「いや、俺の目から見ると全然違うね。たっくんは出所したての心の優しい凶悪殺人鬼みたいな雰囲気だけど、あっちのでかいのは物を壊すのが大好きなムッツリスケベゴリラな雰囲気だ」
「あんたの例えは分からない」
葵が問答に終止符をうったとき、ちょうど2人が目の前に現れる。
「悪いな、待たせた」
拓磨より大きな大悟と呼ばれていた生徒は祐司達を一瞥すると、気にも留めずそのまま生徒の流れに身を任せて中心街の方へと去って行く。
「拓磨。どうだった?」
「1日ずっと説教だ。まあ、自業自得だけどな」
葵の質問に軽く返すと拓磨は先頭を歩いて、歩道を歩いて行く。
「でも、たっくんがいなかったら校長先生とか撃たれていたよ?」
「下手に犯人を刺激するなって言うのが警察の見解だ。あの状況じゃ、出しゃばらず警察を待つのが正しい方法だったと刑事に言われた。確かに俺が動かなければあいつらは銃を生徒に向けなかったかもな」
拓磨は自分の取った行動を反芻していた。
結局周りの被害も無く助かったが、俺の行動が周りを危険にさらしたと言われたら否定できない。だが、教師がバイクに轢かれるのを黙って見ているのはできなかった。
後悔はしていない。ただ、俺の取った行動は間違えているのかもしれない。
だとしたら、これから俺は間違えを重ねていくことになるのだろうか?
結局は自分にとって後悔しないように選んでいくしかないのかもしれない。
「桐谷先輩もすごかったよね。さすがは葵の先輩なだけはあるね」
「ほんとに時と場所を選んで欲しいわ、あの不良達。わざわざ朝会を襲撃するなんて頭がおかしいんじゃないの?どうせ、警察に捕まるに決まっているんだし。これで残りの人生全部パーじゃない」
桐矢を感心する友喜の言葉に葵が呆れながら、文句を垂れる。
一方、拓磨は二人の会話をそっちのけで先ほどから今朝のことを考えていた。
もちろん、今朝の不良の襲撃についてである。どう考えても学校を襲撃するなんてやることが大きすぎる。おそらく、仲間をコケにされたから報復をしたんだろうがはっきり言って割に合わないだろう。あの場には何人も教師もいたし、警察も町中で厳戒態勢を取っている中で襲撃なんて逮捕して欲しいと言わんばかりの行動だ。
おかしいのはそれだけじゃない。奴らが持っていたのは間違いなく本物の拳銃だった。
ただの不良が拳銃を手に入れるなんて、拳銃を所持している警察官を襲って奪い取るくらいしか思い当たらない。奴らの背後に武器をくれる組織でもいるなら話は別だが、町の不良相手にそこまでする組織なんているわけない。
少し考えただけでもこの不可解の量だ。祐司の言うとおり、今回もリベリオスが絡んでいるのか?
拓磨の思考は、最近対峙している異星の組織『リベリオス』を導いた。奴らを含め、俺の周辺をことごとく変化させているライナー波なら何が起こっても不思議じゃない。
「ちょっと、拓磨。話聞いている?」
ずっと黙ったまま歩いている拓磨に葵は声を飛ばした。
「ん?ああ…今朝の事をずっと考えていたんだ。あいつら、仲間を誰かにやられたみたいだったが一体誰がやったんだろうな?」
「ひょっとしたら、あのゴリラじゃない?自転車を弾丸みたいにぶん投げる大男だよ?」
祐司がすぐさま答える。
祐司が言う『ゴリラ』というのは…間違いなく今朝の学生だろう。
2年2組、心堂大悟。一緒に説教を受けたから名前とクラスは分かった。2メートルを超える巨体に圧倒的な怪力。警察の話によるとぶん投げた自転車は不良の胸の骨をへし折ったようだ。
思えば、あの時のあいつは殺意のようなものを迸らせていた気がする。見た目通り喧嘩の腕も相当強いだろう、不良が相手でも無問題で叩きのめせそうだ。
拓磨は大悟のことを考えていて、祐司の推測が否定できなくなっていた。登場時のインパクトのせいかもしれないが、考えれば考える程不良に喧嘩を売ったのは心堂大悟なら何の違和感もないという不謹慎な考えが芽生え始めていたのである。
「お、憶測で決めるのは良くないぞ、祐司」
拓磨は必死に自分の考えを否定しながら、自分自身に言い聞かせるように祐司を窘めた。
「たっくん目が泳いでるよ?本当はたっくんもそう思っているんじゃないの?」
祐司はおちょくるように横目で拓磨をじっと見つめる。
「祐司、外見で人を決めるのは良くないよ?」
「友喜まで何を言っているんだか…。いいか?初見の印象というのはすごく大事なのだよ。あんなゴツい体で、おっかない顔だったら喧嘩に明け暮れていてもおかしくないと考えるのは普通でしょ?不良をぶちのめしてもおかしくないだろ?友喜はたっくんの顔で免疫がついているからそんなことが言えるのだ」
祐司の可能性を潰していく推理に、友喜は返す言葉を失ってしまう。
「ま…まあ、私だって少しはそう思っちゃうけど…もし、あの生徒がすごく真面目で繊細な人だったらどうする?」
「あり得ないね。もし、そうだったらこの前友喜が食べたいって言っていた『上毛三山<<じょうもうさんざん>>パフェ』をおごるよ」
「あっ、言ったね?当然、男の言葉に二言は無いよね?その言葉、よおおおおく頭に刻んだからね?泣いても許してやらない」
祐司と友喜が、背後でガヤガヤ騒ぎ立てているを流しながら、葵は拓磨の隣を歩き始めた。
「巻き込んで悪かったな、桐谷先輩のことも」
「あれはどうみてもあの不良達が悪いし、あんたのせいじゃないでしょ?それに前も言ったでしょ、『一人であまり抱え込まないで』って」
「まあ…先生がバイクに轢かれそうだったからな」
「あんたが轢かれてどうするの?」
葵は言葉も出ず、ため息を吐いた。呆れ果ててしまっていた。
「俺の体は、戦車みたいに頑丈だからな」
「そうね、体は丈夫でも服はまったく丈夫じゃないけどね」
葵は拓磨の制服を上から下へと眺める。
バイクにはね飛ばされた制服は、右太腿あたりに大きなタイヤ痕を残していた。引き裂かれたような傷跡が太腿、膝、脛周辺に走り、衝撃の凄まじさを物語っている。
「病院行った方が良いんじゃないの?」
「傷も無いし、痛みもない。大丈夫だ」
「打ち所が良かったって事?」
「それもあるが…おそらくライナー波のせいだろうな」
「ねえ、お願いだからそのオタク話止めてくれない?あんたまで祐司の世界に引き込まれてどうするのよ!?」
葵はまったく異世界のことを信じていない。信じろという方が無理なのかもしれないが、友喜が巻き込まれた以上葵も標的にされる恐れがある。何とかして理解させる必要があるが、実際にウェブスペースに連れて行くわけにはいかないので彼女への説得について拓磨は困り果てていた。
「帰りに私の家に寄って。この前の制服、破れた部分の修理が終わったから。何とか誤魔化せるくらいにはしたけど、あんまり期待はしないでね」
「着れれば何でも良い。助かる」
「まったく…世話のかかる奴らしかいないんだから。あんたたち、少しは桐谷先輩を見習いなさいよ。勉強もできて部活もできて、家事全般もドンと来い。他の部活から武道館に観覧者が来るほどの大人気なんだから」
確かに一目見ただけだが、只者ではない風格は漂っていたな。
拓磨は納得したが、祐司は不服そうに三白眼になっていた。
「漫画の中に出てきそうな完璧超人だな、俺には一生かかっても無理だ」
「俺はまったく興味ない」
拓磨と異なり、祐司はバッサリと言い切った。
「あんたはあの人の爪の垢でも煎じて飲みなさい、祐司」
「俺は一点特化型を目指しているから、何でもできる人の気持ちなんて分からないし興味が無いのだ。それに欠点が少しあった方が魅力的だろ?」
「ふざけたことぬかすな、あんたたちは欠陥だらけでまともなところなんか少しもない社会不適合者でしょ!」
「…努力します」
拓磨と祐司は葵の怒りが大きくなる前に降参して、話を打ち切った。
そんな3人の様子を友喜は笑いながら眺めていた。小学校の頃から変わらない、むしろ前よりも仲良くなった気がする光景が目の前に広がっていた。色々大変な事態に巻き込まれているが、この光景だけはこのまま続いていって欲しい。友喜は心の底から願っていた。
4人の時間はすぐ過ぎた。いつの間にか不動ベイカリーの前に着くと、祐司は用心のために友喜を送り届けると言って2人と別れた。
拓磨は葵に家の待つように指示されるとその指示に従った。すると、拓磨の胸ポケットに入った折りたたみ式携帯電話が鳴り出す。
拓磨は携帯電話を取り出すと画面を開いた。そこにはいつものように白衣を着たゼロアの姿があった。
「朝から散々だね、拓磨」
「ゼロ。あの不良、もしかしたらリベリオスの息がかかっているんじゃないか?」
「ライナー測定器は震えた?」
拓磨は今朝の事を思い返してみる。
「いや、反応は無かったな」
「リベリオスの技術は驚異的だ。もしかしたら、現実世界でライナー波の反応を完全に消す方法を見つけていてもおかしくない。けど、君がリベリオスを疑う理由を教えてくれるかい?」
ゼロアは拓磨に理由を尋ねてくる。
「バイクで体育館に乗り込むくらいだったら頭のイカれた奴と説明できる。だが…」
「だが?」
「不良に拳銃は似合わない」
拓磨はあっさりと答えた。
「なるほど、確かに拳銃まで持っていると不自然さは感じるね。つまり、リベリオスが不良グループに武器を流していると君は考えているのかい?」
「あくまで推測だ、もしかしたら外国の武器密輸組織が不良に目を付けたのかもしれないし断定はできない。だが、もしそうだったらとんでもないことになる。ライナー波のオカルトパワーで稲歌町は泥沼の戦場になるぞ?」
考えたくもない未来が拓磨の頭によぎった。
「分かった。スレイドと協力してできる限り調べてみよう」
「それと、今後の方針について話しておきたいんだ。この後、祐司が戻ってきたら話し合おう」
「おやおや、一段と頼もしくなってきたね、拓磨」
「ふっ、茶化すな。服に傷が増えすぎて叔母さんの怒りを静めるこっちの身にもなってくれよ。俺のはサイズが無いから特注なんだ」
拓磨は小さく笑うと、携帯電話を折りたたんで胸ポケットにしまい込んだ。
「今、誰と話していたの?」
葵が拓磨の制服を持ちながら、ドアを開けて出てくる。
「俺の友人だ。ゼロアという名前で携帯電話の中にいるんだ」
拓磨は葵から服を受け取ろうとしたが、葵は手放さなかった。目くじらを立てて拓磨を見上げている。
「葵、俺はいつもどおりだぞ?」
「ええ、いつも通り頭がおかしいって言いたいんでしょ?分かる、すごく分かる」
「何を怒っているんだ?別に俺が頭おかしくても良いだろ?」
「良いわけないでしょ!狂信者みたいな祐司を私とあんたと友喜で止めていたのに、あんた達全員オタクの仲間入りしてどうするの!?」
葵の怒りが稲妻のように走るのを拓磨は感じた。
無駄遣いが叔母さんにバレたときと同じだ。無限に湧き出す怒りを相手に叩きつける。相手が迷惑してようが関係ない。反撃を許さず一方的に叩きのめす。ギブアップも通用しない、死体に鞭打ちを平然と行う極めて危ない状態である。
「……とりあえず、言い訳をしていいか?」
「ダメ!」
交渉は失敗した。
「1分もあれば説明できると思う」
「許さん!」
取り付く島が無い。
拓磨はため息を吐くと、葵が力を抜いた一瞬の隙を見計らい制服をぶんどった。
「これは本当に助かった。恩に着る」
「返しなさい!まだ話は終わってない!」
葵は取り返そうとしたが、拓磨が高々と制服を上げたのでジャンプしても届かなかった。
「葵、真剣に聞いてくれ。俺も祐司も友喜も最近面倒なことに巻き込まれたんだ」
拓磨は冷静な声で葵を諭す。突然調子の変わった拓磨に葵も不満げに睨んでいた。
「リベラルとかウェブスとか意味の分からないこと?どうせ、アニメやゲームのことでしょ?」
「この前も祐司が説明したろ?他の星の侵略者がこの世界に攻撃をしかけたんだ。俺たちは何とかそいつらに対抗している。祐司や友喜の言っていることは作り話でも何でも無いんだ」
「悪いけど、自分で体験したことじゃないと私は信じられないの。これ以上、ふざけたお遊戯を3人で続ける気なら二度と口を聞かないから!」
葵は肩を怒らせると、拓磨に背を向け家のドアに向かっていった。
「おい、修理代はいいのか?」
「『特選メロンパン』3個!全部拓磨の奢り!おやすみ!」
捨て台詞のように拓磨にぶつけるとそのままドアを荒々しく閉め、葵は家の中に姿を消した。
拓磨は再び携帯電話を開くとゼロアを見る。
「何かアドバイスをくれ、相棒」
「ウェブスペースに連れて行きたいけど、人間を大気中のライナー波から保護することは今の段階じゃ難しいね」
「相良組の時にリベリオスが町の住民を連れて行ったやり方じゃ無理か?」
拓磨は渋い顔をするゼロアに代案を出した。
確かあの時は特殊な装置を使って稲歌町民をそのままウェブスペースに送ったはずだ。あれをどうにか使えれば葵もさすがに信じるのでは?
「ウェブスペースに送られていた住民は汚染はされなかったけど、特殊装置を通った反動で具合が悪くなった人が出たはずだよ。それにウェブスペースじゃずっと気絶状態だったんだ。気絶した人を説得できる自信があるなら考えるけど、どうする?」
「……今の話は聞かなかったことにしてくれ。さらにあいつの機嫌が悪くなると思う」
拓磨はため息を吐くと電話を再び閉じて、ポケットにしまいこんだ。
その時、ふと思い立ったように鞄の中から財布を取り出すと、残金のチェックを始める。
白銀の硬貨が『俺がいるから心配ない!』と言わんばかりに3枚まぶしく光り輝いていた。
不動ベイカリー『特選メロンパン』、1つ500円。
拓磨の残金、3円。
差し引き1497円の不足。拓磨のバイト代2週間分必要。
拓磨はふと空を見上げると今まで晴れていたのに、どんよりと曇り始めていた。まるで拓磨の気持ちを空が察してくれたかのようだった。辛いときに優しくさせると泣きたくなってくるというがその気持ちが今の拓磨にはよく分かってしまう。
世知辛い世の中を痛感せざるを得なかった。
………仕方ない、叔母さんに前借りをするか。
拓磨は財布を鞄に戻すと、商売真っ最中の我が自宅へと帰っていった。

同日 午後4時41分 稲歌町西地区
日も暮れ始め、民家に明かりが点きはじめる中、心堂大悟は黙々と歩道を通り家路へと向かっていた。
いつもは学生や近所の住民が闊歩する道だが、今日は人の代わりにカラスが地面にたむろって車にはじき飛ばされて死んだ猫の死骸を突いていた。
大悟は分かっていた。学校の奴らは土曜に近所のホームレスを襲っていた不良の連中だ。
今までも不良に襲われて怪我をするようなことは耳にしたが、今回ばかりは様子が違う。まるで頭のネジが飛んだように見境無しに暴れまくっている。
すると突然、背後の方で怒鳴り声と共にパトカーのサイレンが鳴り始めた。振り返ると、ドクロをライトの上に載せた赤い大型バイクをパトカーが追いかけていた。バイクに乗っている男はケラケラ笑いながら中指をパトカーの方に立てて挑発している。
2台は一瞬で大悟の横を通り過ぎると沈んでいく太陽の光の中に消えていった。
最近、パトカーのサイレンがよく聞こえる。ほぼ毎日鳴っていると言っても良い。今まで暮らしてきたがこんな事は初めてだ。西地区全体が無法地帯になっているようだ。
拳銃なんて不良が持っているのが何よりの証拠だ。どうすりゃあんなもの手に入るんだ?おまけに景気よく派手にぶっ放しやがった。俺とあいつが止めていなかったら壇上の2人が撃たれていた。
大悟は今朝の出来事で自分と共に生徒を助けた学生のことを思い返していた。
ボサボサ髪、彫りが深く濃い顔、2メートル近い巨体。
何となく噂には聞いていたが、あれが東地区のパン屋の息子か…。不良を一瞬で気絶させた手際の良さと言い、あいつはかなり喧嘩に慣れている。
考えと共にしばらく歩くと、左側に見慣れた光景が見えてきた。
いつもはホームレスのダンボールやテントが目立つ公園。先日、俺がホームレスを助けた場所だ。
今日はダンボールが跡形も無く撤去され、いつもなら笑って声をかけてくるホームレスの連中も1人もいない。おそらく、この前の襲撃もあって他のところに避難したんだろう。
木製のベンチにはバットで殴られたのであろうか、端の部分が砕けて地面に落ちている。滑り台にはタバコの火が押しつけられたように黒ずんだ部分が目立つ。電灯に至っては支柱の部分にへこんだ箇所もいくつかあった。
「ひでぇな…」
声が漏れてしまう程の惨状がそこに広がっていた。公園に寄ろうと1歩踏み出したときだった。
突然の殺気。大悟は間髪入れず、右に振り向きながら右拳のバックブローを繰り出す。次に骨と肉がぶつかり合う乾いた音。
「よし、加減はできている」
見ると大悟より10センチほど小さなオールバックの髪型、アゴに薄く黒い髭を生やし黄色いエプロンを身につけた男が両手で大悟のバックブローを受け止めていた。
顔全体の形は、大悟そっくりである。
「ったく…親父。びびらせんなよ」
大悟は安堵の息を放ち、腕の力を抜いた。
「早く来い。お前の面じゃまた不良に絡まれるぞ?」
大悟の父、心堂一馬<<しんどうかずま>>は馬鹿にしたように苦言を吐く。
「お、おい!何で俺が面倒起こしたって知っているんだよ?」
「桜だ。本当に出来の良い娘だ、どこかの誰かと違ってな」
「俺を産んだのは親父だろうが!」
「俺じゃない。お前の母親だ」
何を言おうと粗を探され反論されるので大悟は諦め舌打ちをすると、一馬の後を付いていく。
公園を素通りし、100メートルほど進んだ住宅街の一角にそれは見えてきた。
『町のお弁当屋さん 「こころ」』。
開店して17年近く、西地区住民の胃袋を支えてきた古き良き店舗である。
左右に開く自動ドアの上には黒い看板に白い文字で『こころ』とひらがなで書かれている。一馬が開店するときに自分で作ったらしく、『ろ』の文字の真ん中の部分が雨風などが影響の劣化で消え始めていて、『こここ』と読めるようになってしまっている。当の本人は『面白くて良い』と新しいのを作るつもりは無いらしい。
2人は店の中に入ると正面の弁当の見本が入ったガラスケースの左側にある従業員専用口から奥へと進んでいく。
心堂家は一階が厨房と販売所で構成されている。大悟達が住んでいるのは主に2階になるが、自分たちの食事も厨房で作るため厨房の隅に階段があり、2階へ食事を持って行けるようになっているのだ。
「あっ、二人ともお帰りなさい」
厨房では黄色いエプロンとバンダナを身につけた大悟よりも30センチ以上小さな少女が引き抜くと玉ねぎを混ぜ合わせたハンバーグのタネを両手で交互にキャッチボールのように手早く移し、空気を抜いていた。
「悪いな、桜。俺は…」
「話はご飯の時でもできるでしょ?お兄ちゃんは早くハンバーグと目玉焼きを焼いて」
桜はあごで巨人に指示を出す。大悟は鞄を階段の所に置くと、一馬からエプロンを渡され作業にかかる。
「おい、早く調理帽をかぶれ」
「あっ!?何でだよ?坊主頭だからしなくてもいいだろうが!?」
父親に大悟が屁理屈で食ってかかる。
「早くかぶって!お客さんが食中毒になったらお兄ちゃんのせいだからね!」
「ったく、ピーチクパーチクうるせえ家族だ…」
大悟は渋々パートの調理員がかぶる透明な白い調理帽をかぶるとハンバーグのタネに触れようとした。
「お兄ちゃん!!」
「今度は何だ!?」
「料理前に手を洗わない馬鹿がどこにいる?」
桜に注意され、一馬に致命傷を与えられる。
まったく周りと調子が合わない大悟であった。
20分後、白いトレイに料理を載せて2階に上がっていく。
階段を上ると、そこは10畳程の畳が敷かれた部屋にたどり着く。部屋の中央には、冬にはコタツにも使える2メートル四方の大型テーブルが置かれている。部屋の南には家前の道路が眺められる窓、東には1階へ続く階段、西には木製の台座の上に鮭を咥えた熊の置物や『風牙(ふうが)』と墨で描かれた掛け軸が壁にかけられていた。その前には液晶テレビが背景に浮いて鎮座していた。
北側は通路が東西に作られ、畳部屋のちょうど向かい側の大悟の部屋などが並んである。
3人は、厨房で作った料理をテーブルの上に次々と置く。
本日の食事はハンバーグを中心に目玉焼き、オニオングラタンスープ、大根とニンジンを千切りにしてドレッシングと和え、レタスやブロッコリーにかけたサラダ、そして釜に入った4合の炊きたてご飯。
「おい、奏<<かなで>>さんはどうした?」
大悟は自分の茶碗に炊きたてのご飯を盛りながら尋ねる。
心堂家の食卓はもう1人、知り合いの女性と一緒に食べるのが日常の光景なのだ。今回は、その女性がいない。
「彼女なら今日は早めに家に帰らせた」
「えっ、何で?」
大悟はポカンとして一馬に尋ねる。
「あまり遅くなると不良に襲われるかもしれないだろ?」
「その時は、俺が全員ぶちのめせばいいだろ?」
一馬はため息を吐きながら、箸を並べる。
「アホ。起きなくても済む危険に巻き込む馬鹿はいない。いさかいは少なければ少ないほどいいんだからな」
「お兄ちゃん、奏さん大好きだもんね」
妹のド直球な言葉が大悟の胸を貫いた。大悟は恨めしげに桜を睨むが、そんなこと知ったことではないとばかりに「いただきます!」と両手を合わせて食事の号令をかける。
「大悟、不良の狙いはお前か?」
「ホームレス助けた時に叩きのめした奴らの仕返しだろうな」
大悟はスプーンでグラタンを取り分け、口に頬張る。濃厚な牛乳のコクと玉ねぎの甘さが口に広がり、ご飯への欲求が湧いた。
「お兄ちゃん、今日は助けてくれてありがとう」
桜は笑顔を浮かべながら大悟に礼を言った。
「桜は俺のことを責めないのか?俺が人助けなんてしなかったら学校を襲われることもなかったかもしれないんだぞ?」
「ん?何でお兄ちゃんが責められるの?休みの日にはホームレスの人も助けて、今日は学校のみんなを助けたじゃない。元々悪いのは不良の人たちでしょ?」
大悟は箸を止めてしまった。何とも言えない複雑な思いが胸の中に充満していく。そんな息子を見かねたのか、一馬は鼻で笑った。
「まあ、見方を変えればお前も不良と同じだからな」
「あっ!?俺が奴らと同類!?」
「だってそうだろ?お前にしても、お前と一緒に戦った生徒にしても暴力に物を言わせて他者を制圧すると言う意味では奴らと変わらないじゃないか?」
大悟は一馬に反論しようと口を開けたが、言葉が出てこなかった。
反論しようにもその通りだからである。できるわけがない。
結局、俺は無意味に周りを危険に巻き込んだのか?
「お父さん!」
桜が一馬を叱りつける。兄に助け船を出そうとした妹の声に一馬は笑顔を浮かべて笑い出した。
「ははは、悪い悪い。大悟、そうやって悩めるならお前は大丈夫だ。生きてりゃどうやったって腑に落ちないことや矛盾にぶち当たることがある」
「親父もか?」
「当然だ。昔、俺に武術を教えていた師匠によく食ってかかった。『拳をふるうのは所詮暴力。どれだけ『護身』だの『誰かを守るため』だの言い訳を作っても相手をぶちのめしていることには変わらないじゃないか』ってな。暴力を必要としていない世間と自分のズレに思い悩んだ時期もあった」
一馬はハンバーグを口に運びながら昔話を噛みしめるように語り出す。
大悟は父親の過去をよく知らなかった。
分かっているのは、親父に武術を教えた師がいてその武術を自分も使っているということだ。とは言っても教えられるのは相手を誤って殺さないようにする手加減や武術を扱う上での心構えなどの基本的なことだけだ。それ以外のことを教えて貰ったのは生まれてきて一度もない。
それが何となく不気味だった。いつの間にか親父と同じ武術を使える自分が不自然な存在であると思うこともたびたびある。親父は武術について話したがらないので今日の彼の姿は貴重なものだった。
「それで…親父の悩みは晴れたのか?」
「いいや、今も答えが出ていない。でもな、それが答えだと思ったんだ」
「は?ど、どういう意味だよ?」
大悟は訳が分からず聞き返した。
「世の中には『答えが無い』という答えがあるってことだ。お前が悩み、何回も壁にぶつかっているならそれで良いんだ。それが生きているって事だ、大悟」
「お父さん、難しい話してないでさっさとご飯食べたら?食べることも仕事のうちだよ?」
桜はすでに自分の分の料理を食べ終わり、片付けの準備を始めていた。
「ふふっ、我が家の娘には10年くらい早い話だったな」
「俺は、人を助けたことを後悔してねえ。それでいいんだな?」
「お前がそう思うならそれで良いんじゃねえか?俺も間違ったことはしてないと思うぞ。人が殺されているのを黙って見ているより、止められるなら止めた方が良いに決まっているだろ?それがただの一般人なら尚更だ」
大悟は笑みを浮かべると一気に食事を口に掻き込み始めた。
「最初からそう言えばいいんだよ!ったく、親父は話が長えな!」
「俺の意見ではなく、自分で考えて動けるようになれ。まだまだお前は青いな、若造」
一馬は大悟を馬鹿にするように目配らせすると、食器を持って1階へ下りていった。
大悟は不満げに鼻息を鳴らすと最後のラストスパートでメシを掻き込み、自分も片付けを始めた。
10分後、片付けも終わり桜が先に入浴に向かった。その間、大悟と一馬はテレビを見ながら食後の休息を愉しむ。
バラエティ番組に大悟はチャンネルを変えようとしたが、一馬がリモコンを奪い取りニュースを流す。
「ニュースなんてつまんねえだろ、お笑い見ようぜ」
「お笑いなんてどこも同じだ。稲歌町じゃ不良が暴れているんだぞ?少しは情報に気をつかえ」
「あいつら、ドクロをバイクに付けて格好良いと思ってるただの暴走族だろ?」
「『スカル』っていうグループ名だそうだ。東地区の相良組がいなくなってから急に勢いを増してきたみたいだな。今じゃ警察も奴らを捕らえるのに必死で昼も夜も無いみたいだ」
大悟は、一馬のつまらない話とニュースに大きなあくびをした。
いいから、さっさとお笑いにチャンネルを回してほしい。桜が風呂から戻ってくる頃には眠っちまいそうだ。
「お前、この前警察の厄介になったな?」
「ああ。新井のおっさんに会ってきた。いつものイヤミを言われて、思ったよりすんなり帰らされたな。てっきり少年院に行くかと思ったんだが。まあ、不良の連中は文句なしに刑罰確定だけどな。ホームレスのおっさんたち殺そうとしたんだからな」
「お前がぶちのめしたそいつ等だけどな、釈放されたらしいぞ。何のおとがめも無しに」
大悟の眠気が急に吹き飛び、一馬の顔を凝視した。
どうしたんだよ、警察!?あまりに犯罪が多いんで人を捕まるのがめんどくさくなったんか!?
「ま、マジかよ!?まあ…俺が言えた義理じゃねえけどさ」
「ああ、奴らはまた人を狩りに行っているようだ。いつ、殺人が起こってもおかしくないな。お前に叩きのめされたから怒り心頭だろうな」
「な、何で親父がそんなこと知っているんだよ?」
たまに大悟は一馬が警察に知り合いがいて、内緒で情報を送って貰っていると疑うことがあった。それだけ彼の情報は一般人が知るには縁の遠いものだったし、詳しい内容だったからだ。
「昔の知り合いが教えてくれたんだ。そいつは息子同然に可愛がっている奴がいて、急にその子がこちらに帰ってくるって言い出して転校してきたみたいだ」
「その知り合いは警察の人間か?」
「いや、どこかの企業の社長をやっているみたいだ。名前は忘れたが」
何で企業の社長が警察の情報を知っているんだ?もしかしてマスコミの人間?それとも探偵業者?まさか、警察の内部情報を探る情報機関のボスだったりして…。
大悟の妄想が膨れあがる。すると、ピンク色のパジャマを着た桜が部屋に入ってきた。髪はすでに乾いておりサラサラと襟元で揺れていた。
「お風呂、空いたよ?」
「桜!お前、学校が終わったら絶対に1人で帰るんじゃねえぞ?」
大悟が鬼気迫る顔を花のような笑顔に近づけた。
「うえっ!?きゅ、急に何!?」
「不良が大悟に復讐するかもしれない。お前が大悟の妹だとバレたらお前もどんな目に遭うか分からない」
大悟の行動を一馬が説明した。
「だ、大丈夫だよ!警察の人が町中で警戒にあたるみたいだし」
「拳銃を平気でぶっ放してくる奴らだぞ!?警察だけじゃ不安だ!」
「ねえ、私よりもお兄ちゃんが狙われる可能性が高いんじゃない?だったら、お兄ちゃんから離れていた方が私は安全なんじゃないの?」
さりげなく正論をたたき込まれ、大悟が吐き出そうとした言葉は喉につっかえ急停止した。
「ははは、兄より妹の方が上手<<うわて>>だな?大悟、今回は警察に任せろ。警察だって馬鹿じゃない。その気になれば本庁が出張ってきて特殊チームを動員して一気に解決してくれる」
大悟は桜と一馬を交互に見ると、自分の旗色が悪いのを理解し、行動を起こした。
「……よし、じゃあ俺はしばらく学校には行かねえ。周りを巻き込むかもしれねえからな」
「ダメ!この前も自宅謹慎になったばかりでしょ!これ以上出席しなかったら本気で留年になっちゃうよ!?」
「悪いが、お前に余分な金を払ってやれるほど、うちは裕福じゃないぞ?学校には行け、お前に拒否権は無い」
今日はおそらく文句の集中砲火を浴びる日なのだろう。
何を言っても全てが裏目に出てしまい、結局大悟の言葉は何1つ受け入れられることは無かった。結局、学生としての本分を全うすることを決めつけられ、一馬は風呂へと消えていった。
「そういや、よく生徒の代表なんてやれたな?」
「あれはみんながやりたがらなくて、友達が無理矢理…」
「『無理矢理』?本当は格好良い先輩に目をかけてもらえると思ってノリノリだったんじゃねえのか?カマトトぶるなよ」
薄ら笑いしながら、チャンネルをお笑い番組に変え大悟の機嫌は最高に、桜の不機嫌も最高に達した。
「私、カマトトぶってないし!今朝はその…ちょっと失敗したけど全力でやったんだからね!」
「ほ~ほ~、それは良くできました。そんなお前に冷蔵庫からバナナミルク取ってくるパシリの権利をやろう」
「何それ!?お兄ちゃんには女性を大切にする気持ちは無いの!?」
「そんなわけないだろ?俺だって相手が良ければきちんとするさ。相手が、『良ければ』な?10年早い、出直してこい」
桜の中で怒りの火山が大噴火を起こした。顔を真っ赤にして、悔し涙のようなものを滲ませると大きく息を吸い込む。
「嫌い!お兄ちゃんなんか警察に捕まって一生牢屋で過ごせば良いんだ!」
巨漢の大悟を吹き飛ばすような勢いで大声を叩きつけると、怒り心頭のまま桜は廊下の奥へと消えていった。最後にドアが大きな音を立てて閉まる。
どうやら、自分の部屋に閉じこもってしまったらしい。
うるせえ妹だ、近所迷惑も考えろ。
鼓膜が音を外したピアノのように甲高い音を出し続けている。大悟は耳の穴をほじると、そのままテレビを見続けた。
緑色の恐竜の着ぐるみを着た人物がボケて、赤色の豚の着ぐるみがツッコミを入れようとしたときに画面の一番上に耳に残る甲高い音と共に白い文字が点滅した。
『ニュース速報』。
大悟は音に釣られて視線を送る。
『稲歌町にて警察官3名が不良グループに襲われ、病院に搬送。重傷の模様』
大悟はそのまま視線を窓の外に移した。目の前の道路は心堂家の側にある電柱の外灯でぼんやりと輝いていた。犬や猫の姿も、人の姿も見えない。しかし、遠くの方からバイクのクラクションとパトカーのサイレンが鳴る音がかすかに聞こえてきた。
警官が不良にやられたとか、一体どうなっているんだ?
拳銃も持っているし、警官もボコるし、あいつらただの不良グループじゃないのか?新井のおっさん達が無事ならいいが…。
大悟の心配をよそに、その日パトカーのサイレンが鳴り止むことは無かった。西地区住民のそばにある脅威は確実に広がりつつあった。
所詮はただの不良の暴動、すぐに警察が鎮圧する。普段ならそうなるはずだったのだ。
だがそれが偽りだと分かるのはすぐだということをこの時、誰も予想できなかった。

同日 稲歌町 東地区 不動家2階 拓磨の部屋 午後7時02分
拓磨はいつものように部屋着の『宗教ジャージ』を着ながらベッドの上で横になっていた。枕の側には折りたたみ式携帯電話が開かれた状態で拓磨を見ている。中には紫色の髪と白衣を着たゼロアが必死に手を動かしていた。
「さっきから何やってるんだ?」
「決まっているだろ、リベリオスとの戦いの準備だよ」
「何か…いつもより必死そうに見えるんだが?」
「……………」
明らかに今のゼロアには余裕が無かった。自分がリラックスしすぎているだけかもしれないが、今まで見てきたゼロアの様子の中で一番働いていると思える様子だった。昨日までニートだった男が、今日はブラック企業でこき使われるほどの印象の違いである。
すると、部屋のドアが2回ノックされる。ドアが開くと祐司がコンビニの袋を腕に2つぶら下げて、両手にはカップ麺を持ち、器用に足でドアを開くとそのまま足でドアを閉めた。
「お待たせ、たっくん」
「ずいぶん遅かったな?コンビニ寄っていたからか?」
「違う違う、葵だよ」
拓磨はベッドから起き上がると部屋の隅にある折りたたみ式の四角いテーブルを立てるとカーペットの上に置く。祐司はその上にカップ麺を置き、自分の赤いスマートフォンも置いた。中にはスレイドがいて、「美味い!」と口々に叫びながら弁当箱をつついていた。
「出てくるときに葵に見つかってさ、一緒に宿題をやるって口実を作ったら、『私も終わってないから一緒に行く』って言い出して。『男同士の座談会に女は不要だ!』と厳しく言って黙らせてきたんだよ」
拓磨は紫色の携帯電話を取り出すと留守電メッセージを再生し、テーブルの上に置く。すると、つい2時間ほど前聞いた声が再び聞こえてくる。
「拓磨、聞こえる?そっちに今祐司が行ったから。お父さんは今日も帰ってこないし、家の鍵全て閉めておいたから祐司の帰る場所は無いって伝えて。ついでに私の代わりに、祐司を一発ぶっ飛ばして!私が許す!じゃあね!」
荒々しく電話を切るような音がして留守電内容が終わりを告げる。
「あんまり葵を怒らせるな、そのうち取り返しのつかないことになるぞ?」
「たっくんは葵の肩を持つの!?」
「あいつはお前の姉の分と母親の分、両方やっているんだぞ?ただでさえ、高校が忙しいのに学校の部活もあって、おまけにお前のお守り、毎日の食事当番、家の掃除洗濯…」
「自分の洗濯物は自分で洗うよ!食事だってインスタント料理の腕は俺の方が上だ。自分で料理をするときは俺がやるし、最近は友喜が遊びに来て料理を作ってくれるから困らない」
拓磨の言葉に祐司は反論した。
祐司は何も分かっちゃいねえ。
拓磨は頭を抱えると、再び声をかけた。
「はあ…そういう問題じゃねえだろ?少しはあいつの苦労を分かってやれ。葵じゃなかったら、もしかしたら刃物で刺されているかもしれねえぞ?優しい言葉の1つでもかけて、理解してやったらどうだ?理解が無理ならそういう演技をしてみろ。それだけでも精神的にかなりマシになると思うぞ?」
「真面目すぎるんだよなあ、あいつは。適当に手を抜けば良いのに。彼氏でも作ってパーッと忘れる時間でもあればなあ……まあ、考えてみるよ」
祐司はかなり不服そうに顔をしかめていたが、刺されては敵わないとばかりに仕方なく折れた。
「それ以外にもう一つ聞きたいんだが…スレイドさん、その弁当は何ですか?」
画面の中で一生懸命弁当を食べるスレイドの姿は、育成ゲームでゲームのキャラに食事を与えたような印象を受ける。
「いやあ、友喜は本当に気がきくよね。スレイドさんとゼロアの分のご飯を作ってきてくれるんだって!『自分ができることはそれくらいしかないから』とか、なんと健気な発言じゃないか、そう思うだろうたっくん!?」
拓磨は友喜のことよりも、むしろゼロア達のことで頭が一杯だった。
今まで聞かなかったことがおかしかったのだ。
『そもそも、ゼロア達は何を食べるんだ?』
宇宙人の食生活なんてまったく分からない拓磨にとっては、全力で食事にありついているスレイドが新鮮に感じられた。
「ウェブスペースでは、携帯用の栄養補給器で今まで何とかしていたんです」
スレイドは袴の中からタバコの箱のようなものを取り出すと、弁当を画面外に置き自分の掌に一振りする。すると、大豆ほど大きさの虹色の玉がコロンと出てきてスレイドの掌に落ちる。
「それが……食い物?ずいぶんと貧相ですね」
「ウェブスペースに漂うライナーエネルギーを元に作った物ですが、これ1個で1日分の栄養が取れるんです。見た目は確かに…あまりよろしくないですけどね。ただ、やはりこうしてきちんと食事をするのは何とも格別ですな、友喜殿にたくさんの感謝をしなければ!」
話が一段落終わると、スレイドはまた弁当を貪り始めた。
「惑星フォインではずっとそれを食べているんですか?」
「いいえ、ウェブスペースに来てからはこれですね。フォインにいた頃は普通に食事をしていましたよ?地球に来て驚いたんですが、本当にフォインと似ていますね。昔のフォインを見ているようですよ」
どうやら、地球とフォインには類似点があるようだ。コンピュータなどのITが主流となった情報化社会、そして食生活。地球以外にも生命がいる星があると聞いたことがあるが、まさか食生活や文明も似通っているとは不思議なこともあるもんだな。
「拓磨、そろそろ話してくれないか?」
拓磨が2つの星の奇妙な繋がりを不思議に思っていると、ゼロアが電話の中から声をかけた。
「ああ、話というのは今後の方針だ。これからリベリオスに対して俺たちがどう対抗していくかだ」
「相手がこちらを攻撃してくる以上、反撃するしかないと思うけど。もちろん、話し合いで済むなら一番良いけど、今までのあいつらの行動を見るとどうもそんなの通用しないと思うけどね」
祐司は暗いトーンで呟く。祐司本人としては前回の事件はあまり思い出したくないものだろう。
相良組を化け物として利用。町の住民の拉致。それ以降、人間を利用しては怪物としてこちらに差し向けている。例を挙げれば終わりが無い。
拓磨も祐司の意見に賛成だった。相手が襲ってくる以上、反撃するしかない。そうしなければ一方的にやられるだけだ。
「もしかして、わざわざそれを確認したいために呼んだのかい?」
「いや、今回はもう1歩先に進む。リベリオスに対して、抵抗するために俺たちがやるべきことを決めようと思ってな」
「対抗策…すなわちウェブライナーの強化ですか、拓磨殿」
スレイドが弁当を食べ終わり、話し合いに参加する。
「そうだ。前回の戦いの後、考えてみたんだが俺たちは共に戦う仲間を探した方が良いと思うんだ」
「たっくんの意見に異論無し!一緒に戦おうという人が増えればそれだけできることも増えるしね!」
祐司は勢いよく手を上げ、賛成の旨を伝える。
「私も異論はありません。リベリオスの勢力はこちらを遙かに上回っています。同志の増員は急務と言えるでしょう」
スレイドも深く頷き、賛成する。
「私もおおむね賛成……だけど、いくつか質問がある。まず仲間についてだけど、つまりそれはウェブスペースで一緒に戦える人のことを言っているんだよね?」
「もちろん、こちらの世界でバックアップしてくれる人も歓迎だが…。そうだな、やっぱり一緒に肩を並べて戦える人も欲しいな」
拓磨の意見にゼロアは難しく顔をしかめた。
「それは……たぶん1人もいないんじゃないかな」
「はあ?どういう意味!?仲間を増やそうという考えは間違ってないと思うけどな」
ゼロアの返答に祐司は不満げに食ってかかる。
「いいかい、祐司。そもそも、人間はウェブスペースに行ったらライナー波にあっという間に汚染される危険性があるんだ。先天的に抗体があっても、この前の馬場達也のように最終的には化け物になる可能性がある」
「俺たちは何の影響も無く動けるだろ?」
「祐司殿、それははっきり言ってあなた方2人が特殊だからですよ。残念ながらその理由についてはゼロア殿も今の段階では発見できていません。ウェブスペースで戦う同志というのは…やはり難しいと思います」
スレイドの冷静な意見に祐司は黙り込んでしまう。
「だったら、ガーディアンを探したらどうだ?」
拓磨はさりげなく次の一手を打った。その言葉にゼロアとスレイドが全身を一瞬強張らせて拓磨を見る。
「何か聞いたことがあるけど忘れたな。たっくん、ガーディアンって何?教えて教えて」
祐司は先生に答えを求める小学生のように疑問符を顔中に浮かべて質問した。
「前にゼロアに聞いたんだが、最初のウェブライナーは今の何十分の1くらい小さかった。ライナー波のおかげであんな巨大になっちまったわけだが、元々ウェブライナーに乗れる4人の人物がいたらしい。彼らはウェブライナーに乗れると同時に他の第3者に搭乗の許可を与えることができたそうだ。つまりウェブライナーを守る者、『ガーディアン(守護者)』ってわけだ。ゼロとスレイドさんはそのガーディアンだ」
「へ~それじゃあ、あとガーディアンは2人いるのか…ん!?」
拓磨の説明を反芻していた祐司に閃きが降りた。
「そうか!そのガーディアンを探せば、その人はフォイン星人だからウェブスペースで戦えるわけか!」
「おまけにすでに契約者を見つけていて、そいつが俺たちみたいにウェブスペースで戦える可能性もある。戦えないにしても仲間になってくれる可能性は十分にある。ガーディアンを見つける方が効率的だろ?」
「良い意見だ、たっくん!まさに一石二鳥!ゼロア、スレイドさん。そうしようよ!」
2人の高校生の喜びに引き替え、フォイン星のガーディアン2人はお通夜のように暗く沈み込んでいた。そんな彼らの様子に2人は気づきもせず、話を進める。
「確か、1人は亡くなっていたんだよな?でも、もう1人は行方不明だったはずだ」
「そうなの!?う~ん、そうか死んでいたのか残念だ…。でも、その行方不明の人は生きている可能性があるんだよね?じゃあその人を…」
「無理だ」
ゼロアが急に口を開くとせっかく盛り上がっていた2人の会話をブチッと切った。祐司が目くじらを立てて折りたたみ式携帯電話を不愉快そうに睨む。
「ねえ、君。せっかく人が盛り上がっているのにそういう言い方はないんじゃない?空気読めないの?KYなの?白衣なの?幼稚園児だって、はしゃぐ時は全力ではしゃぐよ?君は幼稚園児以下かい?」
「祐司殿…。笑い事では無いのです」
スレイドまで重々しい雰囲気になってしまったことに拓磨は事の重大性を何となく感じ始めていた。何か言ってはいけないことを言ってしまったみたいだ。
「無理というのは…行方不明のガーディアンのことか?もしかして、彼はすでに死んでしまったのか?だったら…勝手に盛り上がって悪かったな。気が付かなくてすまない」
「違う、拓磨。そうじゃないんだ。彼は…スレイドが見つけた。ちゃんと生きている」
拓磨の謝罪をゼロアは否定する。拓磨と祐司の視線がスレイドを向く。
「えっ?いたの?な~んだ!だったら計画に支障は無いじゃないか、それで…どこにいたの?」
「リベリオスの本部です。見たところ幹部の一員でした」
その言葉を聞いた瞬間、今まで笑っていた祐司の顔から笑顔が吹き飛ぶ。拓磨の顔はキツくなり一気に真剣味を増す。
「リベリオスの一員になったってことか?」
「私は信じたくない!あの人がリベリオスに下るなんて…そんなこと!」
「だ、誰!?誰なの、その人って!?昔の仲間裏切って、リベリオスについた馬鹿って誰なの!?」
祐司は予想外の答えにパニック状態に陥っていた。拓磨は祐司に落ち着くように言うと再びゼロアの方を向く。
「シヴァ・シンドー」
ゼロアとスレイドは同時にその名を答えた。
「シヴァ・シンドー?どんな人だ?」
「フォイン星における伝説の1つだ。彼だけはガーディアンの適性試験を行う以前からガーディアンの1人として確定していたらしい。私たちは彼のこと敬意を込めて『マスター・シヴァ』と呼ぶ。間違いなく地球の大国軍事組織と真っ向勝負して余裕で勝てるほどの力を持っている」
ゼロアの真剣さからその説明が嘘偽りのないものだと信じざるを得なかった。
軍隊と真っ向勝負できるなんて正直想像できないが…。銃弾やミサイルが効かないのだろうか?
「ぎゃ…ギャグ漫画の住人じゃないか!何でそんな人がリベリオスにいるの!?」
「分からないんだ!人格的にも優れ、自らの武術を多くの弟子に伝授しフォイン軍事における人材育成に大きく貢献したんだ」
「ただ強いだけじゃないってことか。まあ、強いだけの無法者をゼロやスレイドさんが尊敬するわけないだろうな」
しかし、そうだとすると色々と疑問が生まれる。
ゼロアの言ったとおり、なぜマスター・シヴァはリベリオスの側にいるのか?人格的に優れ、無意味な暴力を好まない人ならば今のリベリオスはとてもではないが相容れない存在と言えるだろう。
次に契約者はいるのか?ガーディアンならば俺たちと同じような現実世界での協力者も作れるはず。もし、契約者がいたとしたらその人物は誰なのか?当然、マスターが敵ならばその人物と抗戦する可能性は十分にある。
拓磨は色々と推測したが、今の段階では何も言えなかった。
分かっていることはゼロア達が恐れおののく相手と戦う可能性があるかもしれないということだ。絶対に避けたいところだが…全ては相手の出方次第だろう。
「そうなると、計画も変更だな。とりあえず、今朝の不良の学校襲撃についてから調査を始めるか?他に調べられるところも無いからな」
「たっくんは不良の馬鹿騒ぎとは考えていないんだね?」
祐司は腕組みをしながら質問を口にした。すでにカップ麺はできあがっていたが、話に夢中になって2人とも口を付けることを忘れていた。
「不良の暴動にしては騒ぎがでかすぎるからな」
拓磨はありのまま正直に分析した。
「先ほどニュースで確認しました。警察官の怪我人も出てしまったようですね。不良達には警察に対抗する武器などがあるのでしょうか?」
「あるから抵抗しているんだと私は思うね。やはり、拳銃まで出てくるとそれも警戒せざるを得ないからね。相良組が武器を所持していたらそれを奪ったとも考えられるけど」
スレイドの質問をゼロアが答えた。
拓磨は以前相良組と抗戦したときのことを思い出した。
思えば奴らは日本刀や槍、ロケット弾や手榴弾までも所持していた。素人目にも地方の暴力団組織にしてはあまりにも仰々しい武装に思える。
「ゼロ。ライナー波で武器は作れるか?」
「いくらでもできるだろうね。私の推測だと相良組に対してリベリオスは重火器などを提供したと思うよ。この世界で警察や自衛隊に対抗させるためにね。結局は使い捨ての駒だったと思うけど」
やはり、あの武装はライナー波で作った物だったのだろうか?
そう言えば、相良組が壊滅した後、怪物達が使用していた武器はどうなったんだ?おそらく、警察が押収したのだと思うがそうならニュースになっているはずだ。だが、今までそういう話は入ってこない。
警察が意図的に情報を規制しているか、それとも別の理由があるのか…。
「とりあえず、警戒は緩めないようにしよう。祐司、友喜はこの前巻き込まれたばかりだ。不良事件が一段落するまで1人で行動しないように伝えてくれ」
「分かった。俺も早く護身術を身につけて、足手まといにならないようにするよ」
「良い覚悟です、祐司殿!私も全面的に協力いたします」
スレイドの熱い檄が祐司に飛んだ。
今朝の祐司の反応を見ている限り、少しは成果が現れてきているみたいだ。爪が甘いところはあるみたいだが、スレイドさんも一緒だろうし心配ないだろう。
「ゼロとスレイドさんは警察の動向を探れるか?今、稲歌町で何が起きているのか知りたいんだ。俺たちが行っても門前払いだからな」
警察の動きを追うことができえば、不良グループに繋がると思った拓磨は2人に提案する。
「実は…警察署には私たちも入れないんだ。警察官が町を巡回しているだろうから、無線をハッキングして情報を集めることはできるかもしれないけど」
「何で警察署のシステムに侵入できないの?インターネットから侵入できないの?」
祐司はゼロアに疑問を口にする。
「あのね、祐司。警察のシステムには容疑者や被害者の個人情報など、世間に流出してはいけない情報がたくさんあるんだよ。それが自宅のインターネットから侵入できたら、ハッカー達が総攻撃して情報流出で大問題に発展してしまう危険もある。普通は警察内部だけで用いるシステムを構築するとか、外部に情報が流出しないように情報を遮断するんだ。最も安全なのはパソコンを使わないことだね。全部紙で情報交換して、金庫に閉まっておく。どれだけ文明が発展しても結局安全なことはアナログ思考ってことさ。何とも変な話だけど」
「へえ~結局最後はアナログかあ…。電子機器を使っている以上、情報が漏れていると考えた方がいいんだね?逆に言うなら外に出ても良い情報だけ電子上では記せってことかな?」
「おっ、君にしては良い意見だね?」
「『いつも君は良い意見を言うね』だろ?」
祐司は不満げにゼロアに一言付け加えた。
「まあ、できる限りで頼む」
拓磨はゼロアに頼んだ。
「分かったよ。それじゃあ、とりあえず今日はこれで解散で良いかな?ラーメンもすっかりのびてしまったみたいだし」
ゼロアは冷ややかに2人のカップ麺を覗く。2人ともふたを開けると、麺がカップ内を覆い尽くしておりスープはすっかり吸い尽くされていた。
「祐司、そもそも俺はもう夕飯食ったんだぞ?これは夜食か?」
「いやあ、申し訳ない。小腹が空くかなと思ったら話に熱中しちゃって…。あっ、そうだ!1つだけ決めることがあるんだ」
祐司が思い出したように手を叩き、話を切り返した。
「ねえ、ウェブライナーの今の姿って名前あるの?」
「は?白い騎士の姿のことか?」
「そう!黒いウェブライナーはカオスフォームってこの前名付けたけど、通常の時の姿に名前はあるのかなあって思って」
そう言えば、名前なんて無かったな。そもそも、姿が変わるなんて思ってもみなかったので当然と言えば当然だが。
「まあ、識別のために名前は付けた方が良いかもね。カオスフォームは君の識別コードから取ったのかい?」
ゼロアは祐司に問う。
「そうそう。ライナーコード『カオス』と言っていたから、その場のノリでね」
「『混沌の使者』という異名も?」
ゼロアはさらに祐司に突っ込む。
「お、俺の中二精神にケチを付ける気か!?」
「いやいや、『混沌』なんて今の君にぴったりの言葉だからね。すごくお似合いだよ」
あざ笑うかのようにゼロアがクスクス笑っている。
「そ、それで白いウェブライナーは何て名前にする?」
「ならば『ゼロフォーム』はいかがでしょうか?」
スレイドが案を出した。
「えっ、私のあだ名でいいのかい?」
ゼロアは驚いて聞き返す。
「確か、ライナーコードは『ゼロ』でしたよね?それに白いウェブライナーから始まったんですから『ゼロから始まった』という意味合いも含めてみました」
「文句なし異議なし拍手喝采でゼロフォームに決定!おめでとう、ウェブライナー!」
祐司は大きく拍手をしたので、拓磨もそれに釣られて賛同の意を示した。
はっきり言って、呼び方があれば何でも良かったんだが祐司の喜びぶりを見ていると下手に口を挟もうものなら手酷い目に遭うことは目に見ているので拓磨は黙るしかなかった。
「祐司、名前は重要なのか?」
「今まで俺の何を見てきたんだい、たっくん!重要に決まっているでしょ!」
祐司が顔を真っ赤にして、手元のカップ麺を投げ飛ばす勢いで拓磨に食ってかかってきた。
「分かった。下手に聞いた俺が全て悪かったから、部屋を汚すのは勘弁してくれ」
「分かればよろしいのです、じゃあまた明日」
祐司は気分上々で赤いスマートフォンを掴むと掴み、廊下に出て行く。そのまま、階段を降りる音が聞こえると1階で喜美子と会話をしている声が響いてきた。
「彼は相変わらずだね。意味不明で理解不能なところがある」
「まあ、だからこそ祐司なんだけどな。これは慣れていくしかないな」
ゼロアは疲れ切ったようにため息を吐いた。拓磨は袋に入っていた割り箸を取り出すとのびたカップ麺を2つ食べることになった。
ラーメンとは言えないが、スパゲッティのような汁無しの麺料理と思って食べたら普通に美味いことに気づいてしまうのが何とも言えない。
「拓磨、マスター・シヴァに会ったらまず私に話す時間をくれ。彼の真意を聞きたい」
「それは構わないが、話し合いが通用する相手なのか?」
「私の知っているマスターならば」
拓磨は横目でゼロアを見ながらラーメンを食べ続ける。
「もし……面影の欠片も無かったら?」
「彼が選んだ道がそうなら、全力で相手をする」
ゼロアは決意を旨にはっきりと言い切った。
「まあ、そうならないことを祈るか。交渉役は任せたぞ?フォイン星の伝説が相手なんだからな」
拓磨はラーメンを1つ食べ終わると次のラーメンに手を付けた。

5月9日 午前10時17分
ウェブスペース リベリオス本部 格納庫
天井に設置された灯光器が一直線に宙に浮いた鋼鉄の回廊を照らしていた。白髪混じりの老人が回廊の上で目の前にそびえ立つロボットを見上げ、手元にある液晶タブレットにデータを入力している。
前回のウェブライナーとの戦いの後、ラインから命令が下った。
『ウェブライナーを倒せる存在を製作しろ』
内容自体は実に分かりやすいが、難易度は実に高かった。
そもそもウェブライナーという存在が未知数である以上、現状のデータが全て物を言う。今のデータで作られたロボットは普通に考えればウェブライナーを上回る性能を持っている。今までもそうした兵器を作ってきたはずだった。
だが、いずれの作戦も敗北している。厳密にはロボットが破壊されただけでリベリオスそのものには大きく影響を受けていないが、敗北という事実は変えられない。
なぜ負けたのか?それは乗っている者の素質も絡んでいるだろう。『猫に小判』、『豚に真珠』、地球には価値を知らない存在に価値あるものを与えても無駄だという意味の言葉が多くあるが敗北の原因はまさにこれではないだろうかと老人は考えていた。
どれだけ強いロボットを作っても乗り手が無能では意味が無い。今までの試作品を乗ってきたのは全て地球人だ。いくら、持ち主の思考通りに動くとは言え戦闘経験の乏しい連中を用いてきた。
ウェブライナーの操縦者は手練れが多い。脱走したスレイドはそうだが、白い騎士の操縦者も侮れない。あれほどの者をゼロアがどこから調達できたのは不明だが、何らかの訓練を積んだのは間違いないだろう。
おまけに前回は姿まで変化したウェブライナー。スレイドと渡里祐司とかいう者が操縦者だったようだがより強大な敵になったのは違いない。
だが、苦境にも関わらずロボット制作の総指揮を任されているアルフレッドは内心喜びに満ちていた。
元々物作りが好きなのもあるが、何より高い壁を見ると越えたくなる冒険心が気持ちを高ぶらせていたのである。
資源は無限にあり、いくらでもロボット製作ができる環境。おまけに敵はどんどん強くなり、我々に挑んでくる緊迫感。自分の予想を上回る存在というのは脅威ではあったが、どこか嬉しくもある不思議な感覚であった。
「楽しそうですね、師よ」
右手方向、格納庫へ繋がるドアが開く音がして金属を踏む甲高い足音と共に若い男の声が聞こえる。アルフレッドは声のした方を振り向かず、液晶画面を叩いていた。
「そりゃそうじゃ。物を作っているときがつまらないわけなかろう?」
白衣を着た背が高く黒髪を前に垂らしたラインがご機嫌取りのようにアルフレッドに尋ねる。アルフレッドは横目で軽くラインを見るとそのまま作業を続けた。
「髪型を変えたか、まったく似合わんぞ?」
「あれ、ダメですか?いつも上げているだけじゃつまらないと思って変化をつけたんですが?」
「変化が必要なのはお前の性格じゃ。相変わらず総司令官としての自覚が全くない」
「たははは…、やはり手厳しいですね。これでも一生懸命やっているんですが」
ラインは照れながら前髪をいじくるように頭を掻く。髪が角のように立っては前に倒れることを繰り返していた。
「それはそうと、出来ましたか?新しいの」
ラインは通路の手すりにもたれるようにして、目の前のロボットを眺める。
すると一瞬目を疑った。ラインの想像とはまったく異なる光景がそこにあったのである。
そこにいたのは全身銀色で4足歩行の肉食動物であった、顔はライオンのように獰猛で、巨大な金属の牙が噛み合い犬歯が刃のように外に飛び出していた。体は流線形の体をしており、しっぽが胴体と同じくらい長く地面に垂れている。4本足はたくましく、人工筋肉と装甲の光沢が生きているかのような錯覚さえ覚える。
「これはライオンですか、それともチーター?今までの人型ロボットとはずいぶん趣向を変えましたね?」
「発明には発想が重要だ。ウェブライナーの弱点を突くにはこれが一番ベストだと判断したんじゃよ」
「弱点?そんな目立つ物ありましたっけ?」
ラインは、笑いながらアルフレッドに問う。
「お前は分析力の欠片も無いのか?」
「すいませんねえ、前回の姿を変えたインパクトが強すぎてそんなこと考える暇が無かったんで。それで、答えは?」
わざとやっているのかと疑う程の無能さにアルフレッドは相手にしていられず、無視した。
「教えん。出撃まで考えておく事じゃ」
「師は子どもですか!?教えて下さいよ、減るもんじゃ無いでしょ?」
「お前が言うな!ほら、さっさと帰れ!今回の戦闘はザイオンを乗せる気でいるんだからな。あいつにそう伝えておけ」
アルフレッドの回答にラインは眉をひそめてた。
「ザイオンは生身での戦闘は優秀ですが、ロボット操縦はお世辞にも見習いの域を出ていないと思いますよ。特に今回のロボットは人型ではないんでしょう?戦闘経験がそのまま活かせる人型ならまだしも4足歩行肉食獣じゃ慣れるにも時間がかかるでしょうし」
「ならマスター・シヴァでも乗せるか?あの者なら戦いにかけては何をやらせても超一流だろう。わしもあやつなら安心じゃ」
「それはダメです。理由は言わなくても分かるでしょう?」
急にラインの言葉が冷たくなり、アルフレッドに降り注ぐ。
「謀反の疑いか…。本当にシヴァが裏切ったと思うのか?お前も奴がリベリオスに加わるときは注意していたはずじゃ」
「そりゃ注意はしましたけど、フォインの伝説が味方に加わってくれるなら頼もしいこと、この上無いですからね。彼は契約者もいないようですし、まだ若く自制が出来ない部分もあるザイオンの良い抑止力になってくれました。何よりフォインの伝説が2人も集うというのは全体の士気の上昇にも繋がりますから。バレルがその良い例でしょ?彼が加わってからハイテンションでスレイドの捕縛にも成功しましたね」
「怪しい動きは無かったのか?証拠も無しに言及も出来まい」
下手に問い詰めたところで百戦錬磨のシヴァは動じないだろう。おまけにリベリオス全体の繋がりに亀裂を生じさせる可能性もある。彼が裏切り者だと確定するには確固たる証拠が必要だった。
「マスター・シヴァが証拠を残すとは思いませんけどね。あの人は徹底していますから。今のところ疑いはあれど証拠は無しという状況です」
「ならば今一度忠誠心を確認する必要があるな」
「それなんですが…総司令官として考えがあります。今度の作戦、マスターにも加わって貰おうかと思っているんですよ。彼にしかできない、とっておきのやり方で…」
その時、ラインは突然会話を中断し、先ほど自分が入ってきた自動開閉ドアの方を素早く振り返った。ドアは天井の照明に照らされ開いていた。ラインは睨みつけるようにドアを見つめていた。
「急にどうした、誰もいないぞ?センサーが適当なものに反応したんじゃないのか?」
「いえ、何でもありません。おそらく、気のせいでしょう…たぶんね」
ラインはアルフレッドの方に向き直った瞬間、自動開閉ドアの向こう側にいた何かは素早くその場を立ち去り廊下の奥に消えていった。

