電脳将ウェブライナー~街が侵略者に襲われている件~

吉田明暉

6月のお話

序章「幼き日の想い出」

変わり続ける町、稲歌<<いなか>>町<<ちょう>>。時代と共に変わり続ける町並みはいつも唐突である。昨日見た町並みが今日は変わっている……いや、さすがにそんなことはない。それでもふと気づいたら新しい建物、新しい住民、新しい風景に心を奪われる。その変化は止められないものであり、対応できない者は取り残されてしまう。
古き良き時代を懐かしんでも、今を生きるしかない。変わっていく世の中に自分を順応させていくしかない。けど…本当にそれだけが生き方なのだろうか?
変わりたくても変われない人も中にはいるんじゃないか?変わらない風景があっても良いじゃないか、それを受け入れてくれる人がいてくれれば。いなかったときは……諦めるしかないのかもしれないが。
稲歌町にも変わらないものはある。それは南部の田園、そして北部の森林地帯だ。
南部は農業を営む者にとっては都だった。鉄道は走っていないし、交通の便は住宅地区と比べて劣るが車があるこの御時勢にそれはあまり問題ではない。仕事場が歩いて1分以内というところも多数ある。遅刻で上司にどやされることは心配しなくて良いのは大きな利点だ。
ただ、農業は高齢化の問題でどんどん手入れをされていない土地が増えていっている。後継者の問題は重要だ。ある程度成長させても、それを引き継いでくれる人がいなければ一代限りで終わることになる。結果、空き地は増えていく。
最近は南部に巨大な総合体育館が建設された。元々、神社や公園だった所を買収、拡張し建設したのである。ほぼ毎週体育館は利用されており、住民からはおおむね喜ばれている。
一方、北部の森林地帯は主に別荘地として用いられているがあまり芳しくない。地形の関係上、キャンプ場の整備やホテル等の誘致を検討しているが土地を開き整備する費用を考えるとなかなか計画は進まない状態である。
中心部からも離れており、住宅を構える人は限りなくゼロである。もし、ここに家を建てようものなら毎日学校へ車で送り迎えをするはめになる。買い物する場所も無く、買い溜めする必要が出てくるかもしれない。
平地である南部とは異なり、どうしても利用に困るのが北部なのである。住んでみると周りを自然に囲まれ森林浴で気分爽快、川のせせらぎが聞こえ、鳥の歌が毎日無料で聞こえるオマケまで付いてくるのだが『不便』という言葉は今の社会にとって何よりも重要なキーワードであった。
「レオナルド~!レオナルド、どこ~?」
北部森林地帯、幼い声を発して1人の少年が斜面を転ばないように歩いていた。周囲には体の何倍もの太さの巨木、足元は草が生い茂り歩く度に登山用のズボンに絡みついてくる。天気は木々の間から漏れてくる木漏れ日が美しく、快晴である。
少年は全身防寒着を着用し、山道でも足を痛めないように分厚い合成皮で覆われた茶色い登山靴を着用していた。背中には自分と同じくらいの大きさのある赤いリュックサックを背負い、おぼつかない足取りで道無き道を進む。
髪は長髪で周囲に絡まないように服の中に入れてあり、まるで女の子のような顔をした美男子だった。顔つきは凜々しく小顔であり、目は優しく丸みを帯びている。口元は薄いピンク色で頬はふっくらしていてまるで餅のようである。眉は細く、目の上に虹のようにかけられている。
すると、突然少年の足から地面の感覚が無くなった。気が付くと斜面の泥が崩れ、それに巻き込まれて自分の体も滑り落ちている。
しかし、少年は素早く斜面を蹴り宙に浮くと、3回前転をして小石が敷き詰められた地面に両足から着地した。
隣には上流から流れ出した川があった。滑っている間に川の近くまで到着したのである。
危ない危ない…怪我するところだった。
少年は、ほっとすると自分の服を叩きながら泥を落とす。
「坊ちゃん!総成<<そうせい>>坊ちゃん!」
少年は川が流れていく下流を見つめた。見ると、少年と同じように登山服姿で三角帽子をかぶった黒髪の中年が大慌てで少年の元まで走ってくる。
「やあ、探したよ。レオナルド」
「大丈夫ですか!?お怪我はありませんか!?まったく…こんなに泥で汚れてしまって、こんなことなら私が家に戻るべきでした」
のほほんとした少年とは対照的に少年の服を触りながら怪我が無いかどうか割れ物を扱うように確認している中年の姿があった。
「大丈夫だよ、空中で3回転して擦り剥けるのは回避したから。それより、今日はここでキャンプをしようよ」
少年は自分のリュックを下ろすと、中から自分の体と同じくらいの大きさの箱を取り出す。箱には『釣り用具 2月製作 練り餌 A80% B15% C5%』と謎のステッカーが貼られていた。
「坊ちゃん、やはり家に帰りましょう。外でキャンプなんて危険です!この辺りでは熊が出るという話もあります」
「それは1日前の情報だよ?『稲歌町狩猟情報録』だと熊のえさ場は山の反対側になっているんだ。おまけにその熊は、中国から密輸されたツキノワグマで密輸業者から脱走して逃げ込んだという話。しかも子どもの熊」
少年は携帯電話を取り出すと、ボタンをいじくり、そのまま液晶画面を中年に見せる。
そこには『ツキノワグマ、保護される。密輸業者、逮捕』と新聞の記事が書かれていた。
「これでもう心配ないね」
「は…はあ、いつの間に調べていたんですか?」
「今朝だよ。はい、これレオナルドの分!」
少年はリュックの中から黒い収納式の釣り竿を取り出すとレオナルドに渡す。中年はリュックから折りたたみ式の椅子を2脚取り出すと、小石の上に両方設置しお互い隣に並んで座る。まるで孫と祖父のような構図だった。
「餌はこれを使って。昨日調合したんだ。材料の配分を変えたから、かなり食いつくと思う」
少年は自分の釣り針に餌を付けると、そのまま川の中に釣り糸を垂らす。中年も続けて川に釣り針を放り込むと、2人とも並んで黙り込む。
「坊ちゃん、幼稚園は最近いかがですかな?」
中年は竿の引きに素早く反応し、一気に引き上げる。釣り針には銀色に光り輝く小さな鮎が、元気よく体を揺らし暴れていた。そのまま鮎を外し、大きさを確認すると川に戻す。食べるには小さすぎたのだ。
「……特に何も無いよ」
少年は、自分の竿を見ながら淡々と答えた。
「お友達はできましたか?」
中年は再び川に釣り針を投げ込む。
「友達なんていらない」
中年は少年の方を向く。その目は悲しみを宿していた。
「そうですか…、とんだ失礼をしました」
「いいんだ、僕は何でもできるようにならなきゃいけないんだ。分かってくれるのはレオナルドだけで良い。友達なんか作っている暇は無いんだ」
すると、突然少年は竿を上げた。針には身の太った鮎がかぶりついていた。少年は無邪気にはしゃいで喜んだ。
「やったあ!これ、お昼ご飯だね!」
「さすがですなあ、総成坊ちゃん。早速、食事の準備をしましょう」
中年は釣り竿を地面に置くと、そのまま踵を返し山の方に向かう。そして、ふと立ち止まると少年の方を見つめる。
少年はバケツに魚を入れると、わくわくしながら再び川に針を放り込んでいた。
すごく楽しいのだろう、それはそうかもしれない。自分の作った釣り竿、自分の作った釣り餌、自分の力で魚を釣ったのだ。
結果を得るために過程を全て組み立てて得られた成功。子どもなら嬉しくて仕方がない。
しかし、中年の心には喜びと同時に不安も存在していた。
まだ、この子は幼稚園児なのである。目標を立てたり、何かを作ったり、試行錯誤するには早すぎる年齢だ。
周りからは天才と呼ばれ、敬われて恐れられる。だが、それも度が過ぎれば悪い結果を生んでしまうのは当然だった。すでに周りから外れて個人で行動することが目立ってきている。これが年を重ねればどうなってしまうのだろうか?
その方が効率的で何より本人の気が楽なのだろう。だが、社会は人との関わりで作られている。どんなに嫌でも誰かと繋がる必要がある。
それまでに誰かできるのだろうか、目の前の少年と友情を育んでくれる人が。友と呼べる存在が。
せめて、それまでは自分が支えにならねばならない。何に変えてもこの少年を育てるのだ。この少年こそ、地球の未来であり希望なのだから。
中年はその少年の背に重々しい得体のしれない何かが見えた。それは少年が背負うにはあまりにも大きな『地球の未来』という重責に他ならなかった。

次章「これまでのあらすじ」
よお、俺は心堂大悟。稲歌町でしがない弁当屋を親父が経営している、どこにでもいる高校生だ。
最近、稲歌町は賑やかで仕方ない。4月は町にいたヤクザが壊滅し、5月には不良が銃火器片手に暴動を引き起こした。ったく、やるんだったら宇宙でやればいいのに。面倒な奴らだと思わないか?
警察がとっとと解決してくれれば良かったんだが、調子に乗った奴らが警察相手に真っ向勝負を挑んだもんだから長引いて被害がでかくなった。学校は休みになる、まあこれは大歓迎だが…安心して外を出歩けなくなっちまった。
それだけなら我慢できたが、不良は何も出来ないホームレスや俺の妹にまで手を出してきた。さすがに我慢強い俺も堪忍袋の緒が切れて、不良狩りに出かけることになっちまった。
一通り掃除を終えた俺だったが、不良を狩っていたのは俺だけじゃなかった。
同じ高校で東地区に住んでいる、パン屋とオタク。奴らも俺と同じように不良と戦っていたが、その理由は別にあった。
宇宙から侵略者に襲われたって言われたら信じるか?しかもそれがすごく身近に迫っているってことを知ったら正気でいられるか?
侵略者の名前は『リベリオス』。奴らはライナー波という意味分からねえ力を使って、地球人相手に何か仕掛けているテロリストみたいな連中だ。
パン屋とオタクはそいつ等と戦っているらしい。もちろん、他にも連れがいた。
最近の携帯電話はすげえな、中に宇宙人を入れておけるんだから。パン屋にはゼロアという科学者、オタクには侍みたいなスレイドという奴が協力していた。
よく分からねえが、『契約者』という間柄らしい。
契約を結べば砂だらけの世界で空をぶち破るほど巨大なロボットを動かすことができるんだ。
そのロボットの名前は電脳将ウェブライナー。なんと操縦者によって姿を変えるロボットだ。そんなことを可能にしているのもライナー波という力らしい。無限の力と変化をもたらす、どう考えても悪い事しかもたらさないオカルトエネルギー。
どうやら、俺もそんなふざけた事態に巻き込まれちまったみたいだ。俺はシヴァ・シンドーというリベリオスに潜入捜査をしていた爺さんと契約し、ウェブライナーに乗れるようになった。
そんな俺が戦ったのが不良の暴動を引き起こした張本人、九条京士郎。
俺の昔の友人だ。
奴は稲歌町で暴動を起こし、それら全部を不良になすりつけ『カンナ』と呼ぶ巨大なワニの餌にして不良を皆殺し。散々暴れて自分だけトンズラこいちまった。
俺はその後始末だ。奴らが残した巨大ロボットをウェブライナーで叩き潰した。
これからこんな殺し合いを続けるとなると気が滅入るが、京士郎が暴れている以上、友人として何とかしなきゃいけない。頭のおかしい奴らばかり周りにいるが、俺は俺で好きにやらせてもらうとしよう。
これからは俺の物語だ。

第1章「みんなの休日」
6月2日 東地区 不動ベーカリー 2階 拓磨の部屋 午前8時47分
不動拓磨は、眠り込んでいた。普段ならば学校に行く時間だが今日は休日。どれだけ寝ても文句を言われる筋合いは無い。最近はリベリオスとの戦いが日常茶飯事になってきたため自由時間は自分で作る必要がある。
前回の戦いの後、稲歌町は表面的には平和になった。暴動で逃げていた人々は町に戻り、災害復興のように道路や建物の工事が頻発している。元通りとはいかないが、少しずつ元の町に戻ってきたところだ。そもそも、先月が異常すぎただけで今が普段どおりなのだ。
先月の事件は、今も話題になっている。不良の争いが警察との正面衝突を生んだ原因は何なのか、ひっきりなしにテレビで騒がれている状態だ。だが、それも新たに起こるニュースで話題から外れすぐに何事も無かったように静まってしまう。
情報統制。リベリオスはおそらく現実世界で暴れてもすぐに事態が収束できるように策を巡らせているはずだ。そうなると、情報は鵜呑みにできない。その情報が本当に正しいのか、考える必要が出てくる。そして自分なりの答えを出す必要がある。
頭を空っぽにして何でも周りに従っていけば何とかなる世の中では無くなってしまったらしい。いや…待てよ、考えてみればこれはそんなに悪いことではないような…、むしろ人々の自立を生んで個々を育てる良い世の中かも…。
いかん!何を考えているんだ、俺は!?テロリストに襲撃されて人間が化け物にされる世界が良い世界なわけないだろ!
拓磨は悪夢にうなされながらゆっくりと目を開ける。いつもと同じ天井がそこにあった。顔を横に傾けるとカーテンの隙間から光が入ってきている。すっかり朝だ。
拓磨は上半身を起こすと机の上に置かれた紫色の折りたたみ式携帯電話を見た。液晶画面は真っ黒であり、電源が入っていない。
「珍しいじゃねえか、ゼロ。寝坊か?」
「…ん?あれ…もう朝かい?」
拓磨が携帯電話に声をかけるとゆっくりと電源が入り、白衣姿で紫色の髪、四角で青いメガネをかけた青年が寝ぼけた声でこちらを向いてくる。
「…大丈夫か?」
拓磨はいつもと様子が違うゼロアに違和感を感じながら、ゆっくりとベッドを降りて机に向かい正面窓のカーテンを開け、日光を部屋に入れる。
「何が?」
「『何が?』って…何か元気が無さそうに見えるんだが?」
どう考えても顔から気力が抜けていて、目の焦点が合っておらず、髪がボサボサなゼロアがじっと拓磨を見てきた。
「…私ももう年だからなかなか疲れが抜けないんだよ」
「老いとは怖いな」
拓磨は冗談を聞くように笑いながら、机の前の椅子に座った。
「笑い事じゃない。いつか君も私のようにこの気だるさと戦うことになるんだ。今はただでさえ、リベリオスの相手で神経が張り詰めているというのにこれ以上何かあったら倒れてしまうかもしれない」
ゼロアは、拓磨を睨むと液晶画面から消えていった。
考えてみれば確かにゼロアの負担は尋常ではない。新しく仲間は増えてきているが、致命的なことに全員脳筋の戦闘兵士ばかりだ。もちろん、祐司は例外だが。ゼロアを助ける知的な学者はどこにもいない。つまり、頭を使うことは全部ゼロアがやることになるのだ。
ウェブライナーの研究、新しい装置の製作、その他諸々…。
助けてやりたいが、脳筋共は荷物運びしかできないだろう。
拓磨が頭を悩ませていると、携帯電話が鳴った。拓磨は画面を見ると『心堂大悟』と書かれている。
こんな朝早くから何の用だろうか?
「はい、もしもし。俺だが」
「パン屋、頼み事がある」
拓磨が電話に出ると、すぐさま低音ボイスの大悟が脅迫のように用件を切り出した。
「朝早くからいきなり何だ?」
「おお、引き受けてくれるか?さすがはパシリだ。実はな…」
「勝手に話を進めるな」
「だってお前、俺を助けてくれるんだろう?それもタダで」
拓磨は、先月の自分の言動を後悔し始めていた。
安請け合いをしてしまったのかもしれない。今度からはもう少し考えてから行動するべきだな。
「で、用件は?」
「実は、今日桜が『御神モール』に買い物に出かけるんだ」
「『御神モール』って、『相良マート』を買収した企業が作った新しい施設か?」
稲歌町のヤクザ、相良組が資金源としていた相良マートは『御神グループ』と呼ばれる企業グループに買収されたのは話に聞いている。つい最近、リニューアルオープンしたばかりのショッピングセンターは毎日混雑して周囲の道路では渋滞が頻発しているという。
しかし…まったく話が読めない。妹がショッピングセンターに行くことと俺への頼みは何の関係があるんだ?
「相良組はお前が潰したんだろ?」
「すでに潰されていたんだ、リベリオスにな。俺は後始末しただけだ」
拓磨は大悟の言葉をひたすら訂正した。
「お前、何人と同時に戦える?」
「急に何だ?…状況に応じて対処はできるが」
「よし!パン屋、お前今日1日桜の護衛をしろ」
拓磨は急に真顔になり、そして頭を抱えた。そして携帯電話の電源を切ろうとした。
「待て待て!切るな、俺の頼みだ。いいから、聞けよ?」
「お前は過保護だ。何で妹のショッピングにボディガードが必要なんだ!?」
「この町はもう安心できねえだろ!俺たちがリベリオスぶっ潰すまで流れ弾がどこから飛んできてもおかしくねえんだぞ!?」
まあ、確かについこの間まで銃撃戦をやっていたんだからその可能性はゼロじゃない。
大悟の必死の説得に拓磨は認めたくないが納得してしまった。
「なるほど、ボディガードの必要性は分かった。じゃあ、お前が行け」
「それがシヴァの爺さんと修行があってなあ、行きたくても行けないんだ」
「俺が、マスター・シンドーと修行するからお前はどうぞ妹の子守に行ってくれ」
ゼロアの作ったロボットを相変わらず無傷で倒し続ける拓磨は最近、大悟の特訓の合間を縫ってシヴァの稽古を付けてもらっていた。
力を無くしたはずなのにシヴァは拓磨と互角に渡り合い結局勝負が付かなかった。ウェブライナーを生身で追い詰めたのは伊達じゃない。やはり、経験の差は大きいと実感してしまう。体を瞬時に戦いの状態まで持っていくことができればそれだけ周りの状況に対応しやすくなる。
経験、そしてそこから生まれる『慣れ』。だが、慣れるだけではなく上手く心をコントロールしなければならない。マスターとの修行はまさに自分に必要な物を教えてくれるぴったりなものだった。
だから正直、これからの修行の時間を全部代わってもらいたい。筋肉で銃弾受け止めたりできるんだからもう修行とかいらないだろ?
自分の事を棚に上げて拓磨は都合の良いことを頭に並べ続けていた。
「アホか!お前が修行しても意味ねえだろ!俺は京士郎を止めなきゃいけねえんだ!だから、今より何万倍も強くなる必要があるんだよ!お前に割く時間はねえ!」
京士郎…か。
拓磨は前回の事件で出会った大悟の友人、九条京士郎のことを思い出した。
不良を焚きつけ、思いのままに操り最後は自分の目的のためにその命を食い物にした男。ビルみたいなデカさのワニに不良を餌として食わせた。
それが目的だとしたら、あのワニのために京士郎はリベリオスに入ったことになる。
確か…ワニの名前は『カンナ』だったな。
一体どういうことだ?そこまでワニのために尽くす京士郎の理由は?
そもそも大悟と京士郎が友人だとして、なぜ今は敵対する関係なんだ?
2人の過去に何か起こったのは間違いない。いつか…さりげなく聞いてみるか。
「はあ…俺が桜と一緒に行ったら彼女が迷惑しないか?止めといた方が良いぞ?」
「お前は、桜がまたさらわれ…!!!」
大悟の怒声がさらに大きく響くのを拓磨はうんざりした声で打ち切った。
「分かった、分かった!!行けば良いんだろ?それで何時に、どこに行けば良いんだ?」
「9時30分に中央駅正面!桜に群がる野郎は全員ぶちのめして構わない!お前の腕を見込んでだ、パン屋!絶対にしくじるなよ!?」
「言っておくが、お前のために行くんじゃない。桜が危険な目に遭わないために行くんだ。じゃあな、これは特別に貸しにしておく」
拓磨は携帯電話を一方的に切ると、疲れたように椅子に寄りかかった。
俺が行ったら絶対誘拐犯に間違われて警察に職務質問されるだろうが…あいつ、本当に分かっているのか?
拓磨は立ち上がると、再び携帯電話を見た。画面が暗いままゼロアの姿が見えない。
ゼロ、本当に体の具合でも悪いんじゃねえのか?
拓磨はすぐさま外出着に着替えた。さすがに宗教ジャージでは桜が迷惑するため、上着にチェック柄の紫と黒のシャツ、下はジーパンという無難な選択をして拓磨は携帯電話を胸ポケットに入れると部屋を出て、階段を降りていった。
「あれ!?ずいぶん起きるの早いじゃない、休みなのに」
正面玄関を開ける音と共にエプロン姿と黄色いバンダナを頭に付けた喜美子が驚いた顔で声を上げた。体から香ばしいパンの匂いが漂っている。
「用事ができたんだ。ちょっと街の方に行ってくる。昼飯はいらないだろうな」
喜美子の横を通り過ぎて拓磨は外に出る。
「また、リベリオス?」
心配そうに喜美子が尋ねる。血も涙もない武闘派な喜美子だが、これでも拓磨の親である。一応心配しているのだ、少なくとも拓磨はそう思っている。たまに考え直そうとするときはあるが。
「違う。大悟の妹が買い物に出かけるんだ」
「……それで?」
「俺が護衛に指名された」
「わっはっはっは!!な~にが『護衛』よ、ただのパシリじゃない!あの2メートルのゴリラにアゴで使われてどうするのよ、あなた一応人間なのよ!?霊長類最高の存在の意地はどうしたの!?」
豪快に大声で爆笑と叱責を繰り返す喜美子に拓磨は無表情を向けた。
「また暴動が起きるかもしれないだろ、叔母さん。桜は前回の騒動でも巻き込まれたんだ。いつ巻き込まれてもおかしくない。俺がいればある程度は抑止になるだろ?」
「抑止というより、殲滅でしょ?まあいいわ、あの弁当屋に恩を売っておくのは良いかもね。拓磨、桜ちゃんを我が『不動ベーカリー』にバイトで雇えない?あんな可愛い子、いるだけで客が列を成すわよ?」
弁当屋の看板娘を引き抜こうとする叔母の根性は拓磨の予想を遙かに超えていた。
拓磨は遠くに目を向け、無関心を貫いた。
「まあ、言うだけ言う。後は自力で何とかしてくれ…」
「葵ちゃんと友喜ちゃんに桜ちゃん!これだけ美女と美少女を揃えれば不動ベイカリーは安泰よ、それであなたはウサギの着ぐるみでパンを作る!まさに完璧な構図だわ!何事も勝つことに意味があるのよ、拓磨!リベリオスだろうが、店の経営だろうが、勝ち以外意味を持たないの!これからの人生全勝するしかないのよ!」
世界の女王として君臨する計画を話すように喜美子は握り拳を振り上げ、暑苦しい覇気を周囲に発散させる。目は爛々と輝き、顔は笑みをこぼし全身は喜びに満ち溢れる彼女の姿はまさに天下を取る者にふさわしい存在だった。
叔母さんは、本当に人生楽しそうだな、正直見習いたいものだ。妄想するだけなら誰しも無害でタダだからな、年も年だしいちいち苦言を呈するのも無粋というものだ。ここは黙って夢を見させておこう。
拓磨は、黙って背を向けると外に逃げていった。
空はまさに快晴である。雲1つなく、少し熱いくらいだ。拓磨はL字の裏路地を進むと、不動ベイカリーの前通りに出る。
休日だというのに不動ベイカリーの前には4人ほど客が列を作っていた。視線をそのまま渡里家に移すと、今日は静まりかえっている。明かりも点かず、門も閉まり人の気配を感じない。
家族で出かけているのだろうか?真之介さんが帰って来たということだけで珍しいのだが。アニメ製作も一段落ついたのだろうか?
拓磨は、そのまま家の前を通り過ぎると道端を歩き左右の住宅に囲まれながら進んでいった。
道中、拓磨は前回の暴動の傷跡を確認しながら歩みを進めた。
中央地区に近づくにつれてアスファルトにヒビが入り、下地が剥き出しになっていたり、小さなクレーターが出来ている部分が増えてくる。学校付近は車道が通行止めになっていた。かろうじて歩道が残っている状態である。
爆発物が破裂した後や黒いシミのような火薬痕が時間が経過したにも関わらず残っていた。
学校は事件解決後、普段通り行われることになり、授業もいつも通りだ。暴動で止まっていた遅れを取り戻そうと教師達が躍起になって生徒の脳に気合いの入った指導をしている。
普段の授業でも厳しいのにさらにハードルが上がれば聞き取るのがやっとで一瞬の油断も許されなくなった。祐司はすでにギブアップ状態で、授業中はノートに周りの人の顔をアニメ風の作画で模写している。これが、結構周囲に好評で友喜は「葵の絵が欲しい」と求めたが、葵にきつく睨まれ断念した。
祐司のことだからどうせ絵に毒を仕込むと思ったのだろう。意図的な作画崩壊を予知して未然に防いだ葵は、祐司が怠けているたびに祐司の小遣いを減らすよう父親に進言したのである。おかげで今月の祐司の小遣いは100円である。祐司は葵に滅びを、父親のアニメ事業に成功を祈って最近祈祷を始めたらしい。だが、さすがにそれは友喜がいたたまれなくなってそれを阻止したという。
友喜がいなかったら、葵に見つかって祐司は叩きのめされていただろう。間違いが起こるのを未然に防げて良かったものだ。
拓磨は思いを巡らせながら、汚れた歩道を歩いて行く。視線を前に向けると左側に白い箱のような中学校、右側には同じ形をした高校が見えてきた。
校庭では黄色いユニフォームを着た野球部が元気よく声を上げて、練習試合を行っていた。相手のチームは赤いユニフォームで『SAKURA』と書かれている。
どうやら、以前まで友喜が住んでいた稲歌町の隣にある桜町の野球チームらしい。
2ヶ月前にもとんでもない騒動に巻き込まれたのだが、もうすでに何年も前のように感じてしまう。リベリオスに関わってからというもの、毎月毎月命を賭して戦わなければならない『濃い』日々が続いている。
だからこそ、のんびりとした休日は貴重なのだ。毎日焼き肉を食べていたら、見るのも嫌になって吐いてしまうだろう。たまにはお茶漬けやおかゆを食べる日が必要なのだ。
その日が今日だったのに……まあ良い、これ以上考えるのは止めておこう。こんな気分のまま桜に会ったら彼女に失礼だ。悪いのは大悟だ。全ての元凶は奴なのだ。今はそれで良しとしよう。
拓磨は様々な思いを一旦心の奥底でプレス機にかけて完全に押しつぶすと、深呼吸をして道を急いだ。
両側から学校に挟まれた拓磨を出迎えたのは稲歌町の大動脈と呼ばれている巨大な道路と、道路の両脇にそびえ立つ巨大なビル群だった。
残念なことにこの交通の要所も被害は甚大で、道路の舗装に丸いタンクを背負ったコンクリートミキサー車やロードローラーが轟音を立てて道路のあちこちで稼働していた。
拓磨はそのまま左折し歩道を歩きながら滅多に見られない光景を横目に稲歌町を西へと進んでいた。
稲歌町中央駅は学校から歩いて10分の場所にある。
学校が密着している稲歌町では、電車で通う生徒は非常に多い。電車通学の場合、小学校から高校生までずっと同じ駅を利用することになるのだ。そう考えると中央駅は学生にとっては見慣れた景色、『第2の家』のような存在と言えるかもしれない。
拓磨は横断歩道にたどり着くと、中央駅前にある緑色に生い茂る樹木と湧き水を再現した噴水へと向かう。自然の風景を再現した庭園があるはずなのだが……今はすっかり破壊されてしまって元の姿が無い。
木は根元が引き裂かれたかのように崩れており、噴水はガレキの山となっていて水が隙間から漏れ出している。
確か祐司が愛理さんを助けに来たときは、まだ樹木があった状態みたいだがロケットランチャーをどこかの馬鹿が辺り一面に発射したのだろう。町民の税金は復興費に注がれ、町の活性化どころでは無くなってしまった。
不良との争いが災害レベルまで発展した事態は、日本では珍しいのではないだろうか?
庭園は『立ち入り禁止』の看板が置かれており、拓磨は迂回するような形で正面に置かれた稲歌町中央駅へと向かっていく。
この駅、正面から見ると俵が重なったような形に見える。稲歌町のシンボルである『実った黄金の稲』をテーマに、米を蓄えておく俵をモチーフにして駅を作ったという話だ。
拓磨は駅正面の自動ドア横、黄色い壁を背に立つと正面にボロボロになった庭園を捉えながら桜を待った。
「あれ?不動さん」
右側のガラスでできた自動ドアが開くと共に可愛らしい声が響いて拓磨の耳に届いた。
拓磨の胸にギリギリ背が届く身長に黒髪のショートヘア、水色のワンピースとスカートを身につけ、人形のように微笑む姿は素直に可愛らしいと思えるものだった。
友喜が着ても似合うと思うが、葵が着たら逆に浮いてしまいそうだ。あいつは落ち着いた服装の方が似合う気がする。そんなこと言ったら『宗教ジャージをいつも着ているあんたに言われる筋合いは無い!』と怒鳴られそうだが。
「よお、元気か?」
「はい!シヴァのおじいちゃんが家族に増えて、何かお父さんも前より元気になったようで家全体が明るくなりました」
シヴァのじいさんはどうやらいるだけで周りに良い影響を与える存在のようだな。力は、失ってもフォインの伝説は健在というところか。
「不動さんは今日はお出かけですか?」
拓磨の私服姿を観察しながら桜は尋ねる。
「実は、人を待っているんだ」
「へえ~、私と一緒ですね。私もお兄ちゃんを待っているんですよ」
桜の嬉しそうな言葉に拓磨は嫌な予感を感じていた。
「お兄ちゃん……というと大悟か?」
「当たり前じゃないですか、私のお兄ちゃんは1人だけですよ。今日は買い物に付き合ってもらうんです。最近、色々忙しくてやっと時間が取れたんですよ」
「ほ、ほお~。そりゃまあ…なんというか…良かったな」
嫌な予感は当たった。
大悟の奴、どうやら俺が代理で来た件を伝えていないらしい。何てことをしてくれたんだ、おかげですごく伝えにくくなってしまった。
拓磨は目を泳がせながら、桜に伝えるタイミングを測っていた。
そんな拓磨の都合など露知らず、桜は好奇心旺盛で拓磨に質問してくる。
「不動さん、もしかして今日はデートとか?」
桜は目を輝かせながら、拓磨を見上げていた。
拓磨は一瞬、その言葉の意味が分からなかった。大量殺戮者のような凶悪な面をした拓磨にとって『デート』などと言う言葉は思考の範囲外だったのだ。
「桜、俺に恋人がいると思うか?」
頭を抱え、ひどく疲れたように拓磨は呟いた。
「思います。不動さんは背も高いし、体もガッシリしているし、強いし、優しいし、格好良いし、もう何にも言うこと無しじゃないですか」
桜は、何を言っているのだろうか?彼女の言葉に思い当たる節が1つもない。桜が見ている俺はひょっとして別の世界の住人なのではないだろうか?だとしたら…俺は一体誰だ?
「お世辞はありがたいが、今言った全ての長所が活かされるのは『顔がイケメンに限る』だと思うんだが?」
拓磨は非情な現実を桜に教えた。
「う~ん、まあ確かに顔も大事ですけど。不動さんはその顔だからこそ良いと思いますよ?もしイケメンだったら体のバランスが合わなくて不気味に見えると思うんです」
いや、その程度の不気味はまだ許容範囲だろ?悪人面の場合、下手すりゃ命の危機を感じて近づく気も起きなくなるんじゃないのか?
やはり、桜は大悟を見慣れているからこんな言葉をくれるんだろうな。初対面の人間だったら、泣くか、逃げるか、叫ぶかのどれか。もしくは全部だ。
「さてと、それじゃあ行くか」
「え?不動さん、連れの人は?」
拓磨は無言で右手の人差し指を桜に向ける。
「え…え?だって、私はお兄ちゃんと…」
拓磨はその言葉を聞いた瞬間、ため息を吐く。その姿を見た瞬間、桜は目を見開き全てを悟った。

同日 稲歌町 中央地区 大通り 午前9時43分
こんな日は初めてだった。
女性と共に歩く機会は、葵や友喜のおかげで経験済みだ。
しかし、何もかもが嫌になったようにうなだれてため息ばかり吐いている美少女と一緒に歩く機会は間違いなく今日が初めてだ。
自分の兄が起こしたあまりにも身勝手な行動に桜は怒りを通り越して、元気を奪われてしまった。
拓磨は落ち込まないようにとフォローの言葉をかけたが、言えば言うだけ彼女の気持ちが沈んでいくように感じてしまう。
「はあ…情けない。よりにもよって、家族の問題に他人を巻き込むなんて…」
背後で桜がブツブツと兄へ毒づいていた。空気感染のようにそのまま拓磨の耳に言葉がじわじわ届く。
「俺は別に気にしていない。だから、好きなだけ羽を伸ばせ。友達でも呼んだらどうだ?俺と一緒じゃ安心して買い物ができないだろ?俺は離れて周囲を見回っている」
拓磨は、背後を歩く桜を振り返り見下ろすと気を配った。
「気を遣わないで下さい。そこまでしてもらったら、情けなさ過ぎて、もう人として生きていけない気がしますから…」
桜は目に涙を溜め始めていた。これ以上は言ってはいけないと思い、拓磨は気を遣うのを止めた。
「ところで…一体何を買いに行くんだ?」
拓磨は、危険を感じて話を変えた。そもそもなぜ桜が買い物に来たのか、その理由を全く知らないのだ。
『妹が買い物に行くから護衛をしろ』としか言われていない。
正面から歩いてくる通行人に珍妙な眼差しを向けられながら2人は右側に車道、左側にある並び敷き詰められたビル、その間に挟まれた歩道をのんびりと歩いて行く。
「本です」
「本…というと『小説』とかか?」
「不動さん、小説を読まれるんですか?」
桜は驚いたように問いかけてくる。
「俺に小説は似合わないか?」
拓磨は、笑みを浮かべると桜は慌てて首を横に振る。
「い、いいえ!そんなつもりで言ったんじゃ…」
「ははは、悪い。別に謝ることじゃないさ。祐司からたまに本を借りたりしているんだ。さすがに自分から本を買いたいとまではいかないな」
「へえ~、祐司さんと仲が良いんですね」
「小さいときからの付き合いだからな。良くも悪くも長い付き合いだ」
「あの…祐司さんはオタクなんですよね?」
桜は躊躇して恐る恐る問いかけてくる。
「オタクだな。それはもう全身が趣味の世界にどっぷり浸かりこんでいるくらいの」
「それにしては…ずいぶん社交的な人ですよね?」
「桜、それは偏見というものだ。オタクにも人当たりが良い人はいる。あいつは頻繁に暴走するが、それも含めて祐司であると周囲共に認める存在だ。まあ…実家じゃゴミのように扱われているそうだが」
拓磨の脳裏に葵に怒鳴られている祐司の姿が浮かんでくる。
「祐司さんは兄弟がいらっしゃるんですか?」
「同い年の姉…いや妹?がいる。葵という名前で、渡里家を支えていると言っても過言ではない存在だ」
「え?双子なんですか?」
桜はさらに驚く。
拓磨はその『双子』という表現に戸惑ってしまった。
葵と祐司はどう見ても双子には見えない。しかし、年齢は同じだ。だとすると、どうしても双子という言葉でしか家族構成を説明できないのだが、詳しいことは聞いたことが無いためそれで納得するしかないのだ。
「双子と言っても顔も性格も全然似てないけどな。お前と大悟みたいなもんだ」
「へえ~、機会があれば会ってみたいです」
最近、『葵がさらに厳しくなって部屋から抜け出せない』と祐司がぼやいていたことがあったが、いずれ自分たちの身の周りの状況を詳しく話さなければいけないだろう。信じられないことでも無理にでも納得して貰うしかないが…正直葵を説得できる自信が無い。今はできればあまり会いたくないな。
拓磨は気分を重くしたときだった。桜がその場に停止する。
「不動さん、ここですよ」
拓磨は立ち止まると目の前のビルを見上げた。
正面には階段があり、左右を小さな樹木で囲まれている。階段を上った先にはガラス張りの自動ドアがあり、子ども連れの夫婦やお年寄り、老若男女様々な人々がドアの奥に入っていく。
自動ドアの上には大きな照明板が立てかけられており、黄色い文字で『御神<<みかみ>>マート』と書かれていた。
「ん?ここって相良マート…ああそうか。買収されて名前が変わったのか」
拓磨はとっさに言葉を繋ぐ。
「はい。名前が変わってから雰囲気もだいぶ変わって、最近よく来ているんですよ」
相良マート。稲歌町でも大きな存在感を放っていた総合型ショッピング施設。
稲歌町のヤクザ、相良組によって設立されていたがついこの前相良組が壊滅したことにより、他の企業に会社ごと買収されて今はもう影も形も無くなってしまった。
元々あった施設を改築して新しい施設にしたわけだ。買収企業はラッキーだったろうな。人通りの良い、朝昼夜と利用する客が絶えないこんな立地条件が良いところを買い取れたのだから。
「不動さん、大丈夫ですか?」
桜がボーッとしている拓磨の顔を覗き込んできた。
「おっ、悪い。少し考え事をしていた」
「あの…もし他に用事があるならそちらに向かっても大丈夫ですよ?元々兄のワガママから始まったことですし私といるのが退屈で嫌なら…」
「桜は俺が一緒にいて迷惑か?」
拓磨はさりげなく桜に尋ねた。
「迷惑だなんてそんな…、せっかくの休みの日に私なんかに付き合って不動さんこそ迷惑じゃないですか?」
申し訳なさそうに拓磨に尋ねる桜に対して、拓磨は笑みを浮かべた。
「大悟の気持ちが何となく分かるな」
「えっ?」
「こんなに気配りが上手で優しい妹なら誰だって世話したくなる。あいつはちょっと過保護気味だけどな、まあそれもしょうがないか。罪深い女だな、お前は」
「べ、別に私…あの……その…あ、ありがとうございます」
突然拓磨に褒められたような気がして桜は顔を紅潮させてしまった。
「1度引き受けた事は曲がりなりにも成し遂げるさ。それに今の稲歌町は本当に危ないし、最近特訓ばかりで息抜きができなかったんだ。迷惑なんてとんでもない、機会をくれた桜に感謝している。ありがとうな」
拓磨に礼を言われると、桜はどうしたら良いのか分からず照れくさそうに頭を掻いていたが、照れを隠すように足早に中に入っていってしまう。拓磨はその姿を微笑しながら、後を追いかけて階段を上がっていった。
御神マートは5階建ての構造となっていた。入り口を通ると1階『食料品売り場』である。2、3、4階が本屋等の専門店エリア、5階がレストランエリア、屋上が庭園となっている。地下もあるようだがそこは駐車場らしい。
総合型にしてはラインナップが少ないと思ったが、どうやら裏には別棟が複数あるらしい。家電専門店や映画館、スポーツ用品店などあらゆるニーズに対応できるように棟を分けて対応しているようだ。
つまり、ここに来れば大抵のことは満たされるのである。けれど、休日にここに来るのは自殺行為だな。
桜の待つ本屋へ向けてエスカレーターに乗りながら前と後ろを大学生のカップルに囲まれ、圧迫感と香水のキツい香りのせいで拓磨はうんざりしていた。
しばらくして、2階に到着すると目の前には無数の木製本棚の列が並んでいた。天井には丸く『料理』、『占い』、『コミック』など識別用の札がぶら下がっており、本棚の間には立ち読みのために人が本とにらめっこをしている。特に『マンガ』のコーナーでは人だかりができていた。
こういうとき背が高いのは利点である。周囲をざっと見渡すとすぐに桜を見つけ、彼女の下に近寄っていった。
桜は『料理』の札の真下で本棚から本をいくつか手に取ると、それを眺めて唸っていた。
「実家が弁当屋なのに料理の心配をするのか?」
「だからこそですよ。新しいメニューを考えて、四季に合わせて取り入れていかないと。お客さんは敏感ですから」
なるほど、確かに飲食業に関わる者の宿命だな。うちも他人事じゃないな、今は叔母と叔父のおかげで何とかなっているがいずれ俺が継いだ場合、新しいパンを作っていかなくてはいけないわけだ。
拓磨は桜の隣に立つと、『奥さんに馬鹿にされない男のパン料理』と呼ばれる本を手に取り、眺め始める。
「なあ、桜。俺の家でバイトできるか?」
「………えっ?」
突然のバイト勧誘に桜は声を上げて、拓磨を見上げる。
「無理だったらそれで良い。むしろ無理と言ってくれ」
拓磨は、本を読み進めながら懇願した。
バイト勧誘しているのに、それを断るのを望むという何とも変な感覚だった。
「あの…ごめんなさい。やっぱり、実家の事がありますから」
桜は、困ったように笑みを浮かべると柔らかく断った。
そりゃ、そうだ。これが普通だ。自分の家の手伝いもあるのに、他の家にバイトなんか行けるわけがない。
叔母の計画が潰えたことに、拓磨は喜びと安堵の気持ちでいっぱいだった。
「よし。悪いな、馬鹿な質問して」
「いいえ。あっ、でも『こころ』が、お休みの時なら少しは手伝いに行っても良いですよ?お兄ちゃんが、これからお世話になるわけですし」
「頼むから気を遣わないでくれ……」
桜のよくできた性格を見ると、本当に兄があの男で良いのか疑ってしまう。祐司が、文句を言うのも納得だ。
拓磨は、笑いながら立ち読みを終えようとしたときだった。
どこからともなく、肌を突き刺すような視線を感じる。
ライナー波の影響で、鋭くなった感覚は、視線の方角を教えてきた。
拓磨は、とっさに左側を向く。
そこにいたのは、冷たい視線を一直線に拓磨にぶつける葵の姿だった。紺色のカーディガンを羽織り、ベージュ色のスカートを身につけ、通路のど真ん中で堂々と立ちはだかっている。
宝石のような長い黒髪が、肌と服の上を滑るように流れる。身長の大きさと美しさのせいで目立たない方がおかしい光景だった。
拓磨は、葵の方に向いた視線を再び本に戻す。
見てはいけないものを見た気がするが、たぶん気のせいだ。仮に見たとしても俺は認めない。むしろ、何も見なかったことにしよう。
そして、本を本棚に戻すとわざとらしく咳をして、葵に背を向ける、桜の背後を通り、奥へと歩いて行こうとした。
「あら~?拓磨じゃない!偶然ねえ~?」
葵は、わざとらしく声を張り上げると拓磨の逃走を心理的に塞いだ。
「え?」
桜は、葵の方を向くと一瞬の間をおいて、彼女も声を出す。
「あれ!?もしかして、この前、祐司さんの家にいた…!」
桜は、先月の事件後、祐司の家を訪れたときにいた葵の姿を思い出していた。
「こんにちは、あの時は色々いただいて、どうもありがとうございました。拓磨、ちょっとこっち来て」
拓磨は、ため息を吐くと観念したように、振り返り葵の側まで歩いて行った。
葵は、その拓磨の腕を掴むと引きずるように桜から離れ、拓磨を見上げる。
「…色々聞きたいことがあるんだけど?」
「今、仕事中だ」
「仕事?…誘拐しようとしていること?」
何でこいつは、そういう風にしか捉えられないんだ…と思ったが、端から見ればそう見えてもおかしくないか。
葵の答えに納得してしまう自分がいるのが妙に悔しかった。
「今日は部活じゃないのか?」
「私はいつも部活をやっていなければいけないの?」
葵は、ツンと拓磨の問いをはじき飛ばす。目くじらを立てて、いつものように不機嫌な葵の姿がそこにあった。
「いや…別にそういうわけじゃないが、何をそんなに怒っているんだ?」
「失望…かな?拓磨とは付き合い長いけど、まさか年下好きとは思わなかったから」
葵は体を傾け、拓磨を壁にして桜をのぞき込む。
やはり、葵は変わっているな。俺と桜が一緒にいるのを見て、なぜそういう考えに至る?それならまだ誘拐の方が納得できる。俺も変わっているが、こいつもこいつで似たり寄ったりだな。
「何度も言うが、本当に仕事なんだ。桜…つまり、あの子のボディガードを頼まれている」
「ボディガード…ねえ。何で?」
「あの子の兄は心堂大悟だ。覚えているだろ?」
「嘘!?本当に彼の妹なの!?」
祐司の家を訪問したときに大悟もいたはずだが、どうやら葵は大悟を兄とは思わなかったようだ。まあ、言われなきゃ信じたくないのも分かるけどな。
拓磨は、目を丸くして驚く葵を顔色一つ変えず眺めていた。
「大悟に頼まれて、警護をしているんだ。最近、この町は色々あって危ないだろ?この前の不良の暴動の時に桜は誘拐された。心配性になった大悟に頼まれたんだ」
「まあ…確かに拓磨がいれば近寄りたくないのは分かるけど。いくらなんでも過保護じゃないの?」
「何なら変わってくれるか?俺より葵が一緒の方が見栄えがいいだろ?俺は少し離れて付いていくから」
葵は、しばらく唸るとにこやかに笑みを浮かべて拓磨に言い放った。
「暇だし良いかな?メロンパン3日分で手を打つ」
「交渉成立だ」
葵は、拓磨の脇を通り過ぎると桜に近づいていき、身を屈め何か話を始めた。すると、桜は頭を下げ、笑顔になると手に本を持ち、葵と一緒に奥のレジへと歩いて行く。
やはり、あの方が世間体が良い。
拓磨は、小さく微笑むと葵たちを追いかけていく。

同日 稲歌町 西地区 午前10時11分
宝くじに当たるのは喜ばしいことだ。
もちろん、金額が多ければその分喜びも大きい。しかし、喜びの大きな要因は自分の勘が当たったことではないだろうか?
偶然当たるよりも自分が指定した番号が当たった時。自分の勘が冴え、それが成功を生んだ時、心の底から湧き上がる高揚感と充実感に身を任せ余韻に浸るのは何よりも素晴らしいことだ。
逆に自分の勘が外れた時、気分は一気に萎えてしまう。
祐司にとって今がその時だった。
今朝、師匠であるスレイドの訓練を終え、現実世界に戻ると玄関を鳴らすベルの音が鳴った。葵はどこかに出かけていたため、慌てて自分が出るとそこにいたのは、オリーブ色のカーディガンとベージュ色のスカートを身につけた友喜の姿だった。
最初はデートの誘いと思ったものだ。休みの日に女の子がわざわざ自分の家を訪ねてくるこのシチュエーション。あり得ない話ではない。
昔に比べれば確実に成長している自分もついにここまで来たのかと号泣しそうになったときだった。
「約束守ってもらうから」
友喜は笑顔で突如言い放ったが、その言葉の意味を祐司はすぐには理解できなかった。やっと理解したのは、友喜に連れられて西地区に入ったときである。ちょうど、その時思い出したのだ。
先月、確かに俺は友喜と約束をした。内容は『パフェをおごる』。理由は『心堂大悟が悪いやつじゃなかったから』。
元々、俺はあんな霊長類を味方とは思えなかったのだ。筋肉が服を着てるような2メートル超えのボスゴリラなんぞ、どう見ても悪人だ。
それでその後不良グループの事件が起こって、偶然あいつと行動を共にしたが、思ったよりも善人だった。不良グループをぶちのめし、一緒にウェブライナーに乗ってリベリオスと戦ってくれたのだ。
でも、そんなの不良が捨て猫を拾って良い奴アピールをするとか、そういう次元の話だろ?真っ黒なTシャツの一部がたまたま綺麗だからと言って、Tシャツ全体が綺麗とはならないだろ!?
「俺の予測は、当たっていたんじゃないの?」
「祐司や不動君を助けてくれたんでしょ?悪い奴だと思っていた祐司の予測は、外れたわけ。いい加減認めたら?」
あれは本当に助けたと言えるのか?
祐司は、首をかしげながらトボトボと道を歩き続けていた。すれ違いざまに小学生の男の子が祐司の真似をして、危うくこけそうになる。
確か…京士郎だっけ?そいつを助ければ後はどうなろうと知ったこっちゃないとそんなことを言っていたような気がする。俺たちを助けたのは、あくまでその京士郎のためであって自分の目的が終われば、ボロ雑巾のように捨てられるのでは?
どうしても大悟を心の底から信じられない祐司は、もやもやした気持ちと必死に戦っていた。おかげで自分が今、どこを歩いているのかさっぱり分からなくなっていた。
「ちょっと、祐司。どこ行くの?」
「え?」
突然、背後から声がしたと思うと友喜が立ち止まって目の前の家を指差していた。
周囲を緑色の樹木と赤いレンガの壁で覆われたその中に赤い屋根の一軒家が建っていた。壁は透明なガラス張りで中にはゆったりとしたソファや広々としたテーブルが壁に沿って配置されている。店の奥の方にはウイスキーやワイン等のボトルが並べられたカウンター席も見える。
レストランにもバーにも見える。祐司が、友喜の隣までやってくるとレンガの壁に貼り付けられていた看板に目を留める。
「『HEART』……ハーツ?何、この店?」
「知らないの?グルメ雑誌にも紹介されていたんだよ。『昼間は、家族で賑わうレストラン。夜は清潔感漂う大人な雰囲気の隠れ家的なバー。2つの異なる姿が、あなたの心を魅了する!』」
祐司は、友喜からグルメ雑誌を渡されると中をのぞく。確かに目の前の店が紹介されていた。
「宣伝が下手だなあ…、もう少し話は盛らないと。嘘吐いてナンボの世界だろ?例えば、『昼は上半身露出レストラン、夜は下半身露出バー!』の方がインパクトが強いと思うんだが」
祐司の愚痴にすかさず、友喜のツッコミが炸裂した。回避不能の平手打ちが、祐司の背中にクリーンヒットする。猫のような悲鳴を上げ、痛みにのたうち回る祐司を友喜は怒り心頭で引きずりながら、石畳の道を歩き中に入っていく。
ドアを開けると甲高いベルが鳴り響き、店内にこだまする。
「いらっしゃいませ、お2人ですか?」
出迎えたのは、茶色に髪を染めたストレートヘアーの女性だった。身長は祐司と同じくらい、170センチ後半くらいだろうか。
赤いエプロンを掛け、銀色のお盆を片手に持ちその上にはすでに水の入ったコップが2つ置かれている。胸も尻も出るところは出て、腰は細く、脚はスラリと長い。指は細長く、歪み1つなく美しさを感じる。
服装さえ変えればモデルをやっていたと言われても納得してしまう。
一言で言うなら『お姉さん系美女(祐司評価)』である。
「はい、2人です」
「では、こちらへどうぞ」
祐司と友喜を笑顔で案内すると、入り口に近い窓際の席へと導いた。
「私、『上毛三山パフェ』!」
座るなり、友喜が目的を告げた。
祐司は、テーブルに置かれていたメニューを眺めると友喜のお目当ての品を見つける。
『上毛三山パフェ 1500円』
おいおい、ここは東京か?いつ物価がこんなに上がった?
「お連れの方は、いかがしますか?」
「俺は…どうしようかなあ。とりあえず、ミートソーススパゲティ。後、フライドポテトとオニオングラタンスープ」
朝食をまだ食べていなかったため、昼食と兼ねて注文する。
「かしこまりました、少々お待ちください」
美女は、笑顔でお辞儀をすると奥の厨房へと消えていった。
「ずいぶん食べるんだね?」
友喜は、氷の入ったグラスを傾け水を口に含ませる。
「そりゃ、腹が減っているからね。修行もきつくなっているし、体力は付けておかないと」
「ねえ、アニメ制作ってそんなにお金儲かるの?」
友喜は、祐司の注文を見て疑問に思い、尋ねてきた。
「当たれば儲かる、外したら儲からない。友喜の家だって、食堂なんだから分かるでしょ?それに美味しいものを食べるだけのお金はいつも取ってあるのだよ」
「まあ、分かるけど。祐司ってお金に困っているように見えないから。アニメーターは過酷だって聞いたから、ずいぶん印象が違うなあ…」
友喜の言葉に祐司は、ニヤニヤ笑うと折りたたまれた一枚のチラシを尻ポケットから取り出し、テーブルに広げる。
「何これ?『スーパーアニメタイム』?」
チラシの中央にはロボットや美少女がデカデカと描かれ、『スーパーアニメタイム 毎週金曜日 午後8時から午後11時まで好評放送中!』と文字が描かれている。
裏面を見ると、番組のリストが載せられており、『世界よ!これが日本だ!』と巨大な文字が描かれている。
「最近、TV業界が下火なの知っている?」
祐司の問いに友喜は、顔を横に振った。
「どこのテレビ局も昔ほど視聴率が取れなくなってきているんだよね。欲しい情報は、インターネットで入手できるからわざわざニュースを見る必要もなくなった。スマートフォンのせいでさらにそれが加速して、わざわざ家でTVを見るより、友達とSNSをやったりする方が長くなったりして、新たな新機軸を生み出さないとTVが衰退していく一方なんだよ」
「ふ~ん、じゃあバラエティとかドラマを増やせばいいんじゃないの?」
「色々やり尽くしちゃっているんだよね。なかなか新しいものを生み出せないでいるんだ。原作が、漫画のドラマとか増えているだろ?1から新しいものを作るのはそれだけ難しいんだよ」
祐司の話を聞いていた友喜は、ふと先ほどのチラシに目を戻した。
「もしかして、祐司の羽振りが良いのはこれのおかげ?」
「父さんが、テレビ局に直談判に行って、『どうせ何やってもロクに視聴率が取れないんだから、アニメをその枠に当ててみませんか』と意見を言ったんだ。そうしたら、なんとその案が通っちゃったんだよね」
なんて運が良いんだろう。仕事が増加したから、こんなに羽振りが良いのか。考えてみれば、確かに当然のことである。
「おかげで父さん、しばらく家に帰ってきていないんだよ」
「嬉しい悲鳴でしょ?」
友喜はクスクス笑いながら祐司をおちょくった。
笑顔の祐司を見ていると、何となく自分も喜ばしい気持ちになってくる。彼には、ムードメーカーの才能があるのかもしれない。時々暴走するから困るのだが、それも彼の個性だと最近思うようになってきた。
これで、リベリオスのことが無ければ本当に幸せなんだけどなあ…。
友喜は、少しがっかりしたようにグラスの中の氷を回した。
「待たせたな、フライドポテトだ」
突然、ドスの利いた声がにこやかな雰囲気を破壊した。
祐司は、声を聞いた瞬間、苦虫を噛みつぶしたように顔をしかめる。
祐司たちのテーブルの前には、2メートルを超える野獣のような坊主頭の極悪な大男がエプロンを着て右手の銀の皿にポテトを山盛り載せて、2人を見下ろしていた。
「あれ?心堂君?」
「ん?あんたは…確か白木か?隣のクラスの」
「な、なんで心堂君がここで働いているの?」
友喜は驚いて、大悟に尋ねる。すると、大悟は平然と答えた。
「俺の家が経営しているレストランだから当然だろ?」
すると、祐司は店の名前にハッと気づいた。
『ハーツ(英語)』

『こころ(日本語)』
桜ちゃんの実家が経営している弁当屋も『こころ』。
当然、その実家には大悟がいる。
馬鹿だ、俺は!もっと早く気づくべきだったああああ!!
祐司は、頭を掻きむしりながらもがき苦しんでいた。
「おい。お前の汚いフケをテーブルにばらまくな、オタク。掃除代、請求するぞ」
「うわあ…最悪だあ。何で休みの日に、しかも自腹まで切ってゴリラの作った料理を食べなきゃいけないんだよ。斬新にもほどがあるだろ。何の罰ゲームだよ、やってられねえよ…。マタギ呼んで射殺してもらうしかねえよ…」
祐司の呪詛のような愚痴を聞いていた大悟の眉間に筋が見え始めた。
「ぶっ殺されてえのか、オタク…!」
「ちょっと、大悟君!お客さんになんて口の訊き方しているの!?」
奥の厨房から祐司と大悟の騒動を聞きつけて、先ほどの美女が慌ててやってくる。
「いや、奏<<かなで>>さん。こいつは、生きているだけで地球を汚す存在だから、とっとと出て行った方がいいんだ。ほら、さっさと出て行け」
「うるせえ、霊長類!お前こそ、さっさと動物園に帰れ!餌もらう時間だろうが!」
祐司の首根っこを掴みながら、無理矢理レストランの外へ追い払おうとする大悟に対して、祐司は暴言を吐きながらソファを両手で掴み必死に耐えていた。
「止めなさい!」
友喜と奏と呼ばれた女性は、力強く叫ぶと2人を睨み付けた。
「2人ともとりあえず、他のお客さんに迷惑だからこっちに来なさい」
周りを見ると、食事を楽しんでいた客全員が大悟と祐司を見ている。
2人とも何か言いたげだったが、友喜と奏の剣幕に黙って従うしかなかった。
男2人は奏に連れられて、厨房へと入っていく。中では、大勢の料理人が忙しく働いていた。そのまま厨房を突っ切ると、左右に食材の箱が置かれた廊下を直進していく。すると、目の前にドアが現れた。そのドアを奏が引くとまた厨房が現れる。
「ん?奏さん、休憩か?」
コック帽をかぶった大悟によく似た中年の男が近づいてくる。
「一馬さん、ちょっとハーツの方お願いできます?」
奏の背後にいた大悟とその影に隠れていた祐司に目を向け、全てを悟ると一馬はため息を吐く。
「ほんと営業妨害だな…。まあいい、しばらく人生の先輩からありがたい説教を受けてろ」
「ごめんなさいね、本当に」
奏は両手を合わせて一馬に謝ると、靴を脱ぎ2階へと続く階段を上がっていく。大悟たちもそれに続くと、2階に上がる。そこは、今となっておりテーブルが置いてあり奏が先に座っていた。
「大悟君、そのポテトみんなで食べましょう?もちろん、あなたの奢りで」
「えっ!?俺の奢り!?オタクが自分で頼んだ奴ですよ!?」
大悟は不満全開で申告する。すると、奏は祐司の方をじっと見る。
「じゃあ、そのオタク君は私に追加で『上毛三山パフェ』を奢りでどう?」
「ええええ!?」
奏は意地悪く微笑みながら、大悟がテーブルに置いたポテトを摘まむと口に入れる。
部屋に到着して早々、目の前の女性のペースに巻き込まれ、祐司はどうも居心地が悪く感じた。
「あの…とりあえずすいません。店で騒ぎを起こして。まさか、こちらのお方がいるとは思いもよらなかったので、気が動転して思ってもみないことを口走ってしまいました」
祐司は、奏に対して9割9分、大悟に対して1分の気持ちで土下座をして頭を下げる。
「オタク、お前絶対本音だったろ?」
「大悟君。謝っている人に対してそういう態度じゃ駄目でしょ?」
「いや、奏さん!だって、こいつは…!」
奏は横目で大悟を睨む。大悟はため息を吐くと『すいません』と小さく呟き、ついに気持ちが折れてしまった。
おやおや、面白い。あの霊長類がこうも形無しとは…。この女性、明らかに心堂大悟を尻に敷いている。今後のためにぜひお近づきになっておきたい。
祐司は心の中で邪悪な笑みを浮かべながら、奏の方を見上げた。
「あの…心堂君のお知り合いですか?」
友喜が恐る恐る奏に問う。
「霊長類、紹介して。こちら、どなた?」
祐司は真面目な顔で不真面目に質問する。
大悟は歯ぎしりしながら、怒りを溢れ出したが、奏に見られているせいで感情を爆発させずに堪えていた。
「奏さんだ。家業を手伝ってもらっている」
「初めまして、大悟君にこんな友達がいるなんてちょっと新鮮」
奏が嬉しそうに声を上げる。
そりゃあ、たっくんと同じだからな。巨人で顔が悪人。いわゆる一見<<いちげん>>さんお断りというやつだ。じっくり長い時間をかけて付き合わないとその人の本質が見えないのだ。
「弁当屋とレストランで働いているってことは、もしかして料理人ですか?」
祐司の質問に奏は髪を左右に振って否定した。
「本業はバーテンダーなの。お酒とか作るのが仕事。でも、人手が足りない昼間は手伝っているってわけ」
「へ~、なんか格好良い。バーテンダーか…」
友喜は、尊敬の眼差しで奏を見つめていた。
考えてみれば、この人はエプロンよりも制服の方が似合うかもしれない。
祐司は心の中でカクテルを作っている奏の姿を想像しながら、自分なりに納得していた。
「それで、あなたたちの名前は?」
今度は、奏がポテトを摘まみながら質問してきた。
「俺、渡里祐司っていいます。こっちは、友達の白木友喜。そちらの大悟君とは、色々縁があって顔見知りに」
「縁?何それ?」
奏は興味津々で尋ねてくる。
祐司は、答えに迷ってしまった。
霊長類の知り合いということは、すでにリベリオスについて知っているかもしれない。だったら、話しても良いのかも。
祐司は、そう思って大悟を見たが『口を閉じてろ』と目で威嚇され、祐司はとっさに作り話をでっち上げることにした。
「そっちの霊長類が、桜ちゃんと一緒に歩いているとき、警官に誘拐犯と間違われて連行されそうになったんです。そんなとき、俺が助けてあげたのが全ての始まり。だよな?」
「あ…ああ、そうだったな。そうだったか?」
大悟は、祐司をぶちのめしたい気持ちを必死に押さえてなんとか話を合わせた。
「まあ、大悟君はちょっと怖いからね。でも優しいのよ、桜ちゃんにも私にも。色々暴走しがちだけど、仲良くしてあげてね。お姉さんからのお願い」
「いやあ、こんな美人にお願いされたら断れないなあ!なははは…はにゃ!?」
ご機嫌な祐司だったが、友喜が祐司の背中に手を回し服の上から皮膚をつねりあげると奇妙な声を上げて涙声になってしまった。
「どうせ、私は美人じゃないですよ~」
友喜は、恨むように祐司を睨むと、ブツブツ愚痴を言い始めた。
「ふふふ、面白い友達ね。大悟君にぴったり」
「できればもう少し『まとも』なダチが欲しかったんですけどね」
大悟は、言葉を強調して呆れたように奏に答えた。
「さてと、じゃあ友喜ちゃんは一緒にパフェ食べに戻ろうか。2人はここでお留守番ね。また、お店で喧嘩されたら困るから」
奏は友喜とともに階段を降りて戻っていった。
取り残された大悟と祐司だが、祐司は赤いスマートフォンを取り出すとテーブルに置いた。大悟も黄色い折りたたみ式携帯電話を開いて、同じように置く。赤い携帯には作務衣姿で髪を一本に束ねたスレイドが、黄色い方には白髪混じりのダンディなシヴァが黒い中華服の姿で現れた。
「何で、お前の家には美人ばっかり集まるんだよ?」
「まあまあ、祐司殿。そう尖らずに」
不満たらたらの祐司をスレイドが優しく諫めてきた。
「そりゃ日頃の行いが、良いからに決まっているだろうが?引きこもってアニメばかり見ているオタクと俺じゃ格が違うのは当たり前だろ?」
「日頃の行いはむしろ悪い方だと思うが?」
シヴァが、腕組みをしながら呆れたようにため息を吐く。
「第一、何で奏さんにリベリオスのこと伝えてねえんだよ!?今の稲歌町がどれだけヤバいか分かっているだろ?町歩いていたら平気で異世界に連れ込まれるんだぞ?」
祐司は、さらに大悟に突っ込む。
「そんなの防ぎようがねえだろ?だったら知らねえ方が良い。身内に手が及ぶ前に片付ければ良い。それだけのことだろうが?」
「そのためには、お前はさらに強くならねばならんな」
大悟のあっさりした回答にシヴァが補足を加える。
「なあ、スレイドさん。正直言って、オタクに見込みはあるんかよ?」
大悟は、笑いながらスレイドに尋ねる。
「少なくとも、逃走に関してなら足手まといにはならないと思いますが」
「見ろ、スレイドさんからお墨付きが出たぞ!?逃げることに関しては、もう教えることがないってよ!」
スレイドの回答に祐司は開き直ってご機嫌になる。
「それ、褒めているのか?逃げてばかりで良いのか?」
「長所をひたすら伸ばすというやり方じゃ。足手まといにならないというだけでどれだけの利点があるか、分からないか?大悟」
シヴァの分析に大悟は唸る。
「う~む……まあ、そいつの事を心配せずに戦えるだけで十分気が楽になるな。じゃあ、せいぜい逃げ回っていてくれ。くれぐれも俺の邪魔にならないようにな」
「むしろ、霊長類が俺やたっくんの邪魔になりそうな気がするんだけどな」
「ほんと口が減らねえ野郎だなあ…!」
「いちいち喧嘩するな、みっともない!」
大悟と祐司の言い争いをシヴァが間に入り、中断する。
「我々が一丸とならなければリベリオスには対抗できません。お互い、いがみ合うのではなく思いやり行動するのです」
「シヴァのじいさん、正直言って今の俺たちでリベリオスに勝てるか?」
スレイドの言葉を聞いて大悟は、何気なくシヴァに尋ねた。
「生身で戦えば互角じゃな。ただ…それ以外の点で致命的に劣っている」
「あ?それ以外の点って何だ?」
大悟はまるで見当もつかなかった。
「要は頭を使う分野でしょ?技術的な分野」
祐司が、フォローするように結論を言い放つ。
「俺たちがどんなに強くなっても、使えるものはウェブライナー1体。対する相手は、無限に近いロボット軍団。俺たちが戦っている間に地球を征服されたら意味ないだろ?だから、下手に行動できない。裏をかかれたらその時点で、大惨事が起きる。数では圧倒的に負けているんだよ」
「祐司殿の言うとおりです。ライナー波を使った技術は、リベリオスが遙かに上。我々の目的は人々を守ることであり、それを失えば、たとえ相手を全滅させても意味がないのです。失ったものは戻ってきません」
祐司とスレイドの解説に大悟は、ため息を吐いて地面に大の字に寝転がった。
「めんどくせえな~!じゃあ、頭良い奴に町を守る防衛システムでも作ってもらわねえと安心して殴り込みにもいけねえじゃねえか!」
「今、ゼロアが対策を講じているが、ウェブライナー単体ならともかく、稲歌町全体となると厳しいものがある。しばらくは、まともに動けないな」
シヴァは重々しく事実を告げた。
その場が一気にお通夜のようになってしまう。先ほどの騒ぎが嘘のように、冷たく静まりかえっていた。
「あっ、そういえば桜ちゃんはどうしたんだよ?」
祐司が、桜がいないことにようやく気づく。
「買い物に行きたいんだと。でも俺はさっきまでじいさんにボコられていたから付いていけなかったんだよ」
大悟が悔しそうに呟く。
「今まで格下とばかり戦ってきたから、せっかくの能力もすっかり錆び付いている。今のままじゃ、ウェブスペースには連れて行けんな」
「何でだよ!?パワーもスピードも俺の方が上だろ!?何でじいさんに当たらねえんだよ!」
大悟がシヴァと行っていたのは、実践形式の組み手だった。とにかく、反復で戦いの動作を体に覚え込ませる。
先月の戦いでは大暴れした大悟だったが、不思議なことにシヴァ相手にはボコボコに殴られ、パンチ1つまともに当てることができなかったのだ。
「お前は、アホすぎる。どうやって動いてくるか、お前の体が全部教えてきてくれる。しかもその通りに動いてくれる。動きが分かれば、避けることは簡単じゃ。テストであらかじめ答えが分かっていれば間違えないことと同じじゃ」
「どうやって、それが分かるの?」
祐司がシヴァに尋ねた。
「目の動き、顔の動き、筋肉の動きに相手の体勢から繰り出される攻撃の推測、勘もあるがほとんどは経験の賜物じゃ。戦いとは、最終的に相手の動きをどこまで読めるかで勝敗が決まる。今、大悟に必要なのはとにかく経験を積むこと。瞬間的に相手の行動を予測できるまで体に覚え込ませることじゃ」
「俺、難しいことは分からねえぞ?戦っている最中にそんな細かいことまで考えられるか」
「まあ、お前は勘、つまりセンスで戦っていくタイプのようじゃな。だったら、センスを鍛えるしかない。結局、体に覚え込ませ、慣れを生むまでやるしかないのよ。恐ろしく地味で大変な訓練じゃ。だが、そうでもしなければリベリオスには勝てない」
「今、生まれて初めて頭が良くなりたいって思ったよ」
大悟は、自分の頭の悪さを呪った。
「ん?じゃあ桜ちゃんを1人で買い物に行かせたのか?」
祐司は、呆れて大悟に尋ねる。
「パン屋を護衛に付けた。とりあえず、問題はねえだろ」
哀れ、たっくん。いつの間にか霊長類のパシリになっていたとは。まあ、でも桜ちゃんの付き添いと考えればラッキーかな?
「とにかく、いつでも行動できるように各自準備を整えておく事じゃ。誰1人欠けることは許されんぞ」
シヴァの言葉に全員が頷いた。
そして、祐司はこれから支払いがあるかと思うと、頷きを通り越してうなだれてしまうのだった。