同日 稲歌町警察署 2階 大会議室 午前11時12分
稲歌町警察署にある大会議室。4月始めに署長が署員全員を集めて挨拶したことに使われて以来、大きな行事に使用されていなかった大会議室が月曜日から最大限に稼働し始めている。
40平方メートルほどの長方形の会議室、最前列には重要職の人物が座るための長机が設置され、その背後にはホワイトボードが配置、目の前には60人程の刑事が並べられた刑事が机に2名ずつ3列に並んで座っている。
刑事を前に1人の人物が机に置かれたマイクを持つと座ったまましゃべり始める。白髪混じりの髪を黒く染め上げ、警察官の制服と紺色のネクタイを着けた稲歌町警察署署長、大垣泰三<<おおがきたいぞう>>その人である。
「それでは会議を始めます。今回発生した稲歌町内の不良グループ取り締まりについて彼らが拳銃を所持し発砲した事実、さらに稲歌町民に対し危害を加えたことも考慮に入れまして、今回県警本部長の不二<<ふじ>>賢治<<けんじ>>氏を含め多数の警官の方々のご助力に感謝します。それでは被害状況について報告を」
大垣の隣に突き出た腹が目立つ白い顎髭を生やした老人が警官の制服を着用して座っていた。腹の辺りのボタンが吹き飛びそうになるのを震えながら必死に耐えている。
すると最前席に座っていたメガネをかけた刑事が立ち上がり、メモ帳を片手に説明する。
「確認されている限り、西地区で17件の住宅で被害が出ています。負傷者については今のところ死亡者は出ておりませんが、金属バットや鉄パイプで殴られた住民もおり少なくとも14人以上が病院に搬送、治療を受けているとのことです」
「他の地区での被害は?」
貫禄のある声が県警本部長の口から飛び出した。先ほど説明した刑事の後ろに座っている刑事が緊張した面持ちで立ち上がった。新井の部下の冴島刑事である。報告の役を担うことになり、頭のてっぺんから爪先まで震えが止まらなかった。
「は、はい!しょ…しょれではしょ…!」
冴島は舌を噛んでしまった。
「君は確か…冴島君だね?ゆっくりでいいから落ち着いて話して欲しい。今は正確な情報を知ることが大切なのだ」
大垣が冴島を落ち着けるようにゆっくりと言葉を投げかけた。冴島はその言葉に心を奮い立たせ、自分の右頬を軽く引っぱたくと大きく咳払いして前を向いた。
「すいません、取り乱しました。現在、南地区では3件、東地区では1件の被害が発生しています。北地区は0件です。報告以上です」
「大垣署長、北地区はどういう地区なのですか?情報だと森林地帯と出ているのですが、民家は一軒も無いのでしょうか?」
本部長の不二は隣の大垣に尋ねた。
「別荘はありますが、常に人が住んでいる家は少ないでしょう。交通も不便ですし」
「ふむ…なるほど。やはりグループの活動地域は西地区中心というのは間違いないようですな。SIT(特殊捜査班)を中心に行動を行うということでよろしいですかな?」
「不良相手にSITですか…。やはり拳銃を持っているというのが気がかりで?」
不二は大垣の問いに大きく頷いた。
「拳銃について警察庁や警視庁に確認を取りましたが、現在武器の密輸に疑惑のある海外グループの中で稲歌町に武器を卸した形跡は見当たらないということです。少なくとも半年は。相良組に半年以前から隠されていた武器を不良グループが手に入れたと考えるのが一番可能性のある考えだと思うのですが」
不二は意見を述べる。
「いいえ、その可能性は低いでしょう。相良組には以前から目を光らせてきましたが武器を仕入れた形跡はありませんでした。ただでさえ、拳銃は目を引くものです。家の中で銃を作ったというなら話は別ですが、そんな設備は以前の家宅捜索では発見できませんでした」
大垣の言葉に不二は大きく唸ると、そのまま目の前の刑事達に移す。
「拳銃の入手ルートについて何か報告は?」
すると、不二のちょうど目の前に座っていた茶髪の刑事が最前席で立ち上がった。
「拳銃ではありませんが、相良組の内部で爆発物が炸裂した形跡があるとの報告がありました。科捜研の報告だと爆発の痕跡は手榴弾や対戦車ロケット弾に酷似しているとのことです」
「ああ、その話ですか。相良組の門が粉々になったり、庭のど真ん中に大穴を開けていたという話の。それほどの重火器を彼らはどうやって手に入れたのでしょうか…。武器の輸入も無しに、自らの家で作ることも無しに」
不二の疑問に誰も答えることが出来なかった。お互いに隣に座っている捜査員と小声で話を進めている。各々が今回の事件の異常性に気づいているのだ。ざわめきを鎮めるのは困難と考えた。不二は腹に力を入れると大きく響く声で続けた。
「そして最大の謎ですが、相良組はどこに消えてしまったんでしょうか?報告によると、家宅捜索の数日前まで存在した邸宅が……煙のように姿を消したとか。まるで、『神隠し』にあったように。組長を始め、組員全員が失踪したとか?」
「その件につきましては…目下調査中です。おそらく、爆発が起きたのではないかと思われますが」
大垣は話を現在起きている不良グループの件に戻そうと、必死にそらしにかかっていた。
最近、稲歌町では奇妙な事件が立て続けに起きている。残念なことにどれもこれもが未解決事件であり、まったく進展が出ていないのだ。
警察とは市民にとって犯罪発生時に頼る最後の砦だ。そこが頼りにならなければ、警察への信頼は失墜し、今回のような警察を甘く見た奴らによる行動が増えることになる。
ただでさえ、今回の暴動を許している稲歌町警察署にとって、これ以上警察内部に迷惑をかけることは避けたい話題だった。
「まあ…現在の不良グループの件が終わってから聞かせてもらうとしましょう。私は、これから町長に夜間の外出禁止令を発せられるように対談に行ってきます。それでは、大垣署長。後のことはお願いします」
不二は話を打ち切ると大垣の背後を通り、だるまのような体を揺らしながらドアを開いて部屋から姿を消した。大垣はほっとしたように息を吐くと、顔を切り替え目の前の捜査員に視線を合わせる。
「捜査員は各班に分かれて行動して頂く。今回、不良グループは銃火器を所持している可能性が極めて高い。なるべく1人での行動は謹んでもらいたい。不良グループと遭遇した場合、まず何より付近住民の安全確保を第1に考え、万が一にも住民に被害が及ばないように最大限の配慮を行うこと!」
「はい!」
捜査員の気迫に満ちた反応が大垣の顔に返ってくる。
「全員防弾チョッキを忘れずに着用後、すぐに現地に向かってくれ。以上、解散!」
捜査員は一斉に立ち上がると話声と共に部屋から足早に抜け出していった。その中、新井と冴島は椅子に座りながら部屋全体の様子を眺めていた。
「まるでテロリストが襲撃したみたいだな?」
新井は、鼻で笑いながら大勢の警察官が部屋中を行き交う光景を目に焼き付けるように眺めている。
「新井さん、俺たちも行きましょう!玄関に車回してきますね」
新井の右隣に座っている冴島が勢いよく立ち上がるとそのまま走り去るように近くにあった扉の奥に消えていく。クリーニングから戻ってきた青い制服とその上に黒い装甲のような防弾チョッキを着用した姿は新品のロボットのような見た目だった。
こんな事態だからかもしれないが気合いが入っている、さすがは若人(わこうど)。俺もあのくらいの年ならもっと血気盛んだったな。
新井は自分の若いときと新人を重ねながら自分の両頬を気合いを入れて叩くと、冴島が出て行った扉を開いて廊下に出た。
その瞬間、右足の脛をドアの角に強打し小さく悲鳴を上げ涙目になりながら右足を引きずり玄関に向かっていった。
5分後、黒い防弾チョッキを着用した新井は玄関先でパトカーの助手席に乗ると、次々と道路に出て行く車両に続き、パトカーは車道を進んでいった。
「冴島、お前どこの担当だ?」
新井はA4の白い紙に書かれた稲歌町の地図を眺めていた。地図には西地区全体に黄色い網目がかかっている。その他にも町の至る所に黄色い印が描かれていた。
これは不良グループが出没した部分を表している。奴らの根城は西地区だが、先ほどの会議でも話していたとおり他の地域でも住民への被害は起こっているのだ。
新井達の仕事は主に町の巡回である。今回は相手の銃器使用の可能性があるため、防弾チョッキを着ているが基本的には不良グループを発見次第、本部に連絡、周囲の安全を確保するのが目的である。場合によっては奴らを逮捕するかもしれないが、基本的に交戦は認められていない。
分かってはいたが、目の前に奴らがいるのにすぐに行動を起こせないのはやはり歯がゆいものがある。
「自分は西地区の担当です」
「はあ~、戦場のど真ん中じゃねえか?ご愁傷様」
新井は地図を眺めながらぼそっと呟いた。すぐさま、運転中の冴島が烈火の如く怒る。
「縁起でもないこと言わないで下さいよ!」
「ははは、悪い悪い。だけど、本当に気をつけろよ?銃の使い方もしれない素人だと思って侮っていたら足元すくわれるぞ。そういう奴らが一番危ないんだからな?」
「ご忠告ありがとうございます。でも、大丈夫です。優秀な県警の皆さんもいますし、俺みたいな新米が出る前にSITが出動して全部片を付けちゃいますって」
冴島の笑い話のような語りを新井は眉間にシワを寄せながら聞いていた。
SITとは県警が保有する特殊部隊だ。誘拐事件や人質を取られた事件などに導入される場合が多く、その目的は犯人の逮捕である。
現実では大規模な事件でなければお目見えできない部隊だが、不良グループの逮捕に導入されるなんて今まで生きてきて1度も聞いたことが無い。
今回は相手が銃火器を持っており、住民への危害を加える可能性が高いからこその導入なのだろうがいくらなんでもやり過ぎのような感覚に陥ってしまう。
「新井刑事、今回の事件ですが不良の暴動にしては規模が大きすぎる気がします」
「うちの署の全員が思っていることだ」
「奴ら、こんなに大きな騒ぎを起こしてどういうつもりなのでしょうか?逮捕されるのが関の山なのに」
冴島の言うとおりだ。奴ら、一体何がしたいんだ?
憂さ晴らしにしては冗談が通じない範囲まで規模が広がっている。今まではある程度事が大きくなったらそこで収束していた。
今回に至っては、やはり何か異質なものを新井は感じていた。
どこまでも膨らんでいく風船を見るような感覚だ。小さいうちに破裂するなら可愛いものだが、とてつもなく巨大になった風船が破裂するとき恐怖を感じるような感覚と似ている。
外を見ると四角柱のような白いビル群が増えてきた。
稲歌町の中央地区はいつもと変わらないように車や人の往来で溢れかえっている。町の歩道にはすでに自転車で巡回中の警察官が発見できた。
新井は冴島に路肩で駐車するように指示して、助手席を降り歩道に足を置いた。
「新井刑事、お気を付けて」
「それは俺のセリフだ。自分の身は自分で守るんだからな?いざとなったら、迷うことなく引き金を引け。死んだら全て終わりだ」
「肝に銘じます」
新井は先輩としての忠告を冴島に告げると、ドアを閉めた。パトカーはそのまま車の波に呑まれると町の奥に消えていった。
新井は重量のある防弾チョッキと久しぶりに着た警官服のせいで肩がこるのに苦しみながら、自分の集合場所へと歩みを進めた。
装備のせいか、それとも心にのしかかる不安のせいか、その足取りはいつもより重く感じた。

第2章「ギャグ漫画の住人」
5月10日 午前9時31分 不動家2階 拓磨の部屋
気温も温かくなり、春の陽気を最高潮で迎えたような晴れやかな1日がカーテンの隙間から一筋の光となり床のカーペットを照らしていた。
部屋の隅にある巨大なベッドでは、ベッドよりもさらに大きな茶色い毛布がもぞもぞとイモムシのように動いている。
すると、突如けたたましいベルが拓磨の部屋に響き渡る。脳髄まで響き渡る甲高い音が部屋の壁を伝わり、廊下にまで漏れ出した。
発信源はベッドから少し距離を空けたところに置かれた机の上にある紫色の携帯電話だった。折りたたまれた機器は開かれ天井を向いており、液晶画面が青く光っている。
すると、ベッドの上のイモムシに変化が訪れた。布団の中から太い腕がゆっくり伸びると携帯電話を探すように周辺を捜索する。
しばらく捜索して、電話が無いことに気づくと布団の中から拓磨の顔が飛び出し音の方をイライラした表情で睨む。すると、同時に携帯電話から音が止み液晶画面に白衣姿のゼロアが映ると携帯電話が拓磨の方を向く。
「おはよう、拓磨。今日の稲歌町の天気は晴れみたいだよ、絶好の運動日和だ」
拓磨は悪人のような表情をさらに険しくしてゼロアを見ると、亀のように布団の中に頭を引っ込めた。
「あっ!せっかく起きたのに!」
「今日は休日だ。その様子じゃリベリオスも襲ってきていないんだろ?もう少し寝かせてくれ」
拓磨の懇願を無視するかのように再びけたたましいベルが携帯電話から鳴り響いた。拓磨は再び顔を出すと怒りを含んだ表情で携帯電話を睨む。
再び、ベルの音が止んだ。
「君の注文通り、改良を重ねたトレーニングロボットができたんだ。ぜひ、試してくれ」
「後でな。中間テストも月末にはあるし、勉強を怠ると叔母さんは怒鳴るし、リベリオスには対処しなけりゃいけないし、俺の疲労はピークだ。30分くらい寝過ごしても構わないだろ?」
「どう見ても肉体的に超人の君に『疲労』なんて言葉があるのかい?」
「精神的な疲労というのがある。……おやすみ」
拓磨が意地で布団の中に潜り込んだ時、1階の方でドアが開く音が聞こえた。
「おざまーす!たっくんいますか!?」
「祐司。拓磨なら2階でまだ寝ているから、ついでに起こしてきてくれる?」
『おはようございます』を省略した謎の挨拶と共にその者を2階へと促す叔母の声。
奴だ、奴が来た。『隣の廃人の祐司』だ。
拓磨は半分諦めたように力なく布団の中でうなだれた。
スレイドの修行の成果が発揮されたように段飛ばしで足音少なく階段を駆け上がると、部屋の扉を突き破るように部屋に突入してくる。
「てぇへんだあ!てぇへんだあ、たっくん!」
江戸時代の岡っ引きのようなセリフと共に部屋に入った祐司はベッド上の布団の塊に気づくと、ゴミ収集業者のように手際よく布団をはぎ取りにかかる。
為す術も無く全ての布団をはぎ取られ、赤い宗教ジャージを着用した拓磨がベッドの上に出現した。
「お前等は俺に恨みでもあるのか?」
拓磨はしぶしぶ起き上がるとベッドの端に座り、眠気の残る顔を何度も擦る。
「そ、外を見てくれ!」
「外?」
祐司は机の奥にある窓のカーテンを勢いよく開くと拓磨を促した。拓磨はゆっくりと立ち上がると強烈な朝の光に目を細めるとゆっくりと凝らして風景に慣れていく。
不動ベイカリー前の道路が見えた。その道路に3人ほどの警察官が周りの住宅から外に出てきた住民に話をして家に戻しているように見える。
上空には白いヘリコプターが飛んでおり、空気を切ることで生まれる重低音を地上へと送り続けていた。ヘリコプターは不動家の上空を横切ると町の中心へと飛んでいった。
「何か物々しい雰囲気だな…」
「テレビで稲歌町のことが取り上げられていたんだ。たぶん、あのヘリはテレビ局のじゃないかな?」
拓磨の感想に祐司が補足を入れる。
祐司の言葉が正しいとすると、警察が本腰を入れて何かし始めようとしているのだろう。
拓磨の眠気はいつの間にか覚めていた。そのまま、視線を周囲に動かし目立つものを探す。しかし、住宅に遮られてめぼしいものは見つからなかった。
「警察が不良グループに対して大規模な作戦を決定したみたいだね」
「そうだろうな。ここまで大々的に取り上げられるって事は、この間の学校を襲撃したグループはただものじゃなかったってことだな」
ゼロアの報告に拓磨が同調する。
「拓磨殿、祐司殿。役場の方から先ほど稲歌町民に対し、外出を控えるように通達が出たようです」
祐司のジーンズのポケットに入ったスマートフォンからスレイドの声が響く。
「二次災害を防ごうとしているんだろう。ヤケになった不良が住民に被害を加えないように。このままじゃ学校は休みだな…」
拓磨は机の前に置かれた椅子に座ると、ため息を吐いて頬杖を着く。
祐司はカーペットにそのまま座ると、スマートフォンを取り出し床に置いた。
「ねえ、たっくん。ただの不良だったらすぐに収まると思うけど…」
「リベリオスが背後にいたら、長期化どころか大惨事になるな。ゼロ、スレイドさん。何か調べて分かったことは?」
拓磨は携帯電話の住人に話を向けた。
「不良グループは20人程度、18歳から25歳くらいの男性のみで構成されているようだ。元々は5人くらいの集まりだったが、近年急に勢力を増したようだね。どうしてそうなったのかは分からないけど」
「たった20人程度?警察相手にするには規模が小さいな」
地区1つを勢力下に置いて大暴れしているくらいだから100人以上はいるものかと思っていたが、予想が外れた。
拓磨はゼロアの説明でますます不良グループの実態が掴めなくなってきた。次にスレイドが説明を始めた。
「グループのリーダーは飯塚敏也<<いいづかとしや>>という高校を退学させられた生徒のようです」
「理由は?」
「教師への暴力行為。授業中、教師に携帯電話を使用していたのを注意され、取り上げられたことで逆上。職員室に乗り込み、鉄パイプで頭部を複数殴打しそのまま少年院行きです。今は少年院を出て不良グループのリーダーをやっているというわけで。どうやら小学校や中学校時代にも問題を起こしているらしく…まあ、札付きの悪という奴でしょう」
拓磨は頭を掻くと唸りながら考え始めた。
不良グループの連中は拳銃を持っていた。もしそうなら、奴らには武器を調達するコネがあるということだ。外国から密輸なんて考えられないし、相良組にあったものを盗んだと考えるのが普通だろう。
だが、その相良組もつい最近崩壊した。相良組崩壊後は、警察が屋敷周辺の調査を開始しただろうから不良グループが屋敷から武器を盗み出すなんて不可能だ。そもそも、ライナー波の暴走でウェブスペースに何もかも吹き飛ばされただろうから武器なんて警察も見つけられなかったかもしれない。
ということは、相良組が存在しているときに屋敷に侵入して武器を盗んだ?
いや、これもおかしい。銃を盗まれたヤクザが、盗んだ不良を放っておくか?
血眼で探し出して報復するのが筋だろう。そして、そんなことをしたら嫌でもニュースで取り上げられるはず。少なくともそんな話を今まで聞いたことは無い。
大体、相良組は小規模な組織だ、銃があったかどうかすら怪しい。
「やっぱり…相良組にも今回の不良グループにもリベリオスが武器を支給したと考えた方がしっくりくるな」
「もしそうだとしたら、リベリオスの幹部が不良グループと接触しているってことになるけど…」
ゼロアは頭を悩ませたが、答えは出ないみたいだった。該当する人物が多すぎて絞り込めないだけかもしれない。
「ねえ、もしリベリオスの仕業だとしたら今回の目的って何だろうね?前回は、友喜とスレイドさんだったし、その前は相良組を使った稲歌町征服でしょ?」
祐司が全員に尋ねた。
拓磨も祐司と同じ疑問があった。奴らの狙いが何なのかがサッパリ分からない。
目的も出来事ごとに異なっており、一本筋が通っていないように思える。
しばらく拓磨の部屋に沈黙が居座ったが、結局誰も答えを出せなかった。
「考えていても始まらない。とりあえず、俺たちにできることからやろう。もしかしたら、今回、リベリオスは絡んでないかもしれない。俺たちの考えすぎってこともあるしな」
「どちらにしても外に出たら警察の邪魔になるし、家でできることをしたらどうかな?葵も友喜も自宅でテスト勉強しているし」
祐司が進言する。学生の本分はやはり勉強である。
中間テストも近い以上、できれば勉強に時間を割きたい拓磨だった。
「その前に、ウェブライナーの場所をそろそろ移動させておきたいんだが2人とも協力してくれるかい?」
「移動させるだけならゼロだけでもできるんじゃないか?」
拓磨はゼロアにツッコミを入れる。
「途中でハプニングが起きないとも限らないだろ?いつ、リベリオスが襲撃してくるかも分からないし」
「まあ…そりゃそうか。祐司、行くぞ」
「ったく、心配性にもほどがあるよなあ…」
祐司は愚痴を呟くと拓磨と一緒に目の前にできた巨大な七色の光の渦に飛び込んで行く。入ったと同時に拓磨と祐司の服が黒を基調としたコートと戦闘スーツに切り替わる。
「あれ、そう言えば携帯電話の音声認証はどうしたの?あれが無いとウェブスペースに入れないんじゃなかった?」
「指紋認証と網膜認証にゼロアが変更したようだ。材料が手に入ったから色々と試してみたいんだと」
「ふ~ん、それよりこの服、コートが格好良いよね」
祐司が自分の服装をとても気に入っているようだった。
「コートは別にいらないと思うけどな?」
「何を言っているんだい?ゆとりのあるコートがあるからビシッとした戦闘スーツが映えるんじゃないか」
そもそもこの服は戦闘スーツというよりウェブライナーに乗るためのパイロットスーツのような気がする。デザインはともかく、服自体にはウェブスペースで活動できる以外の効果は無かったはずだ。
「さっさと片付けてテスト勉強に移るぞ。下手な点数を取ったら叔母さんの雷が落ちる」
「俺も葵に怒鳴られるから嫌でも頑張らないといけないんだよね…。最終的に飯抜きにされるし、父さんに告げ口されて小遣いも減らされるし…もう嫌になっちゃうよ」
互いに悩み多き年頃の高校生デコボココンビは肩を落として、目の前に空高くそびえる巨人へと向かっていった。


同日 同時刻 リベリオス本部 作戦司令室
作戦司令室はいつも以上に静まりかえっていた。
目の前にある無数のモニターに向かいながら、アルフレッドはいつものように手元のキーボードを動かしている。
フードをかぶり青い中華服を着た男、ザイオンは壁にもたれながら腕を組みじっとしている。いつものお喋りは聞こえず、立ったまま寝ているように沈黙していた。
秘書の白衣を着た三つ編みの金髪女性、リリーナは部屋の中央にあるテーブルでコーヒーをすすりながら片手で書類に目を通している。そして見終わった書類を隣の書類の山に置き、別の書類に目を通す。
「諸君、お待ちどうさまでした」
ラインの呑気な声と共に、テーブルの背後にあるドアが自動的に開くと、白衣姿のライン、そしてザイオンと似たこげ茶色の中華服を着たシヴァが部屋に入ってくる。
ラインより背の高いシヴァはゆっくりと部屋を横切ると、アルフレッドの左隣に移動しモニターをのぞき込む。
「キョウと大佐はどうした?今後の作戦は全員で対応じゃなかったのか?」
アルフレッドは目の前のモニターを見たまま、尋ねる。
「いやあ…それが大佐はすでに作業を終えたようですが、キョウの方が問題を起こしてしまってそちらの対処をしてもらっているんですよ」
ラインは言いだしにくそうに恐る恐る切り出した。
「またペットへの餌やりか?」
アルフレッドが呆れたように尋ねる。相変わらず振り向かない。
「はい。ただ、今回はしばらく食い溜めしておけるように大量に餌をやるようで。その結果、ちょっと現実世界でトラブルが起きたようで」
「おい、現実世界の奴らにバレたら目的を果たすのに支障が出るだろ?」
ザイオンがいつになく冷たい声で総司令官に忠告する。
「大佐がいるから問題ない。あの人はミスを犯さないからな」
ラインは笑みを浮かべながらザイオンに軽く返す。ザイオンは鼻で笑うと再び黙ってしまう。いつもの軽口は、彼から飛び出してこなかった。
「ライン、会議始めましょ?今回の目的は?」
リリーナが白い書類を1枚取り出すと立ち上がりラインに手渡す。ラインはそれを受け取ると、中身を流し読みするように確認しアルフレッドの背後に近づく。
「もちろん、打倒ウェブライナーだ。師が新しいロボットを作ってくれた。いつもいつも感謝感激の極みであります」
「浮ついた軽口はいいから、さっさと本題に入ってくれ」
アルフレッドは素っ気なくラインの言葉を受け流した。
「え~、ロボットによるウェブライナーの破壊。できれば、回収。中のパイロットは皆殺し。この前と大体作戦は同じであります」
「今のウェブライナーに勝てるのか?」
モニターを見ていたシヴァがようやく口を開いた。その言葉を待っていたようにラインが手ぐすねひいて2メートル近い白髪の老人に笑顔で近づいていく。
「もちろん。ウェブライナーの弱点を突いて倒してくれるでしょう。ただ……万が一ということがあります。相手はあのウェブライナーですからね。万が一、師の作ったロボットが敗れてしまった場合は…マスターのご協力をいただけますかな?」
シヴァがラインを見下ろすと、じっとその目を見つめる。まるで、ラインの言葉の真意を探っているかのように一瞬も目を外さずのぞき込んでいた。
「わし自らの手でかつての仲間に引導を渡せ、と?」
「マスターなら楽勝でしょう?まさか、昔の仲間だから殺せないっていうことは無いですよね?」
ザイオンが声を出してフードの中からじっとシヴァを見つめていた。ザイオンの方に視線を向けたシヴァは再びモニターの方を向く。
「今回のロボットは無人機か?」
「すまんな、試験運用も兼ねているんじゃ。暴走はしないから安心してくれ」
「分かった。わし自ら出陣しよう。一度ウェブライナーとやらをこの目で見てみたかったところだ」
シヴァは淡々と肯定の意を示した。ラインは嬉々と歓声を上げる。
「素晴らしい!もちろん、戦況が著しく悪くなったり命の危険が迫ったら迷わず逃走して頂いて結構です。何より大切なのは自らの命ですからね!」
「総司令のその言葉、ありがたく耳に入れておこう」
シヴァはゆっくりとラインの横を通り過ぎると、部屋のドアに向かっていく。
「ちなみに聞いておこう。何か操縦したいロボットはあるか?お主なら何でも貸し出しても良いぞ?現地までは結構遠いからな、バイクにでも乗っていったらどうじゃ?」
シヴァはアルフレッドの質問に足を止めた。
「ライナー博士。ありがたい言葉に感謝する。だが…わしには何もいらん」
振り向くこと無くシヴァは部屋から出て行った。
扉が自動で閉まったと同時に部屋の重苦しい空気が一気に軽くなり、リリーナは大きく深呼吸する。ふくよかな胸が白衣の下で上下する。
「あ~、心臓に悪い!みんな、緊張感出し過ぎ!まだマスターが裏切ったって決まったわけじゃないでしょ!?」
「いや…シヴァは自分が疑われていることに気づいている」
アルフレッドが大きく椅子を回転させると全員の方に向き直って答えた。その声は、確信めいたものを感じさせていた。
「とっつぁんの見解だと師匠は黒か、白か?」
「悪いがそこまで答えは出せない。灰色ってところじゃな」
ザイオンは腕を大きく天井に伸ばすと近くの椅子に腰掛け、足を組んでテーブルの上に置く。
「大将はどう思う?」
今度はラインに話を振った。だが、ラインはじっとモニターを眺めていた。そこには廊下を歩き、格納庫へのエレベーターに進んでいるシヴァが映し出されていた。その姿をにやついて眺めている。
「さあ…どうだか?いずれにしても面白いものが見れる。ポップコーンが欲しくなってきたな。……くくく」
ラインも足元にある椅子に座ると、映画館の観客のように拍手をしながら世紀の一戦を心待ちにしていた。


同日 午前11時27分 ウェブスペース ウェブライナー前
四方八方を白い砂の海に囲まれた殺風景な世界。そこに堂々と仁王立ちをしている西洋の騎士のような巨人は、あまりに似つかわしくない光景だった。
そんな騎士の足元でアリのように忙しく作業している人影があった。
ゼロアは巻物のようなものを取り出す。何も書かれていなかった透明なフィルムの上突然、中心に紫色の点が現れる。そのままゼロアは視線を地図の中心から周囲へと動かしていく。
ゼロアが手にしているものはウェブスペースで愛用しているウェブライナーを中心とした周囲の地図である。
ウェブライナーを中心に四方に直径2メートルほどの七色に輝く星型レーダー兼撹乱装置(祐司曰く「どでかいウニのようだ」との感想)を設置する。小型だが、最近のリベリオスとの戦闘で敵ロボットから略奪したパーツのおかげで改良を重ねレーダーの感度は良好。
前回の戦いから敵に見つからなかったのもこのレーダーのおかげだと思える。
巨大なロボットから小さな人間まで動くものなら地図上に点で教えてくれる優れものである。
ゼロアは周囲に敵がいないことを確認すると次の移動先を確認し始めた。その時、ゼロアの視界にスレイドと祐司の姿が目に入った。
髪を1つに束ね、作務衣姿の彼はウェブスペースでは妙に存在感がある。彼の役割はウェブライナー周辺の巡回パトロールだが、どうやらいつの間にか戻ってきていたようだ。彼はゼロアに背を向けながらしきりに腕を伸ばしたり、ヒザを曲げたり、体を伸ばしたりしている。
一方、祐司は先ほどまでゼロアの手伝いで荷物運びを行っていた。
途中で「これからスレイドさんとの修行の時間だから」と言ってそれっきり姿を見ていなかった。
これから剣の修行を行う前の準備運動であろうか、と見慣れた光景に対し気にも留めずゼロアは再び視線を地図に戻した。
最近、祐司とスレイドとの特訓はウェブスペースで行われている。
祐司の長所を極限まで引き出すための特訓で、ひたすら相手の攻撃を避けたり、逃げたりする行動が中心だ。最近は米俵を担がせて走らせる特訓をしているのを見たが、あれに何の意味があるのかゼロアは少しも検討がつかなかった。
2人に何の関心も寄せていなかったその時だった。
「電脳将、装身!!」
突然、スレイドが発狂したように空に向かって大声を放つと腰を落とし、左手を握り締め腰に当て右手を垂直に天に突き上げ、拳を握り締める。
ゼロアは突然の大声に驚き、スレイドのその珍妙な姿に口を開けて、呆気に取られ地図を砂の上に落としてしまった。
「やっぱり、剣術をやっているからかな?下半身にブレが少ない、スタイルが良いから腕を伸ばしたときの上半身と下半身のバランスが良い。このわずかな短期間でここまでとは…。さすがです、スレイドさん」
まるで手塩にかけて育ててきた弟子を褒め称えるように祐司が拍手をしながら、スレイドに近づいてくる。
「祐司殿、得点は!?」
得点って何の得点だ?まさか、今のポーズに得点があるのか?
ゼロアの心のツッコミを待つこと無く、祐司は神妙な面持ちで自分よりも背の高いスレイドをじっと見つめた。
「……29点」
冷酷な現実を祐司は呟いた。
「なんとおおおお…!会心の出来だと思いましたのに。あれでもまだ半分もいかないんですか…」
スレイドは両膝を砂の上に落とし、崩れ落ちた。
一体、何を評価して29点なのかゼロアにはさっぱり分からなかった。
崩れ落ちたスレイドを冷たく目を輝かせ、見下ろしながら祐司は言葉を振り下ろす。
「当たり前です。今のは『装身』全体過程の3分の1ほどの部分をやったにすぎません。一番最後のキメの部分だとは言え、最後ができたからと言って満点を付けられるほど、特撮好きの俺は甘くはありません。しかし、おめでとう!ハッピバースデイ!あなたは、ようやく全行程を通して行える権利を得ました!今までのあなたの頑張りは無駄ではありませんよ!」
信者に適度におだてて、金を巻き上げるインチキ宗教の教祖みたいな言葉を祐司は伝える。
ゼロアは目の前で起きている出来事に対し、理解できないし、理解したくも無かった。
そもそも、これが必要なウェブライナーとは一体何なんだろうか?これから、ウェブライナーはどんな風になっていくのだろうか?また、何かのきっかけでおかしな機能が追加したりするのだろうか?その結果さらに訳が分からなくなるのだろうか?
「まあ…今の2人に関わるとこっちまでおかしくなりそうだからしばらく放っておくことにしよう」
ゼロアは心からポロリと言葉を漏らすと、彼らに背を向けウェブライナーを見上げた。そして白衣の右腕の袖に左手を置くと、袖から空中に向かって映像が照射され椅子に座った拓磨の顔が表示される。
「拓磨、そろそろ移動しよう」
「場所はどこだ?」
「ウェブライナーを右に向かせて直進。1時間くらい歩けば十分かな。レーダーを手に乗せて持っていくから、手のひらを地面に置いてくれ」
ウェブライナーはゆっくりとひざを着くと、右手のひらを上に向け地面に置いた。
少し動いただけなのにひざを着いただけで地震のような震動が地面を走り、手のひらが動くだけで突風がゼロアの白衣と髪をなびかせる。
「2人とも早くウェブライナーの手にレーダーを乗せてくれ!移動するぞ!」
スレイドと祐司は特訓を中止すると、ゼロアと協力してレーダーをウェブライナーの手に載せ始めた。
作業は30分ほどで終わった。ゼロア達はそのまま、光になりウェブライナーの中に入ると白い巨人はゆっくりと金属同士が噛み合うような鈍い金属音を響かせ立ち上がった。
「ゼロ、周囲に反応は?」
椅子に座り部屋の壁に映し出された映像を確認しながらゆっくりと周囲を見渡し拓磨はゼロアに尋ねる。
「今のところ反応無し」
「よし。祐司、スレイドさん。何かあったらすぐ連絡してくれ」
ウェブライナーはゆっくりと地面を踏みしめながら歩き始めた。全長100キロメートル近いウェブライナーでも周りに見えるのは白一色だった。
拓磨は、ウェブスペースの巨大さに疑問を思うことがあった。
この世界は本当に砂しか無いのだろうか?人工物があまりにも少なすぎて、地球の砂漠とほぼ一緒である。
この世界は一体何なのか?果てしなく広大な世界を一体誰が、何の目的のために作ったのか?ただ単に自然に作られたものをゼロアやリベリオスが利用しているだけなのか?
今まで悩まなかったことに悩みを覚えていく。超常的な存在に触れ、受け入れていくごとにそれについて疑問が増えていく。知識が増えたという点では喜ぶべきことなのかもしれないが、知らなくても良いことを知ってしまったような気がしなくもない。
知れば知るほど増えていく悩みを背負いながら拓磨はウェブライナーを歩ませた。
そのまま何にも遭遇することも無く、ウェブライナーは散歩を続けていた。無音の世界にただ、巨人の足音のみが響き渡る。
20分程歩いただろうか、祐司が突如話を始めた。
「ゼロア、敵の反応は?」
「ない」
壁から祐司とゼロアの会話が聞こえる。祐司の声は疲れたように聞こえた。
いつ、戦闘になるかも分からないと聞かされていた祐司にとって、常に緊張しながら周囲を見張るというのはなかなか苦しいのだろう。
「ゼロ、ここで休憩にしないか?」
「賛成、このままじゃ安心して息も吐けない」
拓磨がゼロアに進言した。祐司は即座に拓磨に賛成する。
「そう…だね」
ゼロアがゆっくりと了承の言葉を呟いた。
「よ~し、やっと休憩…」
「…!?拓磨、11時方向!」
ゼロアの鋭い声で安堵の雰囲気は一瞬で吹き飛んだ。
どこからともなく4機のハングライダーが現れるとウェブライナーの手から星形装置を後付けされたアームで掴み、そのまま飛んでいった。
「エアライナーを四方に移動、装置を設置、ジャミング機能とレーダー機能を作動…!」
ゼロアが自分自身に言い聞かせるように、遠隔操作でエアライナーを操るとすぐに臨戦態勢を整えた。
いつの間にか、エアライナーを戦いに活用できるようにゼロアなりに改良を重ねていたらしい。
「動かない限り、相手にはレーダーで探知されないはずだ。敵が機械だったら、視覚機能も妨害される。まずは相手の出方を見よう」
「良い指示だ、ゼロ。『ライナー・ハルバード』」
拓磨は小さく呟くと、ウェブライナーの左手から槍に両刃を取りつけたような『ハルバード』と呼ばれる斧をゆっくりと引き抜く。
ウェブライナーは右手で身長ほどの大きさのあるハルバードを握り締めると、腰を落とし構える。いつ戦闘に入っても対処できるように準備は整った。
相手の姿はまだ見えない。相変わらず、目の前には白い砂がどこまでも広がっているだけだ。
「祐司、スレイドさん。準備だけはしておいてくれ。ただし、敵が姿を変える時間をくれるとは思えない。周囲の警戒を怠らないで欲しい」
「了解しました、拓磨殿」
人数が増えた分、ウェブライナーの視野はほぼ全方位になった。相手が巨大なロボットなら間違いなく誰かが気づく。拓磨は安心して前方を見ていられた。
「ゼロア、もし相手が人間でもウェブライナーは見えないの?」
祐司は再びゼロアに尋ねた。
「遠距離なら有効だ。ただ近くなると誤魔化しはほとんど効かなくなる。それに、もし相手の技術がこちらを上回っていたら…言うまでもないだろ?」
リベリオスの技術は今のところ、こちらを上回ってきている。
発見されるのはほぼ間違いないだろう。だが、奴らはウェブライナーの強さも知っているはずだ。攻撃を仕掛けてくるとしたら、今のウェブライナーの弱点を突いてくるのが普通だ。
今のウェブライナーの弱点……思い当たるのは主に2つくらいだが最も嫌な攻撃はやっぱりアレだな。
すると、突然地平線の彼方に光が走った。
拓磨はほぼ同時のタイミングでハルバードを引き、胸の前で構える。
予感は的中。胸の前で斧に火花が走った。敵はライナーコア目がけて攻撃をしかけてきた。胸のコアは急所だと相手も理解しているのだろう。
だが、これで終わりでは無かった。ウェブライナーは突然、上半身を押されるようにバランスを崩す。攻撃を防いだのは良いが、攻撃の威力が強すぎてウェブライナーが吹き飛ばされそうになっていたのだ。
勢いには逆らえず、ウェブライナーはそのまま仰向けに倒れてしまう。背中が地面に着地すると共に爆風のような衝撃が周囲を走り、砂が大きく空へと舞い上がった。
だが、そこで拓磨達は謎の衝撃の存在を見ることとなった。
ライオンである。だが、普通のライオンとは2つほど異なっていた。
まず体が七色に輝く金属独特の光沢を放っていた。次に体高はウェブライナーの太腿程の高さである。
驚いたことにそれ以外はTVで見るようなライオンそっくりであった。
あまりにも姿が簡素化されており、余分な武装は一切見受けられない。
ライオンはウェブライナーの胸のコアを噛み砕こうと獰猛な顔を動かし、鋭利な刃のような牙で噛み付いてくる。
ウェブライナーはハルバードを盾にして何とかライオンを押し戻そうとしたが、勢いが強すぎてコアを傷つけさせないようにするのがやっとだった。
拓磨は目の前の猛獣を睨みつけながら、冷静に行動を開始した。
ウェブライナーのヒザをライオンの腹に叩き込む。一瞬、力が抜いたところで一気に力を振り絞りライオンを押し戻した。
ライオンは一旦、ウェブライナーから離れると地面の砂を前足で叩きつけ砂柱を起こした。砂が地面に落ちた時、ライオンの姿は風のように消えた。
「た、たっくん!?メスライオンが消えたよ!?」
「ああ、今回の相手はあいつみたいだ。とんでもなくスピードが速い。これは参ったな…」
ウェブライナーは素早く立ち上がると、ハルバードを構えながら素早く左右を見渡す。だが、何事も無かったように砂地には静けさが戻っていた。
おそらく、ライオンに何の武装も付いていなかったのは一瞬で視界から消える程の高速移動を利用するためだろう。
武器はライオンの牙と爪、それと高速の突進力。
実にシンプルだ。敵もウェブライナーに対抗するために一点に特化した性能に切り替えてきたのだろう。
「拓磨、エアライナーで解析した結果、あれは無人機だ」
「生身の人間乗せる速度じゃねえからな。あの速度で移動したら操縦者はひとたまりも無いだろうな」
拓磨はゼロアの解析結果を聞きながら、ウェブライナーの欠点を垣間見た。
まさに『速度』こそウェブライナーの弱点の1つだった。
全長100キロメートルもあるこの巨人は、体格に似合わず人間のようにスムーズに移動できる。だが、それも巨人としては凄いだけで機動力も高が知れている。反応性能も操縦者に依存しているし瞬間移動するような高速移動を武器とする敵との戦いは苦手極まりない。
再び、遠くの方で轟音と光が走った。
それと同時に拓磨の目にはこちらに全力で突進してくる金属のライオンの姿が写真のように脳裏に映る。
ウェブライナーは地面と水平に構えていたハルバードを右から左へと前方を一閃する。
拓磨には考えがあった。
猛スピードを出した車が急停止できないのと同じように、超高速のライオンは急には止まれないはずだ。一度走り出したら敵に突っ込むまで停止はしない、いや、できない。
タイミングさえ合えばハルバードでも当たるはずだ。
だが、突然目の前で爆発が起こると大量の砂がウェブライナーにかかる。
それと同時にウェブライナーの左方向でも爆発が起きる。
拓磨の読みが外れた合図だった。
同時に左側からの衝撃で吹き飛ばされるウェブライナー。その左脇腹には巨大なライオンの牙が食い込んでいた。
ライオンはウェブライナーのハルバードを手前で右方向ステップで回避、その後空振りした瞬間を狙ってさらに急加速で突進してきたのである。
空中へと放り出されたウェブライナーは、再びヒザを突き上げライオンの喉元を強打し、ライオンを引きはがすと砂ホコリを巻き上げながら地面を転がった。
目の前で再び砂の柱が巻き上がるとライオンは再び姿を消す。
「何という縦横無尽の機動力…!」
スレイドは目の前の神出鬼没の存在に焦りを滲ませていた。
「ゼロ、被害は!?」
「牙は表面装甲を貫通して内部装甲で止まっている。引きはがすのが遅かったら人工筋肉まで傷つけて機動力が大きく低下してたね。間一髪だ」
どうやら、動くには支障が無いようだ。
だが、拓磨の当ては大きく外れてしまった。
思えば、今回ライオンの姿にしたのは今の動きを可能にするためではないか?
人間の姿で今の急ステップをやろうものなら、できたとしても踏み込んだ足に負荷がかかり故障の原因となる。やろうとしても、大きなダメージを負うのは確実だ。
だが、四本足の動物なら他の足に負荷を分散させることでリスクを回避できる。おまけに体高が低いため、重心が下がり人間型よりもカーブ行動は有利、おまけに高速度のままできる。
まずいな…、対策のしようがない。
「ゼロア、何か武器は無いの!?ハルバードじゃ無理だよ!」
祐司はゼロアに打開策を尋ねた。
「他にあるのはビームとこの前手に入れた鎖」
ビームは連射も出来ないし、相手が速すぎて当たらないだろう。チャージにも時間がかかる。
あと残るのは、『鎖』。鎖なんて一体何に使うんだ?
とにかく、出すだけ出してみるか。後は即興でどうにかするしかない。
「『ライナー・チェーン』!!」
拓磨の叫びと共にウェブライナーの右手のひら中央から白銀の鎖が射出され、地面に落ちる。ウェブライナーは砂の上に落ちた鎖を拾い上げる。長さはウェブライナーの身長と同じくらい、軽くて丈夫そうな鎖だった。
「……これ、どうやって使うんだ?」
拓磨達が考え始めたとき、再び遠くで砂が巻き上がる。
その時だった。
「拓磨!私に変わってくれ!」
ゼロアが突然、叫ぶ。
今まで裏方を担当してきたゼロアの突然の操縦への意思。
もしかして、この状況を突破する方法を思いついたのだろうか?
拓磨はすぐに意識を集中すると、ウェブライナーのコントロールをゼロアに移した。
「マニュアル人間じゃ無理だろ!?」
「うるさい、黙って見ていろ!『ライナー・ハルバード』!」
祐司のツッコミを一蹴すると、ウェブライナーの手のひらからハルバードが生成、空高く射出され、ウェブライナーの目の前に身の丈程のハルバードが突き刺さった。
「ハルバード!ハルバード!ハルバード!!ハルバード!!!」
まるでヤケになったようにゼロアはハルバードと叫び続けた。ウェブライナーの手からポンポン空に向かって射出されウェブライナーの周りに落ちていく。
ライオンは巨人の不思議な行為に一旦距離を取り様子を見計らった。
みるみるうちにウェブライナーの周りが大量のハルバードで埋め尽くされていく。
大体200回くらいハルバードと叫んだだろうか、ウェブライナーを中心に同心円が周囲に出来ていた。
「ゼロア殿、一体何をするつもりですか?」
「チェーン!チェーン!!チェーン!!」
スレイドを無視して今度はチェーンと叫び続けた。ウェブライナーは地面に刺さったハルバードに向かってチェーンを射出する。射出された鎖はハルバードに絡みつくと円上の別のハルバードに絡みつく。運動会のゴールテープのように、周辺に鎖の橋がかかった。
ウェブライナーは鎖を周りにハルバードに向けて次々と射出し、橋を繋げていく。
今度も200回ほどチェーンを言い終わると、ゼロアは枯れた声で大きく深呼吸をした。
「はい…拓磨、パスだ」
再びウェブライナーの操縦権が拓磨に移った。
終わると、何とも奇妙な光景が周りに広がっていた。ウェブライナーは周りをハルバードの柵で囲まれていた。さらにチェーンが入り組み、目茶苦茶に張り巡らされている。
その結果、ウェブライナーは逃げることが出来なくなっていた。
「何やってんだよ!?逃げ場所無くしてどうするんだ!?」
「いいんだよ。どうせ、あのスピードじゃ逃げられない。だったら、向こうの攻撃手段を無くしてやろうと思ってね」
ゼロアのセリフを聞いたとき、拓磨とスレイドはゼロアのやることの意味が分かり、「お~、なるほど」とゼロアに感心していた。
「えっ、何?どういうこと?教えて2人とも!」
祐司は取り残されるのが嫌で拓磨達に教えを請う。
「終わったら教えてやるよ。『ライナー・ハルバード』」
ウェブライナーは手からハルバードを取り出す。
今回の作戦は「相手の攻撃手段を減らす」ことが最大の目的だ。
ライオンは素早く臨機応変に移動できる。そのままでは攻撃は当たらないどころかボコボコにされてしまう。
つまり、あの移動能力を何とかして減らさなくてはならない。
思えば、ライオンはいちいちウェブライナーの前から姿を消していた。
おそらく、それはレーダーの範囲外に逃れるためだ。リベリオスもゼロアがレーダーの改良をしていると予測してライオンを移動させていたのだろう。
レーダーの範囲外に逃れたライオンを急加速させてこちらに突進させ、レーダーに検知されても回避不能の攻撃を叩き込むのが大まかな戦法だったはずだ。
それを阻止するため、ゼロアは周囲を鎖で覆った。この鎖、先ほど見ていて分かったのだが対象物に当たると絡みつく性質がある。元々敵が捕縛用に使っていたのだからこの性能も納得だ。
周りを鎖で覆ったことによってライオンは突進してくることができなくなった。下手に突っ込めば鎖が絡まって機動力は大幅に低下、即座にライナー・ビームの餌食になる。
ライオンがこちらに来る方法はただ1つ、『跳躍して鎖を超えて飛びかかってくること』だ。当然、地面を蹴った勢いをそのまま利用できないためスピードは遅くなる。
おまけにただでさえ距離が離れているため、こちらに来るため時間に差がある。
その時、ウェブライナーの背後、遠くで砂の爆発が起こった。
ライオンが地面を蹴り出したのだ。
ウェブライナーは背後を振り向くとハルバードを野球バットを扱うように構える。
今度はライオンが飛びかかってくるのがはっきり見えた。バットのフルスイングに吸い込まれる野球ボールのように一直線に向かってくる。
「拓磨、野球は得意かい?」
「叔母さんのために草野球で夏場は大忙しだ。1戦勝つと1000円もらえるからそりゃ必死になるだろ?」
ゼロアの問いに拓磨は軽く答えた。
ウェブライナーは軽く左側に移動しながら思いっきりハルバードを振ると、ライオンを顔面から胴体、そして尻まで一直線に両断した。ウェブライナーの背後でライオンは空中分解をするとライナーコアが空中で暴走し大爆発を引き起こした。周囲のハルバードと鎖が一気に吹き飛ばされ、大気中に溶け込むように消えていく。
全てが消え、後にはウェブライナーだけが残っていた。
「強敵だったな」
「的確に弱点を攻めてきたからね、それでもみんなの活躍で何とかなったよ」
ウェブライナーは裂けたライオンの残骸を見下ろした。
「ごめん、たっくん。結局俺は何もできなかったね」
祐司は落ち込んでしまった。
「たまたま敵が悪かっただけだ。カオスフォームになったら、物理的な防御力が低くなる。代わりたくてもライオン相手には無謀な話だろ?」
仮にカオスフォームになっていたら、今以上にボロボロになっていただろう。本当に物は時と場合で使い方次第だ。
「祐司殿、やはり装身時間の短縮化は必須では?」
「ゼロア、どうにかプログラム変更できない?」
「無理!」
ゼロアは2人の要請を一喝して、却下した。
拓磨は傷を負った左脇の部分を見た。すると、不思議なことにえぐられていた装甲が徐々にではあるが光を放ち塞がり始めていた。
「ゼロ、ウェブライナーに回復機能が備わったのか?」
「う~ん、どうやらカオスフォームの力を手に入れたことによりゼロフォームにもその力の一部が備わったということかな?カオスフォームほどの超回復ではないけど、ちゃんと周囲のライナー波を吸収して装甲化しているようだし」
ということは、もしかしたら今後新しい力を手に入れるようなことがあればその力も他の形態で使えることができるようになるということか。
ひょっとしたらその中に、カオスフォームへの変身を手助けする機能があるかもしれない。現状ではどうしても使いにくさが目立つ。
やはり、仲間を集めることは最優先課題だ。できることが多くなるし、ウェブライナーの強化にも繋がる。ウェブスペースで戦えるのはウェブライナー一機だけだ。強くしておいて悪い事はないだろう。
問題はその仲間が敵かもしれないこととウェブライナーの中にいるアイツとうまく話を付ける必要があるということだな。
また、飲み会を開くとするか。イルは日本酒が好きだっけ?
「拓磨、また敵の反応だ!」
拓磨が想像を巡らせていると再び、ゼロアの声が周囲の壁から伝わってくる。
「どこだ!?」
「正面。……?ただ、これは……」
ゼロアが言葉に詰まりながら、ついに静かになってしまう。
一方、操縦を拓磨に任せ、椅子に座りながら周囲を見渡していた祐司はふと違和感に気づいた。
それは、敵の数である。
リベリオスはウェブライナーを破壊しにきているはずだ。なのに、今回戦ったのは新型のライオン型ロボット1機のみ。ウェブライナーが強くなったことはおそらく相手も知っているだろう、だとしたらなぜ数を引き連れてこない?
今回は新型を試すための実験だったのだろうか?それともこれから増援が来るのだろうか?
敵の行動に不審な点が目立つ。祐司は周りを見渡しながら、敵影を探し続けたがやはりいなかった。
「スレイドさん、敵の攻撃がずいぶん優しい思うんだけどどう思う?」
祐司はスレイドに尋ねた。
しかし、彼から返事は帰ってこなかった。
「スレイドさん?」
祐司はおもむろに目の前の画面を見た。すると、白い砂の一点が茶色に見えた。
祐司は自分の目を擦り、もう一度画面をよく見る。
幻覚では無かった。どこまでも続く広大な白い砂漠の遠方に米粒みたいな茶色い点が見える。
祐司は意識を集中させ、茶色い部分を拡大するように念じた。
目の前の画面が茶色い点目がけてズームアップし、その何かを見せた。
それは驚くべきことに人だった。
茶色いフード付きの外套(がいとう)をかぶった人がウェブライナーに向かって歩いてきているのだ。外套は風にたなびき乱れ狂い、ついにフードの部分が外れる。
東洋人を思わせる精悍な顔立ち、短く刈りそろえられた真っ白な白髪頭、アゴも白い髭で覆われ、口周りは髭が無かった。目は拓磨と同じように鷹のように鋭く、光を放っていた。
よく見ると、中国映画に出てきそうな黒色のチャイナ服を上下に着用している。拓磨のように筋肉の盛り上がりは無いがただ者ではない雰囲気が全身から吹き出していた。
現実世界でもなかなかお目にかかれない不自然な格好の老人が祐司の視界に突如現れたのである。
「あの~、たっくん?ウェブスペースにおじいちゃんがいるんだけど?」
「祐司、こんな時にふざけるな。敵は近くにいるかもしれないんだぞ?」
祐司の通信を拓磨は窘めた。拓磨は周囲を警戒していた。
「ほんとだって。今からそっちに映像送るよ」
祐司は拓磨の画面に自分の見ている映像を送るように念じた。
祐司の映像が拓磨の画面に現れる。拓磨も目の前の映像が信じられず目を擦ったが、やはりそれは本物だった。
「本当だ、信じられんが。ゼロア、ウェブスペースに人が…」
「ま、ま、ままま…!」
ゼロアが壊れたように『ま』を連呼し続ける。
「マスター・シヴァ…!」
スレイドがゼロアの代わりに言葉を繋いだ。
拓磨と祐司は視線をその男に集中した。
ゼロア達と同じウェブライナーのガーディアン。惑星フォインで伝説とされている男。軍隊相手に勝利できるほどの実力を持つという噂の男。
マスター・シヴァ。本名、シヴァ・シンドー。
400キロほどの距離を取り、ウェブスペースの砂地の上でウェブライナーと対峙した。
「えっ、あれがマスター・シヴァ?ずいぶん、ダンディなおじいちゃんだな」
祐司がすっとんきょうなセリフを呟く。
「マスター!ゼロアです!なぜ今まで姿を見せてくれなかったのですか!?」
ゼロアは外への音声出力を認め、ウェブライナーから拡大された音声をシヴァに向かって飛ばす。
シヴァは黙ったままこちらへ歩いてきている。
「私たちと本気で戦うつもりなのですか!?」
ゼロアは再び問いかけるが、シヴァは答えることは無い。
圧倒的な体格差があるのに、ウェブライナーが小さく見える程の迫力がシヴァから伝わり、周囲を包み込み始めていた。
拓磨はシヴァの様子から話をしに来た雰囲気ではないことを察し始めていた。周囲の敵ロボットへの警戒を一層強める。
「私たちガーディアンのやることは地球の人々に危害を加えることでは無かったはずです!答えて下さい!」
ゼロアは必死にシヴァに説得を試みた。だが、回答は無い。
それどころか、風のようにシヴァの姿が消えた。
次の瞬間ウェブライナーに腹に凄まじい衝撃が走る。ライナー波で強化された装甲が軋み、甲高い音が搭乗者全員の耳に入る。
同時にウェブライナーの足から感覚が無くなり、為す術も無く仰向けに宙を舞っていた。
仰向けになっていたウェブライナーの目の前にシヴァの姿が見える。
無表情のまま拳を振りかぶり、頭目がけて振り下ろそうと飛び込んでくる恐ろしい光景だった。
拓磨はすかさず顔を守るようにウェブライナーの両腕をクロスさせ、顔面を守る。
そこに殴りかかるシヴァの一撃。
ウェブライナーの左腕の装甲に衝撃が走り腕が弾かれそうになるが、何とか堪える。
まるで空が押しつぶしてくるかのような衝撃をまともに受け、ウェブライナーは地面に衝突、砂が噴水のように空を舞い、半径100キロメートル近いクレーターが出現した。
だが、そこで終わらなかった。
今度はウェブライナーの左足付近に姿を現すとウェブライナーの足を掴み、そのままジャイアントスイングで巨人を大気を切る轟音と共に振り回し、勢いそのままにぶん投げる。
ウェブライナーは空中で逆上がりをするかのように体を曲げると、両足で砂に着地、そのまま滑走し地面に巨大な溝を作る。シヴァとの間には500キロメートル近い間が再び開かれていた。
シヴァは遠方からウェブライナーを品定めするかのようにじっと眺めている。
一方、ウェブライナー側にそんな余裕は微塵も無かった。
「な、何だ!?あのじいちゃんは!?ウェブライナーをぶっ飛ばしたぞ!?」
祐司が特に錯乱していた。
「落ち着いて下さい、祐司殿!あれがマスターなのです。取り乱せば袋叩きに遭いますよ!」
強い口調でスレイドが祐司に喝を入れた。
祐司がパニックになるのも無理は無い。
人並みの意見だがとんでもねえじいさんだ。素手でウェブライナーと戦ってやがる。おまけにスピードもさっきのライオン以上だ。まるで瞬間移動。
「拓磨!ここは退却だ!」
「無理言うな、逃げ切れるわけないだろ?」
ゼロアの提案を拓磨は冷めた声でツッコミを入れた。
すると、再びシヴァの姿が消える。
「ぎゃあああ!!まあ来たああ!!」
祐司の悲鳴と同時にウェブライナーの全身に衝撃が走る。
全身を機関銃で撃たれたかのように衝撃を食らい続けると為す術も無く、ウェブライナーは押される。今度は何とか、体勢を保ち滑走するだけで事なきを得た。
だが、まだ攻撃は終わらない。
再びウェブライナーの頭部目の前にシヴァが瞬間移動して現れる。
拓磨は再びウェブライナーの腕を顔の前で交差させる。
案の上、腕の上から殴る姿が見えない程高速でシヴァは殴り蹴るの乱打を打ち込んでくる。再び、ウェブライナーは砂に大きな溝を付け、押し込まれていく。
だが、拓磨は攻撃の終わりと同時にウェブライナーの右ストレートを空中を舞っているシヴァに叩き込みにいった。
シヴァは外套を鳥の翼のように素早く地面に向かってあおぎ、浮力を発生しウェブライナーの拳の上に着地し鉄拳をかわした。
拓磨以外のウェブライナー搭乗員の顔が真っ青になった。
そして、拳の上で中腰になると左回りに体を捻る。筋肉の軋みのような振動が拳を通してウェブライナー全体に伝わってくる。
「風牙<<ふうが>>征空<<せいくう>>拳<<けん>>…!」
シヴァは念仏のように呟くと体の捻りを元に戻す勢いで左腕を前に突き出す。だが、その拳はあまりに速すぎて視認不可能だった。
突如、空気の塊がウェブライナーの顔面に直撃するとパチンコ玉のように体全体が吹き飛ばされる。そのまま、地面を10回転がり続け、俯せ状態で砂の上に伸びてしまった。
ウェブライナーはゆっくりと両手で地面を押して立ち上がったが、すでにゼロアや祐司は戦意喪失状態だった。
何をどうしたら目の前の老人に勝てるのかがさっぱり分からない。
シヴァは地面に降り立つとゆっくりとウェブライナーに向かって歩いてきた。
「何という高性能おじいちゃん…!もうだめだあ、あんなのに勝てるわけ無いよ」
「祐司殿!挫けてはなりません!」
スレイドが祐司に檄を飛ばしたが、内心祐司と似たような状態だった。自分を叱咤するために声を出し、ようやくその場を凌いでいたのだ。
「やはり…マスターが敵になったというのは本当だったのか」
ゼロアのセリフが容赦のない現実を一層際立たせていた。
これから先、目の前の男を敵にしていかなければならないのだ。超えなければリベリオス打倒などできるわけがない。ただ、現状ではその超える術がまったく思いつかなかった。
絶望に打ちひしがれた祐司が、救いを求めるように拓磨の部屋の映像を見る。
彼は冷たい目をしたまま画面に映るマスター・シヴァをじっと眺めていた。
その光景を見たとき、祐司の顔に笑顔が戻る。
「いや、これは何とかなるかもしれないぞ!」
「きゅ、急にどうしたんですか、祐司殿?」
「たっくんを見て下さい。彼があのように冷たい目で黙りこんでいるときは、目の前の課題を打破しようとしている表情なのです。長い付き合いの俺には、はっきり分かります!」
スレイドがしばらく沈黙する。どうやら、拓磨の様子を確認しているらしい。
「まさか、マスター・シヴァを倒す方法があるというのですか!?」
「戦いに関してはたっくんは無敵ですから何があってもおかしくないのです!さすがたっくん、略して『さすたく』!」
周囲の視線など気にも止めず、拓磨は10秒ほど沈黙して黙ってマスター・シヴァを品定めするように眺めていた。
そして、鑑定が終わったのか長い吐息と共に座席に深々と座る。
ついにシヴァ打倒への秘策が拓磨の口から放たれようと、
「ああ、こりゃ無理だな。ウェブライナーじゃ勝てない」
する前に秘策なんて無かった。
拍子抜けして全員ずっこけてしまう。
「やい、たっくん!期待させるだけさせておいて、その態度は何だ!?『さすたく』って言わせろよ!」
「何が『さすたく』だ、知るか。黙っていただけなのにハードルを勝手に上げていったのはお前等だろ?」
拓磨は呆れたように頬つえをついて祐司のクレームを受け流す。
「戦おうにも、スピード、パワーが向こうの方が圧倒的に上。体格差も違いすぎて、これじゃウェブライナーはただのサンドバックだ。ボコボコに叩きのめされるしか道はない」
ハルバードやチェーンを使っても相手が小さすぎて当たらない。
ビームを出しても速すぎておそらく当たらない。
さっきみたいな策を出そうにも小さすぎて意味が無い。
撤退しようにも相手が速すぎてすぐ追いつかれてボコられる。
カオスフォームになったら余計にひどくなる。そもそも姿を変えさせてくれないだろう。
要するに八方手詰まり、詰みである。
「仕方ない、最後の手段を取るか」
絶望しか漂わない中、拓磨は立ち上がると、準備体操のように体を捻り始める。
「『最後の手段』って何だい?マスターに勝てる方法は無いんだろ?」
「ああ、『ウェブライナーじゃ勝てない』な。だから、向こうに今日は帰ってもらうように説得する。ゼロ、操縦は任せたぞ?」
全員で拓磨を止めようと声をかけたが無駄だった。
拓磨は気が付いたときには、ライナーコアの目の前にいた。そのまま、重力に引かれて地面に落ちていく。
「エアライナー!」
落ちていく拓磨の呼びかけを聞きつけたように上空からエアライナーが急降下し、速度を上げて拓磨に並ぶ。拓磨はグリップの部分に手を伸ばし片手で掴むとエアライナーはそのまま機体を起こし地面スレスレを飛びながら、マスターシヴァ目がけて時速500キロ近い速度で突っ込んでいく。周囲の風景は無数の線となっていった。
さすがのシヴァも予想外だったのか、拳を握り締め構えた。
拓磨はシヴァの手前でエアライナーから離すと、地面にコートを叩きつけるように着地、そのままシヴァの方に歩いて行く。エアライナーは拓磨を残し、上空へと消えていった。
そしてお互い顔が見える範囲まで近づき、互いに足を止める。
シヴァは構えを解くと謎の訪問者を見るように目を向けた。
身長と体格は拓磨の方が大きかったが、迫力はシヴァの方が上だった。両者じっと相手を観察するように見つめ合っている。
「これは意外だ。まさか素手での勝負を所望するとは」
「本当は家でテスト勉強をしたかったが、休日までリベリオスの相手をしなけりゃいけないとはな…」
拓磨は嫌そうに顔をしかめる。
「すまんな、テロリストは時と場所を選ばないものでな」
「あなたについては色々と腑に落ちない点がある。色々ハッキリさせるためにお手合わせ願いませんか、マスター・シンドー」
「わしはお主の敵だ。もっと強い口調の方が迫力が出ると思うが?」
表情を崩さなかったシヴァが初めてにやりと笑みを浮かべた。
「じゃあ言わせてもらうか。『いい加減年なんだから、さっさと隠居して朝ドラマでも見てた方が世間のためだぞ、おじいちゃん?』」
2人の顔から笑みが消えると、互いに拳を握り締め構えた。
拓磨はすかさず仕掛けた。
シヴァの顔目がけて、右手ストレート、間髪入れず左手をみぞおち目がけて叩きつけようとする。
シヴァは顔を動かし、右手を避け、右膝で拓磨の左手を受け止め防ぐ。
拓磨は受け止められたことに反応せず、シヴァの顔目がけて右上段蹴りを向ける。
シヴァは拓磨の足を両手で受け止めると、そのまま背負い投げ拓磨を豪快に宙に投げ飛ばす。
拓磨は空中で体をねじるとシヴァの方を向いて着地する。
シヴァは拓磨の前に瞬間移動すると、拓磨の懐に飛び込みコートを掴むと膝蹴りを腹に叩き込もうとする。
拓磨は両手の平でシヴァの膝蹴りを受け止めると、そのままシヴァの顔面に頭突きを食らわせようとする。
シヴァも頭突きを行い、顔への直撃を回避すると両者バック宙返りをしながら地面に着地する。
拓磨は地面を強く蹴ると、砂を巻き上げながら一気にシヴァに接近する。
拓磨は宙に体を投げ出すと大きく振りかぶり右ストレートをシヴァの頭部に叩き込もうとする。
シヴァはそれを左手で受け止めると拓磨の腹部目がけて再び右拳を突き上げる。
拓磨は左手でシヴァの拳を受け止めると、着地と同時に屈み、右足を時計回りに素早く砂の上を切るように動かしシヴァを宙に浮かせる。
シヴァは体をねじりながら左足を斧のように拓磨の右肩に振り下ろす。
拓磨は体をずらし両腕を交差して、右足を受け止める。衝撃で足元が砂にめり込んだ。
シヴァはそのまま両手を砂に着き、砂の上で逆立ちをすると一気に腕を曲げ、バネのよう両足を突き出し蹴りをあびせに来る。
拓磨はシヴァの黒い靴を両手で受け止める。勢いに負けずその場で踏みとどまった。そのままちゃぶ台返しのようにシヴァの体を持ち上げると腹目がけて右足蹴りを行う。
シヴァは拓磨の足を逆さ状態で掴むと、捻り切るように回転させる。
拓磨はシヴァの回した方向に回転しながら途中左足でシヴァの手を払うと、2回転ほど回り、終わり際に頭を下にして両手で地面を押し、逆立ちをする。そのまま前転して、すぐさまシヴァの方を振り返る。
シヴァはすぐ目の前まで来ていた。拓磨の胸目がけて左足飛び蹴りが当たる直前だった。
拓磨は瞬間的に右手を前に突き出し、跳び蹴りを受け止める。
シヴァはすかさず右足で拓磨の顔を払おうとする。
拓磨は左腕でシヴァの蹴りを受け止めると、そのまま右足を掴む。そして右足を引いて体をねじりシヴァの体をハンマーのように地面目がけて叩きつけようとした。
シヴァは体をねじりながら拓磨の手を払うと、砂の上を前転し拓磨の方を振り返る。
振り返ったシヴァの目に映ったのは、拓磨が自分のアゴ目がけて右拳アッパーカットを叩き込む寸前の光景だった。
シヴァは瞬時に顔を引いて、アッパーカットを回避するとそのまま足を振り上げサマーソルトキックを拓磨の頭部目がけて行う。
勢い余っていた拓磨は足を強く後ろに踏み込み、アゴを引きながら後方に飛び、蹴りを回避する。そのまま砂の上を後転してシヴァの方を向くと、地面を蹴り再び突っ込む。
拓磨はシヴァの足元を崩そうと左ふくらはぎ目がけて、右ローキックを行う。
シヴァは拓磨の蹴りを自分の右足蹴りで受け止めた。そのまま、右足を前に踏み込むと拓磨の頭部に左拳を、腹部に右拳を槍のように鋭い突きを出してくる。
拓磨はシヴァの右拳を両手の平で受け止めると、相手の左拳を頭突きで受け止める。そのまま、踏み込みシヴァの腹部目がけてヒザ蹴りを叩き込む。
シヴァは急に体を引くと、左足を突きだし、足裏で拓磨のヒザを受け止める。そのままバック宙返りを行う。
拓磨は、すかさず追撃してシヴァ目がけて中段蹴りを放つ。
空中で急に加速してそのまま着地したシヴァはアゴが砂の上に着くまで体を伏せ、拓磨の蹴りをかわすとそのまま右足で砂の上を水平に切るように足払いをする。
拓磨はすかさずその場で跳び上がり足払いを回避し、そのまま右ひじを振りおろし、相手の頭部目がけて叩きつけようとする。
シヴァは地面を強く蹴り、背後に飛ぶ。そのままバック宙返りを行うと拓磨と距離を取った。
10メートル程の距離を隔てて互いに拳を握り締め構えている。
まるで交戦前の状態に戻ったようである。
両者とも一発も相手に有効な一打を与えることが出来ないでいた。
祐司達は、ウェブライナーの中から2人の戦いを見ていることしか出来なかった。
特に祐司とゼロアは、途中からシヴァの動きが速すぎて途切れ途切れの動きしか見えていなかった。
拓磨を助けようにも下手に攻撃すれば、拓磨も巻き込んでしまう。助けたいが助けられない、何とももどかしい状況に陥っていた。
すると、突然シヴァが拳を解くと周りに響くように大きく拍手をし始めた。
シヴァの謎の行動に拓磨は顔をしかめたが、警戒は解かない。
「はっはっはっは!いやあ、見事!」
「……急に笑ってどうした?」
「なに、ただお主の強さに感服しただけのことよ!はっはっは!」
シヴァは満面の笑みを浮かべながら仏頂面の拓磨を見ていた。
「なるほど。本当に恐ろしいのはロボットでは無く、それに乗っている奴らということか…。面白い、戦場に出てきた甲斐があった。これは良い収穫じゃ」
「さっきから何を言っている?」
「また会おう、不動拓磨」
拓磨の問いかけを無視してシヴァの立っているところに巨大な砂ぼこりが舞い上がった。拓磨が視界を遮られないように顔をそむけ、再びシヴァの方を見た時にはすでに彼の姿は消えていた。
周囲を見渡しても先ほどまで暴れていた老人の姿は影1つ見つからない。
「拓磨!大丈夫か!?」
ウェブライナーからゼロアの声が響いてきた。
「ああ、何とかな」
「マスターに生身で戦いを挑むとか一体何を考えているんだ!?」
確かに無謀すぎる行動だったと言うほかない。
拓磨自身もそう思えてしまうほどの相手だった。だが、その行動するだけの価値はあった。
「ゼロ、ウェブライナーの損害はどうだ?」
「えっ?ええと…すごいな、あんだけ叩きのめされたのに奇跡的にどれも自動修復可能なものだ。これは一体…」
「そうか…。あのじいさん手加減していたな」
拓磨は、呟いたことに祐司は愕然としてしまった。
「あんなにボコボコにされたのにまだ本気を出していなかったってこと!?どんだけ強いんだよ、あのじいさん!」
祐司が呆れていた。
「そうだ。あのじいさんが本気ならウェブライナーは今頃爆発四散で粉々だろうな。それにウェブライナーを吹き飛ばした技を俺に対して使ってこなかった。誤って俺を殺さないように色々配慮していたんだろう」
「拓磨殿、ではまさかマスターは最初からこちらを倒す意思はなかったと言うことでしょうか?」
スレイドの声がウェブライナーから響き渡る。
「まだ断定はできないが…その可能性は高いと思います。問題は…なぜそんなことをするのかということですが」
拓磨は白い砂の上に座り込むとシヴァが先ほどまで立っていた方角を見つめた。
シヴァ・シンドー。確かに伝説と呼ばれるのにふさわしい強さだった。むしろ、反則の領域まで達していた。素手でウェブライナーを倒せるなんて、いくらなんでもそりゃないだろ?
しかし、リベリオスに属しているはずの彼がなぜ俺たちに手加減をする必要がある?そもそも、リベリオスの一員では無いのか?もし、そうだとしたらなぜ彼はゼロア達と合流しないのか?やっぱり何か、理由があるのだろうか?
いずれにしても、これから彼を相手にする必要があるかもしれない。そうなったら、今度は生きていられるだろうか…。
謎を多く残しつつ消え去ったシヴァと拓磨達の対面は、突然の彼の逃走と共に幕を閉じたのである。

第3章「師と弟子」
同日 午後4時20分 リベリオス本部 作戦司令室
司令室は静まりかえっていた。誰1人話す者はおらず、各々が沈黙し目の前の出来事を頭の中で処理している。
出来事はもちろん、ウェブライナーとの戦闘である。ウェブライナー相手に一方的に勝ったシヴァについては言うことは何も無い。だが、その後の全身コートの殺人者みたいな大男相手にシヴァが撤退したというのはとてもではないが納得できない。
「とっつぁん、ずいぶんあっさりやられたな?」
ザイオンの呆れた声がアルフレッドの背中を突き刺した。
「陸戦型が通用しなかったというだけじゃ。戦法としては悪くはない。この経験を活かして、次の製作にあたる」
「それより、あの男が不動拓磨でいいわけ?」
リリーナは液晶タブレットを取り出すと、指で弾いて拓磨の顔を拡大していた。
「『不動拓磨。稲歌高校2年生。帰宅部』。…ねえ、住所については何も分からなかったの、ライン?現地に何人かスパイ潜り込ませているんでしょ?」
ラインはコーヒーの匂いを嗅ぎながら、タブレットを画面を弄くっていた。
「分かったが、どれもこれも偽物だった。最近の個人情報の扱いはかなり厳重みたいでな。指紋認証や網膜認証が必要になるんだ」
「別に問題ないんじゃないの?個人情報を扱う人間をスパイにしているんでしょ?」
「ははは、どうやら相手もそんな馬鹿じゃないみたいだ。こちらの手が加わっている者に偽の情報を与えるように特殊なプログラムを設置したらしい。普通の人間はライナー波なんて浴びてないからまったく問題ない、まさに対リベリオス用の特殊措置が今の稲歌町には張り巡らされている」
ラインは大笑いしながら、コーヒーを一口すする。
「設置したのは『第3者』か?いい加減目障りになってきたな、何者なんだ?行政関係を相手にしている業者か?それとも国お抱えの秘密組織か?俺たちに対抗できる技術なんてあり得ないだろ?」
「まあ、誰なのかはどうでも良い。重要なのは我々に対抗できる奴らがいるという事実さ、ザイオン。コーヒー飲むか?」
「いらねえ、俺猫舌なんだ」
ザイオンはバッサリとラインの言葉を切った。
すると、突然ラインの背後で扉が開いた音がした。
「すまんな、総司令。わしのミスで失敗してしまった」
白髪の大男がゆっくりと部屋に入ると、ラインの背後に立った。
「いえいえ、ウェブライナーを圧倒した戦闘はお見事でしたよ、マスター。さすがはフォインの伝説だ、ロボットなんかいりませんよね?とにかく、ご苦労様でした」
ラインは拍手しながら振り向き立ち上がるとシヴァを笑顔で褒め称え始めた。その顔をシヴァは無表情で見下ろしていた。
「マスター、聞いて良いかな?」
ザイオンが腕を組みながら、シヴァ右手側の壁に寄りかかりフードの中から視線を彼に向けた。
「何だ?」
「手を抜いたよな?さっきの戦い」
ザイオンは単刀直入に切り出した。何とも冷たい響きが入った言葉であった。
「ほほう?科学者のわしにはまるで見抜けなかったが、どうやら武の道に進んだ者には分かることがあるらしいの?そうなのか、シヴァ?」
アルフレッドが椅子を回転させるとシヴァの方を向き直る。気が付けば、部屋の全員がシヴァを見つめていた。
「わしは全力で戦ったが?」
シヴァは淡々と答えた。
「マスターならウェブライナーぶっ壊せたんじゃないのか?」
「単純にウェブライナーの強度が想像以上に堅くてな、壊したくても壊せなかった」
ザイオンの問いにもシヴァはさらりと答えた。
「じゃあ、不動拓磨の件は?ロボットはまだしも、人間なら余裕でしょう?」
ザイオンの追求は続く。
「まさかと思うが、ザイオン。先ほどの戦いを見て、あの男の異常性に気づかなかったのか?」
「……異常性?」
「あの不動拓磨という男。武術だけを見るならわしとそれほど変わらん。何より驚くべきはあの冷静さ、いかなる状況にも隙を見て有効な一手を打ってくる。世が世なら名を上げ、優れた将に育っていただろうな。高校生であれほどの実力を風格を備えた者をわしは今まで見たことがない。大人でも匹敵する者はそうそういないじゃろう」
シヴァの感想にザイオンは鼻で笑ってしまった。
「八百長試合の満点コメントですね、今まで聞いたことの無いような評価だ。相手はたかが人間でしょう、褒めすぎでは?」
「あれが人間だったら、わしらは喧嘩を売る星を間違えたな」
シヴァとザイオンの論争が激化し始めてきたことを見計らい、ラインは手を鳴らし2人の間に入った。
「まあまあ、お互いそれぐらいに。とりあえず、新しい戦闘データも得られたし、ウェブライナーを破壊する機会は次もあります。マスターはお休みになってください。後のことはこちらが引き受けますので」
「ああ、そうか。では、すまんが先に休ませてもらう」
シヴァは軽く頭を下げると、踵を返し部屋の外へと消えていった。シヴァが部屋から消えたのを確認すると、ザイオンはかかとを背後の壁にぶつける。
「おい、ザイオン。いくら何でもあれじゃ喧嘩を売っているように見えたぞ。シヴァが不審に思ったらどうする?」
「どうせとっくに気づいているさ!俺様自慢の師匠だからな!」
アルフレッドの忠告をザイオンは反吐を吐くようにぶっとばし、突然風を巻き起こし近くのテーブル上の資料を吹き飛ばしながら、姿を消した。
「あ~あ~、資料がめちゃめちゃ…。ねえザイオンの奴、どうしたの?ずいぶん怒っていたけど」
リリーナは床に落ちた資料を拾いながら目の前で一緒に作業をしているラインに尋ねた。
「すねているんだよ、あいつは」
「はっ?何ですねるの?」
紙の向きを揃え束ねたラインはテーブルの上に資料を置くと、にやつきながらリリーナの方を向いた。
「ザイオンにとってマスターは超える目標であると同時に頼りがいのある師匠だ。昔から天賦の才に恵まれていたあいつは、マスターに厳しく教え込まれてきたらしい。武術のことから倫理道徳…人との接し方まで、がんじがらめの毎日を過ごしてきたんだ。そのせいで今は反抗期をむかえているってわけ」
「はあ…くだらない。マスターが不動拓磨のことを褒めたから、ガキみたいにへそ曲げているってこと?」
「俺は分からないでも無いけどな。突然転校してきた生徒に自分の恋人がそいつのことべた褒めしたらこっちは胸くそ悪くなるだろ?」
ラインは笑いながら、再びコーヒーを口にした。
「ライン、シヴァのことはこれからどうする?」
「通常通りですよ。こちらの思い過ごしなら今まで通り、もし敵ならば例えマスターでも容赦はしません。それより、早く戻ってきてほしいですね」
「…誰にじゃ?」
「大佐ですよ。やっぱり作戦を考えるのは私は苦手で。どうせなら得意な人にやらせた方が良いでしょう?」
アルフレッドはため息をつくと再び椅子を回転させ、キーボードに向かう。
「こんな総司令官じゃ先が思いやられるなあ!」
愚痴を盛大にこぼすとアルフレッドはキーボードを叩き始めた。背後でラインが再び笑い始める。

同日 午後6時13分 リベリオス本部 格納庫
所狭しと並べられた鋼のバイク。付近を偵察するために人の形をした怪物専用に作られている。天井には太く鉛色のロボットの腕や足が吊され、奥の暗闇に消えては、何も無くなった状態で戻ってくる。
格納庫でよく見られる光景だ。最近、リベリオス本部を移動したため以前使っていた地下のロボット生産工場が使えなくなってしまった。新しく工場を作るにも、ライナー波の力を利用してもすぐには完成しない。格納庫の一部を代理工場として運用し、ロボット増産にあてている。
生み出されるロボットは大体が100キロメートル超の超大型ロボットである。昔はここまで巨大なロボットは必要なかった。ここまで巨大なものを必要になった原因はウェブライナーの登場である。敵の大きさに合わせ出力を最大限に引き出せるようにする。ここのロボットを10体ほど現実世界に送り込めば、瞬く間に地球は滅ぶだろう。ライナー波による地表汚染とロボットの破壊活動で世界征服など完了してしまう。
誰もいない格納庫は不気味なものである。ロボット建造の大音量が響いているのに、どこか静けささえ感じてしまう。
その格納庫に突然シヴァが姿を現した。バイクの列の中に姿を隠すと、地表より5メートルほどの高さに付けられたカメラを眺める。カメラレンズの下には赤いランプが輝いている。シヴァは自分の服を探ると、まんじゅうのような形をした青く透明な物体を取り出す。すると物体の中から声が聞こえてきた。機械音で合成された男の声だ。
「これから、格納庫クレーン制御室までの5つの監視カメラを停止させます。時間は30秒。マスター、準備の方はよろしいでしょうか?」
「…やってくれ」
監視カメラのランプが緑色に変わる。同時にシヴァは風のように飛び出すと、空中を駆けるように格納庫奥へと進んでいく。
真上には奥へと運ばれていく金属部品が列を成して進んでいく。その途中で突如左側の壁際に銅色の金属扉が現れた。シヴァはすぐさま部屋のドアノブを回すと中に入る。
「お見事。では申し訳ありませんが、しばらく通信は切らせていただきます」
「すまないな」
シヴァは服の中に青い物体をしまうと部屋の奥を見る。
20畳ほどの部屋全体は暗闇に包まれ、部屋奥の電子機器の液晶画面が発する光が唯一の道しるべだった。
シヴァは足早に電子機器に近づくと、手元のボタンを押していく。
「秘匿通信プロトコル起動。通信ネットワーク構築中……、構築完了。対象相手『ジークフリード・アイコム大佐』を呼び出し中です」
ナビゲーションの音声と共に自動的にプログラムが進んでいき、目の前に縦2メートル横3メートルほどの巨大な映像が手元の機器から宙へ投影される。
そこには黒髪と白髪が混じった老人が椅子に座りながらこちらを眺めていた。老人は白い部屋着を着用しており、のんびりとくつろいでいる。
顔は厳格で角張っており、ぼんやりとしているが、見るものを離さないような鋭い光と威圧感を目から放っている。
「誰かと思ったらこれはこれは…。秘匿回線まで使って何の用だ、シヴァ」
「すまんな、ジークフリード。急用じゃ」
「さっき報告を聞いたぞ?ウェブライナーを倒し損ねたとか、しかもその操縦者がお前に匹敵する武術の持ち主だとか。フォインの伝説がミスをするとは…、今日は腹の具合でも悪かったのか?」
すでにライン達から報告は届いていたらしい。さすがにリベリオスの参謀には速やかに連絡するようになっているようだ。
「相手が強かった。ただそれだけの話じゃ」
「なるほど。不動拓磨、渡里祐司…。2人ともただの人間ではないということだな?ウェブライナーを進化させ、こちらに対抗する存在まで成長させるとは…非常に興味深い話だ。総司令が捕獲を推奨したのも納得がいく」
シヴァは顔をしかめてジークフリードを見つめる。その顔にジーククリードは、笑いだす。
「ははは、そんな顔をしてどうした?争いにおいて相手の情報を手に入れるのは何よりも最初にやることだ。今の時代、どこからでも必要な情報は手に入る。情報保護よりも先に抜け道が見つかってしまう、そんな超情報化時代を地球は迎えているのだ」
「ジークフリード、お前はリベリオスをどう思う?」
シヴァは、ジークフリードの話を無理矢理切り替えると鋭い言葉を放った。
「急に何だ?……漠然としすぎていて何が聞きたいのか分からないな?」
「今のリベリオスは暴走していると思わないか?」
ジークフリードは眉をひそめる。
「暴走?具体的にどのあたりが?」
「全てじゃ。我々の目的はフォインを救うこと、それが全てだったはず。だが、今やっていることはどうだ、地球人という我々と無関係の種族を駒に楽しんでいるだけではないか?ライナー波という我々には過ぎた力を地球人にもたらした結果、今までに何百人の犠牲が生まれてきたか…。我々のやっていることはもはや、何の大義を持たないただの殺戮と化してきている」
ジークフリードは太く凜々しい眉を微塵も動かさず、シヴァの話を聞き続けていた。生徒の主張を添削する教師のように微笑みを浮かべ、どこか余裕の表情を示している。
「シヴァ、私にリベリオスを抜けろと言っているのか?」
「抜けるだけではない、我々が先頭を切って虐殺を止めるよう訴えていかねばならん。わしが武を、お主が智を用いてリベリオスを変えていかねばならん。我々のような年寄りは、後の世代に禍根を残さぬよう粉骨砕身せねばならない」
「熱い主張だ…。心揺さぶるものがある。共感できる部分も多く、私の望むことも多い」
ジークフリードは目を閉じて頷きながらシヴァの言葉を頭の中で繰り返しているように見えた。
ジークフリードはリベリオスの中心にいる1人で、代えの効かない切り札である。この人物を失うこと、それ即ちリベリオスの崩壊を意味する。
シヴァの説得が通用すれば、これ以後無駄な争いが無くなる。それこそシヴァが心から願う成果だった。
「だが、残念。全て理想論だ」
冷たいセリフがジークフリードの口から流れた。
「理想ではあるが、実現できることだ。我々が行動すれば、リベリオスは本来の意味を取り戻す」
「…なあ、シヴァ。本来の意味を取り戻すも何も、今のリベリオスは昔と何も変わらず動いているではないか?正常に動いているものに何も変える必要はないだろ?」
ジークフリードの言葉がだんだんと重くシヴァの心にのしかかってきた。話は思いも寄らぬ方向へ逸れ始め、シヴァは内心焦りを感じ始めていた。
「虐殺がリベリオスの本分だと言うのか?」
「そもそも…我々は虐殺などしていない。現実世界のいてもいなくても良いような存在を集めてきて、ライナー波の研究に利用している。命の有効的な活用、リサイクルだ。現に現実世界ではそのおかげで命を助かった人間や怪我をせずに済んだ人間もいる。彼らにしてみれば、我々は侵略者ではなく救世主だろうな」
「それは全て建前だ。本心は現実世界の混乱を少なくするために目立つのを避けること。地球人のことなど微塵も考えてはいない」
ジークフリードは深く息を吐くと、画面外からタバコとライターを取り出し火を付け、大きく煙を吐く。
「シヴァ。覚えているか、我々が惑星フォインで行った革命を。結局、あの戦いに勝っても何も得るものは無かった。生まれたのは無数の死体と破壊された市街地。我々には責任があるのだ。壊してしまった物を直す責任があり、失ったものを取り戻す義務もある」
「それはもう戻ってこない、ジークフリード。今こそ過去を断ち切り、進む時じゃ。お前も、わしもリベリオスも!」
シヴァが苦しそうにジークフリードに説得を続ける。ふと、彼の顔に笑みが浮かんだように思えたが、その口から出てきたのは今までの全てを無駄にする残酷な言葉だった。
「ザイオン、予定通り離反者だ。手はず通りに頼む」
シヴァの背後で扉が開くような音が聞こえる。シヴァは振り返るとそこにはフードをかぶり中華服のような格好をしたザイオンが立っていた。フードのせいで表情がよく分からないが、何か光ったような気がする。
「残念だ…、マスター」
「ザイオン、お前も大佐と同じ考えか?」
「正直言うとなあ…俺は惑星フォインのためとかそういうのはどうでもいいんだ。俺は強くなりたかったんだよ、あんたみたいに誰からも一目置かれる絶対的な強さを持つ存在になりたかったんだ」
シヴァは黙りつつゆっくりと目を動かし、部屋全体を確認していた。
どうも違和感を覚える。先ほどの会話がシヴァの頭の中を駆け巡っていた。

『ザイオン、予定通り離反者だ。手はず通りに頼む』

ジークフリードは『予定通り』と言っていた。つまり、わしがリベリオスを抜けることを予測していたわけだ。分かっていて先ほどの会話をしていたということになる。彼の説得は最初から失敗していたわけだ。
では、なぜ彼はわしとの無駄な会話を行った?する必要がない会話をなぜした?
「けど、今のあんたは何だ?俺たちより遙かに劣った地球人に肩入れして、おまけに高校生と引き分けるような腑抜けだ。全盛期のあんたとは比べものにならない落ちっぷりだ。見損なったよ、マスター。がっかりだ」
「向こうがそれだけ強かった、ただそれだけの事だ。それに殴り合いの強さが世の中の全てじゃない。大切なことは他にもある」
「そんなものねえんだよ!!俺にとっては相手をぶっ殺す強さだけが全てだ!それを教えたのは他の誰でも無い、あんただろうが!!」
抑えてきた感情を部屋全体に叩きつけるようにザイオンが吠えた。シヴァは何事も無いようにそれを受け流すと口を開いた。
「……確かにわしの『風牙殺人拳』は言葉通り、相手を殺<<あや>>める技だ。だが、それを使う上で本当の意味をお前に伝えられなかったことがわしの最大の過ちじゃ」
「また、説教か?あんたの小言を聞いている時間を全て武術に当てていたら…」
「ああ、わしを超えていたな。ただし、お前は世の中で必要の無い人材になっていたな」
シヴァの言葉は淡々としていた。
「どういう意味だ?」
「お前の理論だと強さが全てだという話だが、だったら別に人じゃなくても良い。お前の技術をロボットにでも覚えさせて大量生産した方がよほど戦争では役に立つ。ロボットは従順で命令に背くことはしないから、人間よりよほど扱いやすい。強いことしか能の無い者の末路は、争いの道具と相場は決まっておる。殴った相手の気持ちが分からず、殴ったことに葛藤の無い者は世の中でボロ雑巾のように使われて寂しく死ぬのみよ」
ザイオンのフードの中で歯ぎしりのような音が響いた。全身がわなわなと震え、今にも飛びかかってきそうであった。
激怒している。いつものザイオンならこの後、怒りに任せて殴りかかってくるはずだ。彼の相手を軽くして、リベリオス本部から脱出。
シヴァの中で筋書きは大筋決まっていた。
だが、ザイオンは部屋の外へと飛び出し扉を閉めた。
予想外の行動にシヴァは眉をひそめる。
ザイオンが逃げた?普段のあいつなら、迷わず怒りをぶつけてくるはずだ。
すると、シヴァの視界が突如赤く染まった。天井、床、壁、部屋全体が赤く発光しているのである。まるで全体にランプが埋め込まれていて一度に点灯させたようである。
その時、シヴァは理解した。自分は嵌められたのだと。
突然、体が鉛のように重くなると部屋全体に網のような赤い電流のようなものが走り、シヴァの体に直撃する。
体を引き裂かれるような凄まじい激痛と衝撃に、シヴァはうめき声を上げる。そして、事態の深刻さを感じ、迷うこと無くあらん限りの力を振り絞ると右側の壁目がけて突撃し、右拳を壁目がけて叩きつけた。
とてつもない轟音と共に壁がひしゃげるとそこに小さな裂け目ができた。裂け目から光が入ってきている。どうやら裂け目の向こうは外らしい
再び、彼の体を赤い電流が直撃する。普段ならば避けられるものも、虚脱感が象のようにのしかかる今ではどうしようもない。シヴァは痛みを堪えながら何度も右肩を裂け目にぶつける。4回ほど、ぶつけたときついに壁が耐えられなくなり、壁に埋め込まれていた配線や衝撃でバラバラになった照明機材と共にシヴァは外へ飛び出す。
眼下に広がるのは白いリベリオス本部の外壁、4メートルほど下方には白い砂の山が見える。飛び出した部分が地上に近かったのが幸いだった。シヴァはそのまま力なく落ちていくと背中から砂の上に落下する。衝撃で一瞬、呼吸が出来なくなりむせてしまった。それと同時に胸ポケットからまんじゅう型の物体が転がり落ちる。そこから電子機器で加工した音声が鳴り出す。
「マスター!何が起こったんですか!?」
「ごほっ!わしが…浅はかだった」
シヴァは自分の思慮の無さを呪った。ジークフリードを自分の言葉で説得できるという自信があったのだ。自分と同じく多くの戦場を経験し、そこで生まれる悲惨さや虚しさを彼は知っていると信じていた。リベリオスに協力しているのも自分と同じく本心では無く、理由があってのことであり話せば分かると思っていた。
だが、違った。彼は本気で地球を滅ぼそうとしているのだ。何が理由なのかは分からないが、説得の余地など針の穴ほども無かった。
全ては自分の力量の小ささと相手を見極められなかった洞察力の無さによる敗北である。おそらく、奴はわしが通信のためにあの部屋を使うことを知っていたのだ。誰かに見られる心配も無く、秘匿通信が可能であることを条件に選んだが見事に裏をかかれた。あの赤い壁の罠もそれを予想して設置されていたのだろう。
「と、とにかくそこは危険です!現実世界へお逃げ下さい!動けますか!?」
「体に…力が…入らん…!」
すると、シヴァの目の前に虹色の光の渦が現れる。同時に背後からバイクの排気音が響き渡り、どんどん近くなってくる。わしを追跡に来たのだろう。
「知人の家近くに場所をセットしておきました。お急ぎ下さい!」
「すまない…!」
シヴァはボロボロの体に鞭打ち、ふらつきながら立ち上がると光の渦に倒れ込む。シヴァが入ったと同時に光の渦がみるみるうちに小さくなり、動物の頭や腕などを取り付けた怪物達のバイクがたどり着いた時にはシヴァの姿も光の渦も消えていた。

5月18日 午後3時55分 稲歌町立稲歌高校
ウェブスペースでのマスター・シヴァとの熱い戦いから1週間、寒々とした風が拓磨と祐司の心の中を吹き抜けていた。
あの後ウェブライナーの場所を移し、ゼロアの手伝いをしているうちにせっかくの休日が終了してしまったのだ。よりにもよってそれから1週間、できることならば受けたくない中間テストの日々を送ることになった。
当然テスト勉強などをする時間は他の生徒よりも短い。ただでさえ、リベリオス対策のために体を鍛えなければならないのに、さらに努力しろというのは無理難題を通り越して泣きたくなる。
結局、2人は自分たちよりも勉強しているであろう葵と友喜に泣きつくしかなかった。友喜はこちらの事情を理解したため喜んで協力していたが、葵からしてみれば俺たちは「個人の都合を優先し、学生の本分を蔑ろにしている自堕落極まりない不良学生」に見えたのかもしれない。勉強を教えてくれる前に無理矢理正座をさせられ、普段俺たちがどのように見えており生活改善の重要性を耳にタコができる勢いで教えられ続けた。
結局、数学や理科、歴史、地理、英語など公式や単語を暗記すればそれなりの点数を取れる教科を重点的に行い、国語を捨てることにした。
『作者はこの時、どのような事を思いましたか?文章から推測しなさい』
『この小説の作者は文章にどのような意味を込めましたか?文章から読み取りなさい』
『この時、著者はどのような情景を見て何をしていたでしょうか?文章から推測し、答えなさい』
よくこんな『絶対に100点取らせねえぞ的な問題』が国語には存在する。他の教科でもあるが、国語では特に顕著だ。
おまけに結構得点配分が高く間違えると一気に点数を削られるから、嫌みったらしいことこの上ない。自分の考えることを書けばいいのだが、それが正解だったことは生まれてこれまで一度も無い。
文章読解力が無いとか毎日、本を読んでないから分からないんだとか、そんな次元の話じゃない。
こんなもん問題の作成者が「私はこう思う」と作っただけじゃねえか。
自分の考えを人に押しつけて、それが自分のものと違うから減点だと?
お前、どこの独裁者だ!そんなにお前の考えは他の追随を許さないほど『ご立派』で、誰も自分に及ばぬほど『崇高』だと言いたいのか!
大体、使われている文章が毎回堅苦しくて面白くないんだよ!一度で良いからマンガとかラノベとか恋愛小説とか官能小説とかそんなチャレンジ精神みなぎり冒険心溢れる小説を用いてもいいのではないか!?
「生徒の豊かな感受性を踏みにじり、己の意思を他者に押しつけ自由を奪い取る悪の所行!貴様の蛮行はこの渡里祐司がゆる!さん!」
クラス前方、黒板前。一段高い位置でテストの返却を行っている南光一。
祐司は担任であり、現代文の担当教師である彼の顔に自分のテストを突きつけていた。テストの点数100点満点中、39点。先ほどの『絶対に100点取らせねえぞ的な問題』は「あなたの考えが正しいと誰が決めたんですか?そんなにあなたは偉いんですか?」と記入してあり、見事に×をもらってあった。
「祐司、これ以上点を引かれたくなければさっさと席に戻れ。粘っても点は増えないぞ?」
「横暴だ!陰謀だ!胸毛ボーボーだ!先生は生徒に点を取らせたくないからこんな風にいじめているんじゃないですか!子どもみたいな真似して恥ずかしいと思わないんですか!?」
巨大な体格の拓磨が祐司の背後に近寄ると、制服の襟を引っ張り祐司を引きずりながら席に戻っていく。引きずられても祐司は喚き散らしていた。その光景にクラス全体が爆笑の渦に包まれていた。
クラスの窓際、最後部から2列目に葵は顔を真っ赤にして両手で顔を覆っている。彼の身内であることがこれほど恥ずかしいとは思わなかったようである。
友喜はクスクス笑いながら背後から葵の肩をポンポンと叩き、なだめていた。
祐司は葵の隣に無理矢理座らされると、自分のテストを机の上に敷き、頭突きを机に食らわせ音を立てるとそのまま動かなくなった。
しばらくして、南は全員にテストを配り終えると教卓を前に笑顔を見せた。クラス全体を見渡したが、祐司の方はあえて避けているように視線をそらした。
「今回は出来が良かったぞ?90点以上が5人、80点以上は11人だ。平均点も62点で2年の中で1番。さすが俺の教え子達、この調子で頑張ってくれ」
「先生、100点取った人っていたんですか?」
クラス最前列の男子生徒が質問した。
「ああ、他のクラスに1人だけどな」
クラスにどよめきが走った。見事に南の『100点潰し』を避けた者がいたことに驚きを隠せないようだ。
「先生、ちなみにビリって何点ですか?」
窓際列最前列の女子が質問する。
「20点以上と言っておこう、このクラスじゃ無いぞ?ビリ捜しなんてくだらないことは絶対しないように!それじゃあこれよりホームルームを始める」
ホームルームは早々に過ぎていった。クラスの誰しもがテスト結果に夢中で周りの生徒とテスト結果の見せ合いをしていた。南がホームルームを終え、部屋を出て行くと一斉にクラス中が騒ぎ出した。
「ねえ、不動君。何点?」
隣の友喜が拓磨のテストを覗いてくる。拓磨は隠すことなく見せた。
62点。見事なまでの平均点である。
「平均ピッタリ。何か不気味」
葵も前の席から背後を振り返り、拓磨のテストを覗く。
「不気味は余計だ。葵は何点なんだ?」
「89点。ちょっと読解問題でミスしたかなあ…、友喜は94点。頭良いね、やっぱり」
「言わないでよ、葵。私も読解でミスしたから」
3人はそのまま、視線を祐司に移す。祐司は頭をテスト用紙に擦りつけながら『嘘だ、ドンドコドン』と理解不能な言葉をブツブツ呟いている。
「祐司、あの…元気出して?テストだけで人生決まるもんじゃないでしょ?」
「勝者の慰めは敗者の傷口に塩を擦り込むようなものだから止めて」
友喜の優しい言葉も逆効果だった。祐司はさらにいじけてしまう。
「自業自得よ。アニメ見たりゲームをする時間を減らせばこんな事にならなかったのに、いつも原因が分かっているのに何で対処しないの?」
「お前は呼吸を止めろと言われたら止められるか?つまり、そういうことだ」
葵の言葉を祐司は一瞬でなぎ払った。
「祐司、とりあえず帰るぞ?あんまり遅くなったら危ないからな」
「さすがアベック、何気ない会話ありがとう」
「『アベック』?」
「アベレージ(平均)たっくん。略してアベック」
恋人がいない俺への嫌みに聞こえるのは気のせいだろうか?
拓磨はテストを鞄にしまうと、そのまま立ち上がる。
「私、今日は部活あるから。先に帰って」
「町中で警察と不良グループの衝突が起こっているのに部活なんてやれるのか?」
拓磨は、葵に聞いた。
先週から稲歌町は今までに無い緊迫状態に包まれていた。相良組があった頃がまだマシに思えるくらいだ。
学校への登校は奇跡的に可能だったが、色々保護者からクレームが入って大炎上したらしい。
児童生徒の登下校には町役場の職員だけではなく、防弾チョッキを着こんだ警官が同行している。学校の方は保護者に車での送り迎えを推奨していて、学校閉鎖も視野に入れていると噂では聞いている。
警察と不良だが町のあちこちで小競り合いが頻発しており、何人もの警官が負傷し病院に送られているようだ。地方の田舎町は、あっという間に戦場と化してしまった。
警視庁も動きだし、事態の対処にあたるという話も聞き、話はいつの間にか全国に注目される問題になってきてしまっている。TVをつければいつも稲歌町の話題だ。
さらにおかしいのは不良グループの善戦だ。武装した警官に引けを取らないどころか、圧倒している部分もある。不良グループで1人も逮捕者のニュースが出ていないのもそれを裏付けている。警察が急に無能になったとは考えにくい。奴らにはやはり強力なバックアップがあると考えた方が納得がいく。
やはり、リベリオスが裏にいるのか?しかし、何のためだ?相良組の裏でくすぶっていた不良を焚きつけ暴動を起こさせ奴らに何の得がある?
拓磨はこのことをゼロア達とも話し合ったがこの1週間、答えは出るどころか巡り巡って迷宮を彷徨っているような状態だった。
「だから部員に家で行えるトレーニングを教えるの。しばらく、学校で部活を行うのは無理だし、一回みんなで集まって連絡しないとね」
「携帯電話で連絡をすればいいじゃないか?」
葵の不自然な行動に祐司がツッコミを入れた。
「あれ?あんた、この前できるだけ携帯電話は控えろって言ってなかったっけ?それに携帯電話だと内容がよく分からなかったり、誤って伝わる場合があるでしょ?一度お手本を見せた方が確実だから直接集まるのよ」
祐司は葵に返り討ちにされて、ぐうの音も出なかった。リベリオスのことを信じたわけではないようだが、葵なりにできるだけ直接会話を行う機会を取り入れているようだ。
「分かった。じゃあ、祐司。お前は友喜と先に帰ってくれ。俺は葵の部活が終わるまで待ってる」
「えっ!?大丈夫だって!不良グループが私なんか構うわけないでしょ?だったら、友喜と一緒に帰ってあげて。祐司じゃ、なんか心配だから」
葵は笑いながら、祐司を小馬鹿にして帰宅を促した。
「たっくん、葵なんぞ守る価値も無いから一緒に帰ろう。友喜の方がテストも女子力も全てにおいて格上だからよっぽど大事だよ」
葵はギロリと祐司に対し殺意を込めて睨みつけた。祐司は拓磨の影に隠れて葵との間に盾を作る。友喜は『余計なこと言わないと生きていけないのかしら、この2人』と思いながらため息を吐いた。
「分かった。だが、絶対に1人で帰らず警察官と一緒に帰ってくるんだぞ?奴らはおそらくただの不良じゃない、下手したら怪我じゃ済まないからな」
「あなた、私のお父さん?」
「葵、本当に冗談じゃ済まないんだ」
拓磨は真剣なまなざしで葵を見つめた。葵は長髪を払うように頭を掻くと、渋々頷いた。
「………はあ、分かった。誰かと一緒に帰るから安心して、それじゃ私部活に行くから、じゃあね」
葵は手を振ると、教室を出て行った。
「不動君ってすごく葵のこと心配しているよね?」
「あいつがいなくなるとメロンパンの売り上げが減るからな。固定客は何より大事にしなけりゃいけない。叔母さんの教えだ」
「えっ、そういう意味?もっと別の意味ないの?」
友喜は、期待していただけに拓磨の問いにガッカリだった。
その後、3人は1階昇降口まで降りていくと上履きを靴に履き替え生徒が溢れかえる外に出た。昇降口外では校内の至る所に警察官の姿があり、正門から出て行く生徒達を警備しているように見えた。
拓磨達は生徒の流れに乗りながら、正門に近づいていく。
「ねえ、たっくん。こんな生活、いつまで続くの?」
「警察が不良グループを壊滅させるまでだ」
友喜と手を繋いで拓磨から離れないように付いてくる祐司の質問に拓磨はさらりと答えた。
「やっぱりリベリオスが背後にいるの?」
「いたとしても、証拠も確証も無い。奴らの狙いが分からなきゃ手の出しようが無いんだ。この前の相良組の一件みたいに大規模な作戦ならまだしも今回はぱっと見たところ不良の暴走だ。警察に任せるしか無いだろ?」
友喜の質問に拓磨はすぐさま答えた。
頼む警察、日本の警察が優秀だと言うことを証明して見せてくれ。
こういうときほど全力で警察を応援したくなる、そんな他力本願な自分がいることに拓磨は自分が情けなく思えてきた。
流れに流され10分、ようやく正門の外に出られた。目の前には道路、その奥には中学校内へ続くタイルが敷かれた側道、そして隣には校庭が広がっている。中学生はすでに帰宅してしまったらしく、校庭には人の姿が見当たらなかった。
すでに学校側が生徒を家に帰してしまったのだろう。すると、中学校の中から1人の女子生徒が出てきた。黒髪のショートヘア、可愛く整った顔、人形のような姿。どこかで見たことのあるような子だった。
拓磨は考えながらも車道を右側にそのまま帰ろうとした時だった。隣を真っ赤に車体を染めたセダンが隣を横切っていく。
その10秒後、背後で起こる突然の悲鳴。拓磨は振り返ると、そこには悲鳴を上げている先ほどの女子生徒を無理矢理後部座席に引っ張り連れ込んでいる手があった。異変に気づいた警察官が、普通乗用車を取り囲む。
だが、鳴り響く2発の銃声。そして左右にいた警察官が吹き飛び背中から地面に倒れる。その光景を見た生徒が絶叫し、周りの生徒は大パニックに陥る。
「祐司!ここで待ってろ!」
「えっ?た、たっくん!?」
祐司に自分の鞄を預けると、拓磨は歩道と車道を仕切っているガードレールを跳び越え、赤い車両目がけて突っ込んでいった。
自動車は急にアクセルを踏み込むと、止めようとした警官2人を跳ねて、そのまま大通りへと向かっていき勢いそのまま左折しようとする。
だが、その時の拓磨の判断は速かった。拓磨は車を並列して走ると、左折することで一瞬車両のスピードが遅くなるタイミングを見計らい、宙に身を投げ出す。
その直後、体を襲う衝撃。拓磨は車両の後部トランク上に腹から着地し、トランクから勢い余って落とされないようにスタントマンさながらのアクションでしがみついていた。
その時、拓磨には後部ガラス越しに車内の様子が見えた。運転手1人、後部座席に灰色のパーカーを身につけた男2人、手にはやはり黒い拳銃。左側の男が暴れる女子生徒を必死に押さえ込んでいた。
車内の連中は突然、現れた凶悪殺人鬼のような面構えの男に驚きを隠せないでいた。右側の男が拓磨に拳銃を向ける。拓磨はすぐさま行動に出た。トランク上で体をずらし、右後部のドアポケットに手を伸ばす。
その直後、拳銃から破裂音が響き、車のバックガラスにヒビが入り丸い穴が開くと拓磨の左肩に衝撃が走る。それと同時に拓磨はドアノブに怪力を加える。すると、ドアの蝶番(ちょうつがい)があまりの力に耐えきれなくなり、鈍く砕けるような金属音と共に車から引き剥がされた。
車内の連中は、化け物のような拓磨の行動に発狂したように悲鳴を上げる。拓磨はドアを右手に持ったまま、左手でドア縁に手を掛けると、勢いをつけて後部座席に突入する。拓磨は両足を突きだし2人の男の顔面を蹴り、反撃の隙を与えず反対側の窓ガラスに叩きつける。ガラスには衝撃で蜘蛛の巣のようなヒビが入った。そのまま、左手で訳が分からず混乱している女子生徒の服を掴むと足をさらに押し込み反動で車外に飛び出す。
拓磨は空中で女子生徒の腹に左腕を巻き付け離さないようにすると、右手で持っていたドアを自分の下に放し、ドアの上に背中から着地、ドアは火花を散らして車道を滑る。
背後の車が突然飛び出してきた拓磨に気づき、クラクションを鳴らし、慌てて横に避けて通り過ぎていく。拓磨はドアの上でバランスを取りながら、両手で女子生徒の頭と体を離さないように押さえ、ドアと一緒にしばらく地面を滑り、そして止まった。
拓磨は止まったのを確認して立ち上がると、右手で塗装の剥がれかけた赤いドア、左手で女子生徒を担ぎ、背後の車がクラクションを鳴らす中、慌てて歩道に移動した。
「白昼堂々、拳銃発砲でおまけに誘拐事件とは…あいつら本当に見境無しだな」
拓磨は悪態を吐きながら、歩道に移動するとドアを地面に置き、その横に女子生徒を寝かせる。
服装も髪も若干乱れているが怪我は見当たらなかった。拓磨はホッとすると、女子生徒が突然目覚め拓磨の凶悪な悪人顔を見て跳ね起きる。
「きゃああ!!ゆ、誘拐犯!あっち行って!」
「違う。落ち着いて、ゆっくり周りを見てみろ、ここは車の中か?」
女子生徒は周りの景色を見ると、緊張して速くなっていた呼吸のスピードがだんだんと遅くなっていく。
「あ…あれ?私…一体…」
「君は赤い車に中学校前で誘拐されて、俺が助け出してここまで運んだんだ。体の方は大丈夫か、怪我は無いか?」
「だ…大丈夫みたい…です」
女子生徒は取り乱した事を恥ずかしそうに顔を赤くすると、ふらつきながら立ち上がった。
よく見ると、葵や友喜が着ているセーラー服とスカートに似たものを身につけていた。他校の生徒ではない、稲歌中学校の生徒で間違いないようだ。
「中学校まで送ろう。今の町は危ないから家の人に迎えにきてもらった方が良い」
「大丈夫です。私も一緒に帰る相手がいるんで。もし良かったら、学校まで一緒に来て貰えると安心なんですけど…」
女子生徒は申し訳なさそうに拓磨に訴えた。
「俺も連れを学校前に待たせているんだ。それで良い」
拓磨の胸にやっと届く身長の女子中学生の了承を受けると、拓磨は車からはぎ取ったドアを抱え2人揃って歩道を歩き学校へと歩き始めた。
「なあ、記憶が正しければだが…この前剣道部の先輩の朝会の時、中学生代表で挨拶してなかったか?」
拓磨は隣の中学生を見下ろし、恐る恐る尋ねる。
「あ、はい。私、心堂桜と言います。あなたも活躍してましたよね?バイクに轢かれたり、バイクに乗った方を地面に引き倒したり…」
ようやく拓磨は女子生徒を思い出した。どこかで見たような気がしていたと思ったら、あの事件の時だ。高校に中学生がいたから妙に覚えがあったんだ。
「不動拓磨だ」
「不動…?もしかして『不動ベーカリー』の関係者ですか?」
予想外の名前が出てきた。
「もしかしなくてもその店の経営者の息子だが、店に来たことがあるのか?悪いが、見覚えが無いんだが…」
「私、西地区に住んでいるんです。直接本店には行ったことが無いんですけど、近所に『不動ベーカリー分店』ができてよく買いに行くんですよ?お父さんもお兄ちゃんも『商売敵(しょうばいがたき)だから行くな』って言うんですけど、せっかく同じ町のお店同士なんだから協力し合っても良いのに…そう思いません?」
稲歌町の飲食店で我が家を評価するのは、叔母さんの息のかかった人間がほとんどだろう。圧倒的な行動力と商売根性で、稲歌町のあらゆる所に分店を作っては周囲の店と険悪な雰囲気になることは日常茶飯事。叔母喜美子による独裁経営方針は着実に稲歌町を占領しつつあるようだ。このままだと稲歌町のパン屋は不動ベイカリーだけになってしまうかもしれない、いや冗談ではなく本気であり得そうだから怖い。
「…君の家も何か商売をやっているのか?」
「はい、お弁当屋さんです!『こころ』という名前なんですよ。裏側のお店でレストランもやっているんです。良かったら今度来て下さいね?」
桜は制服の上着ポケットに手を入れると、紙切れのようなものを拓磨に渡す。
拓磨は受け取ると、その紙切れを眺めた。
『お弁当 全品50円オフ』と書いてある。
残念、『全品無料』とでもしてもらわないと今の俺の小遣いでは買いに行けない。心の中で自分の金運の無さを嘆く拓磨であった。
「ありがとう、助かる。もし、西地区に行く機会があったら寄らせて貰う」
拓磨は軽く微笑むと、それに桜が笑みを返した。本当にこの桜という中学生は笑顔が似合う、まるで花が咲いたような顔をする。
「不動さん、なんだか私のお兄ちゃんみたい。見た目は怖いんですけど、中身は優しいっていうか…」
「犯罪者みたいな顔の兄貴か…。それはちょっと君の兄貴に失礼じゃないか?俺みたいな凶悪顔、犯罪者の世界でもなかなかいないと思うぞ」
「いえいえ、なんか雰囲気がそっくりなんです。私とお兄ちゃんがそもそも違いすぎるから、ひょっとしたら不動さんがお兄ちゃんの本当の兄弟だったりして!」
そこまで似ていると言われると会いたくなってくるな、俺に似たお兄ちゃんとやらに。そもそもこんな人形みたいな子にそんな兄貴がいることがおかしいと思うのだが…。
拓磨は自分のような存在に距離を置かない桜のことが気になっていた。普段から怖い顔に見慣れているのだろうか、それともこの子がただ単に人懐っこく誰にも明るく振る舞う性格だからだろうか。
ただの中学生にしては妙な雰囲気を醸し出す女の子に2メートル近い筋骨隆々の巨人は興味を抱いていた。
楽しい時間はすぐ過ぎるとよく言ったもので、拓磨たちはいつの間にか交差点にたどり着いていた。目の前の歩行者信号がちょうど青から赤に変わる。ここを右折して直進すれば左に高校、右に中学校が見える。
拓磨達が右折しようとしたその時だった、鬼のような形相をした大男が猛スピードでこちらに突っ込んでくる。
見た目は拓磨と同じ稲歌高校の制服、ガッシリした筋肉の鎧を着た体、だが頭は坊主。
「あっ、桜!?」
大男は桜の姿を見ると、急ブレーキをかけて停止する。
拓磨はその男の姿に見覚えがあった。忘れたくても忘れられない、俺と一緒に体育館に乱入した不良に自転車をぶん投げてボーリングのピンのように吹っ飛ばしていた男子生徒だ。
名前は確か、心堂大悟。俺や祐司と同学年の違うクラス。最近まで自宅謹慎になっていて学校に来られなかったそうだ、何でそうなったのかは…まあ暴力行為だろうな。
……あれ?『心堂』?確かすごく最近この苗字をどこかで聞いたような…。
「あっ、お兄ちゃん!」
「……………………えっ?『お兄ちゃん』?」
拓磨は桜の言葉を一瞬理解できなくて聞き返してしまった。
「無事か!?怪我はしてないか!?」
大悟は抱きつきそうなくらいの勢いで桜の様子を確認し始めた。桜は苦笑すると兄から一歩背後に飛び退いた。
「大丈夫だよ、こちらの不動さんに助けて貰ったの!」
大悟は自分と同じくらいの大きさの拓磨を見ると、急に苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
「げっ!?よりにもよって、パン屋か…。けどまあ…、妹のことは礼を言わせてくれ。助かったぜ」
すぐに取り繕って礼を言ったが、どうも自分に助けられるのをあまり喜んでいないように拓磨は思えた。
「いや、妹さんが無事で俺も何よりだ。助けられて良かったよ。けど、最近の稲歌町は本当に治安が悪い。あんた達が住んでいる西地区なんか不良の本拠地だろ?妹を1人にするのは避けた方が良い」
「ああ、俺だってそれぐらい分かってる。けど、ちょっと担任に引き留められて遅れたらこの様だ。さっさと警察が叩き潰してくれればいいんだけどな」
「あれ?もしかして二人って初対面じゃないの?」
桜が拓磨と大悟の様子を見て声をかけてきた。
「一緒に職員室で警察と教師から無駄に長い説教を食らった仲だ、なっ?」
大悟が拓磨にパスを出す。
「ああ、そうだ。あまり思い出したくない不名誉だけどな。それじゃあ、またな」
拓磨は引きはがした赤いドアを手のように振って、大悟と桜に別れを告げると二人を置いて高校の方に向かっていく。
ドアを揺らしながら歩道をしばらく歩くと、祐司と友喜が遠くから走ってきた。
「たっくん、無事……そのドアは何?」
祐司は拓磨の持っている車のドアに注意がいったように話題を変えた。
「見ての通り戦利品だ。歩道に放っておくわけにもいかねえだろ?」
「きゃああ!不動君、肩!う、撃たれてる!」
友喜が悲鳴を上げると拓磨の左肩を指さした。
すっかり忘れていた。俺は肩を撃たれていたっけ?
拓磨はドアを下ろすと、左肩に右手を添え顔色1つ変えず先が潰れて変形した弾丸を引き抜いた。拓磨は手を見てみるが血は付いていない。肩の骨で弾丸を受け止めていたようだった。
「えっ!?痛くないの!?」
拓磨の無反応に祐司は驚愕の声を上げる。
「衝撃は感じたが別に痛みは感じなかったな。どうやら、今の俺の体は銃弾を受け止められるらしい。ますます人間から離れていくな…」
拓磨は潰れた弾丸を眺めると、上着のポケットから携帯電話を取り出す。
「大活躍だったね、拓磨」
「おまけに大収穫だ、ゼロ。この弾丸を分析して、ライナー波で作られているか分かるか?」
「もちろん。液晶画面に弾を押しつけてくれ」
拓磨は携帯電話の液晶画面に先ほどの銃弾を押しつける。すると、水の中に吸い込まれるように弾が液晶画面に溶けるように消えた。
「どういうこと?」
「いいか、祐司。さっきの弾丸は不良が持っていた銃から撃たれた。それからライナー波の反応が出たら?」
「あっ、そうか!不良の背後にはリベリオスがいるってことだね?奴らが不良に武器を配っているという証拠だ!」
祐司がぱっと閃いたように答えた。
「もしかして、不動君。それを調べるためにわざと銃弾を受けたの?」
「そこまで考えていられるか、偶然に決まっているだろ?」
拓磨は友喜の推理を否定した。そこまで考えていられるほど余裕は無かった。まさか、銃弾を受けても平気なんて思いもしなかった。ライナー波に関わって、まだ2ヶ月も経っていないが、俺の体は超人レベルまで変化してしまった。マスター・シヴァと渡り合えたのもそのおかげかもしれない。このまま行ったら俺はどうなってしまうのだろうか?未来を知ることに拓磨は恐怖を感じてしまった。
10秒後、液晶画面に白衣姿のゼロアが現れる。
「お待たせ、あの銃弾からライナー波の反応が出た。間違いなく、リベリオスが関わっているだろうね。ただ限りなく本物の弾丸と同じ成分配合だからライナー波による影響は皆無だ。これは一般市民が拾っても問題ないよ」
「しかしそうなると、まずいな。警察は無限の武器を支給される不良組織と戦っていることになる。被害が出るのも時間の問題だ。俺たちも何か手を打たないとな…」
拓磨が悩んでいるところにニヤニヤと祐司が顔を作ってきた。
「たっくん、誰か忘れていない?」
「ん?……あれ、そう言えばスレイドさんは?」
ふと気が付けば、もう一人のガーディアン、スレイドの声をまったく聞いていないことに気が付いた。
「さっきの車の尾行をスレイドさんに頼んでおいたの。何か怪しかったし、もしかしたら相手のアジトが分かるかもと思って」
友喜が丁寧に作戦を説明した。
「手際が良いなあ、友喜の発案か?」
拓磨は感心しながら即座に友喜だと予測する。そのことに祐司は口を尖らせた。
「俺が案を出したとたっくんは1ミリも考えなかったのか!?」
「ん?祐司が思いついたのか?そりゃ悪か…」
「いや、友喜に決まってるだろ。何を言っているんだい、たっくん?」
祐司が真顔で拓磨にオチを説明すると、拓磨はじっと祐司を見つめた後、拓磨の騒動を聞きつけ、こちらに近づいてきた黒い防弾チョッキを着た制服姿の警官がこちらに近づいてくる。
「警察に事情を説明しに行くからお前らも来い。祐司、お前は帰りに友喜の家の『大判コロッケ』をお布施だ。俺には迷惑料も含めて2個、全部で3個だ」
「はあっ!?許してよ、たっくん!ただコントじゃないか~!」
「お前は時々つまらないオチを言うから絞めるときはきちんと絞めておかないとな」
「ここはお笑い養成所かよ!面白いことを言わなきゃ罰ゲームなんておかしいだろ!」
冷たい怒りを秘めた拓磨に祐司が食ってかかるが、もはや何を言っても無駄だった。そんな2人を笑いながら、友喜が後をくっついていった。
「ただの仲良しね、2人とも」
結局、その後祐司は白木食堂の売り上げに貢献することとなった。

同日 午後4時52分 西地区 通学路
両脇を住宅に挟まれたアスファルトの上を大悟と桜は共に自宅へと向かっていた。
この時間になると普段は帰宅の学生に歩道を満たされるのだが、今日は不思議と車の往来が激しい。不良の暴動の影響を受け、保護者が生徒の送迎を行っているのだろう。学校は保護者の問い合わせでてんてこ舞いだそうだ。中学も高校もテストを終了し、休校を決めるなら今のタイミングであると誰もが噂している。
大悟は落ち込みながら、桜の背後をトボトボと歩いていた。体格差がありすぎてため息で前を歩いている桜が吹き飛ばされそうな光景であった。
原因はもちろん、先ほどの自分の不始末。妹を誘拐されかけ、不動拓磨の行動が無くては取り返しのつかない事になっていた。おそらく、不良の連中が俺に目を付けたのだろう。ただでさえ、目を付けられるような行動をしてきたのだ。心当たりは山ほどある。
桜は俺が守らなくてはいけないのに、俺は何という失態を犯してしまったのだ。いくら後悔してもしきれない悔しさが大悟の心に罵声を浴びせていた。おかげで気が滅入る一方で、ため息しか出ない。
「お兄ちゃん、そんなに落ち込んでいるとこっちも気が滅入るんだけど」
桜が振り返って苦言を呈するが、まったく大悟には効果が無い。というより、反応が無い。心ここにあらずの状態である。まるでただの屍<<しかばね>>のようだ。
「はあ…、あのね、お兄ちゃん。私が学校の中で待っていなかったのが悪いんだからお兄ちゃんが責任感じることなんてないんだよ?誘拐されるなんて想定外の出来事だったんだし、助かったから良いでしょ?」
妹の兄を気遣った言葉がさらに大悟の心を深く傷つけたようで大悟は隣の住宅前のブロック塀に頭突きをし始めた。
「ちょっとお兄ちゃん、止めてよ!うっかり壊したら、この前の自転車みたいに弁償することになるんだからね!半年はお小遣いもらえないんでしょ!」
「畜生…、情けねえ…、不良には舐められるわ、妹は誘拐されるわ、パン屋に助けられるわ…一生の不覚だ」
「ねえ、不動さんて良い人だと思うけど、何で不動ベーカリーに行っちゃいけないの?」
桜はふと気になっていたことを口にした。
「あの家の恐ろしさを知らないのか?稲歌町の飲食業界を操っている悪魔がいるんだぞ?あの恐怖政治で何軒の他店舗が潰れたか分からねえ。親父からできる限り関わるなと言われているんだ」
「な~んか、大袈裟に聞こえるよ。要はやり手の商売人なんでしょう?だったら、別に良いじゃない。仲良くしておけば、我が家の家計が潤う方法も教えてくれるかもよ?最初から敵意剥き出しで向かっていったら上手くいくものも失敗するでしょ?」
妹の的確なアドバイスにぐうの音も出なくなったら大悟は顔を真っ赤にしてまくし立てた。
「ともかく、できる限り弱みは見せるな!」
「はあ…まったく、プライドが高いんだから。あんまり、怒っていると奏さんに嫌われちゃうよ?」
「あの人は関係ない!それに俺はいつも低姿勢だ、社交辞令も完璧なんだ!」
桜はため息を吐くと、兄のワガママに付き合っていられなくなり再び歩き出す。しばらく進むと、いつも通り左側に公園が見えてきた。相変わらずホームレスの姿は見えない。
桜は、あまりホームレスが好きではなかった。いつも公園に姿があり、そのボロボロの姿が何か怖くて公園でまともに遊ぶことができなかったからだ。誰かと遊ぶときはいつも家の周りから離れて遊ぶようにしていた。家の近くの彼らの姿を友達に見せるのはどうも気が引けたのだ。
だが、実家で店の手伝いをやっていると商売とは大変なのだということがちょっとずつではあるが実感できてきた。毎日、生きていくことはそれだけで大変なのだ。あのホームレスの人たちも好きで公園で暮らしているわけではないはず、頑張ったのにどうにもならなくて今みたいになってしまった人がほとんどだろう。そして今も頑張って生活しようとしているのだ。
そんな彼らがいなくなった公園を見てみると、何か物足りなくなった光景に見えて寂しくなってしまう。桜はじっとホームレスのダンボールが置かれていたベンチや滑り台の周りを見ながら物思いにふけってしまった。
「お兄ちゃん、ホームレスの人たち大丈夫かな?」
「ん?まあ、しばらくは危険だから戻ってこないだろうな」
「あの人たち、何で公園で暮らしているんだろう?」
大悟は桜の悲しげな表情に顔をしかめた。
「急にどうした?悪いが、あの人達はそんな風に見られるのが嫌いだぞ」
「えっ?」
「難しい問題だが、『可哀想』と言う風に見られると自分よりも下の相手を見るような雰囲気がするだろう?あの人達の中には昔は会社の役員みたいな上の立場の人も多くて、下手な同情は相手を傷つけるだけだって昔ホームレスの人に言われたんだ」
「別に私そういう意味で思ったんじゃ…!」
桜は慌てて大悟に反論する。そんな桜を大悟は小さく笑っていた。
「分かってる。辛い目にあっている人たちを見たら普通はそう思うからな。だからもし、あの人達と話す機会があったらできる限り普段どおりに接してくれ。学校の先生と会話するようにな。そうしたら、あの人達も変に自分を傷つけなくて済む」
「……分かった、そうする。いつかきちんと自分の家を持てて家族や友達と楽しい生活ができるようになれたらいいね」
「まあ、彼氏のいないお前に言われても余計なお世話としか思えないだろうけどな」
大悟の付けた最低のオチにほっこりしていた気持ちを打ち砕かれ桜は目くじらを立てた。
「お兄ちゃんみたいな格好良さの欠片もない野蛮人にそんなこと言われたくない!」
「馬鹿ぬかせ!俺は見てくれが怖いだけで中身は紳士だぞ!?」
「嘘だ!いつも奏さんに頭ペコペコ下げて顔にやけていて、品性の欠片も無いじゃない!心の中じゃいつも不潔なこと考えているくせに!」
「言いやがったな、このやろ…!」
兄妹喧嘩が盛り上がってきたところ、突然携帯電話の呼び出し音が鳴り響く。桜は慌てて、鞄の中を確認してスマートフォンを取り出すが自分の物ではなかった。
「お兄ちゃんじゃないの?」
「俺のスマホはこの前水に落ちてぶっ壊れた」
大悟はすばやく桜の問いを否定した。2人はあたりを見渡すと、その音は公園の中から聞こえてくることに気づいた。
大悟は音がする方角にゆっくりと近づいていく。滑り台の近くまでやってくると、銀色に塗装された金属製の斜面の下、影で隠れた部分に黄色い折りたたみ式の携帯電話が落ちていて、振動と呼び出し音を周囲に知らせていた。
「何でこんな所に携帯が?しかも、ずいぶん古いな。見ろよ、折りたたみ式だぜ?もう絶滅寸前の奴だ」
「ホームレスの人が落としていったのかな?警察に届けようよ」
桜の言葉を大悟は無視した。
「明日で良いだろ?今日はもう遅いし、夜は不良と警察が外で交戦中だ。とりあえず、親父に預かっていてもらって、明日俺が届ける」
「お兄ちゃん、本当は新しい携帯電話が欲しいだけじゃないの?」
桜は鋭く大悟の心を突いた。
「あのなあ…他人の携帯電話を拾って使うほど、俺は落ちぶれていねえぞ?」
大悟は制服の胸ポケットに携帯電話をしまい込むと、そのまま公園を後にしてすぐ、何事も無く我が家『こころ』の前に到着した。
「ただいま」
大悟と桜が中に入ると、一馬はちょうど頭にバンダナ、服にエプロン姿でショーケースの中にある弁当を片付けていた。
「おお、良く無事だったな?」
「まったく、最悪の日だぜ!あのチンピラ共、桜のこと誘拐しかけたんだぞ!?」
「ああ、学校と警察から連絡があった。俺から頼んで、明日1日だけ警察官を1人桜専用に配置してもらえることになった。まあ、たった1日だけだが向こうも警察が張り付いていれば手を出そうとしないだろう」
どうも一馬は警察に顔が広い一面があるようだ。新井刑事ともずいぶん親しいと大悟は聞いたことがある。どういう繋がりなのかはまったく不明だが。
「お父さん、私本当に大丈夫だよ。警察の人たちも今忙しいでしょう?」
「誘拐時の話だと、奴らは高校生達には目もくれずピンポイントでお前だけを狙ったようだ。警察の方も相手の人相など事情を聞きたいようだし、諦めろ」
桜は渋々了承すると、ショーケースの左側にある店員専用の入り口から奥に消えていく。
「あ、そうだ。親父、公園で落とし物だ。すげえ古い携帯電話だぞ?」
「…携帯電話?」
大悟は胸ポケットに入った黄色い折りたたみ式携帯電話を取り出すと親父に見せびらかした。すると、突然一馬の顔全体が強張り、目が緊張を帯びて険しくなった。あまり見たことがない父親の表情に大悟も驚く。一馬は手を伸ばして大悟から携帯電話を受け取ると、中身を開き確認する。液晶画面は真っ暗で電源は入っていなかった。
「外は危険だから、明日俺が警察に届けようと思うんだが…」
「いや、俺が届ける。どうせ明日、店を休むつもりだったんだ」
「えっ?何で?」
「この町の非常事態に客なんて来るわけないだろ?」
一馬は当然のように言い放つと携帯電話を大事そうに両手で持ち、奥の厨房へと消えていった。大悟は納得すると、桜と同じように店奥へと消えていった。