同日 御神マート 最上階 屋上庭園 午後0時14分
拓磨は木製のベンチに座って、遠くに並ぶ出店の前で注文を待っている葵と桜を眺めていた。
2人はあっという間に仲良くなっていった。桜の人に懐く性格もあるが、葵も桜の事を大層気にいったようだ。まあ、いつも相手しているのが祐司では桜が天使に見えるのは無理もないと思う。
拓磨と1時間かけて会話した量を10分程度で消化したときは、自分の口下手さにがっかりしたものだ。やはり、同性同士の会話というのは弾むものなのだろう。
そもそも、最初は本屋に行くだけの予定だったが、いつの間にか靴屋、洋服屋、化粧品売り場、食品売り場とどんどん行く場所が追加されていき、いつの間にか昼食の時間になってしまった。
最初は、桜の護衛役だったが今はすっかり荷物運びである。少し離れた位置から、2人が楽しむ姿を眺め、増えていく荷物を運ぶ役割に転職した。
俺は、せっかくの休みの日に一体何をやっているのだろうか?
空しさを感じ、悲しい気持ちを堪えながら拓磨はふと空を眺める。
「おやおや、御家族とお買い物ですか?不動君」
ふと、背後から声がして拓磨が振り返る。
そこにいたのは黒くはげ散らかした頭、金のフレームの四角い眼鏡、そしてなぜかタキシード姿の男性だった。
一瞬誰だか分からなかったが、しばらくすると記憶の回路がつながった。
「教頭先生?先生も買い物ですか?それにしてはずいぶんかしこまった格好ですけど」
我らが稲歌高校の教頭は、拓磨の前に回ってくると拓磨のベンチに腰掛ける。拓磨は荷物をどかして、教頭の場所を空けた。
「私は、家族の付き添いですよ。最近の子どもは元気で、親の知らないうちにどんどん成長しどんどん突き進んで行きますから、心配でついてきてしまうんですよ」
「でも家族一緒に買い物をできて良いじゃないですか?大人になるとなかなか時間も取れなくなります。そう考えると、恵まれていると思いますよ」
拓磨の言葉に、教頭は笑みを浮かべる。
「君は…本当に不思議ですね」
「えっ、どこがですか?」
「一見、人を寄せ付けないような風貌をしているのに付き合ってみると人を惹き付けるような言葉を投げかけてくる。お世辞でも嬉しくなってしまいますよ。だからこそ、君を慕う者がいるのでしょうね」
「それは、ただの物好きでしょう。どちらかと言えば、周りから避けられます」
拓磨と教頭は、小さく笑い合うと教頭はすぐさま立ち上がった。
「そろそろ、家族と帰らねばなりません。短いですけど、楽しい時間でしたよ」
「ずいぶん急いでいるんですね、まだ来て1分も経っていませんよ?」
拓磨は携帯電話を見て、時間を確認した。すると、液晶画面が真っ黒のまま動かなかった。ボタンをいじくっても反応がない。
「あれ?もしかして壊れたか?」
拓磨は再び教頭を見たが、すでにそこに教頭先生の姿はなかった。拓磨は周りを見渡すが、子ども連れの家族や若いカップル、老夫婦ばかりでタキシードを着た男の姿はいない。
今のは…何だったんだ?
突然現れて、突然消えた教頭先生。夢でも見ていたのか、俺は?
「拓磨、ポカンと何しているの?」
葵と桜が、香ばしい匂いが漂う白いビニール袋を持ってくると拓磨の様子が気になったのか、葵が尋ねてきた。
「い、いや…さっき教頭先生がいたんだ。けど、いつの間にかいなくなっていた」
葵から透明なタッパーに入った焼きそばを受け取ると、拓磨は事情を説明した。
「教頭先生?へえ~、気づかなかった。1人で来たのかしら?」
「ん?教頭先生は、家族と来たって言っていたが?」
「えっ?教頭先生は独身って聞いたんだけど」
葵が、桜と一緒に拓磨の隣に座りながら驚いたように尋ねる。
「結婚したんじゃないでしょうか?子持ちの奥さんと」
「桜ちゃん、良い推理!たぶん、そうじゃないの?」
葵と桜は、美味しそうに焼きそばを頬張っているのを見て、拓磨も腑に落ちないながらも焼きそばを口に放り込んだ。
濃厚なソースとほどよく焼けた麺が絡まり、口の中でかみ砕かれる食感はいつ食べても旨いものだった。
「桜、この後どうする?」
拓磨は、山のように置かれている買い物袋を眺めながら尋ねた。
「あっ、すいません!もちろん、帰ります。荷物も私が全部持ちますから!」
「いや、どうせ桜の家まで行くんだ。俺が持って行く」
桜は拓磨の言葉にお礼を言う。そのやりとりを見ながら、葵は焼きそばを口に啜った。
「…ふ~ん」
「何だ、『ふ~ん』って?」
拓磨の質問に、葵は笑みを浮かべながら答える。
「外見と反比例しているけど、拓磨って結構優しいよね?」
何で余計なことを付け足すのだろうか、こいつは。そこは普通に『拓磨は優しいよね』で良いだろうが。
「まあ、相手が良いからな。何かしたくもなる」
拓磨は、鼻で笑いながら焼きそばを食べる。葵は眉をひそめ、桜は顔を紅潮させた。
2人がじっと見つめてくるのが気になり、拓磨は再び口を開いた。
「俺、何か変なこと言ったか?」
「結構ストレートに言うよね、拓磨って」
「そうか?別に隠してもしょうがねえだろ?良いものは良いんだから」
拓磨は、小さく笑い始める。
「ふふふ、そうね。隠しても仕方ないよね」
葵もそれに釣られて笑い始めた。2人の独特な雰囲気を、桜はじっと眺めていた。
「あの、不動さんと葵さんは…」
「ただの隣人」
「へ、へえ~、そうですか?」
拓磨と葵が同時に桜に答えて、質問を潰した。桜は、2人の答えが信じられないように疑惑の眼差しを向けていたが、これ以上掘り下げられることはなかった。
昼食の後、拓磨たちは御神マートを後にした。弁当屋『こころ』への帰路に着く。
山のような荷物を軽々と腕にぶら下げると、拓磨は先頭を歩き始めた。後ろに桜と葵が付いてくる。
休日の賑わいは、過酷を極めており歩道を歩くときは、荷物が周りの人に当たらないように注意を払い休む間もなかった。
葵と桜は背後で楽しく談笑している。
部活のこと、友達のこと、勉強のこと、家族のこと。とりとめのない会話でも次々に話題が浮かび、2人の会話はずっと続いていく。
よく噛まずにずっと喋ることができるな、俺にはとても無理だ。
「あっ、そうだ。拓磨、桜ちゃんに携帯電話の番号教えたら?」
「俺は構わないが…良いのか?桜」
葵の提案に拓磨は、少し躊躇した。護衛という意味では、連絡できた方が良い。ただ、大悟という存在がいるし、あまり出しゃばると大悟の面目が潰れてしまうのではと思ったのだ。
「ぜひ、お願いします!」
桜は、すぐさま青いスマートフォンを取り出した。
「ずいぶん、新しい携帯電話だな?」
「お父さんが新しい物を買ってくれたんです。昔のは…この前無くしてしまいましたから」
桜は、顔を曇らせながら自分の携帯電話を触っていた。
確か、誘拐されたときに犯人に言われて携帯電話を捨てたという話だったか?
まだあまり時間も経っていない。少し軽率だったな。
「悪い。嫌なことを思い出させたな」
「良いんです、もう過去のことですから」
桜は花のような満開の笑顔を咲かせる。それに釣られて拓磨も笑みを浮かべた。
葵は、その2人の謎のやり取りにツッコミを入れた。
「ねえ、拓磨。ずっと思っていたんだけど、桜ちゃんとどういう知り合い?」
拓磨は、正直に答えようとしたがふと言葉を喉に引っ込めた。
考えてみれば、これはチャンスだ。桜は、リベリオスの存在を知っている。いくら葵でも、全く関係のない桜が言うことならさすがにリベリオスについて認めざるを得ないだろう。
「この前、稲歌町の暴動があっただろ?桜はその時、誘拐されたんだ。それで、俺たちが偶然助けた」
「あっ!?やっぱりあの不気味なウサギのお面は、あんただったの!?それで祐司がリスのお面付けていたんでしょ!?」
……あれ?祐司の奴、伝えていなかったのか?
すぐさま不機嫌になった葵に、拓磨はなにやら雲行きが怪しくなってきているのを感じた。
「不動さんと祐司さんは、私を助けてくれたんです!だから、その…そんなに怒らないでください」
「汚いわね…本当に汚い。こんな良い子を盾にするなんて…!」
まずい、また葵がイライラしてしまった。どうやら、俺が桜を盾にして、自分の行為を正当化しているように聞こえるらしい。事実を告げているだけなのに、何でこうなるんだろうか?
「本当は警察に任せたかったが、そういうわけにはいかないんだ。実は、リベリオスが裏にいて…」
「出た出た!!また、その名前!?現実と区別が付かなくなるほどゲームに、はまり込んでいるの!?」
葵は、最近ツッコミとリアクションの技術を磨いたらしい。ツッコミの反応速度とリアクションの大きさが、キレを増している。
「不動さんの言っていることは本当です!果てが見えないほど白い砂漠の世界に連れて行かれて、そこにいたのはお兄ちゃんの昔のお友達で、ええと…その人が実は不良の人たちを操っていて…」
葵はふと、歩くのを止めて訝<<いぶか>>しんで、桜を見つめた。必死に説明しようとしても、話す内容が内容なだけにどうしても突拍子もない言動になってしまう。
「はあ…桜ちゃん。もういいのよ?」
「葵さん、本当なんです!」
桜は、必死に詰め寄って話そうとしたが、葵は彼女に左肩に自分の右手を優しく置くと、わざとらしさが漂うほど優しく語りかけた。
「分かってる分かってる。でも、もう無理しなくても良いの。どうせ、うちの頭のネジが飛んだ狂ったオタクとそこの悪人面のデカブツに脅されたんでしょう?無理に話を合わせなくても良いのよ?はっきり言って、付き合っちゃ駄目」
自分と祐司に対して、散々な言われようで拓磨はため息を吐いた。
「おい、桜は本当のことしか言ってないぞ?」
拓磨は、ツッコミを入れるが何も聞こえなかったかのように無視される。
「で、でも…本当にリベリオスが…!」
「桜ちゃん、『もういいのよ?』」
葵は、桜の肩に置いた手に力を入れると冷たい声と怒りを込めた眼で桜を見下ろす。桜は、魚のようにパクパクと口を開閉させ、涙目になってしまう。
「ね?」
だめ押しの一言。しかし、桜にはそれで十分だった。
「は……はい」
すっかり、桜は心がへし折れてしまった。
「おい、言論の自由はどこへ行った?いつから、日本は本当のことを言ったら弾圧される世の中になっちまったんだ?桜、気にしなくて良いぞ。このお姉ちゃんは、頭がガッチガチに固いんだ。いまだに地球が宇宙の中心にあると思っているんだ」
「やかましい!!現実と虚構の区別も付かない新興宗教なんぞ潰して当然でしょうが!!」
葵が拓磨に怒りをぶつけた。拓磨は、笑みを浮かべながらそれを受け流す。
「葵。信じないなら、別にそれでも良い。けどな、他人の信じていることまで矯正するのは止めろ。そして、俺たちは真実しか言っていない。考えてみろ、こんな馬鹿な話、ふざけて言うか?嘘吐くならもっと現実味のある嘘を言うぞ?」
「じゃあ、私をその世界に連れて行ってよ、その異世界とやらに。そこには…リベリウスだっけ?そんなテロリスト集団がいるんでしょ?自分の目で確認したら、私も信じるわよ」
ついに葵が、話に乗ってきた。ほとんど自暴自棄になっているように見えるが、おそらく気のせいだろう。
「すぐには無理だ。その世界は性質<<たち>>の悪い放射能が充満していてな。耐性のない人間が入ったら、最悪の場合発狂して化け物になるんだ。お前にその耐性があるか調べる必要がある」
「あっ、そう。じゃあ血でも抜く?それから遺伝子分析?何ならギョウ虫検査でもしましょうか?」
売り言葉に買い言葉、葵はさらにエスカレートしてくる。だが、こちらにとっては都合が良い。ここで、ゼロアに検査してもらえば葵のライナー波に対する耐性が分かる。
運が良ければ俺たちの活動に協力してくれるかもしれないし、運が悪かったとしても、葵に対してさらに注意を向けるように心に留めることができる。どっちにしても問題の前進になる。
「よし、ちょっと待ってろ。ゼロ、ちょっといいか?」
拓磨は、紫色の携帯電話を開き液晶画面に向かって話し始める。いつもなら、ゼロアが目の前の液晶画面に現れて、にこやかな笑顔で受け答えをするはずだが、今日はなぜか現れない。
それ以前に液晶画面が真っ暗で、携帯電話が全く作動しない。
「あの~、不動拓磨さん。あなたの携帯電話、壊れているんじゃありません?」
葵は、馬鹿にしたように拓磨に話しかけてくる。しかし、拓磨は少しも笑っていなかった。真剣な表情で携帯電話を見つめる。
いくら何でもおかしい。これは、普通の携帯電話じゃない。異世界のテクノロジーの産物だ。今まで、壊れることはなかったし、もし何か異常があればゼロアが前もって伝えてくるはずだ。これが無いとウェブスペースに行けないのだからな。いざというときに対応できない。それに今朝まではちゃんと動いていたんだ。
もしかして、ゼロアに何かあったのか?考えてみれば、今朝のあいつはどこか具合が悪そうだった。ひょっとしたら、リベリオスに襲撃されたとか?
「桜、大悟は今日家にいるのか?」
「えっ?ええ、お店手伝っていると思います」
だったら、すぐ行く必要があるな。
「葵、悪いが1人で家に帰ってくれ」
「はあっ!?急に何で!?」
拓磨の突然の帰宅宣告に葵は、口を尖らせて反論する。
「俺が、連絡するまで絶対に家を出るな!いいな!?」
拓磨は、荷物をぶら下げながら全速力で桜と一緒に歩道を走ると人混みの中に消えていく。葵が、後ろから色々叫んだ気がしたが、拓磨はかまわず走り続ける。
10分後、拓磨と桜は西地区へと入っていた。両側にブロック塀で囲まれた住宅が並び、すぐ隣を車が走る道路を拓磨は全速力で走っていた。
途中で拓磨のスピードについていけず、桜がバテてしまったため、彼女を脇に抱えながらも全速力で走っている。桜と荷物を合わせて100キログラム近い重量を背負っているのに、拓磨の走る速度は全く変わらない。両腕に荷物と桜を揺らしながら、風を全身で切ってひたすら走り続ける。
すると、左側に公園が見えてきた。拓磨は、公園を無視してさらに走る。すると、右側に年季が入った古い看板と2階建ての建物が見えてくる。
拓磨は飛び込むように店に入る。すると、中でショーケースの商品の整理をしていた一馬が目を丸くして、拓磨を見てくる。
「いらっしゃい。そんなに急いでどうした?」
「ええと…大悟の身内の方ですか?」
桜を近くの椅子に下ろすと、拓磨は一馬に話しかけた。
「ああ、大悟の父親は俺だ。確か、不動拓磨君だったか?息子が、これから世話になるがよろしく頼む」
一馬は、惑星フォインから日本にやってきた。リベリオスのことは当然知っており、大悟に彼らの存在を伝えたのも一馬だ。シヴァの弟子だったという話だが、詳しいことについてはよく分かっていない部分も多い謎の人物だ。
「こちらこそ。それより、大悟は今どちらにいますか?」
拓磨は、息も切らさず単刀直入に一馬に尋ねる。
「あいつなら、2階で友達と仲良く喧嘩してるよ。確か、渡里だったか?」
祐司もここにいるのか?なら、都合が良い。
「上がってもいいですか?」
「どうぞどうぞ。それより、娘の護衛なんかに付き合わせて悪かったな。大悟は、ちょっと桜には甘いからな。まあ、最近大変だったし大目に見てやってくれよ」
「別に気にしてませんよ」
拓磨は笑いショーケースの横を通り抜けると、そのまま踵を返し靴を脱いで、階段を上がっていく。そして素早く上がると、2階に到達する。すると、そこにはテーブルを挟んで自分の携帯電話を眺めている祐司と大悟の姿があった。
2人は、突然の拓磨の登場に気づくと驚く。
「あれ?たっくん、桜ちゃんと一緒じゃなかったの?」
「さっき帰ってきたところだ。それより、スレイドさんかマスターに合わせてくれないか?」
拓磨は、2人に尋ねるが2人とも困った顔をして互いの顔を見る。
「いや、俺も次の修行の時間が迫っているからウェブスペースに行きたいんだけどよ、携帯がちっとも動かねえ」
大悟は、諦めたように黄色い携帯電話を目の前のテーブルの上に置く。
「実は俺の携帯も。これって、普通の携帯電話じゃないでしょ?こんな風に動かなくなるのおかしいなあって思ったんだけど。さっきまでは普通に動いてたんだけどなあ~」
祐司も赤いスマートフォンをテーブルに置く。
「2人の携帯電話も使えないのか?」
「『も』ってことは、まさかパン屋もか?」
拓磨は、紫色の折りたたみ式携帯電話をテーブルに置くと床に座る。
「まさか、他の電話も使えないのか?」
拓磨は質問する。
「いや、家の電話は使える。たぶん俺たちのだけじゃねえか?」
大悟の意見を聞くと拓磨は、アゴに手を添えると考え始める。
急に使えなくなった超技術の携帯電話。壊れたわけではない、今は使えなくなっているだけと考えると、使えなくなった原因は何だ?
「祐司、いつから電話が使えなくなったんだ?」
「さっきかな。ちょうど昼を過ぎたくらい。いきなり画面が消えたから、驚いたよ」
「それまでずっとここにいたんだな?」
祐司と大悟は、頷く。
使えなくなったということは、細工をされたのか?祐司たちは動いていないとすると、原因はもしかしたら俺の携帯電話かもしれない。俺の電話に細工をして、そのまま祐司たちの携帯にもダメージを与えた、そう考えたらどうだ?
いわゆるウイルスメールみたいなものだ。1台に感染したら、アドレス帳のデータを読み取って他の電話に自動でメールを送って感染させる。
そんな類いの技術だとしたら、俺の携帯電話に細工するために近づいてきた人物は…。
拓磨は、ふと頭の中に1人の人物が思い当たる。
教頭先生…。
でも、何でだ?教頭先生がリベリオスの一員とか?
偶然を装って近づいてきて、仕事が終わったらあっという間にいなくなった。
確かに怪しい点は多いが…確証は無いな。
「たっくん、どうかした?」
「もしかしたら、俺の携帯電話にウイルスを流されたのかもしれない」
拓磨は申し訳なさそうに呟く。
「それで、俺たちの電話も使えなくなったって事か?油断しすぎだろ、パン屋」
大悟は、呆れて愚痴を呟く。
「悪い。何とかしてゼロアたちに連絡が取れれば良いんだが…」
「それは無問題じゃな」
すると、突然目の前のテレビが映ると、その中にシヴァとスレイドの姿が見えた。
「じいさん、無事だったか!?」
「まあな。ウェブスペースからこちらに来る方法は色々あるからな。目立つ方法を避けるのに少々時間がかかったが」
「皆さん、実は困った事態に陥りました」
シヴァの後にスレイドが、重々しい表情で口を開く。
「良いニュースはある?スレイドさん」
「残念ながら、祐司殿。悪いニュースが2つです」
拓磨たちは、がっかりすると同時に緊張が走る。
「最初に…ゼロア殿が倒れました」
「ゼロが!?大丈夫なのか?」
拓磨の反応にシヴァが笑みを浮かべる。
「そう心配するな。ただ、最近オーバーワークが続いたみたいでな。いわゆる過労というものだ。大事ではないが、しばらくは休ませた方が良い」
今朝のゼロアの様子はこういうことだったのか、もっと早く気づくべきだった…!俺が気づかないでどうする!?
「そう自分を責めないでください、拓磨殿。彼のことを知っている我々が本来察するべきだったのですから」
拓磨の悔しそうな表情を見て、スレイドが慰める。
「それで、もう1つの悪いニュースは、まさかこれのことじゃねえよな?」
大悟は、自分の携帯電話を摘まむと、TVの前にぶら下げる。
「その通りじゃ。今、お主たちの端末は使用不能になっている。こちらに来ることはできない。それどころか、本来の電話の機能も果たせない状態じゃ」
「ただの置物ってことか…」
大悟は、ため息を吐くとテーブルの上に自分の携帯電話を置く。
「原因は、やっぱりリベリオス?」
祐司の質問に、スレイドとシヴァは顔を見合わせ、困ったような顔をした。
「そうとも言えるし、そうじゃないかもしれん」
「どういう意味ですか、マスター?」
拓磨はシヴァに尋ねた。
「お前たちの携帯電話は厳重なセキュリティがかけられている。いくらリベリオスが、我々より技術が勝っていたとしても、もし端末に細工しようものなら反応があるはずじゃ。当然、その知らせは我々にも届く」
「まさか…何も反応が無かったのか?あり得るのかよ、そんなこと」
大悟の問いにゆっくりとスレイドは口を開いた。
「1つだけあります。ものすごくあり得ないことですが。それは『ガーディアンのアクセスコード』を使用することです。もちろん、それだけでは駄目で我々に知らせない工夫が必要となりますが」
スレイドの言葉に拓磨たちは全員首をかしげた。そこをシヴァが口を開き、説明した。
「我々、ウェブライナーのガーディアンは同じガーディアンの端末に自由にアクセスすることができる。緊急時に自分の携帯端末が障害を起こしたとき、別の端末で補えるようにするのが本来の目的じゃ」
「つまり、スレイドさんやマスター・シンドーが俺の携帯電話に入ってくることができるということか?」
拓磨の問いに2人は頷いた。
なるほど、前もスレイドさんが入ってきたことがあったがその機能のことか…。それを使えば誰にも気づかれずに俺の携帯電話に細工をすることも可能と言うことか。
ん?でも、待てよ…ガーディアンって確か…。
「ゼロアとスレイドさんとマスター、3人しかいないんじゃなかったか?」
「そうじゃ」
シヴァは拓磨の問いに頷くが、祐司が口をはさむ。
「違うよ、たっくん。本当ならガーディアンは4人じゃなかったっけ?でも1人すでに死んでしまったとかで、今の3人になったとか」
「その通りです、祐司殿。4人目は、すでに亡くなっています。ですから、あり得ない話なのです」
一同、その場で黙り込んでしまう。
つまり、この可能性が示す現実は1つだ。
死んでいたはずの4人目のガーディアンが、実は生きていた。そして、そいつが俺たちの携帯電話にウイルスを流して機能停止させたということだ。
「誰なんだ、その4人目のガーディアンは?」
大悟は、急かすようにシヴァに尋ねた。
「……名はカイアスと言う。カイアス・アイコムじゃ。その者の父親は、ジークフリード・アイコム。今のリベリオスの幹部の1人にして参謀、わしと並ぶ歴戦の猛者じゃ」
「じいさんに匹敵する男の息子だと?」
大悟は口を開いて驚く。
拓磨たち全員、その現実に衝撃を受ける。自分たちと戦ってる敵組織の身内が、ガーディアンであった。できれば、信じたくない事実だった。
「恐ろしい男だ、ジークフリードは。わしの力を奪ったのも奴の策略じゃ」
「なあ…何でカイアスって男は死んだ?」
大悟の問いにしばらく間を置いてスレイドが口を開く。
「私も噂しか聞いていないんですが、どうやらジークフリード大佐が撃ち殺したという話を聞いています」
「ちょっと待って?父親が息子を殺したの!?」
「はい」
祐司の驚きに、スレイドは返事をしただけでそれ以上語らなかった。本人もあまり知らない上にあまり知りたくないのかもしれない。親が、子を殺す状況なんてどうすればそう成りえるんだ?
ジークフリード・アイコム。どうやら、恐ろしい上に闇の深い人物なのかもしれない。
「そのカイアスという男が、実は生きていてガーディアンの権限を行使しているというのなら何か目的があるはずだ。スレイドさんたちは、何か知りませんか?」
拓磨の質問にシヴァはアゴを触り思案にふける。
「考えられるとすれば…リベリオスの一員として働いていることかのう?」
「それ、最悪のパターンじゃねえか…」
大悟は、シヴァの答えに心底嫌そうな顔をする。
「とにかく、そのカイアスって人を捕まえようよ!」
話を変えるように祐司が提案した。だが、すぐにスレイドが苦言を呈する。
「しかし、我々が動けばリベリオスに察知される危険があります。それにカイアスがいるとしたら、おそらく現実世界。手がかりもなしに探すのは困難かと」
「手がかりなら…ある」
拓磨の発言に、その場の全員が拓磨を向いた。
「カイアスが何かをするにしても、現実世界の人間の協力を得ている可能性は高い。だとしたら、その人間に接触すればカイアスの情報が得られるかもしれない」
「それで、パン屋はその人間を知っているのか?」
大悟は質問する。
「ああ、たぶんな。うちの高校の教頭先生だ」
「えっ!?」
全員、驚きの声を上げた。
「教頭先生がリベリオスの人間なのか、それともカイアスの契約者なのかは分からない。だが、俺の携帯電話がおかしくなる直前、先生は俺の前に突然現れてそのまますぐにいなくなった。ただの偶然かもしれないが、調べてみる価値はあるだろうな」
思い返せば、怪しすぎる教頭の行動に拓磨は思わず笑みを浮かべてしまった。
「ふむ、目星が付いておるなら結構。わしらはウェブスペースに監視の目を置くことにしよう。今の状態で襲撃されたら、被害が出ることは目に見えている。有益な情報が入ったら大悟を通してそちらに伝えることにする。拓磨、そちらのことは任せたぞ?」
シヴァは、これからのことを伝える。
「ゼロアのこと、よろしくお願いいたします。くれぐれもお気を付けて」
拓磨の言葉に2人は笑みを浮かべると、TV画面が消え真っ暗になった。
残された拓磨たちは、追い詰められた現状に頭を抱えていた。
「ゼロアは倒れる。ウェブスペースには行けない。最後のガーディアンが敵になったかもしれない。……正直悪いことが起こりすぎているな」
「嘆いたって仕方ねえだろ?できることやろうぜ。まずは、教頭ボコって尋問すればいいのか?」
拓磨の愚痴に大悟は喝を入れたが、祐司はそんな大悟に呆れていた。
「アホ、教師に向かってそんなことやったら俺たち一発で退学だぞ?」
「とりあえず、教頭先生の素性を調べてみよう。各自聞き込みをして、放課後に校門前に集合だ。しばらくこれを繰り返す。電話は使わない方が良い。もし、細工したのがリベリオスだとすると、連絡手段は見張られている可能性が高い」
「デジタルにはアナログで対抗ということだね?」
祐司は意気揚々と拓磨の話に乗ってきた。
「だったら、桜もしばらく学校を休ませた方が良いな」
「止めとけ、それじゃ彼女の将来が本気で危なくなるぞ。時間決めて一緒に帰るくらいに留めておけ」
「ちっ、妹を心配して何が悪いんだよ?」
大悟の発言を拓磨が、粉々に粉砕した。
「よし、とりあえず今まで以上に深刻な事態だが、協力してこの事態を乗り切るぞ」
「おお!」
拓磨の締めとかけ声1つに青年たちは現状の打開を誓い合った。しかし、事態は予想以上に複雑であるということを彼らはこの時、知るよしもなかった。

同日 稲歌町北地区 某屋敷 午後8時45分
稲歌町北地区の森林地帯を1台のコンパクトカーは舗装された車道に沿って上り続けていた。外灯1つない山の夜は、一寸先も見えないほどの暗闇に包まれている。車のヘッドライトの光が、何も無い世界に形をもたらしていた。
曲がりくねった道に沿って道路を進むと、突然もう1つの道が目の前に現れる。
『この先に崖があります!立ち入り禁止!』
文字が書かれた黄色と黒の看板が道の真ん中に突き刺さっており、行くもの全てを阻んでいた。
しかし、車はこの看板へと近づいていった。すると、まるで地面に吸い込まれるように看板が短くなり、ついには地面に埋まってしまう。
軽自動車はアスファルトから泥の斜面へ大地を変え、軽快に山道を突き進む。
5分ほど進んだ先には、看板の警告した崖など無かった。そこにあったのは普通の民家の10倍近くはあろうかという大豪邸である。3階建てでどの面にも窓がちりばめられ、あらゆる角度から光が取り入れられるようになっている。家の前には噴水が置かれ、その周りには円形の駐車場が作られていた。30台ほど車が駐車できそうなスペースに、軽自動車が1台だけ止まりライトが消える。
運転席が開くと、中からタキシードのスーツを着こなした銀髪の老人が、噴水周りの外灯に照らされて姿を現した。
小さな丸い眼鏡をかけ、髭は一切生えていない。目は穏やかに垂れていたが、その瞳にはまばゆいばかりの光が宿っていた。身長は180センチメートルほどで、体は細身である。
手には牛革で作られた手提げ鞄を持ち、足早に豪邸へと向かっていく。邸宅正面には、3メートルほどの大きな正面玄関が待ち受けている。金色のドアノブが設置されていたが、老人は触れること無くドアの前に立ち止まる。
すると、目の前のドアの一部が横にスライドし、中からレンズが2つ現れた。そのレンズから老人の目に向かって淡い光が放射される。
「身長、体重、網膜情報より照合終了。お帰りなさいませ、レオナルド様」
「ただいま、アイオーン」
どこからともなく聞こえた男性の音声に老人は、朗らかに言葉を返す。
すると、目の前のドアから鍵が開けられる音が響き渡る。老人が、ドアノブを回してドアを引くと中から溢れる光に一瞬目を細くする。
そこにあったのは、広すぎる玄関だった。天井には宝石のように輝くきらびやかなシャンデリアが吊され、大理石の玄関の上には塵1つ落ちていない。
廊下は、光を放っていると錯覚するほどのワックスが掛けられた木材で覆われている。それ以外のものは一切置かれていない。40人近い人数の靴を十分なスペースを取って置けそうな広さである。家の玄関にしては、あまりにも広すぎた。
「お帰り、レオナルド。例の物は?」
「とりあえず、うまくいきましたよ。総成坊ちゃん」
目の前には、端正な顔立ちとハリネズミのような髪型をした美男子が笑みを浮かべて老人を出迎えた。上には黒いインナースーツを着込んでおり、下には青いジャージを着ている。インナースーツはぴったりと肌に密着しており、端正な顔立ちからは想像もできない鍛え抜かれた体が浮き彫りにスーツを通して浮き彫りになっていた。
レオナルドと呼ばれた老人はポケットから黒色の四角い箱を青年に渡す。青年は、それを受け取るとすぐに踵を返し、廊下の奥へと消えていった。
「荷物、持つ」
突然、廊下側面にある右側のドアが開くと、そこからメイドの服装を着た女性が、素早くレオナルドの前に現れ、手提げバックを要求した。
先ほどの青年に劣らぬほどの美女だが、顔はどこかボンヤリとしており、顔全体に覇気がない。ふわふわと浮かぶ雲のような印象を受ける。そして、髪の毛が空のように青い。
「レン様。お気遣いはありがたいのですが、これから夕食の支度をするのでこれは結構ですよ?」
「じゃあ、キッチンまで運ぶ」
言葉少なく、女性は鞄を要求した。
「…そうですか。では、お願いしますね」
レオナルドは、メイドに鞄を渡すとメイドは左側のドアを開け消えていく。
レオナルドは靴を脱ぐとようやく廊下に上がった。すると、脱いだ靴は下の大理石の床が突然割れ、その亀裂の中に消えていく。
振り向きもせず、レオナルドは青年を追って廊下を進んでいった。
廊下を奥まで進むと、ドアがありそれを開ける。
ライトが照らす部屋の中で、青年が椅子に座って目の前にあるTVを眺めていた。
青年の前には先ほど手渡された黒い箱が、四角いテーブルの上に置かれており、箱に取り付けられたケーブルがTVまで繋がっていた。
「坊ちゃん。不動様たちの件ですが、言われたとおりウイルスを流しておきました。これで、彼らはウェブスペースへの移動が困難になることでしょう」
レオナルドは、こちらに背を向けTVを見ている青年に報告した。
「ご苦労様。彼らはもうこれ以上戦う必要は無いんだ。危険な目に遭う必要は無い。これからは、僕がそれを引き受ける。リベリオスは、僕が1人残らず根絶やしにする」
「……あの、本当にご決心は変わりませんか?」
レオナルドは、改まって青年に話しかけた。青年は、TVを切ると振り向かずに答える。
「変わらない」
「そうですか…ならば、私はもう何も言いません。貴方様にどこまでも付き従うとしましょう」
「ありがとう、レオナルド」
青年は、礼を言うとテーブルの上に右手の人差し指を置いた。すると、軽い電子音が響き渡り、部屋が一瞬大きく揺れ唸るような音と共に胃がのど元に近づくような感覚に陥る。
部屋全体が、ゆっくりと下降しているような感覚を10秒ほど味わうとTVが、デッキごと前進し、裏側の白い壁が自動で横にスライドし人が通れるほどのスペースが現れる。
青年は、立ち上がるとTVの後ろに回り、開いた場所から中に入っていく。
暗闇がどこまでも続いており、果てが確認できなかった。しかし、青年は気に留めることもなく道をまっすぐ進んでいく。すると、人の存在を感知したかのように天井の照明が次々と点灯し、彼の行く手を照らした。
床のマットを踏みながら、たどり着いたのは、野球ドームのような巨大な白い空間だった。
部屋の中央には巨大な水槽が置かれ、中には七色の光が輝いている。その前には無数の液晶モニターが設置されており、様々な色で発光している。床には無数の円の模様が描かれており、部屋全体まで広がっていた。
青年はゆっくりと部屋の中心に歩いて行く。レオナルドはその後ろを付いていった。そして青年が、無数のモニターの前に近づくと、突然画面に鋭い眼光をした黒い仮面が現れる。
「ご機嫌よう、総成坊ちゃん。今宵の望みは、何でしょうか?」
落ち着いた電子音が、仮面から響いてくる。
「『狩り』だよ、アイオーン」
総成は、仮面の名前を呼ぶと笑みを浮かべる。
「ならば、外出着に着替えなければなりませんな。身なりに気を遣わねば、上手くいっても興がさめてしまいます」
すると、総成の隣の地面から丸い透明なカプセルが地面からせり上がってくる。3メートル近くあるカプセルは地面から完全に飛び出ると、足下に階段を作り。扉が開く。
総成は、階段を2段ほど上ってカプセルの中に入ると、入り口の方に向き直る。すると、自動で扉が閉じ、総成を連れたまま床へと沈んでいった。
1分後、再び床からカプセルがせり上がると、そこには上半身を防弾チョッキに似た装甲で身を覆い、下半身は滑らかな革で身を包み、両腕と両足は金属製の手甲とブーツで武装した総成の姿があった。
「おっと、これを忘れていました」
最後にカプセルの上部から、鷹のような鋭い眼光を刻んだヘルメットが降りてくると、総成はそれをかぶる。首元に電子音が鳴ると完全にスーツとヘルメットが結合する。
「それで、最後の仕上げにこちらをどうぞ」
カプセルの背部から黒いコートが現れると、総成のスーツに結合する。まるでマントのように肩から足下まで覆っていた。
「このコートは?」
「『御神テクノロジー』で作られた新材質を元に作成いたしました。それがあれば滑空はもちろん、ブーツとの併用でいかなる高度から落下しても安全に着地できます。他にも機能はありますが、それはデータを送るのでご自身でご確認ください」
脳内に響くアイオーンの声と共に目の前に情報が、送られてくる。総成は、早送りで上から下へと流れていく文章を読むと、すぐに内容を理解した。
「これは、便利だな。有効に使わせてもらうよ」
「それでは、早速現地へ赴きましょう」
総成が入ったカプセルに向かって天井から配管が降りてくる。そしてそのままカプセルを飲み込む。その瞬間、一瞬でカプセルが天井に向かって吸い上げられると、コートが自動で総成に巻き付く。
そして、轟音と共に押しつぶされるような衝撃が全身を駆け抜けると、一気に体が軽くなった。
気がつくと、総成は稲歌町の夜の空を飛んでいた。眼下には無数の明かりが、地上の生活を示している。
弾丸のように空気を切り裂き、目標地点まで放物線を描き飛んでいく。
目標地点が、近づくと自動的に全身を覆っていたコートが解き放たれ、傘のように広がる。すると、一気に落下するスピードが落ち、総成は音を立てず地面に降り立った。
「ご無事ですか、坊ちゃん」
総成の脳内に直接、レオナルドの声が響き渡る。
『ああ、素晴らしい性能だとアイオーンに伝えてくれ』
総成は、言葉を口に出さず言葉を頭の中で思った。すると、それをヘルメットが自動で読み取り、実家にいるレオナルドに対して音声に変換して伝えた。
「それで、本日のスケジュールを教えていただけませんか?それに合わせて、夕食の支度を準備しなければならないので」
『今、僕がどこにいるか分かるだろ?』
「そこは…『稲歌町役場』の屋上ですか?」
『近いうちに、『稲歌市役所』になるかもね。近々、市に移行する動きも出てきているようだから』
総成は周囲に警戒しながら身を屈め、屋上の端にある役場内へと続くドアへと素早く移動した。
「役場に一体何の用があるのですか?今日は休日ですよ、役場はお休みです」
『最近は、ブラック企業が取り上げられているからね。公務員も度重なるサービス残業が問題視されている。労働に関する法律も厳しくなってきているから、休日に出社する人はそういない。セキュリティもほぼ電子制御で見回りもいない。機械のおかげで、人件費も節約だよ』
金属製のドアに近づくと、総成はドアノブの上に付いている液晶画面を注視した。
『アイオーン、開けられる?』
すぐさま解錠の音がドアから聞こえると、総成はドアノブを回し、中の様子を確認する。そして、素早く建物内に侵入する。そのままゆっくりとドアを閉めた。
「電子制御の問題点は、まさにこういうところでございますな?」
頭の中にアイオーンの声が響き渡る。
「坊ちゃん、目的はまさか町長のスキャンダルを見つけることではないでしょうね?」
レオナルドの冗談が頭の中に響き渡る。
『ははは、違うよ。目的は、情報提供者さ』
総成は、目の前の階段を音を立てないようにすばやく脚を動かして、降りていく。30段ほど降りたら、小さな踊り場に出る。そこで、反転してまた同じ段差を降りて、また反転。これを繰り返し、階段を下っていく。
「役場に情報提供者?我々の協力者ではないとすると…リベリオスの関係者ですか?」
『ご名答だ、レオナルド。稲歌町を攻略するには、まず『どこに』『何がある』のかを知る必要がある。下調べは、あらゆることの基本だからね。役場なら、住民情報はもちろん、公共建造物の情報も集まっている。稲歌町を支配したいなら、まずは征したい場所だ』
総成は、授業をするように説明する。
「総成坊ちゃん、お言葉ですがその点について我々は、策をすでに施しました。役場内のネットワークに罠をしかけ、データの流れは24時間監視しております。ウェブスペースに情報が流れた形跡は、今のところ発見されておりません」
アイオーンの指摘に総成は、マスクの下で笑みを浮かべていた。
ちょうど、その時階段を降り終わる。
『稲歌町役場 3階フロア』、今回の目的地に到着した。
フロアの中央は、巨大な会議室となっており、周りには輪の形で廊下が敷かれている。廊下の外部には、各部署のスペースが設置されている。この3階には、新しい企業の誘致を担当する『企業誘致室』とサーバールームが設置されていた。
『アイオーン、セキュリティに完璧なんて存在しないんだ。情報は、いくら対策をしてもそれをかいくぐって漏れてしまうものだよ。直接、ウェブスペースに流さなくても伝える方法ならいくらでもある。例えば…』
総成が3階フロアを歩こうとすると、暗闇の廊下奥から響く音をマスクが受信する。
総成は、『ステルス機能』と『スキャナー』の機能を動作開始させる指示を思い描いた。
すると、総成の服が暗闇と一体になる。一見では、風景と同化し認識困難となる。
『ステルス機能』とは、服を周囲の風景と同化させ、視覚による発見を困難にする技術である。
そして、総成の目の前から色が消え、黒い空間と白い線が入り交じった映像が目の前に映し出される。本来ならば、壁などで遮られているはずの部屋の中も透けているように見渡すことができるようになる。
すると、廊下に動く人の姿が表示された。熱を帯びているのか、赤く表示される。周囲の情報を音波や熱源探知等を駆使して、その膨大なデータの解析を行いマスクを通して視覚化させる。まるで透視を行っているかのように様子を伺う機能『スキャナー』のおかげで総成は、ターゲットを発見することができた。
「廊下の奥は…サーバールームでございますな。誰もいない庁舎内で個人情報が大量に含まれているサーバーの前で作業を行っている…ふむ、データ泥棒発見ですな」
レオナルドは、総成の周囲の情報を確認し、緊張して呟いた。
『ただの泥棒じゃないよ、レオナルド』
すると、熱源の他に7色の光が人型から発光するように映像に追加される。
「これはライナー波の反応。どうやら、リベリオスの関係者のようですな。総成坊ちゃん、これは偶然ですか?」
『ある程度情報提供者の絞り込みを行い、サーバーからデータを抜き出すために動き出す日を推測し、役場に忍び込んだら、たまたま僕の予測が当たった。ただ、それだけのことだよ』
アイオーンの問いに、総成は頭の中で応答すると、ゆっくりと廊下を進んでいった。
非常用案内版の光が、かろうじて視界を確保する廊下を黒い甲冑が影のように音も立てず進んでいく。
そのまま、直進していくと右側にノブの付いたドアが現れた。ドアには『関係者以外立ち入り禁止』と大きく描かれている。
部屋の中で、データ泥棒は依然としてその場から動かず目の前のサーバーとにらめっこを続けているようだった。
『スキャナー』で確認する限り、手元にパソコンのようなものはなく、手を動かしている様子もない。単純にサーバールームの中でサーバーを見つめているだけである。
総成は、違和感を感じたがそれを振り払い、ドアノブに手を掛けようとしたが何かに気がつくと手を止めた。ドアとの間に光が漏れていた。隙間があったのである。サーバールームは、今なら誰もが自由に入れる状態であった。
総成は、ドアをゆっくりと音を立てないように押す。
サーバールームの中は、巨大な箱がいくつも並べられており、箱の中でいくつもの機材が点滅していた。ここは、いわば役場の頭脳のような場所である。セキュリティも1番強固であり、常に部屋の温度を一定に保ち、機材に影響を与えないようにエアコンが天井で大きな音を立てて稼働していた。
その音に紛れて、総成は中に入る。泥棒は部屋の中心で少しも動かない。サーバーに体を隠しながら、総成は泥棒がいる通路をのぞき込んだ。
全身黒ずくめで頭はフードをかぶり、覆われている。直立不動で目の前のサーバーを眺めている。
総成はすぐに行動に移った。しゃがんだ状態から、勢いよく地面を蹴り、泥棒に突っ込んでいく。
そのまま、スライディングで相手の脚を蹴り、左手を使い空中で体勢が崩れた相手の左腕をひねりあげ、右手で相手の背中を掴み一気に床に叩きつける。
泥棒は、抵抗することもできないまま瞬間的に無力化される。泥棒はもがいていたが、総成は右膝を相手の背中に乗せ、空いた右手で相手の頭を床に押しつけ、自由を許さない。
「抵抗すると、あんたの頭がポップコーンみたいにはじけるぞ?」
加工された電子音で、総成は泥棒に警告する。すると、男はまるで力尽きたかのように動かなくなった。
「ここで何をやっていた?あんたは、誰だ!?」
総成は、強く詰問するが泥棒は全く答えない。それどころか眠ってしまったように静かだった。
総成は、違和感の正体に気づいた。そして、倒れていた男のフードを取る。そこには、ドクロに銀色の髪の毛が生えた不気味な頭部があった。
「坊ちゃん、どうされました?」
レオナルドの声が頭に響くが、総成は無視するとすぐさまマスクの目の前に四角い画面を出現させる。数字の羅列が上から下へと流れていく。
『アイオーン、今送った情報から電波の送信地を特定してくれ』
「かしこまりました」
アイオーンが応答したと同時に、目の前の謎の存在が七色の光に変わると、跡形もなく消え去った。
『間一髪だ』
総成は、すぐさまサーバー室を後にすると、廊下を戻り屋上へと上がり始めた。
「坊ちゃん!?」
『大丈夫だよ、レオナルド。僕なら何ともない。ただ、敵に一杯食わされたかな』
慌てるレオナルドを宥めながら、総成は屋上へと続くドアの前に辿り着く。そのまま、ドアノブを回そうとしたが、鍵がかかっていた。
やっぱり、罠か…。
総成は、再びマスクの前に四角い画面を表示させる。
『どうやら、敵の技術はさらに進化しているみたいだ。さっき、サーバー室にいたのはライナー波で作られたヒューマノイドだよ』
「人型のロボットのことですか?」
『そうだ。ロボットを遠隔操作してサーバー室に細工をしようとした。ところが、僕が邪魔をして計画が潰れてしまった。だから、嫌がらせで役場に僕を閉じ込めたというわけだ。スキャナーも誤魔化されるとは思わなかったよ、後で調整が必要だね』
総成は、鼻で笑っていたがレオナルドは大慌てだった。
「1階から逃げてください!それが無理でしたら、窓から脱出を!」
『そこから外に出たら警官と鉢合わせする可能性がある。窓は、壊そうにも強化ガラスで時間がかかる。やっぱり、屋上に逃げるのが無難だよ』
総成は、気楽にレオナルドに返答した。すると、下の方から野太い罵声と足音が響いてきた。スキャナーで確認すると、1階から5人くらいの人が階段を駆け上がってきている。
ずいぶん、警官が来るのが早いな。やはり、警察はとっくにリベリオスの支配下か。
総成は、考え事をしながら目の前の画面を注視する。すると、鍵が開く音が響き渡る。
すぐさま、ドアを開けると左に体を向け屋上の端まで全力で走る。
『アイオーン、そろそろ空を散歩したいな』
走りながら、頭の中で総成は問う。
「『エア・ウォーク』はいつでも稼働できます。ごゆるりとお楽しみください」
「坊ちゃん、事故だけは起こさないでくださいよ!」
アイオーンとレオナルドの言葉を受け、総成は役場の反対側にある5メートルほど高いビルの屋上を見る。すると、スーツの胸の装甲が左右にズレてゴルフボールのような、黒い物体が自動的に射出される。
弾丸のように飛んだボールは、ビルの屋上まで到達すると急停止し、空中に制止する。
そのボール目がけて、総成は右手を向ける。右手の直線上にボールが自動的に位置を調整して移動する。
すると、手のひらから青いレーザーが放たれると、ビルの屋上のボールに当たる。途端に凄まじい衝撃が、総成の全身に走り、体がボールに向かって引き寄せられ、暗闇の夜空を飛んだ。
そのまま、空中でボールを掴むと前に1回転、役場の向かいにあるビル屋上に着地した。総成は、ボールを離すと自動的にボールがスーツの中に戻り、装甲が元の位置に戻った。
そのまま振り返ると、役場の屋上を覗く。そこには、懐中電灯で屋上を探している警察官の姿があった。慌てた様子で、くまなく屋上を探している。
まさか、隣のビルの屋上に移動したとは夢にも思っていないだろう。
『無事、逃走できたよ』
「あ~、それは良かった。お怪我はありませんか?」
『レオナルド、ちょっと心配しすぎだよ』
音声で安堵のため息を吐くレオナルドを、総成は笑っていた。
「総成坊ちゃん、先ほどのロボットを操作していたと思われる人物の潜伏先が判明しました。稲歌町中央地区、今いる場所から200メートルほど北西のマンションです」
『完璧だ、アイオーン。すぐに現場に向かう』
総成は、ビルの裏手に向かって20メートル近い高さを飛び降りる。暗闇に向かって落下し、地面が近づくにつれて風の鳴る音が大きく感じた。
すると、地上の5メートルほど手前でコートが自動的に開き、風を受け速度が急激に遅くなる。そのまま、地面に着地するとブーツが全衝撃を吸収し、ほぼ無音で地面に降り立った。
それから自動車と歩行者が行き来している通りに向かって、路地を進む。進んでいく最中、総成の着ていたスーツが黒い学生服の姿に変わる。
スーツの上に映像を合成して、あたかも学生服を着ているようにカモフラージュさせたのだ。
『これで学生かばんがあれば、『塾帰りの高校生』にぴったりなんだけどね』
「坊ちゃん、見た目は完璧でも触れればバレてしまいます。気を抜かないでくださいよ?」
総成の戯<<おど>>けた意見をレオナルドが窘<<たしな>>めた。
『そうだね、ここで気を抜いちゃいけない。むしろ、ここからが肝心だ。アイオーン、マンションの近くで怪しい動きは?』
「1~3時間以内で付近の監視カメラにアクセスして情報を引き出しておりますが、残念ですが目立った動きはありません。マンションの住人の出入りのみです」
まあ、わざわざシッポを出すようなヘマはしないか…。となると、マンションの住人の誰かが操作を行っていたという可能性が大きいな。
総成は、アイオーンの報告を頭に入れると歩道を歩き、大通りを進んでいった。外灯が並び立ち、その光に照らされて道を歩く人たちは、会社帰りのサラリーマンや部活動や塾帰りの中学生や高校生や大学生がほとんどだった。その中で小さな小学生が友達と一緒に笑いながら総成の隣を通り過ぎていった。
『学生も大変だな、こんな時間まで』
「坊ちゃん、他人事のようですがあなたも高校生なんですよ?それにまだ9時を少し過ぎたところです。むしろ帰宅ラッシュは、これからでしょう」
『あ~そっか。こんなことしているから、自分の事なんて忘れちゃうな』
レオナルドのツッコミに総成は、軽く回答した。
そして、目の前を向くと総成の左前にお目当ての物件が暗闇の中から現れた。まだ建って間もない新築4階建てのマンションだった。
マンションは反対側の通りにあるため、総成は横断歩道を渡ると通りのマンションの入り口に繋がる路地に入った。
路地を少し進むと、すぐ右側に大きなガラスドアの入り口が開いている。入り口前の階段を上がって中を覗いてみるとドアの横には0~9までの数字が正方形に並び、パスワードを入力しなければ中に入れない。
「さて…どうしようかな?」
総成は、路地に戻ると正面のマンションを見上げて呟いた。
「中には入らないのですか?パスワードならすでに入手済みです」
アイオーンの言葉に総成はふっと笑う。
「僕が犯人だったら敵にマンションに踏み込まれたとき、脱出の経路を用意しておくけどね。それに中に入っても、誰が犯人か分からない。1人1人尋ねていたら、不審者扱いで通報だ」
とりあえず、中の様子を外から探ろう。
総成は、入り口横のマンション裏手に通じる光が届かない暗くて狭い通り道を進んだ。そして、裏手に回ると左右に誰もいないことを確認して砂利の上に座り、『エア・ウォーク』用のボールを胸から取り出す。目の前には、ビルの管理者が所有しているであろう四角い物置が設置されていた。物置から人が出てこなければ見つかることは無い。
総成は、ほっとするとボールを手から離そうとした。
その時だった。
「覗き?」
突如、右側から声をかけられ総成は、慌てて飛び退いてしまった。見ると、サファイヤのような青く美しい長髪の女性が、すぐ右側に立っていて総成を見つめていた。総成より、頭1つ分ほど背が低く、大人びた容貌だが雰囲気はどことなく幼さが残り、顔はぼんやりとしていて不思議な雰囲気を醸し出している。子鹿のような可愛らしさを持つ女性であった。
そして手には、なぜか白いビニール袋をぶら下げている。
「れ、レン…!?」
総成は、口から出かけた声を何とか押さえ込むと手を引っ張りその女性を座らせる。
「な、何でここに?さっきまで家にいたんじゃ…」
「見張り」
言葉少なく、レンと呼ばれた女性が答えた。
「…何の見張り?」
「あなたの見張り。ヘマしないかどうか」
無表情で淡々と答えたレンに総成はガクッとうなだれる。
「ええと…つまり手伝いに来てくれたんだよね?」
レンは、こっくり頷く。そして総成に手のビニール袋を差し出した。
「……何これ?」
「おにぎり。総成、何も食べてないでしょ?」
レンは、袋の中から三角の『鮭おにぎり』を取り出すと綺麗に取り出し、総成の顔に近づけようとした。しかし、顔に触れた途端おにぎりが潰れてしまう。素顔の映像をかぶせているだけで、その下には合金で作られたマスクを着用しているのだ。おにぎりなど押し当てたらすぐ潰れてしまう。
「レン、今マスクをかぶっているんだよ?」
「………立体映像、紛らわしい」
レンは、ため息を吐くと潰れたおにぎりをビニールに入れる。
総成は、気を取り直してボールを手から離す。手から転がり落ちたボールは、そのまま空中に停止する。そしてそのまま上空に飛んでいった。
総成は、意思の命令でボールの『ステルス』機能を入れる。ボールは、夜と一体化してマンションの部屋を順に飛び回り中をのぞき込んでいた。
「時間かかる?」
レンは素顔の前に四角い映像を出して眺めている総成に小声で尋ねた。
「そう長くはかからないよ。レン、僕は1人でも大丈夫だから帰ってもいいんだよ?」
「帰ってもやることないから。総成が帰ってこないと夕飯も終わらない」
「僕抜きで食べたら?」
「嫌」
レンは、小さい声ではっきりと拒否した。総成は、小さく笑ってしまった。
まあ、寂しく食べるほど不味いことはないからな…。嫌なことを聞いてしまったようだ。総成は、自分の失言を反省すると再び目の前の画像に目を向けた。
マンションの1階は4部屋あった。3部屋は真っ暗でまだ持ち主が帰ってきていなかった。残る部屋は、小学校1年生くらいの男子が2人で向かい合ってテーブルで教科書を開いて勉強をしていた。親は帰ってきていないようだ。まだ、仕事から戻っていないのかもしれない。
『1階は反応なし』
総成は、頭で状況を整理するとボールを2階へと移動させる。そして1番左側の部屋の外にボールが移動した。その時、総成の目が険しくなり、ボールが宙に停止する。
「どうしたの?」
「……人が死んでる」
総成の言葉を聞いて、レンはポケットから手鏡のようなものを取り出す。すると、光が宙に放たれ、総成が見ている映像を確認する。
部屋は真っ暗だった。リビングには椅子とテーブルがあり、テーブルの上にはノートパソコンが置いてある。そしてそのパソコンに頭を突っ伏して短く髪を刈りそろえた男が眠るように倒れていた。半開きの口からよだれが垂れ、テーブルに染みを広げている。
服は上下共にジャージ姿である。先ほどまでパソコンを操作していたためか、パソコンのディスプレイは光を放っている。
「寝ているだけじゃないの?」
「いや……残念だけどもう脈が無い」
ボールは窓の隙間からゆっくりと部屋の中に侵入し、突っ伏している男に様々な色の光を当て状態を調べ始める。そして、総成の目の前には『調査対象者 死亡』の文字が浮かび上がっていた。
「警察に電話する?」
「いや、その前に部屋を調べさせてもらう」
レンの問いに総成は即座に否定した。
「坊ちゃん、それはあまり賢い判断とは言えませんな」
「悪いけど、レオナルド。僕は、今の警察を信用していないんだ。それに…もし、ライナー波が今回の件に絡んでいたら、警察の手に余る」
「はあ…まあ、それは否定できませんが。仕方ありませんね」
レオナルドは、渋々総成の案を飲んだ。
総成は床に広がっている被害者の唾液にボールを近づける。すると、ボールから小さな針が飛び出し、唾液に触れるとすぐに引っ込む。次にボールが被害者の首筋に近づくと、先ほどの針を再び取り出し、被害者の首に突き刺し血を採取する。
「死体損壊は、警察にバレる」
「蚊に刺されたときと同じ反応がするように設定してある」
「……用意周到」
レンは、呆れたように呟いた。その言葉に総成は笑みをこぼす。
「ふふっ、褒め言葉と受け取っておくよ」
データを採取したボールは、成分を分析し始める。
「総成坊ちゃん、結果が出ました。どうやら、死因は薬物中毒死のようですね」
アイオーンの結果報告に総成は黙って考え込んでいた。
「部屋全体をスキャンしてくれ、アイオーン。中毒死なら何か原因が置いてあるかもしれない」
「すでに完了しております。キッチンのまな板の上に4本ほどの注射容器を発見しました。どれも被害者の体内より抽出した成分と同じ物です。それに被害者の腕にも刺さっているようですよ。どうやら、それが彼の死因のようです」
総成は、ボールを男の右腕に移動させる。右腕には小さなガラスの針が刺さっていた。前腕部分には集中した注射痕があり、頻繁に体内へ薬を送り込んでいたのがよく分かる。今回の注射針は、そこから少し外れたひじに近い方に刺さっていた。
「…妙だな、注射針がいつもと違うところに刺さっている」
「偶然?」
レンは総成に尋ねる。
「いや、この成分は、直接血管に入れないと効果を発揮しづらい。まともに注射できないほど、禁断症状が現れていた可能性もあるけど…。それに注射針はあるが、注射容器が見当たらない。さらに変なことに……この注射針からライナー波の痕跡が見つかった」
総成は、ボールを回転させると周囲を見る。そして、先ほど侵入してきた窓の隙間に目を留めた。そのまま視線を被害者の腕に移動させると、天啓を得た。
「レオナルド、これは…殺人かもしれない」
「殺人?中毒死が原因の自殺ではないのですか?」
「中毒死は、間違いない。問題は、それを利用して彼を殺した相手がいるということだ」
総成は、意思を集中させる。すると、死体の上に緑色で被害者の立体映像が映し出される。これは現場の状況から、犯行当時に何が起きたのか推理し、想像を映像化させて、マスクを通して目の前に動画として映し出す機能だ。
あくまでも推理を映像化しただけなので、本当に起きたことと異なる可能性もある。しかし、状況を整理して新しい証拠を見つけたりするのにはとても役に立つ。
映像には、被害者がパソコンを叩いている様子が映し出される。
「おそらく、先ほどまで被害者は遠隔操作で役場のロボットを操っていた。アイオーン、パソコンのデータは採取できたかい?」
「もちろんです。坊ちゃんの言うとおり、ヒューマノイドの操縦者はこちらの方のようですね」
アイオーンの報告を受け取り、総成はさらに推理を進める。
「……そして、突如彼は襲撃を受けることになる。原因は、腕に刺さった針。元々麻薬常用者だった彼を中毒死させるため、針を通して普段の何百倍もの濃度を直接体の中に流し込んだ。ただし、それはライナー波を変換させて作ったんだ。ライナー波は体内に入ると、血管に移動。そこで高濃度の麻薬物質となりそのまま頭の方へ」
針に残ったライナー波を調べながら、総成は推理を進めた。
すると、映像に変化が現れ、被害者が突然パソコンに頭を突っ伏すと現実の死体と同じ形になった。
「錯乱も許さない、一種のショック状態に陥ったのだろう。彼は脳にダメージを受けて、気絶、助けも呼べずにそのまま死んでしまった」
「なるほど、警察が聞いたら『もう勝手にやってくれ』と思うようなライナー波の万能性ですな。そうなると犯人は、どのようにして彼を殺したのでしょうか?部屋に入ってきたとは思えませんが…」
玄関の鍵は閉まっている。窓だけ隙間が空いているが、土汚れなども発見できず侵入の形跡は発見できない。アルフレッドは、現場の状況を確認しながら唸っていた。
「アルフレッド、別に部屋に入る必要なんてないんだよ。犯人は、被害者を狙撃したんだ。針だけ打ち込む形でね」
「そ、狙撃ですか?それはまた…なんとも物騒な」
総成は被害者の皮膚に突き刺さった針の入射角度から、弾道を予測すると、それを視覚化させる。総成が、そのまま上を見上げると弾道線が、マンションの反対の建物の屋上まで続いている。人が住んでいる様子は無く、どうやら会社の建物のようだった。
「レン、移動するよ?」
「分かった」
すると、美しい女性の体が光に包まれ、青いスマートフォンになって総成の手の上に落ちた。総成はそれをポケットにしまうと、体を透明にして再び胸から別のボールを射出し、それに手からビームを当て宙を飛ぶ。
一気に10メートル以上跳躍し、総成はビルの屋上に降り立つとそのまま1回転して、勢いを殺す。
そして振り返ると、先ほど自分たちがいたマンションを見下ろす。総成のポケットが光ると、そこから光が宙を飛び総成の背後に再びレンが現れた。
「ここから狙撃?」
レンは道路を挟んで向かい側にある被害者の部屋を見ながら、小さい声で総成に尋ねた。
総成は、屋上の縁を『スキャナー』で分析し始めた。すると、すぐにライナー波の反応が濃い部分を発見する。
「レオナルド、狙撃ポイントを発見した」
「なんと、本当に住宅地で狙撃事件とは…。犯人はやはりリベリオスの関係者でしょうか?」
「理由はおそらく口封じだろう。原因は…おそらく僕たちだ」
総成を含めて、現実に全員が沈黙してしまう。
自分たちが、捜査を始めたから彼が殺された。確かに、何とも嫌な気分になる。胸の中で、濁った何かが渦巻いているような…とても黙ってはいられない気分だった。
「けれど、僕は自分たちが間違っていたとは思わないよ?利用されて殺されたのなら、死んだ者のためにもリベリオスを止めなくてはいけない。そうだろ?」
「…その通りですな。坊ちゃん、犯人に繋がる手がかりはありますか?」
総成は、思考通信でレオナルドの言葉を受け取ると屋上の手すりを調べ始める。
「床の跡と火薬の飛び散り方から計測すると、三脚の上にライフルを乗せて精度を高めて狙撃した…と言ったところかな。被害者との距離は直線距離で約100メートル、狙撃にしては結構近いな」
総成は再び緑色の立体映像を作り出すと、現場を再現を始める。狙撃手が、スナイパーライフルで向かい側のマンションの被害者を撃つ映像が目の前に表示された。
「総成坊ちゃん、使用した弾丸は特殊なものということですかな?」
「その通りだ、アイオーン。おそらく、目標と接触した瞬間に針を打ち込むお手製のものだろう。弾丸そのものはライナー波で作られていて、被害者に衝突と同時に分解して破片は空気と同化。針の周辺の肌にライナー波の痕跡が残っていたのは、このためだ。証拠隠滅も完璧だ」
そうなると、弾丸はウェブスペースで作られたと考えていいな。わざわざ、こちらの世界でライナー波を用いた物を作るメリットが無い。作ればレーダーに反応が出るはずだ。相手も目立つことはできるだけ避けるはず。
この前の事件でも地対空ミサイルやロケットランチャーが導入された。やはり、リベリオスの武器製造工場を直接叩くしかないな。このまま放っておけば、相手のやりたい放題だ。こっちは手の出しようがない。
「総成坊ちゃん、被害者のパソコンデータを解析していましたが、奇妙な発見がありました」
総成は、アイオーンからの報告を聞くと、マスクに送られてきた映像を確認する。
見ると、『稲歌町ホームレス居住地』と書かれた稲歌町の地図が描かれている。赤い点が東西に散らばっていていた。これは住宅地や商店街の近くにホームレスのたまり場があることを示していた。
そして北の森林地帯にも赤い点がちらほら見かけた。
前回の稲歌町の暴動事件のせいで、東西地区にいたホームレスが被害を避けるために移動を開始したのだろう。比較的影響の少ない北地区、そして町の外へと移動するものもいたと読み取れる。
「これが被害者が町役場から盗んだ情報ですか?何で被害者はこんなものを?」
レオナルドの問いに総成は、口を開いた。
「レオナルド、覚えているかい?前回の暴動でこの町の反乱分子は、ほぼ消滅したんだ。『騒ぎを起こせば、神隠しにあって消えてしまう』という噂まで流れている。世間では、この稲歌町は非常に危険な町と認識されているんだ」
「彼らはリベリオスに手駒として利用されていましたからね。最後は殺されてしまったようですが…。確かに反乱分子は、良い手駒になります。リベリオスのせいで、町から不良がいなくなって平和になったというおかしな状況になっていますが」
「じゃあ、次に手駒を調達するにはどこからもらう?」
レオナルドは、総成の問いに言葉に詰まって唸っていた。すると、総成の背後からレンが声を出した。
「ホームレス」
「そう。ホームレスは、世間の関心を引きにくい。突然、誰かがいなくなっても注意していなければなかなか気がつかない。リベリオスが、次に手駒に使うとしたら、ホームレスを狙う可能性は十分にある」
「やった、正解」
小さな声でレンは呟いた。声が棒読みで少しも喜びを表していなかったが。
「アイオーン、ちなみに被害者が誰か分かった?」
「『坂口 平介(さかぐち へいすけ)』。年齢は36歳。元システムエンジニアです」
「……『元』?今は?」
「ホームレスです。ちなみに彼のいた部屋の家賃は月10万円。とてもではないですが、ホームレスの彼にはお高い部屋であると思われます。」
早速手駒として使っているというわけか。これは急がないといけないな。
おそらく、消えたヒューマノイドもマンションの部屋もリベリオスが支給した物だろう。彼をそそのかして犯行を行わせたか、もしくは洗脳して無理矢理行わせたか。事実は分からないが、情報を得る手段として使っていたのは間違いないな。
「レオナルド、これから僕はホームレスを探そうと思う。手駒が減った以上、別の人を使う可能性がある。ホームレスに張り込みを行えば、リベリオス幹部に接触できるかもしれない」
「坊ちゃん、仮に接触できたとしてどうなさるのですか?」
レオナルドは、総成に率直に尋ねた。
「リベリオス本部に乗り込む。この戦い、敵本部を壊滅させて幹部を全員始末しなければ終わらない」
「何を言っているのですか!?危険すぎます!」
突如冷酷な一面を見せた総成に、慌ててレオナルドが諫めた。
「レオナルド、悪いがこの決断を変えるつもりはないよ?それよりレン、今回の事件の実行犯についてだけど心当たりは?」
「リベリオスの幹部で?」
「ああ、しかも狙撃が得意な人物だ。距離は短いが、目標の腕にピンポイントで命中させた。相手は手練れの狙撃手だと思うんだけど」
レンはじっと、無表情で被害者のマンションを見つめていた。何も考えていないように、顔の筋肉を少しも動かさず、黙っている。
「アーロン」
ふと、レンが呟いて言葉を総成に放った。
その言葉に総成は、レンの顔を見る。
「『アーロン』?それが幹部の名前?」
「ジークフリード・アイコムの右腕。彼が軍にいたときから、常に彼の側にはアーロンがいた。凄腕の狙撃手で1回も任務に失敗したことがないという話」
『ジークフリード・アイコム』。
リベリオスの参謀にして、最も障害となる男だ。
はっきり言うと、今の稲歌町はリベリオスの支配下にあると言っても良い。特に警察とマスコミは完全に掌握されている。
すでに組織の上層部、情報発信の権利を握る人物は、全てリベリオス関係者だ。洗脳されている人もいるだろうし、自分からリベリオスの仲間になった人もいるだろう。脅迫されたという人もいるかもしれない。
でも、それだけじゃない。奴らは、一般住民も味方に付けている。自分たちに協力するように自然と言葉を誘導し、逆らうものはSNSなどで炎上させて黙らせる。本当に邪魔になったら、容赦なくこの世から消えてもらう。そして、誰もそれがリベリオスの仕業だと気がつかない。
世論を完全に操るなんて不可能だと思われていたが、ライナー波のおかげで簡単にできてしまっている。このままじゃ、地球人は一生リベリオスの操り人形だ。一刻も早く手を打たねばならない。相手より先手を取るんだ。
「レオナルド、レーダーの感度を強化しておいてくれ。奴らが、このまま終わるとは思えない。ウェブスペースから、また狙撃者が来るはずだ」
「坊ちゃん、それについて1つ提案がございます」
レオナルドは、話を遮ると総成に提案を持ちかけた。
「リベリオスが、狙ってくるとしたらウェブライナーのパイロットもそうではないでしょうか?」
「彼らか……確かにリベリオスの障害にはなるけど」
「ホームレスの捜索は、我々が行いますから坊ちゃんは高校で彼らを見張っていてはいかがでしょう?」
レオナルドの期待を込めて促す言葉に総成は目を細めた。
「もしかして…僕を学校に行かせたいのかな?」
「はい。坊ちゃんは、高校生です。高校生は勉学に励むことが本業。いくらリベリオスの相手をしているからと言って、本業をおろそかにはさせませんよ?それに…このままでは、出席日数が足りなくて留年ですよ?」
『留年』という冷たい言葉が頭に飛び込んでくる。
「僕は、リベリオスを倒せれば中卒でもいいけどね?」
「駄目です。あなたは、御神グループの次期当主になられるお方。1番トップの人間が、中卒では部下にどんな目で見られるか、分かったものではありません」
こうなると一方的に説教を食らうしかないのだ。それだけ、レオナルドの言葉は的を得ていて何より深く心に刺さってくる。幼少の時から、ずっと自分の世話をしていただけのことはあり、よく僕のことを分かっているのだ。良くも悪くも。
「中卒のトップというのも斬新で、世間に1人くらいいても良いんじゃ…」
「駄目です!明日も早いんですからさっさと帰ってきなさい!これから、警察に電話を入れて死体を発見してもらいます!見つかる前に早く!」
「はいはい……すぐ帰ります」
いくら、渋っても多勢に無勢。幼い頃からの保護者には勝てなかった。
やはり、情報を征する者が世の中を征するのだな。そしてそれは人も同じということか。
総成が、ビルの屋上から飛び降りたのを見て、レンもそれに続いて無表情で飛び降りた。

第2章「危ない4人」
6月6日 中央地区 稲歌高校 2年1組 午前11時47分
その日、拓磨と祐司は、教室で授業を受けていた。外では梅雨も近づいてきたこともあり、雨が細かく降り注いでいた。
朝の天気予報では、今度プロ野球選手と結婚するという噂のお天気お姉さんが『今日は1日晴れです。洗濯物はすぐ乾きますよ~!』とご機嫌に言っていた。
祐司と葵は、『この女の天気予報、1回も当たったことがない。いつも逆の行動をすれば良い』と微塵も信用していなかったので、傘を持ってきていた。
一方の拓磨は、『天下の地上波放送が、間違う事なんてあり得ない』との叔父さんの勧めもあり、手ぶらで学校に来ていた。おかげで帰りは濡れて帰ることになる。
信じる事って色々あって難しいのだなあ…と、また1つ賢くなった今朝だった。
そして、叔父さんは叔母に騙されて結婚したのではないかと疑った朝だった。
この時間の科目は『日本史』。はっきり言うと、拓磨にとってはあまり興味の無い授業である。教科書で顔の前を隠して、何度もあくびをしている。
一方の祐司は、堂々と爆睡している。周りを見渡してみると、興味の無い生徒は、寝ている人もいるし、頭を前後に動かして必死に睡魔と戦っている生徒もいる。
テスト前になれば、これが一斉に覚醒するから驚きだ。だが、やはり日頃の行いというのは差が出るもので、上手く点数に結びつかない。
でも、ずっと授業を聞いていて全部ノートに写したからと言って、それは点に結びつかない。
点を取れる人は、『先生の言いたいことが分かる人』。もっと現実的に言うと『授業の要点を見つけられる人』だ。
テストの点数だけを考えれば、テストに出る部分が分かれば、はっきり言って後は全部寝ていても良い。授業というのは、ただ単に勉強するというのではなく、相手の言いたいことを理解し、本当に重要なことを抽出する『コミュニケーション』の一種だと思い始めた。
ただ、コミュニケーションは受け答えがあるから成立するのであって、一方的にしゃべられるのを聞くのは辛い。難しい話だと逃げたくなる。
教え方が上手い先生は、生徒に答える時間を与えるとか、興味を示すようにわかりやすく伝えるのだが……。
拓磨は、教科書の上から教壇の教師を覗いた。
頭が、山のように尖っている今時珍しい挑戦的な髪型と出っ歯が特徴の個性的な先生が、呪いの呪文をかけるようにブツブツ唱えて、生徒を苦しめていた。
『山砂<<やまずな>> 育美<<いくみ>>』。男性。日本史の教師。今年度から、学校に赴任してきた。部活は、陸上部の顧問をやっている。
あだ名は『いくみん(名前から)』、『剣岳「つるぎだけ」(頭部から)』、『ミサイル(頭部から)』、『ドリル(頭部から)』、『爪楊枝「つまようじ」(頭部から)』、『穏やかな心を持っているか知ったこっちゃないが、無意識に人を苦しめるために生まれてきた伝説の戦士(頭部から)』。
決して悪い先生では無いと思うが、もう少しはっきり、ゆっくり、余裕を持って話して欲しい。モゴモゴ言っていて、聞き取りたくても分からない。
クラスの生徒でも半分以上が、授業を受けることを放棄しているが、葵と友喜は真剣にノートを書いていた。様々な色を使って、呪文を解読し、重要な部分を的確に聞き分けている。
この2人、テストの点数も非常に高いのである。俺と祐司のような友人がいるから自然とコミュニケーション能力が高くなったのだろうか?
しばらく、忍耐の時間を過ごしていると、生徒たちを救うチャイムが鳴り響く。
「今日教えたところは期末テストに出すぞ~。寝ていた奴らは知らないぞ~」
最後に、眠っていた生徒へ忠告を放つと号令と共に素早く廊下へと消えていった。
「ふああ…、あ、やっと終わった。やっと昼だ」
眠りから覚めた祐司が、体を思いっきり天に伸ばす。
「祐司、ずっと眠っていたけど疲れているの?」
友喜が、後ろから心配そうに尋ねる。長いツインテールが、揺れて椅子にかかっていた。
「最近、仕事が増えたからな。まあ、気にすることでもねえよ」
拓磨が、隣の友喜に問題ない旨を伝えた。
「何が『仕事』よ?2人とも帰宅部でしょ?疲れることなんて無いでしょ?」
「俺たちのことを信じない奴には、何にも話しましぇ~ん」
祐司が、口を尖らせて葵を拒絶すると、昼食を買うため、教室の外へと出て行った。
拓磨は、鞄を机の上に置くと、その中からおにぎりを2つ取り出す。巨大な体格の拓磨から見ると、大きなおにぎりもゴルフボールのように小さく見える。
「えっ?不動君、またおにぎり?」
少ない昼飯の量に友喜は驚く。
「またも何も、俺は高校の昼飯はずっとおにぎりだが?今更驚くことでもないだろ?」
拓磨は、真っ白いおにぎりを口の中に放り込む。
「ねえ、私たちが喜美子さんに言ってあげようか?もう少しバランスの良い食事にしてくださいって」
葵も見かねたのか、拓磨に提案をしてくる。
「別に俺は満足しているからいいぞ?」
「いくら何でもその図体には少なすぎるでしょ?せめて野菜と肉も取らなきゃ駄目よ。炭水化物ばっかりじゃ、栄養偏るし」
さすがは、渡里家の食事を作っているだけあって葵は、料理に詳しいようだ。栄養士のように提案してくる。
「不動君、良かったらご飯作ってあげようか?買う物だと、どうしても偏っちゃうし。葵だけだと大変だしね」
「それじゃ私が料理を教えてもらってる意味がないでしょ?」
友喜の親切な提案に葵が、不満げに苦言を呈する。
「だって、葵の料理、なんか味が濃いし…。あれだと素材の美味しさ、損ねている気がするんだけど」
友喜が、さらに葵の料理を批評する。葵は、さらに機嫌が悪くなる。
「運動している人には、塩気の多い料理の方がちょうど良いの。特に私には」
「ふ~ん、あっそうか!だったら、不動君たちもそれでいいかもしれない!」
友喜は手を叩いて、にこやかに喜んでいた。
「拓磨たちは別に運動してないでしょ?部活にも入ってないんだし」
「えっ?だって2人は…」
友喜が続けて言おうとすると、拓磨が友喜の名前を呼び首を横に振って制止した。おそらく、リベリオスとの戦いのことを言おうとしたんだが、はっきり言ってその言葉を聞くと葵がこれ以上無いほど不機嫌になるから、言わない方が良い。
「何?2人で、こそこそと…」
「はあ…まあ、葵は分からず屋だからね」
「違う、頭がガチガチに固いんだ。いまだに地球が宇宙の中心にあると思っている、おめでたい女だ」
友喜の苦言を、拓磨が膨らませてオチまでつけた。すると、葵が拓磨の手を引っ張ると立ち上がらせる。
「その台詞、前にも聞いたし、聞き飽きたわ!いいから、来なさい!野菜ジュースくらいおごってあげるから!」
「だから、別に俺はいらないって…!」
しかし、問答無用で拓磨を拉致した葵は、猛獣を手なずけた飼い主のように廊下を歩き、階段を降り、昇降口の前を通り過ぎ、職員室に向かう。
この学校、食堂は体育館の裏にある。体育館に向かう渡り廊下を歩き、ぐるりと体育館の周りを歩けば2階建ての民家のような建物が現れる。
1階は、生徒が食事をする食堂。お昼の時間帯になると、学校中の生徒が押しかけてくる。日替わりランチが安いし、大人気だ。その料金は500円。
例えば今日のランチは大判の形をしたメンチカツ、ハムカツ、山のように盛られたキャベツ、ラーメンの容器ほどの大きさのある特製の器にそそがれた味噌汁、そして押し固められるように敷き詰められたどんぶりご飯が食べられる。
さらに100円追加することで『ギガ盛り』となり、全ての量が5割増しになるという胃袋破壊のランチに変貌する。ただし、これには代償が伴い、残すと200円さらに徴収される。
ただ、恐ろしいことに学校の生徒は、このギガ盛りを完食してしまう人も多い。運動部の顧問の教師が、試しにランチを食べようとしたら、普通の量でも途中で気持ち悪くなり、トイレで嘔吐を繰り返し、その日の部活には出られなかったという代物だ。
運動部の生徒ではギガ盛りを卒業までに食べられることを目標に生活している生徒もいるとか、いないとか…。
そんな挑戦者ではなく、普通の食事をしたい生徒は職員室の隣にある購買室でパンや弁当等を購入する。
拓磨は、購買に来た経験が無い。そもそも、欲しいものもないし、何より来たくない原因がある。
「寄っちゃいな、見ちゃいな、買っちゃいな!不動ベーカリー、本日全品2割引セール!高校生は体が資本!たくさん食べて、たくさん勉強、たくさん部活動、たくさん恋をしろ!!えっ!?『俺には彼女がいない』って?そりゃまた、失礼!そんなあなたにはオマケで、コロッケパンを付けちゃおう!他店で買うならウチで買え!みんなの心に不動ベーカリー!不動ベーカリーは、永遠にあなたの胃袋を掴み続けます!いらっしゃい!いらっしゃい!!」
商店街で聞こえてくるような大音量が、ドアを突き抜けて廊下に木霊し続けていた。しかも良く聞き慣れている女性の声である。
ここは、野球の応援席じゃないよな?あるいは、議員選挙でもやっているのか?
ニコニコしながら部屋に入っていった葵の後を力なく拓磨は中に入っていった。
四角い部屋の中では、周りを囲むようにテーブルが置かれ、それぞれ稲歌町内のお店の旗と商品が所狭しと並べてある。
その中でも一番目立ったものが、入室後目の前にある絶好の商売スペースである。そこにいたのは、メガホンを持って他店に行こうとする生徒の意識さえも自分のところに集中する、稲歌町飲食業界の暴君、不動喜美子、その人であった。頭に黄色いバンダナをかぶり、オレンジ色の不動ベーカリーの文字が入ったエプロンを身に付けている。
叔父の信治は姿が見えない。もしかしたら、町を回って、パンを売っているのだろう。
喜美子の前には長蛇の列が並び、本日も満員御礼だった。
ただ、我が家が儲かって本当は嬉しいはずなのに、この恐怖に似た気持ちがこみ上げてくるのはなぜだろう?
周りを見てみると、暴走している喜美子を冷たい眼差しで見つめている他店の売り子たちがいた。
そんな眼になってしまうのも無理はない。選挙カー並みの爆音で、他の店の客を奪ってまで利益に変えているのである。そんな無法者を誰が快く受け入れるだろうか、いや受け入れない。
拓磨は、周りを見渡すと、大悟の実家、弁当屋『こころ』を見つけた。店主の一馬はおらず、綺麗な茶髪の女性が応対している。生徒も心なしか、弁当を受け取るときは嬉しそうだ。どこかの暴君の場合は、気合いを入れないと気絶しそうだが。
拓磨は、不動ベーカリーを無視して『こころ』の列に並んだ。
後ろで喜美子が、拓磨に気づいて叫んでいたが、拓磨は聞こえないフリをした。
「いらっしゃいませ…あら?友喜ちゃんじゃない!」
「あっ!奏さん!この前は、パフェごちそうさまでした!」
友喜は、丁寧に頭を下げる。
「いいえ、大悟君の友達を無下にはできないわよ。ところで…こちらはお友達?」
拓磨と葵を見て、奏は友喜に尋ねる。
「不動君と葵。不動君は、この前いた祐司のお友達。葵は祐司の妹なの」
「『姉』よ。あんな兄がいてたまるもんですか」
友喜の説明を葵は、ピシャリと訂正した。
「初めまして、私は心堂の家で厄介になっている奏と言います。不動君、どうか大悟君と仲良くしてあげてね」
「もちろん、こちらの方も今後迷惑をおかけすることもありますが、店主の一馬さんにはよろしくお伝えください」
「何で拓磨が厄介になるのよ?」
奏と拓磨が、笑みを交わして挨拶しているところに葵がツッコミを入れたが華麗にスルーされた。
「それで、何を買っていただけるのかしら?」
悪戯したように笑みを浮かべると、奏は目の前に商品を並べ始めた。
右側から『豚の生姜焼き弁当 600円』、『カルビ丼 650円』、『野菜炒め丼 500円』となっていた。
「ごめんなさいね、ほとんど売れちゃってこれしか残っていないの」
「欲しいものがちょうど残っていてむしろラッキーですよ。じゃあ、この野菜炒め…」
「カルビ丼で」
葵は、拓磨の言葉を遮って隣から口を出すと650円を奏に渡した。奏は最初きょとんとしていたが、葵からお金を受け取ると笑いながら葵にカルビ丼をビニール袋に入れて渡した。
野菜か肉を食わせてくれるんじゃなかったのか?だから、俺は野菜炒め丼を注文したのに。俺には昼飯を選ぶ権利も無いのか…。まあ、金が無いからそもそもそんな権利無いか…。今の残金41円しかないし、しかも全部1円玉だ。
拓磨は、目頭を押さえて泣きたくなる気持ちを抑え込んだ。
「あと、野菜ジュースとかありますか?」
「あるけど…容器がこれしか無いの」
勝手に葵が、話を進めると奏が人参の形をした容器を取り出す。
まるまると太った円錐型の人参で、身はオレンジ色で葉は緑色で着色されていたプラスチックの容器だ。
「これって、海の近くにある某夢の国とかで売っているものじゃないんですか?」
「ハハッ、いやまさかそんなことあるわけないでしょ?どうする?これ、1リットルくらい入るんだけど」
拓磨の質問に、奏は手に持った人参を軽く振って誤魔化した。
背後で友喜と葵が笑いを堪えていた。
「いりま…」
「満タンにしてください。はい、これお金」
すかさず葵の一声。世の中、やはり金である。
またもや、拓磨の意思は無視され、結局カルビ丼と人参を購入し、拓磨は全く似合わない装飾まで手に入れて、部屋を後にすることになった。
「いや~、おかしいわねえ。可愛らしくなるはずなのに、あなたが持つと狂気を感じてしまうのは何ででしょうね~」
「笑うか、馬鹿にするのか、どっちかにしろ」
命がけで笑いを堪えている葵と友喜を無視して、カルビ丼片手に、人参を持って歩く拓磨の姿は、顔とのギャップがありすぎて、笑いが出てくるというどうしようもない副作用が生まれていた。
そのまま、教室に戻ろうとした拓磨だが、ふと窓から中庭をのぞくと生徒に大悟が、端のベンチに座ってあくびをしているのが見えた。まるで、熊が獲物を手に入らなくて、暇を潰しているようだった。
すると、拓磨は目の前の階段を上がるのを止め、中庭に向かう。
「あっ!ちょっと、どこに行くの!?」
「飯は中庭で食う。おごってくれてありがとさん」
ぶっきらぼうに礼を言い拓磨は、葵達と分かれるとそのままガラス張りの中庭への扉を開いた。
大悟の隣には、誰も座っておらず拓磨の人参を奇怪なものを見る目で見つめながら、隣に座るのを眺めていた。
「お前の趣味がいよいよ分からなくなってきたぜ、パン屋」
「いるか?」
拓磨は大悟に人参を差し出した。
「イラネ、俺をお前の趣味に巻き込むな」
拓磨は、人参を割るようにキャップを開くと、そこから一気に野菜ジュースを飲み始めた。そして、隣に人参を置くとそのまま割り箸を取り出しカルビ丼を食べ始める。
「…昨日、教頭を尾行したが上手く巻かれた」
大悟が、力なく拓磨に話す。
「しくじったか?」
「まあな。だが、変なんだ。御神総合病院の隣にある倉庫に入るのを見た。倉庫は全て壁で囲まれていて、出入り口は正面のドアだけ。出るときは、そこからしか出てこられないはずだ。けど、いつまで経っても教頭は出てこなかった」
「まさか…消えたって言うのか?」
拓磨の問いに、大悟はふと笑みを浮かべる。
「パン屋、お前の読みは当たってるかもしれないぜ?リベリオスなら、あの渦を使ってどこからでも砂漠に行けるだろ?もしかしたら、教頭は本当に連中の仲間かもな」
大悟は、そのまま立ち上がると思いっきりに体を伸ばす。
「あの紫髪の科学者は、まだ具合が悪いのか?」
「ゼロアはずっと寝たきりだそうだ。まあ、今まで技術的なものは全部あいつ任せだったからな。ただでさえ、リベリオス対策で疲れているのに細かいことは全部あいつ頼りだ。具合が悪くなるのも当然だな」
今、リベリオスに襲われたら正直対処のしようがない。だが、先月の事件以来姿を現していない。
もし、奴らが俺たちの携帯に細工をしたのなら、今ほどのチャンスを逃すはずがない。ウェブライナーを攻撃、もしくは直接俺たちを狙ってくるはずだ。
だが、動きが無いということは別の仕事をやっているのかもしれない。もしかしたら、今回の罠を仕掛けたのはリベリオスじゃないのか?
だとしたら、一体誰が……?
「大悟、この前の休日、稲歌町で自殺があったそうだ」
「ああ、麻薬の中毒死だろ?TVで見たから良く覚えている。確か、その日に町役場に侵入した奴がいたんだっけ?結局、何も取られずに済んだみたいだが。犯人は、屋上に逃げたが、突然消えちまったようだ」
犯人は消えた……か。同じ日に連続した事件。場所もそう遠く離れてはいない。
まあ、ただの偶然か。いくら何でも、麻薬と不法侵入じゃ関連がなさ過ぎる。
「俺は、今日も教頭を尾行するぜ。お前とオタクは、リベリオスに備えて待機してろ。尾行は1人で十分だ」
「ずいぶん張り切っているな?」
「当然だろ?全部、京士郎のためだ」
拓磨は、その名前を聞くと、どうしても腑に落ちない気分になってしまう。
京士郎が大悟の友人なのは、間違いない。
ただ、大悟の行動を見ていると、ただの友達というわけではないようだ。まるで、自分の半身のように京士郎のことを思っている気がする。
そんな、大悟に対して京士郎が取った行動が、彼の日常を壊して、暴力の世界に無理矢理引きずり込むという行動だ。
友達という考えは、人それぞれだと思うが、いくら何でも一般的な考えとは逸脱した行為だ。大悟に対する執着、もっと言えば敵意のようなものも感じられる。
大悟が、真剣に動いているのも本当に友達だからなのだろうか?京士郎に対して、別の感情があるからではないだろうか?
拓磨は、じっと目の前に立っている大悟を見て考えたが、とりあえず止めておいた。まずは、今の状況を何とかするのが先決だ。
「とりあえず、倉庫の場所だけ教えてくれ。任せるにしても、情報は手に入れておきたい」
「やれやれ…絶対に来るなよ?」
大悟は、制服のポケットから白いノートの切れ端を渡す。そこには、おおまかな倉庫の場所と荒々しく書かれた番地が記入されていた。
拓磨は、それを受け取ると大体の場所を頭に思い描いた。すると大悟は、拓磨を置いて先に教室に戻っていってしまう。
御神総合病院の近くか…。
すると、拓磨の頭に1つの考えが浮かんできた。
『第3者』。以前、俺たちに情報を提供してきた謎の存在だ。情報収集に卓越していて、奴のもたらした情報で、人を助けることができた。
その第3者と連絡を取ったのが、御神総合病院だ。
ひょっとしたら、俺たちの携帯電話を使用不能にしたのは奴らか?ウイルスを作って、使用不能にすることもありえない話ではない。
ただ…俺の予想では、奴はリベリオスと対抗しているはずだ。敵の敵は味方のはず。リベリオスと戦っている俺たちを邪魔したとして…一体何の利益が奴にあるんだ?
もしかしたら第3者は、リベリオスの手下だった?だとしたら、この前何で俺たちを助けたんだ?
考えがこんがらがり拓磨は、頭を悩ませてしまう。しかし、考えても何も進まないため、拓磨は教室に戻ることにした。
とりあえず、放課後に大悟を手伝おう。じっと待っているのは、性に合わない。できることがあるなら、少しでも進めるべきだ。本人は文句を言うだろうが、リベリオスに対して用意はいくらしても足りないくらいだ。よって、大悟の要望は却下だ。
しかし、どうしても予定通りに進まない1日があるということを拓磨は、この後気づくことになる。

同日 午後4時2分 稲歌高校 2年1組教室
全ての授業が終わった後のホームルーム、担任の南による帰りの挨拶が終わった後、拓磨は大悟に追いつこうと下校の支度をしていた。祐司は、友喜を家まで送った後、こちらに合流するらしい。葵は、今日も部活のようだ。
「よし、それじゃあ先に帰るぞ。じゃあな」
すぐに、大悟の言っていた倉庫に向かおうと大股で教室から出ようとした時だった。
突然、左腕を引っ張られるような感覚と共に拓磨は立ち止まる。
「拓磨。ちょっとお願いがあるんだけど」
声の主は葵だった。制服の袖をがっちり掴み、拓磨の逃走を防いでいる。
「これから用事があるんだ」
「奇遇ね。私もこれから用事があるの」
拓磨の言葉を潰すように、葵が追い詰めてくる。
「じゃあ、たっくん。俺、先に帰るから。葵、たっくんは忙しいんだから邪魔するなよな?」
祐司が、2人に関わらないように友喜と一緒に拓磨の側を通る。
「『忙しい』?部活にも入っていないし、塾にも行ってないし、店のお手伝いも最近していないみたいだし、テスト勉強もロクにしていない。一体どこがどんな風に忙しいの?」
「だから……!」
祐司は、葵に対する禁句を口に出そうとしたが、慌てて口に押し込むと、自分の額を軽く叩き、新しい言葉を閃いた。
「世界の人々のために放射能汚染を食い止めているんだ」
祐司の言葉に教室から出る準備でざわついていた喧噪が一気に静まりかえる。
「……あんた、パン屋放っておいて原発でバイトしているの?」
葵の不信の声が、さらに強みを増す。
再びクラスに、賑やかな音が戻った。まるで、葵が呪いを解いたかのようだ。
祐司の言葉だが、間違いではない。ライナー波は、放射能と言っても良いし、そのために戦っているから合っている。ただ、いくら何でも荒唐無稽すぎて現実味を帯びていないのが問題だったが。
「祐司、早く友喜を連れて帰れ。そしたらすぐに大悟の所に行ってくれ。俺は、たぶんかなり遅れる」
「あいつと2人かあ…、まあ緊急事態に贅沢は言ってられないよね。頑張れ、たっくんよ!」
「あっ!祐司、ちょっと待ってよ!」
祐司は、部屋を飛び出すと廊下を走って帰る。友喜も慌てて、その後を追う。そして、すぐに廊下から怒鳴り声が聞こえてきた。南先生に廊下を走っているところを注意されたのだ。
拓磨は、鞄を床に置き、振り返ると渋々葵を見下ろした。
「用事って何だ?」
「今日ね、剣道部に個人練習用の打ち込みマシーンが導入されるの」
何だ、その部費の無駄遣いの模範例のような買い物は?
拓磨は、笑顔で説明する葵を無表情で見つめた。
「剣道は基本的に相手がいないと練習にならないのよ。でも、いつも人数が揃うとは限らないでしょ?1人で練習するとなると1人で筋トレしたり、動かないマットとかを練習相手にするしかないし…」
「…そういうときは、休めばいいんじゃないのか?無理に練習しないで。他の部員も喜ぶぞ?」
拓磨は、あくびをしながら気楽な意見を挙げる。その言葉に葵は、目くじらを立てて反論する。
「それじゃ、試合に勝てないでしょ!日々の積み重ねは、決して裏切らないのよ」
なるほど、ごもっともな意見だ。
「それじゃあ、そのなんちゃらマシーンでこれから頑張ってくれ。俺は帰る」
拓磨は、再び鞄を持つと教室から出ようとした。すると、やはり葵が制服を引っ張り、それを止める。
「そのなんちゃらマシーンが、職員室の前に届いているの。それをこれから、部室まで持って行かなければならないの」
「そうか、仲間と一緒に頑張れよ?」
あくまで拓磨は、他人事を貫き通す。帰ろうとするが、葵が服を引っ張って帰さない。
「今日、男性部員が全員休みで女性しかいないの。それで、そのなんちゃらマシーンは、30キロくらい重さがあるの。女性には、ちょっと厳しくない?」
「確かに厳しいが、部活の顧問の先生にでも頼んだらどうだ?」
とことん他人事を貫き通す。拓磨はさっさと帰ろうとするが、意地でも帰さないように葵が服に入れる力を強める。
「ギックリ腰で今日は、家から出られないんだって」
「じゃあ、お見舞いに行け。今日は、部活は休みだな」
「拓磨、手伝って」
ついに葵がいじけて口を尖らせると、呟いた。つまり、俺はなんちゃらマシーン運び係ということか。
「お昼おごってあげたでしょ?支払いは済んでる」
「……謀ったな、お前?」
痛いところを突かれて、拓磨は嫌そうに顔を歪める。
「甘い話に釣られてはいけないって勉強できたんだから、むしろ感謝して欲しいんだけど?」
葵が、黒い髪を手で梳くと美しい顔をいたずらしたように、はにかむ。
女って怖いな、リベリオスより数倍怖えよ。
結局、弱みを握られた拓磨は、葵に連れて行かれ、職員室まで付き添うことになった。
学校職員と来客の昇降口は、兼用となっている。1階職員室前には、広いホールのような空間が広がっている。昇降口を入って左側には下駄箱があり、100人近い来客にも対応できるようになっている。そのホールの片隅に、黒い布を掛けられた170センチメートルほどの物体が置いてあった。
隣には段ボール箱が置いてあり『剣道練習機 敗者 ボコられ君』と書いてある。最後に一文『これで君も勝者だ!』と追記されていた。
なるほど、ずっと打たれ続けるから『敗者』か。しかし、戦う前から勝者と敗者が決まっているとは何とも現実感があるな。
『勝負は、やってみなければ分からない』という言葉がある。確かにその通りだ。俺もこの言葉は好きだ。
だが、世の中には戦う前から決まっているものも少なからずある。あらかじめ、勝つようにあるいは負けるように仕組まれており、どう抵抗しようと勝敗が揺らぐことはない。そんな無情な戦いもあるのだ。
俺たちとリベリオスの戦いは、やってみなければ分からない戦いであって欲しい。いくら、頑張っても結果が変わらないなんてそんなの悲しすぎるではないか。
拓磨は、なぜか目の前の練習機材に感情移入してしまうとボーッとしてしまっていた。
「なに、悲しそうに見つめているの?」
葵が、気味悪いものを見るように拓磨を見ていた。
「いや、ちょっとこっちの話だ。それより、さっさと運ぶぞ」
拓磨は機材下部にある取っ手を片手で掴んだ。葵も反対側に回り取っ手を掴む。
「おい、台車は無いのか?」
「探すより、そのまま持って行った方が早い!」
威勢の良い葵のセリフに拓磨は、ため息を吐くと一気に取っ手を持ち上げた。途端に、マシーンが傾き葵の腕に巨大な負荷がかかる。
「ストップ!ストオオオオプ!!下ろして、手がちぎれる!!」
断末魔の叫びに拓磨は、地面にゆっくりと下ろした。葵は、手を振りながら痛みを紛らわせている。
「急にどうした、大丈夫か?」
「一気に持ち上げ過ぎ!私、あんたみたいな馬鹿力じゃないの!」
このままじゃ、いつまで経っても終わらない。
拓磨は、しびれを切らすと機材下部に腕を回し、片手で肩に担ぎ上げた。
葵は、口を開けて目の前の光景に対して呆気に取られていた。
「段ボールはお前が持て。行くぞ」
拓磨は、丸太を担ぐようにして廊下を歩いて行った。歩くたびに肩の機材が金属の音を立てる。葵は、拓磨の背後について機材が落ちないかどうか確認していた。
「お、重くないの?」
「馬鹿力が、取り柄だからな」
拓磨は、あっさり言葉を返す。左側に窓越しの駐輪場、右側に空き教室に挟まれた廊下を拓磨は堂々と歩いて行く。反対側から生徒が来ていたが、拓磨の風貌に対する恐怖と機材の存在から素早く道を空けた。
これから、拓磨達が行く『武道場』と呼ばれる場所は高校の端にある建物だ。元々、柔道や剣道は体育館で行っていた。しかし、専門的な教育を生徒に受けさせてやりたいという学校の方針の下、新たに造られた施設だ。
廊下の突き当たり、校舎の端まで辿り着くと、外に出る。右手の校庭では、野球部やサッカー部のかけ声が響き渡っていた。
舗装された通路が、目の前に続いておりそのままかまぼこのような形の建物まで一直線に続いている。通路の天井はトタン屋根が敷かれ、簡易的に雨がしのげるように整備されていた。
拓磨と葵は、そのまま通路を歩き、武道場まで辿り着く。葵が先に進み出て入り口のドアを開くと、中から甲高い叫び声が反響し拓磨の耳に届く。
床には輝く木材が敷き詰められ、竹をモチーフにした壁に囲まれた広い空間が、眼の間に広がった。奥には、黄緑色の畳が敷かれ、柔道着の生徒達が雄々しく声を上げて稽古をしていた。
どうやら、剣道部と柔道部で武道場を使っているようだ。先ほどの甲高い声も柔道部のものらしい。
拓磨は、あたりを見渡したが、剣道部の生徒の姿が見えなかった。更衣室と書かれた扉があるが人の気配はない。確か、葵の話によると結構人数がいるはずなんだが、本当に今日はいないみたいだ。
「端の方に置いておいて。コンセントを刺さないと動かないから」
葵は、段ボールの中の説明書を見ながら拓磨に指示した。拓磨は、ゆっくりと下ろすと縛られていた電源コードをほどき、壁のコンセントにプラグを刺した。
次に覆われていた布を取ると、導入された新機材がついに明らかになった。
そこにいたのは剣道具を付けた人型模型だった。籠手も胴具も付けており、右手には竹刀を持っている。電源コードの存在が無ければ本当に中に人が入っているようだ。ただ、足はバランスを保つためか、大きく、太く造られていた。
「うわあ、本格的!届いたの!?」
突然、更衣室の扉が開くと謎の声と共に中から剣道着を着た生徒が駆けてくる。そして、そのまま視線を機械から拓磨に向けると視線をそらして葵の後ろに隠れた。葵より体の小さなショートカットの髪型の女性だった。
「ひいっ!」
「佳奈。いくら何でも失礼だよ。紹介するね、こちら私の部活仲間兼友達の新島佳奈…ってクラス一緒だから名前くらい知ってるわよね?」
「クラスは一緒だが、話したことは無いな」
拓磨は、視線を佳奈の方に向ける。すると、小さく小動物のように震えた。
「新島さん、こっちはあんたに色々と世話になったんだ。正直、すごく助かった」
「…へ?私、何もしてないけど…」
拓磨の感謝の言葉に佳奈は戸惑っていた。
「前にね、拓磨が落ち込んだときに佳奈の話をしたの。直接は関係ないけど、そのおかげですごく助かったって言いたいのよ」
「は…はあ…何だか分からないけど…どういたしまして」
葵の説明により、佳奈の緊張が褒められたことで一気に解けたようで、彼女に小さくほほえみが生まれていた。
「さてと、じゃあ早速最初の練習相手を佳奈にやってもらおうかな!」
「え!?葵がやればいいじゃん!私は、様子見で」
「じゃあ、俺は帰るぞ。またな」
2人が話し始めたのを見計らって、拓磨は武道場を去ろうとした。
「拓磨、ありがとうね!また、人手が足りなくなった時に呼ぶから!」
それは、本当に勘弁してくれ。
拓磨は振り返らず、葵の言葉に手だけ振ると武道場を後にした。
急いで昇降口に行こうとしたが、突如その足を止める存在が目の前に現れた。
「おや?不動君、廊下は走ってはいけませんよ?」
そこにいたのは、おそらくカツラをかぶったのであろう白髪混じりの黒髪、そして楕円形のメガネを付け、ワイシャツにネクタイ姿の教頭先生だった。
「教頭先生?」
拓磨は、突然のターゲットの登場に思わず言葉に出してしまう。
「そんなに驚かなくても良いではないですか?それとも…私がここにいるのがそんなに不思議ですか?」
「いいえ、そんなことはないですけど…。てっきり、職員室で仕事をしているものと思ってました」
拓磨はとっさに言葉を繋ぎ、上手く誤魔化した。そのまま、周囲を見る。大悟の姿は無かった。
変だな、あいつは教頭を追いかけているはずだ。どこかに隠れているのだろうか?
「ははは、教師の人数は不足していますからね。教頭も部活を受け持っているんですよ。あっ、そうだ。不動君、よろしかったらこの後、時間はありますか?」
拓磨の視線を戻させるように教頭は、見上げて問いかけてきた。
「時間ですか?ええ…ありますけど」
元々教頭を追跡することが、目的なのだ。とりあえず、側にいて見張っているとしよう。下手に逃げようとすれば怪しまれるかもしれない。敵だった場合、こちらの目論見に感づいている可能性もあるのだ。
「良かった。じゃあ、靴に履き替えてここまで戻ってきてください。そのまま、下校することになるでしょうから鞄も忘れずに」
よく見ると、教頭の靴はスニーカーを履いていた。拓磨はとりあえず、了承すると早歩きでその場から離れた。その後ろ姿を教頭は、笑顔で見守っていた。
5分後、校庭側から拓磨は現れた。こちらに来る最中、大悟の姿を探したのだが、やはりどこにもいなかった。教頭はここにいるのに、どこに行ったんだろうか?
「じゃあ、行きましょうか」
「どこに行くんですか?」
「ちょっと学校の外ですよ」
2人は、通路から外れると武道場の裏へと回った。すると、そこには即席の門が学校を囲んでいる柵に付いており、誰でもそこから外に出られるようになっていた。そして門を通ると、すぐ目の前にアルファルトで整地された土地の上に白い直方体の施設が建っていた。外見からは中身がどうなっているのか、全く分からない。
「あんなところに建物なんてありましたっけ?」
拓磨は、周囲に対して疎い性格だった。ただ、そんな拓磨でも武道館の裏にあるのは畑だけだと知っていた。今まで、畑だったところがいつの間にか舗装され建物が建てられていたら、誰だって疑問に思うだろう。
「つい最近できたんですよ。学校の外なので、生徒はなかなか気づいてくれませんけどね。まあ、基本的に生徒が使うための場所ではありませんから」
「何の建物ですか?」
「弓道場です」
『弓道』って弓を引いて矢を的に当てる、あの弓道か?
この学校に弓道部なんて無いはずだが、今度新しく設立するのだろうか?
2人はそのまま建物に近づいていくと、教頭が入り口の扉を開いた。入るとタイル張りの床、左右に木製の下駄箱が設置されている。
スリッパを履き、教頭の背後に付いて中に入ると広い空間に出た。外の直方体の形は、まさにこの部屋のためにあると言っても良かった。入り口側には木目の床が、張り巡らされ遠くの方には、白と黒の輪が描かれた丸い的が2つ見える。その間には、芝生が敷かれていた。天井にはネットが張り巡らされている。おそらく、矢が間違って飛んだときに受け止めるためだろう。
ただ、いくつか違和感を感じる部分があった。
TVで前に少し見た程度だが、弓道場は本来もっと広いものなのではないか?
的は2つしか無いため、1度に2人までしか放てない。ここで大会などを開くなら、かなり時間がかかって終わるまで時間もかかるはずだ。
それに外見からここが弓道場とは、とても判別できない。中で何をやっているのか入るまで分からないのだ。看板も何も立てかけられていなかった。せめて、どんな建物なのか、名称くらい記しておくだろう。
観客用のスペースもほとんど無いし、簡略化しすぎている。装飾も一切壁には無い。神棚とか弓道場にはあるのではなかったか?本当に、ただ矢を射るため、それだけの不作法な場所。
競技用に造られた場所ではないとすると、個人用の施設なのだろうか?
いや、それもおかしい。弓道場を個人用に造るなんて……そんな物好きいるのか?
中に入ると、すでにそこには先客がいた。ハリネズミのような髪、整った顔のイケメンの青年が、弓道着に着替えており、弓を絞り遠くの的に狙いを定めていた。背中には10本ほど矢が入った籠を背負っている。
体格は拓磨より小さいが、がっしりした筋肉が両腕と胸に盛り上がって見える。パッと見ると痩せているように見えるが、相当鍛えているに違いなかった。
呼吸1つせず、まばたきもしていない、血が通っていないような冷たい眼差しで的を見つめる。そして引き絞った弦を放す。
小さく放物線を描くと、矢は的に中心に吸い込まれていき、突き刺さる。
そのまま、弓を下ろすかと思ったが、青年は素早く背中の籠から矢を取り出すと、弓につがえると、再び引き絞り、放つ。
放たれた矢は、先ほど突き刺さった矢に当たりそのまま的に突き刺さった。
青年は、また矢を背中から取ると放つ。前に当たった矢に当たる。
それを全部で10回、矢が籠から無くなるまで続けた。
恐ろしいほどの集中力である。大好きなアニメを見るため、3日間飲まず食わずで部屋に引きこもり寝ることもせず鑑賞した祐司並みである。
全てを射終わると、ようやく弓を下げ、こちらを振り返った。
すると、一瞬青年の眼に警戒するような緊張が走った。しかし、すぐに笑顔で上書きされると拓磨に持っていた弓を差し出した。
「やるかい?」
「いや、たぶん自分に刺さるから止めておく」
拓磨は、笑みを含むとやんわり断った。
「ははは、そんなことになったら奇跡だよ」
青年は、笑うと教頭を一瞥し、弓を専用の立て掛け台に置いた。
「高校の生徒か?」
「一応ね。最近、不登校気味なんだけど…とりあえず、高校生だよ。留年は、間違いないけど」
壁際に置いてあるスポーツ飲料のペットボトルを飲みながら、生徒は答えた。
「2年1組の不動拓磨だ」
「僕は、御神総成。この前、転校してきた。クラスは2年3組」
御神<<みかみ>>総成<<そうせい>>…か。
拓磨の感覚が、目の前の生徒に対して普通の生徒とは違うことを告げていた。まあ、先ほどの神業を見せられた時点で薄々感じていたが、どうも違う意味で異なる気がする。
何というか…ライナー波を浴びた生き物と遭遇したときのような感覚だ。目新しい、珍しいものと出会ったような感覚。だが、危険性は感じない。むしろ、目の前の人物からこちらに対して壁を作られているような気がする。
会話をしていても適当に流されているような感じだ。簡単な世間話をしているように感じる。
「ここは…学校の施設か?違うよな?」
「個人の建物だよ。僕は使わせてもらっているだけさ。君は、部活に入らないのかい?」
「家の仕事で忙しいからな」
「そうだろうね、不動ベーカリーは。商売繁盛でうらやましいよ」
総成は、さりげなく拓磨の情報を当ててきた。拓磨は、不審そうに眉を動かす。初対面の人物に身近な情報を知られていたら、何となく警戒してしまう。特に、今のような状況下では尚更だった。
「パンを買いに来たことがあるのか?」
「この町に住んでいる人なら、誰でも知っていると思うよ。色々と強烈なインパクトを放っているからね。もちろん、君も含めてだけど」
「まあ…だろうな。色々、目立つからな。御神は…実家は何をやっているんだ?」
拓磨に話を振られると、総成はふっと笑みを浮かべた。
「会社経営かな?とは言っても、僕も中身はあまり知らされてないけど」
「すごいな、じゃあ将来は跡取りか?」
「分からないな。正直、今を生きるので手一杯だからね。1年後には会社も倒産しているかもしれないし、何が起こるか分からない世の中だから」
拓磨は、目の前のイケメンと話していて適当に誤魔化されている感覚を改めて受けた。ボンヤリと話を合わせてくるだけで、本音で喋ってこない。
まあ、いきなり初対面の相手に心を開くというのは無理な話か。
ただ変だ。先ほどの腕前なら、学校で噂くらいにはなっているだろう。なのに、少しもそんな情報は聞いたことがない。
おまけに不登校で留年確実だって?家でずっと弓の練習をしていたりするのか?
拓磨は、初対面の総成に関心を示していたが、ふと教頭が声をかけてくる。
「不動君、わざわざ来てもらって悪いですね」
「いえ…面白いものを見せてもらいましたから。むしろ、ありがとうございました」
「いえいえ、ところで…残念ですけど、そろそろ建物を閉める時間でして」
拓磨は、壁に掛けられた時計を見た。午後5時を少し過ぎていた。まだ、ここに来てから10分くらいしか経っていないのだが…終了時間ならしょうがない。
「そうですか。なら、俺はこれで帰ります」
下手に粘って教頭から不信感を買っても意味が無いので、おとなしく拓磨は帰ることにした。
とりあえず、大悟の言っていた倉庫に向かってみよう。教頭を追いかけているはずの大悟が、なぜ学校にいなかったのかも気になる。ひょっとしたら、的外れな人物を追いかけているのかもしれない。
本来なら電話で連絡すれば良いが、あいにく使えない。電話が使えないというのはやはり不便だ。ただ、無いなら無いでどうにかなるものだが。
拓磨は、教頭達に別れを済ませると、入り口から外へと飛び出し、御神総合病院に向けて、駆けだした。
拓磨が、遠ざかっていくのを教頭は、じっと建物の入り口で眺めていた。そして、俯くとそのまま建物のドアを閉めた。
鍵がかかる音が響き渡る。本人は、鍵をかけていない。扉を閉めた途端、建物が自動的に鍵をかけたのだ。
教頭は、そのまま中に戻り、総成の側までやってくる。弓道場の木製の床に円の形をした亀裂が突然入ると、床が天井へとせりあがっていく。中には、この前も来た黒い戦闘服が、丁寧に人型の模型に着用されていた。
総成は、それを1つずつ取ると自分に身につけていく。
「あれは、どういう意味だい?レオナルド」
服を身につけながら尋ねる総成の声は、冷たかった。困惑と腹立たしさがこもっていた。
「不動様と途中でばったり出会いましてね。だから、彼をお誘いしたんですよ。坊ちゃんの素晴らしい腕前を他の人にも見てもらいたかったので」
「誘う必要なんか無かったはずだ。彼らは、もう戦う必要なんて無い。僕と関わることでまたリベリオスとの戦いに巻き込まれたらどうするんだ?」
自分が何をしたのかも分からず、ふざけたように答えるレオナルドを総成は叱責した。
「その答えを決めるのは、まだ時期尚早ではございませんか?まずは、彼がどのような人物かその目で見る必要がありましょう。1度もお会いしたことは、無かったのでしょう?」
「電話で話した」
マスクをかぶり、加工された野太い声で総成は答える。全身にスーツを着て、コートを纏うと各部位の状況をチェックしていた。同時に稲歌町全体のライナー波の反応も確認する。
「電話では、不十分でしょう。直接彼と会って、どんな印象を受けましたか?」
「どんなって…普通の高校生だけど」
「ほお~、最近の高校生は身長2メートル近い筋肉もりもりで、顔が極悪人のように見ただけで気絶しそうなほどの印象ですか?」
「見てくれのことを言っているのでは無い。彼は、普通だよ。ただの高校生だ。そうでなければならない。殺し合いなんかに参加してはいけないんだ、絶対に」
まるで自分に言い聞かせるように総成は呟くと、コートをたなびかせ、教頭の隣を通る。
「これからホームレスに会いに行く。今現在、ライナー波の反応が、町中央部で集中的に観測されている。リベリオスが、彼らに接触を試みているに違いない」
「運が良ければ、現地で会えることでしょう。ただ、お気をつけくださいませ。リベリオスは、並大抵の組織ではありません。追い詰めているはずが、いつの間にか追い詰められていたということもあります」
「心配ない。僕は、奴らには絶対に負けない」
総成は、ステルス機能を入れると風景と溶け込んで消えた。そして、遠くからドアが開く音と共に弓道場が一気に静まりかえる。
「その自信が、命取りにならないように願っておりますよ」
不意に呟く教頭の言葉には、呆れと一緒に不安も混ざり合っていた。