同日 午後11時30分 稲歌町西地区 弁当屋『こころ』
その夜、『こころ』の厨房はすでに明かりも消され光も入らない常闇と化していた。辺り一面黒一色に染まり、冷蔵庫も調理台も何もかも同じ物になってしまっていた。入ってくるのはけたたましく鳴り響くパトカーと救急車のサイレン音、低く鼓動を刻む車両の排気音、そしてはしゃぐような若者の声。外はすっかり不良と警察の交戦場と化していた。
暗闇の厨房にゆっくりと光が溢れ出した。調理台の上に携帯電話が置いてあり、ひとりでに開くと周囲に液晶画面の光をもたらしたのである。
そこには周囲を注意深く観察する白髪の老人、シヴァの姿があった。
ウェブスペースを脱出してから、すでに幾日か経っているだろうか詳しいことは分からない。脱出した彼の前にあったのは銀色の滑り台の裏面である。
現実世界では普通の姿でいるとそれだけでリベリオスに発見される可能性があるため、ガーディアンの能力で携帯電話を生成するとその中に自分を入れ、しばらく身を隠すことにした。
しかし、脱出の代償はかなり大きかった。
自分自身の売りである戦闘力を奪われてしまった。いや、奪われたというより封じられたのだろうか?おそらく、あの通信室で浴びた赤い稲妻が原因だ。
わし自身の力を封じ込めるためのものだったのだろうか?
いや、ジークフリードの場合、わしの力のデータをあの時取り研究、兵器に転用するくらいのことはするはずだ。早く対処せねばゼロア達の障害となってしまう。
だが、戦うことのできない自分に一体何ができるだろう?
ジークフリードの説得に失敗し、弟子のザイオンにも。所詮わしは戦うことしか能の無い暴力の化身なのだろうか?
ザイオンに送ったセリフがそのまま自分に跳ね返ってくる、現実として自分はその程度かもしれない。
何も出来ない歯がゆさがシヴァ自身に苦悩として襲ってきていた。
そもそもここが現実世界のどこなのか、シヴァにはさっぱり分かっていなかった。協力者の案内で現実世界に飛ばされ、『2メートル超えのゴリラのような大男と花のような笑顔の美少女に助けを求めてくれ』と伝えてくれたきり連絡が途絶えてしまっている。
目当ての相手は意外とすぐに見つかった。何とか気づいてくれるように呼び出し音で知らせ、ここまで連れてこられたわけだ。一体あの2人は誰なのか、サッパリ分からない。
周囲の状況をもっと把握しようと携帯電話がもぞもぞと動き出そうとしていたその時だった。突然、厨房に明かりが灯った。シヴァは慌てて液晶画面の電気を消し、携帯電話を閉じる。
「まさか、このような形で会えるとは思っていませんでした」
何やら、様子がおかしいことに気が付くとシヴァは携帯電話を開き相手を確認した。髭を生やした一馬が笑みを浮かべながら、深々と一礼していた。
その顔を見た瞬間、シヴァに衝撃が走った。自分はその男を知っていたことに、そして再びその男に会えたことに。2つの衝撃が1つとなりシヴァの中で感動を生み駆け巡る。
「まさか…アイクか?『アイク・レストナード』か!?」
「お久しぶりです。約…20年ぶりくらいですかね、マスター・シンドー」
「おおおっ!よく、よく生きておったな!?わしの下を去って以来、死んだものと噂されておったのに!」
新しいおもちゃを買ってもらった子どものようにシヴァは喜びを爆発させた。
「積もる話もあります。マスターの身に起こった出来事も踏まえて、しばらく雑談をしていただけませんでしょうか?師よ」
「構わん、構わん!こんな時で無ければ酒を酌み交わしたいぐらいじゃ!」
シヴァは天にも昇るような上機嫌であった。右も左も分からない現実世界で、顔見知りの相手に出会えたことがここまで喜ばしいことであったとは、シヴァ自身初めて感じることであった。
一馬は携帯電話の前に椅子を持ってくるとシヴァと向き合い語り出した。
「まずは私からお聞きしたいことが。一体何があったんですか?」
シヴァは急に顔を暗くすると、ゆっくりと今まであった出来事を語り始めた。一馬は眉1つ動かさずシヴァの話を聞き入っていた。全ての話を聞き終わると、しばらく考え込み口を開いた。
「なるほど。とどのつまり、『リベリオスへの潜入捜査』をしていたということでしょうか?」
「そんな大したものではない。ただの未練じゃよ。弟子の暴走を止めようとしたが失敗した老人の悪あがきというやつじゃ」
一馬は、黙って腕を組むと思い当たる人物の名前を挙げる。
「ザイオンですか?最後に会ったのはあいつがガキの時でしたから、あいつも20歳を過ぎましたか…。当然彼にも武術を教えたのですよね?腕の方は?」
「わしの教えてきた弟子の中で最も才知に溢れる人材じゃ。ただ、才知ばかりがあって強大な力を扱う心を育てるのを怠った結果…この様じゃ。わしは…どうも人を教えるという才能がないらしい」
シヴァは携帯電話の自分の姿を自虐すると、落ち込んでしまう。そんな、彼を一馬は笑う。
「人材育成というのはどれほど文明が進んでも、絶対的な方法が確立されてない分野ですから仕方ありませんよ。むしろ、ホッとしましたよ。あなたにも苦手なことがあることが分かって」
「笑い事ではないぞ!今のあいつはわしという枷を失って、好き放題暴れ狂う龍のような存在じゃ。どんな被害を周囲に与えるか分からん。今すぐ手を打たなければならん」
「ジークフリード大佐がそんなこと許しませんよ。地球人を壊滅させたら元も子もありませんからね。あなたを嵌めたのも大佐の作戦でしょう?ザイオンが大佐の作戦通りに動いた以上、大佐に対して何かしらの忠誠を誓っているのではないでしょうか?大佐の恐ろしさも分かっているでしょうし、命令無視で暴れ出すなんてことは、やらないと思いますよ?」
一馬の冷静な分析にシヴァは唸ってしまう。
「わしはお前がいなくなった後、ザイオンを『風牙殺人拳』の継承者として育てた。廃れさせようかと考えたが、明確な人物を据えれば流派を争う無益な闘争も防げるかと思ったからじゃ」
シヴァは罪の告白のように思いの内を語り続けた。一馬は生徒の過ちを聞く担任教師のように黙って耳を傾けていた。
「こんなことなら…お主を継承者にするべきだった」
「もし私が継承者になったら、私はその日のうちに流派に幕を下ろしますね。明確な殺しの意味を持つ『殺人拳』は平穏な世の中ではただの害でしかありません。地球ではまったく無用のものです」
「相変わらずお前は容赦ないのお…。だが、確かにその通りじゃ。わしは誰にも継承させず、ひっそりと自分のうちで留めておくべきじゃった。そしてそのまま墓場まで持っていくべきだった」
シヴァの気持ちはもはや底辺に着いていた。そんな彼の様子を察してか、一馬は咳払いすると言葉を贈った。
「年を取ってから分かったことですが、人を守るにせよ、相手を殺すにせよ、暴力は暴力なのでしょう。使わないに越したことはない。その証拠に地球では基本的に暴力は否定されています。しかし、一方で世界では暴力を好む傾向もあります。現実、世界では暴力事件が絶えません。物理的なものもあれば、『言葉の暴力』のように相手を罵詈雑言でねじ伏せる、見えない暴力も最近広がっています。暴力とは姿形を変え誰でも扱える厄介な代物なのでしょう。そんな暴力に負けて自ら命を絶つ痛ましい事件も起こっています」
「身に染みる言葉じゃな。結局、武とは世のためにならんのかもしれん」
「ですが、マスター。私はこうも思うんですよ。『暴力でしか助けられないものもある』と。暴力は使ってはいけないが使わなければいけない、そうしないともっと大切な物を失ってしまう。そんな矛盾を抱え、葛藤し、苦しみながら進んでいく者達を私は否定しません。同じ人間として彼らを尊敬し、誇りにさえ思います」
一馬の語気には力が宿っていた。シヴァは一馬の目をじっと見据えると、自分の魂を奮わせる言葉に何も言い出せなかった。
「この世に良いだけのものなんてありません。どんなものも良い部分と悪い部分があります。その両面を理解したものだけがそのものを扱う資格があるのです。マスター、あなたはそれをザイオンに教える責任があります。彼が天才だと言うならば天才ゆえの責任というものを教え込まなければなりません。口で体で、ご自身の持つ全ての暴力を使って彼と向き合ってください」
「お前も子を持って色々と言うようになったなあ。その言葉、確かにわしの心に刻み込んだ。いずれザイオンと対峙したとき、奴に教え込むとしよう」
シヴァは心が不思議と軽くなるのを感じた。
同じ力を操るものとして語り合い、自分自身に疑問を感じていた心に一区切り入れることができたからである。
問題は依然として山積みだ。今の自分ではまともに行動することもできない。しかし、自分の気持ちを察し、考えてくれる者が1人いるだけで見えてくる未来が明るく感じられる。かつて教えた弟子がその師を教える、それを繰り返すことで互いに成長し合っていく、これぞ師弟の正しいあり方ではないだろうか。
シヴァは、弟子が自分を助けるまでの存在になったことに喜びを隠しきれずに微笑んでしまった。
「今度はわしから聞いて良いか?お前は今まで地球で何をしていたのだ?」
「20年近く前、地球への『第1隊』が派遣されたとき、奴らに紛れて共に地球へ。それから色々あって、地球人と結婚して家庭を築いたわけです。今では昼はお弁当屋の店主、夜は裏のレストランの料理長ですよ」
「はっはっは!あれだけ武術を教えてやって、将来は道場でも開くかと思ったらまさかコックになるとはな!おまけに子持ちとは。さっきの2人がお前の子か?」
シヴァは一馬の略歴に爆笑していた。上機嫌でさらに追求する。
「図体のでかい男が、大悟。小さい女の子が桜。高校生と中学生、私の宝ですよ」
「ううむ…兄の方は高校生には見えなかったな。修行に失敗して警察に御用になったなまくさ坊主に見えた。息子には武術を教えたのか?」
「逆です。手加減することだけを教えました」
シヴァは、一馬の答えに疑問を感じた。
武術を教えてから、力を制御するために手加減を教えるなら分かる。
何も教えていないのに手加減を教えて、それに意味はあるのだろうか?最初から、武術を習得しているなら話は別だがそんな奴はいるわけがない。生まれてすぐに武術を使えるわけが無いのだ。
すると突然シヴァの脳裏に拓磨の姿がよぎった。
高校生にしてわし相手に引くことなく、戦いを挑んでくる度量。そして、それに見合う実力。自分が同じ年の頃ならば、あそこまでの強さは得ていなかっただろう。自分が言うのも何だが明らかに異常性を感じる。
ひょっとしたら、同じようなことがアイクの息子にも…。
「アイク。お前の息子じゃが、お前から見てどれほどの才知の持ち主だ?」
「現時点で私を遥かに超えるでしょう。あくまで予想ですが」
「お前を超える?冗談にしては過ぎる。わしの知っている限り、お前の武はザイオンと比較しても遜色ない。それを超えるとなると、危険極まりない存在ではないか?」
笑いながら答える一馬に対し、シヴァは少しも笑みを浮かべていなかった。
力を得た者に対し、人々が抱くのは畏敬の念だ。その姿に憧れると共にその姿に恐怖する。わしは自分の弟子に力を持たせたが、その力を入れる器を作ることができなかった。
かつての仲間を敵に回し、リベリオスに加わったのも手塩にかけて育てた弟子が自らの中から溢れる力に飲まれ暴走しないようにするため。
弟子を思っての気持ちだけではない、周りに被害を及ぼさないようにする責任、そして何より大切なことを教えることができなった自分の教育者としての欠落、その情けなさを埋めようとするための悪あがき。色々な雑念でわしはリベリオスに潜入した。美談で持ち上がるような純粋に弟子を思っての行動ではない。
もしかしたら、ザイオンもわしのそのような歪んだ愛情に嫌気がさしていたのかもしれない。だから、わしを嵌めるのも躊躇が無かった。
弟子も弟子なら師匠も師匠、まさに今のわしに相応しい言葉じゃ。結局、自分を制御できない危険な弟子を育て地球を危険な状況にさらし、その弟子に見限られて戦うことも出来なくなってしまったのだからな。
シヴァは疲れ果てたようにうなだれると、視線を一馬の胸元へと移していた。
「確かに大悟は危なっかしいところはあります。ですが、あいつは上手く成長してくれたと思いますよ、親バカと呼ばれるかもしれませんが。あいつはどんなに危なっかしくても最後には自分を律することができます。だから、あまり心配していません」
「…なあ、アイク。わしは教育に失敗した者じゃ。教えてくれ、なぜお前は成功した?」
一馬はシヴァから視線を外すと明かりの灯る天井の電球を見上げた。シヴァの問いの答えを考え、しばらく無言のまま変わることなく厨房を照らし続ける電球を見つめていた。
「教えてあげたいんですが、私にも分からないんですよ」
「ん、どういう意味じゃ?お前はさっき息子がきちんと育ったと言っていたじゃないか?」
「はい。ただ、それは全て大悟が自分で学んだことです。私が教えたことではありません。あいつは周りに恵まれていましたからね。無理に答えを出すならきちんと育った1番の要因は…やはり妹の存在ですかね」
視線を外していた一馬が確信に満ちた笑みと共に再び目の前の携帯電話の液晶画面を見つめた。
「妹…、桜ちゃんのことか?」
「大悟は小さい頃から自分が他と違うことを知っていました。冗談で済むこともあいつがやると冗談じゃ済まなくなる。そのことにいつも悩んでましたよ。それでも力に飲まれて暴走しなかったのは桜がいたからだと思います。自分が力を扱えば、妹も周りから色々と咎められる。だから自然と自分をコントロールして自制するようになっていったんでしょう。自分のせいで妹に辛い思いをさせるのはあいつにとって絶対避けたいことですから」
妹を思う故に自然と倫理道徳で身を縛った男か。
なるほど、そもそも『教育』という言葉をわしは勘違いしていたのかもしれない。
知っている者が知らない者に教えるだけでは意味が無いのだ。知らない者が知りたいと思うように、自らの知識の素晴らしさや楽しさを伝えること。相手の心の中にある気持ちを動かすことが必要なのだ。一方的に教えても何の意味も無い。それは勉学を強いる行為、すなわち『勉強』なのであり『教育』ではないのだ。
教える者が行う最初の行為は『教える』という行為を止めることなのかもしれない。
やはり、難しいな。何世紀経っても『教育』に絶対的な方法が現れないのは、心を扱うことだから。わしは…ザイオンに一方的に武術を強いていたのかもしれない。それが無ければ戦場では生きてはいけない、そう思って親切心を抱いて教えたのだが、それは奴の心を押さえ込み踏みにじる行為だったのかもしれない。
後悔したときに何をやらなければ良かったかが分かってくる。シヴァは過去に戻り、自分自身に今の考えを伝えたい気持ちになっていた。だが、全て遅い。いくら後悔しても今が変わることは無いのだ。
「アイク…いや、心堂一馬殿。わしは罪多い老いぼれだ。数多くの者を殺し、今も数え切れない程の後悔に身を焼かれている。だが、もし今からでもどうにかなることがあるならわしはそれを行いたい。師としてではなく、友人としてお前に頼む。どうか、わしに力を貸してくれないか?」
シヴァは丁寧に言葉を整えると頭を深々と一馬に下げた。
「地球で偽名を使うとき、とっさにあなたの字(あざな)のことを思い浮かびました。今思えば、それだけあなたのことを敬っていたのでしょう。あなたは私にとって素晴らしい教育者でした、これから共に協力し共に多くを学び伝えていきましょう、マスター・シンドー」
「すまない…ほんとうにすまない…!」
一馬の力強い申し出にシヴァは声を震わせながら、涙をこぼし嗚咽を上げ始めた。
力を失い、弟子を失い、絶望と後悔しか残っていなかった自分の前に現れたかつての弟子。それはまさに光り輝く希望。この時ほど喜びをを感じたことはシヴァの人生で初めてであった。
失うものあれば拾うものありである。人を傷つけるのは人だが、人を助けるのも人。シヴァは改めて人の大切さを学ぶことができた。いつか、それをもう1人の愛弟子にも伝えられるように今は耐えるのだ。今のわしはもう1人では無いのだ、かならずしのぎきってみせる。
フォインで育ったかつての師弟は、不穏渦巻く混沌の地球で再起を誓ったのである。

第4章「『狂・乱・騒』、俺たちの町SOS」
5月20日 稲歌町 西地区 某所 午前8時29分
その日の朝は珍しく静かだった。警察と不良との争いが日に日に激化し、パトカーのサイレンと暴走する車両の爆音、そして警察を嘲笑する真っ赤な服を着た男達の笑い声。最近の目覚めは全てこれらのどれかだった。
朝露が緑色の若草の葉に溜まり、重力につられて滴り落ちる住宅街から離れた赤茶色の土が敷き詰められ、その上を歩けば靴跡がはっきり残る獣道。
ぬかるんだ土の上に跡を付けながら、真っ赤なジャージを上下に着て背中に白いドクロの模様をちらつかせ、フードで頭を隠した男がゆっくりとその道を歩いていた。黒い運動靴がガムを噛むように音を立てながら、その体を土で汚していく。
男の両手には巨大な黒い拳銃が握られていた。ジャージのポケットには黒い直方体の棒が無造作に突っ込んで飛び出ている。それは拳銃のマガジンであった。溢れんばかりの弾薬を自慢気に周りに見せつけるかのように隠すそぶりも見せなかった。
足場が不安定な道の先に周りの木々を掻き分け、突然建物が現れる。長い間手入れをされず錆び付いたトタンが外壁材として建物の壁面に打ち付けられている。7メートルほどの高い壁にはスプレー缶で描かれた落書きが至る所に描かれ、汚い巨大なキャンパスと化していた。
倉庫として使われていた建物が放置され数十年以上経過した姿は、化け物でも出てきそうな風格である。倉庫の周辺は人の手が入っていない林となっておりわざわざ人が来ることはない。
人目を避けて会うには最高の場所であった。
男は派手に足音を立てながら、錆び付いた建物の壁面に備え付けられたドアノブを回しドアを押し開けるとホコリ臭い空気を全身に浴びながら中に入っていく。
中は元々使われていた角材がそこら中に散乱しており、掃除もしていないためカビとホコリの温床になっていた。
高い天井には天窓が付いており明るさだけはかろうじて確保できていた。電球も付かなければ、水も引いていない。倉庫というよりバスケットコートくらいの大きさの空き地みたいである。
そんな部屋の中央にパイプ椅子が4脚置かれている。そこに同じように赤いジャージを着た3人の男達が座っていた。全員赤い服の上に黒いベストのようなものを着ていた。防弾チョッキである。
「ははは!調子はどうだ、お前ら!?」
ドアから入ってきた男は大股で近づいていきながら、笑みを浮かべ両耳に大きなピアスを付け、目が隠れそうなほど髪を伸ばした顔で全員を眺める。
「1番、戦況を報告しろ!」
男は腐った木材の上に座ると1番自分に近い、ボロ倉庫に似合わないサラサラな髪の毛をした右頬に切り傷のような痕がある整った顔立ちの男に話しかけた。
「第1地区にて警察と複数交戦。こちらの犠牲者無し」
「んなことはどうでも良い!何人殺した?」
「全員、支給した武器に慣れていない。殺人はまだまだ難しいな」
「…けっ!次、2番!」
男はつまらなそうに、顔を歪めると1番の左側に座ったメガネをかけたオタクのような男に話を移す。
「第2地区にて、警察官を数名負傷させた。こちらの負傷者はゼロ…」
「3番!!」
メガネをかけた男が言い切る前に次に話を飛ばした。
「2番と…同じ」
メガネの前に座った顔色の悪い真っ青な顔をした痩せこけた男がオドオドしながら答えた。
「4番、俺!警官1人を蜂の巣にしてやったぜ!まったく、どいつもこいつもだらしねえな!」
4番は嬉々としながら成果をアピールした。その場に戦慄が走る。オドオドした男は息を飲み、メガネをかけた男の手は震え始めていた。
頬に傷のある男だけが目だけを動かし、勝ち誇ったように笑うピアス男を見た。
「なあ…、もう…止めようよ。リーダー」
3番と呼ばれたオドオドした男が震える声で4番に切り出した。4番は眉を上げ痩せた男の顔に自分の顔を近づける。
「ん~?聞こえなかったな、もう一度言ってくれるか?」
「俺…受験にも落ちて就職にも失敗して何もかも嫌になって『スカル』に入ったけどさ…人殺さなきゃいけないなんて聞いてないよ…!」
涙をボロボロとこぼし、アゴから滴らせながら、極限まで追い詰められた精神を振り絞りピアス男に食ってかかった。
4番は一瞬驚いたが、急に真顔に顔を戻す。
「どうせ、俺等はこの世で必要とされていないゴミだぜ!?生きようが死のうが、世界を1ミリも動かせない奴らだったんだ。だが、今の俺たちは違うだろ!?武器が無限に手に入るんだぜ!俺たちはもう無視できない存在だ、俺たちが世界の中心だろ!?」
「おかしい…よ!何で武器なんか手に入るんだよ!そこの男が加わってからみんなおかしくなっちゃっただろ!」
涙と鼻水と溢れさせながら3番は1番を指さす。1番は気にも留めず、目を閉じて口を開いた。
「俺は何かデカイ事がやりたいとお前等が言っていたから望みを叶えた。ただそれだけだ」
「そうそう、まったくお前は最高だぜ!腐っていた俺たちの救世主だ!もう誰も俺たちを止められねえ、ぶっ飛んでパーッと行こうぜ!!誰もが忘れられねえ傷痕残して、派手に死のうぜ!ははは!!」
ピアス男は1番の肩に手を回すと、楽しさの絶頂に達していた。
3番は、その光景はこの世のものであると信じられなかった。
まさに悪夢である、狂っていた。
「も、もう…付き合ってられない。俺は警察に自首する。もう抜ける!」
3番は、震えながら3人を背に4番が先ほど入ってきたドアへ全速力で駆け出していく。
ピアス男は恫喝しながら拳銃を取り出そうとしたが、ふと何かに気づいたように停止すると拳銃を下ろし逃げていく3番を見送った。
「1番、警察用の罠は?」
「お前の望み通り配置済みだ。『自動10ミリ機関砲』、1分間に300発の弾丸をばらまく市場に出ていない品だ。そこらの林に10門、システムを入れれば周囲半径50メートル内に入った人型物体に鉛玉の雨を叩き込む。避ける隙も与えない」
1番は朗読するようにスラスラと説明した。その説明を聞いていくうちに4番は恍惚の笑みを浮かべていく。
「やっぱりそういうのはちゃんと動くのかテストが必要だよな?」
「………分かった」
しばらくして倉庫の外から重機が移動するような轟音が鳴り響いた。2番はあまりの爆音にメガネを床に落とし、耳をふさいだ。10秒ほど鳴り響き、突然静かになる。途端に静かさが耳から入ってきた。それと同時に体を駆け回るのは恐怖そのものだった。
「後始末はしなくていいぞ。どうせ死体は野良犬の餌だ」
「身元を確認されたら面倒だ。俺が行く」
1番は立ち上がると2人に背を向け、3番が出て行ったドアから外へと出て行く。
「さてと…まさか、お前は途中で抜けたいとか言わないよな?」
「なあ…一体何が目的なんだ?」
全身を恐怖で支配され、身を震わせながら2番はゆっくりと床に落ちたメガネを拾い上げた。もはや、命令に背く余裕は残っていない。背けば最後、3番と同じ運命を辿る。肉片となって、跡形も無くこの世から去る。こちらの身元が分かれば運が良い方だ、大抵はそのまま野犬に食べさせられて証拠隠滅、行方不明者扱いとなる。
「そうだな…派手に色々ぶっ放したいのが目的だな。それでどこまでいくか記録を作ってみたいんだ」
「…はっ!?記録って何だ?」
「『人を殺した数』に決まっているだろ?上手くいけば世界記録を出せるかもしれないぞ?頑張ろうぜ、2番」
色々とおかしくなり始めていた。気づくのはいつだって後悔してからだ。2番はまさに気づいてしまった。もう戻れないことに、そして逃げることも許されないことに。
覚悟を決めるには無理難題な規模だった。相手は自分たちを逮捕しようとしている警察官。普通なら考えるのも馬鹿馬鹿しい、負けるに決まっている。
だが、今の自分たちにはよく分からない武器が鉛筆や消しゴムよりも安く手に入る状況なのだ。不思議と負ける気は起きなかった。それどころか、心の内から闘志が湧き上がってくる。奴らの装備にだって負けていないはずだ。
どうせ、ここまでやったんだ。一生刑務所暮らしは目に見えている。だったら、どこまで狂うことができるか限界に挑戦してみるのも良いかもな。
体中が熱く滾る。まるで強い酒を飲んだかのようだ。気分が最高潮に達して、先ほど人が死んだにも関わらず恐怖が徐々に薄れていく。ドラッグは使用していないのにこの感覚は何だろうか、とてつもなく気持ちが良い。一生この気分で過ごしていたい。いや、もっとだ!より気持ちよく満たされた気持ちになりたい!
1番と2番の目が不気味な緑色の光を放っていた。それと同時に高笑いが倉庫内に木霊する。ゆっくりとそして着実に破壊と混乱は動き始めていた、誰もが気にしないボロ倉庫から周りへと。

同日 午前10時29分  稲歌高校前
今朝、冴島刑事は非常に不機嫌であった。
自分が警察に入ったのは犯罪者から市民を守るためである。例え、危険に身をさらしてもそれが住民の平和のためならばどんな苦労も報われる。受けた傷の数は自分が町を守っているという何よりの証、むしろそれを誇りに感じる。
町が不良の横暴にさらされているのは大変遺憾だが、今こそ警察の力を見せつける時なのではないか?今、力を発揮しなくていつ発揮するのだ!
西地区の担当に抜擢されたときは正直怖くはあったが、やる気に満ち溢れていたものだ。最前線では当然争いに巻き込まれる危険が多くなる。だからこそ、逆に腕が鳴るというもの!日々の鍛錬の成果を見せるときだ。伊達に柔道や剣道の訓練は受けていない、活かすときは今なのだ!………そう思っていた、つい昨日までは。
「刑事さん、わざわざ一緒に来てくれてありがとうございました」
中学校と高校に挟まれた通り、普段は多くの生徒がすし詰め状態で歩くのも大変だが、今日は警官の姿しか見当たらなかった。
小学校、中学校、高校で学校閉鎖が発表されたのである。正直、遅すぎる。まあ、警察がここまで苦戦するとは思っていなかったのだろう。当然と言えば当然なのだが、不良と警察が激突している今の稲歌町で子ども達を外へ出すのは大変危険な行為であると町が判断し、学校側から閉鎖の判断が下された。
稲歌町全体で町外へ一時的に退避する動きが最近盛んに行われている。こんな危険な町、住んでいたら無事じゃすまないとの住民の判断である。事態の収束までこの動きは止むことはないだろう。
もちろん、それは全体からしたら一部で多くの住宅では家の中でこの騒動が収まるまで家中に鍵を掛けてじっとしているというのが一般的だ。
一刻も早く彼らに普通の生活を届けてあげたい!なのに、私は何で女子中学生の送り迎えをしなければいけないんだ?
冴島は青い制服と黒い防弾チョッキのベストで身を固めた帽子を被り直すように頭に手を当てながらため息を吐いた。
不良の攻勢は凄まじく、銃の発砲は最近じゃ当たり前になった。県警だけでは対処しきれず、警視庁や警察庁まで人員を割いてくる事態に。まさに戦場、自衛隊まで派遣されそうな勢いである。本格的な不良への対処は特殊部隊を筆頭に専門班が指揮を取り、私たちのような署の人員は主に住民が怪我をしないように西地区から離れた場所を巡回したり、注意をしたりする作業になってしまった。
まあ、これなら話は分かる。納得できる。何で私だけ中学生の護衛をしなければならないんだ!?

『冴島、お前明日から中学生の護衛な。誘拐されかけて、また襲われるとも限らない。わざわざ中学生のために人員を割けないんだが、その子の親が俺に柔道を教えてくれた恩師なんだ。課長には言っておくから巡回の名目で1日だけ彼女に張り付いてくれよ。あっ、その子は大変可愛いみたいだからくれぐれも手を出さないように。お前を取り調べなんてさせないでくれよ』

失敬な、人を馬鹿にするにも程がある!私はロリコンじゃない!
新井にニヤニヤされながら言われたのを思い出すといまだに腹が立つ。尊敬できる人だと思っていたが、考え直した方が良いかもしれない。
おまけに知らない子かと思ったら、その子の兄貴はつい最近取り調べ室で見たばかりだ。どうせ、不良にちょっかいかけ過ぎて目を付けられ、その矛先が妹に向かったんだろ?
だったら、ただの自業自得じゃないか!
それにいくら何でも兄と妹が別人過ぎる。絶対に兄妹なんてありえない、あの2メートル超え筋肉ハゲの怪物が女の子を誘拐して無理矢理妹にしたと言った方がまだ納得できる。
冴島はブツブツと独り言を呟いていた。大人の威厳もあったものではない。彼はまだまだ燃えやすく冷めやすい新人であった。
「あの~、刑事さん?聞いてます?」
「へっ?あ、ああ!本官は大丈夫であります!」
突然、現実に戻され今まで言ったことも無いようなセリフを冴島は右手をくの字に曲げ敬礼しながら言い放つ。
桜は自分が中学生だと分かるように学校の制服を身につけていた。少し大きめの黒いブレザーとスカートがよく似合う。警官に尋ねられたとき、自分の身分を証明するために学生手帳も持っている。
豆鉄砲を食らったかのように桜はポカンとしていたが、小さくクスクスと笑い始めた。
「あっ、ごめんなさい。ただ、なんかおかしくて。刑事さんって真面目な人なんですね?」
「い…いや、すまない。どうも君のような学生の相手は…その…苦手で。それより、学校に用事があるのかい?」
恥じらいを隠すように冴島は桜に別の話題を振った。
「実は…忘れ物をしてしまって」
「こんな事を言うのもなんだが、あまり外を出歩かない方が良いと思う。いつ襲われてもおかしくない状況なんだ」
「学校が休みの間、宿題をやらなくてはいけないんですけど…」
桜が申し訳なさそうに呟いた。
どうやら、学校は休みとはいえ学業をおろそかにするつもりはないらしい。学校が休みの間、強制的に勉強をさせようという学校側の対処のようだ。
この子はそれを学校に忘れてしまったらしい。しっかり者のように見えるが、どこかうっかり者の素質があるのかもしれないな。人は見かけによらないということか…。
冴島は桜の評価に新しい内容を加え、困ったように頭を掻いた。
「教室まで同行した方が良いかい?」
「いえ、昇降口で待っていて下さい。すぐ持ってきますので」
学校は警備している人数も他より多い。万が一の場合、避難先になる可能性もあるからだ。そのため、学校の敷地内には巡回する警官も配備されており、校舎内に入るのはほぼ不可能だ。この前の体育館乱入の件も踏まえ、学校内に至る校門にはバリケードが敷かれている。大怪我をしたいなら話は別だが、車やバイクで突っ込もうとするのは止めておいた方が良い。
冴島は桜の案に了承すると、彼女の隣を歩きながら敷地内へと足を踏み入れた。道路に隣接している校門には高さ2メートルほどの黒鋼色のバリケードが立ちふさがっている。
その横にはバリケードと校門の隙間を埋めるように防弾チョッキを着用した警官が2名、両脇に立ちふさがっている。
冴島は右側の警官に敬礼し警察手帳を見せると、事情を説明した。
「まったく…また、宿題忘れか…」
話を聞いた途端、顔にしわが目立つ初老の警官がうなだれていた。
「えっ?彼女だけでは無いんですか?」
「もう10人以上通しているよ、全部保護者の付き添いでね。警察署には『宿題忘れたから、外に出たい。付き添いで来てくれ』って電話が鳴り止まないんだ。警官は市民の味方だが、こうも忙しいと身が持たないよ」
今の稲歌町警察署は最低限の人員を残して、全て出払っている。さすがにその弊害が出てしまっているというわけだ。誰1人、不良グループとの騒動がここまで大きくなるなんて予想できなかったのだから仕方ない。
警官は道を開けると、2人は隙間から校舎内へと入っていった。中学校の昇降口はすぐ目の前にあった。コンクリートで舗装された道が一本、昇降口へと延びており、その背後には白塗りの箱のような中学校がそびえ立っている。
昇降口に行く途中で校内を巡回する警官が挨拶してきたので、冴島は挨拶を返した。
桜が靴を脱いで校内に入っていくのを見送り、冴島は先ほど通ってきたバリケードを振り返った。
どう見ても普段の生活で見れるものでは無い。まるで内戦だ。恐ろしいことに、こんな事態でも驚かなくなってしまっている自分が怖かった。
「中学生の付き添いかい?」
気さくに先ほど巡回していた警官が話しかけてきた。年は自分より少し上くらいだろう、焼けた肌が似合うスポーツマンのような体格だった。
「ええ、まったく困ったものですよ。てっきり、不良グループ検挙に駆り出されるかと思ったのに。上司の一言でこの有様です」
「ははは、まあこんな状況になるとは思ってもいなかっただろうからな。けど、この学校なら別に警備は要らないと思うんだけどな」
「えっ?学校にこそ警備は必要でしょう?学校は災害時の避難所に指定されていますから破壊されでもしたら、それこそ大変では?」
警官の発言が気になり、冴島は質問した。
「なあ、『御神<<みかみ>>グループ』って知っているか?」
「ええ、確か世界全体資産の5%を持っているとかいう国際的な巨大経営グループですよね?最近では相良マートを買収したっていうのでニュースで話題になっていましたけど」
『御神グループ』。近年、急速に成長し『最も勢いのある企業』に何回も選ばれている存在だ。軍需産業、インフラ整備、IT工学など幅広く手を広げている。日本出の企業で現会長がレオナルド……なんだっけ?とにかく世界を股にかけ、最先端のテクノロジーで世界を動かしていて、ニュースを見ていれば必ず目に付く有名ブランドである。
確か、『御神総合病院』もゆかりのある場所だった気がする。
「その御神グループが『試験的技術提供』という形で携わっているのが、稲歌町の3校なんだ」
「『試験的技術提供』?学校の設備を御神グループが提供しているんですか?」
冴島は半信半疑で尋ねた。
「ああ。この前、女子生徒が高校の屋上から飛び降りた事件があっただろ?あの時も御神グループの技術が活躍して命を救われたとか」
冴島はついに疑うように警官を見つめる。
何かスケールが大きすぎて話についていけなくなってしまった。おまけに疑問点もある。
そもそも、国際的に有名な大企業がなぜこんな田舎の町を舞台にそんな大規模な実験をやっているのだろうか?そういうのを試したければ、人の大勢通う大都市の有名校に設備を設置した方が宣伝効果も大きいはず。
「あの…それは都市伝説とかそういう類いですか?」
「ははは、昨日のゴシップ記事に書いてあったんだよ」
冴島は肩を落とした。
でも、今の稲歌町のありえない惨状を見ると何を信じて良いのか分からなくなる。
警察と争って何の意味があるのだろうか、あの不良グループは。今はもう少年法に対する世間の目はかなり厳しくなっている。未成年でも死刑がありえる時代だ。
今回の騒動は、若気の至りとか子どもの悪ふざけで済むレベルじゃない。すでに3人の死者、23人の重軽傷者が出ている。その原因の1つが拳銃による怪我だ。
事態を悪化させているのは間違いなく、相手が火器を持っていること。その入手ルートを調べたが、警察の情報網を使っても痕跡1つ現れない。まるで武器が煙のように現れたとしか考えられないのだ。
だが、そんなことあるわけない。きっと、どこかで見落としがあるはず。我々も知らない秘密のルートが。
「お待たせしました、刑事さん」
可愛らしい声と共に冴島の背後から桜がひょっこりと現れた。手には手下げバックを吊しており、その中に本がいくつか見える。
様々なところで技術が進歩し、分厚くて重い紙などからタブレット式の電子機器への導入が進められているがどうしてもその波についていけない家庭がある。金銭的な事情や家庭の主義などでそういう便利な機械を使わない人がいるためだ。
学校が未だに紙媒体を用いるのはそういう人たちに対応してのことなのだろう。そういう人たちがいなくなるのは、何十年先のことになるだろうか…。
冴島は便利になっていく一方で不便だと切り捨てられていく、自分たちが今まで用いてきた道具に悲しみを覚えてしまった。
「無事に取ってこれたかい?」
「はい!」
「よし、それでは家に帰ろうか。こんな危険な外には長居は無用だ」
「でも、刑事さん。これからその外にずっといるんでしょう?」
「ああ…まあ…仕事って大変なんだよ。君も就職すれば分かる」
微妙に心を傷つけられた冴島は話をしていた警官に後を任せると再び、バリケードの横を通り抜ける。初老の警察官がパトカーの横で話をしていた。彼は冴島達に気づくと、近づいてくる。
「ここまでどうやって来たんだ?」
「途中まで同僚のパトカーに乗せられて。さすがに中学生を連れて外を歩くのは危険すぎますからね」
「だったらタイミングが良い。ちょうど来たから乗せていってもらうと良い。巡回中だから途中で下ろしてもらえば問題ないだろう」
冴島は体をずらすとパトカーを見る。青い制服を着た警官が運転席と助手席に乗っている。どうやらずいぶん若い警官のようだ、最近警察になったばかりなのだろう。
そして冴島の視線に気づくと、ぎこちなく笑顔を見せた。冴島は警官と話をすると、親切なことに送ってもらえることになった。
「ありがとうございます、それじゃあお言葉に甘えて」
冴島は桜と一緒に後部座席に乗る。桜は先ほどの警官に頭を下げた。
2人を乗せた車はゆっくりと発車する。だが、スピードが遅く中学校のバリケードがずっと見えていた。冴島は左後部座席から運転席を確認する。見ると時速20キロメートルしか出していなかった。
「最初の信号を左に曲がって下さい。それと安全運転はありがたいですけど、もうちょっとスピード出しませんか?」
「…すいません」
運転手の警官はモゴモゴと口ごもると、少しスピードを上げた。
車は市街地の方へ抜け、そのまま両脇にビル群を見上げながら西へと移動していく。
「刑事さん、今日はありがとうございました」
桜は隣の冴島を見上げ、感謝を述べた。
「いやいや、こういう仕事はあまり慣れていなかったけど…何か粗相は無かったかな?」
「いえ、こっちの勝手なお願いに付き合ってくれましてありがとうございます。家に帰ったらもう今日は外に出ませんから、帰っても大丈夫ですよ?」
そういうわけにはいかない、あくまで今日の仕事は彼女の護衛だ。確かに家に入れば安全だろうが、万が一ということもある。それにここで仕事を放り出したら新井刑事に大目玉を食らうのは目に見えている。
「家の前で警備をしているよ。今日は君の護衛が仕事だからね」
「本当にごめんなさい。お父さんったら心配性だから、この前の誘拐の件で過敏になっちゃって」
「聞きたいんだけど…君はなぜ誘拐されたか心辺りは無いのかい?例えば、君のお兄さんの事とか?」
桜は急に大悟の話題が出てきたことに目を見開いて驚いた。
「お兄ちゃんのことご存じだったんですか?」
「取り調べ室でちょっとね。もしかしたら、君のお兄さんのことで巻き込まれたとかそういうことは考えられないかな?彼は…その…不良グループの一員に暴力をふるっているようだからね。学校に乗り込んでも返り討ちにさせられたようだし、連中は腹いせに君を攫ったとか?」
桜は重く沈みこみ、腿の上に置かれた両手を眺めていた。
冴島はその様子を見て自分の質問に後悔してしまった。いくら何でもこれじゃ兄が悪いと直接言ってしまっているみたいだ。まあ、事実はそうなのかもしれないが聞き方が良くなかったな…。
「その…申し訳ない。君のお兄さんのことを悪く言っているみたいで悪いんだが…」
「いいんです。たぶん、そうだと思いますから」
自分の兄のことを悪く言われ、否定を予想していた冴島の勘は見事に外れてしまった。この子は自分の兄だからと言って、罪は罪であると特別視はしない子なのかもしれない。
「えっ?そ、それで…君は大丈夫なのかい?巻き込まれてしまうじゃないか」
「…私だってできれば怖い目には遭いたくないですけど、だからと言ってお兄ちゃんが何も出来ずに傷ついてしまうのはもっと嫌なんです。だから…やりたくないけどそうしなきゃいけないこともあると思います。本当はお兄ちゃんには喧嘩とかしてほしくないんですけど…そうしないと他の誰かが怪我したりする場合もあるから…」
冴島は桜の話を聞くにつれ、大悟が取り調べ室に着た様子を思い出していた。
ホームレスを襲う不良を、逆に襲いホームレスの命を助ける。
確かに、彼が介入しなければもしかしたら死者が出ていたかもしれない。世間では彼の行為は勇気ある行動と賞賛されるのかもしれない。
だが、私は警察の人間だ。勇猛果敢な行動とは言え、彼の行動は立派な犯罪だ。この前は上層部の判断でお咎め無しになったが、このまま続けていけば法の裁きを受ける日もあるのかもしれない。
本来ならば我々警察が解決すべき事柄を一般人に押しつけてしまうなんてことはあってはならないことなのだ。町の住民にとって、もめ事が起きたときの警察は頼りにされ信頼のおける存在でなくてはならない。そうじゃないと、警察という犯罪の抑止力が消え去ってしまう。そうなったら、終わりだ。たちまち世の中は無法地帯となる。
警察が拳銃や警棒など暴力を用いることを許されているのは、大きな責任を抱えているからだ。市民を守り、犯罪を1つでもこの世から無くすという使命を帯びているからなのだ。
だが、警官は人間だ。いくら理想が立派でも現実ではなかなか上手くいかない。ホームレスが襲撃されている時に警官はいなかった、彼しかいなかったのだ。彼しか止められる者はいなかった。
襲撃した不良は釈放されてしまい、今警察に牙を剥いている。なぜ、釈放されたのかは分からない。上層部の考えていることはまるで見当がつかない。奴らを放して組織そのものを一網打尽にする計画だとしたら、あまりにもずさんだ。今の犠牲が大きすぎる。
裁かれる人間が外に出て、人を守ろうとした人間が取調室で尋問される。何が正しいのか、時々分からなくなる。少なくとも人を救うという正義を持ったあの青年の方が私より立派であるということなのだろう。私の正義は同じような状況になったとき、上手く機能してくれるのだろうか。
冴島の葛藤は深まるばかりであった。
「いつか…1日で良いから世界中で何の事件も起こらない日が来て欲しい」
「えっ?」
「私の尊敬する上司の言葉なんだ。最初聞いたときは素直に良い言葉だと思ったけど、改めて考えると実現にするには1人1人が意識して争わないようにしていかなければいけないと思ってしまう。君のお兄さんが暴力に巻き込まれない、そんな日が来て欲しいと祈っている。もし、お兄さんに会ったらそんなことを言った変な警官がいたと伝えてくれないか?」
冴島は優しく微笑みながら桜に伝えた。笑顔が移ったのか、桜の口角が自然の上がりにこやかな笑顔を咲かせた。
「刑事さん、ありがとうございます。私がお兄ちゃんによ~く言って聞かせますから大丈夫です。もう警察のご厄介になることなんてさせませんから!」
「ははは、そうしてくれるとありがたいよ。できることなら、逮捕する人がいない世の中になってほしいからね」
窓に映っては消える住宅を奥に見ながら、和やかなムードのパトカーはひたすら西へと直進していた。やはり、住民の姿は道路には見えない。いるのは警察関係の車両と防弾装備に身を固めた警官だ。
すると、冴島の尻ポケットのスマートフォンが鳴り出した。
冴島は取り出すと、そのまま耳に当てる。
「はい、冴島です」
「冴島、俺だ。新井だ。今、お前はどこにいる?」
少し急いたように新井が話しかけてきた。
「心堂さんを実家に送り届けるところです。それから、彼女の警備に移ります。何か、変更があるのでしょうか?」
「いや、お前はそのまま護衛を頼む。実はついさっきトラブルがあってな。確認のために電話したんだ」
「トラブル?」
冴島は疑問の声を上げる。今さら何が起こっても不思議ではないが、せめて人が死んだニュースは聞きたくなかった。
「ああ、殺しだ。それも最悪なことに警官2名。彼らからは警官の衣服とそれから乗っていたパトカーが奪われていた。犯人は今も町中を逃走中だ。お前も気をつけろ?」
「あっ、すいません。さっき、家を通り過ぎちゃったんですけど止めて頂けませんか?」
桜は窓の外を見ながら運転手の警官に声をかけた。運転手は声が聞こえなかったようにそのままパトカーを進めていく。
冴島は突如、全身に悪寒を感じ始めた。心の底から生まれた疑問や違和感が、不安に成長し血管の中に入り、全身を勢いよく回り始める。
汗が滲み始め、手が震えていた。
このパトカー、考えてみれば車内に乗って一度も警察無線を聞いていない。町中がこの状況であるのにわざわざ無線を切るというのは変だ。情報は何よりも大切な物だからである。
運転手も妙だった。安全運転にしては度が過ぎる低速度で最初走っていた。まるで1度も車を運転したことがないみたいに。
「……新井刑事。その警察車両の番号は?」
「4番だよ、冴島刑事さん」
助手席に座っていた警官が新井の代わりに答えると、こちらを振り向きながら白く輝く自動拳銃を両手に持ち、桜と冴島の2人の顔に向けながらにんまりと微笑んでいた。獲物を前にほくそ笑む、邪悪な笑いのように冴島には思えた。
「携帯電話の電源を切ってもらおうか?そしてそのまま窓の外へ投げ捨てろ、そっちのお嬢ちゃんもだ」
冴島は桜の方を横目で見る。全身が恐怖で震えだし、涙が目ににじみ出ていた。彼女は必死に助けを求めるように冴島の方に目を向けている。目の焦点が助手席の警官、そして目の前の拳銃、冴島の顔と常に留まることなく移動していた。パニック症状を起こしているようだった。
「言葉が分からねえのか?じゃあ、これなら…」
拳銃の引き金に指が伸びる。この男は本気だ。とっさに冴島は判断し、言葉を発した。
「分かった、言うとおりにする!心堂さん、素直に従うんだ…!」
「は……はい」
「おい、冴島!今の声は何だ!?まさか…!お」
新井の声を冴島は一方的に切った。後部座席、両側のドアが自動で開く。冴島と桜は自分たちのスマートフォンを窓の外へと投げ捨てた。
地面の方で軽い音が響き、すぐに聞こえなくなる。通信手段を失ってしまった。最近の携帯電話はGPS機能が付いている物も多い。これで、こちらの居場所を知る手段が一つ減ってしまった。
「よし、じゃあ両手を見せたまま動くな。別に逃げても構わねえぞ。銃弾を浴びて、そのまま車で轢き殺されるのが好きならな」
助手席の警官は馬鹿にするように下品な笑い声を出しながら、2人を挑発した。
「頼む、この子だけでも見逃してくれないか?人質なら私だけでも」
助手席の警官はすぐさま冴島の胸を撃った。冴島の体が衝撃で跳ねるように動くと、彼は息につまりむせこむ。桜は悲鳴を上げ、ついに涙を流し始めてしまった。
「防弾チョッキがあるんだ、平気だろ?次、余計なことを言ったら今度は頭を撃ち抜くからな?」
冴島は苦しそうに顔を歪めながら息を整えていた。おそらく、衝撃で骨が折れたのかもしれない。息をするだけで激痛が体を走った。
まずい、まさかパトカーを乗っ取るなんて想定外だ。おまけに人を撃つのにためらいもなく、人も殺している。こいつら、本当に不良か?殺しを楽しんでいるようにも見える。
おまけに目の前の拳銃も間違いなく本物だ。モデルガンなんかじゃない。
とりあえず、今は言うとおりにするんだ。こっちには心堂さんもいる、下手な動きをすれば彼女も巻き込まれる。
冴島は無理に笑顔を作ると桜に「自分は大丈夫である」と意思を見せながら、なんとか彼女の涙を止めた。
それから、10分後警察内に冴島刑事と桜が人質に捕られたというニュースが駆け巡ることになる。事態はまた1つ、警察に悪い方に進んでしまった。


同日 午前11時1分 稲歌町 中央地区 稲歌町駅
稲歌町駅。稲歌町の中心部近くにある巨大な駅であり、住民が集中している東地区と西地区を結ぶ交通機関の拠点である。平日休日構わず、大勢の人が利用し絶える間もない長蛇の列が普段の光景なのだが、現在は警官が数人、駅構内へと続くサッカーの試合ができそうなほど大きな石畳の敷地を巡回している。
祐司はそこから少し離れた木の陰からあたりの様子を窺っていた。
「稲歌町駅があそこだから…、教室はその反対のビルの2階」
祐司はポケットからメモ用紙を取り出すと、体を回転させながらブツブツと呟いていた。
そのまま、目の前の建物を指さすと頷いた。
何で祐司がここにいるのかと言うと、事は1時間程前にさかのぼる。
学校が休みになってしまった間、拓磨達は不良グループに狙いを定め行動を開始した。前日の心堂桜誘拐の件でスレイドはいまだに戻ってきていない。
ウェブスペースの方もシヴァ・シンドーとの戦い以来、騒ぎは起きていない。定期的に場所を変えているから相手が発見できないのか、それともウェブライナーとの戦いどころではない何かが起きているのか。
シヴァがリベリオスから逃げ出したことを知らない拓磨達にとって、状況は不安と混迷に満ちていた。
とりあえず拓磨達は警察の邪魔にならないことを念頭に置き、不良グループの動向を探ろうとした。とはいえ、相手がリベリオスと関わっていると分かった以上、ゼロアの探知機を使って探すわけにはいかない。逆に相手に探知機の反応を知られ、逃げられる可能性もあるからだ。そうなると、生身でしらみつぶしに探すしかない。警察に聞いても断れるのは目に見えている。
そんな中、友喜の母が書道教室から帰って来ていないという話を聞いたのだ。
昨日書道教室に行ったきり帰って来れなくなってしまったようで、警察に電話しても回線が混雑していて繋がらず途方に暮れているらしい。食料も無く、水は飲めるらしいがさすがにこのままでは健康状態に危険が及ぶ。
そのため、祐司が迎えに来たのである。拓磨は色々用事があるらしく、用事が終わるまで待って欲しいと言っていたが身近な人の一大事に待っていられず、祐司は勝手に出てきてしまった。やはり、実家がお店をやっているというのは色々と大変なのだ。無職が1番、自由気ままに生きてこその人生なのだ。
時々、世の中を砂糖で包んだお菓子のように甘く見ている祐司はあたりを確認しながら道路を渡り、目の前のビルに飛び込んで行った。
車がいないことを見計らって道路を横切り、ビル脇の歩道に沿って正面の入り口まで進む。動き易いように学校で使用しているジャージを着こみ、鹿のように身軽に跳ねながら進んでいく。
町が厳戒態勢の中、不思議とここまで誰にも止められずに来たことに祐司は妙な違和感を覚えた。噂だと身の危険を感じて、稲歌町から他の町に避難している人もいるらしい。特に西地区はその動きが顕著だという。
警察は不良グループ相手で手一杯だろう。自分に出来ることは自分でやっておければそれに越したことはない。
スレイドに鍛えられている自分に少しばかり自信が生まれているのを確実に自覚し始めていた。できれば、力を発揮することなんて起きなければ良いが…。
壁沿いに進んだ祐司は体勢を低くしながら周囲を見渡す。
右、駅方面。まったく異常なし。正面、道路。異常なし。
祐司はビルの角を飛び出すと、そのまま左方面に直進、さらに左折しビル正面階段を段飛ばしで登り手押し式のドアを開けようとする。
「あっ、祐司君」
突如目の前に現れた片手に茶色い長バックをぶら下げながら黒いエプロンをかけた友喜の母、愛理の姿に驚き、そのまま強化ガラスのドアに頭をぶつけのけぞると、足を踏み外し階段をゴロゴロと後転しながら落ちていく。
「ぐ…え~」
痛みにうめきながら、祐司はゆっくりと立ち上がる。
「ちょっと、大丈夫!?」
ビルの中から出てきた愛理は心配そうに祐司に駆け寄る。
「それはこっちのセリフです…。何でここに?」
「拓磨君から連絡があったの。彼、呆れていたわよ?『無謀にもほどがある』って」
なるほど。たっくんがあらかじめ電話してくれていたのか。ということは、もうすぐこちらに来るのだろうか?
「さてと、祐司君。話によると私を護衛してくれるのかしら?出来るの?拓磨君と一緒に来た方が良かったんじゃない?」
40歳近いというのに、可愛らしさを声に含ませ笑顔で祐司に尋ねてきた。
「そんな大層なもんじゃないですけど、逃走の手伝いくらいなら出来ると思って」
「……なんか国外逃亡する犯人みたいな気分ね」
愛理のツッコミが宙を漂っている時、突如背後の方でパトカーのサイレンが聞こえてきた。
「あっ!愛理さん、行きましょう!背は低く、物陰に隠れながらできるだけ警察に見つからないように!」
「本当に悪い事している気分になってきたわね…」
祐司は愛理の鞄を奪い取ると、愛理の手を引きながら素早くドアの前から離れ先ほど飛び出したビル影に隠れる。
祐司がのぞき見ると真っ赤な軽自動車をパトカーが追跡していた。そのまま、目の前の車道を通り過ぎると駅の方に向かっていく。
パトカーの姿が見えなくなると、愛理は祐司の方を向いた。
「ねえ、祐司君。せっかく来てくれたところ悪いんだけど、警察に事情を話して家まで送ってもらえるように頼んでみない?」
目の前の異常事態を目にして、愛理はとてつもない不安感に襲われ、口に出してしまった。はっきり言うと自分より少し背が高いくらいの打たれ弱そうな目の前の少年ではとてもではないが、家に無事に着けそうに無かったからだ。
「何を言っているんですか!」
祐司は目くじらを立てて怒っていた。愛理は少し反省してしまった。こんな彼でも、この前は友喜のために命を張ってくれたという男の子なのだ。せっかく、来てくれたのにこんなことを言ったら彼のプライドを傷つけてしまうだろう。
「さっさと警察の人に頼みに行きますよ!あなたと一緒に逃げられる気がしない、むしろ無理です!俺、無謀なこと大嫌いですから!」
「…祐司君。少しは頑張りなさいよ…」
ガッカリとうなだれる愛理と一緒に先ほどパトカーが向かっていった稲歌町駅の方に向かおうとする。
すると、突然地面が揺れるような爆発音が響き渡る。見ると、平たい鉄板のようなものが黒い燃えかすを付けながら、上空から落下し回転し車道の上に舞い降りた。
よく見ると、パトカー特有の白黒の模様が分かる。
状況を理解するのに2人は時間がかかった。
すると、間髪入れず唸る排気音。先ほどまでパトカーに追い回されていた軽自動車が駅の方角から戻ってくるとこちらに気づいたようで向かってきた。全員真っ赤なジャージ姿で、助手席に座っていた髪を真っ赤に染めた男が満面の笑みを浮かべながら、窓の隙間から身を外に出し筒のようなものを担いでいた。
祐司はそれを前に見たことがあった。確かこの前、ゲームをやったときに主人公が戦車に向かってぶっ放して真っ赤な花火を地上に咲かせた危険極まりない武器。決して車に撃つものではないし、ましてや人に撃つものでは絶対にない。
「ロケット砲とか頭イカレているんかよお!」
祐司は悲鳴を上げると、愛理の手を引っ張りながら必死に地面を蹴り、逃げた。だが、どう考えても逃げられるわけがない。
祐司の予想があたり、背後から響く排気音が大きくなる。
とにかく、逃げ道を探さなければ!まずは、愛理さんだ。自分1人ならまだしも、人を連れているとどうしても逃げるのが遅くなる。
祐司は急に止まると、愛理のヒザ裏に左手を通し目の前で抱えながら走った。
「祐司君!私を抱えて大丈夫!?」
「鍛え始めましたから、問題ないです!」
祐司の言葉は嘘では無かった。スレイドとの訓練で行われていたのは、徹底的な『逃げる』ことの追求。敵に出会ったら、まずは逃げる。それでも逃げ切れなかったら、相手の攻撃を可能な限り避ける、そして相手の疲労させ隙を見つけて逃げる。
それだけなら、あくまで自分1人を鍛えれば良かったのだが、ある日スレイドが米俵を持ってきて祐司に言った。

『祐司殿。これからこれを持って走ってもらいます。トレーニングに追加です』

当然、祐司はなぜかと尋ねた。米俵を持つ事なんてこれから無いだろうし、そもそもスレイドの攻撃をかわすトレーニングを続けていた祐司にとって、突然増えた筋力トレーニングにどうしても疑問が湧いたのだ。
それについて、スレイドが語った言葉が鮮明に思い出せる。

『もし、祐司殿だけが敵と遭遇するならこのトレーニングは必要ないでしょう。しかし、敵と遭遇したとき、誰かと一緒の場合も考えられます。その時、その人が非力で足も遅かったらあなたの長所である逃げることも難しくなります。そうなると、その人を抱えてでもスタミナが切れずに速く走る訓練も必要になるわけです』

スレイドの指摘は非常に的確であった。要は、人を担げるだけの筋力とそのまま走るだけの脚力、それを持続させる持久力を付けることが目的だった。そしてこれは、そのまま逃げることに応用できるため決して無駄なことではないというのだ。
まさにその通りだ。それから毎日、自分の体ほどもある米俵を抱えながらランニングするトレーニングを続けたのだ。日に日に重量を重くして、体を馴れさせ体力を付けさせる。
その成果を今、見事に発揮しているのだ。
愛理を抱えた祐司は、先ほどより早く身軽に道路を駆けていた。もう、ただのオタクでは無くなっていた。立派な『逃走者』である。
次に祐司は逃げ道を探した。真っ直ぐ走れば道路、遮蔽物も無いしどう考えても追いつかれる。左側は駅方面へ続く公園、車は入って来れないだろうがロケット砲なんて撃たれたらまっすぐ飛んで爆風でお陀仏だ。
祐司の前方右側にビルとビルの間にできた脇道が現れた。そのまま、駆け込み走って行く。
暗い脇道で足元にはゴミ箱やバケツなどが転がっていたが、それを飛び越えて進んでいく。
祐司は英断をしたと思い込んでいた。車も入って来れないし、このまま直進すれば反対側の道路に出ることができ、そのまま横道に入れば逃げることができると。
「あっ!」
祐司と愛理は同時に叫び声を上げると、祐司は急停止する。目の前にあったのは黄色いフレームの看板にヘルメットをかぶり青い作業服を着た人間がこっちを向いて謝っている姿。
そして看板には文が書かれていた。
『この先、落下物があったため工事中です。皆様には大変ご迷惑をおかけします』
勘弁してくれよ、こんな時に!
「おやおや、鬼ごっこは終わりか?」
気取った声が祐司の背後から聞こえてくる。祐司は愛理を下ろすと、振り返った。
赤ジャージの男が1人だけ右手に拳銃、左手に肉を引き裂くような大型のサバイバルナイフを握り締めていた。
おそらく、助手席に乗っていた男だ。ドライバーは車で待機しているのだろうか?
「あんた、さっきパトカーを吹っ飛ばした男だな?」
「死んで当然の奴らだ。あいつらを皆殺しにするんだ」
祐司の問いに目の前の男が笑顔でサラリと答える。まるで趣味を行っているかのような反応に思えた。
「ふざけたことは止めなさい!警察官を殺すなんて、どれだけ罪深いことなのか分かっているの!?」
愛理は祐司の一歩前に出て、勇気を出して喝をかます。響く声が、幅1メートルほどの壁に反響しそのまま発した本人に戻ってくる。
「死んで当然の奴らだ。あいつらを皆殺しにするんだ」
「あなた、おかしいんじゃないの!?人を殺して何とも思わないの!?」
「死んで当然の奴らだ」
祐司は目の前の男が奇妙に感じた。違和感というやつだ。
さっきから同じ言葉しか話していない。何かロボットと会話しているみたいだ。こいつらは間違いなく人間なのにどうしてこんな風に思えるんだろう。
すると目の前の男は右手の拳銃を背後に放り投げると、空いた手で頭を叩き始めた。壊れたテレビを叩いて直すように。
「ちくしょう…!頭痛ええ!どれもこれもてめえらに会ったせいだ、ぶっ殺してやる!!」
突然顔を歪ませ、キレると左手のサバイバルナイフを振りかざして襲ってくる。
「八つ当たりにもほどがあるだろ!」
祐司は愛理を押しのけ、前に出ると男と対峙する。
やはり訓練と実際に体験するのではわけが違う。足が震え、その震えで全身が強張ってくる。口から何か吐きそうなほどの不快感に襲われていた。コンディションは最悪、どうか夢であってくれ。もう帰りたい!
だが、悪い事ばかりではなかった。不思議と頭は冴える。そして脳が全身に命ずるのだ。
『避けろ』と。
反撃しようと考えるな、ひたすら避け続けるのだ!
男は祐司の首元を狙ってナイフを振り下ろした。祐司は素早く体を背後に反り、間一髪でナイフを避ける。しかし、ジャージの胸元にナイフが擦り、切れ目が入る。
男は舌打ちすると、今度は祐司の胸元目がけて突いてくる。祐司は右に体をずらし避けようとしたが場所が狭い上に今度は反応が遅すぎた。
祐司は左肩に激痛が走るのを感じると共に、小さくうめくとそのまま後ずさりする。
「祐司君!」
愛理が悲鳴を上げる。祐司は自分の左肩を触ったが、見事に真っ赤に染まっていた。
「ははは、どうした!?かかってこいよ!」
男は笑いながら、ナイフを振り回し祐司を切っていく。ペースを乱された祐司は無意識に両腕を使い、顔や心臓への直撃を避けようと激痛を覚悟で防御した。
男がナイフを振り回すたびに両腕に激痛が走った。ジャージの袖が破け、血が地面に飛び散り、痛々しく地面を赤く染めていく。
「もう止めて、彼は関係ないでしょ!」
愛理が泣きながら懇願するが、突如男の顔が驚きの表情を浮かべるとゆっくりと祐司から離れる。
「お、お前何で怪我してねえんだ!?」
男の言うとおりであった。祐司の腕は散々切られたのに、傷一つ残っていなかった。肩にも傷はできておらず、血の跡だけが生々しくそこに残っていた。
「痛え…仕方ないだろ。最近、傷の治りが早いんだよ」
「化け物か!?死ねよ、死んじまえ!」
祐司は謎の回復力に驚く男に突っ込んでいき、男を地面に押し倒す。
「愛理さん、拳銃!」
愛理は祐司の声に反応すると、先ほど男が投げ捨てた拳銃を取りに向かおうとする。
しかし、男はナイフを愛理に向かって投げつけそれを阻止する。ナイフは目標を外れ、壁に命中したが、祐司を蹴飛ばして自分から引き放すには十分な時間だった。
男はそのまま、先ほど放り投げた拳銃を取ると勝利を確信し再び笑みを浮かべる。
「ナイフじゃ死なないみたいだが、拳銃はどうなんだ?」
もはや、万事休すである。抵抗むなしく只敗れるのみ。
2人はそう思っていたが、ふと2人の顔は呆けたようにポカンとなってしまった。目の前の拳銃に怯える顔では到底無い。
男はいきなり表情が変わった2人に不気味さを感じた。
「どうした!?ビビっておかしくなったか?こういうときは泣き喚いて命乞いをするんだろ!?」
すると、祐司は男を指さした。そして、一言。
「後ろ」
「はっ!?まさかそんなハッタリに俺が引っかかるとでも思っているのか?嘘つくんだったらもっとマシな嘘をつけよ」
すると、男は自分の周辺が暗くなったように気づいた。男は背後にとんでもない圧迫感を覚えると、恐る恐る振り向いた。そこにいたのは自分よりも遙かに巨大な城壁みたいな巨人だった。身長は2メートルは超えており、頭は丸坊主、目は獲物を見つけて歓喜したようにギラギラと輝き、男を見下ろしていた。
男は小さく悲鳴を上げた。そしてそれが彼が発した最後の言葉だった。巨人は左手で男の頭を掴み、そのまま宙づりにするとコンクリートの壁面目がけて男の頭部を問答無用で叩きつける。男の意識は衝撃で一瞬にして吹き飛ぶ。そしてそのまま、人形のように男を無造作に捨てた。
「大丈夫か、あんたら?」
2人は突如、足音を立てないように歩いてくる巨人をずっと眺めていたのだ。巨人は道路の脇道に前に止まっている車の運転手の首を絞めて失神させた後、堂々とこちらにやってきたのである。あまりにも手慣れていて、素人の行動とは思えなかった。
そして祐司はこの男を見たことがあった。
心堂大悟。最近、良く出会う違うクラスの生徒だ。
「た、助かったよ。ありがとう」
「ん?お前…確かパン屋の連れだったな?」
パン屋というのは祐司の交友関係で知る限り1人しかいなかった。
「そ、そう。アニメオタクをやっている渡里祐司っす」
大悟に対し、祐司はあまり関わり合いになりたくないので社交辞令を取った。下手なことをしたら、壁に頭がめりこむことになるかもしれない。
「ふ~ん、じゃあお前はオタクと呼ぼう。それで、そっちはオタクの母親か?」
大悟は祐司の隣でへたりこんで座っている愛理を見た。
「違う、私はオタクの友達の母親」
愛理は説明するのもやっとに答えた。
「こんな日に外に出るなんてあんたら2人頭がおかしいんじゃないのか?」
男2人を一瞬で無力化した巨人に言われたくない。
祐司はツッコミたい気持ちを堪え、何とか立ち上がった。
「そういうあんたはどうなんだ?」
「あっ?俺?俺は家族の迎えだ。その途中で不良に絡まれた不幸なあんたらを見かけたから、助けてやったんだ。さっさと家に帰れ。じゃあな」
大悟は踵を返すと、道路へと戻っていきそのまま角を曲がり姿を消した。
「うわ~、気絶してるよ。見事に」
祐司は地面の上で無様に失神している男をしゃがみこんで眺めた。
「祐司君、腕大丈夫?」
愛理は祐司の血まみれで滅多切りにされた腕をまくり上げると確認した。やはり傷一つ無い、赤子の肌のように綺麗なものだった。
「どうなってるの…?傷が一瞬で治るなんて」
「大丈夫ですよ、愛理さん。こんな体だから多少は無理してみんなを守らないと、切られたら痛いけどそれでも愛理さんに怪我がなくて良かった良かった。怪我なんかさせたら、友喜に怒られるからね」
「祐司君、そういう考えは止めなさい。助ける気持ちはとても嬉しいけど、普通と違う体だからといって無茶な行動なんて考えちゃダメ。もしものことがあったら、あなたのお父さんに顔向けができないわ」
愛理の真剣な表情に祐司は落ち込んでしまう。愛理はそんな祐司に再び笑顔を見せた。
「でも、本当にありがとうね。さっきの人にも後で会ったらお礼を言わないと。祐司君のお友達?」
「あんな雪男みたいな友達なんていません。今度会ったら保健所に電話して麻酔銃を持ってきてもらわないと」
愛理は暴走してきた祐司の額を人差し指で弾いて、祐司を諫めた。
すると、突然祐司のポケットが震える。
祐司はスマートフォンを取り出すと、画面を見る。
「ただいま戻りました、祐司殿」
作務衣姿のスレイドがそこにいた。不良グループを追跡して以来の再会だ。
「遅い!スレイドさん、もう少し早く来てくれよ!」
「な、何かあったんですか?」
「お久しぶり、スレイドさん。あなたがいない間に私と祐司君は不良に襲われていたのよ?」
愛理が祐司の背後からのぞき込みながら答えた。
「なんと、それは一生の不覚です!申し訳ありませんでした、てっきり不動殿が一緒かと思われたので。こういうことが無いように今後は特訓をより励んでいきましょう」
相手にビビって修行の成果なんて少しも発揮できなかったなどとは言わないようにしよう。祐司は堅く心の中で誓った。
「とりあえず、皆様に報告があります。一度、不動殿やゼロア殿と合流しましょう」
祐司は頷くと、ポケットに再びスマートフォンを入れた。その時、隣のポケットに砂が流れるような音が響く。祐司が恐る恐る手を入れて、取り出すとそこにはゼロアからもらった機械が跡形も無い砂となってポケットの中に散乱していった。
前回も同じようなことがあった。周りの物体をライナー波に変換して体に吸収、急速に体の補修を行う。特にライナー波に近い存在ほど早く分解される。その力は拓磨よりも優れているという。
助けられたわけだが、ゾッとする力だ。おまけにゼロアにまた新しいのを作ってもらうことをお願いするのはもっとゾッとする。
祐司は諦めると、スレイドの情報を聞きたくて自宅へと急いだ。

同日 午後0時11分 稲歌町東地区 不動家 2階 拓磨の部屋
拓磨は机に向かっていた。目の前に広がるのは南アメリカ大陸の地図、『アンデス山脈付近に生息している動物は何?』という問題に頭を悩ませていた。
唸りながら考える拓磨をベッドの上に置かれた携帯電話からゼロアが眺めている。
「感心したよ、こんな時でも学業はおろそかにしないんだね?」
「こんな時だからだ。まさか、祐司が不良に絡まれているなんて知らなかった。こんなことなら俺も一緒に行くべきだった」
後悔の念を背負いつつ、何もかも投げ飛ばしたいときは一心不乱に何かを行うに限る。たまたま、地理の宿題があったからそれに全力を注いでいたのだ。
「あれは彼がこっちを無視して勝手に行ったんだろ?無理に外に出ないで、ビルの中で私たちを待っていれば良かったんだ。また、君は祐司に過保護になっているよ?スレイドに鍛えられているし、何とか無事だったんだ。それで良いじゃないか?」
「心堂大悟が助けてくれなければ2人とも危なかった。今度は何が何でも俺も付いていく」
「だめだこりゃ…」
ゼロアはため息をつきながら拓磨の心配性に呆れている時、ちょうどドアが開き祐司が入ってきた。手にはカップラーメン両手にカップラーメン、他に右袖に白い袋もぶらさげている。香ばしい油の匂いが部屋に漂い始めた。おそらく鶏の唐揚げだろう。
「やあ、たっくん!今日もモグモグしているかな?」
「祐司、お前本当に大丈夫か?」
祐司のふざけた挨拶を気にも留めず、拓磨は食い気味に尋ねた。祐司は部屋の中央にある丸テーブルに荷物を置くとナイフで無残に破けた服を見せる。
「俺の超回復が無かったら危なかったね。ほんと、あのゴリラには感謝だよ。たまたま、通りがかって良かった」
「そうか…。次からは単独行動は控えてくれ」
「分かってるよ。無事だったんだし良いじゃないか。さあ、スレイドさん!報告を聞かせてくれ。褒美は白木食堂の鶏の唐揚げ、たくさんもらったらじゃんじゃん食べよう!」
どうやら、愛理を送り届けた時にご褒美にもらったらしい。祐司は気分上々で袋の中から唐揚げの入ったパックを取り出すと、すかさず最初の1つを口に放り込んだ。
「では、眠くなる前に報告します。この前の追跡から相手のアジトが分かりました。西地区の住宅街から外れた林の中」
スレイドは自分のスマートフォンの画面に稲歌町の地図と付近の写真を載せて、拓磨達に教えた。古く錆び付いた倉庫の映像が流される。
「錆び付いた倉庫か。使われなくなった倉庫を不良グループが勝手にアジトにしてしまったんだろうね」
ゼロアが自分の見解を述べた。拓磨はそれに同意だった。
「スレイドさん、警察にはこの情報は流してくれました?」
「もちろんです、拓磨殿。ただ、いくつか障害がありまして。まず、倉庫の周辺にはレーザーで標的を自動探知して銃撃する砲台が20台。倉庫の周りをぐるっと囲んでいます」
スレイドは砲台の写真を見せた。雪だるまのような形で、頭の部分に長い砲身が4本束になって取り付けてある。胴体の部分には車のライトのような長方形のガラスから光が放たれている。胴体の部分が左右に動き、周囲の接近者を探知するようだった。
「自動砲台か…。こうなりゃ空から降下するしか無いね。正面から攻め込むのは自殺行為だ」
祐司はカップラーメンのふたを開けると、麺をすすりながら答えた。
「ところが、倉庫の屋根には対空砲が8台設置されていまして、こちらも自動式のようです」
祐司は麺を吹き出してしまった。拓磨と祐司は画面を見て確認する。地面から取られた写真だが、それでも分かるほど空に向けて対空砲が自信満々に自分の存在を誇示していた。
「えっと…、こんな武装していてよく今までバレなかったね?ゲームの要塞でもなかなか見られないほどの充実した武装なんだけど」
祐司の指摘はもっともだった。
こんな大規模な武装しているならもっと早くマスコミなり警察に発見されていてニュースになっているようだ。下手したら報道用のヘリが撃墜されたり、誰かが機関砲の餌食になっていたりしてもおかしくない。
だが、そんなニュースは今まで流れていない。マスコミに報道規制がかかっているのだろうか?
「どうやら、さっきこれを不良グループが準備したそうで。今日の朝までは無かったようなんです」
「はあ!?こんな武装、どうやったら今まで隠し通せるの!?この倉庫は武器庫?それとも4次元空間に通じているの?」
有事の混乱は極まってくる。
「おそらく、ウェブスペースに通じていて、そこから武器が送られているんだろうな。好きなだけ武器を使えるし、弾薬は無限。想像しただけでも恐ろしいな。もしかしたら、核兵器もあるのかもしれない」
祐司は、拓磨の推測に今度はむせてしまう。
「いやいや、たっくん!そりゃダメだって。核兵器とかシャレになってねえから。こいつら、死ぬの怖くないの?」
そう、この不良グループは反撃を恐れていない。普通なら、武器を持ったからと言ってそれを使う人間はそういない。試しに動かしてみたり、触ったりする人はいるかもしれないが社会的に罰せられるのを恐れて放棄するのが一般的な考えだと思う。
ところが、この不良達はまるで狂ったかのように攻撃を行い、武装を愉悦している。たくさんの力を持たされて、優越感に酔っているのだろうか?それとも、別の理由があってこんな行動をしているのか?
「おそらく、ライナー波を浴びせられているのだろう。麻薬を打つのと同じだ。正常な判断なんてできない」
ゼロアが指摘した。拓磨もその考えに納得である。
社会に不満を持つ不良にリベリオスが目を付けライナー波を浴びせ暴走させ、世間を破壊させようとしているのだろう。ただ、それに何の意味があるのかは不明だが。
「ゼロの意見に賛成だ。不良グループは全員ライナー波でおかしくなっている可能性がある。一刻も早く対処が必要だ。もしかしたら、友喜みたいに治療が間に合う奴がいるかもしれない」
「そうなると、不良を捕獲して御神総合病院に送る必要があるね。当然、第3者の協力も必要になってくる」
ゼロアの言葉に拓磨は先月の事件が頭によぎった。
第3者。今まで稲歌町住民の安全を守り、この前ライナー波の被害を受けた友喜の命を救った存在。俺たちとは協力する意思がなく、あくまで独自に稲歌町を救おうとしている。
今回の件も動いているのは間違いない。ここまで騒動が大きくなった以上、何かしら行動を起こしているはずだ。
「とりあえず、不良を捕まえたら救急車を呼べばいいんじゃないの?第3者は御神総合病院と関係があるんでしょ?友喜を治療したのもそこだし。化け物になっていたら、諦めるしかないけど。やっぱり法で裁けるものはそっちで裁いた方が良いと思う」
「その通りです、祐司殿。暴力はあくまで最後の手段。法があるからこそ人々の倫理道徳のバランスが保たれ社会に秩序が生まれ、法で裁かれるからこそ人間として罪を背負えるのです」
そうなると、やはりライナー波は秩序を破壊する存在だと言える。人々を狂わせたり、化け物にしたりするのがその良い例だ。化け物になったら、今の法では裁けない。化け物専用に法を作って対処しない限り無理だ。
拓磨は最近、ニュースをよく見るようになった。ライナー波による現実への被害はすでに誰の目にも見える影響を及ぼしている。マスコミで報道され、ウェブスペースの存在、リベリオスの存在が明るみに出てもおかしくないからだ。そうなれば化け物用の法も作られ、日本全体で対処する動きが出るかもしれないからだ。
ところが、ニュースを見ても全くそんな情報は無い。いつも通り、人や自然の被害によるニュースが流され、テロの情報はあくまで海外ばかり。日本は、比較的安全な国であるということが公共電波で毎日流されている。
どう考えても情報が規制されているとしか思えない。ひょっとしたらリベリオスの影響力は日本の中枢まで侵入しているのかもしれない。奴らの日本での活動基盤はすでに完成済みなのだろうか?
「そして、これは警察無線から拾った情報ですが、警察は近々不良のアジトを急襲するそうです」
「この要塞を?自殺行為だ。近づけば蜂の巣にされるぞ?」
拓磨は、スレイドの報告に笑ってしまった。警察の意図が分からない。直接攻めたら人員を死なせるだけだ。もし、自動砲台を何とかできたとしても武装した不良達が大人しく捕まるとは思わない。激しい抵抗で双方犠牲者が増えるだろう。
「どうやら警察には対処する手段があるそうで。そして、最後に深刻な情報が。警官が人質に取られたようです。おまけに一般人の中学生も一緒に」
拓磨達に緊張が走った。
一般人に被害が出たという話は考えてみれば初めて聞いたかも知れない。最近のニュースでは主に被害を受けているのは警察関係者だったと思う。住民に被害が出ていないことはおかしなことであり、今までが奇跡だったのかもしれない。
「誰なの、スレイドさん?」
祐司はスレイドに尋ねる。
「警察官は稲歌町警察署の冴島<<さえじま>>智之<<ともゆき>>刑事。一般住民は西地区に在住の心堂桜さん。稲歌中学校の生徒だそうです。彼らはパトカーで移動中にさらわれたようで、桜さんを家に送り届ける途中だったようです」
拓磨は、名前を聞いて目を開いた。驚くのも仕方ない、中学生のその名前には聞き覚えがあるし、ついこの前話したばかりだ。
「彼女が!?なんてことだ、この前話したばかりの知り合いだ」
「どういう子なんだい?」
ゼロアが拓磨に興味津々で尋ねる。
「西地区の弁当屋の娘らしい。兄がいて、名前は心堂大悟」
「嘘!?あいつに妹なんていたの!?」
「俺が言うのもなんだが、相当な美少女だ。まあ、一見したら兄妹とはとても思えないだろうな」
祐司の驚く姿を笑っていた拓磨だが、すぐに真剣な表情に戻ると考え始めた。
「彼女がさらわれたのは兄に原因があるかもな」
「確か、心堂大悟は不良と一悶着あったんだよね?高校の体育館への襲撃は彼への報復、今回の誘拐はその繋がりだと考えると説明がつく」
ゼロアは拓磨の言葉を受け、自分の推理を話す。
「でも、今回の事件で一般人が被害を受けたことって初めて聞いた気がするんだよね。ニュース見ていると、亡くなったり怪我をしているのは警察関係の人だった気がするけど」
「祐司、良い指摘だな。情報操作がされている可能性もあるが、ニュースを信じるとすると不良はターゲットを決めている可能性がある。警察関係者、俺たち、そして今回の心堂家だ」
そもそも不良が一般人を巻き込まない事がおかしかったのだ。無差別破壊を行ってもおかしくないのに奴らは標的を決めて行っている。
一般人が被害を受けるのはターゲットと一緒にいる場合だ。さっきの祐司と愛理さんの件がその一例。奴らは祐司を狙ってきて、愛理さんはおそらくそれに巻き込まれただけだ。もし愛理さんが1人で帰って来たなら不良に巻き込まれることも無かったかも知れない。
リベリオスが背後にいるなら、敵対する俺たちを狙うのは納得だ。
不良をライナー波で洗脳しているなら、警察関係者を襲うのも分かる。恨みという意味では逮捕されたり補導されたり、色々とお世話になっているだろう。
だが、心堂家はどうなんだ?
「心堂家が襲われる理由は果たして不良と敵対しただけでしょうか?桜さんは1回誘拐未遂の被害を受けています。拓磨殿によって助かりましたが、一般人で彼らだけが執拗に狙われているのをみるとどうも不自然さを感じます」
スレイドの見解はまさに今回の問題の中心を射ていた。
一般人の中で集中して襲われる家族、何かあるのだろうか?もしかしたら、一般人じゃないのかもしれないな。
「ゼロア、スレイドさん。心堂家について情報を集めてくれないか?もしかしたら、予想外の情報が手に入るかもしれない」
「拓磨達はどうするんだい?」
ゼロアが尋ねてくる。
「警察に協力する。とりあえず、町に出て不良を探す。相手も抵抗してくるだろう。適当にあしらって病院に連絡。第3者は今回の件にも絡んでいるはずだ。御神総合病院に送れば何とかしてくれるだろう。同時に警察に連絡だ」
「でも、たっくんは目立つからすぐ見つかるんじゃないの?」
祐司は痛いところを突いてきた。警察に見つかれば、すぐに家に戻されるだろう。顔がバレれば、それだけで不動ベーカリーに迷惑をかけることになる。
何か変装をしていく必要がある。少なくとも顔だけは隠せるようなものがあれば良いが…何かあったか、そんなもの?
拓磨はベッドの隣に置かれている収納棚の引き出しを開くと、地味な灰色のジャージを取り出した。毎度お馴染み宗教ジャージ、背中に「『神は言った、お金払え』と」と書いてある。着れば誰でもカルト教団の構成員になれる代物だ。
「服は宗教ジャージを着ていこう。目立たない色なら問題ない」
「前から思ったけど、色々あるんだね?そのジャージ」
ゼロアはジャージの種類に感心してしまった。
「さて、問題は顔だ。何か隠せる物があればいいんだが…」
「この家にガスマスクとか無いの?」
「あるわけないだろ?」
祐司の質問をすぐさま却下する。すると、祐司が急に笑顔になり、拓磨の部屋を飛び出し階段を降りていった。1分後、階段を上る音と共にドアが開き祐司が部屋に入ってくる。
手にはウサギの顔が描かれたお面を持っていた。それを見た途端、拓磨の中で嫌な胸騒ぎがした。
「葵が言っていたんだけど、たっくんはこの前お面をかぶって作業をしていたらしいじゃないか~い?」
「まあ、顧客対策だな。女性や子どもを脅かさないように、という店側の勝手な配慮だ」
「そうでしょ~、そうでしょ~!だったら、お面かぶって外に出ればそのアンバランスな迫力に圧倒され、誰もたっくんだと思うことはない!ただの変態に見える!たっくんよ、お前はウサギだ!ウサギになるのだああ!」
酒でも入ったかのようにノリノリの祐司からウサギのお面を受け取った。
言いたいことは分かる。ウサギのお面を付けたカルト教団の構成員、相手からはそう見られるだろう。色々と大切なものが無くなってしまう気がするが、わざわざ仮面を作るわけにもいかないし即席だったらこれで十分なのかもな、そう思う。いや、そうに違いない。
拓磨は無理矢理自分に暗示をかけ、無理矢理納得した。
「ちなみに祐司は何を付けるんだ?」
「俺はリスを付けるよ」
自信満々で茶色のリスのお面を付けた。
「羞恥心って無いのか?」
「ははは、たっくん。恥ずかしい思いをして結果的に事なきを得るんだったら儲けものだろう?それが人の命を助けるものだったらなおさらじゃないか?」
「こういうときのお前は本当に頼もしいな、確かにその通りだ。行くぞ、祐司。可能な限り人の命を助けに行く」
拓磨はカップ麺を一気飲みすると、携帯電話とお面を持ちドアから外に出て行った。祐司も拓磨の後に慌てて付いていく。

第5章「鳥ドクロの恐怖」
同日 稲歌町西地区 午後2時4分 弁当屋『こころ』手前
大悟は大きな体を揺らしながら、ブツブツと文句を言いながら歩き続けていた。
周りの景色がビルから小学校に、そして再び住宅に変わっている。景色は変われど、桜はいない。桜どころか中学生の姿1人いない…当たり前だが。
大悟は一馬の使いパシリをさせられ、周囲の家に食事を届けていた。西地区から一時的な避難者が多かったが、どうしても高齢の人や介護が必要な家族は避難したくてもできない問題があったのだ。弁当屋『こころ』はそういう人たちに食事を届けるなど可能な限り支援を行っていた。
桜が学校に行くときも本来ならば同行したかったが、警官が一緒ということでむりやり納得されられて配達に行かされた。家で帰宅を待っていたがいくら何でも遅すぎたため、自ら学校に向かったのだ。結局、途中でオタクを助けた以外、特に収穫は無かった。
あの馬鹿、どこほっつき歩いているんだ?まさか、警官もろとも迷子とかそういう話じゃ無いよな?
歩き疲れた大悟が道の先を見つめると、パトカーが実家の前に止まっていた。ただでさえ、狭い道がさらに狭く見える。
「…泥棒にでも入られたか?」
大悟は心に思ったことをそのまま呟くと、ゆっくりと入り口に近づき中をのぞき込む。
目の前に何も入っていないショーケース。その奥には電気が点いたキッチンが広がっている。警察官の姿も家族の姿も見当たらない。
大悟はショーケースの隣を通り、キッチンに入っていくとそのまま反転し2階への階段を上がろうとした。
「まったく…外出禁止令が発動されているんだぞ?」
「!?あ、新井のおっさん!?」
突如、階段の中腹に防弾チョッキを着こんだ新井が腕を組みながら仁王立ちして大悟を待ち構えていた。大悟は露骨に嫌な顔をすると、視線をそらす。
「何で新井刑事がここにいるんだよ?警官は今、不良の逮捕で忙しいんじゃねえのか?俺たちに構っている暇なんて無いだろ?」
「本当はそうしたいんだがなあ…そうも言ってられなくなったんだよ。ちょっと、来い。親父さんと一緒に話を聞いてもらいたい」
新井刑事は指を動かし、大悟を2階へ来るように指示する。大悟は観念したように靴を脱ぐと渋々彼の後について、階段を上がっていく。
3人程ほど警官が慌ただしく動いていて、外部と連絡を取って何やら話しているのが見えたが全く気にする余裕が大悟には無かった。
父親である一馬が無表情のまま、床に座りながら腕を組み目の前の電話機を眺めていた。表情は凍ったように固まっていたが、目はギラギラと輝き、周囲を威圧しているかのようだった。
「お、親父?一体、何が…」
「大悟、とりあえず座れ。そして刑事さんの話を良く聞け、最後までな」
一馬は念を押したように付け加える。何が何だか分からない大悟は父親の言葉に従うと彼の隣に座りテーブルを挟んで新井刑事と向かいあう。
「さてと、色々話さなければいけないことがあるが時間も無いし単刀直入に話そう。お前の妹の心堂桜さんは、誘拐された」
「……………はあ?」
大悟は口をポカンと開き、空気が抜けたように声を漏らす。
桜が誘拐?冗談にしては笑えないな。
「彼女は家から学校までの通学路の途中で誘拐されたそうだ。今、こちらは彼女が学校を出た時間から誘拐場所を特定し…」
「待て待て待て!あのなあ、新井のおっさん。桜が誘拐されるわけないだろ?だって、あいつは警官と一緒に行動していたんだぞ?あいつだけならまだしも、警官が一緒なら守ってくれて攫うどころじゃないだろ?」
新井は真剣に目を見つめて訴えてくる大悟から視線をそらすと俯いた。その時、大悟の中で警察という組織に対する信頼に大きなヒビが入ったような気がした。
「…その警官も一緒にさらわれた」
「…何だって?警官もさらわれた?その警官は一体何をやってたんだ?寝ていたんじゃねえだろうな!!」
大悟の怒りは激しく波打ち、怒号となって周囲に飛び散った。
「落ち着け、大悟」
一馬は目線を新井に向けたまま、サラリと言い放った。大悟はまだ吐き出し足りないようで肩を震わせていたが、目の前のテーブルに荒々しくヒジを叩きつけ、そのまま頬杖にして新井を見ずにそっぽを向く。
「それで…犯人から何か要求は?」
一馬は新井に尋ねる。心堂家には何も連絡が来ていないのだ。そうなると、警察に何らかの要求が突きつけられているのかもしれない。
一馬は情報を聞くため、新井にさらに問いをぶつけることにした。
「犯人の目的は何ですか?うちはただの弁当屋です。身代金を頂く相手としては不釣り合いだ」
「捜査中です。相手は巡回中のパトカーを奪って、桜さんと我々の所の刑事を誘拐した模様です。おそらく、最初から2人を狙うためにパトカーを奪ったと推測されます」
「確か、警官を殺してその服を着て変装していたんでしたね?」
一馬の言葉に大悟は視線を新井に向ける。
警官を殺しただと?桜は殺人犯に攫われたのか?
どうしようもなく不安な胸騒ぎが大悟の中で音を立て始めていた。
「何か…思い当たる節はありませんか?」
新井は、一馬をじっと見つめながら再び尋ねる。一馬はその視線に目をそらすと、ため息を吐く。そして、新井に言葉を投げかけた。
「新井刑事さん。言いたいことは言ってくれて構いません。こいつもそんなガキじゃない」
「では、遠慮無く。我々は今回の事件は『報復』であると考えています」
「『報復』?誰へのだよ?」
大悟は聞き返した。すると、新井は呆れたように大悟を見つめる。その瞬間、大悟は新井が何を言おうとしているのか分かってしまった。
「まさか…俺への復讐か?」
「そうだ」
一馬は答える。
「ちょっと待て…、まさか警官殺して桜を誘拐したのはあの不良連中か!?」
「信じられないことにな」
一馬の吐き捨てるような言葉に大悟はすぐさま立ち上がると、階段に向かおうとした。
「どこへ行く!?」
「決まってんだろ、親父。あいつら、全員ぶちのめしにだ!色々我慢してきたが、こっちはもう勘弁しねえ…!そっちがその気で来るんだったらこっちも相応の対応をさせてもらおうじゃねえか!」
一馬はすかさず立ち上がると、階段を降りようとする大悟の服を掴み、強引に引き戻す。無表情で大悟を見上げたがその迫力は怒り心頭の彼の行動を思いとどまらせるほどの物だった。
「お前は警察の前で犯罪宣言するほど、馬鹿になったのか?」
「馬鹿にでも何でもなってやる、桜を助けるためならな!」
「お前のそういう態度が、桜を危険な目に遭わせる要因になったのかもしれないんだぞ?」
「じゃあ親父は黙ってあいつらに頭下げたり、『どうぞ、ぶっ飛ばして下さい』ってストレス解消道具にされるのが正解だったって言いたいのかよ!?この前、俺に言ったことは嘘だったのか!?」
警察そっちのけで喧嘩を始める2人に新井が慌てて止めに入る。
「止めろ!とにかく座ってこっちの質問に答えてくれ」
「質問に答えたら桜は助かるのか?」
大悟は睨みつけるように新井を見下ろした。獲物を狩ろうとする獣のような眼光である。
「ああ、必ずだ。警察を信じろ」
「……どうだかな」
大悟は悪態を吐くと、先ほどの席に倒れ込むように座る。全員着席し、最初の配置に戻った。
「あの不良と関わったのはここ最近か?」
「本格的にやりあったのはそこの公園での一件が最初だ。それから、学校の体育館が2度目で…ついさっきも不良に絡まれてた学校の生徒を助けた」
「はあ…目を付けられるには十分だな。それ以外に何か揉めごとは?」
「家に来る途中で、人を助けた以外はやってない」
大悟はすねたように言い放つ。新井は視線を一馬に移す。
「一馬さんは何か不良と関わりは?」
「無い。こっちから願い下げですな」
その後、目の前の親子を交互に見た新井はゆっくりと立ち上がる。
「ご協力ありがとうございました。先ほどの息子さんの言動は聞かなかったことにします。くれぐれも外に出ないように、余計なもめ事は増やさないようにお願い致します。また、何かご連絡をするかと思いますのでその時はご協力をお願いいたします。犯人から何か連絡があったら、すぐにご連絡下さい。警官を1人、家の前に残していきますので。それでは」
新井と2名の警官は階段を降りると音を立てて、大悟の視界から消えていった。
一馬と大悟は互いに顔を合わさないまま、沈黙を守っていた。
「親父、本当に桜は大丈夫なんだろうな?」
警察を信用していないわけじゃない。ただ、漠然とした不安から疑問がこぼれたのだ。警官殺しなんてどう考えても不良にしてはやり過ぎである。何となく、得体の知れない相手と関わってしまったことに大悟は罪悪感を感じていた。
これでもし妹に何かあったら…悔やんでも悔やみきれない。
一馬は目を閉じたまま、腕組みを続けていた。大悟の質問にも答えず、何かを考えているように石みたいに固まっている。
「なあ…本当に桜は…」
「…ったく、お前は桜のことばかりだな?」
一馬は突然笑みを浮かべると大悟をおちょくった。
「妹のことを考えない兄がどこにいるんだよ?ただでさえ、俺のせいで巻き込まれたんだぞ?けど…俺は自分のやったことを後悔してない」
「なるほど…。お前も少しは自分で自分の行動を決められるようになったか。まあ、悪くない進歩だ」
そして、深く深呼吸すると一馬はゆっくりと目を開け前を見た。
「まあ、無理だろうな」
「あっ?突然どうしたんだ、親父。何が無理なんだ?」
「警察が不良を逮捕して事件を解決するのは無理ということだ。今の状況は圧倒的に警察が不利だ。戦力差も圧倒的に不良が勝ってる」
「不良が勝ってる?警察は武装しているんだぞ?」
大悟は一馬の考えが信じられず聞き返した。
「不良の武装は、おそらく地球上の軍隊全ての武装を足しても勝てないほど充実している。何せあらゆることを可能にする無限の力が背後にあるからな」
「……親父、急にどうした?娘を誘拐されて頭のネジが吹っ飛んだか?」
さすがに大悟は、急に変なことを言いだした父親を心配してしまった。
「まあ、そろそろお前には本当のことを教えても良いかもな。ちょっと待ってろ」
一馬は立ち上がると部屋を横切り、奥の廊下へと消えていった。10分後、戻ってきた彼は直方体型の茶色い箱を両手で担いでいた。そのままテーブルの上に置き、上のふたを開ける。
中に入っていたのは、ジャージ上下一式、黒い光沢のある顔を隠すためのマスク、そして数枚の写真だった。
ラインナップを見ても、大悟には何のために使ったのかサッパリ分からなかった。
「何だ…これ?親父の学生時代の服?覆面レスラーでもやっていたのか?」
真っ黒なマスクを掴もうとした大悟の手を目の前の一馬は引っぱたく。
「まず最初にお前に言っておくことがある」
「……何だよ、改まって」
「俺は、宇宙人だ」
突如、父から告げられた衝撃の告白。しかし、衝撃が強すぎて大悟にはギャグにしか聞こえなかった。ただでさえ、妹を誘拐されて気が立っている彼にとってギャグなど気に触って仕方の無い行為だった。
「あのなあ…桜が攫われたんだぞ!?ふざけている場合じゃねえだろ!」
「こんなふざけたことをふざけて言うわけないだろ?これは本当のことだ」
大悟は怒り心頭で父親を睨んだが、本人はふざけた笑み1つ見せず真顔で大悟を見つめていた。
親父が宇宙人?そんな馬鹿なこと信じられると思っているのか?
大悟は馬鹿馬鹿しくなって体勢を崩すと軽蔑するかのように一馬を見つめた。
「じゃあ、俺も宇宙人ってことだよな?親父の息子なんだから」
「ああ、そうなるな。俺はフォインという惑星からやってきた」
「フォイン?どこにある星だ?」
「別の星系にある惑星だ。そこには、この地球には無い理解を超えた超エネルギーの恩恵を受け、発展して…最後はそれによって滅びた。それがライナー波だ。様々な法則を無視し、因果関係を破壊し、そしてあらゆる物事を可能にする力。俺たちにとって希望であり絶望の象徴だ」
よくもまあ…ここまでデタラメをベラベラ喋れるものだ。
妄言も言い続ければその想像力に感心してしまう。何事も捉え方によって意味が変わることを大悟は学んでしまった。
惑星フォインだとかライナー波だとかそんなことはどうでも良い。俺は桜の身の安全のほうが余程気になるし心配だ。
「親父、悪いが変な戯れ言に付き合っている暇は無いんだ。俺はすぐにでも桜を助けに行きたい。悪いが行かせてもらうぞ?」
「お前は俺の話を妄言だと思っているみたいだが、お前は自分自身の異常さに気づいてないのか?それこそ、お前が普通の人間じゃないという何よりの証拠だ」
立ち上がる大悟が停止する。一馬は大悟を見上げながら、肌をえぐるような鋭い眼差しを向けていた。
「俺が異常?いつものことだろ?何を今さら…」
「お前が外に出て暴れ回れば不良なんぞ何人かかってきても相手にならないだろう。だが、それをやる前に知らなければいけないことがあるんだ。今は黙って座って話を聞け」
大悟は一馬の言葉に耳を疑った。親父は俺に外で不良相手に暴れて欲しいのか?
普段ならそんなこと言うはずの無い父から出る違和感しか無い言葉に大悟は尋ねることもできず、とりあえず元の位置に座った。
「まずは俺が宇宙人であることを証明しよう」
一馬は、箱の中に手を入れると写真を取り出す。
最初に一馬が見せた写真は集合写真であった。中華服に似たものを着た背の高い厳めしい顔つきの白髪混じりの老人、その左側には大悟によく似た筋骨隆々の青年、そして2人の真ん中には青年の半分くらいの背しかないフードをかぶった男の子がこちらを睨んでいた。
写真の背後は空のような真っ青な樹木に囲まれており、何本か木が根元から倒れていた。どうやら、森の中で撮られた写真らしい。
「合成写真?まさか遠足の集合写真じゃないよな?こんな青い木見たことねえぞ?」
「そりゃそうだ。こんな青い木、地球上には存在しない。これはフォインで撮られた写真だ。右側の白髪のお方が、俺の武術の師匠シヴァ・シンドー。左側が俺、真ん中にいる男の子がザイオンという。武術の稽古の最中に通りすがりの旅人に写真を撮ってもらった記念の1枚だ」
大悟は黙って写真を見つめていた。
確かにこの写真が本当なら親父はもしかしたら…。
大悟の揺れ動く心を見計らって一馬は2枚目の写真を見せる。
そこには体から10本ほどの触手が生えた頭の無い人型の何かが写っていた。皮膚はドロドロに溶けていて不気味な光沢があり、足は靴を内側から突き破るくらい肥大化していた。
「おい、気持ち悪い写真を急に出すなよ!」
「これはフォインの人間だ。ライナー波に限界を超えるほど汚染されるとこうなる」
「えっ?これ、本物の人間?冗談きついぜ。どうせCGとかなんだろ?」
「俺もそうあって欲しいと何度思ったことか…」
一馬は、うなだれたように目の前の写真を見つめる。大悟は不気味に思いつつも見つめていた。これがもし、本当に目の前に現れたら心臓が口から飛び出そうなほどの衝撃だな。
冗談……だよな?
「なあ、親父。もし、宇宙人だというなら俺たちが逆立ちしても敵わないような発明品とかあるよな?例えばタイムマシンとか、空飛ぶ車とか、どこにでも行けるドアとか?」
「そういうのは無いが、これならどうだ?」
大悟の質問に答えるかのように一馬は箱の中から黒いマスクを取り出した。
それに一馬が指で触れるとマスクが一瞬光り、剣道の面が現れた。
大悟が口を開けて、目の前で起きた現象を信じられないでいる。
「ま、マジックか?手品の一種とか?」
「いや、これは俺の知り合いが最近開発した変装用のマスクらしくてな、マスクに触れて形を想像するとその信号を読み取って、マスクがその形の映像を映し出すというものらしい。いやはや、技術の進歩とは恐ろしいな」
一馬は大悟に剣道の面を渡す。大悟が触れてみると、堅いはずの面がグニャリと変形して歪んだ。実際にマスクが変わったわけではなく、あくまで剣道の面の映像をマスクの表面にまとっているようだった。それでもすごいとしか言えないが。
技術には全くの無知である大悟も、このマスクがとんでもない産物であることは容易に想像できた。
「親父。こんな超技術、誰が作ったんだ?これ売れば大儲けできるだろ?」
「金は腐るほどあるから、売るつもりはサラサラ無いみたいだ」
大悟は一馬の交友関係がますます分からなくなってきた。そして、なぜか父親が宇宙人であることを信じてしまいそうになっていた。
「どうだ?ちょっとは信じたか?」
逆に教えて欲しい。これでどうやって疑えというんだ?
大悟は心の中でツッコミを入れつつも、観念したように頭を横に振った。
「まあ…これだけ見せられたら信じるしかねえだろ?なあ、そもそも何で地球に来たんだ?」
「そうだな…リベリオスという組織が地球侵略を企んでいたからその野望を潰しにきた。まあ、簡単に言うとこうなるな」
「リベリオスって…いわゆる悪の組織みたいなものか?」
小学生並みの知識で大悟は尋ねる。
「いや、それよりテロリストって言った方が良いな」
「どう考えても悪の組織じゃねえか!!」
サラリと言う一馬のセリフを大悟は勢いよく撃墜した。
一馬は、軽く笑みを浮かべるとさらに口を開いた。
「1度は俺たちが撃退したが、最近力を付けてまた地上を襲っている。懲りずによくやるもんだ、そう思わないか?」
「いや、俺はそもそもリベリオスとか知らねえから…。それよりテロリスト相手にどうやって戦ったんだよ?銃とかで武装していたんだろ?」
「…生身で肉弾戦に決まっているだろ?銃弾を避けながら突撃して、100倍近くでかい敵の戦闘兵器と殴り合いをしていたんだ」
一馬の説明を聞いていると大悟はふと思った。
俺の知っている宇宙人のイメージとだいぶ違う。宇宙人ってレーザー銃とかUFOとかに乗って人を攫ったりしているんじゃなかったっけ?
いや、そもそもそんな俺の認識が間違っていたのかもしれない。宇宙人というのは、本当は親父の話みたいなマンガの中から飛び出してきた奴らなのかも…。
「誰にそんな馬鹿みたいな武術を習ったんだよ?弾丸避けたり、敵兵器をぶっ飛ばしたり…」
「俺の師だ。シヴァ・シンドー。惑星フォインにおける伝説の1人だ。半世紀近い歳月を費やし、編み出した『風牙(ふうが)』の開祖だ」
「『風牙』?」
大悟はその言葉を聞いた瞬間、頭を悩ませた。今まで一度も使ったことの無い言葉だ。だが、なぜかその言葉を知っていた。
すると、一馬がアゴを使って大悟の左側の壁を指した。
大悟がそれにつられて壁を見ると悩んでいた答えが一瞬で解けた。
目の前の掛け軸に堂々と『風牙』と書かれているのだ。普段から知っているのは当たり前だった。
「地球と惑星フォインは非常に似ているようだ。文化もそうだが、言葉に関してもかなり酷似している。簡単な翻訳機があれば日常会話はすぐ話せるようになる。特に文字に関しては驚いたな。例えばこの『風牙』とはまさにシヴァ・シンドーが生み出した武術そのものを表しているのだから」
風の牙…?風を使って何かするのだろうか?
大悟はボンヤリと父親の武術について想像していた。そんな彼を放って置いて、一馬は立ち上がると壁に掛けられた掛け軸を取り外し裏面を天井に向けテーブルの上に置く。
そこには掛け軸の裏一面に白い紙が貼られていた。
「大悟。お前、絵に興味は?」
「マンガは好きだな、あとは知らね」
大悟はすぐさま否定する。
「ははは、俺もだ。だが、そんな俺でもこれを見た時目を離すことは出来なかった。『心を奪われる』とはこういうことを言うんだなってよく分かったよ」
一馬は感想と共にゆっくりと紙を剥がした。
最初は何の興味も無く剥がされた部分を見ていた大悟だったが、突如現れた存在に視点が固まり徐々に見開いていく。
そこには奇妙な存在が2体存在していた。
左側に描かれていたのは空を飛ぶ白い鳥である。その目は黄金のように金色に輝いていた。しなやかな触角が2本頭部から生えており、そのまま背筋まで垂れている。見たことも無いようなほどの胸の筋肉と強靱な翼で風を掴み、普通の鳥の倍以上もある両足で空気を踏みつけているような印象だった。そして地面目がけて白いくちばしを開き、威嚇をしている。
そして右側に描かれていたのは白骨化した腕が生えた鳥の……ような生き物であった。昔話で出てくるカラス天狗に姿は似ている。細かい部分はだいぶ違ったが。
傷だらけの巨大な黒い翼、茶色い羽毛で全身を覆われ、胸周りには骨が皮膚を突き破って隆起している。首元だけ黄色い襟巻きのように羽毛の色が異なっている。そして人間のように腕が生えている。指も5本あり、骨であることを除けば間違いなく人間のものだった。足は白い鳥以上に太くたくましく描かれ、そのまま大地を走り出しそうな雰囲気である。そして、何より奇妙だったのが頭部である。人間とは異なり、長いくちばしが印象的な鳥の頭部だが見事なまでにドクロと化していた。両目は暗闇となっており、見つめることをためらう絶望が潜んでいそうだった。奇妙な鳥のドクロの生き物は空目がけて口を開き、威嚇している。
よく見ると、この2体の鳥、互いに敵意剥き出しで戦っているように見える。お互いに威嚇し合い、殺し合っているように思えてしまう。目の前の存在がいること自体が我慢ならないような状態に大悟は感じ取れた。
大悟は謎の2体の生き物をしばらく声を出さず、眺めていった。
「感想は?」
一馬はじっと眺める大悟に感想を求めた。
「…何だ、この絵?」
それしか言いようが無い。言葉では上手く表すことはできず、ただ目の前の絵に言葉を奪われてしまっている。だが、今までにないほど大悟は目の前の2体の生き物に心惹き付けられていた。
「実に素直な感想だ。まず、左側の白い鳥は『王の鳥(おうのとり)』と呼ばれている。惑星フォインでは王者の下に舞い降りるという伝承があって、この鳥に気に入られたものは全ての戦いにおいて勝利を収める絶対王者になれるという」
「この鳥に気に入られて宝くじを買えば、絶対に1等が当たって札束で人の顔引っぱたいて生活できる人生の勝者になれるのか?」
ファンタジー溢れるおとぎ話に大悟は現実感満点のセンスの無い話をぶち込んだ。
「もう少しロマンのある例えはできないのか、大悟?」
「親父の息子だから無理に決まってるだろ?それで、勝ち組の鳥は良しとして右側の夢に出てきそうな鳥のお化けは一体何だ?左が勝ち組ならこれは『負け組』か?」
一馬は大悟の問いに呆れると口を開いた。
「それは『死の鳥(しのとり)』と呼ばれている」
「えっ?これ、鳥なのか?腕生えているんだけど。おまけに頭がドクロだし」
「フォインの伝承ではこの怪鳥を見たものはその日に死ぬと言われている。まあ、この姿ならそれも納得だ。悪夢に出てきそうだからな」
大悟はじっと死の鳥を眺めていた。確かに一見したら、目を背けたくなるような姿である。しかし、不思議と何度も見てしまうような魅力があるように大悟は感じた。
「で、この絵はそもそも何だ?」
「この2羽は『風牙殺人拳』を象徴する鳥だ。すなわち、必ず戦いに勝利し」
一馬は左の『王の鳥』を指さす。あらゆる戦いを勝利に導く鳥。
「そして相手に死を与える。『相手に勝ち、相手に死を』。これが最初に俺が教わった『風牙』という流派の根本だ」
そのまま一馬は右側の『死の鳥』に指を移す。現れたとき、見た者を死に至らしめるという恐怖の怪鳥。
なるほど、鳥が2羽揃って初めて『殺人拳』というわけだ。
「つまらねえ心得だな。人を殺すかどうかなんて本人のさじ加減だろ?教えだか何だか知らねえが、殺せと教わったから殺すなんてただの操り人形じゃねえか。俺はそんな教えを好きになれねえな。最終的に判断するのは自分自身だろ?少なくとも、それならどんな判断を下しても自分の意思ってことで納得できるからな」
話を鼻で笑う大悟を一馬は小さく笑っていた。
「良い答えだ。俺の師匠が教えたかったのは、あくまで武術は暴力であることだ。人を傷つける可能性がある以上、殺人の可能性もある。この考えを忘れないようにして、これより先は自分で考えて行動するようにと自立を促したと今になって思う。あえて『殺人拳』という名前にしたのもいたずらに人に危害を加えないように扱う人の心の戒めにするためだと俺は思ったけどな」
「ナイフを使うとき、『人殺しの道具』と言われると途端に怖くなって扱う気が失せるみたいなもんか?」
大悟の例えに一馬は笑い出す。
「ははは、まあそうだな。結局、お前の言葉はあってる。最後に決めるのは自分自身だ。むしろ、そうでなくてはならないというのが師匠の言いたかったことなんだと思う」
「一度会ってみたいもんだな、親父の師匠に。『風牙』という流派もどんなものなのか見たくなってきた」
話すことを話して一息吐いた一馬は改めて大悟を見た。
「さてと、話を本題に戻そう。お前はこれからどうしたい、大悟?」
「桜を助けたい、それから警官の人もだ。これ以上、あいつらの好きなようにはさせねえ」
怒りがこもった拓磨の言葉に一馬は冷めた表情を見せる。
「もし、どちらかを優先しなくてはいけないときはどっちを助ける?」
一馬の言葉に大悟は口を開いたが、『桜だ』という言葉を喉の奥から出さないように引っ込めた。
大悟は深呼吸すると、可能な限り冷静になるように努力し、口を開いた。
「『怪我している方を優先』。これで良いか?」
「よろしい。分かっていることだが、これは本来やってはいけないことだ。不良グループだけではなく、警察にも対処しなくてはいけない。捕まったら一生刑務所、絶対に見つかるな」
「それだけなら余裕だな」
「あと、間違って殺すのも駄目だ。全員生きたまま警察に引き渡せるようにしろ。それにはこれを使え」
一馬は箱の中からピラミッドのような3つの棘が付いたメリケンサックを大悟に渡す。
「何だこれ?」
「棘に触るな、その棘の中は空洞になっていて特殊な麻酔薬が入っている。体内に入った瞬間、その場で爆睡。1時間は起きないだろう。薬は体内で分解されて消え、証拠はほとんどゼロだ」
「これ付けて相手を殴ればいいわけか?はあ~、恐ろしい代物だな。これも親父の知り合いが作ったのか?」
「ああ。薬は100人分らしい。無駄使いはするなよ?」
大悟はメリケンサックをテーブルの上に置くと、父親を見る。
「親父は俺が行くことに反対しないのか?」
「お前が自分の意思で決めたことだろ?反対したって勝手に向かいそうだ。それに負けると分かっている勝負を放っておくのは嫌いなんだ。本当は俺が行きたいが、今後のためを考えるとお前に頼むしかない」
「何言っているんだ、俺が行くのは今回だけだぞ?フォインとかいう惑星のことにも、テロリストのことにも興味はねえ。俺は桜を助けたいだけだ」
「まあ…俺もそう願いたい。それから、このマスクもかぶっていけ。顔を見られないようにな」
一馬は大悟に黒いマスクを渡す。
「そういえば、顔は何に化けたら良い?」
「出来るだけ人の形をしていないものが良い。輪郭で識別されるのは駄目だ。相手が見た時、印象に残ってお前だと分からなければ何でも良い。まあ、変人だと思われるようにすればいい」
大悟は一馬のアドバイスを元に頭の中で色々と案を考え始めたが、アイデアが枯渇している大悟にそんなことはとてもではないが無理だった。
しばらくすると、辺りを見渡し何か適当に参考となるものを探していた。すると、先ほど一馬に説明された絵に目が留まる。
「…鳥のドクロをかぶっていたら相手もビビるよな?油断するだろうし、俺だと気づくこともないかも」
「まあ、少なくともまともな人間だと思われないだろうな。しかし、よりにもよって『死の鳥』に化けるか…」
「相手は殺さないから安心しろよ」
大悟の触れていた黒いマスクは途端に白骨化した鳥の頭部に変わった。大悟はそれをかぶると部屋を出て行く。10分後、真っ黒なジャージを上下に着て、両手も真っ黒なグローブで固めた鳥のお化けが現れた。気絶用のメリケンサックは拳銃を入れるホルスターのようにベルト部分に引っかけてすぐに取り出せるようにしてある。
「よう、おや…ん!?」
普段の大悟の低音ボイスをさらに低くした獣の呻り声のような自分の声に驚き大悟はマスクを外した。
「これ、声も変わるのかよ!?」
「変装用の道具だからな、声も変えなきゃマズいだろ?」
見た目はただのマスクなのにとんでもない技術だ。やっぱり特許取れば大金持ちになれるんじゃねえか?パーティグッズとしてなら大いに売れそうな気がする。
一馬は立ち上がると大悟を姿を一回りして確認する。
「よし、これならお前だとバレないだろう。誘拐目的の人質事件のタイムリミットは基本的に72時間と言われている。早ければ早い程、生存率が上がる。大悟、明日の夜明けまでに事件を片付けるぞ」
大悟はマスク越しに時計を見た。不思議なことに視界がはっきりとしていて、マスクを付けている感覚はほとんど無かった。
時計は午後4時近くになっていた。となると、あと半日ちょっとで不良を全員ぶちのめして、人質を救出して、夜食を食べて、仮眠するわけか。まあ、何とかなるだろ。
「親父、人質の場所は自分で調べるんだよな?まず何からすれば良い?」
「…そうだな、とりあえず不良の連中に聞くのが1番手っ取り早いだろう。監禁場所を聞いて、そこに乗り込んで救出。警察の動きも把握しなきゃいけないが、それは俺が何とかする。何でも出来る万能の知り合いに聞いてみるさ」
宇宙人の知り合いは、やっぱり宇宙人か?
大悟は一馬の知り合いの姿がとても見たくなっていた。
「それから、連絡用にこの携帯電話を持っていけ。俺だけに繋がる専用電話だ。電話ボタンを押せば繋がる。あと、念のため小銭も」
一馬が渡したのはこの前、自分が公園で拾った黄色い携帯電話だった。それと10円玉が数枚。
「おい、この携帯、親父の物だったのか!?」
「まあ…後になって思い出した。ちょっと前に公園付近で携帯電話を無くしたんだ。お前が見つけてくれて助かったよ」
当然のように嘘をつくと、一馬は大悟に携帯電話を渡す。大悟は携帯電話を見つめると、そのままジャージのポケットに入れる。
「とりあえず言っておく、気をつけろよ」
一馬のかけた言葉に思わず、大悟は親父の目を見つめた。他人に心配された事って生まれてから初めてじゃないだろうか?
「安心しろ、かすり傷1つ受けずに戻ってくる」
大悟はにこやかに笑うと、父親の心配に応えようとしたが現実はそんなに甘くは無かった。
「お前の心配はしていない。桜と冴島刑事のことだ。割れ物を扱う以上に2人の身の安全を最優先に考えろ」
「あ~はいはい、分かりましたよ。冷てえ親父…」
鳥のドクロは悪態を吐くと、履き慣れた靴を片手に廊下へと歩いて行く。そして左側に曲がると廊下突き当たりにある窓を開き、2階から家の裏道に飛び降りる。
そのまま塀を乗り越えて、隣の民家へと消えていく大悟を一馬は窓から見下ろしていた。
「マスター、どうか大悟をよろしくお願いします」
大悟が完全に消えたのを見計らって一馬は思いを呟くと、自分は携帯電話を片手に電話を開始した。
心堂家独断による不良狩り兼救出作戦はこうして幕を開けたのである。

同日 午後4時15分 稲歌町西地区 大悟側
稲歌町に再び夜がやってこようとしていた。だが、訪れるのはパトカーのサイレンと車やバイクの排気音で騒々しく脚色された物騒な闇の世界である。
大悟は、通りに出ないようにして民家の間を駆け抜けながら、周辺の音に注意して移動していた。
赤い2階建ての住宅の敷地に侵入し、丁寧に刈りそろえられた芝生に着地したときだった。ポケットの携帯電話が振動する。大悟は周囲に人がいないことを確認すると、家の影に隠れ耳に携帯電話を当てる。
「首尾はどうだ、大悟?」
「とりあえず今のところ、誰にも会ってねえ。通りを離れて移動しているがどの家も人がいない。西地区の連中はほとんど稲歌町から消えたみたいだ、もしくは家の中に閉じこもっている。おかげでこうして忍び込めているから、ラッキーだな」
大悟の報告に一馬は笑う。
「早速、便利な知り合いから情報が手に入った。そこから2キロ南の公園で不良が1人、警官3人と拳銃を撃ち合って交戦中らしい。すでに警官1人が負傷、犯人は逃走中で幸運にも北に向かっている。つまり、お前の方に来ているってことだ」
「了解。早速挨拶に行ってみるとするか」
「くれぐれも警察とは関わるなよ。携帯電話に大まかな相手の位置が表示されるはずだ。それを頼りに進め」
大悟は電話を切ると、携帯電話の液晶画面を眺めた。矢印とその下にメートル表示で距離が示されている。
折りたたみ式の携帯なのにずいぶん高性能だな。相手の不良の位置も分かるなんて、最近の携帯はみんなこうなのか?
大悟は携帯電話を片手に次々と塀を乗り越え、侵入を繰り返していく。
しばらくすると、大人の怒号と発砲音と笑い声が聞こえてきた。
「ははは!うぜえんだよ!とっとと死ねよ、サツが!」
「銃を撃つな!大人しく投降しろ!」
「やなこった!」
大悟は近くのブロック塀から少し顔を出すと声の方を覗く。
1階建ての平屋建ての住宅。敷地の半分は車を停車するための車庫と草が生い茂る庭となっており、赤いドクロジャージがトレードマークの高校生くらいの男子が家の影に隠れて、道路側から近づこうとしている警察に笑顔で拳銃を発砲し続けていた。弾はアスファルトやコンクリートに当たり、傷跡を生み出している。しばらくすると、弾が無くなったようで、腰から缶を取り出すと、飛び出していたピンを引き抜き、道路側に投げる。
空気が抜けるような音と共に缶から白い煙が発せられ、警官が苦しむような声が聞こえる。どうやら煙のせいで動けないようだった。
「はっはっは、あばよ!ポリ公!」
不良は嘲りながら隣の住宅へと逃げようと走ってきた、大悟が潜んでいる敷地へと。
ブロック塀をよじ登り、不良が最初に見た光景は、こちらを見上げている全身真っ黒なジャージで頭が鳥のドクロ、奇妙で巨大な存在だった。
不良が現実を理解するよりも早く、大悟は一気に足を踏み込み男の首を掴むとこちら側の敷地に引きずり落とした。
不良は恐怖で顔を強ばらせ、いるはずのない助けを呼ぼうと声をあげようとしたが大悟に右手で首を絞められ、左手で口を押さえられたせいで声を上げたくても上げられなかった。
「よお、お疲れ。ずいぶん派手にやっているみたいじゃねえか?俺も混ぜてくれよ」
「な……なんだ…よ、お前!」
何とか声を絞り出した不良は、目の前の化け物から逃げたくて足をばたつかせたが、大悟は無問題で話を続けた。
「お前等の同類だよ。聞きたいことは1つだ。人質の場所は?」
「だ、誰が言うかよ…!」
「ほ~?じゃあ、お前は用済みだ。他の奴を探す」
大悟は右手の力を強め、首をへし折るような恐怖を与えた。不良は慌てて大悟の右手を叩き、ギブアップする。
「げほっ、げほっ!小学校南西の倉庫…!」
「…嘘だったらまた来るからな?」
大悟は右手を自由にして、腰のメリケンサックを握り締めると不良の首筋目がけて拳を叩き込む。不良の体は一瞬痙攣し、すぐに動かなくなった。どうやら、薬が上手く効いたらしい。凄まじい即効性である。
大悟は不良をその場に放置すると、その場から逃走する。10軒ほど離れると、大悟は家の影に隠れ電話を取りだし一馬に連絡する。
「親父、桜たちの場所が分かったぞ」
「どこだ?」
「小学校南西の倉庫だ。今からそこに向かう」
簡単に場所が分かってしまった。大悟の心が少し楽になる。
だが、それを一馬が打ち砕いた。
「それは嘘だな」
「はあ?嘘?」
即座に返答してきた一馬に大悟は聞き返す。
まさか、さっきの奴が俺に嘘を教えたということか?
「おそらく、お前が尋問した相手は本当のことを言ったんだろう。だが、それは嘘の情報だ」
「全然分からねえ、分かるように説明してくれ」
大悟の対しては小学生に説明するような分かりやすさが求められるため、一馬はため息をつくと渋々切り出した。
「お前が不良グループのリーダーだとしよう。自分たちの居場所や人質の情報、そんな重要な情報を部下に伝えるか?」
「…いや、できれば伝えたくないな。部下が警察に問い詰められて、情報が漏れれば一網打尽に…あっ、そうか。これが答えか」
「ご名答。おそらく、相手のリーダーは部下に偽の情報を渡しているはずだ。捕まったときの保険にな。人質と一緒にリーダー格の存在はいるだろう。もしもの時は盾にもできるし、交渉材料にもなる。そして、そこから一歩も外に出ないだろうな。部下へは電話での連絡だけで、可能な限りのリスクを避ける方法を取る。俺ならそうする」
なるほど、考えてみればそれが1番安全な方法だろうな。でも、待てよ。親父の話が本当なら、これから出会う不良は全員嘘をついているってことだよな?聞き出しても偽の情報しか得られないんじゃ意味ないじゃねえか。
「おい、じゃあどうやって桜たちの場所を知るんだ?」
「奴らが桜たちを攫ってからそんなに時間は経過していない。町外へ出るための道は検問が敷かれていて、警察が休み無しに働いた結果、町外への脱出は不可能だ。つまり、奴らは必ず稲歌町にいる。ここまではいいか?」
「ああ、だからどこにいるんだ!?」
大悟は一馬の少々回りくどい説明にイライラしていた。
「少しは落ち着いて話を聞け。奴らもそのことは承知のはずだ。それを踏まえた上で部下に嘘の情報を渡したとしたら?」
「あっ!?分かんねえ、どこの国の言葉だ?ネアンデルタール語か!?」
「嘘をついてもあまりに突拍子もないものだと相手にしてもらえないだろう?不良のリーダーは、稲歌町の適当な場所を指定して部下に教えた。問題はその場所だが、自分たちの潜んでいる場所の近くを指定するのは怖いだろ?もし、嘘の場所を警察が捜索したときその付近も当然捜索するはずだ。その時に見つかるかもしれない」
そこまで聞いたとき、珍しく大悟の頭の回路が繋がった。
「ああっ!つまり、あれか!?あの~なんだっけ…。しょ…しょ…しょ…」
「頑張ったな、『消去法』だ。あと3~4人くらい尋問しろ。そうすれば、俺の知り合いが町全体の倉庫や建物の状況から奴らの場所を特定する」
その計算方法が合っているのかどうか、一馬に聞くことを大悟は止める。
非常に面倒だが、仕方がない。
「回り道だが仕方ねえか。よし、次の連中の場所は?」
「少し遠いぞ。小学校の近くの下水道周辺だ。誰にも見つからないように走って行け。お前は、車より速く走れるだろ?」
「新幹線と並んで走るのが、ガキの時の夢だったな」
大悟は携帯電話を切ると、忍者のように隣の家の塀を跳び越えると数歩敷地の地面を蹴り、また塀を越える。周囲に注意しながら稲歌町中央地区を目指し、爆走した。

同日 午後5時12分 稲歌町立小学校周辺 拓磨側
一方、拓磨達は小学校前の川を左に見下ろしながら道を歩いていた。すでに日は沈みかけており辺りは暗くなり始めている。ウサギのお面をかぶった大男と、リスのお面をかぶった小男の絵面は何ともシュールな光景だった。
不良の連中を探して、拓磨達も来たわけだが運が良いのか悪いのか、全く警察にも不良にも遭遇していない。
「おかしいな~、町でドンパチやっているんだからもっと簡単に見つかると思ったんだけどなあ」
祐司が周囲を気にしながら文句を口にする。
「そう簡単じゃないぞ?不良を発見しても警察が一緒にいたら迂闊に手を出せない。不良が1人でいるところを狙わなきゃいけないんだからな」
「うへえ…、そうだった。警察も味方じゃないんだった。そりゃ大変だ」
拓磨の言葉で祐司は一気に元気が無くなった。拓磨も拓磨であまり気分は良くなかった。祐司から色々と頼み事をされているのである。『不良を見つけたらやって欲しい。父親のアニメ製作の参考にしたい』と念を押されている。断ることも考えたが、渡里家の生活のことを考えるとなかなか断りにくいものがあった。
すると拓磨が急に動いた。とっさに祐司の手を掴むと、右側の住宅地に入り、ブロック塀の背後に隠れる。
「ど、どう…!?」
驚く祐司の口を拓磨は手で塞ぐと同時に先ほどの道から声が聞こえてきた。
「なあ、警察なんていないぜ?的がいなくちゃ武器も意味ないだろ?」
どうやら、不良の一味が道路にいるらしい。誰かと話をしているようだ。足跡を聞く限り、1人のようだが電話でもしているのだろうか?
「俺たち殺し合いに来たんだ。サツの人質なんか取ってどうすんだよ?見せしめにした方がいいんじゃないのか?」
サツの人質、攫われた冴島刑事のことか。どうやら、誘拐されたというのは本当のようだ。
拓磨はゆっくりと道路側をのぞき込んだ。こちらに見向きもせず、携帯を片手に真っ赤なジャージと共に道路を闊歩している。話を聞きたいと思い、ゆっくりとブロック塀から出ようとしたときだった。
背後から小さく木の枝が砕けるような音が響き渡る。同時に背後から風を切るような音、道路にいた赤ジャージはこちらを振り返りウサギの仮面を付けた大男を発見する。
「な、何だ!?お前は!?」
「この家の息子の親の息子の他人」
拓磨は適当に言葉を口にする。
「結局他人じゃねえか!!」
敷地内に入ってきた黒い短髪の男は小型の黒い拳銃を拓磨に向けながら、勝ち誇ったように笑みを浮かべる。
「ははは、馬鹿な奴だ。顔を隠していれば何とかなると思ったのか!」
「ちょっと話が聞きたいだけだ。とりあえず銃を下ろしてくれないか?」
「うるせえ、俺に命令するな!」
男はすかさず、拓磨の頭部目がけて発砲しようとするが、引き金が引かれるタイミングを見計らって拓磨は瞬間的に体と頭部を左にずらす。発砲音と共に弾丸はお面の右端を小さく欠けさせて背後の植木の中に消えた。
「よ、避けただと!?」
「とにかく話をしよう。人質の場所を言ってくれたら、お前を傷つけず手足を縛って無力化して出て行くから協力してくれ」
「頭が壊れているのか、この変態野郎!俺はお前を殺したくてしょうがないんだよ!」
男は拓磨の足を狙って1発連射するが、拓磨は素早く足を引き1発目を避け、続けて放たれた弾には素早いサイドステップで空中に身を投げ出し避け、草の上を1回転して再び立ち上がる。
「何で当たらないんだよ!?」
「避けているからに決まっているだろ?はあ…分かった。弾はまだあるだろ?とりあえず、死ぬ前に言いたいことがあるからちょっと聞いてくれないか?聞き終わったら好きに撃ってくれて構わない。ちょっとポケットにメモがあるから取っても良いか?」
どこまでもマイペースなウサギの大男に不良はイライラを募らせていた。拓磨はポケットからゆっくりと折りたたまれたA4ノートの紙を一枚取り出すと、開こうとしたが手が止まった。そして愚痴を一言。
「あ~あ、やりたくねえなあ…」
「たっくん!何をやっとるんだ、さっさと言えい!」
先ほど全ての元凶を作り、いつの間にか消えていた祐司が家の影から拓磨に檄を飛ばす。
不良は突然の声に慌てて祐司の方に向かって発砲するが、撃たれると予測していた祐司は体を乗り出していなかったので事なきを得た。
「お、お前等ふざけているのか!?」
「いや、ふざけてはいないんだが…」
謎の行動をする拓磨と祐司に不良は翻弄されっぱなしだった。
しかし、この後の出来事でついに不良は理解の及ばない出来事に遭遇するのである。それは拓磨が紙を開いて発した言葉から始まった。
「『ウレシイナ、ウレシイナ。今日モタクサン友達ト遊ブンダ』」
本気でやる気が無いときに出る棒読みの見本を拓磨は口から呪詛のようにぶつぶつと呟く。紙に書いてある言葉を音読しているようだ。
「………は?」
「『楽シイナッタラ、楽シイナ。赤イオ兄チャント遊ブンダ。イッパイ、イッパイ遊ブンダ。ウサタロー、遊ブノ大好キ』」
「お前、本気で俺を舐めているのか!?」
「『ダッテ、ウサギハ寂シイト死ンジャウンダモン』」
全く人の話を聞かず、拓磨は紙に書いてある言葉を音読していく。その妙な態度についに、不良はキレた。
拓磨に向けて残弾2発を発砲する。1発は照準が定まらず、拓磨の右側を通過して背後の藪の中へ、もう1発は拓磨の胸を狙っていたが、拓磨は足元に転がっていた小石を蹴っ飛ばし銃を持っていた不良の手首に直撃させる。銃砲の向きが変わり、銃弾は拓磨の頭上を通りながら空へと消えていった。
「『サア、今日ハ何シテ遊ボウカナ?』」
「ふざけんなああああ!!」
不良は激昂して、拓磨に殴りかかっていく。しかし、拓磨は重心を左に動かし顔を狙ってきた不良の拳を回避、そのまま右膝蹴りを不良の腹部に叩きこみ、ひるんだ相手の頭を左手で掴むと右側のブロック塀に叩きつけた。その間、ずっと紙を見ながら音読を続けていた。
「『ソウダ、カクレンボシテイル人タチヲ見ツケヨウ。ドコニイルノカナ?オ兄チャンニ聞イテミヨウ。場所ヲ僕ニ教エチャイナヨ』」
「狂っているのか…!?てめえなんかに誰が…!」
鼻から血を流しながら抵抗を続ける不良の頭にさらに圧力が加わった。
「『場所ヲ僕ニ教エチャイナヨ』」
「ちょ…、待て…!?」
不良の頭にさらに圧力を加えたウサギは、不良の頭を塀にめり込ませようとしているかのようだった。
不良は棒読みで同じ言葉を繰り返す奇怪な存在に、恐怖と狂気を感じていた。
「『場所ヲ僕ニ教エチャイナヨ』」
ウサギは同じ言葉しか繰り返さず、不良の頭に圧力をさらに入れる。頭蓋骨が砕けそうなほどの激痛に不良は命の危険を感じた。口から自分の命を救うための言葉が飛び出す。
「わ、分かった!止めてくれ!人質なら中学校の側の赤い屋根の倉庫だ!」
「『アリガトウ、オ兄チャン』。寝てろ」
拓磨は素早く紙をポケットにしまうと右腕を不良の首筋に巻き付け締め上げると、左手で口と鼻を塞ぎ相手の呼吸を封じる。
しばらく不良はもがき苦しんだが、そのうち抵抗がなくなり意識を失った。拓磨は芝生の上に不良を捨てると携帯電話を取り出す。
「足を引っ張ってすまないたっくん!それより、口上を述べているというのに攻撃してくるとは何事だ!こいつは恥を知れ!」
「目の前でいきなり音読したら、どう見ても隙だと思うだろ?」
不良に対して怒り心頭で出てきた祐司に拓磨はツッコミを入れる。そして、拓磨は携帯電話を耳に当てる。
「はい、こちら御神総合病院です」
「稲歌小学校前の道路、『黒崎』さんというお宅で真っ赤なジャージを着た不良が1人気絶しています。赤い屋根の家です。大丈夫だと思うんですが、一応救急車をお願いします」
「は、はい?」
拓磨は女性の受付に電話をかけると一方的に電話を切った。
「しばらくしたら救急車が来る。すぐにここを離れるぞ」
拓磨はビニールロープを祐司から受け取ると、不良の足と両腕を手際よく縛り上げる。1分もしないうちに不良は拘束され、地面に寝転がっていた。
拓磨と祐司は家の敷地から道路に飛び出すと、右に曲がり道路脇を走りながら、中学校方面へと向かっていく。
「ねえ、たっくん。これで事件解決かな?」
「いいや、あんな口の軽い部下に重要な情報を教えるのは危険だ。おそらく、ガセ情報だな。とりあえず、騒ぎのする方に行こう。しばらくしたら、ゼロ達から連絡があるはずだ。それまで、できるだけこちらも情報を集めるんだ」
「まあウサギに尋問されたら誰だって喋ってしまうだろう。棒読みなところが一層恐怖を引き立てていた。今後も頼むぞ、たっくんよ!」
祐司は手帳を取り出すと、走りながら器用にメモを書いている。
「なあ、祐司。さっきのセリフだが、今後も言い続けるのか?」
「我が家の家計がかかっているんだぞ!?父さんが今度、新しいアニメの企画会議に出席して、次に作るアニメを決めるんだ。今回は『自然界からの復讐』がテーマで、自然を破壊する人間に動物たちが激怒し報復するという環境をテーマにしたアニメを企画しているんだ」
「ウサギは、人間を殴らないだろう?」
拓磨は冷静にツッコミを入れる。
「化学汚染物質で突然変異したということにする。おっ?これは公害の面からも話を組み立てられるかもしれない!話が広がるなあ!」
「……ちなみにタイトルは決まっているのか?」
「『とっととどつけよ!ウサ太郎』」
タイトルから暴力的な雰囲気が臭ってくるなあ。これは子どもは見ないんじゃないのか?大人向けの環境作品になりそうだ。
拓磨は、怒りよりもむしろ町の危機的状況を利用してまでアニメ製作に繋げていくという祐司の情熱に感心していた。
わざわざセリフまで即席で作って、死ぬかもしれないのに現地取材を行う。パン屋とは異なり、アニメ業界はアイデアを常に求められるためこれくらい貪欲な方が普通なのかもな。むしろ、ここまでしないと生活していけないのかもしれない。
拓磨が渋々付き合っていたのは、生活を盾にされては協力せざるを得ないからである。アニメ製作でほとんど家に帰ってこない父と自らの道を猛進している祐司のせいで、葵がただでさえストレスを溜める。そして金が無くなって、家を売るようなことになれば本当に彼女は倒れてしまうであろう。せめて、友人として生活費のために協力しても良いのではと思い、祐司の筋書き通りに動いているのである。
「しかし、たっくん。よく口上を述べているときに対処できたよね?」
「正直、言えるわけないと思っていたからな。あえて隙を作って、そこを攻撃してきた相手を返り討ちにすることしか考えていなかった。祐司、カオスフォームにはこれから装身できないかもしれないぞ?ポーズ取ってさらに名乗りなんて上げている暇は無い。さっきので分かっただろ?」
現実を突きつけられ、祐司は唸るような声を上げる。
「ぐむむむ…、やっぱりそうだよなあ。せめて、その間だけでも相手が攻撃してこなければなあ…。あるいはこっちが隙を生まないくらい素早く行動するか…。ゼロアに頭下げて頑張ってもらうしかないのかなあ」
葵よりも先にゼロアが過労死しそうだな…。
しかし、素早く行動すると言っても今のウェブライナーじゃ無理だ。そんな加速機能は付いていない。そうなると、新たに追加する必要があるわけだが…。
素早さというと拓磨はいち早くシヴァ・シンドーのことを思い出していた。あの瞬間移動を利用できれば問題点は解消できる。ただし、敵であるあの人をどうやって味方にするかが問題だ、それにその契約者も必要になる。
最大の問題は、ウェブライナーの中のイルが2人を認めてくれるかだ。
問題が山積し、体全体がダルくなり始めていた。
拓磨はひとまず、目の前の課題に集中するように頭を振ると次の標的を求めて稲歌町中央地区へと速度を強めた。