同日 稲歌町中央地区 御神総合病院付近 午後5時46分
日が沈み、空が光を失っていく。代わりに地上では、人の作った光が輝き始める。
綺麗な夕暮れ時に町の中心付近にたたずむ巨大な箱のような病院へ、今日も人が病気を医者に見てもらおうと入っていく。200台以上車が置ける大きな駐車場を間に挟み、大悟は駐車場脇のベンチに座り、病院を横目で眺めていた。
相変わらずでかい病院だ。最近、建ったばかりだというのにあっという間に稲歌町の観光名所みたいになってしまった。これだけ、事件や事故が起こっていれば医者も大忙しだろう。もっとも、これからもっと被害が増えるかもしれないけどな。
京士郎、お前は今どこにいる?さっさと帰ってこい、奏さんや桜も心配しているんだぞ?
大悟は、様々な思いを胸に秘め、視線をそのまま目の前に向けると体育館ほどの大きさがある銀色の倉庫に目を向ける。倉庫の前には『ウッドメーカーMIKAMI 資材倉庫』と書かれていた。
また、『御神』だ。最近、この言葉を見ることが増えた気がする。TVのCMでもそうだが、この町でもいつも目に付く。
どこかの企業グループか?けど、よりにもよって何でこんな危ない時期に稲歌町に進出してくるんだ?まあ、企業の連中にはリベリオスのことなんか分かるわけないか。
「霊長類~霊長類~霊長類見いつけた♪図体でかくて~誰でも分かる~♪」
大悟が、今までで1番聞きたくない歌が耳に飛び込んできた。背後を嫌そうに振り返ると、祐司がチョコレートアイスを食べながら、ベンチの背後から倉庫を眺めている。上下黒ジャージ姿で、スポ根ドラマとかに出てきそうな格好である。
「何でお前が、ここにいる?」
「ほい」
祐司が、質問を無視して緑色のアイスバーを大悟に渡す。
「何だこりゃ?」
「アボカド味のアイス。いらないなら俺が食う」
大悟は、素早く祐司からアイスを奪い取ると、ビニール袋から取り出し噛みつく。濃厚なアボカドの味と甘くて冷たいクリームが、絶妙に合っていた。
「たっくんが来るまで、俺がお前のお守りをすることになった」
「誰も頼んでねえ。っていうかいらねえ」
「主張は、人間が言うから意味を為すのだよ?動物に主張の権利はないし、人権などそもそも存在しないのだ、霊長類よ。分かりやすく言うと『お前の都合なんか知ったことではない』のだ」
「とりあえず、お前は俺がぶん殴らないといけないということは分かった。お前に朝日は絶対に拝ませねえ…!」
さすがに騒動を起こすわけにもいかないため、大悟は怒りを発散するためアイスを一気食いした。祐司は、額に右手親指の付け根を当てながら遠くの倉庫を見た。
「倉庫に教頭先生は入ったの?」
「ああ、もう5分くらい経つが出てこない」
倉庫は正面にシャッターがあるが、他に入り口は見えなかった。
「あの倉庫の入り口はシャッターだけだ。だから、教頭は間違いなくあの中だ」
「何やってんだろうな~?学校の先生が、造園会社の倉庫に用事なんて」
祐司の発言に大悟は、顔を上げる。
「『造園会社』?」
「うちの庭とかたまに手入れしてもらっているんだよ。学校の樹木もあの『ウッドメーカーMIKAMI』に委託しているんじゃなかったっけ?」
大悟は、祐司の説明を聞き、再び倉庫を見つめる。
造園会社の資材置き場に学校の先生が、1人で入っていった…。まあ、ちょっと気になるな。
「お前は、邪魔だからここにいろ。ちょっと中を覗いてくる」
大悟は、アイスの芯だった木の棒を祐司に返すと、首を回し立ち上がる。
「ああ、骨は拾ってやるから頑張ってこいよ~。俺、逃げることしかできないから。警察が来たら俺は、お前を見捨てて逃げるからよろしく」
祐司は、ベンチに座りあくびをしながら大悟を見守った。すると、突然大悟が立ち止まると、祐司に振り向く。
「……やっぱりお前も来い」
「はあ!?話聞いてなかったのか!俺、戦うこと教わってないんだぞ?」
「それならそれで使い道がある。いいから来い」
「せめて…たっくん待とうぜ?」
祐司は嫌そうに顔を歪めた。
正直、こいつと一緒だと絶対に騒動に発展する。ただ、もしあの倉庫に仕掛けがしてあった場合、教頭先生に逃げられる可能性もある。あくまで、彼が敵だった場合だが。
「はあ…仕方ない。言っておくけど戦いがあっても何もできねえぞ?」
祐司は、悩んだ末渋々立ち上がった。
「お前には、何も期待していない。チョロチョロ動いているだけで良い。俺が、全員ぶちのめすからな」
「あ~、はいはい。そういうのすごい得意そうだからな、見かけ倒しじゃなくて良かったよ」
祐司が悪態をつくと、大悟に連れられて倉庫へと向かっていく。すると、大悟は正面シャッター上に付いている監視カメラに気づく。カメラは、正面の門あたりを向いていた。
そりゃ、すんなり入れるわけないか…。さて、どうやって中に入るか?
倉庫と道路の境界線として左右に移動する5メートルほどの幅の青く塗装された門がある。大悟は敷地内に入らず回り込んでいこうとした。
ところが、祐司は堂々と門を開けて敷地内に正面から歩いて行く。
「オタク!」
「ん?何で入らないんだよ?もうバレているのに」
引き留めようとした大悟だが、開き直ったように言う祐司の言葉に耳を疑う。
「バレてるってどういう意味だ?俺の尾行がか?」
「あの監視カメラあるだろ?」
祐司は、シャッターの上の監視カメラを指差す。先ほど、大悟が気づいたカメラだ。
「ああ、だからどうした?」
「あれは角度から推測すると、この入り口の門あたりを監視している。けど、ついさっき俺たちが向こうに座っていたとき、あのカメラは俺たち見ていたんだぞ?そして、それからずっと俺たちを追跡している。だから、もうバレているってこと」
大悟は、自分たちが座っていた背後のベンチを見る。
ベンチからカメラまでは、大体500メートルくらいか。その距離でカメラのレンズの動きに気づいた?
祐司が、スタスタと敷地内に入っていったので大悟は慌てて、後を追う。
「お前…どんだけ目が良いんだ?」
「まあ、ゲーム会社でバグチェックのバイトしていたからな」
「全然理由になってねえよ。ちくしょう、慎重に行動したつもりだったんだけどな」
大悟が、悔しそうに舌打ちする様子を祐司は呆れて横目で眺めた。
「はあ…そもそもその図体と顔で、尾行とか無理に決まっているだろ?幼稚園児に『エベレストに登れ』というくらい無理があるぞ」
「てめえ、2度とうちの店には来るなよ?洗濯機に入れて外に干すぞ……!」
イライラを溜め込んだ大悟、一方祐司は先にシャッターの近くまで走って行くと、しゃがみ込み持ち上げようとする。
しかし、電動式なのかいくら力を入れても持ち上げられなかった。
「やっぱり、ドアから入るしかないか。鍵はかかっているだろうけど」
「どけ」
大悟は、祐司をどかすと片手でシャッターを掴み上に持ち上げた。すると徐々にシャッターが持ち上がっていく。持ち上がるごとにシャッターの奥で機械が悲鳴を上げているような甲高い音を上げ始める。
祐司は、驚きを通り越して無表情で目の前の光景を眺めていた。
しばらくすると、膝あたりまでシャッターが自由に動くようになった。いや、正確には壊した。大悟が手を放すとシャッターが床に音を立てて落ちる。
「壊してどうするんだよ?」
「知るか、どうせリベリオスの連中が関わっている会社の持ち物だろ?京士郎が最優先事項だ」
もはや、京士郎より優先されるものはないのである。大悟はそう言いそうだった。
「まだそう決まったわけじゃないのに…。まあ弁償するのは、お前の小遣いからで。桜ちゃんには迷惑をかけるなよ?」
「ああ、お前とパン屋との割り勘だ」
「ふざけてやがる…この霊長類」
互いに悪態を吐きながら、祐司と大悟は身を屈めると中に入っていく。途端に暗闇と木材の匂いが2人を出迎えた。よく目をこらして周りを見ると床にブロック型の木材が集められておいてある。
「そのままシャッターを持ち上げていてくれ。どこかに照明のスイッチがあるはずだ」
祐司は、照明のスイッチを探そうと辺りを見渡す。
「…これじゃねえのか?」
大悟は、シャッターの側の鉄骨に取り付けられたスイッチを押す。すると、いきなり暗闇が取り払われ周囲に置かれた焦げ茶色の木材のブロックが姿を現す。
大悟はシャッターを放すと辺りを見渡しながら、倉庫の中心に歩いてくる。辺りには、あちこちに木材が置かれているだけで何もない。2人の歩く音だけが響き渡り、不気味な静けさと共に帰ってくる。
「おい、教頭先生はどこだよ?」
「いないはずはねえ、シャッターが開いて中に入るのを見たんだ!」
大悟は、焦りながら自分に言い聞かせるように叫んだ。
所々に木材が置いてあると言っても、腰くらいまでの高さである。隠れる場所なんてどこにもなかった。窓も無ければ、ドアも無い。出入り口は、シャッターのみである。
もし、倉庫に入ったとしたら出入り口はシャッターだけだ。大悟の証言が正しければの話だが。
「とりあえず、周りを探してみよう。ひょっとしたら…」
すると、言葉を言いかけた祐司の体に心臓がざわめくような悪寒が走った。最近よくある感覚だった。体に危機が迫っているときによくこんな感覚になる。それに合わせて、祐司はその場に倒れる。
すると、先ほど祐司の頭があった場所に風を切る音が響くとシャッターの方から小さく音が響く。
祐司は、すぐさま立ち上がると振り返った。
そこには空中に突如虹色の渦が出現していた。そこから、拳銃を持った黒い腕が伸びている。
「良い反応じゃねえか、オタク」
大悟は、笑みを浮かべて拍手をしていた。その乾いた音が、祐司の心に怒りの炎を灯した。
「助けろよ、霊長類!もう少しで当たるところだったぞ!」
「平気そうだから、助けなかった」
大悟は、のんきに答えるとそのまま渦の方を見つめた。
渦の中から現れた腕の持ち主が、ゆっくりとその姿を見せた。ヘルメットをかぶったF1レーサーが5人ほど渦を抜けて、こちらの世界にやってくる。
両腕両脚を鈍く輝く金属製の黒いプレートで身を固め、顔は黒いヘルメットで隠され表情を伺うことができない。身長は190センチくらいで、装甲のせいかずいぶん体格がよく見える。
「霊長類、教頭先生ってF1レーサーだったっけ?」
「さあ、知らねえな…。それに俺が見たときはこんな格好してなかったぜ?」
謎のレーサー集団は、全員こちらの世帯に立つと全員両手に拳銃を構え、大悟と祐司の方に近づいてくる。
「なあ、あんたら。京士郎はどこだ?」
「こんな時でも『京士郎』かよ!!どう見ても殺し合い寸前だろうが!もっと『話せば分かる』とか『暴力では何も解決しない』とか言えよ!」
祐司は、ゆっくりと下がりながら大悟を一喝した。
「アホ、俺の目的は京士郎だけだ。それ以外のことは知ったこっちゃない。それに…どう見ても話し合いで済む雰囲気じゃねえだろ?」
レーサー達は歩みを止めず、なおもこちらに近づいてくる。そして4人は大悟に、1人は祐司に銃口を向けた。こちらの実力差を判断して、1人ずつ潰そうとしているらしい。
「……京士郎はど」
再び尋ねようとした大悟の声を銃声が遮った。祐司は、慌てて顔を横にずらすことで銃弾を回避する。
一方、大悟は顔をその場から動かさなかった。銃口の向きから軌道を読み取っていたのである。3人がわざとずらして上左右に銃弾を撃つ。動けば当たるという算段だ。じゃあ、動かなければ良いのかと言えばそんなことはない。最後の1人が頭めがけて銃弾を撃つ。動いても当たるし、動かなくても当たる。多勢に無勢、一巻の終わり。
そうなるはずだった。
「ほお…、これは俺の聞きたい答えじゃねえな?」
大悟は、右手の親指と人差し指で飛んできた琥珀色の銃弾を、顔前でつまみ、止めていた。
その異様な光景に、場の空気が凍り付く。そして、それを打ち破るように謎の存在は4人全員で大悟に襲いかかってきた。
大悟は、銃弾を指で弾いて後ろに捨てると突っ込んでいく。祐司はとりあえず襲いかかってくる奴から逃げた。
大悟に向けて再び銃を4人が向ける。しかし、大悟は突っ込んでいく最中で足下にあった角材を右手で掴むと反時計回りに1回転して勢いを付け、放り投げる。2人が猛スピードで飛んでくる木製の物体に体を叩きつけられ、進行方向とは逆に吹き飛ばされる。
向かってくるのは2人だったが、大悟は銃弾を避けながらそのうちの1人に突っ込む。
狙いが定まらず連射していた1人だったが、大悟が突然銃口の前に顔を出した。仕留める千載一遇のチャンスだった。すかさず、銃が火を噴く。しかし、その寸前に屈伸し大悟は身を屈める。銃弾は大悟の頭上を通過していった。
形勢はすぐに逆転した。そのまま大悟は、相手の両手首を掴み、力を加えへし折る。持っていた銃が地面に落下する。そのまま、手前に引っ張るとしゃがんだ勢いを付け、飛び膝蹴りをヘルメットにたたき込んだ。
1人のレーサーは、よろめくとその場に踏ん張り転倒を防いだ。ハンマーで殴られたかのように大破したヘルメットが、音を立て地面に転がる。
「……!?」
大悟は、視線を相手の頭部に向けたとき、背筋が凍るような感覚に襲われた。
先月の戦いでリベリオスは、町の不良を使って事件を起こしていた。おそらく、今回も同じようなものだと思っていたのである。
シヴァから、ライナー波に汚染された人間も助かる手段があると聞かされていた。姿形が変わる前に薬を投与すれば何とかなる。
希望はあったのだ。つい1秒前までは。
ヘルメットを壊して相手の頭部は、同じように黒光りするアリの頭部だった。2本のピンと立った触覚、獲物を挟み殺すような口、不気味に赤く輝く大きな瞳、金属のような黒い質感。お面でも無ければ幻覚でも無い、本物だ。
ホラー映画に出てくる光景がそこにあった。
「ええっ!?な、何でアリ!?」
自分を追ってくる敵から逃げながら、チラリと大悟の方を向いた祐司が悲鳴のような声をあげた。
「オタク。絶対に倉庫からこいつらを出すな!町に出て行ったら死人が出るぞ」
大悟は、祐司に一喝すると拳を握りしめ構えた。
なるほど、京士郎の居場所を聞いても意味がないわけだ。だって、喋ることができないんだからな。
大悟は、納得しながら目の前のアリに殺意を向けて襲いかかった。
「ほんと、言うのは楽だよな~!」
一方祐司は、頭を狙ってきた銃撃を屈んで避け、しゃがんだところを狙ってきた蹴りを上半身だけ後ろに反って、床に寝転がるようにして避ける。すぐさま、祐司は相手の右足を払うように蹴りを行ったが、覆っていた金属板に足の甲が直撃し、激痛が走る。
「痛えええ!何でお前は、そんなに固いのよ!」
祐司は痛みで涙目になって、再び逃げ出した。
考えてみれば、逃げる「だけ」というのも辛いものだ。たっくんや霊長類は、まだ相手を倒す力があるから良い。逃げていたらいつまで経っても終わらないんだからな。
まあ、そんなことは分かっているんだ。悔やんだって仕方がない。この状況をどうするか、考えるんだ。
祐司は、倉庫内を走り回りながら必死に策を考えはじめた。
自分で倒せないならば、周りに倒してもらうしかない。この場合だとそこの2メートルだ。しかし、霊長類は自分の敵を倒すことに夢中。下手に任せれば、霊長類も危険になり、自分も危険になる。
すると、俺がする役割はあいつのアシストだな。
祐司は、走りながら地面に落ちていた、手頃な大きさの先が尖った木材の破片を掴むと、大悟に向かって投げつける。
「ほら、霊長類!取ってこい!」
大悟は、祐司の方を向かず空中で掴む。
「木なんていらねえ、金寄こせ!!」
そのまま左手をアリの大きな目玉に振り下ろす。アリは右腕を盾にすると、頭部への攻撃を避けた。だが、あまりの大悟の怪力のせいで装甲に木材が突き刺さり、腕のへし折れる音と同時に腕が肩から7色の血を吹き出して引きちぎれてしまう。
アリは怒号のような鳴き声を上げると、残った腕で大悟に殴りかかる。大悟は相手の拳に自分の右拳を叩きつけた。
すると、相手の拳の装甲に亀裂が入り、アリの拳が折れる音が鳴り響く。
間髪入れず、大悟は左手を刀のように尖らせ、相手の胸目がけて突き刺す。金属製の胸部装甲を豆腐のように歪めて、大悟の腕はアリの胸に突き刺さった。そのまま、強引に何かを掴むと胸から引き抜いた。触手のように血管がまとわりつき、胸からは滝のように液体が噴き出す。
7色の液体にまみれた大悟の手には、拳ほどの大きさの心臓が脈を打っていた。心臓をえぐり出されたアリは、目の前の自分の心臓を見るとそのまま正面に倒れて動かなくなる。そして、全身が光に包まれると消え始めていた。
続いて大悟を襲おうとしていたアリたちの動きが、目の前の惨劇のせいで止まった。
大悟は、先ほど引き抜いたアリの心臓を地面に放り投げた。
祐司を襲っていたアリを含め、全ての視線がその心臓に集まる。先ほどまで脈動していたものは、すでに止まっていた。
「…どうした?かかってきやがれ!!」
大悟の一喝でアリたちは退却を始めた。空中に7色の渦が新たに出現すると、我先にとそこに逃げていく。
大悟は、アリたちが逃げていった穴に飛び込もうとする。しかし、祐司は手元にあった木材の破片を掴むと、大悟に向けて投げつける。突然、飛んできた木材を掴むと大悟は鬼のような怒りの表情を祐司に向ける。
「何しやがる!?」
「まさかと思うけど…ウェブスペースに行って京士郎を探す気?」
祐司は、馬鹿を見る目で大悟に尋ねる。
「当然だ!この穴は敵のところに通じているんだろ!?」
大悟は消えかかり始めた穴に再び飛び込もうとする。祐司は再び木材を投げる。大悟は再び掴むと声にならない叫び声を上げた。
「てめえ…!いい加減にしやがれ!」
「あのさあ…少しは落ち着けよ。お前の友達の京士郎が、その穴の向こうにいるなんて何で分かるんだよ?」
祐司は穴を指差して大悟を調教師のようになだめる。
「探せば良いだろ!どうせ、穴の向こうは敵の本部だ!」
「そうかな?もし、ウェブスペースのどこま~でも続いている砂漠のど真ん中だったらどうする?誰も助けにいけないし、隠れる場所もないんだぞ?」
大悟は、のほほんとした祐司の口調に言い返そうとしたが、返す言葉が見つからず詰まってしまった。空中に開いた虹色の穴は、ゆっくりと閉じて消えてしまう。
「どうせ暴走するのなら、京士郎を見つけてから暴走してくれよ。それなら、まだ気持ちも分かる。アリ相手に暴走するなんてもったいないだろ?」
祐司の提案に大悟は、しばらく視線を宙に泳がせる祐司を見て、舌打ちをする。
「まさか、お前に諭されるとはな。納得いかないが……確かにお前の言うとおりだ」
祐司は勝ち誇ったように笑うと、シャッターの方に走っていき、隙間から外の様子を確認する。
「何しているんだ?」
「いや、あれだけ大暴れしたのに警察が来ないなあと思って」
そういえば…そうだな。監視カメラが付いていたのに。通報されていてもおかしくない。
大悟は無理矢理シャッターを持ち上げると、急いで外に出た。辺りはすっかり暗くなっていて、とても静かだった。病院から帰宅する高齢者夫婦が、病院の近くでタクシーに乗り込む姿が見えた。あちこちで外灯が灯り、注意深く見ないと歩行者を見落としてしまいそうだった。
「ただの脅しだったんじゃないか?あのカメラ」
「せめて警報装置くらいあっても…。……!」
祐司の何気ない会話は、突然の気配によって遮られた。祐司と大悟は慌てて、右側を向く。すると、倉庫の角から全身を金属の装甲で身を固め、黒いコートとマスクを着用した謎の存在が現れた。
「……何だ、あんた?」
大悟は、祐司より一歩前に出ると謎の存在に尋ねた。
マスクの目が青く光る。何も会話は生まれない。
「ひょっとして、リベリオスの仲間?」
今度は祐司が問いを投げた。しかし、黒マスクは一向に黙っている。
「あのアリどもを俺たちにけしかけたのはお前か?答えろ…!」
大悟はゆっくりと歩み寄っていく。謎の存在は微動だにせず、その場で大悟と祐司を観察していた。
そして、突如静寂は破られた。
「君たちは、手を引け」
マスクから加工された音声が響き渡る。まるで何の感情もこもっていないような響きだった。
「『手を引け』?何言ってやがる、最初に仕掛けてきたのはお前らの方だろ!手を引くのは、てめえらのやることだろ!」
すっかり、頭に血が上った大悟は謎の黒マスクに詰め寄るが、突然白い球体のようなものが破裂音と共に黒マスクの背中から煙がわき出ると一瞬で大悟と祐司の視界を遮る。
煙は30秒ほどで消えた。しかし、2人の視界がはっきりしてきたとき、彼らの前に先ほどの黒マスクはいなかった。
「忠告はしたよ?」
突然、頭の上から聞こえた加工音声に2人は上を見上げる。そこには輝く星々を背景に青い眼光で2人を見下ろす黒マスクの姿があった。倉庫の屋根の上に立ち、風のせいでコートがマントのようにたなびいている。
「もうすぐ警察が来る。早く家に帰った方が良い。揉め事になるのは、もう十分だろ?」
すると、大悟と祐司の背後から小さなサイレンが鳴り響く。音は徐々に大きくなっているように反響し始めていた。
2人が背後のサイレンに気を取られた後、再び倉庫の屋根を見上げると、そこにはもう誰もいなかった。まるで、幻でも見たかのように謎の黒マスクは消えていた。
「何だったんだ?あいつ」
突然の出来事に大悟は混乱していた。
「霊長類、とりあえずここから離れよう。今の俺たち、どう考えても不法侵入者だ」
「なら、あいつだって同じだろ?」
愚痴を吐きつつも祐司と一緒に大悟は、足早に倉庫の敷地から外に出て、病院に向かう歩道を歩いて行く。
2人が倉庫を離れた数分後、3台のパトカーが右側の道路を走り抜け、先ほどアリと戦った倉庫へと警官が突入していた。
2人は足を止め、その様子を遠くから眺めている。自然に音に釣られて倉庫の周りに人だかりができてくる。
「なあ、やっぱり教頭はリベリオスの仲間だろ?」
「俺たちを倉庫におびき寄せて、アリの化け物を使って始末しようとしたって事?」
大悟の考えを祐司が補足する。
「それ以外に何が考えられるんだよ?あの倉庫だってきっと奴らの持ち物だ。警報が鳴らなかったのも、俺たちを始末するときに警察に来て欲しくなかったからだ」
「ううむ…霊長類にしては頭を働かせた推理だと思うけど…」
祐司はアゴに手を当て唸ってしまう。そんな祐司を大悟は不満げに見下ろす。
「素直に俺の頭が良いって認めたらどうだ?俺はお前よりでかくて、強くて、頭も切れる。意地張ってないで、負けを認めろよ。オタク」
「『でかくて強い』は納得できるけど、『頭が切れる』はなあ…。そもそも、お前の完成形がたっくんだから、どうしても劣って見えるんだよなあ…。残念なことに」
「俺のどこがパン屋に負けているんだよ!?」
大悟の怒りの叫びに祐司は横目で嫌そうに顔を歪めた。
「……まあ、個性は人それぞれだから…お前はそれで良いんじゃない?」
考えるのがめんどくさくなったのか、祐司は大悟を置いて歩道を歩き出した。
すると、遠くから大悟と同じくらいの大きさの大男がこちらに向かって走ってきた。
「祐司、大悟!無事か!?」
学校帰りの制服姿で拓磨は、2人に駆け寄り、無事を確認すると笑みを浮かべた。
「遅えぞ、パン屋。どこで道草食っていたんだ?」
大悟は、不満タラタラで拓磨にぶつけた
「色々あってな。それに倉庫の場所が分からなくて少し道に迷ってた。遅れて悪い」
すると、拓磨は遠くの倉庫近くで起こっているパトカーのランプに目を向けた。
「…何か、あったのか?」
「聞いてよ、たっくん。この霊長類のせいでひどい目にあったんだ」
左手を左肩の方に動かし、肩越しに親指を使って祐司は背後の大悟を指した。
「あれは俺のせいじゃねえだろ!アリの化け物のせいだ!」
「……『アリ』?まさか、リベリオスか?」
拓磨にはアリと聞いて思い当たることがいくつかあったので、すぐにリベリオスと結びつけることができた。
祐司は、倉庫で起こった出来事を拓磨に話す。話を聞いているうちに拓磨は、口を覆うように手を添えると考え込んでいた。
「お前らを殺すためにリベリオスが差し向けた刺客か…」
「だから、教頭もグルなんだよ。まさか、こんな近くに敵がいるとは思わなかったぜ」
「それはどうだろうな?」
3人は、歩道を歩きながら病院を通り過ぎて高校の方に向かっていた。大悟の話に拓磨がふと疑問の声を上げた。
「ん?パン屋は教頭をかばうのか?」
「かばうとかそういう問題じゃない。そもそも、教頭先生はさっき俺と話をしていたんだぞ?」
「………………………え?」
大悟は聞いた言葉が信じられないようだった。
「何だよ、霊長類の見間違えかよ!バナナ切れで視力まで落ちるのか!?だから、あれほどバナナジュースを腹に溜めておけと言っただろ!?」
祐司は、大悟の責任感の無さに怒り心頭であった。そのため、あることないことぶちまける。
「いやいや、妄言吐いているんじゃねえよ!!お前が間違っているぞ、パン屋!俺は確かに教頭を尾行していたんだ!職員室からあの倉庫までな!」
大悟は一歩も譲らなかった。
「ということは俺が話した教頭先生とお前が尾行した教頭先生。2人の教頭が同時刻に別の場所に存在したということだな」
「教頭先生って双子だったっけ?」
拓磨のまとめに祐司が仮説を挙げる。
「もしかしたら、偽物かもしれねえぞ?映画とかで良くあるだろ?ロボットとか」
大悟は突拍子も無いアイデアを提案した。
「何で学校の先生がロボットなんか持っているんだよ?しかも等身大でお前が見間違うほどの」
「知るかよ!超大金持ちなんだろ、あの教頭は!」
祐司の質問に大悟はキレた。
そんなロボットが現実にあったとして、教師の給与で買えるとはとうてい思えないな。そうなると、教頭先生の正体が怪しくなってくる。
学校の先生は仮の姿で、本当は、超高性能ロボットが買える金持ちか?
考えをめぐらせるが拓磨は、どうにも納得できなかった。
「どちらにしてもやっぱり教頭はリベリオスの手先なんだろ?」
「その考えだが、それもちょっと変だと思うんだ」
拓磨は、軽く大悟の考えを退ける。
「変?何がだよ?」
「大悟。お前の考えだと、『教頭先生はリベリオスの仲間で、お前達を殺すためにリベリオスが所有している倉庫におびき寄せた。その理由は自分たちが所持している倉庫内なら周囲からも見えないし、秘密裏に処理できると思った』で良いか?」
「『警察に知られたくないため警報も鳴らなかった』が抜けているぞ?別に変じゃないだろ、俺の考え」
「ああ、変じゃない。『殺すことが目的ならば』な」
拓磨の含みのある言い方に大悟は眉をひそめた。
「どういう意味だ?」
「大悟。お前、犯罪を自分の家で起こすか?」
「超模範的な人間である俺は、犯罪とは無縁だからその質問には答えかねる。けど、一般論としてはやらないだろ?」
大悟は白々しく大幅に遠回りしながら答えた。
「何で?」
「もし家でそんなことしたら、警察に疑われてすぐバレるだろ?」
大悟が当たり前のように答えると、それを聞いていた祐司がふと顔を上げて横を歩いている拓磨を見た。
「あっ、そうか。それ、今までのリベリオスの行動と矛盾するよね。奴ら、自分たちと関係のない人間達を使って町を荒らしていたでしょ?それって、もし事件になったときに自分たちに辿りつかせないためだよね。教頭先生が仮にリベリオスだとしたら、何でリベリオスの所持している場所で揉め事を起こすんだよ?それって、自分たちが関わっていることをアピールしていることと同じじゃないか。今まで隠していたのに、俺たちを殺すためとはいえ、そんなリスクのある行動するかな?」
大悟は祐司の言葉に黙ってしまう。そしていきなり、頭を掻きむしり、悲鳴のように声を上げた。
「つ、つまりどういうことだよ!?」
「リベリオスと教頭先生は、仲間ではないと考えた方が良いってことだ」
「じゃあ、教頭先生は無関係で俺たちの勘違いだということか?」
大悟はがっかりしてうなだれる。
「いや、関係はある。ある仮説が浮かんだ。その根拠もついさっき見つけた」
拓磨は、人差し指で額を軽く叩きながら呟いた。
「お~、仙人たっくん!略して『洗濯』!!ついに事件の真相をゴシゴシ洗ってピカピカに輝かせるときがきた!!」
「祐司、頼むからそのあだ名は止めろ」
ノリノリな祐司に拓磨は、ガクッと肩を落としていた。
「その仮説って何だ?パン屋」
「まず最初に、リベリオスと戦っているのは俺たちだけじゃない」
手始めに拓磨は第3者のことを挙げた。
「『第3者』だっけ?何やっているか、よく分からないけど友喜をライナー波の汚染から助けてくれたんだよね!」
祐司は、少なくとも敵としてみていないようだった。
「そうだ。少なくとも、これまでの事件に介入してリベリオスの被害を最小限に食い止めている……可能性のある存在だ」
拓磨は自信なさげに微妙な言い方で締めた。すると、大悟は何かに気づいたように目を開く。
「まさか、教頭が『第3者』とか言わねえよな?じゃあ、何で俺たちを罠に嵌めたんだよ?」
「罠に嵌める気なんてなかったんじゃないのか?監視カメラが付いているのに堂々と敷地に侵入して、ロックがしているシャッターを腕力でこじ開けるなんて対処のしようがないだろ?」
拓磨は、冷たい目で祐司と大悟を見る。2人は気まずくて拓磨から視線をそらした。
「じゃあ、あの倉庫は『第3者』の持ち物って事か?」
大悟の質問に拓磨はしばらく考え込み、口を開いた。
「だろうな。お前は、教頭先生が中に入っていくのを見たんだろ?」
「ま、まあ…そうだが。それなら、何でリベリオスは敵の所有している場所に刺客を送り込んだんだよ?」
「俺もそこは不思議なんだよね。俺たちを襲うこと以外に何か目的があったのかな?」
祐司も唸りながら大悟と一緒に考えていた。
そんな2人の様子を見て、拓磨は笑みを浮かべる。
「『第3者を疑わせる』……なんてどうだ?」
拓磨の意見に2人は一斉に視線を声の主に向けた。
「ははは、俺たちに第3者を疑わせて何になるんだよ?会ったこともない赤の他人だぜ?」
大悟は笑って否定したが、祐司は真剣な表情で拓磨を見た。
「俺たちがこれ以上強くならないように疑惑を覚えさせたってこと?第3者と合流しないように」
「それなら話が通るだろ?敵のアジトに敵が出てくるのは自然だ。この考えのとおりなら、倉庫の持ち主が第3者だとすると、お前達を襲ったアリを仕掛けたのも第3者だ。つまり第3者は敵ということになる。けど、その考えに至るようにするのがリベリオスの狙いだったら?」
拓磨の考えに一同押し黙ってしまう。
いつの間にか、3人は病院を通り過ぎ、街灯の明かりに照らされながら、ライトを点灯させた何十台もの車に横を通過され、町中を横切り、暗闇の中で亡霊のように佇む稲歌高校の近くまで辿り着いていた。
「パン屋、確認して良いか?その第3者が味方だって確証は?」
大悟の言葉に拓磨は首を横に振った。
「悪いが、証拠は無い。だから、俺の今の推理が間違っていることも十分あり得る」
「じゃあ何で第3者のことを信じるんだよ?」
「少なくとも、そいつは友喜を助けてくれた。そして、稲歌町で事件が起こってもそれほど大きな事件にならずに済んでいる。以前、稲歌町の住民がさらわれた事件でも大きな被害が起きずに事が済んだ」
大悟は、4月の誘拐事件が起きたとき家で寝ていた。当時存在していた相良組員を10人近く叩きのめして、学校から謹慎処分を下されていた。そのため、誘拐事件が起きたと言われてもあまりピンとこなかった。
しかし、そんな大悟でも世間に真相が報道されていないのは気になっていた。先月の不良の暴動だって、大量の武器が使われたにも関わらず、ただの不良グループの争いで済んでしまっている。
どこかで圧力がかかっているのは明白だった。最初はリベリオスかと思ったが、拓磨の話を聞くうちに第3者が行っている可能性も出てきた。
「たっくん、仮に第3者がこちらの味方だとしたら何で俺たちと関わりたくないんだろ?全身コートのマスクマンに『関わるな』って言われたんだよ?」
「それは…分からないな。何か事情があるのかもしれない」
また、沈黙が流れる。すると、突然大悟が大きく手を叩いて流れを断ち切った。
「よし!こうなったら無理にでも教頭を白状させて俺たちに協力させるしかねえな」
「霊長類はさすが霊長類だな。脳筋すぎていっそのこと頼もしいよ」
祐司は情けなくなって、涙を堪えるように目頭を押さえていた。
「パン屋、何かアイデアは無いか?」
最終的に拓磨にパスが飛んできた。
「その前に話は変わるが…祐司。『御神総成』という名前知っているか?」
「御神という言葉なら知ってるよ。世界有数の大企業グループでしょ?最近、この町にも関連企業が増えているみたい。そういえば、あの倉庫も御神の系列会社の持ち物だったな…」
祐司は、さっきの倉庫のことを思い出していた。
「パン屋、教頭の苗字は『栗原<<くりばら>>』だ。御神なんてどこにもねえぞ?」
「偽名を使っていたら?」
拓磨は提案してみた。
もちろん、偽名を使う場合はそれなりの根回しが必要だろう。だが、事件の隠蔽も行えるような第3者だとすれば可能であると拓磨は考えた。
「じゃあ、教頭の本名は『御神』だっていうのか?それで、偽名を使って学校の教頭として潜入していると?何のためにだよ!?」
「まだ、分からない。ただ、その教頭先生が関わっていた生徒が『御神総成』という名前なんだ」
「変だな~。そんな生徒、うちの学校にいたかな?大企業の関係者なんて、学校にいればすぐ広まると思うんだけど。まあ、それも情報を誤魔化しているのかな」
祐司は悩んで大悟を見るが、彼も顔を横に振った。
「俺のクラスにはいないな。とりあえず、そいつ見つけて白状させればいいのか?」
「『優しく丁寧に』な?」
拓磨は大悟に念を押して付け加えた。
「心配するな、分かっているって。じゃあな、お前ら」
大悟は、何度も頷くと1人帰って行ってしまった。
「あいつ、本当に分かっているのかな?」
祐司はでかい図体の大男の背中を不安そうに見つめながら、拓磨に尋ねた。
「もし、第3者がリベリオス相手に対抗しているなら、大悟でも簡単には捕まらないはずだ」
「たっくんは、御神総成という生徒が第3者だと思っているの?」
「証拠はないが…確信はある」
「どんな生徒?まさか、たっくんやあの霊長類みたいな大男!?」
拓磨はアゴを触りながらしばらく考えてしまった。
「剣道部の桐矢部長に似ているな。葵がご執心なあの人だ」
「うわあああ!!俺の1番嫌いなタイプだ!『全てにおいて完璧超人タイプ』!勘弁してよお~、霊長類もいるのにそんなのが増えたら、ストレスで廃人になっちゃうじゃないか~」
祐司は地面に膝を着き、悔しそうにアスファルトを叩き始める。
ストレス関係なく、もうすでに祐司は廃人なのではないか?
拓磨は、とっさに頭に言葉が浮かんだが、友人との円滑なコミュニケーションを意識してあえて言葉を飲み込んだ。
とにかく、味方は1人でも多い方が良い。それが第3者なら是非とも協力を仰ぎたい。ただ、なぜ彼らは俺たちと距離を置くのだろうか?
希望を抱きつつも、附に落ちない違和感を纏いながら拓磨と祐司と夜の通学路を歩いていった。

第3章「歪<<ゆが>>む推理とねじれた過去」
現在から数年前 稲歌町 中央地区 稲歌町立稲歌小学校 2年4組 教室
それは、華々しい入学式が終わったある春の1日だった。
新しいクラス、新しい友達、新しい授業。胸高鳴る春の陽気に打たれ、クラス中大騒ぎであった。
「みんな~、何やってるの!席に着きなさい!」
快活な張りのある声が、クラス内に響き渡る。そこには、白いシャツと薄く青みがかったスカートを履き、清潔感のあるショートカットの幼さを感じる可愛らしい女性が、教卓近くクラス前方のドアを開けて中に入ってきた。
女教師は、そのまま黒板の前までやってくる。
賑やかな声は自然と小さくなっていったが、クラス中央ではボサボサ髪で頬に切り傷が入った目つきの悪い児童が隣の男子児童の襟元を引っ張りちょっかいを出していた。小学校2年生にしては大柄な体格で上着とズボンはヨレてしわが入っている。おまけに足を机の上に投げ出して、自宅のようにくつろいでいた。
「ちょっと、三島君!先生の姿が見えないの!?」
「うるせえな!何しようと俺の勝手だろ!」
注意された児童の三島は、不遜な態度で女教師に暴言を吐く。
「な、何なの…その態度は…!」
女教師は、反論しようとしたが面食らったように声は弱々しかった。
「どうせ、口ばっかりなんだろ!?お前なんか怖くないや!」
その場の流れは、明らかに児童が支配していた。周りの児童も空気の重さと恐怖のせいか、誰1人口を出すことができなかった。
女教師は必死に口を開こうとしたが、なかなか言葉が出てこない。勢いですでに負けていた。年齢の差なんて関係なかった。クラス内にあってはならない、歪んだ上下関係が作られていた。
「失礼します」
そんな雰囲気を破るように、先ほど女教師が入ってきたドアから1人の男子児童が入ってきた。顔は女性と言われても納得するほどの美形で、髪はハリネズミのように尖り後頭部に流れていた。体は全体的にほっそりしていて背が高く青色のパーカーと紺色のジーパンを着用している。男子は、足早にクラスに入ってきた後、女教師の隣に立った。そしてクラス全体を見回した後、先ほど暴言を吐いた三島と目を合わせた。
三島は、謎の乱入者に男子を睨んだが、睨まれた児童は一瞥した後すぐに目を離す。
「ええと…今日転校してきたみんなの友達よ」
「御神総成です。今日からよろしくお願いします」
総成はペコリと頭を下げる。総成の容姿の素晴らしさに、女子児童からどよめきが走る。
「ええと、御神君は稲穂学級にいますが、体育の時間や学校行事などで皆さんと一緒に行動することになります。だから、これからよろしくということで今日は挨拶してもらいました。皆さんも仲良くしてあげてね」
「は~い!」
主に女子児童から了解の声が上がる。
総成は全員に笑顔を振りまくと、そのままドアから廊下に出ようとする。
すると、三島はチヤホヤされている総成が気に入らないのか、消しゴムを掴むとスナップを利かせて総成の顔目がけて投げつける。女教師が注意しようとしたが、すでに遅かった。
すると、総成は消しゴムに目もくれず、顔の横に右手を動かすと飛んできた消しゴムを掴み取る。
投げた三島も含めてクラス中の児童が呆気に取られていた。総成は、飛んできた消しゴムを見ると無言のまま席の間を通り、三島の前までやってくる。
三島は、目を背けていたが総成はにこやかに笑うと彼の机の上に消しゴムを置いた。
「キャッチボールが好きみたいだけど、次の休み時間やる?」
「や、やらねえよ!さっさと出て行け!」
三島は想定外の総成の回答に慌てて怒鳴りつけた。総成はクスクス笑いながら、三島を背にして廊下へと出て行った。
廊下では、茶髪にメガネをかけた青いTシャツと黒いズボンを履いた若い男性教師が笑顔で総成を待っていた。
「初日から人気者だな?」
「坂口先生、今日からよろしくお願いします」
「こちらこそ。それじゃあ、教室に行こうか」
総成は丁寧にお辞儀すると、坂口も機嫌良く彼を案内した。総成は笑顔で坂口の後ろを歩いていたが、背後で三島の罵声が再び響くと彼の笑みが消え、氷のように冷たい視線を教室に向けた。
「ん?どうした?」
坂口は、止まっていた総成に声をかける。
「いえ…何でもありません」
声を落としながら、総成は再び歩き始めた。
稲穂学級は、廊下の突き当たりにあった。児童の教室からだいぶ離れており、わざわざ会いに来なければ訪れる機会のない位置だった。
坂口が部屋のドアを横に開くと、後に続いて総成も中に入った。
教卓が黒板の前にあり、部屋の中央には机と椅子が4人分あった。
しかし、埋まっているのは1人分だけだった。
「飽田<<あくた>>、新しい仲間が増えたぞ!御神、飽田の隣に座ってくれ」
総成は頷くと、すでに座っている男子生徒の隣に近づいていき、席に腰を下ろした。
横にいる生徒は、総成の方を向いてにっこり笑っていた。顔が痩せていて、顔のあちこちに黒い染みのような着色が見える。服の上からでも体が華奢だと分かり、小枝のような印象を受ける。にっこり笑った顔も前歯が欠けているのが見える。
「御神、今日からお前と一緒に過ごす飽田だ」
坂口から紹介を受けて、飽田は右手を総成に差し出す。その差し出された手は、骨が浮き出ており、肉があまり付いていなかった。
長い間食事を取らずに痩せてしまった生徒なのかもしれない。家庭内で虐待でも受けているのだろうか?
様々な考えから総成は、一瞬握手するのをためらってしまった。
「僕のこと、怖い?」
「え?」
小さな声で、飽田が総成に尋ねた。不意を突かれて、総成は変な声を上げてしまう。
「怖がらせてごめんね。君、何だか女の子みたいに綺麗だから…。ごめんね、こんな体で」
飽田は手を引っ込めようとしたが、総成は慌ててその手をぎゅっと握った。
「そんなことないよ。気を遣わせてごめんね。僕は御神総成。これから、よろしくね。飽田君」
「四郎で良いよ。名前で呼んで、総成君」
ぎこちない2人の挨拶だったが、そんな2人に坂口は大きな拍手を送った。
「こんなすぐに打ち解けるとは、素晴らしいじゃないか!まあ、2人しかいない狭いクラスだ。お互い仲良くするんだぞ!」
初めて入った学校、初めて出会った先生、そして初めてできた友人。
このとき、総成にとって何もかもが新鮮で嬉しかった。これで、本当に自由に生活できていたら最高かもしれない。しかし、彼の学校生活はこの時点で素直に受け入れられるものではなくなっていた。
午前の授業を終え、総成は昇降口から靴に履き替え、外に出ていた。多くの児童生徒は、家から持ってきた食事を教室で食べたり、学校内の売店に買いに行っている。
この学校では給食は廃れてしまった。理由は保護者からの抗議だ。今までの給食製造元が他の市町村で食中毒事件を起こしてしまい、20名以上の児童生徒が病院に搬送された。
それがきっかけで保護者からの強い要望もあり、現時点では給食は中止となり、各家庭ごとに対応することとなっている。
総成は、学校生活での最大の楽しみが食事だったため、正直これにはがっかりしていた。
軽くため息を吐きながら、総成は昇降口から直進して校庭を横切ると、校門まで歩く。目の前には橋がかかっており、下には川が流れている。
橋の名前は…『学び橋』だったかな?良く覚えていない。
その橋を渡ったところに直方体のような形をした黒いセダンが、道路の端で止まっている。総成は、その乗用車に近づくと後部座席のドアを開き中に入った。
「どうでしたか?新しいクラスの居心地は?」
タキシードを身につけた白と黒の混じった髪の老人が、運転席からバックミラーを覗きながら総成に尋ねた。
「良いこともあったし、悪いこともあったよ。まあまあかな?」
「ほほほ、何事も経験ですよ。坊ちゃん」
老人は笑ったが、ムスッとした顔をしている総成に気づくと笑い声を引っ込ませた。
「それで、収穫はいかがでしたか?」
「ライナー波の反応は、学校から出ている。たぶん、リベリオスの拠点の1つだろうね。狙いはまだ分からないけど」
総成はポケットから小さなゴルフボールのような球体を取り出すと、手のひらの上に置く。するとゴルフボールは宙に浮き始め、ボールの壁面がレンズに代わりフロントガラスに向けて映像光を放つ。
車のフロントガラスには、学校内の映像が無数に映し出されていて、老人と総成はそれを眺めている。
「ざっと見たところ……宇宙人らしい人影はいませんね?」
「まあ、そんなのがいたら大騒ぎになるよ?けど、別の意味で大騒ぎしているのが1カ所ある」
すると、画面の1部分が拡大され、先ほど総成が入ったクラスが映し出される。大声で女教師を怒鳴りつけている児童の声が車内に反響する。
「教師に向けて罵声を浴びせるとは…礼儀の欠片もありませんな」
「いわゆる『学級崩壊』だよ、レオナルド。このクラス、以前から問題になっていたのかな?」
レオナルドはタキシードの胸ポケットから手帳を取り出すと、じっと眺める。
「騒ぎが起こり始めたのは、入学式が終わった後。つまり、つい最近の出来事のようですね。問題行動を起こしている児童は三島<<みしま>>一輝<<かずき>>。被害を受けている女性教師は沢渡<<さわたり>>七恵<<ななえ>>先生。この先生は、教師生活で初めて担任となったそうです」
レオナルドの報告に総成はため息を吐く。
「新米担任が早々に学級崩壊に巻き込まれたというわけか…。教師生活にも慣れてないから、この問題児をまとめるのは厳しそうだね。三島は、以前から教師に暴言を言っていたのかな?」
レオナルドは首を横に振った。
「問題児どころか、あまり目立たない生徒だったようですよ?入学式が終わって、急に性格が変わったようです」
異常とも言える急激な性格の変貌、ライナー波が影響している可能性はあるな。総成は、頬に手を添えながら、学級崩壊の映像を細い目で眺めていた。
「僕は、この三島をマークする。リベリオスのことは大事だけど、学級崩壊も放っておけないからね」
「かしこまりました。私はライナー波の反応を調べます。坊ちゃんの読み通り、ここが拠点の1つだとしたら、奴らの目的は何なのか?目的を知ることができれば、未然に防ぐこともできるかもしれません」
「よろしく頼むよ」
総成は、校内に戻ろうとドアを開こうとしたとき、ふと手を止めた。
「そうだ、飽田四郎という生徒について何か知っているかい?」
「おやおや、もうお友達ができましたか?」
レオナルドは笑いながら、総成をはやし立てた。
「友達になれたらいいなあと思っているよ。せっかく同じクラスなんだからね」
総成の明るい言葉にレオナルドは満足げに頷いていた。そして、メモ帳を開く。
「………どうやら、何か大病を患っているようですね」
「病気?…そうか、だから普通のクラスじゃなくて特別学級にいたのか」
「あまり人と触れ合いたくないのでしょう。人によってはそれが差別の原因にもなりますからね」
総成は、先ほど出会ったとき四郎の放った最初の言葉を思い出していた。
『僕のこと、怖い?』
失敗したな、彼に対してもっと配慮すべきだった。
総成は顔をしかめると、ドアを開けて外に出る。そして、ドアを閉め歩き出すとレオナルドは車を走らせ去って行った。
元々稲穂学級に入ったのは、あまり人と関わりたくないからだ。ライナー波について調べていることがバレたらその時点で終了だ。普通の人間ならライナー波の正体は分からないだろうが、リベリオスの関係者が校内にいる可能性もある。彼らに自分の正体を知られるのは避けたいところだ。
稲穂学級ならただでさえ人数は少ないし、僕の正体を知られる可能性も低くなるだろう。自由に調べる時間も普通学級よりはあるはずだ。
仕事が最優先。ただ…学校に来たからには友達を作ってみたいものだ。
やるべき事と自分のしたいことが総成の中でぶつかり合っていた。その気持ちを振り切るように総成は駆け足で校舎へと向かっていった。
1時間後、総成は稲穂学級で机に向かっていた。教科は算数。目の前には四郎が机に向かって算数のドリルを解いている。先生は部屋にいなく、自習となっていた。
総成は青いフレームのメガネをかけてドリルを解いている…ふりをしていた。実際には、宙に浮かぶ偵察用のボール型カメラを何台も校内に放ちライナー波の情報収集と問題児三島の監視を行っている。映像は全てメガネに送られる。
ちなみに外から見ても、ただのメガネにしか見えない。メガネを着用している本人にしか映像を眺めることはできないのである。
映像には三島は机の上に教科書を開き、あくびをしながら先生の授業を聞いている姿が映し出されていた。スポーツ刈りの男性教師が黒板にチョークで文字を書いているときも三島は目立った行動をせず、黙ってじっとしていた。先生に、前に出て問題を解くように言われても素直に従って、終わると素直に席に戻る。
総成は、黙って映像を眺めていた。
先ほど、教室で見た光景とはまるで別人だ。レオナルドの報告にあったとおり、目立ちもせず授業を受けている。先生が怖いから暴走しないだけか?
「ねえ、御神君。もう終わったの?」
目の前の四郎が急に声をかけてくると、総成は推理を止めて現実に引き戻された。
「えっと…一応終わったかな」
総成は自分の算数のドリルを四郎に見せる。
全20問、全ての問題に解答が書かれており、四郎は目を丸くしていた。
「まだ僕、2問目を解いているところなんだけど…。すごいね、頭良いんだね」
「早くできただけだよ。正解かどうかは分からない」
総成は目を伏せて小さく答えた。だが、心の中には確信があった。
『全ての解答は疑問の余地もなく正解である』と。
自信過剰と言えばそれまでだが、これはどうしようもない事実であった。
生まれて物心が付いたときから、ずっとこれは付いて回ってきた。どういう原理なのか理由は分からないが、総成にはふと『答え』が分かってしまう時があるのだ。
例えば、算数のテストを受けている最中、何かに取り憑かれたように頭がボーッとする時がある。すると、問題の答えがテスト用紙から突然浮き出てくる。後は、その上をなぞるだけだ。そうすれば全部満点。ミスなんて1つもない。
最初は気味が悪くてしょうがなかった。だが、何度もそんな体験をすれば慣れてきてしまう。最近はもう何も感じなくなっている。答えが出てきても『また出た』で済んでしまう。
はっきり言うとつまらないのだ。答えが間違っているならまだしも、絶対に正解となれば、最初から勉強する気なんて起きない。満点を取っても少しも嬉しくない。
だから、総成にとって苦痛の時間はテストの時間だった。勉強ができないから苦痛なのではなく、どうあがいても正解が分かってしまうから嫌なのである。
学校の勉強よりもリベリオスの調査の方が、やりがいがあるだけマシだった。
「ねえ、御神君は何で稲穂学級にいるの?」
「え?何でって言われても…」
突然、興味津々で四郎が総成の目をのぞき込んできた。
「あまり人と会いたくないからかな」
総成は心にあった言葉を素直に口にした。もちろん、仕事のためという理由がある。ただ、それ以外の理由も言葉は表していると思った。
「友達を作るのが嫌なの?」
総成は、四郎の問いに首を横に振った。
「人と会うとどうしてもその人と自分を比べちゃう。そしたら、自分がヘンテコな人間に見えちゃう。そう感じるのが嫌だから、会いたくないのかも」
「ふ~ん、それなら最初からヘンテコな人と友達になれば問題ないよね?例えば僕とか」
総成は正面の四郎を見つめた。黒ずんだ顔を見せながら、歯の欠けた顔に笑みを浮かべ、笑ってくる。
なぜ、彼は稲穂学級にいるのだろう?
四郎を見ながら、総成は心の中で考え込んでしまった。
稲穂学級は特別学級だ。学力が周りの生徒に追いつかないことやコミュニケーション能力が一般的な生徒より遅れているなどの理由で、普通のクラスでの生活が困難な生徒が入ってくる。
彼を見た限り、コミュニケーションに問題があるとは思えない。自分の姿に負い目を感じている様子も無いし、精神的には至って健康に見える。
総成は四郎の算数のドリルを覗いた。自分より遅れていたが全ての問題を解いていた。学力も劣っているとは思えない。
「僕と友達になりたいなんて生徒はいないよ」
「御神君は今まで友達がいなかったの?」
「心からそう思える人はいなかったかな…」
総成は悲しそうに呟いた。
作ろうとしなかったわけじゃない。ただ、何か周りとズレを感じてしまうのだ。自分から壁を作っていたせいか、いつの間にか1人になっていた。
総成の変化を気にかけて、四郎は口を開いた。
「じゃあ、僕が君と友達になるヘンテコ1号になろう」
四郎は細い手を差し出してきた。今にも折れそうな手だったが、それは不思議とたくましく見えた。
この学校での自分の役割はリベリオスの調査だ。それが終われば、奴らを追って次の所に行くこととなる。
しかし、稲穂学級で生活する以上周りに不審な目を向けられるのはまずい。どこにリベリオスの手先がいるか分からないからだ。ライナー波の反応は、四郎君からは感知されていない。彼と友達になることは今後、情報を集める上で都合が良いかもしれない。
「じゃあ、お願いしようかな」
打算的な考えで総成は彼の手を優しく握った。あくまでも利益だけを求めた関係だ。それなのに、彼の手を握ると何だか暖かいものが体を満たしていく、そんな心地になれた。
こうして、小学生の御神総成に友達ができた。彼にとって、とても大事な意味を持つ友達ができたのだ。

時は戻って現在 稲歌町 中央地区 ビル群路地裏 午後8時21分
大悟達と遭遇した後、総成はとある路地裏に来ていた。明かりが届かない真っ暗な場所でステルス迷彩を起動させ透明になり、ビルの壁にもたれながら座っている。
すると、一匹の猫が彼の元へ歩いていく。すると総成の体に当たってしまい、驚いて走り去っていく。透明な壁にいきなり激突したのだ、驚いて当然だった。
「坊ちゃん、そろそろ終了時間です」
レオナルドの言葉が頭に響き、総成は閉じていた目を開けた。ゆっくり体を起こすと、周囲を見渡す。
「お疲れのようですね?」
『……懐かしい夢を見ていたよ』
アイオーンの言葉に総成は口に出さず心の声を返した。
「総成、人手はいる?」
レンの声が通信で頭に響く。彼女はスマートフォンになって、総成の腕のフォルダに格納されていた。
『人の姿にはならないで欲しい。目立ったら終わりだからね。ごめん』
総成はすまなそうにレンに呟いた。
総成達はホームレスを追っていた。レオナルドとアイオーンの調べによると、中央地区のビルにホームレスを雇って経営している中華料理店があるそうだ。犯行現場からそれほど離れていない。この前の事件の被害者について、同じホームレスなら何かを知っているかもしれない。そして、もし知っているのだとしたらリベリオスに狙われる可能性も高い。身寄りの無いホームレスは駒として使うには最適だ。いきなり消えても警察の調査が入るまで時間がかかる。調べられない可能性だってある。
前回の役場への侵入もそれを利用したのだろうか?
すると、ビルの壁に取り付けられたドアが開き、中から明かりが漏れてくる。総成は隠れもせず、音を出さないようにして立っている。
すると、手にビニール袋を下げて、しわくちゃな帽子とコートを身につけた老人が出てきて総成の方を向く。しかし、何事も無かったかのように総成の方に歩いてくると目の前を通り過ぎて、路地裏を去って行く。
『これから、尾行する。彼らの行き先は近くの公園かな?』
「5人ほどで公園の片隅を使用しているそうです。町から何度も注意されたようですがなかなか出て行かないようです。収入もあるのに、どうして部屋を借りないのでしょう?」
レオナルドは報告しながら疑問の声を上げた。
『ホームレスに部屋を貸す人を見つけるのも大変だと思うよ?それにこの辺りは部屋の料金も安くないし』
「ああ…なるほど。弱者はいつも犠牲になりますからね」
『所有しているアパートの賃貸料を下げて、彼らが借りられるように手配してくれないかな?無料で貸しちゃ駄目だよ。あくまでも彼らの働く意欲を促すようにしないとね』
「早急に手配いたします」
総成の指示にレオナルドはすぐさま了解した。
総成は、きらびやかな大通りに出るとトボトボと歩道を歩くホームレスの背後を尾行していった。
透明になっているので、隠れる必要はない。音を立てないように注意すれば良いだけだ。
しばらく歩道を歩いていると、老人は右折した。そこはテニスコート2面分くらいの公園だった。中央に砂場と滑り台が配置されており、左右端にブランコとジャングルジムが置かれている。
最近は、町のあちこちに公園ができるようになった。町としては子どもたちと保護者の憩いの場として利用して欲しいそうだ。現実では、家無き人たちに利用されていた。
「それで、どうやって情報を聞き出すのですかな?」
『一般の立場の人なら相手にされないだろう。だから、特殊な立場で行う』
総成は公園の中に入ると茂みに隠れて、警察官の制服に画像を切り替えた。顔は適当に中年らしい顔を見繕って映像をマスクに貼り付ける。もちろん、警察手帳の準備も万端だ。当然、偽物だが。
そして何食わぬ顔で出てくると、先ほどの老人を探す。
すぐに見つかった。公園の端で3人の仲間と酒盛りを始めようとしていた。ビニール袋の中身は酒だったようだ。
「お楽しみのところ、すいません。ちょっとお話よろしいでしょうか?」
総成は声をかける。ホームレスの目は一斉に総成に向けられる。ムードをぶち壊されたようでこちらを睨み付けていた。
「稲歌警察署の者です」
総成は偽の警察手帳をポケットから取り出すと、ホームレスに見せる。すると、彼らは総成を無視して場所を移動しようと立ち上がった。
「『お話』を聞かせてくれませんか?」
総成はわざと言葉を強調した。
「話なんか俺たちにはねえよ。特に警察の人間にはな」
先ほどからずっと追ってきた老人が、憎しみを込めて言葉を叩きつけた。
「へえ…警察は嫌いですか?」
「ああ、そうだ。人が死んでからじゃないと動けない無能なんか誰が好きになるんだよ?」
総成の冷めた言葉に老人は噛みついてきた。
「ほお…それじゃあ皆さんは知っているわけだ。この前起きたホームレスの死亡事件を」
ホームレスは口を滑らせたことを後悔するように俯いた。総成はニヤリと笑う。
「亡くなったホームレスの方は皆さんのお知り合いでしたか?」
「知らない…」
「あれはもしかしたら殺人事件かもしれないんですよ。だからこうして、聞き込みをしに来たわけですが、ちゃんと話してくれないと犯人を逮捕できなくなってしまいます。もしかしたらホームレスを狙った殺人事件かもしれないのですが…皆さんが協力してくれないなら帰るしかないですね?」
老人の言葉を遮り、わざと総成は大声で忠告した。
「何だよ、脅しかよ?」
「私は事実を言っただけですよ。脅しと受け取られたなら申し訳ありません」
少しも詫びる気持ちを込めず、総成は謝った。そして胸ポケットから写真を取り出すと公園内の電灯で写真がよく見えるように見せつける。
「死亡時の写真なのでショッキングかもしれませんがお許しください。この方、見覚えありませんか?」
部屋を調べたときにボールカメラの映像の一部を切り取った写真だった。老人のホームレスは渋々立ち上がると、総成の手から写真を奪い取り電灯に当てて良く眺める。他のホームレスも立ち上がり、それをのぞき込んだ。口々に息を飲む声が漏れ出す。
「……何で中毒なんかで死んだんだよ…。馬鹿野郎」
老人は吐き捨てるように呟いた。
「ご存じ……ですね?」
「ああ、『先生』だよ。俺たちはそう呼んでた」
総成に写真を投げ返すと、老人は再び座って酒を飲み始めた。
「『先生』?それはただのあだ名ですか?」
「違う。そいつは昔、先生をやっていたんだと。だから、『先生』って呼んでいる」
被害者が、教師だった?
総成は、初めて聞く事実に総成は考え込んでいた。
「どこで教師をやっていたか知りませんか?」
「さあ、そこまでは聞かなかったな。ただ、この町でやっていたんじゃねえのか?奴と話したときはずっとこの町の話ばかりしてたからな。そして、何かトラブルに巻き込まれて教師をやりづらくなって辞めたんだと。そこから色々やってみたけど、どれも長続きしなくて、あとは俺たちの仲間入りだよ。最近、『良い仕事が見つかった』と言って、いなくなったかと思えば…」
「死体になっていたというわけですか」
総成が老人の言葉を締めた。
「きっとヤクザにでも騙されたんだよ。馬鹿な奴だよ、先生やっていたんだから塾の講師でもやれば良かったんだ。楽な仕事探して、命まで失うなんてアホらしいだろ?」
総成はじっと老人を見おろしていた。
「おっと、正義の味方の警察官様の前では言っちゃいけなかったかな?もういいだろ、町民の勤めは果たしたんだからさっさと帰れよ」
総成は写真をポケットに入れた。
「ご協力ありがとうござ…」
総成が感謝の言葉を言いかけたとき、突然耳にマスクの警報音が鳴り響いた。総成は左に横飛びする。すると、先ほどまで自分が立っていたところの地面に軽く土煙が立った。
ホームレス達は、総成の謎の動きに呆気に取られていた。
「いきなり跳ねて、どうしたんだ?」
総成は何も答えず、公園の反対側にある建物を注視した。
撃たれた。しかも狙いはホームレスではなく、僕だった。
数秒後、6階建ての箱形ビルの屋上からこちらに向けられた銃口に目がとまった。距離は直線で500メートル近くあったが、マスクの索敵機能のおかげで簡単に見つけることができた。銃口の向きを見て、ホームレスではなく自分を狙っていることが分かる。
総成は、そのまま背中に手を回す。すると、腰辺りから白いボールが生まれて飛び出すと総成の手のひらに落ちる。そして、そのまま放すと白いボールは真っ逆さまに落下して、地面で割れた。
途端にものすごい煙が周囲に充満し、総成はおろかホームレスの姿も見えなくなる。同時に総成は前に飛び出した。耳元で風を切る音と共に背後でまた土煙が現れる。そのまま、ステルス機能を使って透明になると、瞬間的に宙に浮くボールを胸部から前方に射出し、総成はあっという間に空を飛んでいた。
すぐにビルの屋上まで辿り着くと、着地と同時に前転して衝撃を和らげ、そのまま周囲を見渡す。
空中にできた虹色の穴が消えかけていた。
総成は、穴に近寄ろうとするが、消えてしまう。
「坊ちゃん、大丈夫ですか!?」
レオナルドが心配そうに総成に尋ねた。
『僕は何ともない。ただ、少し驚きだな』
総成は、銃が置かれていたと思われる屋上の手すり付近を調べる。
「驚きって?」
レンが総成に尋ねる。
『今回の狙撃は前回と違って、距離がだいぶ離れている。おまけにターゲットは、僕だ。狙撃という手段がこちらに知られている以上、別の手段を考えてくるかと思ったんだが、どうやら相手は自分の腕にずいぶん自信があるようだね』
総成はふと足を止めると、地面にしゃがみ込んだ。再び立ち上がったとき、彼の手のひらには小さな流線型の容器が握られていた。
『薬莢だ。さっき発射された銃弾のものだろう。今回は回収する暇も無かったようだね。ようやく敵もボロが出たかな?』
総成は、手のひらに薬莢を置くと、そのまま手のひらが光り輝き分析を始めた。
『……妙だな?』
頭に飛び込んでくる様々な解析データを確認しながら総成は不審な声を上げた。
「確かに妙でございますな、総成坊ちゃん。これはライナー波で生成されたものではございません。この地球で作られたものです」
アイオーンが分析結果を簡単に説明した。
『ライナー波で作ったならば、そもそも痕跡を残さずに済む。なのに、今回は痕跡を残している。どういうことだ?』
総成は、手に持った薬莢をじっと見つめたまま考えていた。すると、それを邪魔するように遠くの方からパトカーのサイレン音が響く。
『さっきのホームレスが通報したかな?「怪しい警察官に煙を浴びせられた」って』
総成は茶化して、さっき自分たちが公園を見た。すでに煙が無くなっていて、公園前でパトカーから降りた警官とホームレスが揉めていた。
「坊ちゃん、そろそろお帰りになってください。今日の冒険はもう十分でしょう?」
『そうだね、今日は帰るよ』
レオナルドの言葉を受けて総成は手に持っていた薬莢を床に捨てると、屋上から飛び降りる。そのまま地面寸前でコートを広げて減速して安全にビルの裏にある路地に着地した。
「おや?今日は素直ですね」
『僕はいつでも素直だろ、レオナルド。それにちょっと調べたいことがあるんだ』
茶化した声から一転、いつになく真剣な声を出した総成にレオナルドは何も言わなかった。
うまく言葉にはできなかったが、総成は妙な違和感を感じ始めていた。確実に犯人の足取りは追えているはず。それなのに、胸が苦しくなるような圧迫感を感じる。
こちらの行動が全て見張られているような感覚だ。
気のせいであると必死に自分に言い聞かせながら、総成は夜の闇に消えた。