同日 午後6時 稲歌町西地区 警察現地対策本部
新井は簡易的に建てられ、照明が灯されている4本足のテント前にいた。夕闇のせいで黒く変色した林の奥にボンヤリ浮かび上がる要塞を眺めている。
周囲は複数の警官が右往左往しており、激しい口調でまくし立てたり、怒鳴り声がそこら中から発せられている。町中に警官が配置され、連絡回線もパンク寸前だ。新井の警察人生で最大の事件が今目の前で起こっていた。
周囲には警察車両が数え切れない程停車しており、中には映画で見るような装甲車の姿もある。背後のテントでは警察の上層部の人間が今、林の中に潜伏し目標の倉庫へと近づいている特殊チームと連絡を取っている。
本来中央地区の担当だった新井は冴島の誘拐の件で、職場の上司として本部に呼ばれていた。最後に連絡したときの電話の向こうから聞こえた声を忘れることはできない。まさか、よりにもよって強奪されたパトカーに乗っていてそのまま攫われるとは思いもしなかった。
不良の逮捕が目的だった事件も今は人質を奪還するという目的に変わっている。上層部の中には不良達の射殺も意見として上がっているという。すでに本件は警察官が10名以上死亡、100人以上が負傷するという大惨事だ。今後も増えていくことが予想される。
冴島、どうか無事でいてくれ…!
何も出来ず、ただ上層部の連絡を待つことしか出来ない新井にとって今の時間は何とも歯がゆく耐えがたいものであった。
すると、背後のテントの中から安堵の声が突然出始める。現場から報告があったのだろうか?
すると、テントを囲んでいた天幕が広がり、中から署長の大垣が笑みを浮かべ新井の所に現れる。
「やったぞ、新井君!冴島君を助けられるかもしれない!」
「本当ですか!?」
新井は顔中で喜び、大垣に近づく。
「ああ、先ほど突入チームから連絡があってな。突入準備をしているとのことだ」
新井は大垣の報告に急に顔をしかめた。
「しかし、倉庫の周りの物騒な機械はどう対処するんです?近づいたら撃たれるのでは?」
「ははは、所詮不良の浅知恵というやつだよ。ロボットを使って調べてみると、少しも反応していないらしいのだ。つまりただのハリボテだよ、見かけはそれっぽく作られているらしいが我々を踏みとどまらせるための工作だったのだ」
つまり、倉庫への突入を阻止するための悪あがきというやつか?それほど不良グループは追い詰められているのだろうか?不良逮捕のニュースは数件上がってきているが、やはり警察の数には勝てなかったということなのだろう。
「人質は倉庫の中にいるのでしょうか?」
「警察の包囲網を無理矢理突破して倉庫に近づいたパトカーがいるという連絡が2時間くらい前に入った。あの倉庫にいるのは間違いないだろう」
大垣は、すでに標的を捕らえたように笑みを浮かべながら倉庫を眺めている。
「相手から要求は無いんですか?人質事件ならば要求があってもおかしくないのでは?例えば金銭とか」
「それが無いのだよ、不思議なことにな。まあ、社会への反抗のつもりでこんな事件を起こしたのではないかな?最近の若い者の考えていることはどうもよく分からんよ。最近よくあるだろ?訳も分からず行動した事件とか」
新井は現状に対して腑が落ちなかった。
何も要求の無い誘拐。機能していない防衛兵器。おかしいことはたくさんある。だが、その理由を言うことはできなかった。
「突入はいつ頃ですか?」
「もう間もなくだ。後は突入チームの判断となる」
「署長、こんなことを言うのも何ですが…なんかおかしいと思いませんか?」
新井は不安を声に出すと、大垣に尋ねた。新井より一回り身長の低い大垣は新井の顔をのぞき込むように見上げる。
「新井君、確かに一般的な誘拐とは異なる点は多い。ただ、現場の状況を判断すると救出するなら今しかないのだよ。要求が無い以上、目的は人質を殺害することや強姦することだって考えられる。今行動を起こさないとさらに事態が悪化する危険もあるのだ」
「それは…承知しています。この件を解決した後に不良の逮捕も残っていますし」
「そうだ、私たちの仕事はこれからもあるのだ。部下を奪われて不安なことは分かるが、今は堪えてくれ。大丈夫だ、日本の警察は優秀だからな。君もそうだろ?」
新井の緊張をほぐすように大垣はおどけてみせる。そんな署長に新井は笑みを浮かべる。大垣は返すように笑うと新井の肩を軽く叩き、テントの中に戻っていく。
新井は再び倉庫の方を見る。
「現場指揮官、こちら本部。突入を許可する。タイミングはそちらに任せる。幸運を祈る」
背後のテントから県警本部長の不二の声が聞こえる。
後は現場指揮官の判断次第である。
2分くらい経ったであろうか、倉庫の方で音が聞こえる。
その時だった、突然背後のテントの中からノイズが大音量で流れ出す。新井が慌てて、振り返り10秒ほどしてノイズが止んだ後、爆音と共に目を覆う程の業火が天に舞い上がった。林の奥、倉庫がある場所から溢れ出すように広がる炎は空を焦がし、火の雨となり大地に降り注ぐ。大垣署長たちは慌てて、テントから出てくるとその光景に呆然としていた。ただ、立ちすくむことしかできなかった。
何が起こったかはすぐに分かった。爆発である。場所はおそらく倉庫。突入チームはおそらく、全滅だろう。
「最悪だ…!」
新井の声でようやく周囲の者が現実に向き直る。
「動ける者は、負傷者の救出に回れ!すぐに救急車を呼び、突入チームの救助に迎え!」
テントの中から現れた大垣署長が怒鳴りつけるように周りに檄を飛ばす。
新井は体に気合いを入れると、倉庫に向かって駆けだしていく。
現場は散々な状態だった。倉庫は土台を残して壁は跡形も無く吹き飛ばされている。中から外に向かって破裂したようにトタンが曲がり、倉庫の地面は黒く焦げている。
倉庫の外は倒れている突入チームの隊員がそこら中で助けを求めるうめき声を上げていた。五体満足で生きている者が多いことに驚いた。突入して、爆発の直撃を受けたのなら原型など留めていられない悲惨な状態になっていると覚悟していたが、途中で退避したのだろうか?
新井は、火の雨で地面が燃えないように火種をもみ消すと泥の上に倒れている1人の隊員に近づいていった。地面に寝転がっていたが、どうやら怪我も負っていない。ヘルメットと服装は泥と黒いススで汚れていたが、至って元気そうであった。爆心地近くにいて、無事だったことに新井は驚いていた。
「大丈夫か?」
「俺は平気です。他の奴らのところに行って下さい。それと本部からの退避命令のおかげで助かりました、ありがとうございます」
「……退避命令?」
新井は隊員に聞き返す。
「隊長が『倉庫には爆弾が仕掛けられている。全員速やかに退避しろ』って大声で怒鳴っていて…その後爆発したんで。きっと本部から退避命令が来たのかと思って」
「ちょっと待て。じゃあ誰も倉庫に入っていないのか?」
新井の問いに隊員は頷く。
新井は隊員に礼を言うと他の隊員の手当に向かうとき、動けない隊員の搬送を手伝う大垣署長に遭遇した。
「署長、手伝いますよ」
「すまないな、やっぱり年には勝てんよ…」
新井は疲れた署長と一緒に片足に破片が刺さり、片足で跳ねながら救急車へと向かう隊員に肩を貸した。
「とんでもない奴らですね、倉庫ごと人質を吹っ飛ばすなんて…!」
「ああ、許せん外道だ…!冴島君と心堂桜ちゃんの命をこうも簡単に消し飛ばすなんて!」
大垣は怒りを露わにして、吐き出していた。
新井は怒りを通り越して冷静になっていた。少しでも奴らのことを考えると頭が沸騰しそうになるため今は救助することだけを考えることにした。
新井と大垣は隊員を引き取りにきた救命士に隊員を引き渡し、そのまま去っていく消防車を見送った。
「署長、さっき隊員が感謝していましたよ。本部の情報のおかげで命を救われたって。どうやって爆弾の情報を知ったんですか?」
「ん?何の話だね?爆弾の情報なんて知らないが」
大垣は老いた顔を驚いた表情で歪ませると新井に聞き返す。
「本部が退避命令を出したんじゃないですか?」
「『退避命令』?私たちはそんなもの出していない。てっきり、そのまま突入して爆発に巻き込まれたのかと思っていたところだよ」
本部は退避命令を出していない?じゃあ、隊員達が聞いた退避命令は一体何だったんだ?
疑問に悩む新井を現実に戻すように携帯電話に連絡が入った。名前を見ると、何と冴島の携帯電話からだった。
まさか、生きていたのか!?
「冴島、お前生きていたのか!?」
「あれ~?電話間違えちゃったかなあ~?なあんてねえ、そこに県警本部長さんいる?」
人のことを馬鹿にするような勘に障る声が響き渡ってきた。
「お前等、よくも冴島を…!!」
「新井さん!冴島さんが撃たれたんです!助けて下さい!」
突如、桜の声が聞こえてくると新井は怒りを忘れ、混乱してしまう。
桜ちゃんの声?生きているということは倉庫にはいなかったということか?おまけに冴島が撃たれただと、どうなっている?
「ほら、刑事さん。あんたには興味ないの。偉い人出して。別に県警本部長じゃなくても良いから」
新井は自分の携帯電話をスピーカーモードにすると大垣に渡す。先ほどの会話から状況を読めたようで大垣は新井の携帯電話を受け取ると口を開く。
「稲歌町警察署、署長の大垣だ。私に何か用事かね?」
「でっかい花火の贈り物はどうだった、署長さん?」
「うちの隊員達は優秀でね。花火に気づいて外から見ようとしたから無事だったようだ」
「あれ~、一体どこから情報が漏れたのかなあ~?」
新井と大垣の周りにはいつの間にか警官が集まってきて、2人の会話を真剣に聞き始めている。中には歯ぎしりして怒りを堪えている者もいた。
「君たちの目的は何かね?できれば人質を返してもらいたいのだが?」
「それは無理かな~。返して欲しけりゃ力づくで取りに来ればいいじゃん?」
「目的は…何かね?」
署長は凄みをきかせて電話相手に問う。
「ははは、そんなマジにならなくてもいいじゃないか?目的かあ~、そりゃあんたらの命だな」
「警察相手に本気で戦いを挑むというのかね?」
「『挑む』?違う違う、立場をわきまえなよ。挑んでくるのはそっちだろ?どう考えてもこっちが格上なんだし」
「君たちは殺し合いがしたいのか?」
「したいんですよ、猛烈に。とりあえず、ハンデで4人生け贄に出したけどそれでも十分すぎる戦力だからね」
倉庫に向かったパトカーはこいつらが偽装したものだったのか?なんてことだ、同じグループの連中も平気で殺すのかこいつ等は!?
「さてと、とりあえず死ぬ気で頑張って下さい。警官の皆さんの健闘をお祈りします」
「たった10人程度で警察に勝つつもりなのか?」
「その10人に苦戦しているのはどこの誰ですかね?そうだな、とりあえず日本の警官全員を皆殺しにするのが目標なのでよろしく~!」
一方的に電話が切られ、その場の全員が沈黙する。誰1人話す者は無く、ただ1つの感情を抱き続けていた。
怒りである。激しく煮え立ち、どこからともなくわき出てくる感情の渦が1人1人に満ち、うねり広がりを見せた。
「ここまで警察がコケにされたのはおそらく初めてだろう。諸君、部下としてではなく一般市民のために戦う警官として君たちに願う。何が何でもこの事件を解決するぞ!相手が少数だと思って油断をするな、確実に追い詰め勝利を掴むのだ!」
警官全員が署長の言葉に目を輝かせ、その意気に答えるように声を張り上げ、散っていく。
「新井君、どうやら人質は他の場所にいるようだ。私はこれから全警官に無線連絡を行う。君はどうする?」
「中央地区に戻ります。もしかしたら、奴らの目的は西地区に我々の目を向けさせることだったのかもしれません。ならば、他の地区にいる可能性は高いでしょう。現地の警官と合流して捜索を再開します」
「油断するなよ、相手は全員狂っているからな」
「署長もお気をつけて」
新井は大垣より言い渡された新たな決意を胸に崩壊した倉庫を背に中央地区へと戻っていった。

同日 午後6時20分 稲歌町某所
薄い闇が周囲に満ちていた。10メートルほど離れた目の前のドアの隙間から差し込む光、天窓から差し込む月の明かりが周囲を見渡すことを許してくれた。ホコリ臭く、息をするとむせ返ってしまう。辺りを見渡すと、そこにあるのはカビの生えた古い布に包まれた米袋だった。長い間、誰も触れていないらしく袋が破けて中身の米が溢れ出している。
桜は、隣で痛みに顔を歪ませながら倒れている冴島と共にここに到着したときから放り込まれてずっと地面に座り込んでいた。口にタオルを噛まされ、両手両足は縛られ冷たいコンクリートの地面でずっと座らされている。
座りっぱなしで体中が痛くなり、恐怖で体が震えている。早く警察官が扉を開けてくれないかな?
「ひゃははは!見たかよ、倉庫がぶっ飛んだぜ!?スイッチを入れる感触はたまらねえよな!」
扉の奥から笑い声が聞こえてくる。きっと4番って呼ばれている人だ。いつもあんな笑い声をする。怖くて、人を馬鹿にするような気持ちの悪い声。
たぶん、また誰か死んじゃったのかな…。
桜の気分はさらに落ち込むと、涙が頬を伝わり口を縛っているタオルにしみこむ。この部屋に入ってからずっと泣いてばかりである。でも、悲しいものは悲しいんだからしょうがない。涙は自然に出てくるし、拭いたくても体が動かないんだから何も出来ない。本当に今の自分は何もできずにただ助けを待っているだけ…。
「なあ、隣の部屋の人質いつまで放っておくんだよ?」
今度は別の人の声が聞こえる。若くハッキリした声だが、この人も気が変になっている。桜は隣の冴島を心配そうに眺めた。ここに連れてきてから、暴行を受けて顔中血まみれでさっきから少しも動かない。冴島刑事を暴行したのは2番と呼ばれている人だ。人を傷つけることに快感を覚えているようで、冴島刑事が苦しむ姿を見て楽しんでいた。
「もらい手がもう少しで見つかる」
「人身売買か。顔に似合わずゲスなことするじゃないか?で、あの子はいくらで売れるんだ?可愛い子だ、それなりに値は張るんだろ?」
「お前には関係ない、2番」
「はいはい。どれどれ、ちょっと挨拶してこようかな?色々と未経験みたいだし買い手を楽しませるために学んでおいても良いだろ?」
桜は顔を真っ青にすると強く家族のことを祈った。
お父さん、お兄ちゃん…助けて!
すると、隣の部屋から乾いた音が1発響き渡る。誰かが銃を撃ったのだろうか?その後、その場が静まりかえると怒号が聞こえた。
「1番、てめえ何しやがる!もう少しで当たるところだったぞ!」
「それはこっちのセリフだ。商品を傷物にする馬鹿がどこにいる?お前の望みはいつから強姦に変わったんだ?これから、山ほど警官を相手にするんだからお前の粗末なモノなんか握ってないで銃でも手入れしてろ」
冷たくはっきり響く声が隣の部屋から聞こえてくる。
桜は不思議とこの声を聞くと安心していた。この1番という人は少なくとも私や冴島刑事に対して丁重に扱っていた……と思う。冴島刑事への暴行を止めたのも1番という人だった。やっぱり私たちが売り物だから、死なれるとまずかったんだろう。悪い人なのは間違いないと思うけど、少なくとも最低限の保証はしてくれるから安心感はある。
「分かった、1番。警察を皆殺しにしたらまず始めにお前を殺す!」
「ああ、じゃあ俺はお前を殺すぜ!?2番!リーダー権限だ、文句ないだろ?」
「ああもう、前にいる奴全員に銃弾ぶち込んでやるよ!」
荒々しく言い放つ声と共に強くドアが閉められる音が響いてくる。
仲間割れ…なのかな?
お互い、自分の言いたいことばかり言っていて仲間関係が崩れている。不良グループってみんなこんな感じ?てっきり、1番上の4番という人が取り仕切っていたと思うけど、もう全員がリーダーに思えてきた。
すると、考えを妨げるように突然ドアが開き一気に光が桜の目に飛び込んできた。目が痛くて前がよく見えない。桜は目を細くしながら、相手の姿を必死に見ようとした。だが、全身が赤いジャージというだけで顔は暗くてよく分からない。
赤いジャージの男はゆっくりと桜の方に近づいてくると、しゃがみこみ桜に顔を近づけた。顔に斜めの傷が入る、端正な顔立ちの男だった。目はキリッと鋭く、鼻は高い、髪は長いが整えてあり、仏頂面をしているが笑顔なら素敵だろうと桜は思ってしまった。
そして不思議なことに桜はどこかで男に会ったような気がした。ほとんど記憶は無いのだが、どこかで見たような感覚に陥ったのだ。だが、どうしても思い出せない。
「トイレは大丈夫?時間はやっても良いが逃げるのは勧めない。どうせ、体中穴だらけになるだけだ」
桜は監禁に似つかわしくない配慮にしばらく考えたが、顔を横に振った。
「そうか。どうせ、朝までには決着がつく。座ってても辛いだけだから体を横にしていた方が楽だぞ?」
朝までには決着がつく?それまでに警察官を全員殺すの?どう考えても無理だと思うけど。それに、何でこんなに優しく言ってくれるんだろう、やっぱり商品だからかな?
桜の疑問をよそに1番は再び立ち上がると、桜に背を向け扉に向かいドアを閉めて出て行った。再び周りは真っ暗になる。
よく分からないけど、みんな変。普通の誘拐とは何か違う気がする。
とにかく誰でも良いから助けに来て…!早くしないと冴島刑事が危ないの!
桜は精一杯叫ぶが、声は無情にも心の中で反響するだけだった。

同日 午後6時30分 稲歌町中央地区 稲歌高校 校庭 大悟側
「大悟、西地区の倉庫が爆弾で吹っ飛ばされたみたいだ」
「おい、桜たちはそこにいなかったんだろうな!?」
高校校舎前、植樹された木々が青々とした茂みに隠れながら大悟は一馬の報告を聞きながら移動していた。つい先ほど、赤いジャージの男を発見し、追跡していたのだ。
「大丈夫だ。どうやら桜たちは違うところに監禁されているらしい。警官が10名重傷、30人近くが負傷した大爆発だ。死者がいなかったのは突入チームが寸前で突入を中止し、退避したらしい。指揮官には勲章が授与されても不思議じゃないな」
「何でその倉庫に突入しようとしていたんだ?」
「お前は、ニュースを見ていないのか?大量の兵器で囲んである倉庫だぞ?不良グループが中にいると思って警察が突入したときに爆弾で一網打尽にする計画だったんだろう」
間一髪で最悪の事態を避けられたって事か。赤ジャージはゆっくりと辺りを見渡すと、右に曲がり校舎の影に隠れてしまう。
「悪い、親父。もう切るぞ」
大悟は素早く、校舎の角まで近づくとゆっくりと奥をのぞき込む。
小学校だとこういう校舎脇の道には校舎裏へと続く一本道があったものだ。よく友達と鬼ごっこをして遊んでいた。学校内だけというルールなのに、そいつは俺の追跡をかわすために道路に飛び出し学校外まで逃げてしまった。
『勝てば何でもよかろうなのだ』。ルール破りを開き直って、友達が偉そうにそんなことを言い放ったときは殴ってやろうかと思った。
だが、それでも今となっては良い思い出だ。
だって今、眼の前にあるのは暗い穴だ。小さくて、丸くて、堅くて早い金属が飛び出してきて人間の体に穴を開ける。思い出から消してしまいたい萎える光景だった。
「馬鹿な奴だな、尾行中に携帯で会話する奴がいるかよ?」
「最近鬼ごっこなんてやったこと無かったからな。やり方忘れたんだ、許してくれよ」
「うるせえ!さっさと手を上げろ!」
目つきの悪い金髪の男は、鳥のドクロにビビりながらも銃口を向けたまま大悟を後ろに下がらせていく。大悟はとりあえず手を上げると、ゆっくり背後に下がっていった。
「お~、良くやったな!見つけたぜ、この鳥ドクロ!ビビらせているつもりみたいだがそうはいかねえぞ!」
背後から走り寄ってくる音と共に何かがはまったような銃器独特の装填音が響き渡る。大悟は軽く後ろを振り向くと、そこには両手に抱える程大きな銃器を持ったドクロの模様が入った目出しマスクで顔を隠した赤ジャージが立っていた。
大悟は武器には詳しくなかった、全く興味も無い。だが、この前見た映画でショットガンと呼ばれた武器と同じようなものを後ろの男が持っているからきっとショットガンなのだろう。ショットガンみたいな雰囲気がするし、持っている男もショットガンが好きそうに見える。体もどことなくショットガンに似ているからきっとショットガンが恋人なショットガンマニアに違いない。というか、それ以外認めない。
まあ、何にしても銃は面倒だ。色々と目立つ、当たると痛そう、持っていたら警察に連れて行かれる。本当に良いことが1つも無い。
「さてと、お祈りはすんだか?お前のせいで何人か潰されているんだ、死ぬ準備は出来ているんだろ?」
背後のショットガンマニアが大悟に威勢良く尋ねてくる。そして、突然大悟は彼に尋ね返す。
「1つ聞かせてほしい、後ろのお前。お前の手に持っている銃は、ひょっとしてショットガンか?」
「あっ?だったらどうした?」
大悟の場違いな質問に背後の男は不信感を抱いた。銃を向けられているにも関わらず、怯えるどころかいたってマイペース。不良の2人は、鳥のドクロにどこか頭のネジが外れていると感じ始めていた。
「運が良いな、気に入った。お前は優しく丁寧に半殺しにしてやろう」
「は…?」
背後の男が言葉が分かるよりも前に大悟は、目の前の拳銃を持った金髪不良に襲いかかった。2メートルを超える巨体の怪物がいきなり襲いかかってくる。先ほどまでの優勢はどこへやら、銃の引き金を引こうとする。
だが、大悟は銃を持った男の右手にアッパーカットを素早く叩き込む。骨が砕ける音と悲鳴、そして拳銃が宙を舞う。大悟は右回転をしながら空中で拳銃を掴むと背後のショットガンに向けて発砲する。
ショットガンの銃身に銃弾が直撃したせいで、マスク男のバランスが崩れる。大悟はそのまま背を低くすると長い右足で金髪男の両足を払い、男を転倒させる。足払いしている間に大悟は拳銃を握力で捻ると真っ二つに引きちぎり、拳銃を握るためのグリップ部分と銃身をショットガン男に向けて両手で交互に投げつける。
謎の投擲物の襲来にマスク男は顔を狙ってきた一度目の攻撃を顔を横に背けてかわす。2発目はかわせず、胸にまともに受ける。だが、耐えられない攻撃じゃなかった。マスク男は痛みに耐え雄叫びを上げながら鳥のドクロにショットガンを向ける。
だが、遅かった。マスク男の目に映ったのは鳥の化け物が眼前30センチほどのところにいる光景である。大悟は6メートル程の距離を1脚で跳躍し、反撃を許さなかった。そのままマスク男の頭を掴むと人形をもて遊ぶように地面に叩きつけた。マスク男から短く叫び声が上がる。そして、立ち上がるとマスク男の横腹を蹴飛ばし仰向けにさせその顔面を踏みつける。
激痛の上にさらに激痛を伴い、マスク男はショットガンを放し大悟の足をどけようと躍起になったが、象に踏みつけられているかのように大悟の足は微動だにしなかった。
「人質の場所は?」
「誰が教えるか!」
「俺がもう少し足に力を入れれば、お前の頭はトマトみたいに潰れて校庭が死体置き場に早変わりだ。何なら試してやろうか?」
大悟は足に力を入れる。頭蓋骨が軋みを上げ始め、マスク男は悲鳴を上げ泣き喚く。
「言う!言うから助けてくれ!」
「こっちは時間がねえんだ、さっさと言え!」
「南地区の総合体育館南側の空き家だ!」
「やればできるじゃねえか。よく言えたな、警察に見つかるまで昼寝でもどうだ?」
大悟はメリケンサックを右手にはめると、男の首筋に鉄拳を叩き込み針を突き刺す。マスク男は一瞬、体を痙攣させるとすぐに動かなくなる。
大悟はマスク男をその場に捨てて、もう1人の金髪男の方を振り向く。
だんだん、尋問にも慣れてきた。さっさと場所を聞き出して桜のところに行きたいんだが…。
金髪男は悲鳴を上げながら仲間を置き去りに校門へ向かって逃げていった。そして校門を曲がると姿を消す。大悟はすぐに追いかけようとしたが、すぐに足を止めた。
何と先ほどの金髪が戻ってきたのである。誰かに首を絞められて宙づりで。
「何だ…?あいつは?」
大悟は異様な光景に思わず、呟いてしまう。
そこには自分と同じくらいの身長で筋肉の鎧で身を固め、危ない宗教のジャージ姿、ウサギの面の大男だった。獲物を手に入れたように不良を左手で宙づりにしている。不良は大男から離れようともがき苦しんでいたがどうやってもそれは無理なようだった。
そして大悟の存在に気づいたウサギは大股で大悟の方に近づいてくる。その後ろをウサギより一回り背の低いリスがウサギの後ろに隠れながら付いてくる。どうやら、鳥のドクロに驚いているようだった。
そして、ウサギと鳥ドクロは1メートルほど間隔を空け、対峙する。ウサギは不意に鳥ドクロに不良をボールのように放り投げる。鳥ドクロは左腕で不良を受け取る。
「お前の獲物だろ?」
「ああ、そうだ」
首を絞める相手がウサギから鳥ドクロに変わっただけで不良の受難は続いた。先ほどと同じように宙づりにされる。
「人質の場所は?」
「絶対に…言う…かよ…!」
先ほどからひどい目に遭い続けているのに不良の根性だけは大したものだ。
「これから病院で一生流動食しか食えないようにしてやろうか?」
鳥ドクロは首を締め付ける力を強める。その恐怖に根性をへし折れてしまった。
「中央地区、駅の北…。白い屋根の建物…」
「良い答えだ、美人の看護師によろしくな?」
不良に再びメリケンの一撃が飛び、不良は気絶する。大悟はその後、雑に不良を地面に投げ捨てる。
「うわあ…えげつねえ…」
リスはぞっとするように呟いた。鳥ドクロは再び、ウサギの方を向き直る。
「お前等、何やってんだ?不…」
大悟が拓磨達の名前を呼ぼうとしたとき、拓磨はウサギの口に人差し指を立てて喋らないように促す。
「誰がどこで聞いているか分からない。今の俺はとあるパン屋のマスコット、『ウサタロー』とこっちは相棒でオタクの『リス君』だ」
「お前にそういう趣味があるとは知らなかったぜ、パン屋」
「リス君の家計を助けるためだ」
大悟は背後の祐司を見る。祐司はスマートフォンをいじって、大悟の方には見向きもしなかった、話せる相手だと分かって余裕が生まれたようだ。
「お前はともかく何でオタクまで連れてきているんだ?戦力にならなくて邪魔だろ?」
「人間見た目じゃ判断できないもんだぞ?」
「そうだぞ、ゴリラ。霊長類舐めんな?」
拓磨に続いて祐司はボソッと大悟に言葉で攻撃する。
「誰がゴリラだ!お前等、遊びで来たんだったらさっさと帰れ!俺は今忙しいんだ!」
大悟が二人の側を通っていこうとすると拓磨が口を開いた。
「俺達も忙しいんだ。女子中学生と刑事を探している」
大悟は足を止めて、拓磨達を振り返る。
「何でだ?お前等には関係ないだろ?」
「今回の誘拐事件の犯人共を操っている奴らがいる。俺たちはそいつらと戦いに来た。『リベリオス』という他の惑星からきたテロリスト集団だ」
リベリオス…。親父が言っていたな。まさか、パン屋とオタクは町の平和を守っていると言うのか?
「それに…確かに人質とは面識はあまりないが、助けたいから助けようとしているんだ。せっかく買い物に行ったのに割引券をくれた相手がいないのは勘弁だからな」
「人を助けるのに理由はいらない。善良な市民なら、なおさら当然!可愛い女の子ならもはや義務!」
拓磨と祐司の言葉に大悟は笑みを浮かべる。
「つまり…お前等はとんだお人好しの馬鹿2人って事か?悪いが、リベリオスだか何だか知らねえがそんな惑星フォインとかの侵略者と戦うつもりなんか少しもない、好きにやってろ。俺は人質を助けられればそれで良い」
「協力させてくれないか?お前の人質救出に」
「必要ない。お前等は帰れ」
拓磨の進言を断ると、大悟は再び歩き出そうとした。
「おい」
「しつけえぞ、答えは変わらない……何だ、これ?」
拓磨は大悟に近寄ると、素早く手帳に番号を書き、破ると大悟に渡した。
「俺たちの電話番号だ、助けが欲しけりゃ電話しろ。それとお前に会う前にこっちも1人不良を尋問した。人質の居場所だが『中学校の側の赤い屋根の倉庫』だそうだ。たぶん偽の情報だが、参考になるか?」
大悟は紙切れを受け取ると、じっと番号を眺め、鼻で笑う。
「本当にお節介だな」
「お前も似たようなもんだろ?」
「ウサギやリスと一緒にするんじゃねえよ、情報は助かった。さっさと帰れ、じゃあな」
大悟は簡単に礼を言うと拓磨達に背を向け、走りながら真っ直ぐ校門へと向かいそのまま姿を消した。拓磨は手帳を寄ってきた祐司に返す。
「ねえ、たっくん。あいつ、本当に信用できるの?」
「警察に見つかれば問答無用で逮捕だ。にも関わらず、わざわざ出張ってきて人質救出しようとする奴だぞ?少なくとも悪い奴には思えないが」
拓磨は祐司と共に不良の手足を縛って動けないようにしながら、会話をする。
「あのドクロ、すごい怖いんだけど何?」
祐司は、一番気になった鳥のドクロについて質問する。
「さあな…顔を隠すためなのかそれとも不良グループが『スカル』っていう名称だからそれに対抗しようとドクロにしたのか…他に意味があるのか。分からないがあのマスクは声を変えることもできていた。それに見た目も生々しくまるで本物だ。立体映像って奴か?かなりの高性能だな。一体、どこで手に入れたんだ?」
拓磨は先ほどの男のマスクに着目して考えを深めていた。
「ねえ…あいつの正体って」
「心堂大悟だろ?体格、強さ、俺のことをパン屋と呼ぶ、そして妹が人質にされている。状況証拠だけならどう考えてもあいつだ」
「あっ、やっぱり?図体もそうだし、口調の雰囲気とかもあのゴリラじゃないんかなあと思っていたんだけど。ということはやっぱり妹を助けようとしているんだよね?」
顔を隠しているにも関わらず正体が分かってしまう大悟の変装能力の無さに祐司は苦笑していた。
「そうだろうな、ただ普通なら警察に任せるはずだ。にも関わらず救出に来たということは不良の背後の存在に気づいたのかもしれないな」
「ちょっと待って!あいつ、リベリオスのことを知っているの?」
拓磨の考えに祐司は驚きの声を上げていた。
「あいつはフォインのことを知っていた。それにそう考えるとあの不気味なマスクのことも納得がいく。超技術を持っていて、リベリオスに対抗しているのは俺たち以外にもいるだろ?」
「『第3者』?あの筋肉ゴリラが?嘘だ~。そんな技術を作れるほど頭が良さそうには見えなかったけどなあ」
祐司は、心の底から信じていないように最低評価を付ける。
「大悟と第三者が協力している可能性もあるだろ?大悟に技術を与えて、裏で色々細工している可能性もある。それに祐司、見た目で人は判断できないぞ?」
「拓磨、祐司。ちょっといいかい?」
ゼロアの声が響くと、2人とも携帯電話を取り出してそれぞれゼロアとスレイドを見る。
「調査はどうだった?」
白衣姿のゼロアとスレイドに拓磨は尋ねる。
「心堂家はかなり怪しいね。情報を集めようとしたんだがなかなか手に入らない。第3者が意図的に心堂家の情報をブロックしているみたいだ」
ゼロアは難しそうに顔をしかめる。
「ですが、心堂家の当主が誰なのかは分かりました。心堂一馬、これは偽名で本名はアイク・レストナードと言います。我々と同じフォイン星の者で、マスター・シヴァの弟子です。マスターの後継者と言われるほどの実力者でしたが、20年以上前に行方不明となっています」
スレイドの報告に拓磨は納得した。
マスター・シンドーの弟子が大悟の父親?なるほど、だったら大悟がリベリオスのことを知っていても不思議じゃないな。たぶん、父親が話したんだろう。大悟もフォイン星のことを父親から聞いたのではないだろうか?
しかし、第3者が絡んでいるとは…ひょっとして心堂家について守りたい情報があるんだろうか?
「拓磨、ライナー波の反応はあるかい?」
「さっきからポケットが振動しっぱなしだ。こいつら全員、ライナー波を浴びている可能性がある。何とかしたいが、第3者待ちなのが歯がゆい。おそらく、もう気づいて救急車が向かってくると思うが」
気絶している不良を眺めながら、拓磨が悔しさを込めて呟く。
「とにかく、そこから離れた方が良いね。君たちが疑われる。それと…あれ?」
ゼロアの助言を受けて拓磨と祐司が離れようとしたとき、携帯電話からゼロアの声が聞こえなくなる。
「どうした、ゼロ?」
「拓磨、マスター・シヴァとそこで会ったかい?ガーディアンとして登録された彼の反応が君の探知機に残っているんだ。それもついさっきのことだ」
「あの高性能おじいちゃんがここにいた?いやいや、姿なんて見なかったよ。会ったのはおじいちゃんじゃなくて、人の言葉を覚えておっかないマスクをかぶった高性能ゴリラ」
祐司が茶化して笑っていたが、拓磨は真剣な顔をしていた。
マスターの反応があった…。もしかして、大悟がマスターと契約したとか?
「ゼロ、御神総合病院に連絡して救急車を急がせてくれ。スレイドさん、さっき校庭から出ていった大悟の行き先を調べてくれますか?俺たちもすぐ後を追います」
「マスターの反応が気がかりですか、拓磨殿?」
「俺の勘が正しければ、大悟がマスター・シンドーの契約者である可能性があります」
拓磨の推理にその場の全員が驚いた。
「たっくん、なんて恐ろしいことを言うんだ!あんな協調性ゼロの筋肉ダルマが俺たちの仲間になったら1人で突っ走ってウェブライナーで世界を滅ぼしちゃうぞ!?」
「祐司、少なくとも大悟は人質のために自分の人生を棒に振る危険を冒して行動しているんだ。それにさっきも話が通じただろ?話せば分かってくれる奴だ。俺たちに帰宅を促したのも、俺たちを巻き込みたくなかったのかもしれない」
拓磨は希望あふれる回答をする。
「都合の良い方に考えすぎだってば!自分の破壊活動に俺たちが邪魔だっただけかもしれないよ?不良だってボッコボコにしたじゃん、まあ…気絶させているみたいだけど」
「それなら、俺だって同じようなもんだろ?祐司、確かに見かけは大事だがそれだけで判断できるほど人間は簡単にできてないぞ?マスター・シンドーが敵か味方か判明していない今、大悟と接触して確認するのが1番だ。とにかく、我慢しろ」
「とにかく反対!俺は絶対に反対だ!」
拓磨は断固として自分の意思を曲げない祐司を連れて、大悟の後を全力で走って追跡した。
すでに辺りは暗くなり、どんどん視界が狭くなっている。学校からは普段点灯している外灯の電気も消え、夜は本当の暗闇を取り戻したかのように拓磨達の視界を遮っている。そしてそれはこの後、拓磨達の身にさらなる災難をもたらすのである。

第6章「九条<<くじょう>>京士郎<<きょうしろう>>」
同日 午後7時5分 稲歌町中央地区 大通りビル脇 大悟側
大悟はビル群で詰められている稲歌町の大通りを周囲に気をつけながら路地に隠れ,また別に路地に向かうように移動を続けていた。
しばらくして、トラックが入れる程の道幅の路地に入るとビルの角から背後を覗う。誰も姿が見えない。どうやら、警察も拓磨達も付いてきていないようだ。
息を吐くと、そのまま携帯電話を開き一馬に連絡をする。
「ずいぶん時間がかかったな?大丈夫か?」
一馬が心配そうに大悟に尋ねる。
「俺は平気だ。それより、高校の校庭で不動と渡里に会ったぞ?あいつら、リベリオスと戦っているらしいが本当か?」
「学校なんてよく入れたな?昼間は警備が厳重だったと聞いたが」
一馬は興味津々で聞いてきた。
「校門のバリケードのところで警官が頭を打ち抜かれて死んでいた。気になって中に入ったら、奴らと戦闘だ」
大悟は飽きたようにダラダラと説明した。
「なるほど。彼らのことは本当みたいだ。ウェブライナーと呼ばれる巨大ロボットでリベリオスに対抗しているらしい。驚いたことにそのロボット、なんと変身するようだ。何でそうなったのかは分からないが、少なくともお前の敵じゃないのは確かだな」
「ロボット?稲歌町でロボットを暴れされているのか!?」
「違う。ウェブスペースという特殊な世界で暴れているんだ。別の次元にあって、そこに行くには普通の人間じゃ無理だ。ガーディアンと呼ばれる特殊な存在の承認がいる。彼と契約をすればお前も行けるが、そんなにロボットで戦いたいのか?」
大悟の頭はこんがらがってきた。誘拐事件の次はロボットで戦っている高校生。正直、ついていけない。何でこんなに複雑なんだ?不良グループの暴動が、何で別の世界での戦いにまで発展している!?
「ロボットには乗りたいが戦いはごめんだ。俺は人質救出できればそれで良い。色々、情報が入ったら一気に言うぞ?」
大悟は今まで尋問して聞き出した人質の情報を伝える。電話の奥からペンで書き留める音が響いてきた。大悟が言い終わると、しばらく一馬は黙り込んでいた。
「よし、あと1カ所情報があれば位置を絞り込める」
あと1人か…。
大悟は再び大通りを確認する。パトカーと救急車のサイレンは聞こえるが、不良の姿は見当たらない。
「親父、奴らアジトにこもって籠城戦に備えているんじゃねえのか?さすがに警察が本気になれば数で圧倒されて終わりだろ?」
「基本的にゲリラ戦が、奴らの得意分野だからな。籠城なんかしたら終わりだろ?今、警官と戦えているのだって戦力を分散させているからだ。もし、あいつらが籠城するとしたら完全に敗北を覚悟したときか、どうしても倒したい奴を倒すときだろうな」
でも考えてみれば、分散しているとしたらアジトの守りは手薄ってことだろ?もし、桜たちの場所が分かれば後はすんなり行くかもな。
大悟は希望を持つと、再び道路の様子を覗った。すると、ビル群の奥の方から1台の大型トラックがこちらに向かってくる。大きな四角い荷台を背負い、フロントガラスには被弾したように穴がとひび割れがいくつも見られた。正面ライトは点いていない。まるで巨大な亡霊のようにエンジン音を立てながらこっちに迫ってきた。
そのまま通り過ぎてしまうのかと思いきや、大悟が隠れている角手前でトラックは停止する。
大悟は嫌な予感がした。下手に出ればそのまま発見される。大悟は、脇道をさらに進んでやり過ごそうと退いた時だった。背後からクラクションの音が鳴り響き、正面ライトが点灯する。大悟が振り返ると脇道の中にトラックが突っ込んできた。
「おい、大悟!?どうした!?」
一馬の声を無視して大悟は背後のトラックから全力で逃げる。
「いたぞ!鳥ドクロだ!!殺せ、轢いちまえ!」
背後の運転席から下品な笑い声と絶叫が響き渡る。
30メートルは駆け、そろそろビルの反対側の通りに出ると考えていたとき、運命は無情にも壁となり大悟の正面を遮った。左右に扉が無いか確認するが、運が悪いことにそんなものは見当たらない。
「殺れええええ!!」
背後の声に反応するように大悟は振り返るとトラックに向けて両手を突きだした。しかし、そんなことで勢いが止まるわけがない。トラックは大悟を巻き込むと、そのまま前方の壁に追突した。クラクション音が際限なく鳴り響く。
「リーダー、やったぜ!?鳥ドクロを殺したぞ!」
助手席に乗っていた目出しマスクの男が戦果を携帯電話で報告した。
「馬鹿!ちゃんと確認しろ、トラックの下にいるかもしれねえぞ!?」
電話の相手の指示に男は慌ててドアから飛び出すと、トラックの下を確認した。暗闇でよく分からなかったが、トラック前方に足が見えたことで安堵の息を吐く。
「大丈夫。完全に壁とトラックに挟まってペシャンコだ」
「よ~し、良くやった!そいつが誰なのかマスクを剥いでこい。もしかしたらサツの人間かもしれない」
男が命令を遂行しようと前方に回ろうとしたときだった。男の隣でトラックの前輪がゆっくりと持ち上がり始めた。男は、その光景が理解できないでいた。まるでレッカー車に乗せられるように前輪が1メートルほど持ち上がると、停止する。不気味な静けさの後、前輪が地面に一気に叩きつけられる。
運転席に乗っていた不良は天井に頭を強く打ち付けられる。頭を強打し、痛みに堪える彼の目前に謎の現象の原因がいた。
鳥のドクロが運転席を睨みながら、トラック前方を持ち上げているのである。再び持ち上がったトラックは地面に叩きつけられる。
運転手は、恐怖で逃げることも動くこともできなくなっていた。
「何してんだ!アクセルを踏め!」
外に出ていたマスク男は中に飛び込むと、そのまま足を運転席側に出しアクセルを踏もうとしたとき、天井が近くなり頭を強打し悶絶する。
地面に叩きつけられる動作が5回ほど行われたとき、すでに強度が無くなりかけていたフロントガラスが粉々に砕ける。
中の男達は身の危険を感じたように左右のドアの窓と鍵を閉めた。
大悟はトラックを押しのけ蹴り飛ばす。悲鳴のような音を上げながら、10メートルほどトラックが滑る。
そのまま、大悟は助手席に回る。そして助手席の窓ガラスを鉄拳で突き破って破壊し、そのままドア内側に手をかけ一気に力を入れる。ドアの蝶番があまりに力に耐えきれず破壊され、ドアがトラックから引きはがされる。
大悟は、ドアを地面に捨てると中をのぞき込む。
「ちょっと散歩でもどうだ、お兄さん?」
大悟は助手席にいた男の左足を掴むと、そのまま助手席から引きずり出し投げ捨て男の首を踏みつける。
「ば、化け物…!」
「警官を平気で殺すお前等には敵わねえよ。…もう聞くこと分かってんだろ、人質の場所は?」
「ほ、本当のことを言ったら見逃してくれるか?」
「言え」
大悟は足の力を強める。
「北地区の貸し別荘、3号と書かれた家だ。ほら、言っただろ!?助けてくれ!」
「もちろん、ダメだ」
大悟は男の首筋にメリケンサックを叩き込み、気絶させるとそのまま運転席の扉を引きはがし中を確認する。運転手の男はすでに気絶していた。あまりの恐怖で卒倒したんだろうか?それとも頭を打ちすぎたのだろうか?
大悟は舌打ちをすると、念のためメリケンサックを叩き込みトラックを後にする。携帯電話で父親に連絡しようとしたが、自分の手元に無いことに気づく。
大悟は自分が叩きつけられた壁の周辺を調べると、5分後ようやく発見した。左前輪タイヤに踏みつけられていた。
「ったく、また壊しちまったか…」
大悟はがっかりしながら片手でトラックを押し、後退させると踏みつけられていた携帯電話を拾う。
奇妙なことにトラックに踏まれたにも関わらず、破損1つしていなかった。折りたたみ式携帯電話はこんなに丈夫だったか?だとしたら、今後は折りたたみ式を買おうかな?
大悟は恐る恐る携帯電話を開くと、画面を確認する。驚くべき事に無事だった。新品同様、何事も無かったようにボタンもちゃんと動き、液晶画面に破損は1つもない。
「すげえな、日本のテクノロジー」
「残念だが、これはフォインのテクノロジーじゃ」
突然、携帯電話に茶色の中華服を着た白髪のジジイが現れた。顔がどことなくやつれて元気が無さそうに見える。大悟は、突然の老人の登場に目を点にして画面を見つめる。
「よお、アイクの息子。確か…大悟だったか?ずいぶん元気に暴れ回っているようじゃな?わしは…」
大悟はシヴァの話を途中で切るように携帯電話を閉じると、何事も無かったように大通りへと向かう。
やっぱり、壊れていたか…。そりゃそうだよな、トラックに潰されていたんだからなあ。
しかもよりによってむさ苦しい爺さんの映像が出てきやがった。桜を誘拐されて俺も相当参っているんだろうなあ、幻覚まで見始めたぜ。こりゃ、早く助け出さないとな。
「こらあ!人の話を聞け、デカブツ!」
公衆電話はどこだろうか?
大悟はギャーギャー騒ぐ携帯電話を放っておくと、道路沿いにある公衆電話を躍起になって探す。最近ではすっかり少なくなった電話ボックスを10分近くかけて発見すると、非常用の10円玉を使い、父親に電話をかける。
「おい、大悟。お前、どこからかけているんだ?」
「北地区貸し別荘、3号と書かれた家だ。金が無いんで早く検索してくれ!」
「分かった…。ええと、友人曰く東地区、稲歌町東駅北側の茶色い屋根の倉庫だ」
「東地区、駅近くの茶色屋根倉庫だな?分かった」
大悟は電話を切ると、電話BOXを飛び出す。すると、すぐに大悟の携帯電話が鳴る。
あれ、壊れてない?じゃあ、あの爺さんはバグみたいなもんか?
大悟は携帯電話を開く。そこにはしかめっ面をしたシヴァが大悟を睨んでいた。大悟は最近のウイルスの出来栄えに驚いた。何と表情までコロコロ変えることができるのである。
「お前は人の話を聞けとアイクに教わらなかったのか?わしは…」
「もしもし、俺だ。悪いな、親父。携帯が壊れたのかと思ったら、変なウイルスに感染していて公衆電話から電話しちまったよ」
大悟はシヴァを無視して、また公衆電話に戻り一馬と話し始める。
「ウイルス?」
一馬は素っ頓狂な声を上げる。
「お前は息子にどういう教育をしとるんじゃ、アイク!!」
「うるせえウイルスだな。無視して話してくれ、親父」
電話の奥から一馬のため息が聞こえる。
「大悟、よく聞け。今聞こえている声はウイルスじゃない。俺の師匠のシヴァ・シンドーだ」
「『シヴァ・シンドー』?道路の名前か?」
県道とか、町道の一種だろうか?
聞いたことのあるような言葉に大悟は混乱した。
「うちの苗字は師匠から取ったんだ。師匠はウェブライナーのガーディアンで、こっちの世界では携帯電話になっている。生身の姿ではライナー波の反応が出てしまってリベリオスに発見されるからな」
大悟は再び、携帯電話の画面を見る。相変わらず、シヴァは大悟を睨みつけている。
「ちょっと待て、親父。渡すときに話したことは嘘か?何で俺にこの電話を渡したんだ?」
「お前だけじゃ心配だからな。師匠がいれば安心だ」
「……中国人のコスプレをした死にかけジジイにしか見えないんだが?何か具合悪そうだし」
すると、携帯電話が大悟の手から跳び上がり、大悟のアゴ、頬、頭を素早く叩き器用にアスファルトの上に着地する。大悟は突然の反抗に、痛みを忘れて目を丸くしていた。
「大悟、携帯電話の状態でも師匠はお前より強いぞ?今は力を失っているが、取り戻したらお前は一撃で大気圏を突破して宇宙まで飛ばされる」
「分かったか、海坊主!」
色々分からないことはあるが1つだけ言える。とにかくこいつは大人げねえジジイだ。
「大悟、不良グループの連中はアジトに集まっているみたいだ。お前の襲来に対抗するために、本来なら警察に任せるところだが…そうなると銃撃戦になり死傷者が出る可能性がある」
「大丈夫だ。誰にも見られず、俺が全員ぶちのめして人質救助すればいいんだろ?」
「自信があるのは良いことじゃが、今回ばかりはわしも口も協力させてもらおう。人質が心配だからな」
シヴァは協力を申し出に、大悟は嫌そうに顔を歪めた。
「助かります、こいつは暴れるのは得意ですが隠密行動は苦手でして」
一馬はほっとした。
「うむ、まあ教育の一環じゃな。わしも修行と思って励むとしよう」
「爺さんに必要なのは修行より介護だろ?」
大悟の言葉にイラッときた携帯電話は大悟の背を蹴飛ばしながら、無理矢理走らせ東地区へと向かっていた。