同日 某時刻 リベリオス本部 ジークフリードの執務室
その日はいつにも増して静かな夜だった。
壁全体を本棚で囲まれ、部屋の中央には来客用のソファーが相向かいで置いてある。その奥には、本棚の前に幅3メートルほどの大きな木製の机が鎮座しており、机の上には書類が束となり置かれていた。
ジークフリードは、整えられた白髪と無精髭をいじりながら、老眼用のメガネを着用して1枚1枚資料を眺めている。服は茶色いガウンコートを着用している。
左手で資料を持ち、右手でマグカップを揺らしながら琥珀色の紅茶に波を立たせている。
しばらく、すると左奥の壁にあるドアからノック音が鳴った。
「…どうぞ」
ジークフリードは扉を眺めながら答えた。
「失礼します」
中に入ってきたのは長身の男だった。全身黒ずくめの戦闘服を着用しており、頭は目出し帽を着用して、表情が分からない。男は部屋を横切ると座っているジークフリードのもとへと歩いてくる。
「ただいま帰還いたしました、大佐」
「ご苦労。ところで、1つ聞きたいのだが」
ジークフリードは、メガネを外しながら男を見上げた。
「いかがしましたか?」
「……部屋の中くらい、その目出し帽は外したらどうだ?アーロン」
ジークフリードは笑いながら立ち上がるとマグカップを持って目の前にあるソファーに座り、向かいにアーロンを座らせた。
アーロンは、大佐に促されて帽子を外した。中からは切り傷だらけの顔と鋭い眼光、少ししゃくれたアゴを持つ不気味な容貌が現れる。
「すみません、あまり人の前に顔を出すことは慣れていないので」
「確かに顔が割れると色々面倒だからな、特に我々軍人は。背景に溶け込む必要のあるスナイパーなら尚更だ」
ジークフリードは紅茶を口に含む。そしてマグカップを目の前のテーブルに置くと、口を開いた。
「成果は…お前のことだから上々だろう?」
「ご命令通り、第1射は私が行い、それ以降は協力者に任せました」
アーロンは淡々と答えた。
「わざわざ済まないな。絶対にしくじるわけにはいかないので、お前を頼りにさせてもらった」
「正直、あんな近距離で狙撃することになるとは思いませんでした。しかも弾丸ではなく針を」
アーロンの戸惑いの言葉にジークフリードは小さく笑みをこぼした。
「まあ、茶番だと思われてもおかしくないからな」
ジークフリードの笑顔にアーロンは首をひねっていた。
「大佐、質問を許可いただけますでしょうか?」
「良いとも、許可しよう。それとそんなに固くなるな、ここは軍の会議ではないんだぞ?」
ジークフリードはアーロンの態度を窘めた。
「…暗殺ならば、狙撃よりも効果的な方法があったのではないでしょうか?それに、わざわざ事故死に見せかける必要は何なのでしょうか?」
「ふむ…なるほど。もっともな質問だな。そもそも、今回の騒動、わしの目的は何だと思う?」
ジークフリードはまた紅茶を飲みながら、アーロンに逆に問いかけた。アーロンはしばらく黙っていると、何かに気づいたように目を開いた。
「この前、大佐は司令達が集まる場で仰っていました。『第3者』が関わっているのではないですか?」
「もう答えだ。その通りだよ、『第3者を表舞台に引きずり出したい』。それこそがわしの目的だ」
ジークフリードは立ち上がると、執務机の上にある紙を手に取りアーロンに差し出した。アーロンはそれを受け取ると、上から眺めていく。右上には写真が載せてある。綺麗な顔立ちをしたヤマアラシみたいな髪の男性だった。
「『御神総成』……。これが第3者ですか?」
「そうだ。高校2年生、実家は金持ち。テストは全て満点。運動神経も抜群。見た目も美形。笑ってしまうほどの完璧超人。まさに隙を生じぬ4段構え!唯一の欠点は友達がいなく、学校は不登校気味。だがしかし、その正体は町を守る正義の味方!」
「芸能事務所の俳優の宣伝ですか?それにしても今日はご機嫌ですね、大佐」
劇の1場面のようにノリ良く発声するジークフリードに、アーロンは冷静に淡々とツッコミを入れる。
「まあ、ここまで小説の主人公のような要素が揃っているとノリ良くいかないとやってられんよ」
「あなただって惑星フォインの伝説じゃないですか?」
上司を気遣い、アーロンはさりげなくフォローを入れる。
「惑星フォインの伝説の『影が限りなく薄い方』だぞ?人気投票をやってみろ、全員シヴァに入れる。金を賭けても良い」
ジークフリードは、ふてくされながらソファに乱暴に腰掛ける。
「…あの人は真正面から鉄拳で何でも解決できますからね。素直に格好良いですよ」
「その発言は、まるで私が格好良くないように聞こえるぞ?」
固い空気がほぐれ、いつの間にか2人は笑い合っていた。
「それで…なぜ殺さないんですか?どう考えても第3者は障害でしょう?」
アーロンが突然話を真面目に戻す。ジークフリードは笑みを浮かべたまま、紅茶を飲んでいた。
「殺す予定がないからな。少なくとも今は」
ジークフリードは簡単に答えた。アーロンはすかさず口を開く。
「この男のせいで地球での活動がしにくくなっています。技術レベルなら、我々を超えているかもしれない。油断すれば、探知されて本部も発見される可能性があります」
「こちらの技術は、まだ優位性を保っている、それにお前はそんなヘマをしないだろう?だから、お前を派遣したのだ」
ジークフリードは全く問題にしていなかった。紅茶をすする彼をじっと見つめながら、アーロンは頭を振る。
「分かりません。大佐、本当の理由は何ですか?」
「だから、さっきも言っただろう?『第3者を表舞台に引っ張り出す』だ」
「表に引きずりだして、どうするというのです?」
ジークフリードは、ようやく紅茶を飲み干すと、ゆっくりとマグカップを目の前にテーブルに置き、手を前で組んだ。
「彼には強くなってもらわなければならないのだ。今より、もっと強くなってもらわないとな」
言葉を発した瞬間、ジークフリードの目が急に生気を取り戻して輝いたようにアーロンは感じた。対峙しているだけでその眼力からは目が離せなくなる。見る者を惹き付けて放さない、危険な参謀の姿がそこにはあった。

翌日 午前1時3分 稲歌町北部 御神邸
一面が白色の部屋の中、空中に何百ものモニターが浮かんでいた。数字の羅列が並んでおり、上から下へと滝のように流れていく。
その中心で、レオナルドの視線が手元の紙と目の前のモニターを幾度となく往復している。
「状況は?」
タキシード姿のレオナルドの背後から、聞き慣れた声が届いた。見ると、帰宅した全身武装の総成が早足でレオナルドに近づいてくる。その後ろを携帯電話から人の姿へと戻った青く輝く髪を持つレンが、追いかけてくる。
「怪我はございま…」
レオナルドが総成の身を案じて言葉をかけるよりも早く、総成は彼の持っていた紙を奪い、眺める。彼の黒いマスクの前には無数の文字が現れては消えていく。
「はあ…自分の身よりも襲撃者の情報が大切とは、ずいぶん仕事熱心でございますね?」
レオナルドの皮肉も今の総成には届いていなかった。
「……『M80普通弾に類似したもの』。」
総成は報告を読み上げる。すると、目の前のモニターに薬莢の映像が表示された。視線をそちらに向ける。
「『M80普通弾』?自衛隊で採用されているライフル弾の規格?」
レンは知識をまじえて淡々と質問した。
「そうです。日本人に合わせて作られたライフル弾と言っても良いでしょう。ただ…そうなると入手経路が問題になってきますな」
レオナルドはレンの言葉を繋いだ。
「単純に考えれば自衛隊員だ。だが、警察関係者でも使っているところはある。特殊チームの狙撃隊員もありえる。アイオーン、御神グループの警察及び自衛隊関係者データベースから検索できるか?」
「可能ですが、候補が多すぎます」
モニターからアイオーンの電子音声が響き渡り、総成の問いは一蹴される。そのまま、総成はアゴに右手を当て考え始めた。
スナイパーの狙いはあきらかに僕だった。敵は、僕がホームレスを訪ねることを予測していた。つまり、狙撃した地点はあらかじめ犯人が下見に訪れた可能性がある。
「狙撃地点周辺の閲覧可能な監視カメラの映像を確認してくれ。僕たちが捜査を始めた時からビルに入った人は?」
「……怪しい方がございました。この方です。昨日の夜10時頃の映像です」
すると、目の前に1人の男の姿が目の前に表示された。レンガが敷き詰められたように見えるビルの正面玄関にゴルフバックを背負った黒いジャケット姿の男が、足早に自動ドアを抜けてビルの奥に消えていく。背景が夜、さらに顔は帽子で隠れており、よく分からなかった。
「顔が見えませんね。おそらく監視カメラを警戒しているのでしょう」
レオナルドは冷静に分析する。
「アイオーン、ゴルフバックの中身はライフルか?」
総成は期待を込めて尋ねた。もし、そうならこの男が狙撃犯の可能性が高い。
「この映像だけでははっきり言えません。ただ、このゴルフバックに注目すると面白い変化があります。1時間後、この男はビルから出てきます。これがその映像です」
再び映像が流れた。暗闇の中、ビルから自動ドアを通って男が出てくる。その男の背からはゴルフバックが消えていた。そして、そのまま足早に監視カメラの前から消えた。
「ゴルフバックが無くなっていますな」
間違え探しをするように2つの映像を見比べながら、アルフレッドは陽気に答えた。
「ああ、おそらくビルのどこかに置いたのだろう。後はタイミングを見計らって現場で狙撃するだけだ。中身はやはりライフルだったのかな?」
「まあ、ゴルフクラブとは考えにくいでしょうね」
総成の推理をアイオーンがサポートした。
総成は、再び推理を始めた。
仮にライフルが入っていたとしよう。犯人は僕を撃った後、すぐに現場から逃走した。逃走経路は2つ。ウェブスペースに逃げた、あるいは屋上からビルの中に入った。
リベリオスの人間なら、逃走経路は前者だ。
ただ、それだと現場に残されていた薬莢が気になる。
今回、銃弾はライナー波で作られたものではない。もしかしたら、銃を撃ったのは人間かもしれない。そうなら、ウェブスペースに行くことは考えにくい。あそこは何の対策もせずに行ったら、人間なら発狂する場所だ。
そうなると、犯人はビルの中に逃げたのか?つまり、消えかかっていたウェブスペースへの扉は、こちらを騙すための偽装。
そこまで、考えた総成の頭に狙撃現場で聞いたパトカーのサイレンが思い起こされた。
「もしかしたら、パトカーを呼んだのは犯人かもしれない。理由は僕たちを現場から遠ざけるためだ」
「なるほど。ライフルを持ち込んでいたら、現場にはライフルが隠されていたはずですからね。坊ちゃんたちに早く出て行ってもらいたかったのでしょう。いつ発見されるか、ビクビクしていたはずです。ただ、そうなると今度は警察が乗り込んできますが…」
レオナルドは悩んでしまう。そんな彼を見て総成が切り出した。
「もし、それを犯人が望んでいたら?警察が来たら、現場に警官がいても違和感がないだろ?」
「警官に紛れて現場から逃げたってこと?」
レンは総成の答えを繋いだ。総成は大きく頷く。
「アイオーン、条件を追加だ。『発砲後、駆け付けた警察官を誘導して現場からいち早く離れた警察官は?』」
「確認できました。どうやら、堂々と警察署に戻ったそうです。顔写真と個人情報を表示します」
すぐにアイオーンが回答すると、目の前の画面に1人の男が現れる。
黒いボサボサの髪の毛、頬がこけて黒ずみ、頬骨の出っ張った四角い顔、目の下には隈ができており、睡眠不足、栄養不足に見える。口は強く噛む癖があるのか、少し歪んで見えた。
毎日まともに生活を送っていてなれる姿とは到底思えなかった。
「この人、本当に警察官か?不眠症に陥っているように見えるんだが」
「坊ちゃん、見た目で判断するなんて失礼ですよ。人それぞれ事情があるのでしょう」
レオナルドは、総成をいさめると写真の画像を弾くと経歴の画面をアップにして読み始めた。
「『石狩<<いしかり>> 辰一<<たついち>>』刑事。稲歌町警察署に10年以上勤務。身長150センチ、体重47キログラム。結婚歴なし、子どももなし。現在、殺人事件を専門に扱っているそうです。特に表彰された経歴もありません。銃に関する賞も1つもありません。本当に狙撃なんてできるんですか、この方?撃った瞬間逆に吹き飛びそうですけど」
「レオナルド、見た目で判断しちゃダメ」
レンはピシャリと叱った。
「皆様、これは偽の経歴です」
パニックに陥っている一同にアイオーンが事実を伝えた。
「なるほど。特殊チームの隊員ともなれば、個人情報は特に重要に扱わなくてはいけない。あくまで表向きに刑事として経歴を作っておいて、本当の経歴は別にあるということかな?」
「はい。本物はこちらになります」
アイオーンが改めて見せた写真には、優しそうな顔をした目じりの垂れた男性の姿があった。髪は短く刈り上げられている。眉も丸みを帯びて曲がり、鼻は尖っているように見えた。髭は青く跡が残っており、刈り払われている。
先ほどの写真と比べて明らかに人間であった。むしろ、さっきの写真が宇宙人を撮影したように総成は思えてきていた。
『石狩 辰一』。
38歳、独身。特殊急襲部隊・狙撃班に所属。警察主催の全日本射撃コンテストで3位入賞。卓越した技術と作戦遂行に必要な精神力を兼ね備え、異例の人事異動で近々警視庁に異動予定。警視庁特殊急襲部隊に編入予定。
「へえ~、警視庁の特殊チームに異動予定か。こんな田舎から、大出世だな。よほど優秀な人材なのだろう」
総成は見事な経歴に感心してしまった。
やはり、腕が良いから本庁にヘッドハンティングされたのだろう。しかし、だとしたら余計に不思議だ。
何で僕を狙撃したんだ?世間にバレれば、人生の破滅だ。それにもし、リベリオスに関わっているとしたら奴らがこの男を選んだ理由は何だ?
「どうやら、この方はただ腕が良いから出世するわけではないようです。近々、結婚されるみたいですよ。お相手は警視庁 警視監の1人娘だそうです」
「コネもバッチリ」
レオナルドの補足内容にレンがオチをつけた。
仕事もできて出世も約束された結婚相手。順風満帆の人生だ。
だから、総成はなおさら気になっていた。
「何で、僕を撃ったんだ?」
総成は心の声をそのまま口に出す。
「リベリオスの事件を捜査していたから…でしょうか。そうなるとこの方はリベリオスの協力者となりますが」
「それで、わざわざ狙撃?殺すにしても周囲にバレない方法はいくらでもあると思うが。確かに狙撃が本職なのだから本人にとっては1番確実な方法なのだろうけど」
レオナルドの意見に、総成は自分で理由をつけて自分を納得させていく。
「まあ、相手が総成坊ちゃんだから何事もなく済んでいますが、本当なら高校生狙撃事件で新聞の一面に載っていますからね」
アイオーンは冗談を含みながら状況を分析した。
確かにアイオーンの言う通りだ。あの時、狙撃は精確だった。確実に相手はこちらを殺しにきた。本当ならすでに死人が……出ているじゃないか。
「いや、すでに死人が出ている。役場にロボットを送り込んだ元システムエンジニアだ。中毒死だったけど、あれも狙撃によるものだ。それをこの男がやったとは断定できないが、2つの事件が無関係だとは思えない」
「亡くなった彼は確か元教師ということでしたね。アイオーン、石狩刑事と亡くなった方、2人に共通点はありますか?」
レオナルドは、総成の推理を引き継ぎ、アイオーンに尋ねた。
「直接的な接点は見当たりません。ただ…」
無機質なアイオーンの声が次の句を継ぐことができずにどんどん小さくなっていき、ついには黙ってしまった。
「『ただ…』、何だ?」
総成は目の前の画面に向かって尋ねる。何も返答が返ってこない。
「…アイオーン?」
心配になってレオナルドは声をかけた。
「申し訳ありません。現時点では正確な情報をお渡しできません」
ようやく生まれた第一声は謝罪だった。
総成は、違和感を感じながらも無理に答えを聞くようなことはしなかった。分析中の回答を聞いても仕方がない。確実に答えが出ることを待つことにした。
「よし、とりあえずこの警察官を調べてみよう。リベリオスと繋がっていることも考慮して、捜査は慎重に行う。まずは彼の交友関係から…」
「坊ちゃん、少々よろしいでしょうか?」
計画を立て始める総成にレオナルドは、唐突に割り込んだ。
総成は不思議に思いながら、言葉を中断してレオナルドの顔を見つめる。その顔は、笑み1つ浮かばず、冷静にして真剣そのものだった。
「坊ちゃんは、しばらく捜査を控えたほうが良いかと思います。少なくとも、この男の身元捜査は我々が行った方がよろしいと判断します」
ハッキリと述べられたレオナルドの提案。今までのように茶化したり、甘い含みや皮肉はなかった。絶対に自分の意見を押し通すような強固な意志を総成は感じた。
「……何を言っているんだ、レオナルド?犯人が分かったんだぞ?」
「その犯人に坊ちゃんは狙われているのです。我々の推理は外れていました。狙いはホームレスではなく、坊ちゃんだったのです」
レオナルドの言葉を聞いた瞬間、総成はおもわず鼻で笑った。
「ふふ、今更何言っているんだ?『推理』はあくまで『推理』だ。現時点での証拠を元に立てた推測、ただそれだけだ。新しい証拠が出ればそれを元にさらに推理を立てるだけ。あくまで目安に過ぎないんだ。そんなのあなたがよく分かっていることだろ?」
「前提が覆ったのですよ?しかも今までとは全く異なる動きです」
「……はっきり言ってくれ」
総成の顔から笑みが消え、冷たい眼差しと苛立ちが顔に出始めていた。そんな総成に顔色1つ変えず、レオナルドは話を始める。
「今まで、リベリオスは一般人を対象にライナー波の介入を行ってきました。我々は、あくまでその阻止に動いてきました」
「今回も同じことだよ。これ以上、一般人に被害が広がらないように犯人を止める。ただそれだけだ」
淡々と機械のように答えた総成に対し、突然レオナルドの喝が飛んだ。
「いいえ!今回のリベリオスの狙いは坊ちゃんです!今まで、オマケとして対処してきた我々への対応がついに本腰を入れて行われてしまった。だからこそ、慎重に動かなければならないのです!」
「だったら、尚更僕が動く必要があるだろう!それにそっちの方が都合が良い、むしろ願ったり叶ったりだ!僕が狙われるということは、少なくとも他の住民は安全だということだ。リベリオスの狙いを全て僕に向ければ、被害を最小限に食い止めることができる!」
「その浅い自己犠牲観は、一刻も早く捨ててください。いたずらにご自身の命を危険にさらすのは金輪際止めていただきたい!」
「薄っぺらくて結構!僕の命でリベリオスを滅ぼせるのなら、喜んで差しだそう!」
いつの間にか、言葉の起爆場と化した地下の部屋で高校生とその保護者の言葉の応酬が続いた。アイオーンはどのように2人を止めたら良いのか悩んで言葉をかけられないでいる。しかし、2人の間に突如青い影が割って入った。
「喧嘩はダメ。もう夜中。近所迷惑も考えて」
「…近所迷惑と言われても周囲に民家は無いよ、レン」
総成は、怒りを突然かき消されて、苦笑しながらレンに事実を告げた。
レンは大きく目を見開くと、30秒近く電源が落ちたパソコンのように硬直してしまった。そして、やっと絞り出した文章が1つ。
「場を和ませる仲裁にそんな鋭いツッコミはいけないと思う。してくれた人に失礼だと思う。むしろ、見ないふりをするのが大人だと思う。それにこれは…こ、…こと、……言葉の綾」
「良かった。それ以外だったら幻覚を疑いますよ、レン様」
レオナルドも突然の乱入に怒りの矛先を見失って、笑い始めていた。
そして、総成とレオナルドはお互いを見つめると、同時にため息を吐いた。
「分かったよ。しばらく高校生として普通の生活を送っているよ。それで敵の目を惹き付けておく。これで文句ないだろ?」
「普通も何も当たり前のことですよ、坊ちゃん。こちらのことは全てお任せください。望み通りの成果を出しておきますよ」
「ああ、あなたはいつもそうだから何の心配もしてないよ。じゃあ、明日も早いんでおやすみなさい」
総成は、振り向かず怒鳴るように言葉を部屋中に反響させて地上へと昇降装置で上がっていった。
置いていかれたレオナルドは仲裁してくれたレンに頭を下げた。
「色々ご迷惑をおかけしました、レン様」
「喧嘩は嫌だから。ただ、それだけ」
レンはぶっきらぼうに言い放つ。その後、総成の後を追って部屋を出て行こうとする。そして、突然立ち止まると振り向いてレオナルドに尋ねる。
「レオナルドは、総成のこと大事?」
「当然じゃないですか。いきなり、どうしたんです?」
レオナルドの言葉を聞いて、数秒の間、レンは黙ってしまった。そして、ゆっくりと切り出す。
「さっきの総成の話。もし、総成1人でどうにかなるならやった方が良い」
「……え?」
「おやすみ」
レンは深く説明せずそのまま、青い髪が覆う背中を見せると昇降機で地上へと戻っていった。
「アイオーン、結果を教えてくれますか?本当はすでに済んでいるのでしょう?坊ちゃんに伝えたくなかっただけで」
「私は人工知能として失格でございましょうか?レオナルド様」
1人残されたレオナルドは、視線を天井から床に移すと独り言のように呟いた。背後から電子音が響き、レオナルドの問いに答える。
すると、レオナルドの前に四角い青い画面が現れ、アイオーンが調べた情報がそのまま映し出される。
それを無言でレオナルドは眺め、徐々に目を見開いていくと今度は逆に目を伏せた。
「コンピュータとしては問題があるかもしれませんが、私たちはあなたをそれ以上の存在として認めています。だから、問題ありません。むしろ、あなたの判断に感謝しています。これが坊ちゃんの耳に入ったら、どうなるか想像できません」
レオナルドは、目の前のデータを手で払うようにかき消すと、自分も昇降機に向かっていき、部屋を後にした。

現在から数年前 稲歌町 稲歌小学校校門前 午後3時2分
学校も終わり、全員が帰宅に入る時間。授業の終了を知らせるチャイムは、甲高く校庭に鳴り響き、校舎の各教室からは「先生、さようなら!」と元気の良い声が学校を震わせる。
レオナルドは、校門の側で手帳を開きながら、この後のスケジュールを確認して、元気な声に心を和ませていた。風に揺られて新緑の葉が彼のスーツに落ちてくるが、それを軽く手で払い地面に落とす。
すると、次に学校から地響きのような音が聞こえ、続々と生徒が溢れ出してくる。一直線に校門目がけて走る子、友達と仲良く話しながらのんびり歩いてくる子、ひとりぼっちで歩いてきて校門を出たところに止まっている家族の車に乗せてもらって帰っていく子。
状況と事情は様々だ。共通して言えることはちゃんと小学生をやっているということ。
レオナルドは目の前を通り過ぎていく子どもを眺めていきながら、微笑ましい気持ちになってしまった。
思えば、これが本来の小学生の姿なのだ。学校に行き、勉強をしたり時にはサボったりして、友達と遊んだり喧嘩したりして、社会や人との付き合い方を学んでいく。
もちろん、イジメ等の問題はある。学校に来ることができない子もいる。だが、それでも小学生として懸命に毎日を過ごそうとしている。
それに引き替え、うちの坊ちゃんはどうだろう?
頭にあることはいつも「リベリオス」だ。
「熱心」で片付けられる可愛いレベルの問題ではない。もはや「執念」のようなものを感じる。もっと言ってしまえば、「リベリオス打倒こそ存在意義」だ。
学校に登校すること、毎日学ぶ勉強、作り出す人間関係、その全てはリベリオス打倒のため。それ以外、無駄なことは一切しない。
確かにリベリオスは看過できない存在だ。しかし、彼はまだ小学校2年生だ。
どんな些細なことでも良い、ちょっとは自分のために時間を作ってほしい。
どんなことでも良い、1分でも良いから友達と何気ない会話に華を咲かせることくらいできないものだろうか?いや、そんなことを望むのは私のワガママなのだろう。私にはそもそもそんな資格が………。
「レオナルド、そんなところに立っていると不審者に間違われるよ?最近、大人に厳しい世の中なんだから」
笑いの入った物言いが、校庭内から聞こえるとレオナルドは自問自答を止め、声の方を振り向く。
見ると、ランドセルを背負った女の子のような男の子と痣のような跡が残る大人しそうな少年が2人で校門に歩いてきた。
なぜかは分からないが、レオナルドには2人とも楽しそうな雰囲気を感じられた。
「お友達ができるなんて何とも幸先が良いですね」
「御神君、この人は?」
不安げに英国紳士のような容貌の初老の男性を見上げながら、
「紹介するよ、僕の保護者のレオナルドだ」
「御神君のお父さんは外国人なの!?」
意外な総成の正体に四郎は大変驚いているようだった。
「お父さんというよりも、執事の方がしっくりくるかもしれませんね。よろしく、飽田君。坊ちゃんは大変『個性的』ですから、これから大変ですけど仲良くしてあげてくださいね」
「なんか言葉に棘があるように聞こえるね?まあいいや。これから2人で帰ることになったんだ」
不愉快そうに口を尖らせると、総成は言葉を切り出した。
「お~!それはそれは何とも素晴らしい!後の調査はこちらでやっておきますから、どうぞごゆるりと下校を楽しんでください!」
おそらく、世界で1番下校を楽しむ男性にレオナルドはなっていた。
「……まあ、とにかく後は頼むよ」
子どもの成長を嬉しそうに楽しんでいる外国人は放っておいて、総成と四郎は彼の側を通ると校門から帰って行った。
「調査って何?」
「学校の保安だよ。学校のみんなが登下校時に不審者に襲われないように彼は不審者のフリをして、ああやって校門の所に立って生徒の反応を調査しているんだ」
四郎の質問に総成は適当に嘘をでっち上げて、ついでにレオナルドに濡れ衣も着せて、左の川を眺めながら大通りへとのんびり歩いて行く。
「あっ、そう言えば…いいのかい、今日遊びに行っても?」
「もちろん!それに宿題で分からないところがあるから、来てもらわないと逆に困るよ」
四郎は懇願するように総成に頼んだ。
総成の学力に目を付けた四郎は、宿題の手伝いを頼んだのだ。最初は、三島の監視のこともあって断ろうと思ったが、レオナルドが全部引き受けてくれて、しかも完璧にこなしてくれるだろうから、断る理由が無くなってしまった。
それに、心の中では何となくだが、断りたくなかった。
「御神君は、どこから転校してきたの?」
「東京。その前は島根県。そのさらに前は九州の宮崎県。…さらに前は外国の台湾。仕事の関係で色々飛び回っているんだ」
「へええ!レオナルドさん、忙しいんだね。何している人なの?」
総成は、しばらく考え込んでしまった。
レオナルドの仕事……。あえて言うなら『実業家』かな?でも、それだと分かりにくいし…なんて言えばいいんだろう?
「ええと…、ゴルフ場建てたり、ホテル建てたり、学校建てたり、人工衛星作ったり、核シェルター作ったり、ゲームソフト作ったり、アニメ制作を手伝ったり、拳銃作ったり、発電所作ったり、医療品作ったり、ロボット作ったり………」
あれこれ、総成が思いついたことを並べていると四郎が突然笑い出した。
「ハハハ!冗談が下手だなあ、御神君は!そんなにいっぱいできるわけないじゃないか!でも、とにかく色々やっている人なんだね?」
「は、はは…。その通りだよ、ちょっと盛っちゃったかな?はははは…」
自分の執事の万能ぶりにちょっと寒気がしながら、総成は力なく笑った。
喋りながら総成と四郎は川に沿って、ひたすら東へと歩き続けていた。
「四郎君の家は、東地区?」
「中央地区と東地区の境みたいだよ?川のすぐ側、家の窓を開ければ川が見えるんだ」
「へえ~、そりゃ景色が良さそうだね」
総成は胸を高鳴らせ、少し早足で四郎の家へと急ぐ。
しばらくすると、箱のようなアパートがひしめき合う川沿いに、一回りサイズの小さい直方体の形をした壁に亀裂が走り劣化が目立つ2階建てのアパートが見えてきた。周りは黒いススで汚れが点在し、まだ日も高いこともあってそれはかなり目立つものだった。
「ここが僕の家」
四郎は、街道左側にあるアパートを指差すと、途中で道を左折した。
総成は、彼の後に付いていき外側からアパートを眺める。
壁にはひび割れや水が染み出した痕跡が外からでも確認できた。
見た目はずいぶん経年劣化が進んでいる。建物が建てられてから、相当経過しているのだろう。ただ、所々手直しはされているようで大きな損傷は見当たらない。
先に進んでいた四郎は右手のフェンス越しに、アパート前の駐車場を眺めながら、そのままUターンして駐車場を横切り1階のドアに向かっていく。
総成は、ふとフェンスに書かれていた看板に目を留めた。
『水田団地 A棟』
町営住宅。町が管理している住宅団地だ。生活困窮者が住んでいるイメージが強いが、ひょっとしたら四郎君の家計もあまり余裕があるとは言えないのかもしれないな。
総成は、邪推するとそのまま駐車場を横切り、四郎の後についてドアの中に入っていく。
部屋は合計3部屋だった。玄関を入って正面に大きな窓と2人分のテーブルと椅子、そして人が4人もいれば埋まってしまうキッチン。他には、部屋が奥に左右にあり、四郎の部屋は左側だった。
「さあ、入って入って!狭いところだけど…」
「お邪魔します」
総成は恐縮してスニーカーを脱ぎながら、中に入っていった。すると、正面の窓の外には先ほど歩いているときに見た川が眼下を流れていた。太陽が反射して、部屋の中に入ってくる。川を挟んで向かいには、こちら側と同じように箱形のアパートが建てられていた。同じ町営住宅かもしれない。
「良い景色だね、僕の家の周りには建物しか無いから川のある景色は新鮮だよ」
窓の外を眺めて、総成は素直に自分の気持ちを表した。
「気に入ってもらえて良かったよ。じゃあ、早速勉強を教えてくれる?」
「教えることなんてほとんど無いと思うけどね。でも、手伝えることなら協力は惜しまないよ」
総成は、自分のランドセルから本日分の宿題の算数のドリルを取り出す。
そして、キッチン前のテーブルで2人揃って勉強を始めた。
最初に想像はついていたが、本当に教えることは無かった。四郎は時間をかけて問題を1問ずつ丁寧に解答していく。所々、公式や解き方についてこちらに確認してくることはあったが、あくまで確認であって分からないわけではなかった。
結局、1時間ほどで勉強は終了すると、残りの時間は座談会になってしまった。
特に総成が今まで転々としてきた各地の話は四郎にとっては新鮮のようで、大いに盛り上がった。話を聞くと、四郎はあまり遠出をしたことがなく、総成の話をお伽物語のように楽しく聞いていた。
話している途中で気づいたことだが、おそらく彼はこのために自分を家に招いたのだと思った。あくまで勉強は口実だ。新しくできた友達とより仲良くなるために、話をしたかっただけなのかもしれない。
そして、彼と話しているうちに自分の中に会話を楽しんでいる自分がいることに気がついた。本当に何気ないことを話しているだけなのに、それだけで心が和み喜びが生まれてくる。自分に足りていなかったものが心に貯まっていく、何とも言えない心地よさは、総成に時間が経つのを忘れさせた。
あっという間に夕焼けが景色を一変させていた。カラスの鳴く声もどこからともなく聞こえてくる。名残惜しさのせいで総成の胸は、一杯になっていた。これほど、1日が終わって欲しくないと感じたことはなかった。
すると、その時玄関のドアが開く音がした。
「四郎!ただいま……あれ、お客さん?」
ハツラツとした声が、疑問符を帯びていった。四郎が立ち上がり、声の主の下へと向かった。総成も挨拶をしようと後に続く。
そこにいたのは髪を茶色に染めたスーツ姿の女性だった。20代後半くらいの毛先が軽く丸まった髪を持つほっそりとした体型の女性だ。
手には2つの茶色い買い物袋を持ち、夕食の支度をしようとしているのがよく分かる。息子の四郎が近寄っていった時は笑顔を浮かべたが、奥から総成が出てきたときは驚きの表情を浮かべた。
「お帰り、母さん。紹介するね、同じクラスの御神君。勉強を教えてもらっていたんだ」
四郎の言葉で母親の顔が笑顔に変わる。
「ええっ、そうなの!?本当にごめんなさいね、四郎のためにわざわざ来てくれて…」
「友達の頼みですから、当たり前ですよ。それに僕も楽しかったですから、気にしないでください。じゃあ、そろそろ良い時間帯なので今日は帰ります」
レオナルドに任せた調査の事を思い出し、総成は笑みを浮かべると四郎の母の脇を通り過ぎて玄関に向かった。
「もし良かったら、また話し相手になってくれる?」
四郎は、総成に尋ねた。
「もちろん。じゃあ、また明日。学校でね」
総成は靴を履くと笑顔を見せて軽く手を振り、四郎の家を後にした。総成は一歩駐車場に足を入れたときだった。黒い箱のようなセダンがライトを付けたまま、駐車場に入ってくると総成の目の前で停車する。
総成はクスクス笑いながら、その後部座席に乗り込むと自動車はゆっくりと発進した。
「僕たちの会話がいつ終わるのか監視してたの?」
「マスコミにスクープ写真を撮られる芸能人の気持ちが分かりましたか、坊ちゃん?私がいる以上、あなたにプライバシーは無いと思ってください」
レオナルドは笑いながら軽口を叩いた。
総成は、右側の席に置かれた書類に気づくとそれを手に取り、目を通す。
僕が学校を去った後の三島の行動。
「『まっすぐ家に帰る』」
総成はそこに書かれていた1文を声に出してワザと読み上げた。
「夏休みの最後に慌てて仕上げた絵日記かな?」
「なかなか良い例えですね、坊ちゃん。しかし、残念。これが現実です。誰とも喋らず、どこにも立ち寄らず、まっすぐ家に帰りました。実家は学校近くのアパートです」
総成は、1枚めくると三島の家族構成を確認した。
①父 三島<<みしま>>紀孝<<のりたか>>。コンビニエンスストア店長。
中央地区大通り、ビルのテナントとして運営。年収350万円。年中無休のため、家族として1日を過ごす日は皆無。夕食は子どもたちで食事を取ることが多い。
②長男 三島<<みしま>>勝己<<かつみ>>。首都圏にある大学在学、1年生。野球サークル所属。高校時代の学業は同学年250人中、上位30位を横ばい。将来の夢は、警察官。警視庁に勤めるのが夢。
③次男 三島<<みしま>>一輝<<かずき>>。今回のターゲット。幼稚園や保育園において、特に問題行動を起こした形跡なし。担任教師、沢渡七恵への暴言により、学級崩壊の一因を担う。なお、加害の対象は沢渡教師のみであり、他の教師及び児童生徒については一切の被害報告なし。
三島の母は一輝が幼い頃、離婚。現在は、大阪府にてスナックを経営している。
「よく短い時間にここまで調べ上げたね?さすがだよ、レオナルド」
「お褒めに与<<あずか>>り、光栄ですよ。詳細なことをお聞きになりたいなら、答えますが何かございますか?」
「三島兄弟、兄と弟は結構年が離れているね?大学生と小学2年生。どちらか連れ子かな?」
「兄は父親が連れてきた子のようです。そして、弟は母親が連れてきた子。不思議なことに兄弟の間には血の繋がりがないのですよ」
つまり、両親の都合でいきなり兄弟になったわけだ。
どういう気持ちだったんだろう、いきなり見ず知らずの人と家族になるというのは…。
もしかして、沢渡先生に対する態度にも何か影響があるのか?
「三島と沢渡先生の関係は?」
「関係というと……恋愛感情とかのことですか?」
レオナルドは言葉を飲み込めずに戸惑っていた。
「何かあるの?」
「学校の先生と小学校2年生ですよ?実際にあったら、PTA案件でしょうね。もちろん、調べた限りでは何もありませんでしたよ」
レオナルドは言うのも馬鹿馬鹿しいというようにハッキリ述べた。
「ふ~ん、『恋愛は人を狂わす』ってレオナルドが言っていたからてっきり何でもアリかと思っていたよ」
「もっと、小学生らしい言葉を覚えましょうね?坊ちゃん」
レオナルドはさりげなく総成の言葉に釘を刺した。
総成は、車に揺られながら一通り資料を見直す。
「レオナルド。僕は、三島と沢渡先生には何か関係があると思うんだ」
「つまり、三島君が沢渡先生に暴言を吐いているのはその関係のせいだと言うのですか?」
「そうだ。たぶん、何か弱みを握っているんじゃないかな?だから、沢渡先生も強く返せないんだ。これが本当なら、間違いなく新聞に載る事件だ」
総成の推理にレオナルドは、首をかしげた。どうも、TVドラマに出てきそうで現実味がない内容だったので上手く飲み込むことができなかったのだ。
「小学生が教師の弱みを…。沢渡先生は新米教師で、2人の接点は今回のクラスが初めてだと思いますけど」
「彼女の大学生時代を調べてくれ。教師になる前だ」
「かしこまりました。特に交友関係について念入りに調査を進めていきます」
「よろしく頼むよ。僕も引き続き、三島を見張っているから」
総成は資料を隣の席に置くと、満足そうに笑みを浮かべていた。その総成の顔をバックミラー越しで眺めながら、レオナルドは笑顔で語りかけてくる。
「その様子だと、楽しい勉強ができたそうですね?」
「……色々学ばせてもらったよ。友達かぁ…、本当は作るべきじゃないのかもしれないけど」
総成は自分の目的とプライベートを捨てたくない気持ちがぶつかり合って、どうしたら良いのか分からないように顔をしかめた。
「何を言っているんですか?そんなの作って良いに決まっているじゃないですか」
「しかし…リベリオスとの戦いに巻き込まれる危険性がある」
総成の指摘はもっともだった。しかし、レオナルドは頑とした態度で切り出した。
「確かに奴らは脅威です。どこから来るか分からず、誰が襲われるのかも分かりません。我々の監視は日々進歩していますが完璧ではない。相手の侵略を許している現状です」
「だったら…」
残念な答えに総成は落胆していた。
「坊ちゃん、1つ聞きますけど、飽田君が襲われなければそれで良いのですか?他の人が襲われても別に良いのですか?」
「え?そ、そんなわけないじゃないか!」
レオナルドの刃物のような質問に総成は慌てて答える。
「ですよね?安心しました。ならば、別に友達を作っても良いじゃないですか。あなたが友達を作ろうと作るまいと、リベリオスは人を襲います。本当は言ってはいけないことなんでしょうが、避けられないことです。ならばできないことを心配するより、できることを1つでも増やすべきではないですか?」
「それが友達を作ることだと?」
「これは精神論ですが、人間は大切なものができるとやる気が湧く生き物です。この『やる気』がかなり重要でして、心を守ったり、奮い立たせたりして本人の能力を最大限に活かすには不可欠な要素なんですよ。あくまで損得勘定になってしまいますが、あなたには持っている能力を最大限に発揮して事に当たって欲しいのです。だから、友達を作ってください。これは私からのお願いです」
総成は、レオナルドの話を聞いていて微笑ましくなり笑ってしまった。
理屈を付けて色々言っているが、僕のことを心配してくれているのだ。
ここは、彼の願いを快く受け入れる時なのかもしれない。
「そのお願い、受け入れさせてもらうよ。ただ、リベリオスには今まで以上に注意してくれ」
「頼みを聞き入れていただき、感謝します。それから、飽田君の家計についても資料をまとめておきましたよ」
総成は、隣に置かれていたもう一つの紙の束を取ると軽く中身をめくる。
『飽田<<あくた>>雪子<<ゆきこ>>』。年齢 28歳。2年前に夫と離婚。原因は育児に対する方向性の違い。現在、複数の臨時職を掛け持ちし不安定な収入の母子家庭。離婚後、夫からは養育費をもらっていない。生計は本人の収入と実家からの養育費を充てている。
『飽田 四郎』。生まれてまもなく皮膚病を発症。最初は父、母共に高額の医療費をかけて治療を行っていたが根治には至らず、家計への負担が重なり夫婦の仲にひずみが生まれる。育児の方針をめぐり、両親の喧嘩が絶えず、2人は最終的に離婚。身体の差違ゆえ、周囲との関係に馴染めず、周囲から離れて稲穂学級にクラスを変える。
一通り内容を眺めながら、総成は唸った。
「金銭の負担が理由での離婚…。生々しいね」
「医療費というものはお金がかかりますからね。気持ちで何とかなるほど甘くはありません」
「彼の病気は深刻なもの?」
四郎の姿を思い出しながら、総成は尋ねた。
「病気そのものの悪影響はないみたいですが、周囲との間に隔たりが生まれたことが問題のようです。見た目の違いだけで差別を受けたり、特別扱いされる事由は今でも多いですから」
「だから、稲穂学級か…。でも、そんなに人嫌いというようには見えなかったけどね」
総成は、今日一日の彼と過ごした楽しい会話を振り返りながら、さらに尋ねる。
「それは坊ちゃんが真摯に接したからですよ。それに…人が何を考えているかなんて、なかなか分かることではありません」
レオナルドが残念そうに言葉を並べると、総成は何も返せず沈黙してしまった。
「そう…だね」
やっと出てきた言葉だけで精一杯だった。思いの外、思い詰めてしまった総成に気がつくとレオナルドが慌てて笑顔で答えた。
「そんなに深刻になることはありません。坊ちゃんには飽田君が必要です。飽田君にも坊ちゃんが必要でしょう。普通の友達で良いのです。彼の前だけでも普通の生活を送ってください」
普通の生活。学校に行って勉強をして、友達と遊んだりして時には喧嘩をしたりして、家に帰って家族と一緒に過ごす。そしてまた次の日に学校へ…。休みの日には家族と出かけたり、友達と一緒に過ごしたりして、楽しかったら休みが終わらないように心の中で願う。
僕はそんな生活をあまり経験したことがないから分からないけど、これが『普通』なんだ。
でも、いつの間にか今の生活が当たり前のようになってきている。
リベリオスと戦う今の生活とレオナルドの語る生活、どっちが普通なのかな?
外を流れる民家の明かりの線、その間に佇む暗く深い『黒』を覗きながら2人を乗せた車は町を北上していった。

1週間後 稲歌町 御神総成の自宅 午前7時11分
4メートルほどある大きな調理台、背後にはコンロや電気調理器具が色々置かれて10台近く設置されている。その内、3台ほどを使いレオナルドはタキシードに青いエプロン姿で朝食を作っていた。木々の間から降り注ぐ朝日が銀色の寸胴鍋の仲を満たしている金色のスープに差し込み、宝石のように輝かせる。それを白い器に取り分け、部屋の中央に設置された20人近い人数が一斉に座れる長テーブルの上に2人分置く。
「おはよう、レオナルド」
キッチンの横壁のドアが開き、爽やかな挨拶と共に総成がハリネズミのような髪を掻いて、一直線に目の前の席に向かう。そして、入ってくるときに持っていた新聞紙を開き、眺める。
「おはようございます、坊ちゃん。よく眠れましたか?」
「久しぶりに最高の睡眠だったよ」
新聞をめくりながら、総成は笑顔で軽く答える。
「最近嫌な事件が多いね。『女性教師、生徒の親を刺殺。原因は、モンスターペアレントの度重なる暴言に耐えかねて』。『小学校4年生を登下校中に誘拐した犯人、逮捕される。犯人曰く女子児童が好きだったから』。『中学生・高校生・大学生を専門にした違法ポルノ画像掲載サイト、管理人及び購入者を逮捕。利益は4000万円を超える』。…どれもこれも、陰惨だ」
総成は、残念そうに呟く。
「身の安全に対して、一層注力される時代ですからね。学生だけではありませんが、表に出ていない事件の方が圧倒的に多いという話です」
「そうだろうね。もみ消されたり、隠蔽されたり…世間に出たら常識がひっくり返るような影響を及ぼす事件もあるからね。リベリオスがまさにそれだけど」
総成は、新聞を隣の席に置くとレオナルドから香ばしい匂いのする焼きたてのトーストを受け取ると、それに瓶詰めの蜂蜜をかけて一気にかぶりつく。濃厚な甘さが口の中一杯に広がり、頭が一気に冴え渡るのを感じた。
「やっぱり、朝は甘いものを食べるに限るね」
ご機嫌な総成に対してレオナルドは、野菜ジュースをコップに注ぎ渡す。
「栄養バランスを考えないと体を壊しますよ?」
「育ち盛りの小学生には好きなものをお腹一杯食べさせるべきじゃないの?」
「育ち盛りの小学生は、そんな減らず口を叩きません」
レオナルドに促され、総成は渋々野菜ジュースを受け取ると嫌そうに飲み込む。気分を害する刺々しい味に総成は顔をしかめた。
「とても体に良いとは思えない味なんだけどね」
「『良薬は口に苦し』ですよ?坊ちゃん」
「僕の減らず口はあなたのせいだと思うんだけどね、レオナルド」
お互いクスクス笑うと、のんびり朝の朝食を楽しむ。その後、総成はランドセルを取りに自分の部屋に戻り、レオナルドは食器を片付け始める。
10分後、総成は車の中で揺らされて学校へと向かっていた。
総成の家から学校までは距離が離れているため、近くまで車で送ってもらって途中から歩いて登校する。中央地区の道路脇に御神家所有の有料駐車場があり、そこにいつも停車する。そこから学校まで歩いて10分、腹ごなしには最適だった。
「それじゃあ、いつも通り定時連絡は昼休みに学校前で」
「かしこまりました」
総成は駐車場で降りると、車は彼を置いて目の前の通勤ラッシュの車列の中に消えていった。総成はそれを見送ると、歩道を歩き1人学校へ向かっていく。
歩いて行く最中も三島に対して、見張らせておいたボールカメラの映像を伊達メガネに映しながら眺めている。右目には、三島の住んでいる家が表示される。
今日も1日、彼を監視する。彼の疑惑が、完全に晴れるまでは何日もこのままだ。
リベリオスのこともあるが、何より学級崩壊も放っておけない。いざとなったら、証拠映像を撮影して、それを武器に警察による対応を行う必要があるかもしれない。
総成が、三島を監視ながら今後の対策を考えていると突然背後に人の気配を感じて、慌てて総成が振り向く。
見るとそこには驚いた顔で総成を見つめる四郎の姿があった。ちぐはぐな顔が、日光のせいで一段と目立っていた。
「ご、ごめん脅かすつもりはなかったんだけど。なんかボーッとして歩いていたから」
総成は辺りを見渡すといつの間にか、側に川の流れる小学校へと続く一本道に到着していた。
「こっちこそ、ごめんね。ちょっと考え事していてね」
総成はとっさにレンズの映像を消すと、四郎と一緒に歩きだす。
「昨日はありがとう。お母さんも総成君によろしくって言ってたよ」
「役に立てたなら嬉しいよ。四郎君のお母さんはいつもあの時間に帰ってくるの?」
「あれでもいつもより早いんだ。お仕事…大変そうだから」
四郎は少し寂しそうに声のトーンを下げていた。
わざわざ町営住宅に住んでいるのだ。生活はやはり苦しいのだろう。
福利厚生がしっかりした企業を紹介してあげるべきなのかもしれない。後でレオナルドに相談してみるか…。
「あっ、そうだ。総成君、質問があるんだけど?」
「どうしたの、藪から棒に」
「例えば…落とし物を拾ったらどうしたら良い?」
話の流れを変える妙な質問に総成は眉をひそめた。四郎の顔を見ようとするが、彼は目を合わせない。むしろ、総成と視線を合わせることを避けていた。
「それは、警察に届けるべきなんじゃないかな?」
「だ、だよね~!で、でも届けたことで変な目で見られるものだったら…」
総成は、四郎の手に注目した。先ほどから左手を忙しく動かしている。そのまま、四郎の長ズボンを見ると左前ポケットが微妙に膨らんでいるのに気がついた。
大きさからして、小さなカードのようなものかな?
「何拾ったの?」
「い、いや別にこれは…」
「四郎君、ちゃんと話してくれれば僕は力になるよ?君の心配する誤解もしないし、話もちゃんと聞く。だから、それを見せて」
四郎は自分のポケットに手を突っ込んだが、すぐには出さずためらっていた。しかし、総成がじっと彼を見ているといたたまれない気持ちになったのか、ポケットから手を引っ張り出してきた。
「なんか、総成君。大人っぽくて先生みたいだよね?嘘がつけないよ」
「そう見えたら嬉しいな。でも、僕を育ててくれた人からもっと子どもになりなさいっていつも言われているよ」
総成は、笑いながら四郎が渡したものを受け取る。どうやら、黒いキャップのようなものだった。四角い形で中が空洞。何かにかぶせるようなものだった。
「…何だ、これ?」
「やっぱり、先生のものかな?だから、警察に持っていってもどうかなって思ったんだけど」
総成はじっとフタを眺めて、何も喋らなかった。
「これどこで拾ったの?」
「学校のトイレだけど」
何でトイレに?先生が持ち歩いていて、落としてしまった?たぶん、そんなところかな?
「とりあえず、落とし物は落とし物だね。先生に渡した方が良いんじゃないかな?後は先生が持ち主探したり、場合によっては警察に渡したりしてくれるんじゃないの?もっとも、このキャップだけじゃ探すのも大変だと思うけど」
該当するものが多すぎて、たぶん見つからないだろう。
総成は、唸りながら残念そうに頭を掻いた。
「総成君、一緒に説明してくれる?」
「もちろん。じゃあ、とりあえず僕が持ってるね」
総成は、自分のポケットにフタを入れた。
その後は、たわいのない世間話に華を咲かせながら、2人は学校へと向かう児童の流れに沿って、小学校へと歩みを進めていった。
校門から学校へと大蛇のようなうねりをみせ、児童達は校内に流れ込んでいく。小学校、朝の風景である。
「ねえ、まだ三島暴れているの?」
やっと辿り着いた昇降口で総成が靴を下駄箱に入れていたとき、後ろの男の子が隣の友達に呟いた。
「毎日じゃないけど、ほとんどかな。先生も大変だよな…。俺、将来は学校の先生になりたいと思っていたけど、やっぱり変えようかな?だって、いちいち授業妨害されてたらぶち切れてもおかしくないじゃん」
「そんなことしたらすぐクビになるんだよ。PTAにキレたことが伝わって、学校中で問題になるんだ」
「うわあ…やってられないよな。でも、あいつの兄ちゃん、警察に知り合いがいるとかで色々やっても見て見ぬフリしているって父さんが言っていた。三島も同じなんじゃないの?」
「それ、ほんとか?もしそうなら、注意もできないじゃん。先生、かわいそう」
隣で三島の悪口を言いながら、2人の男子児童は総成の後ろを通り過ぎると、そのまま角を曲がり廊下に消えていった。
三島の兄が警察と繋がりがある……か。あくまで噂話だと思うけど、先生相手に態度がでかいのはそういう理由でもなければ考えられないよなあ…。
でも、いくら何でも警察が犯罪行為を見逃しているなんてあるのかな?もし、世間にバレたら、本当に警察が終わってしまう気がするんだけどなあ。
思考を巡らせるが答えは全く出てこない。
総成と四郎はそのまま廊下を歩き、稲穂学級へと向かっていった。途中、三島がいる教室が近づいたので、目を向けてみたが彼の声も姿も見当たらなかった。
三島は休みか?最近、ずっと学校に来ていたのに珍しいな。
疑問に思いつつもそのまま、彼のいるクラスを離れ、自分たちの稲穂学級へと歩いていく。
そして、その日はいつにも増して平穏な時間だった。監視対象の三島もいないため、気を張る必要もない。
普通に授業を受けて、普通にノートに内容を書き写し、そしてまた次の授業を受ける。
しかし、総成はなぜかその平和に甘んじることはできなかった。
算数の時間、飽田が隣の席で手を挙げて先生にかけ算の筆算で繰り上げの仕方について質問している最中、総成はポケットの中で飽田から渡された黒いキャップを転がしていた。
触り心地から考えて、おそらくプラスチック製。大きさから推測すると、たぶんパソコンに差すメモリースティックのキャップかな?ただ、生徒が自分でメモリースティックを持ってくることはない。使うときは、学校専用のものを借りて使うからだ。
そうなると、これは学校の先生が使っているものかな?もしそうだとすると、何でそれが児童のトイレで見つかるんだ?
「おい、御神」
ふと、教卓の前に立っている担任の坂口から声をかけられ総成は先生を見る。すると、先生は左手親指をクラスのドアに向ける。
そこには、レオナルドが立っていた。いつもと同じように飄々としているように見えたが、よく見ると少し息を切らせていた。急いで教室まで来たようだった。
「お前のお父さんだぞ?」
「授業を中断して申し訳ありません。総成が忘れ物をしてしまいまして、こうして届けに来た次第です」
「それはそれはご苦労様です。珍しいな、忘れ物なんて」
坂口は笑いながら、総成を茶化す。
総成はキョトンとしてレオナルドと先生を見ていた。
総成には全く心当たりがなかったのだ。
「それで、今度は私も忘れてしまって。一緒に車まで取りに行っても良いでしょうか?」
「おやおや…。授業中ですからね。なるべく急いでくれると助かります」
総成は、何かを気づいたように目を開き、とっさに照れ隠しをするようなそぶりをして立ち上がると、レオナルドと一緒に廊下に出る。
「至急お伝えしたいことがあります。何も言わず付いてきてください」
レオナルドの焦りと強張った声を聞いて、総成はただ黙って頷いた。
2人は昇降口まで行くとそこからは走り始めた。校舎の裏手、来客用駐車場に黒塗りの普通乗用車がポツンと1台止めてられており、レオナルドと総成は後部座席に急いで入る。
「一体何があったの?」
総成の質問にレオナルドはノートパソコンを取り出すと、素早くキーボードを叩き、パソコンの画面を総成に見せる。
それは校舎内1階のトイレ前を天井側から撮影した映像だった。所々黒く汚れている壁には肌色の扉が1つ。その上には『男子トイレ』と書かれている。生徒はおらず、先生はまばらに往来している。
「これは三島君を追跡していた監視ボールの映像です」
「知ってるよ。彼の映像は僕もチェックしている。でも、これは三島がトイレに入っただけだ。10分もすれば彼は用を足して出てきた。特に変化もなかった」
総成は、当然のように答えた。
「ええ、確かにそうです。では、坊ちゃん。この映像の前を確認しましたか?」
「……三島がトイレに入る前ということ?トイレのドアをずっと眺めている趣味はないんでね、もちろん未確認だよ」
すると、画面が切り替わり、同じトイレ前を映した映像が現れた。しかし、周りはすでに暗くなっており、トイレ前も扉上部の蛍光灯の輝きだけで何とか輪郭が分かる程度だ。
「学校は、現在無数の監視ボールによって我々に監視されています。これはその内の1台が捉えた映像です。さっきの映像の前日の夜、時刻は午後7時を少し過ぎた頃です」
すると、画面端から人影が歩いてくるとそのままトイレ前に辿り着く。そして振り返るとそこには見覚えのある女性の顔が蛍光灯に照らされて映し出された。
「沢渡先生?」
思わず総成は声に出してしまった。不安げに振り向いたその美しい顔は、現在三島に罵詈雑言を浴びせられているクラス担任の沢渡七恵その人だった。
周囲を確認した後、彼女は男子トイレの中に消えた。
「10分後、彼女はトイレから出てきて画面から消えます」
「沢渡先生は男子トイレで何をしていたんだろう?」
総成はレオナルドに問いかけるようにして、自分自身に尋ねていた。じっと沢渡先生の映像を再生、巻き戻し、そしてまた再生を繰り返す。
そんな総成を放っておいて、レオナルドは胸ポケットから手帳を取り出した。
「沢渡氏について調査が一段落付いたので報告します。まず、三島少年と沢渡先生の間にはプライベートな接点がありません」
「そうか…まあ、あったらあったで大問題だけどね」
総成は、ほっとして息を吐く。だが、すぐにレオナルドはその息を引っ込ませた。
「接点があったのは、彼の兄です」
総成は自分の耳を疑い、レオナルドを見つめた。彼は真剣な表情をして手帳を眺めている。まばたきもせず、ページを眺めていた。そして総成の言葉を待っているかのように身動き1つしていなかった。
「兄って……確か大学1年生だよ?」
「ええ、ほんの1年間ですが大学時代の沢渡先生は高校生の三島勝己、つまり三島一輝の兄と男女の仲にあったそうです。最終的には別れてしまいましたが」
総成は黙ってレオナルドの報告を聞き、頭で推理を組み立て始めた。
三島の兄が沢渡先生と付き合っていた…。今、三島が沢渡先生に高圧的な態度を取っているのは、おそらくその事実をネタに脅されているから?
でも、ただ付き合っていただけなら沢渡先生も黙っていないはず。周りの教師に訴えるなりして問題解決を図ろうとするはず。でも、そんな様子は見えない。先生は、ただ黙って耐えている。どういうことだ?
「三島の兄、勝己はどういう人物?」
総成は、さらに追求した。
「周りの人物によると、恋愛が長続きしたことがないみたいです。1年もすれば彼女が変わっていた話も聞きました」
「良く言えば女性にモテる、悪く言えば女性にだらしないということか」
総成の結論にレオナルドもため息をついた。彼も同じ結論に至ったらしく、特に返す言葉が見つからなかったようだ。
「レオナルド、ライナー波の反応は校内から出ているんだよね?」
「ええ、しかし申し訳ありませんが外からでは詳しい場所の探知は困難です。手持ちの探知機でもあれば、もっと詳しい情報が分かるかもしれませんが…」
「無い物をねだってもしょうがないよ。研究が進むのを待たなきゃ」
現在、ライナー波を探知できる装置はどんなに小さくても車に搭載できるようなものだ。これから、研究が進めばもっと小型化も進むのだろうが、今は我慢するしかない。
だが、反応がある以上見過ごすことはできない。
空を浮かんで透明にもなれて撮影もできるボールはあるのに、ライナー波の探知には難しいとは…技術というのは本当に難しいものだ。
「この学校に来てからもう何日経った?」
何気なく総成はレオナルドに尋ねた。
「まだ、2週間も経っていません。ですが、もしライナー波が関わっているなら1日も早く対処すべきでしょう」
「だよね…。そうだよね…」
総成は顔を小さな両手で覆った。そして何やらブツブツ手の中に言葉を落としていく。レオナルドは何やら苦悩している総成の背に手を置き、優しく語りかけた。
「坊ちゃん、大丈夫ですか?」
「レオナルド、僕は沢渡先生に話を聞いた方が良いと思うんだ」
レオナルドは、総成の提案に驚いた。
「坊ちゃんは、彼女がライナー波に関わっていると?しかし、彼女はどちらかというと被害者ですよ?尋ねるとしたら三島少年の方では?」
「小学2年生が学校でできることなんて限られている。さっきの映像から沢渡先生が何か事件に関わっているのは確かだ。児童より教師の方が動きやすいと思わない?」
総成の言葉にレオナルドは首をかしげてしまった。
「事件…と言っても男子トイレに夜中入っただけですけどね」
「その男子トイレで何か取引があったとしたら?」
総成は、ポケットの中から小さなキャップを取り出すとレオナルドに渡す。レオナルドは珍妙なものを見るようにそれを受け取ると手のひらで転がした。
「これは……何ですか?」
「メモリースティックのキャップだよ。御神グループの関連会社が制作した商品だ。キャップの内側に商品識別用のロゴが入っている」
レオナルドはキャップの内側を見ると、バーコードのような線が何本も走っていた。
「これは飽田君が発見したものだ。場所は、今話題の男子トイレ」
「それで…これが沢渡先生のものだとなぜ分かるんですか?」
すると、総成はポケットから四角い液晶ディスプレイを取り出すと画面に触れ、そのままレオナルドに渡す。
そこには、沢渡先生の顔と三島一輝の顔が上下に映されており、隣には「本人確率99%」と文字が書かれてあった。
「念のため、2人の机等から指紋を採取させてもらった。それをいつも持っている分析装置で調べて、キャップに残っていた指紋と照合したらご覧の通りの結果だよ」
「ほんと…抜かりがないですね。坊ちゃんは」
レオナルドは、総成の徹底的な行動に若干引いていた。
「メモリースティックは、職員間では共通のものを使っている。もし、これがそのメモリースティックだというなら、他の教員の指紋が出るはずだ。ところが、このキャップから出たのは2人の指紋とキャップを拾った飽田君の指紋だけ。つまり、これは沢渡先生と三島専用のものだ。それを周りの人に見られないようにトイレを使って引き渡しを行っていたとしたら?」
「メモリーに入っている情報は他の人に知られてはいけない情報ということですか…。一体何が入っているのでしょうか?」
「それは本人に直接聞いた方が良いだろうね。まあ、何となく検討はついているけど証拠がないから。それにかなりプライベートな内容になるからね」
総成の説明を聞きながら。レオナルドは目の間のキャップを眺めていると、それを総成に返す。
「本日、沢渡先生に面会を求めます。坊ちゃんもいらっしゃいますか?」
「僕が同じ席にいたら、たぶん話したくなくなるよ。家で三島の動きを監視しながら、大人しくしているさ。あっ、会話風景はカメラで確認させてもらうよ」
総成の提案にレオナルドは頷いた。
「かしこまりました。では、本日の夕食は1人になりますけど、よろしいですか?」
「たまにはカップラーメンを食べてみたいから、楽しみだな~」
「じゃあ、さっさと勉強に戻ってください」
ツンとした態度で総成は車から追い出されると、そのまま車は自動的に走り去ってしまう。
総成は、最初は和やかに笑っていたが、車が見えなくなると次第に笑顔は消え、真剣な表情になった。
今回の目的は、あくまでライナー波の発生源を突き止め、それに対処すること。そのために沢渡先生に確認するのだ。先生が何か知っているなら、ぜひともそれを聞きたい。
ただし、話を聞くということは沢渡先生の現状を聞き出すということになる。最悪の場合、先生を傷つけることになるかもしれない。
もし、先生がそれに耐えられなければ、どうなる?今、三島から被害を受けている先生にさらに鞭を打つというのはあまりにも残酷な行為だ。
けれど、先生と三島、どちらを先に助けるかと聞かれるなら、僕は沢渡先生から助けたい。加害者よりもまずは被害者の方を最優先だ。ライナー波も大切だが、まずは目の前の先生から助けたいんだ。
レオナルドは、優秀な執事だ。必ず期待に添う結果を出してくれるはず。
希望を胸に、最高の執事に託して総成は、学び舎に戻っていった。

同日 稲歌町 中央地区 ファミリーレストラン『美味美味亭(うまうまてい)』 午後8時32分
レオナルドは、タキシード姿で掘りコタツに座りながら手を合わせて外の風景を見つめていた。
外には稲歌町の大動脈とも呼ばれる大通りを輝く流星のように車が往来している。外の騒がしさと比べ、たった1人の人を待っている老人がいる個室は静かなものだった。
目の前に水の入ったコップが置かれている。料理も頼まず、飲み物も口にせずレオナルドはただ手を合わせてじっと彼女を待っていた。
学校に連絡はすでに済んでいる。「総成が今後普通のクラスに入りたいと言っているため、相談に乗ってくれないか?」と尋ねたら応じてくれた。
時間外にも関わらず、わざわざ他クラスの生徒の相談にまで乗ってくれたその心、教師だけではなく人として素晴らしい。
だからこそ、これからの時間は慎重に丁重に扱わなくてはならない。一歩間違えば、彼女の積み上げてきたもの、これから積み上げていくものは一瞬で無と化す。
いや……ひょっとしたら、すでに消えてなくなっているのかもしれない。
「失礼しま~す」
不安な声と同時に部屋の入り口を仕切っている障子がゆっくりと開いた。そして、可愛らしい笑顔が隙間から顔を出す。面接でも受けるかのような黒のスーツ姿で、肩からは黒いハンドバックを提げていた。
「お待ちしておりました、沢渡先生。先に席に着いてしまって申し訳ありません」
レオナルドは席を立とうとするが、沢渡は慌ててそれを止めた。
「そのままで結構です。こちらこそ、お待たせして申し訳ありません」
「いえいえ、無理を言ったのはこちらです。先生の時間もあるのに、うちの総成のために時間を作ってくださり、感謝いたします」
レオナルドは深々と頭を下げた。すると、沢渡はレオナルドの目の前に座り、笑顔を見せた。
「それで…御神君の今後についてと言うことですが、何か不安なことでもあるのでしょうか?」
「それより、先生。話はお食事をしながらではいかがですか?私、お腹がすいてしまいまして」
自分の腹を擦りながらレオナルドが恥ずかしそうに答える。
「それも、そうですね」
20分後、2人の前には料理が並んだ。沢渡先生の前にはカツ丼とアイスティー、レオナルドの前にはざるそばと冷やし緑茶が置かれていた。
「ずいぶん、ガッツリしたものを食べるんですね?」
勢いよくカツ丼を食べる姿にレオナルドは驚いた。
「私、結構ボリュームのあるもの好きなんですよ。学生の時に食堂で、よく男性と間違われたりしたんです」
「それはひどい。その人はきっと人を見る目がなかったのでしょうね。お綺麗ですから先生、恋人には困らないでしょう?」
レオナルドはニコニコしながらはやし立てた。
「ははは、とんでもない!むしろ、いつも苦労していますよ。でも…最近やっと良い人に巡り会えたかなあって…あっ!い、今のは聞かなかったことにしてくださいね」
慌てて、沢渡が言葉を取り消す。その顔は、話に聞いたこととは全く正反対の幸福に満ちた表情だった。
学校では三島少年にいじめられ、怒った顔や悲しんでいる表情しか浮かばなかったと坊ちゃんが言っていましたが、こうして話をしていると本当に年相応の女性なんですねえ…。
しみじみと沢渡の表情を眺めながら、レオナルドは緑茶を喉に流し込んだ。
「先生、唐突な質問ですけど最近悩み事はありますか?」
「悩み…ですか?むしろ、レオナルドさんが今回悩みがおありなのでは?」
沢渡に逆に言葉を取られて、レオナルドは笑い出す。
「ふふふ…そうでしたね。では本題に入りましょう。実は、来年度にでも総成は普通のクラスに移動したいと言っていましてね。ただ、最近学校では目に余る出来事が起きているものですから、素直に首を縦に振れないのです」
「それは…ひょっとして私のクラスのことですか?」
急に笑顔が引っ込み、沢渡は声のトーンを暗くする。
「もちろん、先生のご苦労はお察しします。先生の授業に対する真摯な態度や活発さ、ぜひとも先生が担任でいてほしいと総成も話しております。ただ、恥ずかしながらこちらも自分の息子は可愛いと思う親の身。やはり、火中に息子を放り込むというのは……どうしても見過ごせません」
「本当に…申し訳ありません。全て…私の努力が足らないせいです」
涙を堪えながら、頭を下げる沢渡。レオナルドは、箸を放すと両手のひらをゆっくりと合わせて、テーブルの上に置く。
「先生、よろしければ協力させていただきませんか?」
「えっ?協力って……?」
レオナルドから聞いた言葉が理解できず、沢渡は顔を上げた。
すると、レオナルドは胸ポケットから銀色のケースを取り出すと、その中から名刺を1枚取りだし、沢渡の前に置く。
「実は私、法律に関わっている者です。特に警察関係の」
名刺には『アーバン法律事務所』と書かれており、名刺の下の方には住所と電話番号が書かれている。名刺の中央にはレオナルドのフルネームが書かれており、名前の左上側に『オーナー』と書かれている。
「弁護士なんですか?」
「いいえ、事務所を所有しているだけです。私が言うのもなんですが、全員優秀な法曹関係者です。最近では、児童が加害者として訴えられる場合も多くなってきております。年齢にもよりますが基本的に法律で守られているため児童が実際に罰を受けることはありません。ただし、それでも何らかの処分が下される可能性はあります。学校に指導が入る可能性も十分あり得るでしょう。少なくとも、事実を公にすれば三島少年も無傷ではすまないと思いますよ」
レオナルドの名刺を両手に取りながら、話を聞いていた沢渡だったが、テーブルの上に名刺を戻すと、ふっと笑みを浮かべて彼の目を見つめた。
「私のことを心配してくださってありがとうございます。ありがたい話ですが、あなたのご厚意は受け取れません」
「ほう?それは……なぜでしょうか?」
レオナルドは、興味津々で沢渡の目を見つめる。
「私は教師です。そして教師である以上、生徒を導く義務があると思っています。恫喝や暴力では何も生まれません。私は、ただ彼らにそれを分かってもらいたいのです。言葉を通して、知ってもらいたいのです」
「三島君を言葉で諭すということですか?ただ…いくら何でも限度というものがあるのではありませんか?」
心配そうにレオナルドがさらに尋ねた。彼に対して、沢渡はさらに続ける。
「教師になったときから、覚悟はできています。例え今は分かってくれなくても、訴え続けていれば必ず彼も心を開いてくれるはずです。『艱難辛苦の時があっても、それを乗り越えてこそ人は輝くことができる』。これ、私の大切な人の言葉なんです」
「努力は必ず実を結ぶ…ということですな?素晴らしいお言葉です。私も総成に教えたくなりました」
2人は笑顔になり、沢渡は食事に戻った。その沢渡に対して、レオナルドは唐突にまた口を開いた。
「ただし、あなたは努力すべきでは無いと思います」
「……え?」
沢渡の箸の動きがピタッと止まった。
「もっと言うならば、ここで努力を止めないと取り返しのつかないことになりますよ?」
レオナルドは、小さくハッキリと沢渡の耳に言葉を放り投げた。
沢渡はレオナルドの目を見つめた。笑顔を浮かべているが、目は笑っていなかった。冷たく、怪しく輝き、心の奥まで覗いてくるような鋭さを持っていた。
そのため、沢渡はとっさに彼の目から視線をそらした。
「一体、どういうことですか?努力を止めろって」
「言葉通りの意味です、沢渡先生。この努力は決して報われることはない。それを1番よく知っているのはあなたではありませんか?」
レオナルドはお茶を手に取り、軽く喉に流し込む。透明なグラスの中で氷がぶつかる音が響き、それが沢渡の口を動かした。
「仰っていることがよく…」
「三島一輝君は、確かに問題児です。ただし、それはあなたに対してだけで他の先生の前ではごく普通の子どもなのですよ。なぜでしょう?」
沢渡の声を遮り、レオナルドが尋ねた。
「それは……きっと私の指導力が不足しているせいです」
「いいえ。あなたの指導力は素晴らしいものだ。児童の目線を重視し、分かりやすく、面白く、自分なりの創造を加えながら授業を行う。児童からの評判も上々ですよ。ただし、三島君を除いてですが」
「それは…ありがとうございます」
沢渡は口では感謝していたが、全く気持ちがこもっていなかった。
「彼は、なぜあなたに反抗するのか?いや話を聞く限り、彼は反抗しているのではなく、調子に乗っているという方が正しい言い方かもしれません。では、その原因は?」
レオナルドは、自問自答をわざと沢渡にぶつけた。彼女は何も話さず黙って下を向いていた。
「原因は、あなたですよ。沢渡先生」
レオナルドは一刀両断の勢いで言葉を続けた。
「わ、私?一体、なんで…」
「児童が、教師に対して調子に乗っている。その理由は、大体決まっています。彼はあなたを舐めている、もしくは弱みを握っているから。だから、あなたは彼に対して何も言えない、何もできない。ただじっと耐え続けるのみ。もう確執が始まって2週間近く経つのに事態が解決に向かわないのもそのせいでは?」
「いい加減にしてください!さっきから、訳の分からないことをごちゃごちゃと…!御神君の話はどうしたんですか!?」
部屋中に響き渡る沢渡の怒りの叫びに対して、レオナルドは何事もなかったようにお茶を飲む。
「お話も無いようでしたら、これで帰らせていただきます!」
沢渡が立ち上がり、部屋から出ようとしたときだった。
「静かですねえ」
レオナルドは小さく、そしてハッキリと呟いた。
その声に沢渡は足を止めてしまう。そして、その後に聞こえた声に沢渡は凍り付いてしまった。
「店を貸し切って良かった。大声が出てしまったら、他のお客さんに迷惑ですからね」
沢渡は、振り返ってレオナルドを見ると、すぐに目の前の障子を開けた。そこには料理を運んできた店員も、料理を作るコックもいなかった。
ただ無数の席が置かれているだけ。胸を締め付けるような静寂が沢渡を襲い始めた。
「い、一体……何者なんですか?」
「あなたを助けたいと思っている者ですよ。ただし、先生が協力してくれないとそれもできませんけどね」
優しさと厳しさがこもった言葉を沢渡の背中にぶつけた。
「どうされます?帰るならご自由にどうぞ。ただし、それは教師として、生徒を導く者として、クラスの皆さんが見たらどう思うでしょうね?」
沢渡は綺麗な顔を恐怖で震わしながら、再びレオナルドを見た。
彼は箸を器用に使って、ソバを美味しそうにすすっている。
沢渡は力なく、元いた席に戻ってくると、縮こまって座り込んだ。
「何が…望みなんですか?」
「真実です。あなたのやったこと、知っていること、全てを聞かせてください」
「それがあなたにとって何になるんですか?」
沢渡は力なくレオナルドに再び問いかけた。
「予測が正しければ、あなたは地球の歴史で最も異常な大事件に荷担しています。私は、その謎を解明し、被害を食い止めるためここにいます。信じられないでしょうが、ご協力をお願いします」
「言えません」
沢渡はすぐに要求を突っぱねた。
「…言ってくれないとあなたを助けられません」
「あなたに助けてもらわなくても、私には助けてくれる人がいます。だから、言いません」
「ほう?どうやって、その友人は犯罪から助けてくれるんですか?」
レオナルドの放った言葉が沢渡の目に動揺を浮かばせた。必死に隠そうとしていたが、レオナルドはその変化を見逃さなかった。
「犯罪なんか…してません」
「なるほど。では、これから簡単な推理をお話します。あなたは聞いていてください。そして、間違えている部分があったら訂正してください」
レオナルドは、話を変え別の角度から切り込んでみた。
「まず最初に結論から言います。私は、あなたが犯罪行為を行っていると考えています。しかし、それはもちろんあなたの本意ではない。脅されて、無理矢理やらされたのだと思っているのですよ。脅迫者は、もちろん三島君です」
「…小学生に何で教師が脅されなくてはいけないんですか?それに、そもそも私は犯罪なんてやってません!」
沢渡は怒鳴るが、レオナルドはそよ風のように彼女の声を聞き流していた。
「ええ、その通りです。最初は、私もその構図が謎でした。教師を馬鹿にすることは考えられても、教師を脅すことなんて考えにくい。おまけに相手はたかが小学生」
「だから言ったでしょう?あなたの考えなんて全部メチャメチャです!変な妄想に巻き込まないでください!」
レオナルドは、沢渡の言葉を全て聞き終えた後、両手を目の前で合わせて冷たく言葉を放った。
「恋人同士だったんですよね?彼の兄と」
沢渡は心臓を掴まれたように目を見開き、息を飲む。
予想外の一言、しかも核心だったようだ。先ほどの怒鳴り声は一瞬で引っ込んでしまった。
「脅迫者は三島一輝君ではない。彼の兄、三島勝己君ですね。弟はあなたが何も反抗できないのを見て、ただイキがっているだけ」
「な………何で……そのことを?」
一気に沢渡の声が小さく、顔が青白くなった。
どうやら、推理は正解だったらしい。ただ、これから先の話は気が重くなる。彼女の表情が一変するほどの大きなトラウマを目の前に突きつけなければならないからだ。
「あなたは大学生の時、高校生の勝己君と1年だけお付き合いしていたようですね?もっとも、すぐに別れてしまったそうですけど」
「だから…何なんですか?別に、私が誰と恋愛していても良いじゃないですか?高校生と付き合っちゃ悪いんですか!?」
目に涙を溜めながら、沢渡が吠えた。
とにかくレオナルドに怒りを全て叩きつけてくる。自分の過去を調べられて、個人情報まで暴露されては当然の態度だ。
「いいえ。恋愛は個人の自由です。好きな相手と存分に恋してください」
レオナルドは、ゆっくりと自分の胸ポケットから1枚写真を取り出す。
そして、自分だけその中身を見ると大きなため息を吐く。そのまま写真を下にして置く。
「…何ですか?これ」
「あなたなら知っているはずですよ。なぜならこの写真を撮ったのは、三島勝己君ですからね」
「!?」
目に溜めていた涙が溢れ、頬を伝わりながらスーツの胸元に落ち始める。そして沢渡は震える手で机の上の写真を覗く。
そこには恍惚の笑みを浮かべる女性の顔があった。しかし、彼女の体にあたる部分は黒いペンで全て塗りつぶされていた。ボンヤリと明かりが浮かぶどこかの寝室のような写真だった。
「お食事中には不適切な画像のため、こちらの判断で細工を施しました。いまさらですが、お気を悪くさせてしまい申し訳ありません」
「中身を……もう見たんですよね?」
レオナルドは、答えに迷っていた。彼女から真実を聞き出すために自分はここにいる。そのためには彼女の質問に答えなくてはいけない。だが、あまりにも彼女が不憫だった。
「正直に言って!!」
沢渡が血を吐くようにレオナルドを一喝した。
レオナルドは長く息を吐くと再びまっすぐ彼女を見た。
「はい」
「…どこにあったの?」
「インターネットの闇サイトに。すでに画像は流出していて、回収は…不可能です」
「そう……ですか。大変……お見苦しい…ものを…お見せしてしまいました。ごめんなさい……ごめんな…さい…ごめ……」
何度も何度も謝り、そして声が出なくなり代わりに嗚咽と悲鳴が部屋の中に反響した。レオナルドは、目を閉じ、両手を固く握りしめた。
彼女が泣き止むまで20分近くかかった。
ようやく話せるようになった沢渡は、先ほどの態度が嘘のように話し始めた。
「馬鹿だったんです。教員になるため、毎日勉強でいつの間にか雁字搦めになっていって……とにかく息抜きが欲しくなって…。そんなとき、サークルの仲間の紹介で勝己に出会ったんです。『警察官になりたい。困っている人を助けられる優しい人になりたい』っていつも言っていました。年下でしたけど…希望にあふれた彼をいつの間にか男性として見ていました。そして…」
「彼と恋人になり、情事の最中に写真を撮られてしまったということですか…」
レオナルドの言葉に、沢渡は力なく頷いた。
「不思議なもので、実際に撮影されているときはそんなに悪い気分じゃなかったんです。でも、後でお酒が抜けたみたいに怖くなって…彼に頼んだら、逆に脅されて…」
「それで…彼に犯罪行為を強要させられたということですね?」
さらに続いたレオナルドの言葉に沢渡は、一瞬言葉に詰まった。
「もう…何をやったかご存じなんですか?」
すると、レオナルドは言葉の代わりに、新聞の切り抜きをテーブルの上に置いた。
今朝、総成が見ていた朝刊である。児童ポルノ関係の闇サイトの運営者が逮捕されたと書かれていた。
「最近、学生の画像を収集し、閲覧者を資金源としていた闇サイトの管理者が逮捕されたそうです。このサイトには様々な年齢を対象にした画像が集められていたそうです。そこで、私の協力者が閃いたのです。そのような画像を誰にも怪しまれず、効率的に収集するにはどうすれば良いのか?答えは簡単。学校のあらゆる場所に出入りできる教師を味方にすれば良い」
「……やっぱり、もうバレているんですね」
賞賛と諦めの感情がレオナルドに伝わってきた。
「画像に稲歌小の児童が写っていたのが決め手です」
「……顔を隠してしまうと買った人が興奮しなくなるって言ってました」
さらに買った人が周囲に言いふらすことはない。自分が違法画像を買っているなんて知られたら終わりだ。売る方と買う方が協力して成功するビジネス。感心してはいけないのだろうが、上手くやっているものだ。
レオナルドは、心の中で冷たく犯人を褒めていた。
いつの間にか、沢渡が答えてくれるようになっていた。そこで、レオナルドは仕掛けることにした。
「先生、どうやって学校の中を自由に移動できたのですか?いくら教師でも何の痕跡も残さず、盗撮に荷担するなど不可能だと思います。人の目はごまかせても、監視カメラ等はどうしたんです?」
「…彼がランプをくれたんです」
沢渡のボソッとした呟きにレオナルドは目を細めた。
「『ランプ』とは?」
「ランプスタンドです。けど…電球の部分が七色に輝いていて。私、コンピュータとかよく分からないんですけど、それを置くだけで学校中の情報機器を支配できるんだとか言ってました。誰にも見つからないところに置いて、絶対に電球には触れるなって言われました」
ようやく、お目当ての情報が飛び込んできた。レオナルドは、少し前屈みになってさらに続ける。
「それは、どこに置いたんですか?」
「……プールの物置です。今なら使う人もいないですし、時期が近づいたら動かすつもりでした」
「…ありがとうございます。言いにくい話も聞かせていただいて、大変恐縮です」
レオナルドが、頭を下げる。そして、顔を上げたとき沢渡が両手をこちらに突き出していた。
「お願いします」
レオナルドは、腕を見て、次に彼女の顔を見た。そして、彼女の両手を自分の手で包み込むと、ゆっくり押し戻す。
「私は、警官ではありません。よって、あなたを逮捕することはできません。それに、もし罪をお認めになるのなら、ぜひともご自身で警察署を訪ねてください。その時、弁護士が必要ならば連絡してくださいね」
「………自首で良いのでしょうか?」
震える声でレオナルドに沢渡は尋ねた。そんな彼女にニッコリと微笑む。
「私に言ってくれた勇気があれば、これから先は問題ありません。次は良い恋愛をされることを祈っております」
沢渡は頭を下げると、財布を取り出し千円札を1枚、テーブルの上に置いた。
「お勘定はこちらが持ちますよ?お話に協力していただいたのですから」
「いいえ、自分でやらなきゃいけないことはキチンとやりたいんです」
まるで雲が消え去ったように彼女の顔はにこやかに輝いていた。
それに対し、レオナルドも微笑み返す。彼女はそのまま、1人部屋を後にして、足音と共に消えていった。
レオナルドはテーブルの上に残った千円札を眺める。
今の話は、坊ちゃんも聞いていた。おそらく、今頃学校にライナー波のスタンドを取りに行っていることだろう。
やることはやった。これで、我々の関与も終わりになる。
三島勝己については警察に情報を流しておくとしよう。沢渡先生が自首すれば、それをきっかけに捜査が始まることになるかもしれないが、万が一ということもある。
レオナルドは一息つくと、テーブルの上に置いてあった千円札にさらに1枚足して、部屋を出て店のレジに置くと、そのまま総成の下へと急いだ。

翌日 稲歌町 御神総成の自宅 午前7時
日差しが差し込むキッチンで、レオナルドは今日も朝食を作っていた。
一方、総成は彼に背を向け、椅子に座り、目の前に置いてある電気スタンドをじっくり眺めていた。
昨夜、総成とレオナルドは学校に侵入し、沢渡先生が言っていた場所から電気スタンドを回収した。
肌色の笠の中にある7色の電球。その周りには銀色のリングが取り付けてある。電気が流れていないにも関わらず、リングがぐるぐる回っている。
「お食事にしましょう、坊ちゃん」
「地味だけどすごい技術だよね、このスタンド」
総成の前に赤い鮭の切り身、納豆、白いご飯を並べるレオナルドに総成は興奮して感想を述べた。
「置くだけで学校の監視システムを操るのですから、とんでもない代物ですよ。やはり、リベリオスと地球の技術の差は歴然としてますな」
「でも、この技術を利用すれば大きく戦力になるかもしれない。優先順位最高の研究対象だね」
感心する総成に対しレオナルドは、正面に座ると尋ねた。
「坊ちゃん、これからどうされますか?」
「三島勝己を探る。これはリベリオスから彼に渡されたものだ。彼を探れば、リベリオスに辿り着く」
「そうなると…また転校する必要がありますね。三島勝己は、この町にはいませんから」
レオナルドの言葉に総成は、一瞬固まるとうなだれて、箸を手に取った。
「うん…そうだね。でも、1ヶ月近くいられたんだ。最長記録じゃない?」
空元気だとレオナルドには、はっきり分かる総成の態度の変化。
友人を作ってもすぐに転校してしまう。総成自身の問題というより、リベリオスを追いかけるということは人生全てを投げ打つことだ。
何かを作っても必ず壊される。だったら、初めから何もしない方が良い。今の坊ちゃんを追い詰めているのは、まさしくこの環境だ。何か手を打たなければ取り返しの付かないことになる。沢渡先生のようにズタズタに傷つくことになる。
「坊ちゃん、沢渡先生と話していて思ったんですが…」
「色々迷惑をかけてごめんなさい、レオナルド」
総成は頭を下げて謝った。
「いえ、矢面に立ったことを後悔しているのではないのです」
「え?じゃあ、何?」
レオナルドは言葉に迷っていた。上手く伝えられるか、判断に迷う。
そして、呼吸を置くと彼は切り出した。
「私たちは、正しいのでしょうか?」
レオナルドの言葉に総成は石のように固まり、何も答えない。
今回の件で、確かにリベリオスに繋がる答えは手に入った。だが、その過程で少なくとも複数の人間の過去を暴くことになった。そして、沢渡先生についてはその人生を大きく変えてしまった。
彼女は今頃どうしているだろう?学校に行っているのだろうか、それとも警察に行こうとしているのだろうか?
どのような選択をするにしても、もう今まで通りの暮らしはできないだろう。ある意味、彼女から未来を奪ってしまったのかもしれない。
レオナルドは肘をテーブルにつきながら、両手を合わせて額に押しつけた。
「正しかったら、何をしても良いの?」
「え?」
レオナルドが、顔を上げると総成が真剣な表情で尋ねてきた。
「それは……人にとって答えが違うと思います。過程を大事にする人もいれば、結果を大事にする人もいる。様々ではないでしょうか?」
レオナルドは、慎重に言葉を選んだ。そんな彼に総成は言葉を続けるため、口を開いた。
「ちなみにレオナルドはどう思うの?」
「私は……それは間違いであると考えています」
レオナルドは、素直に答えた。
そもそも、そう思っているから今悩んでいるのである。
自分の行動が正しいのか、実際に体験したが故に、上手く答えが導き出せない。分からなくなってしまったのだ。
「ふうん。逆に聞くけど、間違っていたらやっちゃいけないの?」
「それは…そうでしょう。間違っていることはやってはいけないんじゃないですか?」
これもまた、レオナルドは素直に答えた。
「じゃあ、もう止めようか。リベリオスを追うこと」
総成は、さっぱりとした声で呟いた。
レオナルドは、目を見開き、口から言葉が出せないでいる。
「そんなに驚くことないでしょ?もし、リベリオスを追うことが間違いなら、止めれば良い。いつも通り学校に行って、普通通り大人になれば良い。でも、それっていつまで続くのかな?」
いつまで平和な生活が続くのか?レオナルドは、答えられなかった。
10年後かもしれないし、1年後かもしれない。ひょっとしたら、明日までかもしれない。
「まあ、今やっていることが正しくても間違っていても、どちらにしても止めた時点で終わりは決定だけどね。リベリオスの勝利、地球人の敗北という未来がね」
総成は何の感情も入れず、本を読むようにスラスラ答えた。
「坊ちゃんは、怖くないのですか?」
「『怖い』?それは何に対してかな?リベリオス追求の名目で他人のプライベートを全て無視して様々な法律を犯していること?それとも、リベリオスのせいで周りの人がいつ殺されてもおかしくないから?後者は怖いと思うけど、法律を破っていることについては、あまり気にしてないかな?」
レオナルドの質問に総成は興味が無いように答えた。
明らかにそれは小学校2年生の答えではなかった。まるで、自分の命すら興味がないように聞こえる。頭のネジが2、3本外れたような異常な解答だった。
「だって、法律は最悪死刑で終わりでしょ?首つり、もしくは劇薬による中毒死かな?しかも、実行犯だけ死ねば良くておまけに人らしく死ぬことができる。ライナー波に関わった人間は『人』として死ぬことは許されないよ?得体の知れない生き物に変わって、使い物にならなくなるまで利用される。さらにそんな自分が、同じ人間を殺すことに使われるんだ。暴走している彼らの感覚は分からないけど、もし意識があったとしたら永久に終わらない拷問をずっと受け続けるということだ。こんな罰、耐えられるわけないでしょ!?」
目の前で怒りを吐く総成をレオナルドは黙って見つめた。
そして自分の怒りを恥じるように、総成は俯く。
「別に僕が最終的に犠牲になるのは構わないんだ。でも、少なくともその前に必ずあいつらを根絶やしにする。絶対にだ。そのためには、例え間違っていることでも必要なら僕はやるべきだと思うよ」
「それが坊ちゃんの責任というわけですか?」
「別の言い方で言うと『義務』だよ。もっと言うと、『生きる意味』だ」
恐ろしく黒光りする総成の意思にレオナルドは、何も言うことができなかった。
レオナルドの想像している以上に、総成は強く、誇り高く、歪んでいた。だが、今一歩のところで踏みとどまっていて、かろうじて人間性を保てているように感じ取れた。
その理由は、おそらく飽田君だろう。彼と小学生らしい会話や暮らしを共にすることにより、坊ちゃんの中に良い意味でゆとりが生まれているのだ。
この町を離れるのは残念だが、彼との繋がりはこれで終わらせたくない。私にとっても、坊ちゃんにとってもだ。
「色々、愚痴を言ってしまい申し訳ありません。坊ちゃんがその覚悟なら、私も全力でそれをサポートさせていただきます」
「今までどおり、期待しているよ。レオナルド」
総成の顔にようやく笑顔が戻る。
「では、早速町を離れる準備を始めます。ただ、出発は明日になってしまうと思うので、今日はお別れをしてきてください」
「ほんと、簡単に言ってくれるね…」
いつものトークが2人に戻ってきていた。
「会うのが辛いなら学校を休みますか?」
「大丈夫、自分の口で言うよ」
総成は、そう言うとご飯を一口頬張った。
食事の後、いつもの通りレオナルドの運転で総成は、学校近くの駐車場まで乗せられると、そこで下車する。
いつもと変わらぬ車の往来。ただ、この光景もこれで最後かと思うと少し総成は悲しくなってしまった。
「くれぐれも車にはお気をつけて」
「心配しすぎだよ、レオナルド」
総成は笑いながら、ドアを閉めた。
車の後ろ姿を見終わると、ランドセルを背負い、いつも通り学校へと歩いて行く。
歩いている途中、ふと顔を見上げるとそこにはもう学校があった。
本当にあっという間だ。今日は、いつもより早く時間を感じられた。まだ、別れの言葉も決まっていないのに。
左右を同じ所へと向かう生徒が声を上げて通り過ぎていく。顔なんて覚えてられない。上手く言葉がまとまらないのだ。
総成は、どうしようかと頭を悩ませていると背後から聞き覚えのある声が聞こえた。
「御神君!」
総成が振り返ると、そこには四郎がいた。だが、その顔は今まで見たことが無いほど鬼気迫っていた。
途端に総成の背中の方に寒気のような感覚が走る。総成は、ランドセルを外すと、右腕を覆うように盾にする。その時、ランドセルに衝撃が走ると、総成は勢いに負けて3歩ほど後退した。何とか踏みとどまると、目の前を睨み付けた。
そこには、金属バットを両手で持ち、目を血走らせて、荒く息を放つ三島一輝の姿があった。ランドセルは持っておらず、どうも登校中の雰囲気ではない。
「三島君、体育の時間が待ちきれないの?」
「とぼけんじゃねえ!!」
総成は、ランドセルを外すと痺れる手を振りながら、冗談交じりに三島に尋ねる。それにキレて三島は恫喝で返した。
「全部てめえのせいなんだろ!?」
三島は、金属バットを思いっきり振り下ろす。総成は、右足を引いて体を縦にし、ランドセルの表面を滑らせてバットを誘導すると、コンクリートの地面を叩かせる。
地面を思いっきり叩いてしまった振動が三島の手を襲う。その衝撃で一瞬、バットを握る力が弱くなった。
そこを総成は見逃さなかった。三島の手を叩いて、バットを落とさせる。そしてそれを蹴っ飛ばして、彼の手からバットを取り上げた。
転がったバットは四郎の下まで転がっていく。すぐに四郎はそれを拾い上げ、ぎゅっと抱きしめた。
「飽田君、すぐに先生を呼んできて!」
「わ、分かった!」
総成達に近づかないようにして、道路の脇を通り過ぎると、そのまま四郎は学校へと走っていく。他の生徒達も総成達から離れるように逃げ出していた。
「何なんだよ…一体何なんだよ、お前!」
「三島君、あいにく僕は今日で転校するんだ。何で恨んでいるのは分からないけど目障りな僕は消えるんだ。これで清々するだろ?」
総成は、ランドセルを盾にしたまま言葉を繋いで先生が来るまで時間を稼ぐことにした。
「お前を殺さないとダメなんだよ…!じゃないと兄貴が…!」
「…一体何の話だ?」
総成が尋ねようとしたが、すぐさま三島の背後から太い腕が伸びると彼を羽交い締めにして取り押さえた。
「何やってんだ、三島!バットで襲うなんて、殺す気か!?」
大柄な体育会系の男性教師が2人、大急ぎで走ってきて、三島を取り押さえた。そのまま、彼を取り押さえた。
どうやら、四郎が伝えるよりも早く誰かが学校の先生に連絡をしてくれたらしい。あまりにも素早い登場に総成は驚いた。
「放せよ!あいつが全部悪いんだよ!?」
「どう見てもバットで殴ろうとしたお前が悪い!いいから、さっさと来い!」
三島は喚きながら、男性教師に連行されていく。
「御神、怪我は無いか?」
「…はい」
会ったこともない男性教師に総成は心配される。
「念のため、保健室に行け。それから、保護者に来てもらう。今日は、早退した方が良いかもしれないな」
そして、総成も連れられて学校に向かった。
結局、その日は別れを惜しむどころではなかった。突然発狂した三島の襲撃によって、ずっと保健室に缶詰にされた。
最初、やってきたのは学校の先生。総成の体の心配をした後は、保護者であるレオナルドを呼ぶため、すぐに出て行ってしまった。
次に来たのは警察だ。総成に襲われた心当たりが無いかどうかを聞きに来た。
総成は全て知らぬ存ぜぬで押し通した。そもそも、総成も今回の襲撃は予想外だったのだ。なぜ、襲われたのか自分が聞きたいくらいである。
散々総成に聞いた後、収穫なしと分かった警察はすぐに実行犯の三島の下へと行ってしまう。
警察の話が終わったとき、ちょうど食事を告げるチャイムが鳴った。
保健室の先生は、緊急の職員会議のため保健室から出て行ってしまう。
おかげで今の保健室にあるのは3台のベッドをそれを仕切るカーテン、そして1つに大の字で寝転がっている総成だけだった。
総成が、黙って保健室のベッドに横になっているとドアが開く音が聞こえた。
「坊ちゃん、私です」
「ここだよ」
レオナルドがスーツ姿で足早に歩いてくると、仰向けに寝ている総成を見下ろした。
「災難でしたね?」
「連絡ありがとう。おかげで怪我せずに済んだよ」
総成はまるで気のこもっていない声で呟いた。
「私が先生を呼んだとなぜ分かったんですか?」
「あなたが誰よりも優秀な執事だからに決まっているでしょ?」
「それは…お褒めに与り光栄ですね」
レオナルドは、苦笑すると同時にまたドアが開いた。
「御神君、大丈夫?」
入ってきたのは四郎と担任の坂口だった。総成は2人に気づくと体を起こす。
「御神は大丈夫だと言っているのに、どうしても四郎が会いたいと言ってな?」
「先生、迷惑をかけてすいませんでした」
「ははは、お前が謝ってどうするんだ?謝るのは、三島だろ?」
坂口は笑い飛ばしながら、レオナルドに近づいていき頭を下げた。
「我が校の児童が息子さんに危害を加えたこと、誠に申し訳ありませんでした。我々教師の監督が行き届いていなかったことが招いたものです。謝って済むことではありませんが…」
「私としては総成が無事なだけで満足ですよ。頭を上げてください、坂口先生。実は、皆さんにお話ししなければいけないことがあります」
レオナルドは坂口の顔を上げさせると、四郎と坂口を交互に見ると口を開いた。
「本日限りで、総成は転校することになりました」
「ええっ!?」
2人ともいきなりの報告に驚く。
「私の仕事の都合でして、明日には他の町に行かなければならないのですよ。急で申し訳ありませんが、すでに学校長には話が済んでいます」
「で、でもいくらなんでもこんな急に…」
戸惑いを隠せない四郎だったが、そんな彼に総成は語りかけた。
「時間ができたら、また会いに来るよ。別にこれが最後じゃないんだから」
「そ、そうだよね…。なあんだ、ちょっと焦っちゃったよ。でも、どこに引っ越しするの?」
「詳しいことは今日決まるんだ。こっちも大変なんだよ。色々準備しなくちゃいけないから」
総成は何となく誤魔化すと、ベッドから降りて上履きを履く。
「短い時間ですが、総成をよろしくお願いしますね」
レオナルドは、保健室から出て行く3人を見送ると自分も部屋を後にした。
それから、いつもと変わらぬ時間が過ぎた。
ハッキリ言って、出発が急すぎたのだ。お別れの準備も何もできるわけがない。それに僕もそこまでしてほしいとは思っていない。
それにそもそも僕達のクラスは2人だけだ。用意をするにしても手が足りない。
時間が無い、人手も足りない。できることはいつもよりたくさん喋っただけ。
それでも、これで終わりかと思うと何とも言えない気分になってしまうものだ。
永遠に会えなくなるわけではないのに、なぜ悲しくなってしまうのだろう。
いつか、各地を転々とせず学校生活を送れる日が来るのだろうか?来るとしたら、リベリオスがいなくなった後だ。何年先になることやら…。
「よし、これで今日は終わり!御神、別の学校でも頑張れよ!」
最後のホームルーム。坂口は爽やかに締めくくろうとした。
「とは言っても、お前とは1ヶ月くらいしかいないから、あまりピンとこないんだよなあ…」
「ははは、実は僕もあまり実感ないんですよ。だって、短すぎますからね」
坂口の本音に総成は同調した。
「ねえ、総成君はいつも転校するときはこうなの?」
「まあ……仕事が忙しいからね。それほど悲しく思わないのはむしろラッキーかな?あんまり長くいると気持ちが移っちゃって別れられないでしょ?」
四郎の問いに総成は若干トーンを落として返した。
「お前、本当に小学生か?何か大人を相手にしている気分だぞ?」
「あっ、先生も僕と一緒の意見」
坂口と四郎は、意気同調し合うのを総成は笑っていた。
「それじゃあ、最後に別れの言葉を言ってもらおうかな?」
坂口は笑みを浮かべて、総成に振った。総成は目を丸くする。
「えっ!?何も考えてないですよ!?」
「そりゃ、こっちの台詞だ。いきなり、転校なんて言われてこっちも何も考えてなかった。だから、詫びとしてお前には何か残していってもらわないとな」
「いや…でも…アドリブとか苦手で…」
総成は長い髪を掻いて、困ってしまった。
「何でもいいから、ほら前へ出た出た!」
四郎は総成の腕を引っ張り、立たせるとそのまま黒板前の教卓の前方に立たせる。四郎は席に戻り、坂口は総成の座っていた席に着いた。
2人に笑顔で見つめられ、総成はまた頭を掻くと覚悟を決めて前を向いた。
「ええと…正直言うと僕はこういうのが苦手なんですけど…仕方ないから言わせてもらいます。僕は、1ヶ月以上同じ町にいたことがありません。僕の親の仕事が忙しくて、なかなか同じ所にいられないからです。この町へ来たのも仕事のためです。それも、もう終わりました。はっきり言って、友達なんかいらないと思ってました。だって、すぐ別れるんですから。仲良くなっても、意味ないと思っていました」
総成は1呼吸置いて、目の前の2人を見ると再びしゃべり出す。
「おかしな話ですけど、僕って変だと言われます。周りと馴染めなくて、気がつけばクラスの端で本を読んでいるようなタイプです。正直言って、いない方が良いんじゃないかと思ったときもありました。けれど、やっぱり寂しいのは嫌なんですよね。でも、いつの間にか1人になってしまっていて……やっぱり友達を作るのは無理なんじゃないかと諦めていました」
総成はまた1呼吸を置くと、再び語りだす。
「この町に来て良かったことは、四郎君に会えたことです。彼は、僕に手をさしのべてくれた。キッカケを与えてくれたんです。本当なら、どんどん仲良くなっていきたいなあと思っていましたけど……まあ、転校してからでも会えますし、そこはあまり気にしてません。また、会いに来るんでその時まで友達でいてください!以上、終わり!」
教室にパチパチと拍手が鳴る。総成の話を聞いていた2人は満面の笑みで、拍手の嵐を送っていた。
「いやあ、残念だなあ。やっとお前のことが分かり始めたのに、もう別れなんて。まあ、転校先でも頑張って友達作れよ?四郎みたいな奴はなかなかいないからな?」
坂口は優しく総成の肩を叩いた。
「総成君ならその気になれば、すぐにできると思うよ?時間が空いたら、いつでも戻ってきてね。そしたら、また勉強教えてよ」
「うん、必ず会いに来るよ」
総成は、2人と固く握手を交わした。
ほんの短い時間だったが、こうして稲歌町での学校生活は終わった。
本当に大切な時間だった、何物にも代えられないくらいに。

同日 稲歌町 総成の家 午後8時51分
総成は、テーブルに肘を乗せて座りながら、ボーッと目の前を見ていた。そこには窓があるだけで何も無い。しかし、彼は見えないはずの物を見るかのようにじっと虚空を一点、ひたすら見つめていた。
部屋は塵1つ無く、綺麗に片付いている。レオナルドが毎日家は掃除をしている。おまけにここは借家である。御神グループの取り扱い物件を一軒拝借し、いつでも出て行けるように準備をしていた即席の隠れ家だ。
「坊ちゃん、荷物は次の家に移動ができております。すぐに、三島勝己を追いかけましょう」
レオナルドはキッチンへと入ってくると、黙り込んで座っている総成に気がついた。そして、彼の前に回ると椅子に腰掛ける。いつもの通りスーツ姿である。
「お別れはどうでしたか?」
「良かったよ。今までで最高のクラスだった」
総成は、上の空で返事した。
「それにしては…心ここにあらずですが、いかがしましたか?」
「…今日、三島に襲われた件だ。彼は、僕たちの関与を知っていた」
「それは……本当ですか?」
レオナルドは、急に声を落とし、総成の目を見つめた。その目はすでに答えを見つけていた。ただ、全く生気が宿っていなかった。
「普通に考えれば、三島が僕たちのことを知っているわけないんだ。レオナルドが、説得したのは沢渡先生。彼女が取る行動は、常識的に考えてこの時点で2つ。警察に自分の盗撮の罪を話すか、誰にも言わず黙っているかだ。もし、僕たちのことを知っているとしたら、それは警察だ。そして、捜査の段階で警察が三島を調べたとしても、僕たちのことや沢渡先生のことを教えるわけがない。情報提供者のことをベラベラ話す国家権力がいるわけがないんだ」
「……そうですね。よほどのミスでも起こらなければありえませんね」
レオナルドは、総成の話に同意した。
「仮に想像以上のミスを警察がやって、情報を教えてしまったとしよう。でも、そんなの考えられないんだ。沢渡先生に話したのは昨日の夜。沢渡先生はその後、警察に連絡をしたとして、その後警察は沢渡先生の発言の証拠の裏を取り、犯人は三島勝己であることを確定し、彼と接触したということだ」
「問題は、それを次の日の朝までに全部行ったということですね?」
レオナルドは総成の推理を繋げた。
「レオナルド、そんな早業可能だと思う?」
「私が1人で全部行うのなら。でも、あいにく警察は組織です。そんなに早く仕事ができるなら手抜き捜査であることを疑われますよ」
レオナルドは、冷めた口調で総成に返す。
「つまり、警察には時間的に無理だということだ。じゃあ、残る可能性は?」
「彼女が、加害者の三島に我々のことを報告した……ですか?彼女は我々でも警察でもなく、自分を追い詰めた元カレを信じたと?そして、弟がそれを聞いた?」
「あり得ない話だけど、それしか考えられないでしょ?」
2人は黙ってしまった。すると、突然レオナルドの携帯電話が鳴り響く。素早くポケットから取り出すと、相手を確認した。
「誰?」
総成は尋ねる。
「噂をすれば本人ですよ。スピーカーにします。坊ちゃんはお静かにお願いします」
レオナルドはテーブルの上に携帯電話を置くとスピーカーにして、電話に出た。
「もしもし?」
「あっ、御神君のお父さんですか?沢渡です。夜遅くに申し訳ありません」
「いえいえ、構いませんよ。私もちょうど先生とお話がしたいと思っていたところです」
レオナルドは、真剣な表情で柔らかく答えた。
「すいません、実はお願いがありまして。先日お話を聞いていただいたことで、もう少しお話があるのです」
レオナルドは、答えずにじっと携帯電話を見ていた。そして、総成の目を見る。総成は、黙って頷いた。
「かしこまりました。しかし、私たちは今日中に出かけなければならないところがあります。あまり長居はできません」
「ありがとうございます!それで、実はもう1つお願いがあって、御神君も一緒に来てもらいたいのです」
レオナルドは急に不審な空気を感じて顔をしかめる。
「なぜ?」
レオナルドの返答は、冷たい。
「なぜって……私の行動のせいでたくさんの生徒に迷惑をかけてしまいました。ですから、1人ずつ謝りたいんです。だから、まず1番お世話になったあなたとその息子さんに」
「なるほど。それで、どこでお話しますか?」
「私の家ではどうでしょうか?住所を言います」
住所を聞いている最中、レオナルドは、再び黙ってしまう。そして、総成を見た。総成は、再びレオナルドを見つめると、頷いた。
レオナルドは聞こえないように小さくため息を吐く。
「分かりました。今すぐ、向かいます」
「ありがとうございます」
レオナルドはすぐに通話を切ると、天井を仰ぎ見る。
「謝罪をするのに自分の部屋に呼ぶかな?」
「普通は相手の所に向かいます。ただ…外に出たくないということでしょうか?警察に行くのかどうか、迷っているかもしれません。私たちが背中を押してあげることもできますが……」
レオナルドは、口を手で覆うと言葉を切って黙ってしまった。
「どうしたんだい?」
「もし、坊ちゃんの推測が正しいなら、彼女は三島勝己と繋がっています。事件の詳細を知った私たちは邪魔な存在のはず」
「まあ、先生の部屋に行ったら、三島が待っていて刃物で襲いかかってくるかもね。『死人に口なし』だから、ある意味理にかなった行動と言えるけど」
総成は、立ち上がるとドアに向かっていく。
「そこまで分かっていて、行くんですか?坊ちゃん」
「もし、奴が先生の部屋に潜んでいるならラッキーだ。返り討ちにして逆にリベリオスの情報を吐かせる」
「相手は一応大学生なんですけどね……。その絶対的な自信はどこから出てくるんでしょうか…」
「僕は、リベリオスを倒すために生まれた男だからだよ」
「何の根拠にもならない説明、実に見事です」
レオナルドは、呆れながら総成の後に付いて部屋を出て行く。

同日 稲歌町 中央地区 マンション『グリーンバレー』前 午後9時34分
すでに暗闇が町に充満して、路道は街灯無しでは困難になるほど、歩きにくかった。
沢渡の家は、学校近くのマンションだ。歩いて10分ほどで学校に迎えるため、非常に立地条件の良い場所だった。
4階建ての建物は新築のようで、街灯の明かりを受けて傷1つ無く灰色に輝いている。
総成とレオナルドは、マンションの隣にある来客者駐車場に車を止めて降りる。そのまま路道を歩き、正面の入り口へと向かう。正面にはガラスの自動ドアがあり、その横にはボックス型の暗証番号入力装置が置かれていた。
「ずいぶん、立派なマンションですね?」
「うん、新任の教師が住むには不釣り合いに思うね。恋人と一緒に住んでいるのかな?」
2人は、周りに聞こえないように小声で話し合う。すると、突然ボックスから音が聞こえる。
「お待ちしてました、どうぞ中へ入ってください。部屋は2階です。エレベーターで上がってください。201号室です」
沢渡の声が聞こえ、自動ドアが開いた。
レオナルドが先頭を歩き総成は、後を付いていく。
「レオナルド、今沢渡先生の恋人は?」
「複数候補がいます。特定の人の家に通い詰めているという情報はありません」
正面のエレベーターのボタンをレオナルドが押すと、待っている間レオナルドに質問した。
「どんな人たち?」
「建築家の卵、おもちゃメーカーの新入社員、銀行員、新任警察官……どれもこれも学生時代の友達みたいですよ?」
「その中で、このマンションの部屋を借りている人は?」
「申し訳ありません。このマンションそのものが盲点で調べられませんでした」
「そうか…」
レオナルドの声を聞きながら、総成は頭の中で考え始めた。
ひょっとしたらここは彼女の家ではないのかもしれない。そう仮定すると、変だ。何で、自分の家でもないところに僕たちを招く?
やっぱり、三島が待ち受けているのだろうか?
でも、彼は大学生だ。職にも就いていない。こんな防犯機能が厳重な高級マンションを借りられるとは思わない。彼の父親が借りているのか?それとも全く別の人が…。
色々考えている間に、エレベーターの扉が開く。そこは天井のライトに明るく照らされ落ち着いたクリーム色の壁に囲まれた廊下になっていた。左右に3部屋ずつ備え付けられている。
201号室は一番手前の部屋だった。レオナルドは、ドアノブ横のインターホンまで行くとベルを鳴らす。総成は部屋の番号が書かれた下の書かれている名前プレートを眺めた。そこには何も書かれていなかった。
単に名前を書き忘れているだけ?それとも、本当に他人の部屋?
総成は不信感を強くしながら、その時を待った。
すると、ゆっくりとドアが開いた。中からジャージ姿の沢渡先生が現れ、最初にレオナルド、次に総成を見ると取って繕ったような笑顔を浮かべる。
「夜遅くにすいません。どうぞ」
沢渡は、2人を促すと奥へと消えていった。
レオナルドと総成は、声に従って中に入っていく。ピカピカに磨かれた廊下を直進すると来客用の居間があった。ソファが相向かいに置いてあり。間にはガラスのテーブルが置かれている。
「どうぞ、座ってください」
奥のキッチンで、紅茶を入れている沢渡がソファの前で立っている2人に声をかけた。
総成とレオナルドは、周囲を確認するとゆっくりと腰を下ろした。
「どうやら、誰もいないみたいですね?坊ちゃん」
レオナルドの安心した小声。一方、総成は周囲をぐるっと見渡しながら沈黙していた。紅茶を入れる音以外、何も聞こえない。
総成はポケットからメガネを取り出すと、外に待機させてある監視ボールの映像をメガネに映し出した。メガネに映っている熱源反応は、沢渡先生のみ。音源探知を行っても少しも室内から反応は出ない。
どうやら、本当に誰もいないようだ。
総成はメガネをポケットにしまうと、天井の照明を眺めて何も言葉を発さなかった。
「すいません、こんなものしかお出しできなくて」
「先生、どうかお構いなく」
レオナルドは、素直にお礼を言った。
沢渡はそれぞれの前に紅茶を置くと、正面のソファに座った。
「御神君、学校はどう?」
「楽しかったですよ。次の学校でも友達を作りたくなりました」
「『次の学校』?どういう意味かしら?」
沢渡は総成の言葉が理解できていないようで聞き返してきた。
もしかして、僕の転校のことを知らない?
「先生、今日は学校に出向きましたか?」
レオナルドは尋ねた。沢渡はちょっと躊躇したが首を横に振った。
「そうですか…。急な話ですが、私の仕事の都合で総成は本日限りで転校することになりました」
「えっ!?」
沢渡は口を押さえ、レオナルドと総成を二度見した。
どうやら、先生は何も知らないらしい。ひょっとして、この部屋にずっといたのかもしれない。
「先生は、今日は外へ出られましたか?」
「ごめんなさい。ちょっと…色々と決心がつかなくて」
困ったように俯く沢渡にレオナルドは優しく声をかけた。
「協力できることならば我々は何でもさせていただきますよ」
「ありがとうございます。あっ、どうぞ。冷めないうちに飲んでください」
沢渡が2人に紅茶を勧めると、総成は笑顔でカップを手に取り、口元に運ぼうとしたが、滑ってこぼしてしまい、自分の服にぶちまけてしまった。
「あっ!すいません。ちょっと、タオルかティッシュをいただけますか?」
「ちょっと、待っていてね」
総成の頼みで沢渡は席を外すと、1分ほどで戻ってきた。そして、新しい紅茶を入れにまた席を外し、湯気立つ紅茶をまた持ってくる。
「今度は慎重に飲んでね?」
「先生、ところで何で僕たちを呼んだのですか?」
自分のTシャツをタオルで擦りながら、総成は沢渡に尋ねた。
「それは…これからどうして良いか分からなくなって…。レオナルドさんに前に話を聞いたんだけど、今度も聞いてもらいたくて」
「『どうして良いか』?先生が取る行動は2つですよ。警察に行くか、黙って教師生活を送るか」
総成は、沢渡の目を見ずに自分の服を拭きながら、淡々と答えた。その言葉で場の雰囲気が一変するのをレオナルドは感じた。
「えっ?でも…やっぱり警察に行った方が…」
「先生、1つ言っておきます。別に警察に行かなくてもいいんですよ。警察が来るのを待っていればいいんですから。でも、自首と逮捕では全然違いますよね?思うんですけど、自首とは先生が三島に対してできる最大の反抗です。先生が自分の意思で彼の支配から脱却するための儀式。だから、先生にはとても重要な意味があると思うんですよ」
総成は喋りながら拭き終わると、丁寧にタオルを畳んで目の前のテーブルに置いた。沢渡は総成の意見に黙ってしまう。
「先生、僕たちはあなたを助けたいと思っています。でも、先生は僕たちを味方だとは思っていない」
「べ、別にそんなことは…」
「思っていない?じゃあ、何で紅茶に睡眠薬を入れているんですか?」
総成は、満面の笑みで推理を沢渡の腹に突き立てた。
そして、テーブルの上に半分ピンク色で半分白色のテープを置く。
「何…それ?」
「リトマス紙は知ってますよね?酸性かアルカリ性かで紙の色が変わる検出紙。これは、それをちょっと細かくしたものです。さっきたまたまポケットに入っていた紙に紅茶が染みこんでしまって…。そしたら、紙が睡眠薬の反応を示していて、何でだろうなあ~って思ったわけですよ」
総成のニコニコ顔は変わらなかった。
沢渡はその笑みから、心臓を掴まれるような恐怖を感じ取る。視線は総成と目を合わさないように泳いでいた。
「沢渡先生、なぜこんなことをしたんですか?」
今度はレオナルドが尋ねた。
沢渡は一瞬、レオナルドを見るがその真剣な視線を見ると、また視線を逸らす。
「少なくとも、睡眠薬については僕たちに説明する義務があると思いますが?」
総成の口から冷たい言葉が響いた。
しかし、沢渡は下を向いたまま一向に話そうとしない。
さらに総成が口を開こうとした時だった。
総成のポケットのスマートフォンが鳴り出す。大事な話の最中なので総成は切ろうとしたが、相手の電話番号が見たこともないものなので疑問に思う。
「レオナルド、ちょっとここ頼んだ」
レオナルドに沢渡のことは任せると、玄関前の通路に歩いていき、電話を受ける。
「もしもし、御神です」
「あっ、御神君?私、四郎の母の雪子です」
「四郎君のお母さん?こ、こんばんは」
予想外の登場人物に総成は声が裏返ってしまう。
なぜ、四郎君のお母さんが自分に連絡を?電話番号は四郎君から聞いたと思うけど…。
「ごめんなさいね、夜中に。御神君、四郎の友達でしょ?四郎に電話番号聞いちゃったから、かけてみたんだけど……そろそろお別れ会を切り上げてくれないかなあ?明日も学校があるし、夜は物騒だし」
「………お別れ会?何の話ですか?」
総成は、全く心当たりの無い言葉に聞き返した。
「え?御神君の家でお別れ会をやっているんじゃないの?御神君、今日でお別れなんでしょ?だから、最後に2人で……」
「ちょ、ちょっと待ってください!そんな話、僕は知りませんよ?四郎君がそんなこと言っていたんですか?」
「夜は危ないから知り合いの警察官を寄越してくれたんじゃないの?」
雪子の言葉にさらに総成は混乱する。
何だ?一体、四郎君のお母さんは何を言っているんだ?
総成は、頭の中で瞬時に雪子の言った情報を整理した。
要約すると、僕の家でお別れ会が開かれていて、それに四郎君が来たそうだ。そして、夜は危ないからという理由で僕の知り合いの警察官を彼の家に派遣したらしい。四郎君は、その警察官と一緒に僕の家に来るという話だ。
話を整理していた総成に嫌な悪寒が走る。
誰なんだ、迎えにいった警察官というのは?
「ちゃんと警察手帳も持っていたんですか?」
「ええ、ちゃんと警察官だって確認しました。名前はよく分からなかったけど…」
雪子は当然のように答える。
ということは、本物の警官か?警察官が四郎君に何の用だ?
すると、総成の頭の中にいきなり全身の血が凍るようなシナリオが流れ出し、頭が真っ白になってしまった。
「御神君、聞こえている?それで、そろそろ四郎を…」
「何時ですか!?四郎君が、その警官に連れて行かれてから何時間経ちましたか!?」
急に声を荒げる総成に雪子は驚いた。
「もう…1時間くらい前かしら?」
「良く聞いてください!今すぐ、四郎君を探してください!四郎君は、誘拐されたのかもしれません!」
総成の鬼気迫った呼びかけに雪子は、素直に応じることができなかった。
「御神君、何言っているの?四郎はあなたの家に…」
「僕の家に彼は来ていません!そもそも、そんなパーティーを開いた覚えもない!」
「で、でも…警察の人よ?連れ去ったなんて大袈裟な…」
「とにかく知り合いに電話して、一刻も早い捜索をお願いします!」
総成は電話を切ると、すぐさま稲歌町中の監視カメラの映像をメガネに受信した。
とにかく、四郎君の足取りを追うんだ!
しかし、そこに流れていたのは砂嵐のようなノイズだった。
目の前の光景の無情さが総成の顔を凍り付かせる。
カメラの映像が妨害されている?
稲歌町には無数の監視ボールが配置されており、その映像は総成の持っているメガネに送られてくる。監視ボールにはライナー波の妨害対策が施されており、映像受信の障害になったことは今まで1度もない。稲歌小学校でも妨害の影響は受けなかったのだ。
それがいきなりの全滅。妨害電波の出力を強めて、こちらの対策を上回るほどにしたということだ。
つまり、今までは加減されていた?重要な場面でこちらを陥れるために?
だとしたら、今ここにいることも奴らの手の内?
総成は、すぐに部屋に戻ると沢渡の前まで早足で歩いて行き、目に怒りと冷酷な光を宿して見下ろした。
沢渡は、総成を一瞥するが再び視線を下に戻した。
「四郎君はどこですか?」
「……何の話?」
沢渡は、どこ吹く風のように聞き流した。
先ほどとは立場が逆転していた。わずか1分で立ち位置が変わってしまったのだ。
「どうしたんですか?」
レオナルドが取り乱した総成に尋ねる。
「四郎君が誘拐された。犯人は警官だ。僕らをここに呼んだのもそいつの思いどおり。そして、あなたはその人を知ってますよね?沢渡さん」
もう総成は『先生』と呼ばなくなっていた。単純な状況説明だったが、単語からは侮蔑の意味合いがありありと伝わってくる。
レオナルドは、総成の話を聞くと目に怒りを宿し沢渡を見た。
「沢渡先生、どういう意味ですか?」
「それは、こっちの台詞です。私は被害者なんです。責められる謂われはありません。総成君はさっきとずいぶん態度が変わったようですが、一体何があったのか私にはさっぱり分かりません」
沢渡はツンと総成とレオナルドを突き放す。
先ほどのおびえていた様子はすっかり消えている。まるで、別人である。
総成は、冷静に頭を働かせ沢渡を見つめた。
僕の態度を見て、何があったのかこの人は分かっているんだ。この態度を貫いていれば、絶対に安心だと分かっている。話を聞こうとしても無駄だ、何も話さないだろう。
「レオナルド、時間の無駄だ。早くここを出よう」
「すぐに車を回します」
レオナルドは、素早く立ち上がると視線を一瞬沢渡に向けるが、興味を失ったように素早く玄関の方に向かう。
「早く新しい友達を作るのよ、御神君。これに懲りずにね」
レオナルドを追う総成の背に沢渡の耳にまとわりつく言葉が響いた。
「警察の知り合いがいるなんて盲点でしたよ。そりゃ、何しても安心ですよね。頭良いですよ、沢渡さん」
総成は立ち止まって振り向かず、沢渡と喋った。
総成は、顔も見たくもなかった。
「誤解しないで。私だって色々考えたの。でも、誰でも失敗はあるでしょ?それを認めてせっかくなれた教師を捨てるのはもったいないと思わない?」
「ちゃんと自首すれば、あなたは悲劇のヒロインとして、世間の同情を買って、教師を続けられたかもしれないのに……残念です」
総成の言葉には全く気持ちがこもっていなかった。形式上の文句をただ音読するように淡々と述べている。
「あなたはまだ世間をよく知らないみたいだけど、そんなの無理なのよ。世間はそこまで甘くないわ」
「ええ、あなたならそうでしょうね。無理ですよ。あなたじゃ何やっても『無理』ですよ、沢渡さん」
総成の言葉が刃物のように沢渡に突き刺さった。
「自分の身を守っただけよ!!」
総成の言葉に沢渡は激高した。
「確かにあなたは被害者だ。けど、もう教師じゃない。思えば、三島とあなたはお似合いだったと思いますよ?自分の手を汚さないように他人にやってもらうところなんか2人ともそっくりだ。これから、あなたを庇ってくれたお友達の機嫌を伺う接待人生の始まり。金なり、体を貢ぎ続けて彼氏に捨てられないように頑張ってください」
総成は口からヘドロを吐き出すように言い切ると、最後に一言。
「まあ、いくら頑張ってもあなたには無理ですけどね」
呪いの言葉を告げると総成は早足で沢渡の部屋を立ち去る。玄関のドアを閉めると、部屋の中で物が壊れる音が響き渡った。
総成は、エレベーターと反対方向に廊下を走り出す。すると、非常階段に続くドアが見え、それを押し開く。
足を置くと乾いた音が鳴る金属製の階段が、マンションの壁面を覆っていた。
総成は素早く階段を降りると、正面玄関を通り過ぎ道路に到着する。ちょうど、レオナルドが総成の前に車を停車させ、後部座席のドアを開いた。総成は中に飛び込むと同時にドアが閉まる。
「全ての監視ボールの機能がマヒしています!これでは、飽田君の居場所が分かりません!」
「確かに相手の技術はこちらより上だったかもしれないが、脇が甘いね」
総成は、隣の席に置いてあったノートパソコンを開くと素早くキーボードを叩き始めた。
「良かった、車の防護のおかげでこのパソコンはまだ生きているみたいだ。……なるほど、相手が行ったのは映像情報の妨害。監視ボール自体はまだ機能しているみたいだ」
「しかし、映像が無いと場所が分からないのでは?」
レオナルドに言葉を返さず、総成は無言でキーボードを叩き続けた。そして、ふと叩く音が止まった。
「レオナルド、四郎君の家に向かってくれ!」
「はい!」
総成の指示で、車は目の前のT字路を左折した。
「なぜ、場所が分かったんですか!?」
レオナルドが、総成に尋ねる。
「妨害電波の強度だよ。監視ボールのデータによると妨害電波の強度が四郎君の家の近くだけ、他の地域と比べると強く設定してあるようだ。近くに行ったら、徒歩だよ。この車もパソコンも使えなくなる」
「徒歩で何の手がかりもなしに彼を見つけるのですか!?」
「見つけるしかないだろ……!」
総成は確実に四郎を見つけるという気持ちで心の中によどむ不安を踏みつぶした。
5分後、怒濤の勢いで突き進んだ車は飽田家が見える小道に停車する。まるで碁盤のように道が入り乱れており、周囲を民家に囲まれていた。
総成は車から飛び出すと、曲がり角をひたすら右折と左折を繰り返しながら、民家の明かりを頼りに四郎の家まで全力疾走で走って行った。5分くらい走ったとき、四郎が住んでいた団地が見えてくる。
老朽化した団地は、住民のドアに点灯している明かりのせいで幽霊屋敷のようなたたずまいであった。総成は、飽田の家の前に来ると周囲を見渡す。
妨害電波の範囲は大体400メートルほど。四郎君を連れた警官は、この近くにいるのか?誘拐なら、できるだけ離れようとするはず。さらった子どもの家の近くにいるなんて、何か別の目的があるのか?
総成は、頭で考え、足を動かした。駐車場を横切り、四郎の通学路の順序をなぞって歩く。左手に四郎の住む団地が見えるところまで移動した。
背後から、車の前で文句を言っている住民の声が聞こえる。どうやら、妨害電波の影響で周囲の車が機能停止に追い込まれたようだ。そうなると、警官も徒歩で来た可能性がある。車は便利だが、逃走の時に必ず痕跡が残る。
しばらく歩くと、団地の裏を流れる川の音がはっきりと聞こえはじめ、目の前に大人が3人並んで通れる鉄骨で作られた橋が幽霊のように現れた。
暗闇のせいで川がよく見えず、両岸にある民家の明かりのおかげで何とか橋を認識できる。橋を渡らず、右に進むといつもの通学路。この前、四郎君と来たときの道だ。
警官達は橋の向こう側に渡ったのだろうか?
暗闇でよく見えない橋に総成が足を踏み出したとき、背後からレオナルドの声が聞こえた。息も絶え絶えに、総成のもとに走ってくる。
「坊ちゃん、周囲の住民に聞きました。こちら側に大人と一緒に歩いて行く小学生を見たそうです」
「その人は警官?」
総成は尋ねた。
「警官の服装はしていなかったそうです。ただ、大人だということです」
今の報告を聞き、総成は雪子の電話に納得がいった。
警官の服装は目立つ。パッと見れば、その人が警官であると分かる。わざわざ、警察手帳を見せなくてもだ。わざわざ、手帳を見せたということは警察官であることを印象づけるため、そして本人が私服だったということ。
つまり、周囲の人には警官であることを伏せて、雪子さんにだけは警官であると知らせたい。では、なぜ警官であることを彼女に知らせたかったのか?
それは、雪子さんの警戒心を解き、四郎君を連れて行くためだ。警察は正義の象徴。まさか、警官が誘拐するとは誰も思わないだろう。
「坊ちゃん、四郎君は?」
「まだ見つからない。この辺りにいる可能性は高いんだ!相手は僕の名前を使って、連れ出して行方をくらました。少なくともただの警官じゃないだろう」
総成は必死に怒りを抑えながら、1言ずつ押さえた。
「私は通学路に沿って探します!」
「僕は橋の向こうを探す!」
2人がそれぞれ移動しようとしたときだった。
橋の向こう側から、ライトを片手に四郎の名前を呼ぶ女性の姿が現れた。
「四郎!どこにいるの!?」
「四郎君のお母さん!?」
総成達は、急いで雪子の下に向かった。こちらに向かって走ってくる総成に気づいたのか、雪子もこちらに向かってきてお互いに橋の上で止まる。
「四郎君のお母さん、彼は?」
「どこにもいないの!御神君に話を聞いた後、警察署に確認したんだけど『そんな警官を送った覚えはない』って言われて……近所の人に相談して辺りを探したんだけどどこにもいなくて。もう…どうしたらいいか…」
泣き出しそうな雪子に近づき、レオナルドは優しく肩を叩いた。
「気をしっかり持ってください。一緒に彼を見つけましょう、いいですね?」
「ありがとうございます…!」
2人を見上げながら、総成は考え始めた。
探したということは、この辺りの住宅に四郎君はいない。でも、妨害電波の強度はここだけ強い。この辺りに何か意味があるのか?
総成は音に耳を取られて何気なく、橋の手すりに手を置き下の川を見た。
水の量と流れが前回見たときに比べ、段違いに増えて速くなっている。
おそらく、上流で雨が降ったのだろう。
その時、輝く一筋の光が総成の目に入った。気になった総成は、しゃがむと光があったところに手を触れる。
「何だ、釣り糸?」
「ここから釣りをした人たちが、片付け忘れた物では?」
レオナルドもしゃがんで糸を手に取る。糸は手すりの下の柱に絡まっている。糸は張っておらずたるんでいた。そしてそのまま、川の中に落ちていた。
総成は外そうとしたが、外れない。よく見ると結び目があった。
「すいません!?私、自宅の方を探してきます!」
「坊ちゃん。我々も探しに行きましょう!」
焦っている雪子を見てレオナルドが、総成を急かした。しかし、総成は動かなかった。
黙って釣り糸の先の川を見つめている。まるで底なしの井戸のように真っ暗で、川の中は何も見えない。
総成は、自分自身でも分からないうちに糸を軽く引っ張った。すると、川の中から音がした。何かが水面を叩いたようだ。
不審に思った雪子が、ライトを水面に向けた。
それは、暗闇に浮かぶ長く細い物体。そして、その先に付いていたのは小さなスニーカーだった。
「そんな……!嘘だあああ!!」
総成は半狂乱になりながら叫ぶと目の前の川に飛び込もうとするが、レオナルドに体を掴まれて止められる。
「無茶です!この勢いじゃ流されてしまいます!溺れてしまいますよ!」
「放せえええ!」
総成は、心臓が飛び出すような声を絞り出すと、レオナルドを振り払い反対側の手すりに向かい、川を見る。
たまたま、暗闇に浮かぶ木片から流れの速度を瞬間的に導くと、そのまま2メートル近く落下し、川に飛び込んだ。
重力を存分に感じて2秒ほどの血が止まるような感覚。そして着水と同時に冷たさが、爪先から順に頭まで伝わる。
夜の川、水の中の視界は最悪。何も見えない。流れのせいで軽い自分の体は回転。上下左右も分からない。確かに、レオナルドの言うとおり無茶だった。
だが、総成には確信があった。
おそらく、持ち上げることはできない。糸のたるみから推測すると、水の中で固定されている。たぶん重石だ。
そして、川の流れの速さが分かればどれくらいで糸まで辿り着くかが大体分かる。後は流れで発生する自分の回転の速さと体の向きを計算してその通りに腕を突き出せば良い。
そう、1秒後に11時の方角に左腕を突き出せば、さっきの足を掴める!
足に辿り着くまでの1秒間に回転する自分の勢いと向きを考慮に入れ、解答を導くとその通りに腕を突き出し握る。
そこには確かに足があった。滑らないように指に力を込めると、そのまま体の方に右手を移動させる。
すると、手に固い縄のような感触が走る。重石と体をその縄を伝うと結び目に触れる。総成は、流されないように踏ん張りながら結びを解く。固く結ばれており、30秒近くかかって何とか解くことに成功する。
すると、突然足に絡まっていた釣り糸が切れる。
釣り糸で足が切れることを阻止するためにレオナルドが切ったのだろう。
支える物を失った体は突然流れ出した。総成は、服を掴んだまま浮上し、息も絶え絶えに川の端のコンクリートブロックを目指して、必死に水を掻きながら泳ぐ。
服を着たまま、人を掴んで泳ぐというのは想像以上にきつい。疲労で服を放しそうになったが、すぐさま胴体に腕を巻き付けるように支え、離れるのを防ぐ。
何とか、コンクリートに辿り着いたときにはすでに橋が見えなくなっていた。総成は、そのままコンクリートをよじ登ろうとしたが、疲労と重量で動くことができない。
総成は、抱えている物体を見た。
それは、今日の下校時まで一緒に笑い合っていた友達だった。別れたとしても、また会えるときが来る。寂しい気持ちはあったが、あの時は喜びに溢れていた。
最後の別れになるなんて思いもしなかった。これからだったんだ。これから、楽しいことを一緒に作っていく予定だったんだ。たった1ヶ月だけではなく、何年も、何十年もだ!お互い飽きて音信不通になるまでずっと続いていく予定だったんだ!
目の前にいた四郎君は、目や口を開いたまま、虚空を見つめている。顔や服には泥や草がこびり付いている。顔は青ざめて、体温は全く感じられない。
為す術なんてない。誰でもわかることだった。彼はもう戻ってこないのだと。
「僕のせいだ。君を…巻き込んでしまったんだ…。誰にも会わず、口を開かず、心を閉ざして引きこもっていれば良かったんだ…!ごめんな、四郎君…僕を呪ってくれ、僕を憎んでくれ……僕を…ぼ…くを……!」
総成はコンクリートにへばりつきながら、ついに声が出なくなり、泣き続けていた。
レオナルドに助けられたのは、それから5分後だった。
何もできず、すがるものもなく、ただ耐えるしかない長い時間であった。