同日 午後7時49分 稲歌町東地区 不良グループアジト 大悟側
稲歌町東駅はつい最近改装され、今は単なる駅としてではなく駅構内のグルメスポットとして人々に知れ渡っていた。しかし、今回の改装により周囲の人々を丸ごと吸い上げてしまった難点も世論として指摘されている。
例えば、駅の北側には小さな商店街があったが、今回の出来事で駅周辺に人が流れると共に商店街へ人が集まらなくなってしまったのだ。商店街は独自性を出して対抗しようとしているが、中には流出の波に逆らえず廃業してしまった店もある。
その中に米問屋を営んでおり、昔ながらの米俵を出荷していた店がある。今回、不良グループが根城としていたのは、店が所有していて現在は売りに出されている倉庫である。
倉庫前後面はアスファルト整備の駐車場、そして側面を鬱蒼とした2メートル程の長い草が茂る場所が囲んでいた。
大悟は倉庫から離れた林の中から、明かりも点かず孤立している倉庫を眺める。
「西地区にあった物騒な仕掛けは無さそうだな」
「そんなものがあったら、自分たちの居場所を知らせるだけじゃ。アジトは気づかれないことが大前提で作る物だからな」
つまり、西地区の建物は最初から囮だったということか。あまり被害を受けていない東地区にアジトを構えて西地区がボロボロになっていく高見の見物を奴らはしていたわけだ。ずいぶん、悪趣味だ。だが、それもこれまでだ。
「爺さん、中に入ったらこうして喋れないぜ?どうやって俺を助けてくれるんだ?」
「手を出せ。これを耳に入れろ」
大悟は手のひらを出すと空中に七色の光が現れ、大悟の手に落ちてくる。それはイヤホンだった。
「い、今の何だ?光が出たぞ?」
「フォインのテクノロジーじゃ。ここからはわしが一方的に指示を与える。お前は何も喋らず出来るだけわしの指示通りに動け。そうすれば必ず成功する」
「やっぱり、隠密行動か。まあ、苦手なのは事実だしアドバイスは任せたぜ、爺さん。このマスクは、目立たないように意識すればいいんだよな?」
大悟は右耳にイヤホンを入れると、鳥のドクロが周囲の風景と同化するように透明になる。足音に気をつけながら倉庫に草むらの中に進んでいく。
「止まれ。監視カメラ、正面入り口上」
大悟は言うとおりにして、その場を離れる。草むらの中を通り、倉庫裏側へと迂回していく。
「止まれ。倉庫裏入り口上に監視カメラ」
はあ?もしかして手詰まりか?
大悟はゆっくりと草むらから倉庫を見渡す。側面は真っ暗でよく見えないがおそらく、登れるような場所は無いだろう。
「倉庫への侵入口は正面搬入口、あるいは裏搬出口。もしくは屋根の天窓くらいだが、上に登ったら音が響いて一発でバレるな」
どうすりゃいいんだ、動けねえぞ。
大悟が困っていると一馬の声が耳に響いてくる。
「大悟、監視カメラをこっちの支配下に置く。俺の知り合いがすぐにやってくれるそうだ。それまで少し待て」
万能過ぎだろ、親父の知り合い。
しばらくすると、倉庫の中から怒鳴り声が響いてくる。
「いいか!?鳥ドクロとウサギの面をかぶった変態には注意しろ!見つけ次第撃ち殺せ!」
倉庫の裏口が開くとアサルトライフルを握り締めた赤いジャージの2人組が外に出てくる。どうやら倉庫に閉じこもっているのが我慢できずに捜索隊を出したらしい。
「相手はお主等を怖がっているようだ。暴れ回ったせいで恐怖が植え付けられたのであろう。殺される前に殺してやろうと自ら出てきたようじゃな」
大悟は草むらの中でじっと潜み音に耳を傾けた。風の音、それで騒ぐ草の音、一番聞きたいのは相手の足音である。むやみに動かず、相手を一瞬で捕まえられる位置まで来るのを待つ。相手も馬鹿ではない、適当に動けば草の動きと音でこちらの位置が分かるはず。
大悟は息を殺して獲物が近くを通りかかるのをじっと待ち続けた。
しばらくすると、草むらを掻き分ける音がだんだん大きくなってきた。正面、こちらに近づいてくる。
「相手が見えたら反応する前に口を塞ぎ、そして気絶させろ。相手はそのまま倒れるだろうから音を立てないように支えながら地面に寝かせろ、ゆっくりな」
シヴァのアドバイスに大悟は頷くと感覚を研ぎ澄ませて獲物を待つ。
そして相手の姿が見えた。今まで見てきた奴と同じようにマスクをかぶっている。
大悟の行動は素早かった。こちらに相手が気づくより早く、左手で相手の顔を掴み口を覆うと同時に首筋にメリケンを叩き込み気絶させる。そして倒れる音を出さないようにゆっくりと草むらに気を失った相手の体を横にする。
「おい?どこ行ったんだ?」
もう1人が消えた相方を探そうと大悟とは反対の方向に歩いて行こうとしていた。
「完璧すぎるのも問題じゃな。今度は相手をおびき寄せろ」
大悟は心の中で舌打ちをすると、先ほど倒した男が持っていたアサルトライフルを取り上げると左側に放り投げる。草むらの中で音が鳴り、反対側に歩いて行った足音がどんどん近くなってくる。
「やり方は同じじゃ。距離があるから飛びかかれ、そして空中で気絶させて草むらに引きずり込め。音が出るが周囲には誰もいなくなるから問題ない」
一瞬、シヴァの言葉遣いが変に感じたが、相手の姿が見えた瞬間に2メートルほどの高さに跳躍すると空中で相手の首筋にメリケンサックをたたき込み、そのまま草むらに引きずり倒した。
「おい!いたぞ…」
大悟は背後から響いた声に驚いた。相手に発見されたのだ。
もしかしたら倉庫正面からも捜索隊が出されていたのかもしれない。倉庫裏から出てきた奴らに気を取られて正面入り口からの不良には気づかなかった。
ジジイの嘘つき。何が大丈夫だ、敵に見つかったじゃねえか!
大悟は相手が近づいてくるのを覚悟して構えたが、先ほどの声の相手が近づいて来ない。
大悟は恐る恐る草むらから顔を出すと声がした方向を眺める。
すぐに理由が分かった。大木のような剛腕を持った不気味なウサギが不良の首に腕をまき付け窒息させていたのである。
パン屋の奴、俺の後を付けてきやがったのか?お節介にもほどがあるだろ?
「だから、問題ないと言ったろう?頼もしい味方だな」
シヴァが笑うように大悟に囁く。
ああ、そうだね。すごい不気味なウサギが付いてきてくれてすごく頼もしいね。
オタクの姿が見えないがあいつはさすがにどこかで見ているのだろう。もしかしたら見通しの良い所でパン屋に指示を与えているのかもしれない。
不良の気絶が完了した拓磨は、不良をその場に寝かすと大悟の姿が見える位置まで近づいてきて大悟を指さし、その後倉庫の裏口を指さす。そして自分を指さし、倉庫正面入り口を指さす。
どうやら、2方向から不良の逃げ場を絶って攻めるように言っているみたいだ。ここまで来たら最後まで手伝ってもらうか、どうせ帰れと言ったって無駄みたいだし。刑務所入っても文句言うなよ?
大悟は右手を草むらから出して人差し指と親指で「◯」を作ると草むらの中を移動しながら裏口へと向かった。
「おい!?お前等、何で返事をしない!?」
裏口のシャッターは、全開で中が丸見えだった。煌々と電灯が輝き外に向かって光が溢れ出している。中には3人程の男が外に向けてアサルトライフルを構えていた。パン屋の向かった入り口の方にも何人か回っているだろう。
さっきは出てきてくれたから各個撃破できたが、さすがに草むらまで来てくれる気配は無い。あれだけ味方がやられているんだから用心しているんだろう、当然だが。
「ふむ。困ったのう。明かりが点いているからすぐにバレて撃たれる。バレずに入る方法を探すか、あるいは一瞬で間合いを詰めて正面の3人を連続で無力化させるか…」
簡単に言ってくれるな、この爺さんは。
間合いを詰めるにしても草むらから倉庫内の不良まで20メートル以上はある。俺は瞬間移動はできないから一気に詰め寄るのは無理だ。3人連続はメリケンのおかげで余裕かもしれないが。
「大悟、俺の知り合いが倉庫の照明システムのハッキングに成功した。20秒だけ照明を暗くするから、その間に片をつけろ」
一馬の希望の声が耳に響き渡ると大悟はにやりと笑った。
どんだけ優秀なんだよ、親父の知り合い。弁当の配達代無料でいつでも出向いてやっても良いな!
間髪入れず、照明が消え倉庫の中は瞬時に外と同じ色になる。
目の慣れていた大悟にとって、相手の位置は分かっていたため全力で草むらから飛び出し銃を持った相手に突っ込んでいった。
まず左端に男の首筋に向かって跳躍しながら右手のメリケンサックを叩きつける。真ん中の男が襲撃に気づき、大悟に向けて銃を向けたが、ライフル上部を左手で掴むと真下に向けさせそのまま男のアゴにメリケンをアッパーカットで叩きつける。
一番右端の男は倒れていく仲間の無念を晴らそうと大悟に銃を向けた。動けば避けられるが、そうなると倒れている背後の男達に当たる可能性がある。
瞬時に判断した大悟はメリケンを相手に投げつけた。見事に額に突き刺さり、男は天井に向かってライフルを乱射しながら仰向けに倒れる。大悟はライフルを蹴飛ばし男の手から外すと額に刺さっていたメリケンを回収する。
反対側のドアの方から、人が倒れる音が聞こえる。どうやら、パン屋も消灯に合わせて突撃してきたようだ。それと同時に壁や天井から大きく軋む音が響いてくる。台風が来て、風が叩きつけているようだった。天気が荒れてきたのだろうか?
大悟は慌てて倉庫の入り口に戻ると、壁に身を隠して照明が点くのを待った。監視カメラは無視だ、すでに襲撃はバレているだろうし、中だと隠れる場所が無い。
照明が点くと、中の様子を入り口から窺う。
中はテニスコート4面ほどの大きさ、一面灰色のコンクリートで覆われ、凹凸は見受けられない程きれいな平面となっていた。部屋のあちこちには車両のタイヤ痕が付けられており、よく見ると殻が付いた米などの粒や藁、泥がそこら中に落ちていた。この部屋に米などを保管していたのだろうか?
大悟はゆっくり部屋を見渡し、天井を向くとしばらく天井を見つめそのまま視線を水平に戻した。天井と壁は鉄骨が張り巡らされている。入って右側、壁際にドアが取り付けられている。そのドアの隣に階段が設置されており、上の階に続いている。2階部分は壁に沿って通路が設置されており、1階のドアの真上に別のドアが設置されていた。
1階、2階にそれぞれ部屋。桜と冴島刑事はどちらかに閉じ込められているのだろうか?
「おい、鳥ドクロおおお!出てきやがれ、サシで勝負しようぜ!!」
1階のドアから、筒を束にしたような銃身を引きずり、背中に箱を背負いながら声を張り上げながら大悟を探す男が部屋に飛び出してきた。4番と呼ばれていて、戦闘する気満々の男である。
そして、大悟が隠れている入り口目がけて銃口を向ける。よく見ると、銃から箱まで数珠のように弾が伸びていた。機械音が響くと、大悟は即座に身を引き入り口から離れる。
鼓膜が破けるような連続した発射音が倉庫から外へ響きわたり、先ほどまで大悟が立っていた壁を穴だらけにし吹き飛ばした。
しばらくすると、音が聞こえなくなり倉庫の中から笑い声が聞こえてくる。
機関銃とか人に向けるものじゃねえだろ…。
大悟はため息を吐くと、両手を挙げながらゆっくりと倉庫の中に入っていく。
「散々やってくれたな、鳥ドクロ!ウサギはどうした!?」
「ニンジンを食べに小屋に帰ったんじゃないのか?」
「ふざけんじゃねえ!!」
大悟の右側の地面に銃弾が跳ねる。鳥ドクロは微動にせず、じっと不良と銃口を眺める。
「てめえ一体何者だ!?警察か!?」
「警察がこんなお面かぶっていたら、夕方のニュースに載るだろ?」
ふてぶてしいほど落ち着いた鳥ドクロに4番は焦りと恐怖を隠せずにいた。銃を向けられて、絶体絶命のはずなのにまるで自宅にいるように落ち着いている。手が震え、知らないうちに慌てて銃を握り直していた。
「お前、名前は?」
今度は大悟が質問をした。
「あっ!?」
4番は大悟に銃を向ける。すると、鳥ドクロは笑い始めた。
「ただ名前を聞いただけなのにぶっ放すのか?どうせ、俺を殺すんだったら教えてくれても良いだろ?日本中の警官敵に回して、明日のニューストップに載る男がどこの誰なのか知りたいんだよ」
「4番だ」
4番の答えに鳥ドクロは首をかしげた。
「お前等、番号で呼び合っているのか?」
「うるせえ、俺等の勝手だろが!!」
4番は鳥ドクロを恫喝する。もはや、限界だ。相手はいつ撃ってもおかしくない状況、質問を終える時が来て準備が整った。
「それじゃあ4番、1つアドバイスだ。横断歩道を渡るときは、右見て、左見るだけじゃ駄目だ。今度から最後に上を見て渡れ」
鳥ドクロの言葉が一瞬分からなかったが、その言葉の意味に気づくと天井を見上げた。
そこには手を4番に向け、10メートル近い天井から落下してくるウサギがいた。
ウサギは入り口の不良を倒した後、暗闇に紛れて壁の鉄骨を伝い天井まで上がっていたのである。鳥ドクロの余裕は、ウサギの準備が整うまでの時間稼ぎだったのだ。
銃を向ける時間など無かった。ウサギは押しつぶすように4番の上に着地する。重みに絶えきれず、4番は地面に俯せで叩きつけられる。即座に鳥ドクロが近づくと首筋にメリケンを叩き込み、痙攣してそのまま動かなくなった。
「ったく、ウサギはいつ忍者になったんだよ?」
「ウサタローに不可能は無いんだそうだ。リス君曰く」
ウサギは4番から武器を取り上げると、壁際に置いた。鳥ドクロは4番が出てきた部屋の中に入る。
「おい、パン屋!刑事がいたぞ!」
大悟の声に釣られ、拓磨は部屋の中に入っていく。5メートル四方の狭く何も無い部屋だった。そこには顔中痣だらけ、警官の服が泥だらけで血がこびりついていた冴島刑事が痛みに呻(うめ)いて地面に寝転がっていた。
「だ…誰だ?」
「心配ない、助けだ。パン屋、手を貸せ。まずは刑事を外に運ぶ」
「心堂桜はどうする気だ?」
右側で刑事を支えるように手を貸しながら、拓磨は反対側から支えている大悟に尋ねた。
「あいつは……後だ。目の前にいる怪我人が先だ」
大悟が悔しそうに言葉を漏らす。本来ならば、一刻も早く桜を助けに行きたいのだろう。だが、怪我人を不良がいる倉庫に残すのは危険だ。それに、冴島刑事の体のこともある。
拓磨はそれ以上、言葉をかけずなるべく冴島刑事に負担をかけないように大悟と協力しながら正面入り口へと歩いて行った。
2人は周囲の気配を気にしたが、先ほどまで銃撃戦があったとは思えないほど静かである。もしかして、不良は全員倒したのだろうか?だとしたら、ラッキーなのだが。
「逃げてえええ!!」
ほのかな期待はすぐに霧散した。突如、背後から悲鳴のような叫びが響く。大悟は刑事を放すと声の方を振り向いた。
倉庫内に轟く一発の銃声、大悟の体は宙を浮いてそのまま背後の拓磨達に倒れてくる。拓磨は緊急事態にすばやく冴島刑事のヒザ裏と背中に両手を回し、抱えると背後を振り向かず全力で走る。そのたびに振動で冴島が苦痛に呻く。
拓磨の背後で銃弾が地面に当たる音が響いたが、何とか入り口にたどり着き、冴島を隣に下ろすと扉に隠れる。
「大丈夫!?」
「急患だ!冴島刑事は重傷、もう1人銃で撃たれた!すぐに救急車だ、ゼロ!」
拓磨は携帯電話から尋ねてくるゼロアの言葉に返答しながら、入り口から中を見ようとするが、慌てて頭を引っ込める。直後、銃弾が拓磨から30センチ程前方の地面を跳ねた。
「出てこいよ、早くしないとこのガキ殺すぞ?」
倉庫の中から先ほどとは異なる男の声が響いてくる。
拓磨は意を決すると、ゆっくりと入り口から中に入ってくる。
大悟は、仰向けで地面に倒れていた。胸の部分に穴が開いて、そのまま動かずにいる。
声の主は2階にいた。赤いジャージを身に纏い、メガネの位置を調節すると左手の大型拳銃をへたり込んでいる少女の側頭部に突きつけている。
桜は両手を後ろで縛られていて、恐怖で震えていた。
「なんて…ひどい」
桜は声を震わせると、目を瞑って恐怖から逃れようとしていたが、目を閉じても涙が流れ続けていた。
「ほら~、見てやらなきゃ駄目だろ?お前の命を助けに来てくれた変態さん達だぞ?身の程知らずな馬鹿ばっかりだ」
2番が桜の方を向いているとき、拓磨は近づこうとするが、すぐに拓磨に銃が向けられた。
「お前は動くな」
「大人しく少女を解放したほうが良い。あんたらの負けだ。もうすぐ警察も流れ込んでくる」
拓磨の言葉をメガネの不良は鼻で笑った。
「『警察』?あいつらに何ができた?今回の騒動であいつらは俺等に振り回されて何1つ機能してなかっただろ?ヤバいのは奴らじゃない、お前等2人だ」
2番は拓磨と大悟を交互に見る。
「さてと、その面を取って貰おうか?ウサギ君」
「俺を殺す方が先決じゃないのか?それなら、いくらでも素顔を拝めるぞ?」
「いいから言うことを聞け!」
2番は苛立ち、桜に拳銃を向けた。拓磨は、素早く面を取ると鋭い眼光で2階を睨みつける。面が取れたことにより、冷たい怒りが全身から周囲に漏れ出していた。直視しただけで心臓が止まりそうなほどの凶悪な威圧感を放っている。
桜は拓磨に気づき、小さく声を上げるが黙りこむ。
「や、やっぱり面をかぶれ…!」
拓磨の極悪人のような顔に戦慄すると、2番は声を震わせながら促した。
「わざわざ外したのに何でまた付けるんだ?」
「さっさとしろ!!」
「…美男子でも想像していたのか?夢見すぎだろ?」
拓磨は、ブツブツ呟きながら再びウサギの面をかぶる。
「お前を殺すのは後だ。まずはそこの鳥ドクロだ」
標的を変更した2番は床で倒れている鳥ドクロに狙いを定める。
「止めて、撃たないで!」
桜が体をぶつけて止めようとするが、2番は桜を振り払うと抵抗し続ける彼女に怒りを覚えたのか銃を再び向ける。
「ガキが…!そんなに死にたいなお前からだ!!」
拓磨が、桜の危機に慌てて飛びだそうとしたときだった。
「撃ちやがったな?」
それはあまりに低く重い言葉で耳に吸い込まれると残響のように鼓膜を揺らし続けていた。騒いでいた場が静まりかえり全員が声の飛んできた方向を向く衝撃があった。
撃たれて寝転がっていた鳥ドクロは体を起こすと、そのままゆっくりと腰を上げ立ち上がる。
「ば、馬鹿な!?防弾チョッキか!?」
2番は超常現象を見たように震えると、鳥ドクロに向かって銃弾を撃ち続ける。一発目は鳥ドクロの右側に外れ、2発目は左に外れる、3発目と4発目は見事に大悟の胸に直撃する。ジャージに合計3発の穴が開き、鳥ドクロはよろめいたが今度はその場に踏みとどまった。
鳥ドクロは胸に力を入れて膨らませると足元から甲高い金属音が聞こえてくる。ひしゃげた弾丸がジャージの中から地面に転がり落ちていた。
「エアガンで警察を敵に回すとは面白い挑戦だな?」
「きょ、胸筋で実弾を受け止めただとおおおお!?」
「やはり、俺たちと同じか…」
鳥ドクロの常識離れした行動に2番は悲鳴を上げたが、拓磨は親近感を覚えた。自分も最近骨で銃弾を受け止めたばかりなのだ。やはり、大悟はライナー波の影響を受けているのだろう。自分や祐司と同じだ、今の行動で偶然にも確信を得られた。
鳥ドクロがゆっくりと階段に向かって歩いて行こうとすると、2番は慌てて桜に近づくと側頭部に銃口を突きつける。桜は怯えながら、意識を保つように両手を合わせて握り力を入れていた。そのせいで体全体が震えている。
「来るな!!こいつがどうなっても良いのか!?」
鳥ドクロは足を止めると、2階を見上げた。空っぽな目がじっと不良を見つめている。
「そうだ…、身のほどをわきまえろ。お前は化け物みたいだが人質がいるのはこっちなんだ!まだ、終わっちゃいない!さあ、さっさと道を開けろ!!」
「お前、幸せいっぱいで死にそうだな?」
鳥ドクロはぽつりと呟く。
「あっ!?急に何言ってやがる?」
「少なくとも30歳くらいまでは生きられるんじゃねえのか?周りにはたくさんの人がいて世話してくれるから、寂しくもないし、飯も食わせてくれる。お前は黙って寝ているだけでいいからある意味最高な人生の終わりを迎えられそうだ」
「さ、さっきから訳の分からないことを言っているんじゃねえ!」
鳥ドクロは一拍置くと、再び喋り始めた。
「お前がやれることは2つだ、赤ジャージ。1つは『黙って降伏して、俺に気絶させられる』。もう1つは『人質を殺して俺に生きたまま四肢をもぎとられ、喉を潰され、病院のベットで芋虫になりながら、人工呼吸器を使って植物人間として生活していく』」
おいおい…脅してきた奴を逆に脅しているぞ、この男。
ウサギは呆れながら、成り行きを見守っていた。
一方のミスター赤ジャージは、鳥ドクロの言葉を冗談だと笑い飛ばしていたが手は痙攣したように震えていた。恐怖が毒のように彼を支配し始めていた。
「は…ははは!そんなことできるわけ…」
「冗談だと思うか?まあ、その方が気持ちが楽だからな。これからずっとそう思っていて良いぞ?」
心臓に釘を打ち込むように鳥ドクロは、言葉を飛ばした。
2番はまだ笑っていたが、明らかに顔が青ざめていた。目の前に意味不明な存在がいて、何をしでかすか分からないためだろう。胸で銃弾を受け止めて、化け物として証明しているのだ。冗談だと笑い飛ばせない状況に2番は陥っていた。
「さてと、どうする?好きに選べ、俺はどっちでも良い。まあ、俺なら前者を選ぶかな。そんな死んだ方がマシな人生送りたくないからな。お前にそういう趣味があるなら止めないが……どうする?」
勝敗は決まった。恐怖に支配された2番はすでに戦意喪失状態だった。銃口は地面を向き、体全体を震わせていた。
「正しい選択だ」
「いや、それじゃ困るんだよ」
鳥ドクロは階段に向かおうとしたときに、別の声が2階から聞こえた。そしてドアが開く音と同時に轟く発砲音。鳥ドクロとウサギが見た光景は、額から鮮血を吹き出した男が2階の通路に倒れ込む映像だった。同時に桜から、耳をつんざくような悲鳴が聞こえる。
男から流れ出した血は通路から1階へと滴り落ち、1階の床に血だまりを作り上げた。
「いやあ、さすがだな大悟!大活躍じゃないか!」
1人の赤いジャージを着た男がドアから現れた。顔に傷が入った男だ。拳銃を右手に2階のドアから満面の笑みを浮かべて顔に傷が入った青年が通路の手すりに掴まり大悟に挨拶をする。
変装をしていても分かったということは大悟の知り合いか?
拓磨は、大悟と突如現れた男を交互に見ながら桜を救助するタイミングを窺っていた。
一方、男が現れたことによって大悟に変化が現れた。怒りに震え、両手を握り締めるとマスクを自分ではぎ取り拓磨にも負けない凶悪な眼光で2階の男を睨みつけていた。
「何やってんだ、京士郎!どうしてお前がここにいる!?」
「まあまあ、色々話すこともあるからさ。とりあえず、警察は邪魔だからドアは閉めておこう」
遠くからパトカーのサイレンが響き渡ると同時に倉庫の両側の扉が自動的に閉まる。
大悟と拓磨はドアの方をチラリと見たが、逃げることもせずじっと京士郎を眺めていた。
「俺たちがアジトとして使っている間にちょっと改造しておいたんだ。防音仕様だから音も外に出ない。警察は優秀だからこうでもしないとじっくり話せないだろ?」
京士郎は持っていた拳銃を2階から放す。落下し始めた拳銃は7色の光に包まれると、溶けるように宙に消えた。
今のは、ライナー波か!?
拓磨の中に緊張が走った。おそらく、京士郎という男はリベリオスと繋がりがある。ひょっとしたら、不良達に銃器を与えて稲歌町を戦場にしたのはこの男なのか?
「何だ…今の手品は?」
大悟は、目の前の現象に驚いていた。
「ライナー波というんだ。無限の変化を可能にする枯渇することの無い究極のエネルギー。俺の希望さ」
「無限の変化?究極のエネルギー?訳が分からねえ、いいからさっさと家に帰るぞ、京士郎」
大悟は京士郎の話を無視して歩き出そうとしたときだった。
眼前の宙に7色の円が出現すると、その中から人の体が次々と出てくる。全員赤ジャージを着ており、意識を失っていた。20人ほど吐き出すと、輪は宙に消えて消滅した。床の上には気絶した不良達の山が残っていた。
「何だ、これは?」
大悟は尋ねる。
「今回の事件の犯人達だよ。警察相手に喧嘩ふっかけて、大暴れ。最後は圧倒的な力を持つ大悟に叩き潰されて壊滅する。そういう予定だったんだ」
「『予定』だと?一体何のことだ?」
大悟の問いに京士郎はため息を吐く。
「あ~、そうだった。お前は1からちゃんと説明しないと駄目だったっけ?ええと、結論から言うと…今回のドンパチ騒動は俺が起こしたんだ」
大悟の顔が険しくなる。
「何でだ?」
「いくつか理由がある。1つは俺の入っている組織だ。名前はリベリオス。その組織のお偉いさんからどうしても騒動を起こしてほしいというので不良に武器流してこんなことしました」
「奴らのやろうとしていることが分かっているのか?」
大悟と京士郎の会話に拓磨が入ってくる。京士郎は拓磨の方を見ると、困ったように顔をしかめた。
「ええと…とりあえず初めましてだな。不動拓磨、あるいはウサギ君か?今の状態だと、どう呼べば良い?」
拓磨は面を外すと素顔を見せる。
「好きに呼べ」
「分かった。俺がリベリオスに入ったのは奴らの目的と俺の目的が一致したからだ。だから、協力している。ただ、それだけ」
「『目的』?何だ、それは?」
「それは言えないなあ。特に、初めて会ったばかりの人には。聞きたいなら大悟から聞いたらどうだ?心当たりはあるはずなんだが」
拓磨は視線を大悟に向けるが、表情1つ変えず京士郎を睨んでいたので断念した。
間違いなく大悟と京士郎は知り合いだ。その京士郎がリベリオスに入った原因を大悟が知っている?過去に2人に何かがあったのは間違いないだろうな。
すると、京士郎は仕切り直しとばかりに両手を叩いて合わせた。
「さてと、理由その2。俺には恋人がいるんだ。彼女といるとその時間が光の速さで過ぎていく。愛しい彼女との時間は俺にとって至福の時というわけだ。これが、理由その2だ」
「お前の恋愛話と警察との戦争に何の関係がある!?」
大悟が激怒するが、京士郎は前髪をいじくりながら掻き分けると涼しい顔で話を続ける。
「理由その3。ある人を俺たちの世界に引き込みたかったから」
「ある人?」
「お前に決まっているだろ、大悟?」
京士郎が、驚く大悟をニヤニヤと笑う。
まるで友人同士のように会話を楽しんでいるようだ、少なくとも京士郎は。拓磨にはそのように2人が写った。
「俺…?何で俺なんだ!?」
「もちろん、俺たちは友達だからな。楽しいことも辛いことも分かち合うのは当然だろ?」
「じゃあ、警察に喧嘩を売る必要もねえだろ!特に、桜や冴島刑事を人質に取る必要なんかなかったはずだ!」
「はあ…、どうしてお前はそう察しが悪いんだ?拓磨は気づいたような顔をしているぞ?それでは、俺の代わりに答えてもらおうかな?」
大悟は左側10メートル程の所にいた拓磨の方を向く。拓磨はアゴを手を当て、2人の会話を端から聞きながら今回の騒動の成り行きを確認していたのだ。
「俺はお前達をよく知らないし、あくまで客観的な意見だが…大悟、今回の騒動で人質誘拐が無かったらお前は出てこなかったんじゃないか?桜が誘拐されたからお前は危険を冒してまで出てきたんだろ?それを京士郎は知っていたんだ。だから、桜を誘拐した。冴島刑事は、巻き込まれただけのオマケだったわけだ」
今回の事件、表向きは警察へ恨みを持つ不良達の暴動だ。京士郎はこれを上手く利用したんだ。おそらく、リベリオス上層部の目的と京士郎の目的は違う。京士郎の目的はあくまで大悟を介入させること、それを上手く誤魔化すために警察の暴動を起こした。
リベリオスと自分、両方の目的を果たすためにとんでもない被害を引き起こしたんだ。飄々とした態度を取っているが、頭のネジが吹き飛んだ行為を平然と行っている危険な男だ。
「素晴らしい、なんと冷静な分析だ!感情的で暴走がちなどこかの誰かさんに見習わせたいものだなあ!」
京士郎は拓磨に賛辞を送ると、隣で呆然と3人の会話風景を眺めている桜に向かって両手を合わせて謝罪した。
「すまないなあ、桜ちゃん。本当は君を巻き込みたくなかったんだ、ごめんな。ただ、こうでもしないと大悟は動かないからさあ」
「何人傷ついたと思っているんですか…!?そんなことのために人なんか殺して!」
桜は軽蔑するように京士郎を睨みつける。京士郎は、バツが悪そうに頭を掻く。
「あ~、そりゃ怒るよなあ。死にそうな目にあったもんなあ…。次からは他の手を考えるよ」
「まだ騒動を起こすつもりですか!?」
「もちろん。ただ、しばらくは個人行動は控えるかな。そもそもあいつの事が無かったら、わざわざここまでやろうと思わなかったし。恋人のためとはいえキツいね」
2人の会話を見上げていた拓磨は、話を聞いていてどうも腑に落ちない点があった。
『恋人のため』とはどういう意味だ?京士郎は恋人のために今回の騒動を起こしたということか?暴動を起こすことが恋人のためになるとはどう考えても思えないんだが。
ひょっとしたら、何か普通とは異なる理由があるのかもしれない。常識の範疇から外れた理由が。
拓磨が頭を回転させているとき、外でサイレンの音が大きく聞こえ始める。人の声がシャッターの外から騒ぎ出し、中に反響した。拓磨は携帯電話を取り出すと、祐司に電話をした。
祐司には外で待機してもらって、周囲の様子を見ていてもらっていたのだ。
「警察が到着したのか?」
「たっくん、早く逃げた方が良いよ!?このままじゃ逃げられなくなるよ?」
「俺は問題ない。ただ…」
拓磨は目の前の光景を眺めると言葉に詰まってしまう。
一体、どう対処すれば良いんだ?まずは桜を京士郎から引き離して、大悟を気づかれないように倉庫から脱出させて、俺はウェブスペースに行く。
かなり難しいが、これをやるしか他に方法はない。
「さてと、観客が集まってきたからそろそろ始めるとするかな?」
京士郎は楽しむように切り出した。
「逃げられねえぞ、京士郎!一緒に警察に捕まれ!」
大悟は一喝して京士郎の方に飛び出していく。拓磨も大悟に合わせて、京士郎に向かっていった。
「今はダメだ、大悟。それより時間だ。カンナ~、食事の時間だぞ~!」
京士郎は大声で人を呼ぶように高らかに叫ぶ。
その時だった。目の前に倉庫の天井まで届く程の虹色のほどが2人の前に現れる。京士郎と桜は壁に隠されるように見えなくなってしまった。
「避けろ!」
異常な雰囲気を感じ取り、ゼロアとシヴァが同時に叫ぶ。大悟はとっさに右側に飛び跳ね、拓磨は逆側に跳ねる。そのまま、2人とも壁際まで走る。
2人が空けた中央の空間に虹色の壁を突き破り、巨大な頭が出現した。頭部だけでも倉庫中を埋め尽くす程の大きさがあり、岩石のような焦げ茶色の皮膚と細く黄色い眼球と黒く細い瞳孔、目から血を流すように口に向かって模様が描かれていた。
頭部の形を見ると、まるで巨大なワニがいきなり倉庫内に頭だけ出現したように拓磨には思えた。
ワニは口から怪獣のような咆哮を放つ。衝撃でシャッターと壁に亀裂が入り、拓磨と大悟は耳を塞いでその爆音に耐える。すると、目の前に置かれていた気絶している不良達の山に目を向けると、大きな口を開き4メートル程もありそうな巨大な牙と真っ赤な口腔を拓磨達に見せつけ、不良達を食らい始めた。
不良が次々と口の中に放り込まれていき、骨や肉が砕ける鈍い音を立てながら、どんどん目の前から消えていく。
拓磨と大悟は止めさせようと、ワニの頭部に向かっていくが、食事の邪魔は許さないと言わんばかりにワニが再び咆哮を放つと、2人は衝撃で再び壁の方に吹き飛ばされる。今度は上手く地面を転がり受け身をとると、2人はもう一度向かおうとする。
だが、時すでに遅かった。2人が見た光景は最後の不良が口の中に放り込まれ、消えていくものだった。
不気味な肉を噛みつぶし骨を砕く音を出しながら、ワニは口を動かす。
大悟と拓磨は呆然としながら、目の前の巨大な怪物に注目していた。
その後、ワニは左右の目をそれぞれ動かし2人を見つめる。
拓磨と大悟は身構え、回避のタイミングを合わせる。タイミングを外せば、そのまま口の中に放り込まれ先ほどの不良と同じ末路を辿ることになる。
だが、ワニはそのまま2人を無視すると虹色の壁の中に頭を引っ込めるようにして吸い込まれ、目の前から消え去った。
まるで何事も無かったかのように静寂が戻る。あまりの異常な光景に大悟は頭が混乱していた。だが、彼の目には燃えるような怒りが宿っていた。
不良を見殺しにすることしかできなかった無力な自分への怒り。
自分のせいで桜や大勢の人を巻き込んでしまった自分への怒り。
そして…あのワニに人を殺させた事。共に学び、共に遊び、無二の親友であった京士郎への怒りである。
大悟は信じられないことにあのワニを知っていた。絶対に忘れてはいけない光景、夢だと思っていた過去の惨劇が彼の記憶を呼び起こしたのである。
「京士郎オオオ!!自分が何しているのか、分かっているのか!?」
虹色の壁が目の前から消え、怒りに震えて2階の京士郎を大悟は睨む。
「ああ、少なくともお前よりは分かっているさ。さてと、仕上げだ。桜ちゃん、悪いけどもう少し付き合ってもらうよ」
京士郎は嫌がり暴れる桜を右肩に担ぐようにして持ち上げると、左手を目の前にかざす。すると、目の前に人間が通れる程の虹色の円が出来た。
「待て、桜をどこに連れて行く気だ!?」
今度は拓磨が問う。
「ウェブスペースだ。ウェブライナーと一度手合わせ願いたいと思っていたんだ。じゃあ、先に行って待ってるからな~。大悟、お前も早く来いよ。これから、毎日が殺し合いの日々だ。お前好みだろ?」
不気味な笑みを浮かべ、京士郎は笑いながら虹色の円の中に桜と共に消えていく。
拓磨は急いで携帯電話を取り出すと、祐司に連絡する。
「祐司、ウェブスペースで合流だ!心堂桜がさらわれた。俺たちで取り返すぞ!」
「分かったよ、たっくん。ゼロアとスレイドさんと一緒にウェブライナーで待ってる。音声じゃ分からなかったんだけどあの京士郎って奴、そっちで何をしたの?」
「今回の事件の犯人達をワニの餌にした」
拓磨のありのままの言葉も現場にいない人にとっては、意味不明な内容である。
「えっ?それがあいつの目的?そもそもワニって何?」
「とにかく、俺もすぐに行く。準備は任せたぞ?」
祐司の質問に答えず拓磨は電話を切ると、携帯電話をそのまま宙にかざしウェブスペースへの虹色の円を作り出す。
「おい、パン屋!一体何がどうなっているんだ!?」
大悟が拓磨に近寄ってくる。
「お前も父親から話は聞いているだろう?お前の友達の京士郎はリベリオスの一員。リベリオスは地球人に対し攻撃を行ってきている。俺と祐司は超巨大ロボットでこれから桜を取り返しにリベリオスと戦いに行ってくる」
大悟は人が入れるほどの大きさの虹色の円を見つめる。
「ここに入れば京士郎の所に行けるのか?」
「ああ、そして奴らと殺し合いが始まる。そして、始まったらリベリオスを何とかするまで抜けることはできなくなる。普通の生活はもちろん、身の回りの人間も危険にさらされる」
拓磨は淡々と事実を呟いた。大悟はそんな拓磨を見て、さらに尋ねた。
「何でお前は平気なんだ?人を殺すかもしれないし、殺されるかもしれないんだろ?」
「…平気じゃない。ただ、俺たちしか出来る奴らがいないんだ。普通の人間はこの中に入ったら、化け物になるかもしれない。俺と祐司はどういうわけか平気だ。だから、俺たちがやるしかないんだ。それに誰かを助けたいという気持ちもあるしな」
拓磨は虹色の円に足を運ぶ。大悟はその姿を見て、顔をしかめて複雑そうに眺めていた。そんな大悟を見ると、拓磨は口を開く。
「『できるのにやらない』と『できないからやれない』は全然意味が違う。どうせ、後悔するならやってから後悔したい、俺はそう選んだ。お前はどう選ぶ?」
「…俺は」
「もし、助けが欲しいなら俺たちが力を貸してやる。自分の手で桜を助けたいんだったら、お前の携帯電話の中にいる存在にお前の意思を話せ。どう選択しても俺はお前の意見を認める。最終的に決めるのは自分なんだ、大悟」
拓磨はそのまま虹色の円に入ると円と共に携帯電話が掻き消えた。
取り残された大悟は、黄色い携帯電話を取り出すと電話を開き液晶画面を見た。そこにはまっすぐ大悟を見つめているシヴァの姿があった。
「爺さん、俺を訳の分からない世界に連れて行ってくれ」
「わしの契約者になるということか、後悔しないか?契約したとしてもお前の資質の問題がある。お前が行けるかどうかも不明なんだぞ?」
「後悔はたぶんするだろうな。これから毎日、面倒ごとに巻き込まれて人を助けて回るんだろ?だが、それでも俺は行く。桜を助けに、そして京士郎は俺が止める。毎日愚痴吐きながらも前に進み続けてやる。それが俺の意思だ」
ただひたすら真っ直ぐな大悟の言葉にシヴァはかつての弟子の姿が重なった。自分が止めるのも聞かず、自らの信じる意思のために地球へ旅立った彼の父親の姿を。そして、今度は彼と同じように息子も自分の意思のために動こうとしている。
老兵はただ去るのみと思っていたが、若さとは時に恐ろしくそして素晴らしいものだ。どうやら、心まで老いるのはまだ少しばかり早いように感じる。
「よろしい。お前をわしの契約者と認め、戦場へと案内しよう。覚悟はいくらしても足りんぞ?死に物狂いで生きてみせろ」
「上等、こうなりゃ何でも来てみやがれ」
「認証コードヲ作成シマス。オ名前ヲドウゾ」
突然流れてきたウェブスペースへと踏み込む電子音の言葉に大悟は黙り込む。
「心堂大悟」
「声紋認証シマシタ。心堂大悟。『ウェブスペース』ヘノ移動ヲ許可シマス。ライナー・コード『マスター』」
すると、黄色い電話から光が放たれ目の前に虹色の光の渦ができる。
大悟は自分の頬を両手で叩くと自分に喝を入れ、そのまま気合いと共に中に飛び込んで行った。
ちょうどその直後、警察がシャッターをこじ開け強行突入を開始したが、そこはすでに誰もいなくなった後だった。

第7章「マスターフォーム、誕生」
同日  午後8時38分 ウェブスペース いつもの白い砂漠
拓磨の眼前に白く煌めく砂が見えた。砂を踏みしめ、ウェブスペースにコートを身に纏った紫色のラインが目立つ戦闘服で現れる。
次の一歩を踏み出そうと強固なブーツが砂の上に置かれたとき、地響きと衝撃が背後から起こり、拓磨は手を地面に突いて倒れるのを防いだ。
素早く背後を振り向いた拓磨の目に飛び込んできたのは、遙か彼方で仰向けに寝転がっている白い巨人の姿だった。その上を青い体の鳥が10匹程飛び回っている。
あれが新しいリベリオスのロボットだろうか?
拓磨は、エアライナーを呼ぶと背後から高速で接近してきた飛行物体に掴まり、そのまま風を払いのけウェブライナーに向かっていく。
「たっくん!空を飛んじゃいかあああん!!」
「はあ?」
ウェブライナーから拡大された祐司の声が響き渡る。最初は、何を言っているのか分からなかったがそれはすぐ現実になった。上空で何かが煌めき、音が拓磨の目と耳にかすかに届く。拓磨は危険を察知して慌てて、エアライナーから手を放す。
落下していく拓磨が見た光景は先ほどまで自分が乗っていたハンググライダーが翼ごと真っ二つに切断されているものだった。そして推進部を損傷したのか、空中で大爆発が置き、拓磨は衝撃で宙を飛ばされる。幸いにも飛ばされた先に寝ていたウェブライナーがあり、拓磨は光となるとそのままウェブライナーに乗り込んだ。
「ああああ、せっかくゼロアが作った小学生の自由研究があああ!これで全滅だあああ!」
「うるさい!殴るぞ、祐司!」
祐司の嘆きとゼロアの怒号が周囲を虹色の壁に囲まれた部屋の席に座った拓磨の耳に届いた。
なるほど、エアライナーは全滅というわけか。原因はあの青い鳥だな。
拓磨はゼロフォームの指揮権を得ると、指定の位置に手と足を置き巨人を動かす。
ウェブライナーは素早く立ち上がると、手のひらを空に向ける。
「ライナー・ハルバード!!」
拓磨の声と共に巨大な斧が生成、射出されるとウェブライナーはそれを空中で受け取り構える。青い鳥の群れは全長100キロメートルの巨人の上空を旋回し続けていた。
「ウェブスペースに到着したらゼロアが既に戦っていたんだよ!」
祐司が状況説明を始める。
「ゼロ、ウェブライナーの損傷具合は!?」
拓磨はウェブライナーを操り、正面から突っ込んできた青い鳥の突進をハルバードで受け止める。あまりの衝撃でウェブライナーは体勢を崩すが、何とか踏みとどまり鳥を払いのける。ハルバードを見ると刃の部分のど真ん中に穴が開いていた。貫通しなくて助かった。
笑えねえ威力だ…。一歩間違えれば蜂の巣だな。
「胴体部分の損傷率は20%を超えた!再生はしているけどスピードが追いつかない!」
ゼロアの叫びに拓磨は、うんざりしたように叫び返す。
「敵に弱点がバレているからな、速くて小さいのは苦手だ!」
ウェブライナーは背後から飛んできた鳥の突進を背中にハルバードを回すことで受け止める。だが、ついに衝撃に負け斧が棒の部分を残してへし折れる。
鳥は、勢いそのままにウェブライナーの左腕付近を横切っていこうとしたが、拓磨はそれを見逃さなかった。素早くウェブライナーの左腕を振り上げると、腕に付いている刃で鳥の右翼を切断し地面に落とす。
速すぎてかわすことが無理なら受け止めた瞬間に攻撃を叩き込むだけだ。
「祐司とスレイドさんは後方と上空を見てくれ。発見さえしてくれれば、俺がそれに合わせて鳥を落とす」
「なるほど、全方位にそれぞれ目を向けて拓磨殿が我々の感覚を通して敵を認識するというわけですか。複数人乗りの利点をこのロボットは最大限に活かせますね。乗っている別の人間の感覚も分かるとは驚愕的です」
スレイドは感嘆して呟いた。
このウェブライナー、1人で乗ればそれほど脅威ではないだろう。だが、複数人乗ればそれだけ力が増大する。全方位探知、つまり意識を他のパイロットに向ければそのパイロットの感覚を知ることができるのだ。例えば祐司に感覚を向ければ、彼が見えているもの、聞いている音を知ることが出来る。いつの間にか多数で乗り込むのが前提のロボットになってしまった。
多数の敵を相手にするときはこれほど心強いものはない。相手がどこで何をしているか発見できれば対策が立てられるからだ。だから、全員が周りに目を向けておけば大抵の攻撃は対処できる。それでも無理なものはあえて受けて反撃するか、センスで何とかするか、対処方法は様々だ。
ウェブライナーは右から突っ込んできた鳥をハルバードを生成して受け止める。鳥は上空へと逃げようとしたが、激突して減速した姿は十分認識できるものだった。
「ライナー・チェーン!」
拓磨の叫びと共にウェブライナーの左手の平から白銀の鎖が勢いよく射出されると、上空に逃げる鳥の胴体に絡まる。そのまま引っ張り鳥を地面に叩き落とすと、体の周りでヌンチャクのように鎖を振り回すと、飛んでいる別の鳥に偶然当たり2匹同時に爆発させ、粉々になる。
「…お?マグレ当たりだ」
この場ではチェーンは本当に便利だな。振り回しているだけで攻撃だけではなく防御にもなる。おまけに相手を捕縛できるし、至れり尽くせりだ。
ウェブライナーが次の標的を選んでいると、飛んでいた鳥が一直線に正面へと背を向けて逃げ帰っていく。
「ライナービイイイイム!!」
拓磨の叫びと共にウェブライナーの胸のコアの前に紫色の球体が現れると、突然中から水が噴き出すように光の流れが鳥を追いかけていく。しかし、鳥は八方に散ると、ビームを軽々と回避する。ウェブライナーはそのまま上半身を動かし、1体の鳥を巻き込み爆散させる。しかし、他の鳥は遠くで粒のような大きさになり、やがて消えた。
途端に拓磨は我に返ったように周りを探した。
「ゼロ、鳥なんか相手にしている場合じゃない!こっちに桜と京士郎が来たはずだ!」
ウェブライナーは周りを見渡すが、拓磨達全員が探すがどこにも姿は見えない。
「たっくん、俺たちこっちに来てから誰にも会わなかったけど」
「ひょっとしたら、リベリオス本部に直接さらわれたのかもしれません」
祐司とスレイドの発言に拓磨は唸る。
もし、そうなったら本部を見つけないといけないが残念だが検討もつかない。
「とりあえず、鳥の後を追うか…」
ウェブライナーは辺りを見渡しながら、走り出した。騎士の姿のため動くたびに白銀の鎧が擦れる音が立つ。どこまでも変わらない白い砂漠を巨人は走り抜けていた。
「あっ!たっくん、ストップ!」
祐司の声で、ウェブライナーは右足を宙に上げたまま止まる。
「どうした?」
拓磨は聞き返すとウェブライナーはそのまま脚を下ろし正面を見つめた。
すると、突然目の前の画面に祐司から映像が送られてくる。そこにあったのは遙か彼方に白い砂の上に寝転ぶ桜の姿だった。服装はすっかり汚れていて、白い砂の上ではよく目立つ。
「おお、祐司殿!お手柄ですぞ!」
「いやいや、そんなことよりちょっと可愛過ぎやしないかね!?人工物では決して為し得ない神がかり的、殺人的な可愛さを感じますよ!彼女は本当に人間かい?」
祐司は嬉々として、桜の可愛さを褒めちぎっていた。
「祐司、友喜に言いつけるよ?」
ゼロアはあざ笑うかのように祐司を脅迫した。
「ああっ!?本当に性格の悪いマニュアル人間だ!たっくんが来るまで鳥にボコボコにされていただろ!?ちょっとは武術でも学んだらどうだ!?」
「君が原因でスレイドが活躍できていないんだろ!訳の分からない変身ポーズ条件さえなければ、彼が全員叩き潰していたのにさ!」
「ああもう、お二人とも喧嘩は止めて下さい…!」
スレイドが2人の喧嘩に仲裁に入る声を拓磨は呆れて聞いていた。
そもそも、こんなでかいウェブライナーからよく人間の姿を補足できたもんだ。1000キロメートルは離れている気がする。祐司の目は人工衛星並みに精度が良いのか、それともそれがオタクという存在なのか?
まあ、どうでもいいか。早く桜を助けに行こう。
拓磨が席を立ち上がり、外に出ようとしたときだった。
突然、ウェブライナーの足元が暗くなる。異変に気づいたゼロアがウェブライナーを背後に飛び跳ねさせる。先ほどまでウェブライナーが立っていた場所に茶色いフード付きの外套をまとった巨人が立ち、桜への道を塞ぐ。
拓磨は慌てて席に戻ると、指揮権を取り戻す。
「ゼロ、レーダーに反応は無かったよな!?」
「もちろんだ」
そうなると、レーダー対策をした上で上空からやってきたということか?
ウェブライナーは上を見上げるがそこには何も無い。投下されたわけではないようだ。じゃあ、何で上空から現れたんだ?
「初めまして。ウェブライナーとパイロット諸君」
拓磨は声の方を注視する。よく見ると、ロボットの頭の上に米粒のようなものが見えた。意識を集中して画像を拡大すると、そこにいたのは先ほどまで桜と一緒にいたはずの京士郎だった。
「たっくん、あいつ誰?」
祐司は関わりたくないのか、ヒソヒソと囁いた。
「大悟の友達らしい。名前は京士郎だ」
「えっ?あのゴリラ、友達なんていたの?京士郎ってどこの動物園の何て生き物?ゴリラの友達だからチンパンジーか何か?」
「祐司、大悟を人間と認めてやれよ…」
拓磨はため息を吐きながら頭を抱えた。
「あの~、京士郎さん?あなた、チンパンジーですか?」
祐司は恐る恐る聞いたことも無いような質問を京士郎に質問した。
「…頭のおかしい奴がウェブライナーには乗っているのか?俺の名前は九条京士郎、人間だ」
先ほどまで上機嫌だった京士郎が質問の意図が分からないようで困惑して答えた。
ウェブスペースで平気でいる以上、普通の人間じゃない。リベリオスが京士郎に何か力でも与えたのかもしれないな。ただ、今は京士郎よりも桜と目の前のロボットだ。
「なぜ、桜をさらったんだ?もう彼女は関係ないはずだ。」
拓磨が尋ねる。すると、京士郎は笑い始めた。
「『関係ない』?むしろ、これからリベリオスとの戦いに巻き込まれるんだ。危険防止のために自分たちがどういう状況にいるのか理解させる必要があるだろ?手っ取り早くこっちの世界に連れてくれば嫌でも分かる。幸い、彼女はウェブスペースに来ても平気だからな」
父親がフォイン星人だから大丈夫ということか。その理由なら大悟も大丈夫ということになる。むしろ、おかしいのは俺と祐司だな。
「君はリベリオスがどういう組織か知っているのか!?地球人を犠牲に実験行為を繰り返しているんだぞ?」
「そのおかげで地球は平和じゃないか?」
ゼロアの問いに京士郎は飄々と返す。
「何が言いたい?」
「分かるだろ、拓磨。俺たちが実験体にしているのは社会にとって害を及ぼす人間、もしくはその予備軍だ。この前の相良組はヤクザ、今回の不良達は警察に恨みを持った闇サイトの住人達。反社会分子は殺しても誰も文句は言わないだろ?」
拓磨の問いに京士郎は冷たく答える。
「そのために尋常じゃない警察官が犠牲になったけどな?」
「本人達が『警察官を皆殺しにしたい』と言ったんだ。そりゃ、犠牲も出るだろ?」
拓磨の疑問に、京士郎は冷たく答える。
「ライナー波で洗脳したんだろ?」
「ライナー波は『願いを叶える力』だぜ?洗脳というより夢を叶える手伝いをしたんだ。本人達も大満足で死ねたし、自分の命を誰かの役に立てることができて万々歳じゃないか」
「捨て駒にされたあげく、高層ビル並みのワニに食われて死ぬなんて人間の死に方じゃねえ」
「ワニじゃねえ!!カンナだ!ちゃんと名前で呼べ!!」
飄々と答えていた京士郎が急にキレると拓磨は眉をひそめる。
あのワニに何か思い入れでもあるのか?ただのペットという訳ではないようだが…。
拓磨は疑問に思いながらも京士郎に話を合わせることにした。
「……カンナの餌にされて死ぬなんて悲惨すぎる」
「どこが悲惨だ?俺の恋人のためになれたんだ。感謝されても非難される覚えはないぞ?」
拓磨は言い直すと、京士郎のさらに冷徹な答えが返ってきた。
どうやら、京士郎はあのワニの餌のために今回の騒動を起こしたようだ。その餌は闇サイトで見つけた不良達。大方、ネット経由でライナー波を浴びせて傀儡にしたのかもしれない。散々暴れさせて最後は餌にする。
何というか…色々凄まじい計画だな。ペットを恋人と呼ぶならまだしも、その餌のために殺人を犯す者は初めて見るかもしれない。
「とりあえず、お前を野放しにしておくのは危険だ。悪いがお前の計画、潰させてもらう」
「はっはっは、悪いが拓磨。俺を止められるのは昔から大悟だけなんだよ。でもまあ、とりあえず今回は俺の代わりにこいつの相手をしてもらおう」
すると、京士郎の右側に虹色の光の渦が生まれると中から赤いジャージを着た男が現れる。
拓磨にはその男に見覚えがあった。先ほど、倉庫で俺が天井から落下して大悟が気絶させた不良の1人。確か、4番と呼ばれていたな。ワニに食べられたんじゃ無かったのか?
「本当はカンナのために死んでもらいたかったんだが、上官の指示なんでな。こいつにこのロボットを操縦してもらう。まあ、ロボットは自動操縦だから乗っていてもらえばそれでいいんだけどな」
「まさか、馬場先生の時みたいにする気か!?」
祐司が怒りに声を震わせ叫ぶ。
「あ~、そういやこの前実験があったんだっけ?俺はいなかったから知らないけど。ライナー波って人間の感情と組み合わせると莫大な力をもたらすらしいからそのデータを取る必要があるとか無いとか……詳しい話は知らないが。まあ、俺にはどうでもいいけどな」
隣の男は髪が真っ白に変色し、顔中が信号のように虹の7色を点滅させ、体中の血管が青く筋を浮き出たせていた。ジャージは所々破れており筋肉が隆起し、口からは蒸気のように白い煙を吐き出していた。
おそらく限界を超えるライナー波を浴びたのだろう。誰の目から見ても手遅れであるとはっきり分かるものだった。
「こんな死に方、あってはならない…!」
スレイドが口から怒りをこぼしていた。
「それでは、ウェブライナーとのガチンコ対決!レディ・ゴー!!」
京士郎は巨人の頭から背中の方に飛び降り、姿を消した。4番は野獣のような雄叫びを上げると、足元の巨人の中に光となり吸い込まれていった。
下のロボットの目が虹色に輝くと、勢いよくローブを剥ぎ取る。
中から現れたのは両手を黒いグローブで覆った格闘家のようなロボットだった。今まで戦ってきたロボットと異なり、鎧のような強固な装備は見られず、まるで裸の人間である。装甲らしい装甲は見当たらない。
白い騎士とボクサーの戦いが始まってしまった。
「ああなった以上…やむを得ないか!」
拓磨は悔しそうに呟くとウェブライナーを動かし、ハルバードを引き抜くとそのまま振り下ろす。
だが、いきなりボクサーが目の前から消え去り、ハルバードが空を切った。それと同時にウェブライナーのアゴに鉄拳がめり込み巨体が宙を舞う。
そのままボクサーが宙に浮かんだウェブライナーの前に現れると蹴り払うように脚を動かす。ウェブライナーは何とか体勢を立て直すと、ハルバードを盾にして蹴りを受け止めようとしたがその破壊力に斧が砕かれ勢いを殺すことができず吹き飛ばれ、砂の上を転がり、俯せに倒れた。
「何かマスター・シヴァみたいな動きしてくるんだけど、あいつ!反応どころじゃないよ、全然見えない!」
祐司は焦って叫ぶ。
「『みたい』じゃない!おそらく、マスターのデータをロボットに組み込んで作り上げたんだ!」
ゼロアが祐司の発言に答える。
だが幸いなことに相手はデカイ。慣れれば当てられない相手じゃない。
拓磨は素早くウェブライナーを立ち上がらせると、ハルバードを生成し握り締める。
ハルバードが破壊されたと同時にカウンターで打ち込む。装甲ならこちらの方が上のはず。ダメージ覚悟で少しでも体勢を崩せば勝機はある。
ウェブライナーは相手の攻撃を待った。正面のボクサーはゆっくりと歩いて近づいてきた。しかし、殺意は突然正面からでは無く背後からやってきた。
「後ろだ!」
ゼロアの叫びで、ウェブライナーは右手で背後に斧を回し背中への攻撃を受け止める。それは先ほど飛び去っていった青い鳥だった。いつの間にか鋭いくちばしを武器に死角から襲いかかってきていたのだ。
同時に目の前のボクサーが襲いかかってくる。右拳をウェブライナーの腹部目がけて打ち込んでくる。ウェブライナーは左膝で相手の拳を受け止める。
次にボクサーの左拳が飛んできた、狙いは胸のライナーコア、急所狙いである。
ウェブライナーは左手でボクサーの拳を受け止めようとしたが、上空から8羽程の鳥が襲いかかってくる。ウェブライナーの両肩から上空に向かって鎖が射出され、6羽の鳥が捕縛されたが、全部は無理であった。
ウェブライナーの左肩と右胸に鳥が突き刺さり、虹色の液体が血のように噴き出す。そしてボクサーの拳をまともにコアに叩き込まれる。白い騎士に衝撃が走り、目が点滅する。
それが全ての始まりだった。ボクサーはチャンスを逃すまいとウェブライナーのコア目がけて動画の倍速のように高速移動し鉄拳の雨を集中で叩き込んでいく。
ウェブライナーはそのままサンドバックにされ、逃れようとするが先を読まれたのか両膝を砕かれ、そのまま全身をタコ殴りにされる。
降りかかる拳は早いだけでは無くとてつもない破壊力を持っており、ウェブライナーの鎧が殴られるたびに亀裂が入り砕かれていった。
あらかた鎧を砕き終わったボクサーはそのまま両手掌突きをウェブライナーの腹部に叩き込み、巨人を吹き飛ばした。
ウェブライナーはボールのように地面を転げ回り、俯せで倒れていた。その目からは生気が抜けるように光が失われ暗闇に沈んでいた。
わずか5秒も経たないうちに勝負は決した。一瞬の隙で再起不能なまでに叩き潰されたのである。
「マズいよ!動かなくなっちゃった!」
祐司の悲鳴ももっともである。拓磨の部屋の壁は真っ赤に染まり、緊急警報のアラートが鳴り響いていた。
『動作完全停止。今すぐ脱出せよ』
現実は残酷である。目の前の画面に敗北を記した文字が並べられ、拓磨は舌打ちをする。
「ゼロ、どうにかならないか?」
拓磨は尋ねる。
「無理だ!ウェブライナーの機能が完全に沈黙している」
「私が外で敵を引きつけます!皆さんはそのうちに退却を!」
スレイドが進言したが、ゼロアが一喝する。
「ダメだ!鈍い相手と戦うのとは訳が違う!相手は巨大な上に超高速で動けるんだ、生身じゃ分が悪すぎる!」
「じゃあどうすりゃいいの!?」
祐司のセリフを拓磨も言いたかった。腕組みしながら目を閉じ黙って考えにふける。
ほんと、どうすりゃいいんだ?そもそも今回の敗因は何だ?
相手がたくさんいたから?それともこっちがノロマだったから?まあ、どっちも原因だな。
やはり決定的なのはスピードだ。今の倍近い速さで動ければ、少なくとも鳥の群れは壊滅できた。マスター・シンドーモドキにも対抗できたはず。
あのロボットに対抗するには抜本的にスピードを底上げするか、あるいは何度殴られてもびくともしない丈夫な装甲を手に入れるかだ。
どちらも非現実的な解決方法だ。だが、どちらかを手に入れる可能性ならある。今はまだここには無いが。
「不敵だな、不動拓磨」
拓磨は目を開け、突然声が響いてきた正面を見つめる。そこには黒いのっぺらぼうが拓磨と同じように腕組みをしながら立っていた。
「…イル、ウェブライナーを停止させたのはお前だな?」
「ほう?よく分かったな。戦いに才を持つお前にとってこの判断は正解か?」
イルはクスクス笑いながら、絶望の雰囲気を楽しんでいるように見えた。
ウェブライナーが潰され、絶体絶命のピンチのはずなのに両者とも不気味な余裕を見せていた。
「正解だ。どうせ起動しても動けない。なら、死体になっていた方がまだ良い。労力の無駄を防げるからな。お前こそ、ウェブライナーをボロボロにされて怒っていないのか?」
「怒っているに決まっているだろう?ロクな操縦もできずに我が家をボロボロにされて、乗っている馬鹿共のやかましい声を聞き続けなければならない。せっかく力を与えてやったのにお前の友達は全く使えこなせていない。正直泣きたくなる」
イルと拓磨は同時にため息を吐く。
「ゼロが怒っていたぞ?ポーズなんて含めたせいで全く本番で役に立たないとな。あれは消去してもいいんじゃないか?」
「渡里祐司の能力を最大限に活かす方法を指定した場合、あの奇妙なポーズが必要だという答えに達した。下手に能力を低下させる意味はないだろう?」
「そのせいでカオスフォームが使いにくいことこの上ないんだが?」
「それを何とかするのはお前等だろう?そこまで責任は持てない。私はただ変化を与え、求めるのみ。自分たちの無能さを相手の責任にするのは筋違いだろう?」
ああ言えばこう返してくる。最初に出会ったときの無機質さは無くなってきたが、逆に口うるさくなってきやがった。最近は酒の好みが日本酒からウイスキーに移り、高い酒ばっかり注文してくる。出費がかさむせいで叔母さんの不機嫌度は日に日に増し、俺と叔父さんはご機嫌を取りながら何とか生活している状況だ。
接待して動くロボットって一体何だ?まあ酒とツマミしか費用がかからないんだから経済的と言えばそう言えるな。
「それにお前はこの状況にも関わらず余裕の表情を浮かべているから、あまり心配はしていない。何か秘策があるのだろう?」
「イル、祐司と同じように話を聞いてもらいたい奴がいる」
「悪いが、興味が無ければ外に捨てるぞ?別にそいつがどこで消えようが知ったことではない」
「ああ、それで良い。そいつは殺しても死ななそうに見えるからな。外に放り出してもきっとまた乗り込んでくるぞ?凶悪さなら祐司と互角だ」
拓磨はイルに微笑する。イルは鼻で笑うと拓磨に背を向ける。
「エネルギーを損傷箇所に集中させ、全身の強度を高める。いつまでも耐えられないぞ?コアを完全に破壊されたら私もろとも終わりだ」
「道連れにならいつでもなって良い。楽しみにその時を待っていてくれ」
「お前らと心中なんて御免だ。私を踏み台に生き長らえる予想しかできない」
イルは愚痴を呟くと空気に溶け込み姿を消した。
「ゼロ、祐司、スレイドさん!良い作戦を思いついたぞ、この状況を打破する最高の案だ」
「さすタク、洗濯、僕らのたっくん!ついに本気を出したな!で、その案て何?」
「昼寝でもしながら黙ってじっとしていろ」
わくわくする祐司に向かって拓磨は自信満々に呟いた。
「おおおおおお……お?な、何だ!その作戦は!?じっとしていてどうやって勝つんだ!!」
ゼロアが絶叫する。
「たぶん勝てる、心配するな」
拓磨は目を閉じながら椅子に深々と座り直すと、眠り始めた。最近、疲労が溜まっていたのかすぐに夢の世界にいけた。
その様子を見ていたゼロアはとても拓磨が正気だと思えなかった。
「スレイド、今すぐ拓磨を起こすんだ!今回ばかりはちょっとおかしい!狂っている!」
「拓磨殿のことです。何か考えがあるのでしょう。全て手を打ったのならば、後は天命を待つのみ。今こそ、その時なのかもしれません。しばらく、敵のことは放っておきましょう」
スレイドはそう言うと自分の空間でライナー波で日本刀を作り、暇つぶしに素振りを始めた。
「な、何を言っているんだい!?戦闘中に居眠りする作戦なんてあるわけないだろ!祐司…君は」
一方の祐司は席から立ち上がると装身ポーズを練習し始めていた。
「おおっ!?修行の成果でなんかポーズにキレが増している気がする。これでカオスフォームは敵無しだな」
「分かった、もう知らない!こんな自由すぎる奴ら、まとめられるか!敵にやられたら君たちのせいにして呪ってやるからな!」
ついにゼロアは職務放棄をすると、通信を切った。
こうして、前代未聞の電撃作戦『休み時間』は始まったのである。

同日 同時刻 ウェブスペース
大悟は暗闇の中にいた。息を吸おうとしても呼吸ができない。体を動かそうとしても体が重くてなかなか動かない。息が苦しくなってきた大悟はその場でもがき続けた。すると、右手が突然自由に動くようになった。どうやら、何か空間があるらしい。
息が限界になりかけていた大悟は全身全霊の力を振り絞り、体をばらつかせその空間に顔を突き出した。
急に視界が明るくなり、大悟の目に光が入ってくる。強烈な光に目を閉じるが、次第に視界が慣れてきて周りが見えてくる。そこはどこまでも続く白い砂浜のような何とも殺風景な場所だった。
大悟は自分の体を見る。頭と右腕が砂の中から飛びだし、後は砂の中に埋まっていた。なんと、先ほどまで砂の中でもがき苦しんでいたようだ。あやうく窒息しかけるところだった。
あまりに理不尽な扱いに大悟の怒りはあっという間に頂点に達した。
「ジジイイイイイイイイイ!!!どこだ、シヴァの爺さん!?」
「大声出すな、アホ。難聴になったらどうしてくれる?」
見ると、大悟の隣にシヴァが白髪の頭だけ砂から飛びだし埋まっていた。
「あんた絶対敵だろ、なあ!?俺を生き埋めにして殺すのが目的でリベリオスから送られてきたんだろ!?何が『死に物狂いで生きてみせろ』だ!?散々かっこつけといて、渦に入ってわずか数秒で死にかけるとはどういう待遇だ!」
「すまんなあ、最近力を失ったせいでまともにゲートを開く事もできなくなってしまったようだ。とりあえず、助けてくれ」
大悟は力任せに砂の中から這い出ると、シヴァの手を掘り当てそのまま野菜を引き抜くように引っ張る。
「これじゃ本当に老人介護じゃねえか!あんた、本当に親父の師匠か!?」
「まあ、力を無くしてしまえば誰しもこんなもんよ」
引きずられたシヴァは自分のチャイナ服を叩き、砂を落とすと周囲を見渡し、大悟に向き直る。大悟が巨大すぎるせいで190センチメートルは超えるはずのシヴァが小さく見えてしまう。
「とりあえず、最初の言葉は『ようこそ、ウェブスペースへ』か?」
「なんか何もない所だな?異世界なんだから、宇宙船でもあるのかと思ったが」
あるのはただの白い砂漠だった。大悟は、何とも残念な気持ちで周囲を見渡すとふとある一点に目が留まり、目を見開く。
「おい、あれ桜じゃないか!?」
慌てて大悟は飛び出すと砂を蹴り上げ進んでいく。シヴァは歩きながら大悟の後を付いていく。
500メートルほど先に地面に寝転がっている桜に大悟は近づくと、屈みながら華奢な桜を抱え揺する。
「おい、桜!大丈夫か!?」
大悟に揺らされた桜は小さく寝声を上げると、ボンヤリと目を開き、大悟の方を見て口元に笑みを浮かべる。
「う……ん…?お、兄ちゃん?…ありがとう、来てくれて。刑事さんは平気?」
「ああ、今頃病院に運ばれている。お前も行くんだ。シヴァの爺さん、さっきの門を開いてくれ!場所は病院!絶対に土の中に埋めるんじゃねえぞ!」
「直接病院に送ったらパニックになる。監禁されていた割には元気そうだし、少し離れた人気の無い場所に送ろう。すまないがそこから歩いて行ってくれ」
シヴァは手を宙にかざすと、虹色の円を作りあげた。大悟が桜を持ち上げようとしたが、桜は大悟から飛び降りると虹色のゲートを見て、さらにシヴァに近寄り見上げる。
「あ、あの一体何が起こったんですか?この門は?ここはどこ?あなたは…誰?」
「わしの名前はシヴァ・シンドー。これから色々とあなたの兄に世話になる。詳しい話は帰ってからにしよう。今は黙ってこの中に入ってくれないか?」
シヴァは優しく、桜に語りかけると右手を円の方に向け桜を促す。
桜は心配そうに兄の方を振り返る。
「大丈夫だ。その爺さんは信用しても良い。親父が世話になった人だ」
「お父さんが?……分かった、でもお兄ちゃんはどうするの?」
「ちょっと用事があるんだ。すぐに終えて俺も戻る」
「あの京士郎って人のこと?あの人、誰なの?昔、どこかで見たことがあるんだけど」
大悟はどう切り出して良いのか分からないように顔をしかめると、ゆっくりと口を開く。
「あいつは…俺の親友だ。お前がガキの頃、よく俺と遊んでいた。たぶん、その時の記憶じゃねえか?」
「お兄ちゃんの友達?」
「頼む、今は先に戻ってくれ」
桜は少し考え込み、頷くとそのまま中に入っていく。姿が見えなくなり、円が消える寸前奥から声が響いてきた。
「絶対、帰って来てね!」
大悟は小さく笑みを浮かべると同時に完全に扉が消えた。
「良い子だ」
「当然だ、俺の妹だぞ?」
「嘘を言い続けると引っ込みがつかなくなるから止めておいた方がいいぞ?」
「なんだそりゃ!俺は本当のことしか言ってねえぞ!」
すると、大悟の背後の砂が突然吹き上がる。大悟は慌てて振り返ると、そこに京士郎が立っていた。
「確かにお前は嘘を吐けるほど頭は良くないな?」
「見つけたぞ、京士郎!いい加減観念しやがれ!」
「せっかく兄妹の再会に水を差さないように隠れていたのに、最初から怒り心頭とは実にお前らしい」
大悟は立ち上がる京士郎に殴りかかっていったが、京士郎はバック転をした後、10メートルほど跳躍し後方宙返りを6回行い大悟から距離をとった。
「やはり攻撃に殺意が無いな、それじゃダメだ。大悟、それじゃ俺は納得しない」
「ふざけたことぬかすな!桜や警察まで巻き込みやがって、こんな砂だらけの世界に一体何があるって言うんだ!?」
すると、京士郎は右手の指を弾く。すると、突然何かが割れるような音がしたと同時に轟音と地震が近くから響き渡る。大悟とシヴァは立っていられなくなり、地面に伏せると音がした方角を見る。
そこには雲を突き抜けそうなくらいの白い巨人を、同じくらいの大きさの黒い巨人が馬乗りになってボコボコにしている姿があった。
「あれ」
京士郎が一言呟き、指で巨人を指し示す。
「な、何だ!?あの馬鹿でかい巨人は!?」
「こっちも色々大変だったんだぞ、大悟?監禁中桜ちゃんに危害が及ばないように配慮したり、こうしてシールドで彼女の周りを覆って怪我しないようにしたり。彼女は本当に無関係だから、すんなり帰るのを見送ったり。こっちの苦労も分かってくれよ」
京士郎はため息をつくと愚痴を大悟に呟いた。それに大悟は激昂する。
「じゃあ最初からそんな計画止めちまえ!」
すると、京士郎は冷めた笑みを浮かべると大悟の目を直視した。見た者を話さない強烈な意思を感じる目であった。
「それはできないな。大悟、俺は絶対に諦めないぞ?そのためなら何だってやってやる。もちろん、お前を殺すこともな。それくらい…お前だって分かっているはずだ。昔ながらの友達だからなあ?」
「京士郎…」
大悟は、悲しそうに口から言葉をこぼす。
「さて、俺は覚悟を見せた。じゃあ次はお前の番だ。ここでどういう決断をするのか。ちゃんと見ているからな?またな、大悟」
京士郎は手を振り笑うと、彼の背後に突然現れた虹色の円に倒れ込む。大悟が飛び出したが、すでに京士郎は消えた後だった。
大悟は肩を落としてうなだれると、シヴァが歩いて大悟に近づき話しかけてきた。
「彼はすでに人間を辞めている。わしがリベリオスで彼に最初に会ったとき、すでに今の状態だった。おそらく、改造手術か何かを受けたのだろう。それほど強い信念だ、何か目的があるのかと思ったがまさかお前が関わっているとは…」
大悟は沈黙したまま、再び鳴り響いた地響きの方を向く。見ると、白い巨人は蹴り上げられサンドバックにされながら、振り回され投げ飛ばされていた。
「なあ、爺さん。パン屋とオタクはロボットに乗って戦っているんだろう?なかなか、操縦が上手いじゃねえか」
「『操縦が上手い』?わしには何もしていないように見えるが」
話を切り替えた大悟に嫌な予感が押し寄せた。
「えっ?あの黒い全裸の巨人がパン屋達が操っている奴だろ?」
「違う。今、ひたすらボコボコにされているのが拓磨達が乗っている巨人だ」
「ボロ負けにもほどがあるだろ!抵抗すらしてねえし、あれじゃただのマゾじゃねえか!」
シヴァはアゴ髭を撫でるように触ると考え始めた。そして、ふと何かを閃くと笑い始める。
「はっはっは、なるほど!ずいぶん大胆な賭けをしたのう?」
「あっ?ど、どういう意味だ?爺さん!」
大悟が尋ねた時ウェブライナーは雑巾のように宙を舞い、投げ飛ばされた。
「ウェブライナーはな、最近姿を変えるようになったのだ」
「姿を変えるって……変身するのか?」
「ああ。どうしてそうなるかは分からないが。1つ分かっていることはウェブライナーのガーディアンとその契約者がいると姿が変わり新しい力を得る。そのおかげでリベリオスは作戦に失敗してしまった」
「『ガーディアン』……何だ、それ?」
いきなり専門用語を出されて大悟は頭が混乱していた。
「あの巨人を操縦できる4人のフォイン星人のことだ。わしもその1人」
「じゃあ、俺と爺さんがあの巨人の乗ればまた別の姿に変わるということか?」
「可能性はゼロでは無いだろうな、絶対とは言えないが」
大悟はボロボロにされているウェブライナーを見つめる。
まあ、確かにパン屋が乗っていたとして一方的にボコボコにされているのはおかしい。あいつだったら負けそうな状況でも絶対勝ちそうな雰囲気がある。
つまり、一方的にやられているのは作戦ということか?じゃあ、何のために?
まさか、俺達が来るのを待っているのか?
パン屋が真っ向勝負では勝てない程の相手というわけか、あの黒い巨人は。
「わしの観察だと、あれはわしのデータを取り入れたロボットじゃ。スピードと攻撃力に重点を置き、瞬間的に相手を一方的に蹂躙する攻撃力が生まれる。今までのウェブライナーだと、極端なスピード対策はできないはずじゃ。あまりにも相性が悪くてどうしようもない状況ということか?」
「だから、ああやって俺たちを待っているのか?」
「余分な力を使うくらいなら逆転の一手に全て賭けようとしているんじゃろう。本当、お前は彼らに信用されているようじゃな」
勝手に信用されても困るんだけどな。巻き込まれて来てみたら、一歩踏み込んだら抜けられない闇金みたいな場所だし。あんなロボットに乗って殺し合いなんて警察でもやらねえよ、おまけに全部ボランティアだぜ!?タダ働きで殺し合えなんてどこの狂人だよ!せめてコンビニのバイトくらい、給料出してくれよ…。
大悟はため息を吐くと、乱闘しているロボット達に向かって歩き出した。
「おおっ?リベリオスと戦う気になったのか?」
「別にリベリオスなんてどうなろうが知ったことじゃない。戦いよりもバイトの方が何百倍良い、金もらえるし少なくとも命の保証はされる」
「では、なぜ戦う?」
シヴァは大悟の心へメスを入れるように言葉を選び投げかけた。大悟は背後のシヴァに顔を向けると口を開く。
「俺の家は弁当屋だぞ?客に弁当売らなきゃ潰れちまう。この数日、チンピラのアホ騒動のせいでどれだけ商売を邪魔されたか知っているか?今後も同じようなことされたらたまったもんじゃねえ、とっととそいつらぶっ潰して金回りを良くしたい。これが理由その1」
シヴァは笑いを堪え黙って聞いている。
「リベリオスがいたら桜がいつ巻き込まれるか分からない、だから滅ぼす。これが理由その2」
「ほおほお…」
シヴァは顔を緩ませ、相づちを打つ。
「それと…まあ、色々他にもあるがパン屋とオタクは桜のために協力してくれた。借りを返さないまま死んじまったらこっちの気分が悪くなる」
「なるほど…つまり、お前も立派なお節介ということじゃな」
「…お節介か?全部自分のためなんだが」
大悟のピンときていない言葉にシヴァは笑い出す。
「はっはっは、アイクは教育に成功したようじゃな!良い良い、わしも覚悟を決めたぞ。お前と共にわずかな可能性に賭けてウェブライナーと心中してみせよう」
「死ぬなら俺を巻き込まず孤独死してくれ、爺さん」
大悟の言葉も聞いていないようで、シヴァは上機嫌で笑っていた。
「さてと、それではわしもウェブライナーに向かおう。と、その前にお前に頼みがある。わしを背負ってくれ」
「……あ?爺さん、歩けるだろうが?」
「今のわしはまともに走れないんじゃ。お前にはわしを背負って、ロボットの乱闘の間をすり抜けて、怪我1つ我々に負わせず、全速力でウェブライナーまで行ってもらいたい。距離は……大体600キロメートルくらいか?」
シヴァは遠目で自分たちの位置を確認していた。
大悟は頬を痙攣させて、シヴァに殴りかかる準備を整えていた。しかし、瞬きした間にシヴァは大悟の背後に瞬間移動しているとそのまま大悟の背中に乗っていた。
「ほら、早く走らんかい!ウェブライナーがやられてしまうぞ?」
「降りろジジイ!そんだけ早く動けるなら、ロボット助けてこいよ!」
「あ~、耳が遠い。飯はまだか?」
大悟は歯ぎしりしながら、シヴァを背負ったまま走り出した。まるで手ぶらで走っているかのように大悟はスピードを上げ、走りながら砂を巻き上げ背中のシヴァにわざと砂の雨を降らせていた。
「ぐあっ!?ろ、老人虐待!」
「あ~、耳が遠いなあ!どこぞのジジイのことなんか全く何にもちっとも知らねえなあ!!」
大悟は怒りに任せて、喚き散らすと前方に顔を向け叫んだ。
「パン屋、オタク!俺もそのデカいのに乗せろ!!」
大悟の怒鳴り声に黒いロボットが気を取られ、動きを止める。その隙をウェブライナーは見逃さなかった。手のひらを黒い巨人に向けると、ハルバードが射出される。
黒い巨人は体を反らし、それを回避するがウェブライナーはその隙に動くと大悟達の前に滑り込むように移動する。
そして、大悟達は光に包まれるとウェブライナーの胴体に吸収される。
その時だった。白い巨人の目と胸のコアが黄金色に輝くと、周りに暴風が吹き荒れ、巻き上がった白い砂の中にウェブライナーの姿が消える。
黒い巨人は近づこうとしたが、強風が壁のように接近を遮り、はじき飛ばされてしまう。