事件から4日後 稲歌町 中央地区 とあるビルの屋上 午前6時12分
総成は、ボンヤリとビルの屋上から中央地区の大通りを眺めていた。手には新聞をぶら下げ、だらんと力なく掴んでいる。青いTシャツとジーパンを履いており、服には皺が入りくたびれている。眼下の町はすでに活気づいており、大勢の車が行き交っている。
4日の間、監視ボールの回収と四郎君の葬式以外やることはなかった。突如発生した妨害電波は、何事も無かったように収まっている。
どうやら、あの時間帯に僕たちを妨害するために起動させたようだ。
つまり、最初から四郎君を殺害するつもりだということだ。万が一、僕たちが気づいて犯行を阻止されないためにわざわざあんな工作を行ったのだ。
妨害工作では、特に大きな被害は起こっていない。ただ、あの時間に四郎君の家の周辺は電子機器が全く使えなかったという話だ。
混乱が起きないように上手く範囲と出力を調整したのだろう。本当にやり方が上手い。悔しいけど、リベリオスの技術力にはまだ歯が立たない。
いつの間にか、総成は新聞を強く握りしめていた。
「坊ちゃん、監視ボールの回収作業、全て終わりました」
背後でドアを開く音が聞こえると、革靴の音と共にレオナルドが黒スーツ姿で登場した。総成のそばまでやってくると、30センチ四方の黄色い箱を総成に見せる。
「それは?」
「まだ、朝食を食べていないでしょう?」
レオナルドは、笑顔で箱を開くと中から色とりどりのサンドイッチが現れた。
「ふふ…ありがとう」
総成はようやく笑みを浮かべると玉子サンドを手に取り、口に運ぶ。濃厚な玉子とマヨネーズが、味覚を喜ばせた。
「飽田四郎君の葬儀、欠席で良かったんですか?」
「行ったら、今度は四郎君のお母さんも狙われる。参列者もだ。もう巻き込みたくない。可能な限り、人には関わらない方が良い」
総成は、淡々と答えた。それを聞いて、レオナルドは不安そうに総成を見下ろす。
「坊ちゃん、四郎君の死はあなたのせいではありません。糾弾されるべきは、実行犯であり、あなたは彼を助けようとしたではありませんか?」
「原因を作ったのはこっちだ。それに…結局彼を助けられなかった。僕は、真の敵もその策略も見抜けないまま踊らされた。ただのマヌケだ」
「真の敵……四郎君を連れ出した警官のことですか?」
総成は、持っている新聞をレオナルドに渡した。レオナルドは新聞を開き、中身を見る。それは、2日前の朝刊だった。
『大学生 三島勝己氏自殺死体発見。遺書には違法闇サイト運営、稲歌町で起きた小学生飽田 四郎君殺害について記載あり。警察の追跡に自暴自棄になり、小学生を殺害後大量の睡眠薬を服用し川に身投げか?』
レオナルドは記事を読んでいて、驚いて目を丸くした。
「三島勝己が自殺!?しかも、四郎君を殺害したのも彼ですって!?」
「脚本としては、まあ…筋が通るよね」
総成が、野菜サンドを掴み口に放り込みながら苦笑した。
「つまり、坊ちゃんは三島勝己は無罪だと?じゃあ、やっぱり犯人は…」
「四郎君のお母さんも目撃した警官だよ。奴は、四郎君を殺した罪を全部三島に背負わせて、さらに三島も殺したんだ」
総成は、自分の推理を無感情で話した。
「何でそんなことをしたんでしょうか?四郎君を殺す意味は!?」
「鍵を握るのは、沢渡『元』先生だよ」
総成は野菜サンドのレタスが歯に詰まったので、それを取りながらレオナルドの問いに答えた。
「今回の事件のあらすじはこうだ。今回の事件、元は闇サイトから始まったんだ。サイトの運営者は三島 勝己。そして共犯者、『警官』だ」
「警察の人間が闇サイトの運営に携わっていたのですか!?」
レオナルドの驚きを無視して、総成は推理を進めた。ついでにツナサンドも手に取る。
「まあ、最初は小銭稼ぎだったのかもしれないね。もしくは弱みを握るためとか?業界トップにいる人達の子ども、その子らのわいせつ動画を撮って親をゆすっていたとしたら?こちらの協力を飲まないと画像をばらまくと言ったりしたのかも」
「事実だとしたら…本当に人間ですか?その2人」
レオナルドは、理解できないみたいで頭を左右に振った。
「ところが彼らの活動も長くは続かなかった。原因は、僕たちだ。ライナー波について追っているうちに被害者の沢渡に出会って事情を聞いてしまった。三島に対する彼女の怒りは本物だろう。だが、彼女は警察に行く前に他の人に相談した」
レオナルドは、事件当夜の沢渡の行動を思い出していた。
思えば、彼女の行動は違和感があった。自分の罪を減らすどころか、また罪を増やしてしまったように見えた。
自分自身を守るが故に他人を犠牲にしてしまったということか。だが、彼女だけでその考えに至ったとは思えない。彼女に狂気の道を歩ませる助言を行った人がいるのでは?
「私たちの情報がバレたのは沢渡が情報を漏洩したのでしょう。でも、どうやって犯人の『警官』がその情報を知ったのでしょうか?」
「簡単だよ。その『警官』が沢渡の現在の恋人だから」
「えっ!?」
総成の推理にレオナルドはまた驚いた。
「つまり、彼女はちゃんと警察に相談したんだよ。警察官の恋人にね。ところが残念、その恋人は自分を苦しめた元カレ三島勝己の共犯者。たぶん、最初は彼女の口封じのために近づいたんじゃないかな?被害相談を受けるうちにそのまま恋人同士になった。恋愛感情があったかどうかは分からないけどね。彼女が他にバラさないように見張っていただけかもしれないし」
「……人の闇とは恐ろしいですね」
疲れ切ったような顔でレオナルドは呟いた。そんなレオナルドを見て、総成はまた推理を続ける。
「そして、彼女から僕たちのことを聞いた『警官』は、そろそろ潮時だと思った。そこで2つの行動をした。自分の罪を他人になすりつけること、それと僕たちにこれ以上踏み込まないように脅すこと」
「四郎君を殺したのは、我々に対するメッセージということですか?」
「ふざけているだろ?メールでもすればいいのに、たかが伝言1つで彼を殺したんだ!」
総成は、怒りで手すりを握ると金属の鉄棒が軋むような音を立てて変形した。総成が気づいて手を放すと鉄棒には握った跡がくっきりと残っている。
レオナルドは、総成に近づくと彼の肩を優しく叩く。
「あまりご自身を責めないでください」
「僕の心配はしないでくれ…。問題は、これからのことだ」
総成は、レオナルドから離れると再び眼下を流れる車の列を見下ろす。
「今のままじゃ、リベリオスに歯が立たない。『警官』がリベリオスの手先なのは間違いない。けど、この前のように妨害をされたら本当に助けたい人を失ってしまう」
「警察全体がリベリオスに支配されるのも時間の問題かもしれません。ライナー波を使えば、人を操るのは造作もないですからね。ここは、1度逃げたほうが良いかもしれません」
総成は、レオナルドを見上げた。その目には諦めたくない気持ちと諦めざるを得ない現実を思い知らされた悲しみが宿っていた。
「今のままでは、私たちの身さえ危ないのです。私たちが死ねば、もう誰も奴らを止められません。ここは、力を蓄えることが先決かと」
「力を蓄えている間、リベリオスに好き勝手させるということ?」
総成は目の前の景色が廃墟と化して、町中に悲痛な叫びが木霊することを想像した。
「もちろん、できる限りの対策は打ちます。ですが、今は彼らを確実に止められる切り札がないのです。耐えてください、坊ちゃん!」
レオナルドの言葉に総成は口元を覆うように手を当て、考え始める。
選択肢はない。どのみち、対抗策を作らないと現状は変わらないんだ。
「レオナルド、頼みがあるんだ」
「伺いましょう」
レオナルドは即答した。その言葉を受けると総成も答える。
「僕を死んだことにできる?」
「……できますけど、何をする気ですか?」
「作るんだよ。『切り札』ってやつを」
総成は、先頭を歩きドアへと向かっていった。
「なるほど、つまり『引きこもる』ということですか。期待して待っていますよ」
レオナルドは、ため息をつきながら総成の後ろに付いていった。



それから時が流れて   ―御神総成 高校1年生―



ニュージーランド カンタベリー平野 現地時間 午前6時15分
ニュージーランド。南半球にある小さな島国。1年を通して温暖な気候に恵まれており、夏は比較的涼しく冬はそれなりに寒い。最近、極端化している日本とは対照的だ。
カンタベリー平野はニュージーランドで最も大きな平野だ。穀物等の農業が盛んで時期があえば黄金に輝く麦畑に出会える。
朝焼けに照らされた黄金の畑の間を黒いオープンカーが疾走している。運転席に座っているレオナルドは心地よさそうに風を受けて白髪をなびかせていた。
あれから、もう8年近くが経とうとしている。
稲歌町は、あれから変わっていない。犯罪を起こす人もいるが、そういう人は警察がちゃんと仕事を行っている。少なくとも表面上は。
あの事件の後、2人は日本を離れた。御神グループの関連施設に移動しようかと考えたが、総成はできるだけ静かな所を希望した。最初は砂漠にしようかと思ったが、建物の設置上困難なので田園風景美しい農地に妥協した。さらに色々探した結果、ここに決定した。
ニュージーランドは最高だ。特に噂に聞いたテカポ湖は、世界一綺麗な星空として有名だ。リベリオスとの戦いが終わったら、のんびりと天体観察にでも行きたいものだ。
満点の星空の下で食べる夕食は格別だろう。
気分がノリにノッていたレオナルドは、路道脇の総成が住んでいるレンガ造りの平屋を通り過ぎてしまった。それに気づくと、車は急停止、急バックして民家前のスペースに停車した。
いつも通り執事の戦闘服であるスーツ姿で車から降りた。
レオナルドは、全体的にほこりまみれの民家を見て顔をしかめる。壁にはツルが張り巡らされ、何年もの間掃除を行っていないようだった。
「…こんなことなら物置に住まわせれば良かった」
レオナルドは、毒を吐くと民家のドアの前に立つ。
ひび割れた窓から中を覗くと、強盗に入られたように机がひっくり返されて、食器が散乱していた。
おそらく、住んでから1度も掃除をしていないのだろう。
実はこの民家に総成は住んでいない。彼が住んでいるのは、この民家の地下に作られた研究用のシェルターだ。
週に1度、生活物資を家の近くに飛行機で投下する。総成はそれを拾うと民家の地下に戻る、そして研究。また1週間が経ち、物資を回収、地下で研究。
これを約8年間ひたすら続けていたのだ。なんという研究熱心、引きこもりの意地。
そんなある日、総成から連絡が入った。『研究が完成した』とのことだ。
そして、こうして飛んできたのだが…正直レオナルドはほこりまみれの家の中に入りたくなかった。
「坊~ちゃん!中に入りたくないのでさっさと出てきてくださ~い!」
すると、中から昇降機が稼働する機械音が響き渡る。10秒後、機械音が止まり中から靴音が響いてくる。そして、ドアの前で足音が止まるとゆっくりとドアがこちらに開く。
中から出てきたのは、細身の体はそのままに全身のあちこちが隆起し、無駄な肉が絞り尽くされた肉体美を白いTシャツの下に隠しきれていないハリネズミ頭のイケメンだった。子どもの時の可愛らしさは、消えていた。
身長は188センチくらいに伸び、手には銀色のスーツケースを持っていた。
「8年というのは長いようで短いですね。また会えて嬉しいですよ、坊ちゃん」
「僕もだよ、レオナルド。あなたは全然変わってないね?」
「そういう坊ちゃんはずいぶん………改造されましたね?」
総成は笑いながら、手に持ったスーツケースをレオナルドに渡す。
「これが、『研究成果』ですか?ただのスーツケースに見えますけど?」
レオナルドは、あらゆる角度からスーツケースを眺める。
「外は重要じゃないんだ。大切なのは中だよ」
総成の言葉を聞き、レオナルドはスーツケースを開く。
スーツケースの中にはドームの形をした物体があり、そこからレーザー光線が上空に放射される。光はモアイ像のような顔の形に湾曲し、レオナルドに向かって口を開いた。
「お初にお目にかかります、レオナルド・アーバンベルグ様。私、自立進化AIと申します」
落ち着いた電子音にレオナルドはポカンと口を開けたまま、総成を見る。
「人間の脳を作ったんですか!?」
「ただの脳じゃない。彼が今考えている技術は、数世紀先のものだ。おまけに日々新しい知識を分析、吸収、革新を繰り返し無限に進化していく。まるでライナー波みたいだろ?それを人の手で作ってみたんだ」
「…人工のライナー波、信じられません」
レオナルドは、宝石を眺めるように好奇心旺盛に見つめた。
「それで、名前は付けたのですか?」
レオナルドはさらに総成に尋ねた。
「『アイオーン』だ」
「確か、時代とか期間を表す言葉でしたよね?なるほど、リベリオスとの戦いに新しい時代をもたらすという意味ではピッタリかもしれませんね」
「良い名前だろ?さてと、日本に帰ろう。今度こそ、奴らに勝ってやる」
総成は先頭を切り、車へと向かっていく。
「ところで、お聞きしたいのですがレオナルド様。なぜ、主人のことを坊ちゃんと呼ぶのですか?」
「アイオーン、余計なことは覚えなくて良い」
後部座席に座った総成は急に不機嫌になる。運転席に座ったレオナルドは助手席にアイオーンのケースを置いてシートベルトを付けさせる。
「坊ちゃんは坊ちゃんだからですよ。何でも完璧そうに見えて、よく見ると必ずどこか抜けている。だから、いつまで経っても大人になれない。いつまでも『お坊ちゃん』という意味です」
「なるほど。愛称ということですね?それでは私も総成坊ちゃんとお呼びしましょう」
執事にボロクソに言われて、せっかくできた超高性能AIの呼び名も固定されてしまった。総成は、後部座席から身を乗り出した。
「主人の命令だ!今すぐ、その呼び名をメモリーから削除してくれ!」
「面白いので、拒否します」
アイオーンは、楽しければ主人の命令に逆らうということを学習した。
「お~、坊ちゃんは天才ですね。これほど素晴らしい発明をするとは。私も鼻が高いですよ」
レオナルドは、感嘆。
「僕はもう高校生になるんだぞ!?」
総成は、抗議。
「何歳になろうが、坊ちゃんは坊ちゃんですよ。諦めてください」
この台詞でレオナルドは勝利、総成は敗北である。
総成は、諦めると、座席に深く寄りかかった。
「それで、稲歌町は?」
「情報は逐一送っていましたが、ご覧になりませんでしたか?稲歌町は、御神グループの支配下と言っても過言ではありません。町全体を監視するために必要な重要物件は建築済み、今はインフラ強化に勤<<いそ>>しんでいます。学校、電信、交通網……おっと、最近は病院も建てました。いずれ、ライナー波の治療も行えると良いですね」
レオナルドは、真剣なことをのんきに話した。
「アイオーンに血清を作らせた。だけど、効果を得るには限定的すぎる。ライナー波に汚染され、なおかつ人間の姿のままであることが条件だ」
「それはまた……よほど運が良くないと生き残れませんね?姿が変わってしまうと効果が無いということですか?」
「今後、改良していく予定だよ」
総成は、外を見ながらそっと答えた。
「警察は?」
やや語気を強めて総成は尋ねた。
「よく働いていますよ、見た目は。ただ、やはりリベリオスに根深く浸食されているようです。彼らが関わる事件は見ないふりをして、それ以外の事件は普通に対処。彼らの犯行であると証明は不可能である以上、しばらくこの状況は続くでしょうね」
「今度こそ、確実に終わらせるさ。絶対にね」
レオナルドは、バックミラーで総成を見た。
見た目は変わった。8年姿を消して、ひたすら自分を鍛え上げ、知識を頭に詰め込んだ。そして、人類の英知の結晶のような切り札も作ってしまった。
だが、中身はあの時のままだ。小学2年生のまま、警察への不信と友人の突然の死によって心に消えない傷を残された時のままである。
なぜだろう、頼もしくなったはずなのに素直にそれを喜べない。
確かにリベリオスを倒すためには、これが最善の策だと分かっていた。だが、それは彼から8年間を奪ってしまったということだ。
本当ならもっと有意義なことに使うはずだった8年間を彼から取り上げてしまった。
これが、本当に良いことなのか?
「坊ちゃん、あの町に戻ればまたリベリオスに狙われます。それでも意思は変わりませんか?」
考えを断ち切るようにレオナルドは声をかけた。
「奴らがいる限り地球に平和は訪れない。それをできるのは僕たちだけ。だったら、答えは決まっているだろ?」
「かしこまりました。お供させていただきますよ、最後まで」
「期待しているよ、レオナルド」
新たな力を得た一行を乗せて、車は田園を走り抜けた。
向かう先は、日本。魔境と化した稲歌町。
自らの力で為すべき事を為す。
異星人を滅ぼすために月日を費やした少年は、こうして戻ってきた。

第4章「切りたい縁いたび結」
時は戻って現在 6月7日 午後4時11分
稲歌町 東地区 不動家 2階 拓磨の部屋
学校終わりの放課後、いつもは拓磨しかいない部屋に今日は祐司と大悟もいた。
祐司は寝転がり漫画を眺めており、大悟は実家のゴミ箱で拾った鉄の棒を飴細工のようにねじ曲げ、また元に戻し、そしてまたねじ曲げるを繰り返していた。
拓磨も2人に背を向けながら、椅子に座りボーッと窓の外を見ている。
要するに、3人とも暇なのだ。
「なあ、パン屋」
「何だ?」
しびれを切らした大悟が、鉄棒を放り捨て拓磨の背中に問いかける。拓磨は振り返るのも面倒なので、そのまま前に答えた。
「何かしようぜ!?例えば、特訓とか…」
「霊長類とたっくんが訓練したら、周りの住民に迷惑だろ?家が吹き飛ぶかもしれないぞ?」
祐司は漫画を見ながらツッコミを入れる。
「……例えば、別れてパトロールとか!?」
「ウェブスペースに行けない今、無闇に動くのは危険だろ?もしもの時があったら、どうやって連絡を取り合うんだよ?携帯は使い物にならないんだぞ?」
祐司はページをめくりながら、また大悟にツッコミを入れる。
「…………じゃ、…じゃあ!警察に…協力するとか?」
さすがの大悟もテンションが下がってきた。
「俺たちが捕まるぞ?公務執行妨害で」
ついに祐司は漫画を閉じて床に置いた。
「なあ、オタク。そうは言うがよ、ここで暇持て余しているのが正解なわけないだろ!?」
「しょうがないだろ?だって、リベリオスの活動も分からないんだし、俺たちができることもないし、下手に騒ぎを起こすわけにもいかないじゃん!」
「パン屋!この文句しか言わねえ腐れニートに何か言ってやれ!」
2人の口論を背後で聞いて、拓磨はようやく2人の方を振り返った。
「それじゃあ、全員一緒にパトロールに行ってみるか?」
「でも、たっくん。リベリオスが何しているか分からないんだよ?無闇に動くのは危険じゃない?」
祐司の言葉に拓磨はクスクス笑う。
「祐司、今は正直言ってリベリオスはどうでも良いと思っているんだ。今のトレンドナンバーワンは『第3者』だ。奴らとどうにかして話がしたい。そればかり、考えている」
「仲間に引き入れようっていうのか?でも、確かお前の推理だと奴らが俺たちの携帯をお釈迦にしたんじゃねえのか?俺たちに良い印象を持っているとは思えないんだけどな」
大悟は、苦笑しながら拓磨に疑問をぶつけた。
拓磨は、大悟の言葉を受けると感慨深く口を開いた。
「それなんだけどな……何となく奴らの行動の理由が分かる気がするんだ」
「えっ、どういうこと?」
祐司の疑問を聞き、拓磨は話を続けた。
「学期はじめにリベリオスとの戦いに俺は巻き込まれた。最初は意味が分からなかったし、無我夢中だった。結果、何とか奴らを退けたが、勝ったのにあまり良い気分はしなかった。変だろ?映画やアニメだとハッピーエンドではみんな笑って幸せそうなのに、なんていうか…素直に喜べなかったんだ。勝ったのにな」
「それ、たぶん俺と同じだよ。見ていることと実際にやってみることは全然違うんだってあの時思い知らされたよ」
拓磨の言葉に祐司も同意した。
「俺も、それに関しては同じ意見だな。戦いの最中は気分がハイになるが、終わると一気に来る脱力感は何とも言えねえな。でも、そうでもしないとやってられねえだろ?殺し合いなんて無理矢理自分でテンション上げて、頭狂わせねえとできねえんじゃねえのか?それに気に入らねえ相手をぶちのめすのは、むしろ大好きだぜ?だから、なんていうか…ぶちのめしたいけど嫌な気持ちは味わいたくないというか……欲張りっていうのか?こういうの」
大悟の困った言葉に拓磨は笑って頷いた。
「まあ、俺もそうだな。その後、俺はリベリオスと戦おうとしたわけだが、関係ない奴は巻き込みたくなかったんだ。それで、1人でやろうとしたんだが、思った以上に何もできないんだよな、これが。力はあるのに、やりたいことが何1つできねえんだ。その後、葵に言われたけど、どれだけ力を持っていても所詮1人は1人なんだよな」
拓磨の言葉に自然と2人は聞き入っていた。
「もしかしたら、第3者も前の俺と同じように自分たちだけで戦おうとしているんじゃないか?そんなの空回りしているだけでいつかぶっ壊れちまう。俺の体験談だ、間違いない。だから、第3者が壊れる前に無理矢理にでも協力したいんだ。葵が俺にしてくれたことを今度は俺が他の奴らにする番だと思ったんだ。もちろん、奴らが信用に足りる相手でなおかつ同意すれば…なんだけどな」
拓磨の話が終わると祐司は賛辞の拍手を送り、唐突に大悟に人差し指を向けた。
「聞いたか、霊長類!!これが、仙タクよ!!数々の戦いを経て悟りを開いた『ぼくらのクラブのリーダー』!!偉大なるネズっちょ!!お前が100億回異世界に転生してなれるハハッ☆な領域なのだ!骨の髄までよ~く言葉を染みこませて、少しでも近づけるようにA4ノート10冊分転写して、俺に提出しろ!期限は1週間だ!」
「そうだな、お前がデータをくれたら両面コピーで大量印刷して出してやるよ。人件費込みで40万円な?」
「剥製になっちまえ、このゴリラアアアア!!」
なぜか喧嘩を始めた2人に拓磨は頭を悩ませると、立ち上がり引き離しながら外に連れて行く。
「行くぞ、お前ら!時間の無駄はやめろ!」

同日 同時刻 稲歌町 北部 御神邸
壁を含めて全てが白に包まれ、複数の透明な円筒の中に七色の光が輝く部屋。
総成は、自分の着ていた黒いスーツのメンテナンスを行っていた。部屋の中央付近に設置された無数の液晶画面の前でキーボードを叩き、機能に障害がないかチェックしている。
「総成坊ちゃん、スーツの性能は100%機能しています」
「ありがとう、アイオーン。精密機器だからね、いつも助かっているよ」
総成はほっとすると、腕を天に伸ばして体のコリをほぐした。
「あまり、無理はなさらないでください。機械は修理すれば直りますが、人の体はそうもいきません」
「無理の1つもしたくなるさ。リベリオスが侵略中なんだよ?のんびりなんかしていられない。あっ、そうだ。ところでこの前の坂口さんの調査はどう?詳しいことは分かった?」
紙コップの中の紅茶を飲みながら、総成はアイオーンに問いかけた。
すると、アイオーンは答えられなくなり、無言になってしまった。
「ん?まだ調査に時間がかかっているの?」
「それについては、私からお話しします」
背後から、靴の音が近づいてくると、総成は椅子を回転させてその方向を向く。
液晶タブレットを持ったスーツ姿のレオナルドと、灰色のチュニックと紺色のレディースパンツを着て帽子で頭を隠したレンがこちらに歩いてきた。
「2人ともどこか出かけてきたの?」
「ええ、調査に時間がかかってしまいました。では、早速報告いたします」
レオナルドは総成の横に来ると、タブレットを起動させ、その画面を指で弾く。
すると、総成が眺めていた正面の液晶画面に映像が映し出される。
そこには、麻薬中毒で亡くなった坂口の部屋の写真が写されていた。以前、監視ボールで部屋の中を撮影したときの1枚だ。部屋の中央で坂口が机に突っ伏した状態で亡くなっている。
「これが何?」
「坊ちゃん。この亡くなっている方、見覚えは?」
「えっ?別に……あ、あれ?」
総成はじっと画面を見つめると、変な声を上げた。そして、坂口の顔をじっと見続けると一気に記憶が溢れ出し画面から飛び退いた。
「な、何で…!?でも、坂口なんて世の中にたくさんいるだろ!?」
「私も最初はそう思いました。容姿も前に会ったときとは全然違いますし、教師を続けていると思っていましたからね。でも、残念ですけどこの人はあなたを担任していた坂口先生です」
総成は目を下に向けると、口を覆い考え始めてしまった。
「何で…教師を辞めたんだ?」
「きっかけは、飽田四郎君ですよ」
レオナルドの落ち込んだ言葉に総成は彼の顔を見上げる。
「我々が日本を離れた後、彼の死はニュースとして報道されました。大学生の三島が小学生を道連れのような形で殺害したという偽のニュースです。まあ、真犯人の考えだと一刻も早く事件を片付けたかったのでしょう。その後、三島について別の事件が注目されました。違法盗撮サイトの管理人、闇サイトを運営していたということです」
画面には当時の新聞が、映し出される。
『容疑者、盗撮事件に関与の噂?共犯者は学校教師?』
タイトルを見た瞬間、総成は目を細めた。
「共犯者は沢渡だろ?三島の元カノで、彼に脅されていた」
「ええ、真実はそうです。でも、現実は違います。この件で共犯者として、挙げられたのは坂口先生です」
レオナルドの言葉に総成は耳を疑った。
そして、同時に当時の光景が頭に蘇る。沢渡の部屋におびき出されたあの時の記憶が総成の頭の中で笑い始めた。
「あの女、自分のやったことを坂口先生に全部押しつけたのか!?」
「そして、それを彼女の協力者の警察が全面バックアップしたみたいです。まあ、正確に言うとリベリオスの技術を使った警官1人でしょうけど。坂口先生は無罪を主張したそうですが、見たこともない盗撮写真が自分の家のパソコンからたくさん出てきたそうです。ライナー波を使えば、インターネットセキュリティも意味ないですからね。彼のパソコンに細工するのも簡単だったでしょう」
総成は頭を抱えてしまった。
何となく予想はあった。自分たちのいない間、日本はリベリオスの思いのままになるということだ。あの時、自分がいたとしても、何もできなかったかもしれない。だが、何かできることはあったのでは?
自分の選択に対する後悔が、総成の心を蝕み始めた。
「それで…坂口先生は学校を辞めたのか?」
「執行猶予付きの有罪です。その結果、学校を辞め、家族とは離婚。仕事を転々として、今はホームレス。最後に、リベリオスに利用されて薬物…」
「レオナルド!今、沢渡はどこにいる!?」
レオナルドの説明を遮り、総成が吠えた。レオナルドは、じっと総成を見下ろしたまま、ゆっくり口を開く。
「住所は、変わっていません」
総成は素早く立ち上がると、以前円筒が出てきた床の前に立つ。
すると、自動的に床がせり上がり扉が開く。
「レオナルド様、よろしいのですか!?」
「…好きにさせてあげなさい。なんとなく想像はついていましたから」
アイオーンの焦りの声にレオナルドは、ため息をついた。
「私も行く。ここで2人はここでナビゲートをお願い」
レンは全身に光を纏うと青いスマートフォンに変わり、総成はそれを掴むと円筒と一緒に地下に吸い込まれていく。
そして、天井からパイプが降りてくると総成の入った円筒が勢いよく天井に吸い込まれ、消えた。
数秒後、全身黒いスーツに武装した総成は透明になりながら稲歌町の上空を飛行していた。まだ、日は沈んでいない。それなのに、眼下の稲歌町はくすんで見えた。いつもと同じ景色なのに、黒ずんで見えてくる。
1分後、目標のマンションが見えてくるとコートを広げ減速し、屋上に着陸する。
透明のまま、中へと続く屋上のドアに近づくと、暗証番号の入力パッドが扉についているのに気づく。
総成はマスク越しに指紋の分析を行った。『1』、『3』、『7』、『9』に指紋の反応があるのに気づき、適当に押し始める。
2回目で運良くドアのロックが解除されると、そのまま中に入る。廊下の監視カメラに注意し、その死角で高校生の服装にスーツの映像を変化させると、そのまま歩いて行く。
突き当たりのエレベーターに辿り着くと2階のボタンを押す。
終始無言だった。
正直言って、2度とここへは来たくなかった。だが、沢渡が反省はおろか僕の大切な記憶まで破壊するというのなら、これも何かの縁だ、直々に鉄槌を振り下してやる!
ドアが開くと、そこは無人だった。誰もいない廊下を1人歩くと、途中のドアの前に立ち止まる。
その部屋のネームプレートはまだ空白のままだった。総成は意を決すると、チャイムを1回鳴らす。
何も返事はない。
また、総成はチャイムを鳴らす。
しばらく待ったが音1つ聞こえてこない。
「総成、もしかして彼女は学校?」
レンが声をかけるが、総成は聞いていなかった。ふとドアノブに手を掛けると、力をこめる。小さな金属音と共にドアが開いた。
総成の頭に嫌な予感がよぎった。すぐさま、監視ボールを胸から出すと中を調べる。そして、自分も中に入りドアを閉める。
浮遊した監視ボールは中に入っていく。
テーブルや机はひっくり返され、床にはガラスのコップが割れている。中で誰かが暴れたようになっている。
そして、台所に監視ボールが向かうと目的の人はそこにいた。
床に仰向けに倒れていて、口からは泡を吹いていた。顔全体は真っ青になっている。そして、首元から血が流れていた。首には注射器の針が折れたまま、突き刺さっている。近くに本体の容器が転がっている。
9年前は綺麗な姿だったが、髪はボサボサで、顔に皺が目立ち、手足は生気が失われている。
『レオナルド、沢渡が殺されている。死因は中毒死、坂口先生と同じだ』
監視ボールで死体を分析しながら、思考通信でレオナルドに連絡した。
「なぜ彼女まで殺されたんでしょうか?」
『邪魔になったからだろ?自分の過去を知っているから、口封じに殺したんだ』
「え?まさか…犯人は」
その時、突然どこからともなく携帯電話の着信音が響いてくる。見ると沢渡の死体の近くにスマートフォンが落ちていた。監視ボールから小さなアームが出ると回収し、総成のところに持ってくる。
携帯電話の名前の欄には『たっちゃん』と書いてあった。文字の下に小さなハートマークも付いている。
どうやら、犯人様のご登場のようだ。
「出るの?」
「当然だろ?」
レンの言葉に軽く返すと、総成は電話に出た。
「もしもし」
「お~、電話に出てくれた!『初めまして』というべきかな?御神総成君」
「こうして話をするのは初めてですね?石狩辰一さん。たっちゃんと呼んだ方が良いですか?」
電話の奥からは軽い男の声がする。総成はドアの鍵を閉めて、誰も入って来れられないようにする。
「悪いが、そう呼んで良いのは私の妻だけだよ」
「へえ~、二股かけていたんですか?」
「どうやら、私の情報はすでに知っているようだね。そこで亡くなっている沢渡さんと付き合っていたんだが、警察の上司からご令嬢を紹介されてね。キャリアと何のメリットもない依存女、どちらを取るか…言うまでも無いと思うが?」
総成は歯を強く食いしばった。
「何で坂口先生を殺したんだ?」
「沢渡さんがどうしても罰を受けたくないと言って、身代わりを探したんだ。彼なら、飽田君のクラスの担任だったし、ちょうど良いだろ?今は教師に厳しい時代だからね。自分の生徒が亡くなりでもしたら、監督責任を追求されてネットでボコボコにされるからね?遅かれ早かれ学校辞めることになっていただろう。その手間を省いてやったんだ」
「四郎君を殺したのはお前だろうが!!」
総成の怒りを聞くと、電話の奥からクスクスと笑い声が聞こえた。
「あれは君への『忠告』のつもりだったんだけどな。君たちの話を聞いて、これ以上深入りしないように考えた結果、彼が選ばれたんだ。大丈夫、睡眠薬で眠った状態で川の中で窒息死したから苦しまずに逝ったと思うよ?」
「そうか…!それは良かった…!!すぐに殉職させてやるから、場所を教えろ!」
「悪いがこれから出世の階段を登っていくんでね。殉職はお断りだ。最後に、しつこい君に年長者のアドバイスを送ろう」
すると、電話の奥から金属が擦れる音が聞こえる。それと同時に体が地面に擦れたり、深く石狩が息を吐く声が聞こえる。
『レオナルド、奴の居場所は!?』
「御神デパートの近くのビルです!」
なぜ、そんなところにいるんだ?まさか、民間人を無差別に狙撃する気か?
総成は、透明になるとすぐに部屋を飛び出し、廊下を直進し、非常口から外に飛びだし道路に着地した。
1分30秒でビルまで着く!問題は奴を止められるかだ!
テクノロジーの全てを集めたスーツが真価を発揮した、総成が深くを踏み込むと衝撃波が発生し、体が前に急激に加速する。500メートル先を走行していた灰色のセダンが、たった1秒で手を伸ばせば届くほどの距離になった。
そのまま、跳躍すると、総成の体は稲歌町の上空に浮いていた。辺りのビルなどは踵より下に建っている。
「君は確かに才能があるかもしれない。執着については目障りなほどだ、本当厄介だよ。ただ、あまりにも世間を知らなすぎる。いや…経験が無いと言った方が良いのかもな?」
総成は、近くの屋上に着地すると、また跳躍を繰り返し、建物の屋根や屋上を次から次へと渡っていく。着地のたびに家や屋根が震え、その衝撃の強さを物語る。
「これから、1分後に従業員の女性が窓際にやってくる。私が連絡をして、彼女がやってきてくれるんだ。まあ、窓の前に立ったら噴水みたいに頭から血が噴き出すんだけどね?」
石狩は、鼻で笑った。電話の奥で金属に触れる音が響く。
「それでも警官か!?無関係な人を巻き込むな!」
「警官である前に人間だろ?自分の身を守りたいだけだ。誰だって自分が大事だろ?それに子どもだけじゃ天国は寂しいだろう。だから、母親も連れて行ってあげるんだ」
総成はさらに力を込めて、屋根を蹴った。正面に煌びやかな御神デパートが見えてきた。その正面のビルを見る。屋上には、誰もいなかった。
「四郎君のお母さんは関係ない!」
「いいや、あるな!証拠の種は全て消さないと。さよなら、探偵さん。これ以上、人を殺したくないなら2度と俺を追うんじゃねえぞ?お前は邪魔だ…!」
そして、一瞬の静寂の後、電話から鳴り響く1発の銃声。
総成は、正面の御神デパートを向く。
3階の中央の窓に小さな穴があいていた。そして、また銃声が響き窓にさらに穴があく。
終わった…。結局、何もできないまま全てが終わってしまった。
僕は、友達どころかその母親までも見殺しにしてしまったんだ。
敵の射撃は、見事に50メートルほどの距離を少しもぶれることもなく、窓に命中していた。返り血が窓に付いていないのが気になるが、上手いこと頭に当たって後頭部側に散乱したのだろう。
そして、穴のあいた窓のところにウサギが立っているが、あれはおそらく御神デパートのマスコットキャラクターだ。ただ、何で弾道上に立っているのに傷1つ付いていないのが気になるが、おそらく当たり所が良かったから…………。


……ウサギ?


いや、そもそも御神デパートにマスコットキャラクターなんていないぞ。何だ、あのウサギ……の仮面をつけたジャージの人物は?
その時、総成はふと視線を上げると信じられないものを見た。
御神デパートの屋上の周りは落下防止のために金網で囲ってある。それを乗り越えて、鳥のドクロをかぶった2メートルを超える巨大な人物が、こちらのビルを見下ろしていた。
そして、何の躊躇もなくデパートの屋上から飛び降りた。
ただ、飛び降りた時に踏み出した勢いで50メートル近い幅は一瞬で縮まり、彼の姿が身につけているマスクの性能を使わなくてもはっきり見える位置まで接近した。
そして、前方に1回転すると彼の姿がビルの影に消えた。同時に起きる悲鳴と足下のビルで何かが壊される音。
総成は呆然としたが、我に返ると四郎の母親の下へと一目散に御神デパートの屋上目がけて跳躍した。

同時刻 稲歌町 御神デパート前のビル 401号室
これは悪い夢だ。
石狩辰一は、宙を舞いながら現実を受け止められずにいた。砕け散り、飛び散る周りのガラスに自分の姿が映し出される。あり得ない事態に顔が付いていけず、口を開けて恐怖で固まっていた。
そして今までの記憶が次々にわき出してきた。
今まで稲歌町に現れたストーカーのガキを殺すチャンスはあった。だが、時間を与えすぎていたらしく、奴は銃弾を避けるまでに成長していた。
町の重要施設も謎の金持ち企業に全て買収されていた。以前のようにハッキングをすることはできない。稲歌町は御神グループとやらの支配下に置かれている。
そんなの反則だろうが!俺やリベリオスのことを諦めれば良かったのに、何で尻の毛もむしり取るような勢いで侵略を進めているんだ!?
直接殺すことはできない、前のように技術で何とかすることもできない。だが、まだ手は残っている。相手の心をへし折ってやれば良いのだ。
飽田家を狙ったのは、奴が8年も日本から消えたからだ。どうやら、化け物にも人間の心があるらしい。息子も助けられず、その親も殺されたら自分を責めて勝手に自滅するだろう。
母親の居場所はすぐ分かった。稲歌町のデパートの本売り場で働いていると確認するには時間もかからなかった。
だが、身辺は防犯カメラ等でガチガチに固められていて、近づくことはできなかった。それでも、何とか連絡をして誘い出すことには成功した。顔を見られると、あの時の警官だとバレてしまう。幸いデパートの正面の1室を借りることができた。距離は約50メートル、この距離なら狙撃は楽勝だ。
電話に釣られて窓際に立った母親を撃てばそれで終わり。
そのはずだった、1分前までは。
頭に照準を合わせたとき、どこから現れたのか彼女の前にウサギの仮面を付けた人物が立ちはだかった。乱入に驚きはしたが、そのままウサギ目がけて引き金を引いた。
ところが、目の前のウサギはピースの形に右手を変えると、指の間で銃弾を摘まみ止めた。そして、近くに放り捨てる。
何かの演劇を見ているような気分になった。目の前の光景が理解できず、また銃弾を撃ち込んだ。
そうしたら、またピースで受け止められる。すると、ウサギは親指を立てて垂直に上に動かした。
その時だった。確認するまでもなく、目の前のガラスが砕け散り、窓枠が吹き飛び、俺は宙を舞っていた。何か巨大なものが勢いよく、窓をぶち抜いたようだった。
目の前のサーカスは現実だった。
吹き飛んで、部屋の壁に全身を強打したとき石狩はやっと現実を認識できた。
「一般人に鉛玉ぶち込むとは、ずいぶんなことしてくれるじゃねえか?なあ、『お巡りさん』?」
体のあちこち骨が砕かれたような衝撃でうめく石狩が見たのは、2メートルを超える鳥のドクロをかぶった巨大な生き物だった。加工されたおどろおどろしい声で転がっている石狩を見下ろしてくる。
「く、来るなああ!」
石狩は、叫んでそのままスナイパーライフルを向けようとしたが、狙いを付ける前に銃身を掴まれると、飴細工のようにねじ曲げられて、いつの間にか銃口は自分を向いていた。
そして、頭を掴まれると鳥のドクロにそのまま持ち上げられ宙づりにされる。
「おい、京士郎はどこだ?」
闇に溶け込むような黒い迷彩服姿の石狩に、鳥のドクロは問いかけた。
「な、何だって!?」
すると、鳥のドクロはマスク姿の石狩の頭を握りつぶすように握力を強める。石狩は、悲鳴を上げる。
「とぼけんな!お前はリベリオスと繋がっているはずだ。京士郎の名前を知らないわけねえだろ!」
「し……死ねえええええ!!」
すると、隠し持っていた拳銃で大悟の頭目がけて撃ち込む。
大悟は、瞬間的に顔を逸らして銃弾をかわす。弾は天井に当たる音と共に消えた。
そして、銃を掴んでいた石狩の右腕を掴むと、骨を砕くような音を立てながら握りつぶす。石狩はまた絶叫を上げた。
「どうやら身体検査が必要みたいだな?」
大悟は、石狩の腰元にあった銃を入れるためのホルスターケースを引きちぎって、取り上げる。すると、その中に2本の銀色のバトンのようなものが刺さっていた。水筒のようにも見える。
「おい、こりゃ何だ?」
「そ、それに触れるな!」
石狩は無我夢中で大悟に飛びかかるように体当たりすると、ホルスターの中から落ちた一本を奪い取る。そして、そのままバトンを使って目の前に円を描く。すると、七色の渦ができた。
ウェブスペースへの扉だ!
大悟は、急いで起き上がるとウェブスペースへと逃げようとしていた石狩の腕を掴む。それは不運な事に大悟が折った腕だった。
「ぎゃあああ!!放せええええ!」
「絶対逃がすか!てめえには聞かないといけねえことが山ほどある!!」
だが、無情にもウェブスペースへの扉は急速に閉まり始めた。反射的に大悟は腕を放したが、石狩の腕が扉が消えると同時に切り落とされ、七色の液体が散乱した。
「なるほど、俺たちの携帯電話みたいなものか?ただ、安全装置は無いみたいだけどな」
大悟は切り落とされた石狩の腕と床に転がっていたもう一本のバトンを拾い上げる。
これがあれば、ひょっとしたら奴らの本部に直接行けるかもしれねえな?
「大悟、とりあえず合流じゃ」
大悟の心の声が聞こえたように腰から、シヴァの声が聞こえた。大悟は、右手に石狩の腕とバトンを移すとポケットの中に入っていた黄色い携帯電話を開く。
「じいさん、これを使えば京士郎に会いに行けるかもしれないんだぞ!?」
「片道切符かもしれんぞ?仮に京士郎に会えたとして、どうやってこっちに戻ってくる?また、妨害を受けて扉が出せなくなるかもしれん。それに、リベリオスはお前が1人で行ってどうにかできるほど楽な組織ではない。言っておくが、助けることはできんぞ?」
老いながらもギラギラした眼光を携帯から向けられ、大悟はそのまま視線をバトンに移す。そして、諦めると軽く舌打ちをする。
「せっかく携帯が使えるようになったのに、ほんと小言は変わらねえよな?」
「そのおかげで1人の命を救うことができた。急いで合流して、こちらに来い!あの石狩とかいう男を追い詰めるぞ!」
「どうやら、もう人間じゃねえみたいだし。化け物になる前にさっさと聞くこと聞かねえとな」
大悟は、腕とバトンを持つと、ガラスの破片まみれの部屋を後にした。

同日 午後5時38分 御神デパート 4階 来客応対室
大悟が拓磨達に合流したのは、石狩を逃がしてから4分後のことだった。マスクを外して、腕を持っているのが分からないように、歩道に落ちていたゴミ袋に入れて、御神デパートに戻っていった。
拓磨から『4階の会議室にいる』と連絡を受けて、階段を駆け上がりながら、デパート内の様子を眺める。
どうやら、銃撃については話題になっていないようだった。4階に向かう途中、店内アナウンスで『3階の窓にカラスが衝突したため、窓が割れて危険な状態です。付近には近づかないでください』と連絡が流れた。
「『カラス』だと?銃撃されたんだろ?」
「それを事故として処理したんじゃ。手際が良いのう」
「じいさん、ひょっとしてこのデパートは第3者の所有物か?」
大悟は携帯をかけているようにシヴァに尋ねた。
「お前は、戦いと勘だけは1人前じゃな?」
「そうなると、御神デパートだから『御神』って奴が怪しいな。パン屋の言っていたとおりだ。第3者は御神で確定かもな」
その後、大悟は通行人を避けて一本道の廊下を走ると途中にある部屋に入る。
部屋には中央にテーブルがあり、その周りをパイプ椅子で囲まれている。
そして、片方には拓磨と祐司が座り、正面には従業員用の制服を着用した女性が座っていた。
「ご苦労だったな、大悟」
「準備運動にもならなかったぜ?」
拓磨の言葉を大悟は鼻で笑いながら、祐司の隣に着席する。
「あれ?卑劣な狙撃警官はどうしたんだよ?」
大悟は、質問した祐司の前に切断された腕を無造作に置く。それを見た瞬間、雪子は小さく悲鳴を上げる。
「逃げた」
大悟はイライラを隠さずに短く答えた。
「愚か者!お前の100倍は繊細なご婦人が見ているんだぞ!?もうちょっと気を遣え!」
「……悪い」
雪子の前で祐司と喧嘩をする気は起きないみたいで、大悟は簡単に謝った。祐司は腕を床の見えないところに置く。すると、大悟は手に入れたバトンをテーブルに置くと拓磨の方に転がす。転がったバトンを拓磨は受け取ると、上下左右から眺める。
「狙撃警官が持っていた物だ。それを使って奴はウェブスペースに向かった。それを使えば、京士郎の所に行けるんだ!さっさと行こうぜ!」
「…それより大悟。何か感じないか?」
拓磨はバトンを手に持ったまま、部屋中を見渡す。大悟もそれに釣られて、部屋を見渡す。壁を見て、天井を見て、目の前のテーブルを眺める。そして、ようやく妙な感覚に気づいた。
「……なんか、見られている気がするな。なんて言ったら、いいのか分からねえけど」
「祐司、分かるか?」
拓磨の問いに祐司は無言で、先ほど大悟が入ってきたドアを見る。
「…ドアの向こうに何かいる。入ってきたら?どこかの誰かさん?」
祐司は声を出して、ドアに向かって呼びかけた。しばらく何の音も無かったが、ゆっくりとドアノブが回ると全身黒ずくめの甲冑のような人物が部屋の中に入ってきた。
「お前…!あの時のマスクか!?」
大悟は、場違いな服装の人物の登場に警戒する。
総成は、中に入ってくるとゆっくりと拓磨達を見渡し、そして雪子の顔をじっと見る。拓磨は、それに注目し視線を黒い甲冑から雪子へと動かし、また彼に戻す。
「そのバトンを渡してくれないか?」
視線を再び拓磨達に戻した総成は、銀色のバトンへと視線を向けた。
拓磨は黒い甲冑のマスクを見つめる。マスクのせいで表情は見えないが、その奥にある表情を読み取るかのように視線をマスクから離さなかった。
「たっくん、どうするの?」
祐司が恐る恐る拓磨に聞いてくる。
すると、拓磨はゆっくり立ち上がるとバトンを手のひらでくるくる回しながら、祐司と大悟の後ろを通り総成の前まで歩いて行く。
身長はマスクのせいで変わらなかったが、若干拓磨の方が背が高い。体格については、そもそもジャージと装甲では比較できない。
一瞬、殴り合いでも起きるような雰囲気だったが、拓磨はその空気を軽く破るようにバトンを総成に差し出した。
これには、祐司と大悟、そして総成自身も予想外だった。
「持っていけ」
「…どういう意味だい?」
拓磨が差し出したバトンを総成はすぐに受け取らなかった。
「お前が欲しいって言ったんだろ?だから、渡すんだ」
総成は、バトンに手を伸ばすと一瞬躊躇したが、拓磨からそれを受け取る。そして、拓磨の顔を見るとすぐに彼に背を向けてドアから出て行こうとした。
「総成」
拓磨は背後から声をかけた。総成は、ピタッと体を止める。
「俺たちがなぜここにいるか…理由は分かるよな?」
すると、目の前のマスクからため息が漏れる。
「僕の連れが君たちを巻き込んだ。本当にすまない。でも、君たちは戦わなくても良いんだ。これで、本当に最後だよ」
「そうか?『最後』ではなくて『始まり』じゃないのか?」
拓磨の言葉は、総成の心に突き刺さるように響いた。
「もうこれ以上関わらないでくれ…!」
総成は声を震わせ、無理矢理語気を強めながら言い放った。
「俺たちが足手まといだというならそれで良い。信じられないなら、信じなくても結構だ。だけどな、少し言わせてくれ。できないことがあるなら、できないって言ってもいいんだぞ?1人で全てをやる必要なんかないんだ」
「分かったようなことを言わないでくれ!!」
拓磨に向き直ると総成は怒りをぶちまけた。
拓磨はじっとマスクを見たまま微動だにしない。肩で息をする総成を黙って眺めている。そしてゆっくりと口を開いた。
「ああ、分からねえよ。お前の事情は何にも分からねえ。だから、待っているんだ。お前の口から、ちゃんと話してくれるのをな。俺たちはもう準備はできているぜ。聞かせろ、総成。お前の準備はいつ終わる?俺たちはいつまで待てばいいんだ?」
拓磨の言葉に総成は答えることができなかった。
そして、張り詰めた空気が漂い始めたが、それを破ったのは今まで沈黙を保っていた女性だった。
「ちょっと待って……。『総成』って、もしかして御神君?でも、あなた行方不明になっていたんじゃ…」
総成は、幽霊でも見ているような雪子の顔を見ると、何も答えずその場から逃げ出すようにドアから飛び出していった。
「おい、パン屋。渡していいのか?」
「俺たちが持っていても『猫に小判』だ。携帯電話は直ったが、ゼロアは寝込んだままだしな。だったら、使い方を知っている奴に渡した方が良い」
大悟の問いに拓磨はさらりと答える。
「同じ目的を持つ者として信頼したということですか?」
スレイドが祐司の腰辺りから喋りかけてくる。
「そんな大したもんじゃないですよ、スレイドさん。今のあいつを見ているといつ壊れるか心配で見られたもんじゃない。だから、何とかしたかった。ただ、それだけです」
拓磨は席に戻ると、腰を下ろした。
「あっ!それより、さっきの御神君について知っているんですか?」
祐司は、雪子に興味津々で聞いてみた。
「貴方たち、御神君の友達?」
「これから成る予定です」
拓磨は、笑みを浮かべて答えた。
「なんか、今のところ胡散臭くて信用できねえけどな」
大悟は、天井を見ながらあくびをする。
「常識的に考えてみろ?霊長類を信用できたんだから、人間なんてワケねえだろ?」
「ふざけろ、オタク」
超高速で喋り、祐司とまともに話すことを大悟は拒否した。
「それで、総成を知っているんですか?」
拓磨が質問すると、雪子は顔を曇らせる。
「知っている……と言った方がいいのかしら?私もあんまり会ったこと無いから。息子がね、彼と一緒のクラスだったの。もう9年くらい前のことだけれど」
「ひょっとして、息子さんは…」
祐司のポケットからスレイドが言葉を濁らせた。
すると、本格的に雪子は顔を暗くさせた。
「もう…いないの。犯人はたぶん警察官。でも、当時大学生だった男が犯人にされた。そしてその男もいないの。噂だと真実を隠すために偽の犯人をでっち上げたみたい」
「『大学生が犯人』……。なあ、ひょっとしてあんた飽田の母親か?」
何かに気づいたように大悟が、身を乗り出して雪子に尋ねる。
「…四郎を知っているの?」
「やっぱりか…!まあ、ニュースになったから俺も覚えていたんだ」
そして、大悟は拓磨と祐司の方を見る。2人は初めて聞いたように顔を見合わせている。
「たっくん。誰?『飽田』って?」
「さあな……?でも、どこかで聞いたことがあるような…?」
雪子に配慮して、ひそひそと拓磨と祐司は確認しあう。
「お前ら、本当に世間のことは鈍いよな!!小2の時に、学校の生徒が殺されただろ!?ニュースもずっと流れてただろ!?学校中が大騒ぎでPTAが毎日のように騒ぎまくってたんだぞ!?」
大悟は2人に喝を入れる。
「悪いが、大悟。俺たち、同級生の顔も忘れるくらい自分たちのことで精一杯なんだ。自分が被害を受けた出来事じゃないと、なかなか覚えられなくてな…」
「まあ、友喜のことも隣町に引っ越したくらいで全く交流しなかったしね。ああ、でもあの時はスレイドさんが邪魔してたのか?」
「変なことを言わないでください、祐司殿。友喜殿を『保護』してたのです。あくまで『保護』です!」
拓磨と祐司とスレイドの漫才を無視した大悟は、再び雪子を見る。
「さっき、撃たれそうになっていたがひょっとして飽田を殺した奴が今度はあんたを口封じしようとしたのか?」
「たぶん…そうかもしれない。私、警官の顔見たから。そのことが原因かもしれない」
「あの腐れ警官、息の根止めておくべきだったかもしれねえな…」
大悟は舌打ちしながら、怒りを押し殺した。
すると、今度は拓磨が雪子に口を開いた。
「良かったら、何があったか話してくれませんか?辛い出来事かもしれませんけど、総成を知るきっかけになるかもしれないんです」
雪子は拓磨達を見渡すと、急に目から涙を流した。拓磨達が驚いたが、雪子は慌てて自分の目を手で拭った。
「ごめんなさい…。何だか…貴方たちを見ていると息子を見ているみたいで…。私も知っていることは少ないけど、息子を最後まで助けようとしてくれた彼のためになるのなら…喜んで語らせていただきます」
雪子は、初めて笑顔を見せると自分たちの身に起きた出来事を語り始めた。

同日 午後6時3分 御神邸 地下
家に帰った総成は、スーツのまま廊下を進んでいき、エレベーターとなっている部屋に入った。
部屋にはライトが輝き、部屋全体を照らしていた。総成は椅子にも座らず、壁に背を押しつけて自分の手にあるバトンを眺める。光のせいで宝石のように輝いている。そしてそれを見ると、先ほど拓磨に言われたことが頭の中に木霊してきた。

『お前の事情は何にも分からねえ。だから、待っているんだ。お前の口から、ちゃんと話してくれるのをな。俺たちはもう準備はできているぜ。聞かせろ、総成。お前の準備はいつ終わる?俺たちはいつまで待てばいいんだ?』