同日 午後9時24分 ウェブライナー内部
光に包まれた後、大悟は意識を失っていた。そして目を開けたとき、身の回りが大きく様変わりしていることに気づく。
周囲を虹色の壁と床に囲まれ、まるで自分が浮いているかのような錯覚に陥っていた。なぜか、その床で大の字で寝転んでいた大悟はゆっくり周囲を見渡しながら立ち上がる。
「趣味の悪い場所だな。…というか俺どうなったんだ?」
大悟は呟くと、とりあえずシヴァを探して歩き出そうとしたときだった。突然背後から視線を感じると慌てて、振り向く。
そこには玉座のような虹色の椅子に腰掛けながら、頬杖をついて珍妙な生き物を眺めている黒いのっぺらぼうがいた。
大悟は目を疑い、何度も眺めたがやはりのっぺらぼうはそこにいる。
帰って寝よう。今日は色々ありすぎて混乱し過ぎだ
大悟はイルを無視すると何も見なかったように背を向けて歩き始めた。
「おい、デカブツ。現実逃避をするな」
背後から呼び止められ、大悟は再び振り向く。
「やっぱり、何かあるのかよ…。全身タイツ、お前は何だ?」
「私はイルだ。名前で呼べ、デカブツ」
「そうか、分かったタイツ。俺は大悟だ。それでこの部屋は何だ?お前の家か?」
イルは大悟の質問には答えず、黙って大悟の姿を見つめていた。
「まったく、不動拓磨も変な奴らばかり連れてくる…。意味不明な廃人小僧の次は筋肉しか取り柄の無さそうな霊長類か。いつから、ウェブライナーは動物園になったんだ?」
「誰が霊長類だ、タイツ。名前で呼べ!」
大悟は抗議したが、イルは鼻で笑い却下した。
「霊長類、フォインの伝説と契約してウェブライナーを動かしに来たのか?」
「フォインの伝説?」
「シヴァ・シンドーのことだ。ついこの前、ウェブライナーを生身でボコボコにして余裕勝ちした人ではない何かだ。あいつが本気なら今頃ウェブライナーは細切れだったな。味方で良かったと言いたいところだが…今のあいつはただの老人だ。戦闘経験と知識は買うが直接の戦力にはなれないな」
嘘を吐け、さっき瞬間移動をしていたぞ?親父の話を聞いただけでは信じられなかったが、あの爺さんはやはり只者じゃないみたいだな?
それに…巨人を生身でぶちのめしただと?介護が必要な老人だったさっきの光景からは想像もできないな。
「さっさと操縦をさせてくれ、俺と爺さんが乗れば何とかなるんだろ?」
「普通の人間ならどうにもならないが…お前ならどうにかなるな。不動拓磨達と同じだ。ライナー波の影響を受けず、そしてその力を食らい成長する存在。これほど特異体質がいるとは人間世界はよほど変な場所なのだろう」
「ごちゃごちゃ言ってないでさっさと…!」
大悟はイルに詰め寄ったが、イルに右手の人差し指を立てられると大悟は慌てて停止した。
「許可する前にいくつか質問に答えてもらう」
「…質問?一体何だ?」
「お前はなぜ戦う?」
率直な言葉だった。あまりにストレートな問いに大悟は答えに迷い始めた。
「それはまあ…桜とかパン屋達への借りとか…」
「『妹のため』、『不動拓磨達のため』、『実家の商売のため』。確かにどれも正解だろう。だが、1番の動機は『九条京士郎のため』ではないか?」
イルの問いに大悟は目を見開き、顔をしかめる。
「何でお前が京士郎を知っている?」
「私は知らない。お前の記憶を調べたら、かなり強い思いと共にこの名前が出てきたのだ。幼い頃からの友人で、ある日喧嘩別れをして次にあったときはリベリオスのメンバーになっていた。お前が戦うのはその友人のためか?」
「……だったら?」
「もし、その九条京士郎と戦いになったときお前は戦えるか?」
イルは全てを見通すように言葉を投げかけてきた。
「何でそんなことを聞く?」
「お前が戦えない場合、ウェブライナーが危険な状態になりかねないからだ。お前1人の命でどうにかなれば良いがこれに乗っているのはお前だけじゃない。お前の意思をはっきり確認させておく必要があるのだ、不測の事態はあらかじめ取り除いておくに限るからな。それで、お前の答えは?」
大悟はイルを離さず見続け、しばらく黙った後口を動かす。
「俺は京士郎を止める。当然戦いになるだろう、戦う覚悟はできている」
「『止める』…か。ということは殺すことも仕方ないということだな?」
「何言ってやがる、てめえ…!」
大悟が息を荒げて怒りだしたとき、椅子の背後の壁に映像が映し出される。先ほどまで白い巨人をボコボコにしていた黒い巨人の姿だった。大悟はその映像に目が走る。すると、イルは淡々と語り出す。
「この黒い巨人に乗っているのは、九条京士郎がライナー波を浴びせ暴走させた人間だ。お前と不動拓磨が叩き潰した不良の1人、4番と呼ばれていた男だ。本名、飯塚敏也。警察に恨みを持ったせいでありもしない不良グループのリーダーに抜擢され、九条京士郎の気のままに利用された哀れな男だ」
「ライナー波って一体何なんだ!?」
「ライナー波は本人の意思を実現する手助けをする。だが、膨れあがる欲望が自制心の限界を超えると暴走が起こる。この暴走は止まることがない、人の欲望に限界が無いのと同じようにな。止める方法はただ1つ、意思を絶てば良い。つまり…」
「殺せってことか…?」
「ご名答」
冷たいイルの答えが返ってきた。大悟は先ほどの怒りを忘れ、悲しみと苦しみが混じったような複雑な表情を浮かべた。
もし、京士郎が暴走したら俺は京士郎を殺さなければいけないのか?
悩む大悟に追い打ちをかけるようにイルは言葉を続ける。
「九条京士郎がお前と同じような特異体質なら問題ない。それに暴走する前だったら治療の見込みはあるみたいだぞ?ただ、もしもの事態というのは常に想定しておかなければならないからな、こうしてお前の答えを聞いているわけだ。お前は人を殺してでもその他大勢を守るために戦い続けるか、心堂大悟?」
大悟はしばらく沈黙していたが再びイルを見据えると、重々しく口を開く。
「あいつはガキの時からの親友だ。絶対に殺したくない…!」
イルは黙って大悟の答えを聞いていた。
「あいつにこれ以上人殺しはさせたくない。あいつのせいで犠牲者が増えることは避けたいんだ!けれど…それでも、どうしようも無いときは…」
大悟は言葉を切り、続きを口ずさむのを躊躇していた。だが、意思を目に宿し力強くイルを見据え言い放つ。
「俺が片をつける」
「…お前のことはよく分かった。じっとしていろ」
イルは立ち上がると大悟の胸に向かって手をかざす。光が大悟の胸に直撃すると、そのまま体を包み込み、黒い戦闘服が現れ黄金色のラインが服に刻まれる。
「…ううむ、どうも変だな?」
イルが首をかしげ疑問の声を上げる。
「…あ?何が変なんだ?」
「何というか…失敗だ」
イルがポツンと呟く。
えっ?失敗?今まで散々期待させておいて失敗って何!?
「お前とシヴァのデータをウェブライナーに反映させるが…何かしっくりこない。まあ、戦いの最中で見極めてみろ」
「何だ、その投げやりで無責任な意見は!?お前が全部何とかしてくれるんじゃねえのかよ!」
「私はあくまできっかけを与えるに過ぎない。それをどう扱い、育てるのかはお前等の仕事だ。それではさらば、霊長類」
イルは光に包まれて目の前から消えると、突然周りの壁が砂嵐となる。
「えっ?ええっ?俺、何すりゃいいんだよ!?」
大悟はコートの音を立て部屋の中を走り回り、確認し始めた。
部屋の中には先ほどタイツが座っていた椅子しか無い。肘掛けの先に丸い球体が付いているが、何のことかさっぱり分からん。
「落ち着け、大悟!」
慌てふためく大悟に壁から声がかかる。それは拓磨の声だった。
「おおっ!?パン屋、一体あの全身タイツは一体何だ!?というか、これからどうすりゃいい!?」
「とにかく椅子に座って動かしてくれ、霊長類!」
今度は祐司の声が響き渡る。
「はあっ!?ロボットって操縦桿とか付いているんじゃねえのかよ!?俺の椅子、欠陥品だぞ!?何にも付いてねえ!」
「それでいいんだよ、大悟!頼むから言うとおりに座ってくれ!」
今度はゼロアの声が響き渡る。
「えっ?あんた誰!?初めて聞く声だ!?」
「今のはゼロア殿です。ちなみに私はスレイドと言います。大悟殿、これからよろしくお願いします」
次から次へと聞こえてくる声に大悟は頭が混乱し始めていた。
何人乗っているんだ、このロボットに。パン屋、オタク、ゼロアドノ、スライド、シヴァの爺さん、そして俺。
6人乗り?こういうのって1~4人くらいが相場じゃないのか?よく分からんけど。
「いいからさっさと席に着け、殺し合いをやっているんだぞ!」
シヴァの喝が響くと大悟はしぶしぶ席に着く。すると、ウェブライナーにも変化が起きた。
ウェブライナーを覆っていた暴風が止み、中から新しく生まれ変わった焦げ茶色の巨人が姿を現した。
その巨人には腕が無かった。鳥が孵化に失敗したように焦げ茶色の金属脚だけが胴体を覆う丸い殻から突き出ている。頭部はフードをかぶっていて、目元は眼光鋭く黄金色に輝いている。口元はフェイスガードでふさがれているが、突然垂直に亀裂が入り口元の装甲が割れると中から蒸気が噴き出し、排熱している。
殻の正面には黄色い鳥の絵が刻まれており、金色の翼で空を飛んでいる様子が描かれていた。
「……何かすごく失敗作だな。本当に戦えるのか、これ?」
新しいウェブライナーのデータを確認していたゼロアが不安そうに呟く。
「おい、座ったぞ!何をどうすりゃいいんだ!?」
大悟はとにかくアドバイスを周りに求めた。
「まず、手を球体の上に置け」
「えっ?それじゃあ操縦桿が握れねえじゃねえか?」
拓磨のアドバイスに大悟はツッコミを入れる。
「いいんだよ!いいから言われた通りにやれ!」
祐司がイライラして檄を入れる。内部で揉めてちっとも戦闘準備が整わないウェブライナーの殻めがけて、黒い巨人の鉄拳が叩きつけられるとそのままウェブライナーは為す術なく吹き飛ばされる。砂の上を転がり、仰向けで地面に寝転がる。
「おい、やられたぞ!?何やってんだよ、爺さん!こっちテンパっているんだから代わりに動かしてくれよ」
「わ、わしのせいか?動かそうにも一切コントロール不能なんだが」
「2人とも操縦交代を念じろ!俺とゼロアの時もそれで何とかなった!」
拓磨は自分の体験を2人に話す。大悟とシヴァは必死で念じたが何にも変化した様子は現れなかった。
「どうやら、大悟殿で操縦は固定のようですね」
スレイドの残念そうな声色の通告に大悟は絶望する。
「い、いやいやいや!俺は悪くねえぞ、だって全身タイツが仕事放棄して俺に全部丸投げしやがったんだ!下請けの中小企業なんだよ、俺は!だから、俺は悪くぬぅぅぅえええ!!」
「分かったから、さっさと両手を丸い球体に置け!」
拓磨は懇願し、大悟に促した。
「だから、操縦桿とペダルが無いって言っているんだろうが!それが無くちゃ操縦できねえだろ!」
「お前はどんだけ操縦桿とペダルにこだわり持っているんだ!?黙って言うとおりにしろ!手は球体、足はパネルの上!さっさとしやがれえええ!!」
操縦桿とペダルに固執し喚く大悟に祐司はぶちキレる。そんな内情など知ったことでは無いと、黒いロボットはウェブライナーの上に跳びあがると殻を踏みつける。金属と金属が衝突し合う甲高い音が周囲に鳴り響く。そのままウェブライナーは首を掴まれ宙に持ち上げられると顔と殻を殴られ、最後にヒザ蹴りを殻に食らい蹴り飛ばされる。
ボールのように地面を転がったウェブライナーは砂に大きな溝を作り、仰向けに停止した。
「ほら、またやられた!全部霊長類のせいだ!」
祐司は嘆きの言葉を吐く。
「分かった、分かったよ!言うとおりにやればいいんだろ?」
大悟は諦めたように拓磨達の指示に従った。
恐る恐る手を球体の上に置き、足を床のパネルに置く。
「……で、この後は?」
「後は動きたいように念じれば良い」
拓磨が最後の操作方法を教えた。驚くほどシンプルだった。
自分が動きたいように念じる?そんな楽なことでロボットが動いたら幼稚園児でもこのデカブツ動かせるぞ?
とりあえず…今寝ているから起こしてみるか。
すると、ウェブライナーはゆっくりと上半身を起こした。黒い巨人がそれに気づき、ウェブライナーの顔目がけて膝蹴りを叩き込んでくるがウェブライナーは反応すると頭突きで膝蹴りを受け止め、押し戻す。
「……お?」
黒い巨人は宙返りをすると、離れた位置に着地するがいきなり砂を巻き上がらせ、ウェブライナーの背に高速移動で回る。そのまま、右足の回し蹴りを叩きつけようとする。
ウェブライナーは左前に顔を下げ、回転蹴りをかわすとそのまま殻を軸にコマのように回転し、両足で相手の片足を払い転倒させそのまま遠心力を利用して立ち上がり相手の方を向き直る。
「…お、おおお?」
黒い巨人はすぐさま立ち上がると急に動きが変わったウェブライナーに注意を払い、じっと観察している。すると、ウェブライナーのフェイスガードが収納され、笑みを浮かべる口元が現れた。
「な~んだ、簡単じゃねえかアアアアアア!」
大悟の歓喜の叫びと共にウェブライナーから暴風が辺りに巻き起こり、砂嵐となり周囲を縦横無尽に吹き飛ばしていく。
「っしゃあ!いくぜええええええ!」
大悟の気合いと共に再びフェイスガードが装着されるとゼロフォームとは比べものにならないほど高速で飛び出していく。
ウェブライナーはそのまま跳躍すると黒い巨人に向かって跳び蹴りを浴びせる。黒い巨人は片手で受け止めようと左手を伸ばしたが、威力が予想を上回っていたらしく両手で受け止める。それを見計らっていたように左足で黒い巨人の右頬をなぎ払うように蹴り飛ばす。そのまま、巨人は地面を転がり慌てて立ち上がるがそこにはすでにウェブライナーの姿が無かった。
すると、足元に影が現れたのを察したのか黒い巨人は上空に向けて拳を振り上げる。確かにウェブライナーは上空から攻撃をしてきた。だが、黒い巨人の拳がウェブライナーに当たったとき、突然背中から衝撃を受け黒い巨人は吹き飛ばされる。
吹き飛ばされ、受け身を取って振り向くとそこには前蹴りの姿勢でこちらを見ているウェブライナーがいた。
先ほど黒い巨人が殴ったウェブライナーは残像だったのだ。本物は背後に回り込んで、蹴りを叩き込んでいた。
「すげえ…腕が無いのに足だけで相手を追い詰めている」
祐司は、素直に新しいウェブライナーの姿に感心していた。
「超高速移動を利用した近接攻撃特化のフォームか。マスター・シヴァの能力と心堂大悟の能力をかけ合わせた脅威の産物だね」
ゼロアは目の前で起きている現象が信じられないように呟く。
ウェブライナーは黒い巨人に近づこうとしたが、突然上空から青い鳥が襲来する。
「爺さん、鳥の潰し方は?」
「翼をもぎ取れ。まずは自由を奪うことからじゃ。くちばしには注意しろ、刺さったらシャレにはならんぞ?」
「簡単に言ってくれるよなあ…」
大悟はため息を吐くと、ウェブライナーを動かし空へと跳躍させる。地面がどんどん遠くなり、頭上にあるのはただ青い空のみとなった。
「空中だと身動きが取れませんよ!?」
スレイドが慌てて忠告する。
拓磨も同意見だった。ウェブライナーは基本的に地面に足を着いて攻撃する陸戦型だ。わざわざ宙に浮くメリットは無い。このままじゃ鳥に一斉に攻撃されて穴だらけになる。
予想通り、空中で身動きの取れないウェブライナーに四方八方から鳥が襲いかかってくる。逃げ場はどこにもない、それはウェブライナーに対してもそうだが襲いかかってくる青い鳥達にも言えることだった。
突然、ウェブライナーの姿が分身したように増える。その直後に鳥達の翼が根元からへし折れ、飛び散った。さらに鳥全体の頭に衝撃が加わると地面へと一直線に墜落していく。
ウェブライナーは鳥たちの後を追うように落下し着地すると、地面で翼が無くなったためもがく鳥のロボットを眺めていた。
「『二十撃二十鳥』ぐらいか?」
大悟の余裕の声にシヴァ以外は唖然としていた。
『相手が大勢ならば速く動いて対応すれば良い』、そんな当たり前だが無茶苦茶なことを平気で行う。策など全く必要ない、真っ向勝負で全て何とかしてしまう。今の姿は知謀が通用しない形態かもしれない。
頼もしくあるが、すごく危険な姿だった。まあ、それはどのフォームにも言えることなのだが。
拓磨は冷静に現状を分析しながら、視線を目の前の黒い巨人に送る。
「さてと、最後はお前だけだ」
ウェブライナーが黒いロボットに近寄ろうとすると、突然地面から物音が聞こえる。大悟は危険を察知してウェブライナーを回避させる。先ほどまで地面で横たわっていた鳥達に翼が生えていた。そしてそのまま飛び立ち、黒い巨人の方に向かう。
「再生機能か…。大悟、気をつけろ」
シヴァは大悟に忠告する。
「せっかく叩き落としたのに何でもアリかよ、勘弁してくれよな」
大悟は愚痴を吐くとウェブライナーを急発進させ、黒い巨人に突っ込む。しかし、突如青い鳥が自分の体を分裂させると黒い巨人に取り付き始めた。予想外の事態にウェブライナーは急停止する。まるで部品のように黒い巨人の全身を鳥が覆うと、刺々しい青い装甲を来た騎士が姿を現した。その表情は今のウェブライナーと同じく、鋭い眼光を放ち獲物を狙う鷹のようだった。
「武装しただと?あの鳥にそんな機能があるとはな…。さっきまで全裸でさすがに恥ずかしくなったってか?」
大悟は軽口を叩いていたが目の前の青い巨人の異様さに動揺を隠しきれないでいた。
すると、青い騎士が一歩ずつこちらに近づいてくる。軽快さは無くなったが動くたびに装甲が揺れ、重々しさが不気味に存在感を表していた。
ウェブライナーは先手必勝と言わんばかりに突っ込んでいく。ウェブライナーは左回りに回転すると回し蹴りを相手の頭部に叩き込む。
攻撃は直撃した。その瞬間、ウェブライナーの足に亀裂が入る。大悟はそれを知ると慌てて蹴りを戻す。その瞬間を狙って、青い騎士がウェブライナーの目がけて鉄拳を叩きつける。ウェブライナーの胸の殻にヒビが入ると、そのまま為すすべ無く吹き飛ばされ受け身も取れず地面を転がる。
「脚部損傷率50%!自己修復完了まで1分!」
「1分も棒立ちしていたら勝負決まっちまうぞ…!」
ゼロアの報告に大悟は答えるとウェブライナーの体を起こす。胸部を覆っていた殻にはヒビが入り、胸に刻まれていた黄金の鳥の紋章は変化していた。先ほどまで優雅に空を飛んでいたのに今は羽を散らして地面に落下している姿が描かれていた。
一体、この絵は何の意味があるんだ?ウェブライナーの状態を示しているのか?
拓磨は画面に胸の絵を表示させ思案にふけっていたが、現実は容赦なく襲ってくる。
「あの装甲、触れたらダメなものじゃないの?」
「悔しいがオタクの言うとおりだ。触れたら逆にこっちがやられる」
おのれ、鳥!こんなことなら細切れにしておくべきだった。何で鳥の時は触れられたのに、今はあんなに堅くなっているんだよ!
大悟は舌打ちをしながら何とかウェブライナーを立たせると、正面を向かせる。体を支える足がダメージを受けふらつきながら何とか立っている状態だった。
触れちゃいけない相手にどうすりゃ勝てる?
「ゼロア殿、ゼロフォームに戻したらどうでしょうか!?武器の攻撃なら何とか…」
「それが戻したくても変更できないんだ!」
スレイドの提案にゼロアが答える。
「何かこのフォーム、変だな。腕も無いし、殻で上半身覆われている。生まれたての雛みたいだ」
拓磨の感想に大悟はイルから言われた嫌な言葉を思い出す。

『何というか…失敗だ』

失敗と言われてもあの時、何をすれば成功だったんだ?
大悟は頭から記憶を振り払うと、目の前の敵を見た。
とりあえず、鳥を装備して高速移動はしてこなくなった。距離を取って、回復を待つか。
その時だった。青い騎士がウェブライナーの前に一瞬にして間合いを詰め現れる。
「えっ?軽いのか、その鎧?」
大悟の素っ頓狂な問いに答えるように鉄拳の雨がウェブライナーの全身を襲う。みるみるうちに殻にはヒビが、足と顔には亀裂が入り、渾身のアッパーカットがウェブライナーのアゴに叩きつけられ、その胴体は宙を舞い地面に背中から叩きつけられる。
綺麗に入り、完全にノックアウト状態だった。
「やばいって!これなら、ゼロフォームの方がまだ対抗できるよ!」
「やかましい、オタク!こっちはこっちで手一杯なんだよ!」
「両足半壊。自己修復まで2分」
ゼロアの力無い言葉に全員青ざめる。
延びちまったよ、回復時間!2分もあれば勝負付けて昼寝もできるだろ!
大悟は慌てながら、対抗策を考えるが動けない状態でどうすれば良いのか全く分からない。
「まったく…だからお前は霊長類なのだ」
聞いたことのある声と共に急に周りの映像と音が止まる。時間が停止したように周囲の風景が凍り付いた。床から突然イルが顔を出すと、そのまませり上がり全身を現した。腕組みしながら不機嫌そうに大悟を見ている。
「その霊長類って呼び方止めろ!お前が仕事丸投げしたせいでこっちは大ピンチだ!」
「何を言っている?大ピンチなのは貴様のせいだろ?」
「俺が失敗したからか?何が失敗なんだよ!逆に何をどうしたら成功だったんだ!?」
イルはため息を吐くと腕を下げ、椅子に座っている大悟に近づいていく。
「私は今のウェブライナーにお前とシヴァのデータを組み込んだ」
「それは聞いた!」
大悟は叫び、イルの言葉をぶった切る。
「ライナー波は願望に反応し、それに合った進化を与える」
「だから、今のウェブライナーがそうなんだろ?」
「つまり、今のウェブライナーが弱いのはお前がそう望んでいるからだ」
イルの答えに大悟はきょとんとなる。
弱くなることを俺が望んでいる?一体、どういうことだ?
「霊長類、本気で戦おうとしていないだろう?相手のロボットに遠慮して、手を抜いている。だから、ウェブライナーは中途半端な進化をしたんだ。今の状態を作り出したのはお前の意思そのものだ。おそらく、シヴァはそのことを見抜いている」
「爺さんが知っているだと?」
「人間の意思とは全く不可解だな?死を目前にしてもそれを貫こうとする。奴はお前に人を殺して欲しくないのだ。だから、お前の今の怠慢を黙認している。たぶん、奴にも何か思うところがあるのだろうな」
大悟はうなだれて考え込んでしまう。
親父は爺さんの弟子だったはずだ。確か…『風牙殺人拳』という名前だったか?
もしかして、親父のために遠慮しているのか?それとも、別の理由があるのか?
「霊長類、本来なら貴様がどこで死のうがお前の勝手だ。だが、ウェブライナーの乗り手になった以上勝手に死ぬことは許されない。こんなお前でも貴重な戦力だ」
「本気でやるってことは…」
「殺すということだ。不動拓磨にしろ、渡里祐司にしろウェブライナーに乗って戦う時相手を手にかける意思と覚悟は持っていた。中途半端な感情では自分が死ぬだけでは無く、周りにも迷惑をかける。さっきも言ったがあいつはもう元には戻らん、お前が殺さねば一生あのままだ。お前の必要なのはただ1つ、『殺意』だ」
大悟は目線をイルに、そして奥のロボットに移した。
やりたくなくてもやらなきゃいけないときか…。前に親父がそんなことを言っていた気がする。それはもしかしたら今かもしれない。
「1度人を殺したら歯止めが効かなくなるかもしれない、それだけが怖い」
大悟は弱気になり感情をこぼした。
「なるほど、そういう可能性もあるな。ただ貴様は戦闘好きには見えるが、そこまで知能が低いようには見えないな。仮に、お前が暴走しても不動拓磨がお前を叩きのめして止めるから問題ないだろう」
「あいつはそんなに強いのか?」
「殺人鬼を狩る殺人鬼みたいなものだ。逆にあいつが暴走したらお前が止めれば良い」
大悟は鼻で笑うと、イルは目の前から姿を消した。
そう言えば、いつも格下相手に戦っていたから加減ばっかりしていたな、親父にも言われていたし。きっとそれもあるのだろう。
時間の流れが元に戻ると、大悟は目の前の巨人を睨みつけた。
すると、ウェブライナーにも変化が訪れる。金色の目が輝きを放つと、風が巻き起こり嵐に包まれ巨人の姿が消える。
亀裂が入っていた殻の絵が動画のように動き出す。
優雅に空を舞っていた金色の鳥は、羽を散らせ地面へと落ちていく。泥にまみれて羽は汚れ焦げ茶色に変わり、顔の皮が剥がれ肉さえも落ちていく。突如、羽の付け根から突き破るように骨の腕が生え、首を覆うように黄色い羽毛が生え揃う。翼は切り刻まれたように傷が付けられ、足が太く長くなり大地に食い込む鋭利な爪が伸びる。そして変わり果てた姿を正面にゆっくりと向ける。
鳥のドクロが殻に現れた。すると脈を打つように鼓動が殻の内部から鳴り響き、ウェブライナーは風に巻き上げられるように地面に立った。
「爺さん、俺はこいつを仕留めるぞ」
「……」
大悟の言葉にシヴァは何も返してこない。
やはり、爺さんは迷っているのだろうか?
「爺さん、覚悟を決めたんじゃなかったのか?」
「もちろん決めた。だが、それはわしが手を下す覚悟だ。わしの代わりにお前に殺しをさせることではない」
「誰が爺さんの代わりにやるって言った?俺は自分の意思で決めたんだ」
「お前は何も分かっていない。1度手を下したら最後、2度とその道からは逃れられないぞ?一生お前の枷となり、お前の人生に闇を落とす。逃げることのできない底なし沼にはまることになる。悪い事は言わん、止めておけ」
シヴァの頼みに似た忠告を黙って聞いていた大悟は口を開け、呟く。
「あんたの言うとおりだ、爺さん。俺は何も知らなかったんだ。こんな世界があることも、俺の親父が宇宙人だということも、俺の親友が他人の命をもて遊んで殺したこともだ。だから、知らなきゃいけないんだ。そうじゃなきゃ、あいつの前に立てない。あいつを止めることはできない。知らない奴が何言ったって何にも届きはしないんだ」
大悟の言葉にシヴァは目を見開く。
その言葉に怒りをまき散らして自分に思いをぶつけたザイオンの姿を思い出す。あいつは、最後怒りをぶつけることしかできなかった。いや、他に選択ができなかったのだろう。
わしは弟子に全てを教えた、その代償として全てを奪ったのかもしれない。才能があるからこそ律した。生き延びられるように力を与えた。
全てわしの一方通行の押しつけだったのかもしれない。あいつは今、わし抜きでは生きられない存在になってしまったのかもしれん。自分で選ぶ意思を摘み取り、偽りの意思を植え付けてしまったのだ。その結果、あの反抗が起きたのだろう。
わしはザイオンのことを理解し知ることを怠った。わしの言葉が届かなかったのもそのせいか…。奴が欲していたのは完璧な正論ではない、垢のついた青臭いセリフだったのかもしれない。
今、目の前で1人の若者が自分の意思で未来を決めた。今、わしにできることは何だ?導くことか?教え与えることか?違う、それは話すことだ。話をして、彼にとって大切なものを共に考え見つけることだ。間違ったらその時は正せば良い。
大悟と向き合うことがわしに為すべき事なのだ。
「修羅の道を選ぶか…。後悔はいくらしても足りないぞ?」
「俺は逃げない。悔やんで京士郎を止められるならいくらでも悔やんでやる。俺は絶対にあいつを止めてみせる。だが、まずはあいつのしでかしたことの後始末だ。どうすれば触れられない相手に勝てる!?あんたの経験を教えてくれ爺さん!」
「わしの流派しかないな。『風牙』だ。わしはお前に術<<すべ>>を渡す。お前はただ感情のままに、哮り暴れろ!」
ウェブライナーの周りの嵐がさらに強さを増し、砂粒が胸の殻を傷つけ始める。さらにウェブライナーの目が金色の輝きを強めると、巨人の雄叫びが大地を震わし嵐の間から木霊する。
途端に殻に異変が起こった。胸の位置にあった鳥のドクロに亀裂が入ると、太い焦げた土色の剛腕が殻を突き破り飛び出して来る。上半身を覆っていた殻は破片となり、徐々に剥がれ落ち風に吹き飛ばされた。
太腿と同じくらいの太さがある剛腕には白い骨が浮き出るような装飾が施され、そのまま腕を伝わり、金色に輝く胸のライナーコア周辺にも肋骨等、ライナーコアを覆う骨格の装飾が浮き出ていた。
青い騎士は戦慄していた。ウェブライナーに腕が現れたと同時に異様な存在が目の前に現れてしまったからである。
「トリ…ド…クロ…!」
すでにライナー波に汚染され思考もままならない、4番の脳裏に恐怖を刻み込んだ存在が目の前の現れたのだ。
ウェブライナーの背後に巨人の5倍ほどの大きさのある『死の鳥』が青い騎士を見下ろしていた。体は透けており、実体はなく幻影のように揺らぎ白骨化したドクロの頭、その空っぽな瞳が青い騎士に向けられる。
前回の戦いから、1ヶ月足らずの春終わり夏へと入る晩春初夏のウェブスペースでライナー波がまたやらかしてしまった。
ウェブライナーが卵の殻を突き破り、ついに成鳥へと羽化。シヴァの意思と大悟の怒りの叫びによりマスターフォームへ姿を変えたのである。
ウェブライナーの足に受けていたダメージが、全身の機能が活性化したことにより瞬時に塞がる。
「ダメージが治った!?」
ゼロアの驚嘆の声を遮るようにウェブライナーは青い騎士の前に瞬間移動する。
青い騎士は慌てて、右拳を奮おうとしたが乾いた音が右肩の方から聞こえる。
見るとマスターフォームが左手を手刀に変え、青い騎士の右肩に振り下ろしていた。すると、触れてもいないのに右肩に切断線が入り、青い装甲ごと肩と腕がちぎれ飛び騎士の背後に落下した。
「フォイン民謡、『死の鳥、腕(かいな)の顕現』。『死の鳥は大気を纏い、立ちはだかるモノをその腕にて斬絶する』」
シヴァの冷たい口調がウェブライナーから響く。
青い騎士は右腕を動かそうとしたが、そちらもちぎれ飛んでいた。
悲鳴のような雄叫びが騎士から響き渡ると、騎士の右膝蹴りが飛んでくるが、マスターフォームは1歩下がり体を後ろにそらし攻撃を回避すると、腰を落とし右に体をひねると両腕の拳を握り締めた。
「そしてこれが流派『風牙』のただ1つの技、『風牙征空拳』だ」
シヴァの言葉をきっかけにウェブライナーが動き出した。
大悟の雄叫びと共に拳の雨が青い騎士に向かて降り注いでいく。その速度はあまりにも速く腕が何千本にも分身しているようにも見えた。
最初に両足を切断され、地面に落下する猶予させ与えない無数の大気の槍に葵騎士の体中に穴を空けられていく。
トドメに胸に風穴を開けられた騎士は空中を吹き飛ばされ、はるか地平線の果てまで吹き飛ばされると、円上の大爆発を起こし、砂を大量に巻き上がらせ七色の光の中に消えていく。
巻き上げられた砂が七色に輝く雪のように白骨の巨人の頭の上にも降り注いだ。
そして、光に包まれるとウェブライナーはゼロフォームの姿に戻った。背に見えていた死の鳥の幻影も消え去る。『見たものに死を与える凶鳥』は役目を終え、またの機会のため眠りについたのだった。
「…爺さん、俺誤解していたみたいだ」
「何のことだ?」
静寂を取り戻したウェブスペースに大悟とシヴァの言葉が響き渡る。
「復讐とか報復のための殺人とかアリなんじゃねえのかなあって思っていたんだ。本物のクズなんて世の中にたくさんいるんだし、そいつら殺しても別に問題ねえんじゃないんかと思っていた。むしろ、気分がスカッとするんじゃねえかってな?だが…それは訂正させてもらう」
「良ければその理由を教えてくれないか?」
「こんなに胸くそ悪くなるものだと思わなかった。気分が悪い、なんか吐きそうだ」
「なるほど。まあ…そうだな。わしもそれには同感じゃ。何回そういう機会に遭っても慣れたことはない」
勝ったはずなのになぜか喜べない。リベリオスと戦っていくということはこんな気持ちを続けていくことなのだろうか?
大悟が初めて手にした勝利は吐き気を催すような辛酸の味だった。

同日 午後10時17分 リベリオス本部司令室
「ま~た進化してしまったか、ウェブライナー。はあ…困ったのう」
アルフレッドは正面にある10台以上のモニターを眺め、あらゆる角度からつい先ほどの戦闘を眺めていた。とんでもない変化は最近何度も見ているため、単調な感想しか出てこない。
総司令官のラインと秘書のリリーナも背後からそれを眺める。ザイオンは途中まで眺めていたが、怒り心頭で映像の途中で部屋を飛びだして行ってしまった。
「マスターの力は奪ったんじゃないの?あの異常なスピードと破壊力は一体何?」
「間違いなく力は奪った。おそらく、マスターが使い物にならないから代わりにウェブライナーでそれを再現するようにしたのだろう。ウェブライナーに乗っているだけマスター・シヴァ復活というわけだ」
リリーナはわくわくした声で答えるラインの足を踏みつけた。
「痛っ!な、何をするんだ?」
「状況さらに悪くなっているんだから、せめて焦る素振りくらい見せたらどうなの?」
「しょうがないだろう?まさか、マスターが契約者を見つけていてそのせいでウェブライナーが進化するなんて予想もしなかっ…ああ、いや予想はしていたがまさかこんなに早く起こるなんて思わなかった」
不満げに呟くリリーナを窘めるとラインは七色の液体が入った注射器を取り出すと、それを自分の腕に打ち込んだ。快感に満足する声と共にラインの表情が変わる。
「どのみち、マスターが何もせずにこのまま退場するとは思わなかった。敵の戦力のデータが取れただけでも良しとしましょう、師よ」
「あれを倒すロボットを作るのはわしじゃぞ?少しはその苦労も理解してくれ…」
アルフレッドはブツブツ文句を言いながら、キーボードを叩きデータ解析を始める。
ラインが苦笑いをしたとき、突然背後のドアが開く。そこには赤ジャージを着こんだ、京士郎が笑顔で部屋に入ってきていた。
「九条京士郎、ただいま帰還しました!皆さん、ご機嫌いかがでしょうか?」
「最悪」
京士郎の場違いな雰囲気にアルフレッドとリリーナが同時に言い放つ。
「キョウ、任務達成のねぎらいの前に説教だ」
「えっ?司令、俺何かしましたか?」
ラインは親指でモニターを指さす。京士郎は長い髪を掻きながら、恐る恐るモニターに近づきそこにいた謎のロボットを見る。
「…見たこともないロボットですね?博士の新型ですか?」
「わしの新型はついさっき、こいつに八つ裂きにされた」
アルフレッドは淡々と事実を言い放つ。
「…え?じゃあ、これウェブライナー?」
京士郎が本当かどうか信じられずに尋ねる。
「そうだ。マスター・シヴァとお前の友人の心堂大悟が中に入ったことによって生まれた超高速近接戦闘ロボットだ。つまりお前は戦犯ということだ、キョウ」
「すげえええ!やっぱり大悟はすげえな!よりにもよってマスターと契約するなんて、おまけにウェブライナーを進化させていきなり無双とは!見て下さいよ、司令!あそこに乗っているの俺の友達なんですよ!?」
京士郎はラインの研究服を引っ張りながら無邪気にはしゃいでモニターを指出す。そんな京士郎にラインはどう対処したら良いのか分からなかった。
「あ…ああ、お前が自分のことしか考えていないのはよく分かった。とりあえず処罰をだな…」
「キョオオオオオオ!!」
ドアの奥から京士郎の名を呼ぶ怒号が飛んできた。ラインはため息を吐いた。
「また、面倒くさい奴がやってきた…」
リリーナの愚痴が終わったとき、フードをかぶり目を怒りの炎に包んだザイオンが飛び込んでくる。そして京士郎の姿を見つけると、風を巻き起こし彼の胸ぐらを掴み上げ壁に叩きつける。
「てめえ、一体どういうつもりだ!?」
「おお、ザイオン。何か久しぶりだな?背、伸びたんじゃねえのか?」
飄々と笑顔で答える京士郎にザイオンがキレて、背負い投げを行い床に叩きつける。周囲の机が衝撃で吹き飛び、リリーナとアルフレッドが悲鳴を上げる。
「ちょ、ちょっと!喧嘩なら外でやりなさいよ!書類がめちゃくちゃじゃない!」
「そうだ、わしの研究成果が壊れでもしたらどうする?」
リリーナとアルフレッドは怒りでカンカンである。
「そうだそうだ、俺のスマホが壊れたらどうする!?高かったんだぞ?」
京士郎も怒りでカンカンである。
「てめえええええ、ここで殺してやる!」
どさくさ紛れに言いたいことを言い放つ京士郎にザイオンはさらに激昂した。
もはや収集がつかず、混乱状態の司令室を救ったのは突如鳴り響いた。1発の甲高い銃声だった。
全員、音の方角を見る。すると、ドアのところに口を黒い布のようなもので覆い、頭に首と耳が隠れる布が付いた黒い帽子、全身は黒いスーツで着飾った男が天井に向けて拳銃を鳴らしていた。
「大佐のお戻りだ。いつまで騒いでいる?」
口の布のせいでこもった声が聞こえてくる。すると、彼の背後から白髪混じりの角張り顔の老人が上下スーツを着用して現れた。
「アーロン、騒いだこっちが悪いんだが天井に穴を空けるのは頼むから止めてくれないか?」
「これは空砲です、司令」
ラインの申し出にアーロンは口調を変えずさらりと答えた。
「おっ、それは失礼。それより、正装でどちらにお出かけになっていたのですか?」
「ちょっと現実世界の連中と食事会があってな。長く不在で申し訳ない、司令。事後処理がようやく終わって、今戻ったところだ」
ラインの問いにジークフリードは小さく笑うと近くに倒れていた椅子を起こし、そこに座った。その隣をアーロンが腕を組み、ボディガードのように待機する。
「ジークのおっさん、聞いてくれ!」
「ザイオン、大佐と呼べ」
アーロンがザイオンを注意したが、ジークフリードが手をかざしてアーロンを制する。
「アーロン、ここは軍では無い。地位など意味を持たない、どう呼ぶかは個人の勝手だ。もう少し融通を利かせてくれんか?」
「……はい、大佐」
アーロンは淡々と了承する。
「それで、ザイオン。話というのは今回の一件のことかな?それなら、わしもすでに了承済みのことだ。キョウのことは許してやってくれ」
その場の全員が驚いた顔をする。
「…はあ?今回の一件、おっさんも分かっていてやったことなのか?」
「いくら俺でも参謀を無視して行動はしないよ?分かったら、この手を放してくれ」
床に寝そべっていた京士郎はザイオンの手を叩いて、ようやく自由になり立ち上がる。
「大佐、今回の一件はキョウの独断だと思ったのですが違うのでしょうか?」
「あ~、わしとしたことが何というヘマだ。司令達にはちゃんと情報が届いていなかったようだ。今回の騒動は、わしと京士郎の利害が一致して行ったのだ」
ラインの問いにジークフリードはうなだれて答える。
「キョウの理由はカンナとかいう連れに食事をやることだろ!?マスターとその契約者を連れてきたり、そのために現実世界にチンピラと警察が全面戦争する必要があったのか?こっちの世界の事がばれる危険があったんだぞ?」
ザイオンの質問にジークフリードは微笑みながら口を開いた。
「わしはシヴァとその契約者をウェブライナーに乗せたかった、キョウは友人をこっちの世界に連れてきたかった、これが1つ目の一致。次にわしは稲歌町で可能な限り大きな事件を起こしたかった、キョウは大量の食事を作りたかった、これが2つ目の一致。ウェブスペース周知の危険性についてはわしの方ですでに解決済みじゃ。だから、今回の計画に賛成したんじゃよ」
「ジーク、詳しい話を聞かせてくれ。まず、何でウェブライナーにシヴァ達を乗せる必要があった?」
アルフレッドがジークフリードの方を向き、尋ねる。
「それは簡単なことですよ、アルフレッド博士。ウェブライナーを進化させるためです」
「えっ?大佐、それってこっちの身に危険が及ぶ可能性が…」
「リリーナさん、それは時間の問題というものですよ。いずれシヴァはリベリオスを裏切るつもりでした。殺すにしても真っ向勝負じゃ敵わない。ここを抜けたらゼロアに協力を求めるでしょう、そして契約者を擁立し、ウェブライナーに乗る。そうなると進化をするかもしれない。今のウェブライナーの状態を判断して、『いずれ戦うことになるのだろうから、こっちでお膳立てしてデータを集めよう』と思い追撃せずシヴァを逃がしたんです。確かに進化は脅威ですがあらかじめ対策ができればどんな難しいこともそれなりに対処できますからな。重要な局面でいきなり進化されて対処できないよりマシでしょう?」
ジークフリードは顎髭を撫でながら微笑を浮かべ答えていた。まるで全てを予知しているかのようにその目は輝きを放っていた。
「じゃあ…現実世界の今回の大混乱は?もっと小規模でやっても良かったんじゃねえのか?」
「ザイオン、それでは意味が無いのだ。小規模でやり続けると、いずればれる。人というのは好奇心の塊だからな。小さく隠しながらやっていると逆にシッポを捕まれる可能性が高まる。いっそ大事件を引き起こして、『稲歌町は何が起こってもおかしくない魔境』と世間に開き直った方がばれない。今回の騒動で人々の心には恐怖が植え付けられた。これからも事件は、稲歌町で起こっていく。しかし、事件が起こったとしても『また、事件が起こった。稲歌町は最近危険だ』というように世間からしたらそれが当たり前になっていき慣れていってしまう。感覚が麻痺してしまうのだ。だから、今回の事件はできるだけ派手にやる必要があった。人々に異常を受け入れされるための下地作りだよ。ちなみに今回の事件の被害者は警官12名死亡、50名以上の警察関係者の負傷者、そして不良は全員射殺されたという筋書きだ。一般人への被害は軽傷者こそいたものの死亡者無し、完全に警察関係者に恨みを持つ闇サイトの住人達の暴動ということで丸く収める、警察に協力してもらってな」
「ライナー波で死体を作ったのですか?」
すでに不良達は全員食べられているだろうから、不良の死をでっち上げるには死体を作る必要がある。ラインは推測し、大佐に尋ねた。
「博士に大変ご尽力頂きました。おかげで限りなく本物に近い死体を警察に納入して、さっき立ち会ってきたところです。今日中に警察から声明が出され、凶悪事件として処理され後の真相は我々が知るのみです」
ジークフリードの計画に誰もが声を出せない状態だった。ジークフリードは全員が納得したかどうか見渡し確認するとさらに口を開いた。
「そして、今回の事件の目的はさらにもう1つ」
「他に目的?」
ラインは聞き返し、尋ねる。
「これから我々はウェブライナーと戦っていくわけだが、彼らだけを見ると背後を奪われかねない存在が1つある。今後はウェブライナーを叩くよりも先にそちらに注力しましょう」
「…『第3者』のことですか?」
「その通りです、司令。そろそろ…彼、いや彼等には表舞台に出てきてもらいます。かくれんぼの時間はもう終わりにしましょう。全員、近日中に作戦案を渡します。次の作戦は私の指揮下で動いていただくようお願いしますよ」
シヴァと並ぶフォインの伝説の目が輝き、笑みを浮かべた。そこにいる全員がジークフリードが次の戦いを心待ちにしているように思えた。
喜びと興奮、シヴァが敵に回り戦力が落ちたのだが今の彼を見ていると、とてもそうは思えない。むしろ、存分に力を発揮する機会が増えたことで士気が向上したように思える。
存在そのものが支えになる人物というのは本当にありがたいものだ。リベリオス参謀の余裕の表情を見て、ラインも素直に顔を綻ばせていた。


終章「霊長類はいらないが、妹は欲しい」
5月23日 午前9時14分 稲歌町東地区 渡里家
葵は黄色いパジャマ姿で、ようやく安心して窓を開けられるようになった開放感と共に朝日を全身に浴びながら乾燥したイチゴやとうもろこし、キウイなどが入ったフレークに牛乳をかけていた。
シリアル食品というのは非常に便利で、一回食べれば1日の大体の栄養素は補える。特に忙しい朝には最適な代物だった、大体は牛乳をかければそれで終わりなのだから。ただ、食べ過ぎるとそれはそれで偏ってしまうのでやはり自分で調整する必要がある。おまけに飽きてしまうので、自分で料理を作る大切さが分かってしまう。自分で作れば大抵美味しいのだ。
それはそうと最近、色々と出来事があった。
出来事その1、友喜が私の料理技術向上に手を貸してくれることになった。さすがに毎日、手伝いに来るのは大変だったのだろうか、それとも誰かに言われたのかは分からないが手取り足取り教えて手伝ってくれる。理由は分からないが、これは非常に助かる。前の日にいくつか料理を作っており、朝はレンジでチン解凍術を考案した人は表彰されるべきだ。祐司の奴が文句を言うときもあるが、今度そんなことを言ったらわさびを鼻に入れてやる。文句があるんなら自分で作れ。
そもそもあんなダメ男のどこにそんな魅力があるのか知らんが、友喜は間違いなく祐司に気がある。登下校の時も、学校にいるときだって2人の話が弾んで誰も近づけない時がある。まあ、どうせ付き合ったとしても嫌気が差して別れることになるのだから彼女の次の恋愛を私は応援するとしよう。祐司だけは絶対ダメだ。
出来事その2、最近稲歌町で起こっていた不良達の暴動は彼等の全員射殺ということで幕を下ろした。警察は今後、このような出来事が無いように町中に防犯カメラの設置、学校や病院などの重要施設には専門の監視員を導入、金属探知ゲートの配置を行う予定だという。今後は児童1人1人にID認証を付け、敷地内に乗用車を入れさせないなど不良の体育館襲撃の件もありPTAの人たちが激怒して学校及び警察に直訴したらしい。
さすがにそこまでやると不便だと思うが、私も今回の事件でいつどこにいても事件に巻き込まれる危険性があるのだと思い知らされた。銃なんて外国の話だと思っていたが、こうも身近で乱射されるなんて…これも国際化の影響なのかしら?
今回の事件には謎が多いらしくてどうして不良が銃を手に入れられたのか、どうして稲歌町が舞台になったのか分かっていないらしい。最近、身の回りで事件が多いから慣れてしまいそうになる。本当は慣れちゃダメだって分かるんだけどね…いちいち驚いていたら心が持たない。こういうことはもう無いようにしてほしい。警察の活躍を期待しています。
出来事その3,我が家の食事処に50インチの液晶テレビが置かれた。お父さんが作ったアニメが結構評判が良いらしくて臨時収入が入ったらしい。家にはほとんど帰ってこなくて親の役目をほとんど果たしていない人だが、仕事に関しては才能があるのかもしれない。
食事の時にテレビを見るのは会話が無くなるからダメだという意見もあるが、何か見てないと間が持たないのだ。ただでさえ、祐司と2人の時間が多いのだから変な話に付き合わされるのはごめんだ、それに周りの事件を見ているとニュースの大切さが身に染みて分かってきたし、今回のテレビ導入は結果的には大成功だろう。
「あれ?今日部活じゃないの?」
祐司が赤いジャージ姿のまま入ってくると、台所に向かっていき透明な青い器を持ってきて葵の前に座る。そしてフレークを器に入れると牛乳を注いだ。
「暴動のすぐ後に部活なんてできるわけないでしょ?1週間くらい部活は全面禁止、試合も近いのに良い迷惑よ」
腰まで届きそうな長い黒髪を払いながら葵は腹立たしそうにフレークを頬張る。
「ふ~ん、まあどうでも良いけど。早速テレビをスイッチオン!」
祐司が新しく我が家に仲間入りした液晶テレビのリモコンを掴むと、電源を入れ画面を映し出す。
画面でオールバックの髪型をした中年の叔父さんがスーツ姿でニュース原稿を読んでいた。その隣には若い女性アナウンサーが座っている。
「あれ?これって地方局じゃん」
祐司が不満げに番組を変えようとするが、葵がリモコンを取り上げる。
「あっ!?」
「あのねえ、稲歌町のニュースが流れるかもしれないでしょ?少しくらい我慢しなさい」
祐司を睨みつけ、黙らしたちょうどその時だった。
『え~、続きまして20日に稲歌町で起きた暴動事件について視聴者より情報提供がありましたのでご紹介いたします』
葵と祐司は同時にテレビを向く。
そこに映し出されていたのは稲歌高校の写真だった。校門が映り、その前には鳥のドクロを被った大男が校門から飛び出していく様子が収められていた。
『これは当日の写真のようです。これは…マスクか何かでしょうか?この人物が何者なのか暴動にどう関わっているのか、現時点では不明となっております』
「何…あれ?鳥のドクロ?何か不気味…あんなの付けて学校で何していたのかしら?」
「バナナを探しに来たんじゃないの?」
葵の感想に祐司が適当な感想を繋げる。
『続きまして、こちらの写真です』
すると、今度はウサギのお面を被った大男とリスのお面を被った小男が同じく高校から逃げ出すように去って行く様子が写真に収められている。
『こちらのお面を被った2人も不思議ですね。校庭敷地内では何も発見されていないということから、現時点では暴動との関係は不明のままです。謎の多い事件ですねえ』
葵はじっと映像を見ていて、急に気づいたように驚くと口の中のフレークが喉に詰まり慌てて牛乳で一気に流し込む。
「何やってんだよ?そんなに慌てて食わなくてもたくさんあるぞ?」
「これ!このお面、私最近見たんだけど?」
「へっ?」
祐司はもう1度画面を見るが、天気予報の画面に切り替わっていた。
「どこで?」
「拓磨が付けていたの、店の前で!危うく私が事故になりかけた!」
「いやいや、たっくんが付けていたお面はウサギの目が赤かったけど、この映像のお面は目が青いぞ?偽物でしょ?」
祐司が馬鹿にしたような目つきで葵を見ると、フレークを食べ進める。葵は祐司をじっと睨んでいた。
「祐司、当日どこにいたの?」
「たっくんの家で勉強、そしてポーズの練習」
当然のように嘘を吐く祐司。葵の目はさらに厳しくなる。
「まさか、拓磨と一緒に現場に行っていたんじゃないでしょうね?」
「何で銃弾舞う現場に行かなきゃいけないんだよ?死にたい奴が行く所だろ。俺っちとたっくん、そこまで狂ってないですよ?あ、牛乳取って」
祐司はさらにフレークを足して牛乳をかける。
「あんたも拓磨も相当狂っていると思うけど。まさか、警察を手伝おうとしたとか?」
「暴動鎮圧は警察の仕事でしょ?わざわざ警察の仕事を奪って何の得があるの?金ももらえるわけでもないし、見つかれば逮捕だぞ?警察ができることは警察がやる、これ常識」
「まあ…そりゃそうよね。手伝っても何にもならないし」
葵は渋々納得すると、これ以上言及を止めてしまう。祐司はフレークを食べ終わると、片付けに行くとき小さく口を開いた。
「まあ、できないから代わりにやるんだけどね」
「ん!?今、何て言った!?」
「フレークが歯に詰まって『モゴモゴ』って言ったんだよ」
「あんた…やっぱり何か隠して…」
葵が再び祐司を問い詰めようとしたとき突然玄関のチャイムが鳴る。
「ごめんくださ~い」
可愛らしい女性の声が響き渡る。
「あっ、はいは~い!ひょっとしたら友喜かな!?どけっ!邪魔だ!」
祐司が葵を押しのけ、ドアを開け廊下に飛び出すとそのまま滑るように廊下を駆け、サンダルを履きゆっくりと玄関を開ける。
そこには祐司より少し背の小さいショートヘア、黄色いワンピースを着た女の子が緊張しながら、手提げ袋を持っていた。
ウェブスペースで出会った少女、確か心堂桜ちゃんだったか?
「あ…あの…初めまして。渡里祐司さんですか?」
「友喜が1番だけど君も素晴らしいなあ!」
「えっ?」
祐司の気持ちをそのまま口に出した言葉に桜は目を丸くして戸惑う。
「い、いやいや!こっちのこと。君は確か心堂桜ちゃんだったよね?」
「はい!あの…この前は色々と私と兄のことでご迷惑をおかけしました。これ、つまらないものなんですけど」
祐司は桜から手提げ袋を受け取る。中には四角い箱が入っていた。タオルか何かかな?
「これはこれはご丁寧に。あの時は俺は何にもしてないから本当は受け取れないんだけどね」
「いえいえ、これから色々お世話になるんですから。それと…お兄ちゃん!いつまでそこに隠れているの!?お礼言わなきゃダメでしょ!?」
祐司は急にため息がしたブロック塀を向いた。するといきなりブロック塀から凶悪な面を構えた大悟が現れると不機嫌そうに桜の背後に立った。上にパーカー、下にジーパンという私服姿であった。
「あの~、桜ちゃん。幼い頃に誘拐されたとかそういう設定を持っていないよね?狼に育てられた少女とか、そういう話は世界に結構あるじゃない?ひょっとしたら君も…」
「私のお兄ちゃんです。間違いなく」
疑うことしかできない祐司を桜は笑顔でかわす。
「いや、嘘を言ってはいけない。君は洗脳されているんだ。辛かったろう、幼い頃から『俺はお前の兄だ』とずっと言われ続けていたんだ。否定すればさらに言われて拒否できなかったんだ、そういうことにしてくれないか?そうじゃないとこんな理不尽な世界を俺は認められない」
「お前の都合なんか知るか、こっちはお前じゃなくてパン屋に会いに来たんだ」
大悟はイライラしながら、自分の手に持った手提げを見せる。どうやら、不動家の分も持ってきたらしい。なんて礼儀正しい子なんだろう、桜ちゃんは。本当に霊長類が邪魔でしょうがない。
「おっ?じゃあ俺も一緒に行った方がいいな」
祐司は素早く家の中に入ると、そのまま2階に駆け上がり自分の部屋で赤いスマートフォンを持つと、1階に駆け下りた。
「誰だったの?」
葵が廊下から祐司を見上げていた。
「葵、これもらった。ちょっと、たっくんの家に行ってくるからな~!」
「えっ?何これ、ちょっと!?」
葵に袋を押しつけると、祐司は外に飛び出す。
「さあ、行こう!たっくんの家はそこだ!」
「お前の家の前なんだから別に案内してもらわなくてもいいんだけどな」
先に不動家玄関へと続く路地に入っていた祐司を大悟が文句で突き刺す。
大悟と桜は祐司の家を後にすると、祐司に続いて路地を進んだ。角を曲がるとそこにはチャイムを鳴らす祐司の姿があった。
「はい、どちら様?」
眠たそうな拓磨の声がインターホンから響いてくる。
「おはよう、たっくん!実にすんばらしい朝だとは思わないかね!?」
「今朝がすんばらしい理由は?」
祐司の扱いに慣れた拓磨は、会話の意図を探るためとりあえず流れに乗った。
「なんと、心堂桜ちゃんが挨拶に来てくれたんですよ!?1人、オマケもいるけど」
「誰がオマケだ!」
祐司に怒号を発する大悟。
「どう考えても霊長類がオマケだろうが!桜ちゃんが主役、お前は主役がたまたま行った動物園で1カットだけ登場する檻の中のゴリラ!脇役どころかその他大勢の1人くらいの差だろ!?ウェブライナーに乗るのも桜ちゃんが良い!」
「狂っているのか!?あんな化け物しかいないところに桜を送り込めるわけねえだろ!」
「頼むから朝早くから近所迷惑にならないでくれ…」
家の前で喧嘩し合う2人を止めようと、1分後玄関が開き紫色の宗教ジャージ姿の拓磨が頭を掻きながら出てくる。背中には『極楽に行けるかは布施で決まる』と金銭の大切さを堂々とアピールした文字が書かれていた。
「不動さん、おはようございます!この間は色々ありがとうございました!」
桜が和やかに挨拶すると、手提げ袋を拓磨に渡す。
「別にここまで気を使わなくても良いのに」
「そうだ、この家には気なんて使わなくても良いぞ。むしろ、使って欲しいくらいだ、なあ!?」
大悟が家の中から玄関の方を覗き込んでいる喜美子に敵意剥き出しで言い放った。
「拓磨、その2メートルをぶっ潰しなさい!堂々と乗りこんできて自分たちの商売が下手なのを他人のせいにする奴は生きている資格なんぞ無いわ!」
「喜美子、止めなさい!これ以上他のお店を敵に回さないでくれ!」
打って出ようとする喜美子を信治が羽交い締めで何とか台所に戻していた。
「お兄ちゃん、止めてよ!これから、一緒に戦うんでしょ?」
「大悟から全て聞いたのか?」
大悟を止める桜を見て、拓磨が尋ねた。
「…はい。お父さんから全部話を聞いて、最初は信じられなかったけどあの世界のこともあって本当に大変な事件が起きているんだって」
「そうか。しかし、一緒に戦うとまた巻き込まれるかもしれないぞ?それでも良いのか?」
拓磨の気遣いの言葉に桜は笑顔で頷いた。
「大丈夫です。私にはお兄ちゃんも、それにシヴァのおじいちゃんもいるし!」
「ほほほ、若さとは素晴らしいな。この笑顔のためなら何でもしたくなる」
大悟は携帯電話を取り出すと、液晶画面を拓磨達に見せた。拓磨達もお互いに契約したガーディアンを見せ合う。
「マスター・シヴァ。あなたはやはり私の尊敬する人物でした。ご協力、感謝します」
ゼロアが深々と頭を下げる。
「すまないな、ゼロア。わしの勝手な願望のせいで対峙することになってしまって。本来なら、わしはここでお前等に殺されても文句は言えまい」
「何を仰られるのですか?私は、あなたに助けて頂きました。例え、潜入の立場でも地下牢から私を逃がしてくれたのはマスターだったんですね?」
スレイドは自分が逃げ出したとき聞いた謎の声がシヴァであったと確信した。
「できれば騒ぎを起こさず逃げてもらいたかったんだが、わしの力不足だ。そして、今もまともに戦うことができん。足手まといの老いぼれで申し訳ないな」
平謝りのシヴァにゼロアが声をかけた。
「マスター、頭を上げて下さい。あなたの武器は戦闘力だけではないはずです。長年の経験で培われた経験や判断力、そして知識こそあなたの真の力ではないかと私は思います。そして、それこそ我々にとって欠けているものであり必要なものなのです。そして、大悟。君の力も不可欠なものになっている。どうか、力を貸してくれないか?」
「あんた等は、これからあのロボットと戦っていくのか?」
大悟はゼロアの願いに答えず、聞き返した。
「ああ、リベリオスが仕掛けてくる以上黙っているわけにはいかないからな」
拓磨は当然のように答えた。そんな拓磨を大悟は見ると、真面目な顔で口を開く。
「そうか…。じゃあ、俺もその喧嘩に混ぜてもらう。ただ、俺は正直リベリオスの事なんか興味がない。世界平和なんて知ったこっちゃない。俺の目的は京士郎を止めることだけだ」
「いやいや、ちょっと勝手すぎるでしょ!あいつ、お前の恋人か何かかよ!?」
祐司が不満をぶつけるが、大悟は聞いてないように無視する。拓磨はじっと大悟を見つめ、何も喋らなくなる。
現場の空気が妙にひりついてきたのを感じ、桜が慌てて動きだす。
「あ、あの…ごめんなさい。兄には私からよく言っておきますから、今のは聞かなかったことに…」
「いや、お前の思うとおりに動いてもらって結構だ」
口元を緩め、笑みを浮かべながら答えた拓磨にその場の一同、言葉を失う。
「もし、人の救助と京士郎。どちらか選ぶことになったら、俺は京士郎を選ぶ。お前はそれでも良いって言うのか?」
「ああ、構わない」
大悟の質問に笑みを保ったまま、拓磨が答える。大悟は拓磨の真意を探るように目を離さなかった。
「たっくん、本当に良いの!?」
「祐司、別に目的が一緒である必要は無いだろ?個人個人事情はあるし、無理に意見を合わせる必要はないと思う。共にリベリオスと戦う、これだけでも釣りが来るくらいありがたいことだろ?」
「じゃあ、お前は俺が京士郎に構って人を見殺しにしても平気だというのか?」
平然と自分の意見を唱える拓磨に大悟がカマをかけるように挑発的に言葉をぶつけた。
「その人は死なない。俺と祐司が助けるからな」
当たり前のように答えた拓磨に大悟は目を見開く。
「お前は俺と祐司が世界平和だとかそういう大層な目的のために戦っているかと思っているかもしれないが、俺も祐司もただワガママを通しているだけだ。お前と同じようにな。助けたい相手は助けるし、そうでない相手は無視する、気に入らない奴はぶっ飛ばすし、殺す相手は確実に殺す。そんな自分勝手な奴らだぞ、俺たちは」
拓磨は不敵な笑みを浮かべながら、自分の考えをさらけ出した。
「その助けたい相手にはお前も入っているんだ、大悟。もし、お前が助けを必要とするなら俺と祐司は喜んで助けにいく。俺たちがピンチだったら、できれば助けてほしいが強制はしない、気が向いたら来てくれれば良い。俺たちは超人的な力を手に入れたが、何かしら欠陥がある問題児だ。だから足りない部分は、互いに支え合うしかない。お前は自分勝手に京士郎のために頑張ってくれ、そうじゃないとお前を支えられないからな。それにいざとなったら、お前はちゃんと人助けもしてくれると思っているから心配してねえよ」
拓磨の確信に近い重厚な語り口に大悟は黙って聞いたが、途中で鼻で笑うと拓磨と祐司に背を向ける。
「ほんと…お前等『不動家』は気に入らねえ連中ばっかりだ。桜を助けた借りはこれから利子付けて返す、これでいいんだろ?じゃあな、パン屋とオタク。これから、バイトなんだ」
「ゼロア、スレイド、そして地球人の友よ。こいつのことはわしが鍛え上げるから心配いらん、また後日会おう!」
大悟は巨体を揺らしながら振り返らず手を振り、シヴァの声と共に遠くへと消えて角を曲がる。
桜が拓磨達に一礼すると、兄の後を追いかけようとしたが拓磨が呼び止める。
「桜」
「はい?」
「今回、お前を助けようと1番頑張ったのは大悟だ」
拓磨は優しく念を押した。すると、桜が笑顔を見せる。
「……はい、分かってます」
「これから色々大変だが、あいつを助けてやってくれ」
「はい、任せて下さい!不動さんと祐司さん、ゼロアさんとスレイドさんもこれからよろしくお願いします!」
桜は花開くような笑顔で拓磨達にまた頭を下げると、走り去り消えていった。
「ゼロア、霊長類の代わりにあの子をウェブライナーに乗せられない?」
「アホな事ばかり言っていると脳みそが腐るよ?」
辛辣なゼロアのツッコミが祐司に向けられる。
「マスターが我々の味方で一安心です。これこそ希望というものでしょう」
「スレイドさん、マスターはなぜ力を失ったか聞いていますか?」
拓磨は、意気揚々としているスレイドに問いを投げかけた。
「どうやら、リベリオスを抜けるときにやられたそうです。仕掛けた相手はジークフリード・アイコム大佐。マスターと並ぶフォインの伝説です」
「ジークフリード・アイコム大佐…か。初めて聞く名前だ。また、厄介な敵が増えたということか。勘弁してもらいたいもんだな」
拓磨はため息を吐くと、何気なく空を見上げた。
いつもと変わらない空、今日も晴れだ。
できることならこんな何気ない風景をずっと見ていきたいが…そうもいかないんだろうな。
そんな希望が砕け散ることは分かっていたがそう願わずにはいられない拓磨だった。

同日 稲歌町 ??? 時刻不明
そこは真っ暗な空間だった。
そこに起こる突然の振動音。暗闇の世界に10台を超える液晶画面の光が現れ、淡い青色の光で空間を満たす。
画面の前には椅子が置いてあり、そこには1人座っている者がいた。上下には高校生が着る指定の制服、そして襟には黄金の稲穂が光に照らされ輝いていた。
「坊ちゃん、暗い部屋でテレビは目を悪くしますぞ?」
背後から扉が開く音と食器が鳴る音が同時に聞こえ、落ち着いた大人の声が響いてくる。そのまま、座っている者の背後まで近づいてくると円錐型で色とりどりの花の模様が描かれたティーポットから温かい紅茶を、同じ模様のカップに注ぎ手慣れた手つきで座っている者の手元に回す。
「どうぞ、今日は良い茶葉が手に入りました」
「視力低下と暗闇の因果関係は無いよ?レオナルド」
座っている者はカップに指を引っかけるとそのままゆっくりと口を濡らすように紅茶を流し込んだ。
「しかし、目は疲れます」
「まあ…そうだね。今度から気をつけるよ。それより、例の物は準備できた?」
紅茶を楽しみながら、座っている者は尋ねた。
「はい。しかし…私は反対です。本気で行うつもりですか?」
飲み終えたカップを受け取ると、レオナルドと呼ばれた男は心配そうに聞き返した。
「リベリオスの攻撃が激しくなっている。いつまでも黒子を演じるのは危険だ。こちらから率先して行動していかないと」
「それは分かりますが……いえ、いくら言ってもあなた様がそう決めたのなら心変わりなどありえないでしょうな」
「分かっているじゃないか?頼りにしているよ、レオナルド」
椅子に座っていた者は立ち上がると、レオナルドが入ってきた背後の扉へと向かっていく。
「無事に怪我無く帰って来て下さい。頼みましたよ、総成<<そうせい>>坊ちゃん」
レオナルドは総成と呼ばれた者の後を付いていく。部屋を出ると、今まで光を放っていたモニターから光が奪われ完全に闇と1つになった。


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