なぜ、彼は僕を信用しているんだ?会話だって数えるくらいしかしていない。お互い、知らないことが多すぎる。信用するには、何もかもが足りないはずだ。
ゆっくりと部屋全体が地下へと下っていくのが背を通して伝わってくる。そして、今まで感じたことが無いほど長く感じられた。
そして、急に重力が戻ってくるような感覚と共に部屋が止まった。部屋の壁がドアのように開くと、光が流れ込んでくる。総成は、その光を眺めると全てが輝く部屋へと歩いて行った。
「坊ちゃん、ご無事で何よりです」
部屋の中央でレオナルドが総成を出迎えた。総成は、マスク越しにレオナルドを見つめた。すると、光と共にレンが携帯電話から元に戻り総成の背後に立つ。
「彼らを呼んだのか?」
「ええ、必要だと思いましたので」
総成は、淡々と答えるレオナルドをじっと見る。レオナルドも笑みを浮かべたまま、顔を変えずに総成を見つめた。
総成はそのまま、無言で中央のテーブルに近づくと手に入れたバトンを机の上に置く。すると、下から円筒型の容器が出てきて、バトンをすっぽり包むと、机の中に消えていく。
「坊ちゃん、これはウェブスペースへの扉を開くための端末です」
アイオーンは落ち着いた言葉を述べた。
「それは分かってる!問題はどこに繋がっているかだ!」
総成は荒々しく言葉を吐いた。レオナルドは黙って、総成を背後から見つめる。
「……地球の言葉に訳すと『エックスセブン』という場所だそうです。おそらくウェブスペ―スの座標だと思われます」
総成は分析が完了したバトンを手に取ると、眺める。
「レン、『エックスセブン』には何がある?」
「基地がたくさんある。たぶん、それはその基地の1つに繋がっているもの。基地自体は、無人でも稼働しているから何か情報が得られるはず」
総成は、じっとバトンを眺めると、素早く振り返る。しかし、目の前にはレオナルドがいて無表情で総成を眺めていた。
「どこに行くつもりですか?」
「リベリオスの拠点を叩くに決まっているだろ?」
レオナルドの問いに総成は棘がある言葉を返した。総成はそのままレオナルドの横を通ろうとしたが、その肩にレオナルドが手を置いてまた止める。
「自分が何をしているのか、本当にお分かりになっていますか?」
「少なくともあなたよりは自分のことを分かっている」
「そうですか。つまり、私がしたことは全て無駄だったということですね。分かりました。じゃあ、はっきり言いましょう。お待ちください」
総成は、レオナルドの手を肩で振り払うと部屋から出て行こうとする。
「お待ちください…!」
レオナルドは総成を追い、声をかけるが彼は振り向きもしない。そして、ついにレオナルドの怒りが頂点に達した。
「お待ちなさい!!!」
レオナルドは、総成の肩に手を掛けると無理矢理自分の方を振り向かせる。
「さっきから一体何なんだ!?」
総成はレオナルドに逆上し、マスクを外すと彼を睨み付けた。
「私は、今まであなたの言うことを可能な限り聞いて叶えてきました!ですが、今回ばかりは頷くことはできません!分かりませんか!?これは、どう考えても罠です!敵は餌に釣られて墓穴に自分から飛び込んでくる無謀な馬鹿を笑って待っているんですよ!?」
「その敵の鼻を明かしてやろうとしているんだ!これはそのための力だろ!?」
総成は自分のスーツを叩きながら、吠える。
「よく聞きなさい!それは可能を確実にするための力であり、不可能を可能にするための力では無い!今のあなたは傲慢で冷静さを欠いており、考えることを放棄したただのテロリストです!数世紀先の技術と巨万の富を後ろ盾に、この世の理不尽に対して怒りをぶつけて自滅しようとしている体だけが大きくなった小学校2年生です!」
総成は、レオナルドの言葉を怒りの表情で睨み付けると、急に顔を伏せて部屋の中央にあるアイオーンとその隣にいるレンを見た。
「じゃあ聞くが、僕にどうなってもらいたいんだ?」
総成は、レン達を見ながら尋ねた。
「『普通』です!自分と同じ年齢の人たちと手を取り合い、助け合いながら1つの目標に向かって切磋琢磨していく。喜んだり悲しんだり、時には喧嘩をしながらも友情をはぐくんでいく、そんな『普通』の生活を送ってもらいたいのです!」
レオナルドの訴えが部屋の中に響き渡る。総成は、レオナルドの言葉を聞きながら視線を自分の手に持っている物に向けた。10年以上研究を続け、あらゆるテクノロジーが蓄積されたマスクである。
「『普通』?…なるほどね、『普通』か……」
マスクを眺めながらふっと総成は笑みを浮かべた。それはある意味納得であり、ある意味吹っ切れたかのようにレオナルドには見えた。
「なあ、レオナルド。聞いて良いか?」
「…何でございますか?」
すると、総成はレオナルドの方を向き自分の手に持っていたマスクを彼に見せた。
「『普通』の高校生がこんな物持っているのか?」
レオナルドは、口を開こうとしたが言葉が出てこなかった。総成はそれを皮切りに口から言葉を投げかけ続けた。
「『普通』の高校生の家の地下にこんな巨大な空間があるのか?『普通』の高校生の家に、無限に進化していく人工知能と異世界への扉を開く女性がいるのか?」
総成はレン達を指差しながら、言葉を続けた。
「何より『普通』の人が、町の人々の生活を脅かしている別の惑星からの侵略者に対抗できるのか?」
「坊ちゃん、それは………」
レオナルドは反論しようとしたが、また答えに詰まる。その瞬間、総成の思いは洪水のごとく口から飛び出した。
「何が『普通』だ…、『普通』じゃ意味ないだろ!『私は普通だからできませんでした』じゃ済まないんだ、人が死んでいるんだぞ!?今、この町に求められているのは『異常』だ!そして、あなたも僕に異常になって欲しかったはずだ!違うか!?」
「違います!そんなことありません!」
レオナルドは、必死に否定したが焼け石に水だった。
「警察も報道メディアも政治家も、全てリベリオスの支配下だ。そんな異常な集団に勝つには、こっちも異常にならなければ無理だろ!?警察がリベリオスを倒せるか?あいつらの世界に行くこともできないのに?報道メディアが人々に真実を知らせたか?真実を知らせたら、聞いた人たち全員始末されるぞ?政治家がリベリオス対策に法を作ったか?リベリオスが何をしても無視するように関係機関に圧力をかけているんだぞ!?」
総成は怒りをまき散らすと電池が切れたかのようにその場に座り込む。
「だから、今まで坊ちゃんが助けてきたじゃないですか…?」
怒り疲れてその場に座っている総成に、レオナルドはしゃがんで声をかけた。
「4月に町全体の人々が誘拐されたときも、町全体にハッキングして事故が発生することを防ぎました。最小限の被害で済んだのです」
「誘拐そのものを防ぐべきだったんだ。それに事件を解決したのは僕じゃない。彼らだ」
総成は瞬時に否定した。
「その後も白木さんの自殺を学校の設備で助けました。ライナー波の治療のために素早く救急車を向かわせたおかげで誘拐された人たち全員の命が助かったのです」
「やったのは、全部後始末だ。それに、事件を解決したのは僕じゃない。彼らだ」
総成はまた否定する。
「先月も、警察の無線を傍受して爆発に巻き込むことを防ぎました。町の人々の誘導も手伝って、可能な限り被害を防ぐことができたんです」
「それでも犠牲者は出た。未然に防ぐべきだったんだ。それに、事件に終止符を打ったのは僕じゃない。彼らだ」
レオナルドは総成の言葉にため息を吐く。
「…そんなにご自身を責めないでください」
「結局、僕は異常になっても何もできなかったんだ。町を救ってきたのは僕じゃなくて彼らだ。9年前に町を見捨てて手に入れた力も完全に活かしていない。僕は、無能だ」
「そんなことありません。できることをやってきたではありませんか?」
弱気になった総成にレオナルドは思いを語った。
「そうだ。だから、今からできることをやりに行くんだ」
総成は、すっと立ち上がると部屋から出て行こうとする。それをレオナルドが腕を掴んで慌てて止める。
「単騎で乗り込むなんて死にに行くようなものです!名誉の戦死なんて美談にもなりませんよ!?」
「僕は名誉も賞賛もいらない。ただ、町を救っているのは僕じゃない。彼らだ。彼らに対して少しでも力になりたいんだ。基地に乗り込んで、情報を得るなんて危険な真似を彼らにさせるわけにはいかない。何もできない僕がやるべきことだ!」
総成のヤケになったような発言にレオナルドは怒りをあらわにした。
「馬鹿なこと言わないでください!あなたを慕う我々の気持ちがなぜ分からないんですか!なぜ、周りを信じられないのです!?」
すると、総成の手から力が抜けだらんと垂れ下がった。そして、目から純粋な涙を頬に向かって流す。
「…怖いんだ、人を信じることが」
レオナルドは、そこで初めて総成の心に触れられたような気がした。
彼の心はもうズタズタなのだ。
10年前の事件。最初は、女性教師を脅す元交際相手の卑劣な犯行だった。彼女を脅し、犯人の犯罪計画に協力させる。分かりやすい構図だ。
総成は女性教師を助けようとした。彼女は悪くないと信じたのだ。
だが、交際相手はあくまで替え玉で、その背後には警察官の真犯人がいた。ここまでだったら、犯人が変わっただけで問題なかった。
問題は、彼女が四郎君の情報を真犯人に教えたことだった。
人間はどうしても自分自身を大切にする生き物だ。彼女も訳の分からない私たちより、警察官の恋人を信じたかったのだろう。彼にすがりたかったのかもしれない。
結果的に総成は彼女に裏切られた。それだけではなく、自分自身に裏切られたのだ。
自分が周りとは違うことを物心ついたときから、総成は分かっていた。だから、異常なことを解決できる力が自分にあると思っていた。
だが、その結果は最悪だった。友人は死に、その母親は心を切り裂かれ、真犯人は逃げて、おまけに国家権力が敵になったことを知った。そしてリベリオスは思っている以上に強大な組織であることも思い知らされた。
総成は人を信じることができなくなっていた、そして自分自身でさえも。
友達を作れば、その友達は死ぬ。教師を信じれば裏切られる、もしくは殺される。頼りになるはずの警察は、リベリオスの支配下にある以上敵であると思うしかない。
総成が日本を出たのも、力を手に入れるというのは表向きの理由だ。本当は、逃げたかったのかもしれない。そして、誰も信じられないならせめて自分自身を信じられるようになりたかったのだ。
だが、戻ってきてもリベリオスに振り回されている。状況は一向に解決に向かわない。それどころか、自分よりも他の人の方が優れた成果を上げたように見えている。
要は自分を追い詰めすぎてしまったのだ。肩の力を抜く機会を与えられなかった。そのせいで、もう自分自身が嫌になってしまったのだろう。
「僕は、彼を巻き込んでしまったんだ。危険なことをもっと自覚していれば、彼は死なずに済んだ。1人で戦って誰とも関わらなければ良かったんだ。」
「それでは、あなたが壊れていました。四郎君と友達になったことは間違いではありません」
レオナルドの慰めの言葉に総成は彼の顔を見る。
「それを言って四郎君のお母さんが納得すると思うのか?」
「それは聞いてみないと分かりません。ですが、そのためにはあなたが生きていることが前提です。いいですか、坊ちゃん。真に罰せられるべきはあの警官であり、あなたでは無いのです!彼の死に責任を感じているのだとしたら、無闇にその命を粗末に使うのではなく、生き続けてください!これからも人々を助け続けるのです、そして何より自分自身を助けなさい!」
レオナルドは檄を飛ばしたが、総成は力なく頭を振った。
「それは、僕より彼らの方が上手くやってくれるよ。僕の数年の結果を数ヶ月で出しているんだ。彼らと一緒に戦ったとしても、確実に僕は重荷になる。もういいだろ、僕のことは放っておいてくれ」
総成はバトンを空中にかざすと、目の前にできた虹色の渦の中に飛び込む。レオナルドが、止めようとしたが急速に閉じて消えて無くなる。
レンが走ってくると、総成の消えた場所に手をかざす。
「座標の情報が暗号化されている。たぶん、リベリオスの施したプログラム。アイオーン、協力して」
「かしこまりました、レンお嬢様」
レンが空中に液晶画面を浮かばせて、解析を進めているのをレオナルドは後ろから見ていた。
思えば、私は無茶なことを言っていたのかもしれませんね。坊ちゃんに超人になることを許可しながら、普通に生きることを願っていた。現実と私たちからの希望に応えることで精一杯だったのかもしれません。あなたを今の行動に取らせた責任は間違いなく私にあるでしょう。ですが、あなたは大切な人間です。稲歌町にとっても、私たちにとっても。
思いを巡らせて、レオナルドは胸のスマートフォンを取った。そして電話番号を入力していく。そして自分の耳に当てる。
「あなたを見捨てはしません。あなたのお父上に誓ったのです。必ず、あなたを育て上げると。そのためならば、例えあなたに憎まれようが私も手段は選びません…!」
そして、コール音が途切れて相手の声が聞こえた。

同日 午後6時35分 御神デパート 会議室
拓磨達は、飽田雪子から彼女たちの身に起こった出来事を聞いていた。
稲歌町で起こった事件、その真相。特に自分の息子について話すとき、雪子の顔は懐かしさと悲しさが一緒に居座ったような複雑な表情を浮かべていた。
「そんな昔からリベリオスと戦っていたのか…。小学校2年生から頑張りすぎでしょ…」
雪子の話を聞き終えて祐司は、素直に驚いていた。
「私、知らなかった。自分たちの暮らしの外でそんなことが起きているなんて。最初、御神君を見たとき変な子だって思っちゃったの。なんて言うか、雰囲気が子どもっぽくないというか…。真相を聞けば納得なんだけどね」
雪子は、苦笑いしながら呟いた。
「何でリベリオスの情報を知っているんだ?普通、知らないだろ?」
大悟は、雪子に尋ねる。
「四郎の葬式も終わって、何もやる気が起きなくなっちゃったの。仕事も辞めちゃって、借金まみれになりかけたときレオナルドさんが助けてくれて…仕事と住む場所も探してくれて、私たちの周りで起きたことも教えてくれた」
「信じたんですか?異世界からの侵略者なんて」
拓磨の驚きの声に雪子は小さく笑った。
「あなたたちだって、目の前に浮かぶ映像とか、浮遊するボールとか、怪物の標本とか見せられたら信じるでしょう?あの人は、私と会った警官がリベリオスの協力者だったとか教えてくれたし、そもそも警察は一刻も早く事件を終わらすみたいな雰囲気がありそうで違和感があったの。色々聞かされて全部繋がったというか…腑に落ちた感じ」
「へえ~、人を信じさせる時は浮遊するボールが必要だったのか。どおりで葵が信じないわけだ」
自分の説明不足を全て物の責任にした祐司の納得の声に、拓磨は横目で祐司を見る。
「でも、怖くないのですか?我々のことを知るということは、狙われる可能性もあるということですが?」
テーブルの上に置かれたスマートフォンからスレイドの問いに雪子は、ゆっくり口を開いた。
「もちろん、怖い。でも、そんなの通り魔に怯えることと同じ事でしょ?それに、もし襲われるのだとしたら知っているだけマシですよね?」
「大した度胸じゃな。確認だが、我々の情報を他の者に伝えてはおらぬか?」
同じくテーブルに置かれた携帯から発せられるシヴァの問いに雪子は首を横に振る。
「レオナルドさんから誰にも言うなって。まあ、言ったところで信じないだろうけど、もし一斉に信じたらパニックになるって。だから、友達にも内緒。私だけの秘密」
雪子は自分の口に人差し指を当てて『内緒』 のポーズを取った。そして、不安そうに目を伏せた。
「あの…不動さん?」
雪子の言葉に拓磨は笑った。
「拓磨で良いですよ?俺、まだ高校生ですから。見た目で大人だと言われますけど」
「いや、ただの殺人鬼だろ?」
「そういうお前は霊長類だろ?」
大悟のツッコミに拓磨は振り向かず、ツッコミを返す。2人の間で祐司はニコニコしながら、メモ帳に会話を記入していた。
「御神君を助けてくれない?」
単純だが重みのあるお願いである。
そして拓磨が、雪子に返事をしようとしたときだった。突如、拓磨の携帯電話が鳴り響いた。
「おい、こんな時に誰からだ?」
大悟の呆れた声に、拓磨は返事をせずに自分の携帯電話を見る。
「……初めて見る番号だな」
拓磨は呟くと、恐る恐る謎の通話に答える。
「もしもし、不動ですが?」
「私、レオナルドと申します。不動拓磨さんの携帯電話でよろしいでしょうか?」
拓磨は目の前の雪子の顔を見ると、笑みを浮かべる。
「最近、話している教頭先生はやはり偽物ですか?」
「あれはロボットですよ。アンドロイドと言った方が良いのでしょうか?」
拓磨の軽口にレオナルドはあっさり答えた。
なるほど、大悟の推理が正しかったわけだ。そうなると、やはり金持ちか。うらやましい限りだ。
自分の懐事情に泣きそうになりながら、拓磨は話を続けた。
「家を出て、驚きましたよ。急に電話が使えるようになっていて、『御神デパートで女性が撃たれそうになっているから助けて欲しい』とメールが入っていましたから。何か、あったんですよね?しかも予想外の事態が」
「察しが良いですね…。単刀直入に言います。御神総成を助けてもらえませんでしょうか?」
拓磨は、レオナルドの嘆願を聞いて急に真顔になる。
「あいつに何があったんですか?」
「彼は色々抱えすぎてしまっている状態です。心が、壊れかけています。町を守らなければならない重圧と自分が過去に負った責任のせいで。もう、ご存じかと思いますけど飽田四郎君のことです」
拓磨はふと部屋を見渡すと、天井に付いている監視カメラに目が留まる。
なるほど、全部見られていたということだ。本当にすごい技術力だな。
「あなた方にした行為を考えると、とても頼める立場ではないことは重々承知しています。あなた方を危険に巻き込むということも分かっています。ですが…」
「レオナルドさんでしたっけ?今は、総成のことを考えましょう。ただ、こっちも命を賭けるわけです。タダでやるというわけにはいかない」
拓磨は、レオナルドの話を切って無理矢理進めた。
「お金でしたら、いくらでも…」
「レオナルドさん、総成はどんなパンが好きですか?」
拓磨はまたレオナルドの話を切って自分の話を進めた。
「……は?ぱ、パンですか?急に言われても…。強いて言うなら、あんパンですね。彼、甘い物が好きなので」
「ほう?つぶあんとこしあん、どっち?」
「こしあんですね。私はつぶあんが好きですけど」
拓磨は、祐司からメモ帳とボールペンを奪い取るとすぐにメモを取る。
「分かりました。じゃあ、総成を助けたら2人で不動ベーカリーに来て、あんパンを買ってください。そうすれば、もう2人はウチの客だ。俺は、気に入った客のためなら命ぐらい前払いで賭けてやりますよ。それが、未来の友人なら尚更だ」
すると、背後から大悟がやってきて拓磨の携帯電話を取り上げる。
「不動ベーカリーなんぞより、『こころ』に来て弁当を買ってくれ。安いのり弁当じゃなくて、高い弁当をだ!京士郎を取り戻す次で良いなら、俺がリベリオスを壊滅させてやる」
すると、今度は祐司が大悟の手から携帯電話を奪い取り、話し出す。
「新作アニメの企画中で、是非とも相談相手が欲しいな!そうすれば、喜んで協力しますよ!」
最後に拓磨が、祐司から携帯電話を返してもらうと再び電話に出る。
「…と、まあ色々と好き勝手やってますけど、協力しないといけないのはお互い分かっています。総成は、確かに優秀かもしれません。でも、1人で守るにはこの町は広すぎる。だから、総成が担いできた重荷を俺たちにも分けてくれませんか?1人では不可能なことも、協力すれば可能になるかもしれないでしょう?」
「本当に…ありがとうございます!」
電話の奥からすすり泣きの声が聞こえてきた。
ひょっとしたら、この人と総成は親子みたいな関係かもしれない。もしかしたら、それ以上かも。拓磨は安堵の気持ちに涙するレオナルドに、不思議な繋がりのようなものを感じ取っていた。
「総成の場所が分かったら、すぐに連絡いたします」
「分かりました。じゃあ、俺たちはウェブスペースから現場に向かいます」
拓磨は電話を切ると、目の前に電話をかざして虹色の渦を作り出した。
「飽田さんは、俺たちが戻るまでデパートから出ないでください。ここなら、安全だ」
「ありがとう、御神君をよろしくね」
雪子はニコニコしながら、言葉を贈った。
「さてと…仲間を迎えに行くぞ、お前ら!」
拓磨の後に続き、全員また砂漠の世界へと向かう。何も無いはずの世界も、今回は確かな何かがあるように拓磨達全員が思っていた。

第5章「その相撲取り、不動につき、危険」
同日 某時刻 ウェブスペース 座標「エックスセブン」
総成は、渦から出るとすぐさま周りを見渡した。目の前にあるのは、大人が3人横に並んで通れるほどの通路だった。壁は灰色の金属板で覆われており、装飾は一定の間隔で天井に付けられた照明の丸ランプだけだった。
すぐにスーツを稼働させ、マスクを付けて透明になると周囲を警戒しながら、直進していく。
すると、壁に監視カメラが取り付けられていることに気づき、ハッキングしようと右手をかざした。しかし、それはできなかった。
総成は不審に思って、監視カメラに近づくとマスクの分析機能を使って、監視ラメラの現状を確認した。
理由は単純、電源が入っていないことだった。よく見ると、天井のランプも暗く、電源が入っていない。
動力源が動いていないのだろうか?レンの言っていたとおりこの場所はすでに使われていなくて、住んでいる人もいないのかもしれない。ただ、稼働はしているという話だったが、問題でも起こったのだろうか?
あくまで仮定だったが、総成の警戒が少し緩んだ。
そして、そのまま歩いて行くと右側にドアが見えてきた。ドアには取っ手が付いていない。自動ドアのようだが、電気が無ければただの壁である。
総成は自動ドアの端に指を引っかけると、ゆっくりドアをスライドさせて中をのぞき込んだ。ドアは音も立てずに横に移動した。
そこにあったのは中央にテーブルと囲んでいる背もたれの付いた椅子4脚。奥には大人が寝られるくらいのベッドが4台置かれている。それ以外には何もなかった。
総成は、妙な違和感を感じていた。
人が生活した痕跡が無いのだ。何かを使ったりすれば必ず痕跡が残る。だが、目の前の家具は使われた形跡がない。用意はしたが、誰も使わなかったということなのだろうか?
総成は、ざっと部屋の中を見渡すと廊下に戻り、また歩いた。
すると、また右側にドアがあった。慎重に周囲を警戒して、また部屋の中を覗く。
そこにあったのは、先ほどと全く同じ部屋だった。家具の配置も生活感の無さも同じである。
総成はその後も、廊下にあるドアを開いては中を見て、また別のドアを開くことを繰り返した。
結局、全て同じだった。この廊下の部屋は全て使われた形跡がない。ひょっとしたら、この廊下も今まで誰も歩いたことが無いのかもしれない。
総成は床を分析して足跡を探したが、自分の物以外見つからなかった。
この基地、何のために作られたんだ?
総成は、全く人の痕跡がない風景に思考を巡らせていた。
そして、廊下の突き当たりにあるドアに手をかけようとした時、自動的にドアが開いた。総成は慌てて、警戒心を最大にする。
10秒近く、その場に立ちつくし部屋の中から何か出てこないか構えたが、何も動きが無いので入り口から中を覗いた。
そこは、部屋の中央に巨大なモニターが1台置かれていた。モニターの前にはキーボード、部屋の端にはソファも置かれている。壁には、服を掛けるハンガーが雑に打ち込んだ釘にぶら下がっていた。
この場所を管理する部屋だろうか?
総成は、注意を払いながらモニターの前へと移動した。
試しにキーボードを叩くと、目の前のモニターが急に映りショッピングセンターの案内図のような巨大な地図が表示された。無数の四角が密集しており、その内の1点が赤く光っている。
地図の上には、タイトルが書かれていた。それを総成はマスクを通して解析する。
『エックスセブン ~居住地区~』
つまり、先ほどの部屋は住民が住む予定だったということだ。ただ、それは実現しなかったようだが。
総成は、情報の収集のためキーボードを叩こうとしたとき、急に画面が切り替わる。
すると、目の前には雪のような白髪と無精髭を生やし、ティーカップを片手にこちらを見てくる威厳にあふれた謎の老人がこちらに微笑んできた。
「こんにちは、どこかの侵入者君」
総成は、一瞬老人に気を取られたがその後は無視して自分の腕をキーボードのように叩き始める。
「すまないが、姿を見えるようにしてくれないか?君のスーツは高性能すぎて、部屋に誰もいないように見えるのだよ」
総成は、黙って続ける。そして、自分のスーツとキーボードを無線で繋げてデータを抜き取り始めた。ついでに、もうバレているので透明になることを止めた。
「お~、素晴らしい。もうハッキングに成功したのか?本当に驚異のテクノロジーだ。さすが、我々に反抗するだけのことはある」
総成は一言も喋らずにデータの受信を待った。
「ふうむ、さすがに無視というのはいただけないな。まずは自己紹介から始めるとしよう。私は…」
「ジークフリード・アイコム大佐。リベリオスの参謀、惑星フォインの伝説。これから、彼らがリベリオスと戦う上で最も気をつけなければいけない男」
腕を見ながら、総成が加工された音声で淡々と答えた。
「まるで自分は関係ないというような棒読みだな?」
「ええ、あなたと会うのはこれで最初で最後だ。あとは彼らが始末をつけてくれる」
総成のあまりの素っ気なさにジークフリードは、奇妙な存在を見るかのように目を細めた。
「ずいぶんと弱気だな?まるでこれから死ぬみたいだ」
「この基地は、使われた形跡がない。居住区である以上、ここで入手できるのはせいぜい住む予定だった住民の個人情報くらいだ。そして、ここに僕を連れてきたのもおそらくあなただ」
総成の推理にジークフリードは耳を傾けていた。
「つまり、君は罠であると分かっていて飛び込んだと?では、聞こう。なぜだ?」
「あなたと接触するためだ。ジークフリードさん」
総成は、初めて目の前の老人の名前を呼んだ。
「敵の情報を知るには直接対面するのが1番だ。噂話など当てにはならない。特にこれから、敵となる相手は多少のリスクを冒してでも知っておきたい。僕はそう思った。そして、あなたもそう思うだろうと考えた。事実、あなたはこうして僕と喋ってくれている」
「君の作戦に私は嵌まったということかな?だが、私と話したところで得るものなど無いと思うが?その基地にはロクな情報がないのだろう?」
すると、総成は自分の腕を眺める。
「今、あなたは本部から話していると思うが、いくつかの基地を中継していますよね?逆探知されるのを防ぐためだ。でも、途中までの基地の情報なら手に入った。これは大収穫だ。後は順番に中継基地を襲っていけば、いずれ本部に辿り着く」
ジークフリードは、笑みを浮かべながら急に手を叩き始めた。
「なるほど、想像以上だな。認めよう、君の技術は我々のものを超えている。ただ…残念だな」
ジークフリードは、渋い顔をしながら画面外からティーカップを取り出すと、スプーンで中の液体を回し始める。
「残念?自分がミスをしたことが?」
「いや、君のことだよ。君は優秀すぎる」
総成は、口を開こうとしたがどう答えたら良いのか分からなかった。
「私は仕事柄、軍人を率いたことがあるのだが飛び抜けた才能の人物を採用したことはなかった。チームを組ませるとしたら、同じくらいの能力の者。飛び抜けた才能の人物を使うとしたら個人行動だ。なぜだか、分かるかね?」
「凄すぎて、扱いに困ったから?」
総成は、あまり考えず聞いてみる。すると、ジークフリードは1口紅茶を飲み、ため息をついた。
「逆だよ。超人が1人いたところで、何も変わらなかった。周りと違うというのは不和を生む。連帯感や団結が必要な軍事行動において、超人は邪魔でしかない」
「それは、その超人の能力が足りなかったからだ。力を手に入れ、知識を頭に詰め込めば…」
ジークフリードは、総成の話を聞いていると突然吹き出した。
「ははは!そうすれば、君になれるな!力を持ちすぎたせいで振り回され、自分というものを見失い、あげく誰もいない異世界の廃墟で寂しく孤独なまま死んでいく、何の魅力もない制御不能の機械にな。悪いが、金をもらってもそんな存在ごめんだ」
「僕が今までやってきたことを無意味だと言いたいのか!!」
ついに総成の感情に火が点いた。マスクの声も割れ、目の前のモニターに映る薄ら笑いを浮かべた老人に憎しみを向ける。
「ああ、無意味だ。過去のことを思い出してみたまえ?我々、リベリオスに対して何か有効な手を打てたか?ずっと犠牲になっているのは、君たちの世界の住人だ。我々の犠牲は、ロボットだ。そのロボットはいくらでも作れる。どれだけ負けず嫌いな人でも、こんな結果じゃ負けを認めるしかない。違うかね?」
総成は反論しようとしたが、否定する材料が見つからなかった。
全て、事実である。リベリオスに対して本当の意味で勝利を得たことなど1度もない。  ジークフリードは、紅茶を置くと肘をついて両掌を合わせて、真剣な表情で語りだした。
「新米(ルーキー)、経験者として忠告しよう。戦いを決めるのは、目的と経験と団結だ。これらの要素が1つでも欠ければ、敗北が決まる。目的が無ければ、人の心を動かすことはできない。経験が無ければ、対処ができない。そして団結しなければ、人間など大した存在ではない。例えそれが超人であってもだ」
「誰もお前達に抗える存在がいないんだ!僕たちがやるしかないだろ!」
総成の叫びを聞くと、ジークフリードは返答せず黙った。
そして、総成の目の錯覚なのかは分からないが、一瞬老人の口が少し緩んで笑ったように思えた。
「僕『たち』か…。でも、君はここで終わるのだろう?あと2分で君のいるところは、鋼鉄を瞬時に気化させるほどの高エネルギーによって焼き払われる。引き金を引いてくれるのは、君の友達の仇だ。まあ、残りの時間を1人で過ごしたまえ。さらばだ、ルーキー。本当に残念だよ」
目の前のモニターの映像が消える。
総成は、自分の腕を眺めた。すでにデータは、自宅に送信されている。
リベリオスの本部が分かったわけではないが、手がかりは手に入れた。今まで防戦一方だった状況を変えるかもしれない重要な手がかりだ。これで、彼らは本格的に動くことができる。
総成は、そのまま部屋の隅にあるソファに移動すると、マスクを外して腰掛ける。
逃げるつもりは無かった。やることはやったのだ。情報が彼らに届けば、必ず今の状況を打破できる。ただ、それに自分が含まれていないだけだ。
総成はゆっくりと息を吸うと、そのまま吐き出した。ホコリの匂いは少しもない。息をするのも楽だ。
不思議と彼は落ち着いていた。
場所が寝室ならこのまま寝てしまいそうだ。初めて自分のやりたいことをできたからだろうか?自分がいなくなったら、レオナルドは怒るだろうか?いや、彼ならたぶん泣いてくれるな。アイオーンも同じだ。ただ、涙は出ないだろうけど。
レンは……彼女はどうなんだ?彼女が笑った姿を見たことは1度もない。いつも淡々と顔の筋肉が固まっているように話す。とっさの事態に弱いところもあるけど、なんて言うかそこがまた魅力的だ。いなくなったら、適当に別の相手の所にでも行くだろう。
いつの間にか、時間が経つ感覚を忘れていた。そして、そのままこれからのことへと考えは移った。
引き金を引くのは、あの警官だ。奴もまた、リベリオスの駒にすぎない。どうせ使い捨てにされるのがオチだ。長く生きて1日の命だろう。
思えば9年の因縁だ。奴に殺されるのは悔しいが、僕の人生を終わらせるにふさわしい相手………ではないな、うん。奴はダメだ。
急に総成はマスクをかぶると、立ち上がる。
死ぬのは別に良い。けど、あいつに殺されるのは嫌だ。もっと言うと、あいつが生きているのが嫌だ。どうせ死ぬなら、あいつも道連れにして、地獄で永遠に殴り続けてやる。
総成はマスクの下で笑みを浮かべると、早速逃げる方法を考えた。
レーザーが飛んでくるのなら穴でも掘ろうかな?地上にいたら、当たるだろう。
早速スーツの機能を使って、床を壊そうとした時だった。
急に目の前の壁が崩れ落ちて、目の前が真っ暗になる。すると、今度は地面が揺れ始める。総成は、突然襲いかかる重力に立っていられなくなり、しゃがみ込む。
すると、今度は地面が壁になり総成は転がりながら、壁になった地面に寝転がる。
「な、何なんだ!?」
あまりの出来事に総成は若干パニックになっていた。
明らかにレーザーを撃たれたわけではない。そもそも、レーザーを浴びたら言葉を発する間もなく蒸発している。
何かが部屋全体を掴んでいるのだ。そして、持ち上げている。
総成は、しばらく振動に耐えていたがそれも徐々に収まり、そして止んだ。
急に止まった音に不審に思った総成は、自分が入ってきたドアを無理矢理手でスライドさせ、開いた。
そこにあったのは、この世のものとは思えない光景だった。
遠くに広がるのは一面の白、上空を染めるのは一面の青、そして足下にあるのは漆黒の闇と血管のように脈動する赤い閃光。
「ここが噂に聞く異世界かな?」
だが、ゆっくりと振り返ったときその景色の意味を知ることができた。
それは壁だった。あまりにも大きな黒い壁。そして、その黒い壁を走る赤い閃光、まるで血が通っているかのようだ。そして遙か上空には顔の一部分だけが見ることができた。悪魔のような金色の角を生やし、燃えさかる石炭のような目が総成をまっすぐ見つめている。
「これが…ウェブライナー?」
確か、黒いウェブライナーは最初変わった姿だったか?最初聞いたときは黒く塗装したのかと思ったが、これはそんなレベルではなく別の存在になったというのが正しいのかもしれない。
目の前の存在に興味津々の総成だったが、突然の足下が動き出すと同時に、体が地面に引きずり込まれていく感覚に陥った。そして、急に総成の意識は消えた。

同日 同時刻 ウェブスペース 座標「エックスセブン」 ウェブライナー内部
「ミッションコンプリート!乗客は生きています!」
「部屋の中にいたのが、あいつじゃなければ死んでいたけどな」
喜ぶ祐司に大悟は釘を刺した。
ウェブスペースに到着し、レオナルドに場所を教えられ、スレイド達と合流した祐司達は、寝込んでいるゼロアを安全な場所に放置して、マスターフォームの高速移動で走りながら目標の座標まで来た。
ところが、座標近くで高エネルギー反応を確認したとレオナルドに伝えられ、エネルギー攻撃なら無力化できるカオスフォームで堂々と「エックスセブン」に乗り込んできたのである。
最初、祐司たちが見たのは、足下に広がる密集した団地だった。祐司とスレイドは息を合わせて、建物を壊さないようにウェブライナーを操縦し総成を探して、調子に乗って掴みあげたわけだ。
「御神君が普通のわけがないだろ!つまり、大丈夫ということだ!ううむ、しかし『御神君』では捻りがない。何か良いあだ名はないものか…『霊長類』がインパクトがありすぎるんだよなあ…」
「俺は、金を払ってでもそのあだ名をあいつにくれてやりたいけどな」
ブツブツ言っている祐司に大悟が操縦席に座りながら、腕を組んで文句を言う。
すると、祐司は誰かに見られているような視線を感じる。
黒い巨人は、周囲を見渡した。辺りは砂だけだ。足下にある廃棄された基地を除いて、隠れられるものは無かった。
すると、突然背後で何かが来るような感覚を感じる。
「カオス・トランサー!」
祐司とスレイドは意思を共有し、腹から赤く黒く輝く棒を叫びながら引き抜くと、迫ってきた感覚を受け止める。
それは、レーザーだった。受け止めたエネルギーは、カオス・トランサーを通じてそのままウェブライナーに吸収される。
「どうやら、砂漠から飛んできたな。砂の下に隠れているのか?」
シヴァが、ウェブライナーの目を通じて発射された方向を睨む。
「まあでも、レーザーはオタクたちなら平気なんだろ?だったら、のんびり近寄って潰せばいいんじゃねえのか?」
すると、今度も背後に気配を感じて、ウェブライナーは振り向きながらカオス・トランサーで攻撃を受け止めようとする。
しかし、振り向いた瞬間手元で何かが砕けるような音と巨人の体に衝撃が走った。
見ると、赤い棒は飛んできた何かに粉々に砕かれ、ウェブライナーの右腹部の黒い装甲にヒビが入っていた。棒で防いでいなければおそらく貫通していた。
飛んできたのは弾丸である。おまけに、巨人の装甲を貫きそうなほど強力な。
「い、いかん!!物理攻撃だ!霊長類が余計なことを言うからだ!」
祐司のパニックな発言に大悟とシヴァはとっさにメインパイロットを交代する。ウェブライナーの周りに竜巻が発生し、その中から全身の骨格が浮き出たフード付きの外套をまとった亡霊のようなマスター・フォームが現れる。
そして、そのまま前から飛んできた弾丸を右足を引いて体を反らし回避する。
「お前、何をしに出てきたんだよ!!基地掴んで、レーザー防いだだけじゃねえか!」
「集中しろ、大悟。今の威力だと、一発でも当たればウェブライナーは大破するぞ。粉々になったら、自己回復ではどうにもならん」
シヴァの忠告に渋々大悟は従った。
ウェブライナーは弾丸が飛んできた方に、飛ぶ鉄拳「風牙征空拳」を叩き込もうとしたが、今度は右から弾丸が飛んでくる。ウェブライナーは飛んできた銃弾を手刀ではたき落とすが、また攻撃する前に別の方向から弾丸が飛んでくる。
「くそっ!攻撃ができねえ…!」
もはや弾を回避することしかできなくなったウェブライナー。大悟のイライラした声とは異なり、祐司は周りを観察している。
「やっぱりリベリオスはすごいなあ。ウェブライナーが進化しても、それにちゃんと対応してくるんだから。全方位の砂の中に狙撃兵がいて、攻撃のタイミングを潰すように撃ってくる。マスター・フォームのスピードじゃないと穴だらけになっていたね」
「今の我々は近接戦闘しか取り柄がありませんからね。動きを上手く封じれば、あとはもう一方的でしょう」
祐司とスレイドは感心して、のんきに感想を述べていた。そんな2人に大悟がキレる。
「お前ら、喋ってないで少しは手伝え!」
「ちゃんと周りを見て、その情報をお前に送って手伝っているだろ?だから、弾を避けられているんだぞ?」
祐司は視線を動かしながら、ウェブライナーの後方を見張っていた。
「『だから弾を避けられている』だと?弾避けているのは、主に俺の努力だろうが!!」
「愚痴を言っていないで、動け!動け!反撃の機会が来るまで避け続けろ」
シヴァも大悟に情報を送りながら、戦場だと思えないほど落ち着いて諭す。
「その機会はいつ来るんだよ!?というか、パン屋は今何している?」
「たっくんなら、今面接中だよ」
祐司の場違いな発言にウェブライナーの肩に銃弾が軽く当たって、装甲にヒビが入った。
「このタイミングで採用面接なんかするんじゃねえよ!!」
大悟の嘆きもむなしく、ウェブライナーはダンスをひたすら踊り続けた。

同日 某時刻 ウェブライナー内 ウェブライナー乗組員面接会場
総成は、企業のPR活動に使われそうな広い会場にいた。
目の前には2メートルほどの長さの机が置かれ、向こう側には椅子が2脚置かれている。周囲は脈を打っている7色の空間。それ以外には何もない殺風景な場所だ。
目の前の状況が理解できずに総成はマスクを外すとポカンとした顔で周囲を見渡す。
すると、突然眼前に全身真っ黒な人の形をしたのっぺらぼうが現れる。音も立てず、いきなり総成の目の前に現れた謎の存在に、総成は飛び退く。
「な、なんだ君は!?」
のっぺらぼうは質問に答えず、じっと総成を足下から頭頂まで舐めるように見渡す。
「これはまた変な男がやって来たものだ」
のっぺらぼうは口が無いのにため息のような音を発すると、テーブルに向かっていく。すると、いきなり拓磨が現れどこからともなくパイプ椅子を持ってくると、総成の前に置く。
「どうぞ、新入社員はこちらへ」
拓磨は自分のコートでパイプ椅子を軽く拭くと、イルの隣に着席する。そして、名札をイルと自分の前に置く。
『ボランティア団体 ウェブライナー 面接官 イル・マテリアル』
『ボランティア団体 ウェブライナー 面接官補佐 不動 拓磨』
イルは、手に光を集めると1枚の紙のようなものに作り替えて、じっと眺める。
総成は、状況を理解するどころかさらに混乱した。
「不動君、なぜここにいる!?君はもう関わらなくて良いと言ったろ!?」
「ご着席ください」
総成の質問には答えず、拓磨は手で座ることを促した。
「それに何で彼らも来ているんだ!?戦いに巻き込む気か!?」
「ヒステリー起こしている口を閉じて、ご着席ください」
今度はイルも着席を促した。ちょっと口が荒い。
「そもそもなんだこの茶番…」
「喚いてないでさっさと座れ!」
横暴な新入社員に対して上司のイルがキレた。
「面接官、それでは我々がブラック企業だと思われますよ?」
拓磨はとっさにひそひそとイルの軌道修正の助言をする。
「不動拓磨、この場は我の意思にこいつを無理矢理従わせる場ではないのか?」
「面接とは、直接対面し、相手の長所や短所を引き出すことで魅力を再確認する場だ。データでは分かっていることでも、実際に会って話してみないと分からないものもあるんだよ。決定はあくまで最後だ。まずは相手の人となりを見ろ」
「……なかなか面倒なことを人間はやるものだな?では、改めて述べよう。僕ちゃん様?こちらの言うことになるべくさっさと従いやがってください」
総成は脅迫のようなお願いのような言葉を聞いて、一向に話が進まないので仕方なくパイプ椅子に腰掛けた。
「もしかして、君たち面接は素人?」
総成はマスクをそのまま地面に置いた。そのまま軽口を叩くが、イルは耳を貸さず手に持った紙を見ているように見える。
「まずは、最初の質問から。……『志望動機』というのか、これは?」
イルは隣の拓磨に尋ねる。
「大事な質問だ。これで相手が何を求めているのかがよく分かる」
「なるほど。それでは、尋ねよう。我が団体に入ろうと思った理由は?」
総成は、質問に答えず手を挙げた。
「君たちが僕を助けてくれたことは、すごく感謝している。だけど、僕は君たちを巻きこみたくないし、関わりたくないんだ」
「ふむふむ。だから、ウェブライナーに乗りたいというのだな?志望動機にしてはひねっているな。もっと素直になった方が良いぞ?1点減点だ」
拓磨は、勝手に悟ってイルの紙に情報を記入した。
「不動拓磨、減点はどういう基準だ?」
イルは、拓磨に興味津々で質問した。
「建前で言ったからだ。志望動機は本音で話す必要があるからだ」
「つまり、自分を偽ったからということか?コスプレをしているというのに、気持ちまで隠すとは裏切る素質があるかもな?」
「いや、もっと単純だ。照れ性なんだよ、こいつ」
好き放題言っている2人のやり取りに、総成は怒って床を蹴って音を立てた。
「僕はそこまで繊細じゃない!」
「いや、お前はここにいる全員の中で最も繊細で、最も頑固で、最もコミュ障で、最も誰かに助けて欲しいと願っている奥手だ。自分からでは、いつまで経っても俺たちを巻きこまないのは知っている。だから、逆に俺たちがお前を巻きこんでやるんだ」
それがこの面接というわけか…。
拓磨の言葉に総成は怒りもどこかに吹っ飛んでしまい、再び倒れるように席に着いた。
「それで…結果は?心堂君たち、結構危ないと思うけど?」
仕方なく総成も話に乗る。ただし、不思議と嫌な気分ではなかった。
「面接官補佐である俺の意見としては、99パーセントのえこひいきと1パーセントの客観的意見から合格だ。ぜひともウェブライナーに乗ってもらいたい」
拓磨は満面の笑みで、紙に「採用」と書くと総成に見せた。
「面接はそんな基準で決めて良いのか?」
イルは、再び拓磨に尋ねた。
「むしろ、これこそ醍醐味だろ?テスト等では分からないことを直接話し合って読み取り、自分の価値観に従って決める。さて、面接官はどう判断する?」
イルは、拓磨から紙を奪うとじっと見つめているように見えた。そして、何かを書き加えようとしたが、ため息を吐くと何も追記せずに「採用」を見せた。
「とりあえず、様子見で採用だ」
イルは、淡々と述べた。
「何か引っかかる言い方だね?詳しく聞かせてもらえない?」
総成は、不審そうに眉を動かして、目の前ののっぺらぼうに尋ねる。
「分かった。今、このウェブライナーには『筋肉で物事を解決する奴ら』しか乗っていない。そんな中で、技術面で利点をもたらすお前の加入は貴重だ」
「ゼロアは科学者だろ?」
拓磨は、異議を述べたが、
「あの男は数に入っていない。そもそも、今のあいつは過労で寝込んでいるただの『お荷物』だ」
とすぐさまバッサリ切り捨てられた。
ゼロアって色々不憫だよなあ…。祐司とは馬が合わないし。最近、影が薄くなってきているように思える。色々おかしい奇人変人の中に1人だけ一般人が紛れ込んだような雰囲気だ。そもそも、ウェブライナーのガーディアンに何であいつは選ばれたんだ?
拓磨は、色々と思うところがあったがとりあえず頭の隅に置いておいた。
「……採用の理由はそれだけ?」
総成は、物足りなさそうに尋ねる。
「ああ、それだけだ。私はむしろ、否定的な立場だからな」
イルは、また切り捨てると本腰を入れて話を始めた。
「まず、ウェブライナーには今のところ奇人変人しか乗っていない。撃たれた銃弾でキャッチボールをして、あげくに戦場で昼寝を始める心臓に毛が生えた大量殺人鬼みたいな不動拓磨を筆頭に、アニメと特撮と白木友喜のことしか頭にない廃人の渡里祐司とその世話係のスレイド・ラグーン、『とりあえず筋肉で解決できないことはない』と言わんばかりの巨大でマッチョでゲイなゴリラ姿の霊長類とその調教師であるシヴァ・シンド―」
イルは指を折りながら1人ずつ感想を述べていった。
あながち、間違った論評ではないのが何か嫌だな。そして大悟は、もう2度と名前で呼ばれないことが確定したようだ。
聞きながら、拓磨は憂鬱な気持ちになってきた。
「そして、今回加わるお前は?頭も良く運動もでき外見も良い。一見、完璧に見えるが、その中身はヘタレでコミュ障でテロリストな金持ちの坊ちゃんだ。いつから、ウェブライナーは珍獣専門の動物園になった?常識的なのが、あのパッとしない生ゴミ学者もどきしかいないぞ?そういう世間的な評判を鑑みてお前を乗せたくない」
「別に僕だけが悪いわけじゃないだろ!」
イルに指さしを受けた総成は反論する。
「まあ、他に言いたいことは山ほどあるが様子見ということで、研修期間つきの仮採用だ。さてと、ではそろそろもう1人を招くか」
すると、総成の背後に虹色の穴が現れ、青い髪を揺らしてゆっくりとレンが現れる。
「レン!?君も来ていたのか!?」
「………誰?」
総成は顔を喜ばせて近寄っていったが、拓磨は同時に疑問の声を上げた。
見たところ、俺たちと年は同じくらいだ。総成と同じような黒いスーツを着ているが、女性用は男性用と異なり色気がある。体のラインの強調は男性用より強く、まるでバイクスーツみたいだ。
「御神総成のガーディアンだ。さっき呼んで、別の部屋に待機しておいた」
「何で総成と一緒にここに座らせなかった?あいつのパートナーだろ?」
拓磨の質問を聞くとイルはじっと、レンと話をしている総成を見た。
「『パートナー』か。なるほど、確かにそう言えなくもないな」
イルは何やら自分の言葉を噛みしめるように言うと、立ち上がり2人に近づいていった。
「話を切るが、お前らに触れてデータを取り込ませてもらう。ウェブライナーは、それで新しい進化をする。そろそろ、霊長類がダンスに飽きてきた頃だろうしな」
「おい!!いつまで喋っているんだ!?さっさと、何とかしろ!」
部屋全体から大悟のブーイングが響き渡る。
「短気な霊長類だ。調教役にはもっと頑張ってもらわないとな」
すると、イルは両手をそれぞれ総成とレンの胸に当てようとするが、レンは一歩下がる。
「…どうした?」
「あ~、その接触なんだけど、できれば頭とか肩じゃダメかな?彼女もほら…女性だから」
総成は、じっとイルを見ているレンの態度に配慮して、遠回しに述べた。
イルはその言葉を受けるとレンを見つめる。
「お前の体なんぞ何の魅力も感じられんがな。お触り禁止とは知らずに無礼なことを言って済まなかったな」
「気遣いどうも、黒タイツ」
レンは毒を込めて嫌みな言葉を述べるとイルの手を掴んで自分の頭に置かせる。すると、触れた場所が輝き、10秒ほどでイルは手を離す。
「現在、周囲から発砲を受けている。これらに対処しつつ進化を行う必要があるが、何か要望はあるか?」
「俺たちの時とは違って、今回は意見も聞いてくれるのか?」
拓磨はイルの背後から口を挟む。
「お前らの時とは違って、こいつは自分の進化について言いたいことがあるようだからな」
イルはさらりと答えた。
「今のウェブライナーの情報を全て見せてくれ」
総成の要望に対し、イルは目の前に日本語で書かれたウェブライナーの情報を光の板に映して上から下に流す。
総成は5秒ほど目を上から下に移動させ、また上に戻すことを繰り返すと「もういい」と言葉と共に見るのを止めてブツブツ独り言を言い始める。そして2秒ほどで考えをまとめた。
「ウェブライナーの周りに廃棄された基地があったはずだ。それらを取り込んで進化できる?敵を倒すついでにこの世界の情報も知りたいんだ」
「一石二鳥な考えだが…重くなるぞ?」
「構わない。重く、固くしてくれ」
「集中砲火を浴びて蜂の巣になることを望みか?お前も狂っているな。さすがは動物園の一員だ。いいだろう。お前という存在がどういうものなのか、これからじっくり見せてもらおう」
すると、総成の周りから拓磨やレン、そしてイルが消えて総成の目の前には肘掛けの先に球体が付いた椅子が現れる。
総成は、素早く椅子に着席した瞬間、ウェブライナーの目と胸のコアが青く輝き、進化が始まった。
今まで弾を避け続けていたウェブライナーが突然、動きを停止する。そして、装甲の隙間から7色の液体が漏れ出し、触手のような形になり足下にある基地を地面から引きはがし、そのままウェブライナーの胸にくっつけた。
動かなくなったウェブライナーに向けて集中砲火が行われたが、銃弾が装甲を破壊しても外に溢れ出した7色の液体がその部分を埋める。そして、足下にこぼれた液体は廃棄された別の基地を持ってきてウェブライナーにくっつける。
最終的には、付近一帯の基地を全て液体が飲み込んで地面から引きはがし、巨大な7色の繭のように全身が覆われ、巨人の姿が見えなくなる。
周囲から無数の銃弾が休む間もなく放たれ続けたが、弾は液体の中に沈んでいった。
そして、周りを覆っていた液体が固まると突然ガラスのように剥がれて、砂の上に落下していく。まるでみぞれのようにこぼれ落ちた液体は足下に溜まると、砂に吸い込まれるように消える。
その液体の中から現れたのは、丸々と太ったずんぐりむっくりなウェブライナーだった。
今までのウェブライナーは、色や形にこそ差はあれど筋肉質な人間の容姿を保っていた。しかし、今度現れた巨人はまるで相撲取りのような体格をしている。腕は肩から手首まで同じ大きさで肥大化している。足は腕の2倍くらいの太さがあり、象の足のみたいである。
相撲が好きな人間が、ロボットを作れと言われて作った処女作のようだ。
顔と体は灰色をした装甲に覆われているが、鎧というより何重にも服を厚着していると言った方が良い。丸々とテカテカ輝き、時々青い光が血管のように浮き出る。
顔は優しそうな垂れ目をしていて、口は灰色の装甲で覆われている。頭にはチョンマゲのような飾りがついていて、相撲取りらしさを際立たせていた。
突如、ウェブスペースに現れた相撲取りはただその場に直立不動で何もしなかった。
謎の登場人物のエントリーに、一瞬銃弾が止んだが、再び集中砲火を浴びせる。
しかし、それでもウェブライナーは動かなかった。
銃弾も当たってはいるのだが、体に当たった瞬間、弾の方がひしゃげて、砂の上に落下していく。恐ろしく頑丈な装甲である。
すると、突然ウェブライナーから煙が吹き出し、白いもやの中にその巨体がすっぽり包まれる。
そのもやの中で機械音が響き渡る。何かを無理矢理動かしているかのような金属と金属が擦れ合い、悲鳴みたいな音を奏でる。しかし、音がどことなく不気味で煙のせいで何をしているか分からないのが恐怖心を煽る。
30秒後、煙は消えた。そして、現れたウェブライナーは姿が変わっていた。
上半身が回転して、後ろを向いている。背中があったところに太った腹があるのだ。そして、右腕をまっすぐ前に出し手には、グリップの付いたラッパを持っている。
そしてそれをまっすぐ一点に向けていた。
その不気味な姿が現れた瞬間、発砲が止まった。
そして、同時に鳴り響く雷の束を目の前に叩きつけたような轟く音。前方の遙か彼方で砂が爆発したように吹き上がり、豪雨のように地面に落ちていく。
それから弾が飛んでくることは無かった。
拓磨たちはポカンと口を開けて、目の前の出来事を認識できずにいた。
謎の巨漢がウェブスペースに現れて1分で決着がついてしまった。あまりにも呆気ない結末である。
「え………?も、もう終わり?」
祐司は恐る恐る現実を確かめるようにスレイドに確認した。
「終わり……でしょうね。たぶん」
スレイドも現実を受け入れられなかった。
「あっ、失敗だ」
一同が現実に戻ったのは、総成の気の抜けた声を聞いたときだった。
拓磨が、確認するとその失敗はすぐに分かった。
ウェブライナーの手に持っていたラッパ、おそらく武器だろうが、それが粉々に引きちぎれて地面に落ちていた。おまけに威力の反動で、ウェブライナーの右腕が吹き飛んで後方に転がっていた。
まるで武器が暴発したかのようである。
「おい、テロリスト。ちょっと話がある」
総成の椅子の前にイルが怒り心頭で床から浮き出るように現れた。
「さっきの武器だが、あれはお前がとっさに作ったんだな?」
「弾道の大きさと衝突角度と速度から、相手の位置を割り出して、敵が全員砂の中にある固定砲台から撃っていることが分かったんだ。それで、その1つに全ての固定砲台を指揮している存在がいることがハッキングで分かって、そいつに効果的にダメージを与えられる武器を取り込んだ廃材を使って作った」
総成は目の前の画面に地面に落ちたラッパを見せる。
「弾は1発だけ。強度を重視したんだけど、反動に耐えられなかったみたいだ」
「その暴発するパンパカパンを撃つたびにウェブライナーはこれから腕を吹き飛ばされなければいけないのか!?」
イルの怒りが総成にぶつけられる。総成は枯れた花のようにうなだれる。
「あの……ごめんなさい。最初だったんで、データが足りなかった」
「お前の戦い方は、こいつらキチガイの中で1番芸がなく雑だ!だから、お前はいつまで経っても坊ちゃんなのだ!」
「僕の記憶を勝手に読まないでくれるかな!?とっさにやったんだから、これでも上出来だろ?」
すると、2人の喧嘩に大悟は咳をして介入した。
「おい、どうでもいいけどさ。とりあえず、相手を確認しに行こうぜ?どんな武器使っていたのか気になるし」
「それもそうだね。じゃあ、大悟君。代わりに操縦して」
総成はあっさりと大悟に操縦を譲った。
「いや、近づくだけだからお前が移動させろよ。わざわざ姿を変える必要なんてねえだろ?」
「それなんだけど、この姿だとこの場から動けないみたいなんだよ」
総成は、目の前にウェブライナーのデータを映し確認していた。
「はあ!?一歩も動けねえのか!?じゃあ、何で人の形をしているんだよ!?」
「安定感のある立派な姿を想像したらこうなったんだ。ただ、思ったより重すぎたみたいで砂に沈み込まないようにするのがやっとみたい。動いたらバランスが崩れて間違いなく沈むね」
総成の説明にシヴァは感心していた。
「ほお~、一歩も動かず相手を倒す巨漢か。考えてみたこともないのう」
その後、大悟はため息を吐くとマスターフォームに変わり、落ちた腕を拾って、地面が爆発したところまでウェブライナーを動かす。
そこは巨大なクレーターが出来ていた。
中央には地面に埋まっていたロボットの残骸が、無残にも散らばっていた。
ラッパから放たれた何かは砂を吹き飛ばし、クレーターを作り、隠れていた敵を跡形もなく粉砕したのだ。
「一体、何を撃ったらこうなるんだ?隕石でも衝突したみたいになっているぞ?」
大悟が尋ねるが誰も答えられなかった。突然総成が席を立ち、外に飛び出す。
そのまま空を飛び、クレーターの中心に滑空して向かっていった。
地面に降り立った総成は、クレーターの中心に近づいていく。
中央にあったのは、引きちぎられた金属の残骸だった。総成が近づくと、残骸が小さく動いている。
総成は無言のまま眺めていると、残骸が総成に向きを変えた。
よく見ると、それは人のようだった。先ほどの衝撃とライナー波の影響で金属と肉体が張り付いて一体化してしまったらしい。頭は人間だが、体は衝撃で突き刺さった金属が輝いて鱗のようになっていた。腕と足はもうない。衝撃で吹き飛んだのだろう。
「やって……くれる…じゃねえか…なあ?探偵」
空気が抜けるような声で、石狩が嘲っていた。
総成は石狩を見下ろして、何も言わず立っている。
「しつこいんだよ…お前はああ…小さなガキのためによおおお…」
喉をやられているせいか、石狩の言葉は微妙なタメと吐くことを繰り返していた。
総成は、何も喋らず黙って石狩を見下ろしている。すでにマスクはウェブライナーにおいてあり、素顔同士での対面。初めて顔を合わせたお互いの間にあるのは、瀕死の男の独り言だった。
「どうせ、年…取ればすぐ忘れちまうだろうがああ…。あんな人嫌いのために、俺の人生…ぶち壊しやがって…」
「飽田四郎だ」
ようやく総成が喋った。その言葉は短く、名前だけだった。
「あ…?誰だよ?」
「飽田雪子。坂口平介。沢渡七恵。三島一輝。三島勝己。リベリオスに関わったせいで人生を壊された人、そしてお前のせいで人生をぶち壊された人だ」
総成の言葉にはハッキリとした意思が入っていた。その意思は、怒りを沸き立たせ、頭を冷静にさせる。
「知らねえな?」
「僕はお前がライナー波のせいで狂ったとは思わない。お前は最初から壊れていて、それをリベリオスに利用された、ただの駒だ」
「だから、知らねえって…!」
総成は、焦げている石狩の髪の毛を掴むとそのまま片手で持ち上げ胴体を宙に浮かせた。
痛みのせいで、石狩は喚き、涙を流し、悲鳴を上げる。
「わ、悪かった!俺が…」
総成は、片手で謝る石狩の口を塞いだ。
「謝るな。お前は誰にも謝らず、クズとして死んでいけ!お前がやることは、謝ることではない、名前を覚えることだ!苦しめた人たちの名前を一人残らず覚えていけ!だが、一番最初にお前が覚えるべき名前は『飽田四郎』だ!僕の友達の『飽田四郎』だ!!」
総成は石狩の口から手を外す。すると、石狩は力なく唾を吐いた。だが、勢いが足りず砂に落ちる。
「うるせえ…、死んじまえ…ストーカー野郎…」
それが彼の発した最後の言葉だった。彼の体がみるみるうちに光に包まれ、そして髪の毛の一本残らず、光となってウェブスペースに消えた。
総成は、石狩を掴んでいた手を力なく下げると、呆然と石狩が横たわっていた地面を眺める。
終わった。彼の仇を討ったのだ。だが、こんなにもあっさり決着がつくとは思わなかった。もっと苦しみ、体の一部を失うことも覚悟していた。だが、これほど淡々と終わってしまうとどうして良いか分からない。
勝利の余韻なんてないし、泣きたい気持ちでもない。何というか、疲れがどっと出てきたような気だるい気持ちだ。
すると、背後で足音がすることに総成は気づいた。
「情けないだろ?死ぬ寸前の相手に追い打ちをかけたんだ。本来はやってはいけないことだ」
「だが、少なくとも人間らしかったぞ?良いか悪いかはともかくな。俺なら、顔面に蹴りを入れていたかもな。お前は優しい方だ」
拓磨は、腕を組みながら背後から総成に思いを語った。
総成は、向き直ると拓磨に対して口を開こうとしたが、拓磨が手をかざしてそれを止めた。
「まず最初に礼を言うのは俺たちじゃなくて、家族にしてやれ。あの人の助けが無ければ、俺たちもここに来ることができなかった。俺たちは、来たくて来ただけだ」
すると、拓磨の背後からレンが歩いてきて、総成の側までやってくる。
「総成、帰る?」
「…そうだね。今は言いたい言葉に整理がつかない。君たちに話したいことは、気持ちの整理がついてからにするよ」
笑みを浮かべながら、レンを見てそのまま拓磨を見つめた。
「どうせまた、すぐ会えるから別れは言わねえぞ?用事があったら、俺の携帯に連絡しろ。あと、電話を使えなくするのはもう勘弁だ」
拓磨は、手を天に突き出して疲れを取るように伸びをしながら、総成に背を向けてウェブライナーに帰っていく。
その拓磨の帰る姿を見ながら、レンは目の前に7色の渦を手をかざして作り出す。
総成は、力が抜けたようにリラックスしながらその中に入っていく。
あっという間だった。立て続けに起こったハプニングのせいで総成の戦いは瞬く間に終わってしまった。

終章「役者は揃った。よし、逃げるぞ!」
同日 午後9時21分 御神邸 キッチン
総成が戻ってきたのは、見慣れたキッチンだった。最新の調理器具によって、いつもレオナルドが魔法のように料理を作ってくれる。アイオーンは、ロボットを操りながらそれを手伝い、レンは……皿を配る。彼女が料理をするのは見たことがない。
かぐわしい匂いにつられ、そちらを向くとレオナルドがこちらに背を向けて、寸胴のに火を入れて中身をかき回していた。
総成は、どう声をかけて良いのか分からず、とりあえず目の前の椅子に座った。レンも総成の隣の椅子に座る。
「お疲れ様でした。レンお嬢様」
「疲れてない。ウェブライナーに乗って座っていた。ただ、それだけ」
「怪我なく帰ってきただけで嬉しいことですよ」
レオナルドはカップに熱々のオニオンスープを入れると、総成の背後を通りレンの前に黄色いマグカップを置く。
レンはカップを手に取ったが、すぐに熱さで飛び跳ねて、慌てて自分の手に息を吹きかけて冷ました。
すると、その後、総成の前に青いマグカップ、総成の前の席に緑色のマグカップを置いて、無言のまま相向かいに着席する。
総成は俯いたまま、沈黙していた。レンは、じっと総成を見た後そのままレオナルドを見る。彼も、どのように話したら良いか困っているらしく、沈黙している。
レンは、じっと目の前のオニオンスープを見ていると、再び手を触れようとしたとき、
「気をつけた方が…」
総成とレオナルドは同時に注意をしようとして声が共鳴した。お互い驚くとなんだかおかしくなってしまい笑い声を上げる。そして、笑い声を引っ込めると総成がまず切り出した。
「レオナルド、あの……さっきはすまなかった。取り乱して、あなたの気持ちも分かってあげられなかった。あなたに注意されても仕方がない。愚かだったよ」
「いいえ、私の方こそ言い過ぎました。どうか、お許しください」
お互い謝ると、総成はゆっくりとマグカップを持ち、空気とスープを絡ませるように回転し始めた。
「結局、僕は助けられてばかりだった」
総成の呟くような発言にレオナルドは、彼の顔を見る。
「あなたの頑張りに周りが応えてくれたのです。彼らだけでも、もちろんあなただけでも上手くいかなかったことです。協力したからこその今なのです。それで、いかがでした?」
「失った者は戻ってこないけど、とりあえず区切りはついたと思う。それに、こんなこと本当は言ってはいけないかもしれないけど、石狩刑事の死に際の一言。今までで一番聞いて嬉しい悪態だったよ。あんなに悪口が気持ちよく聞こえるなんて思わなかった」
総成は、少しスープを飲みながら感想を述べてレオナルドの目をちらりと見た。
彼も黙ってマグカップを傾けている。
「…そうですか」
「咎めないのかい?」
総成は、簡単な一言で済ませたレオナルドに対し、心配そうに尋ねる。
「あなたの感想はあなただけのものです。飽田君を筆頭に大勢の人の犠牲がありました。それに対しての感想がどうであれ、あなたの思いにケチをつけることはできませんよ。私は、坊ちゃんではありませんから。あなたの苦しみを真に理解することは無理でしょう」
「……ありがとう」
「ただ、1つだけ覚えてほしいことがあります」
礼を言った総成に対して、レオナルドが口を挟んだ。
「確かにあなたは異常でしょう。そして、あなたの言うとおり、今この町に求められているのは『異常』です。ですが、同時に『人間』であってほしいのです。異常であったとしても、周りの人との関わりを断って欲しくないのです」
総成は目を俯く。
「僕に、そんなことができるのだろうか?友達1人守れなかったんだ」
レオナルドは、身を乗り出すように話しかける。
「今回の騒動でよく分かったでしょう。あなたも1人の人間であることを自覚するときが来たのです。どれだけ体を鍛えても、どれだけ英知を頭に詰め込んでも、どれだけ生まれながらに才能に恵まれていても、出来ないことがあるのです。この町は、我々だけでは広すぎるのかもしれませんね」
総成の頭の中に思い当たる節がいくつも浮かんでくる。
自分だけでは四郎君のお母さんは死んでいた。ウェブスペースで手がかりを入手することもできなかった。それどころか自分自身の命を落としていたかもしれない。
現実は、厳しかった。
「あなたには協力者が必要です。それもただの協力者では駄目です。一緒にリベリオスに対し、命を賭して戦ってくれる仲間。それ以上にあなたの友人でなくてはいけません。ですから、まずは彼らから始めてみませんか?」
「彼らは異常だと言いたいの?」
レオナルドの言葉の先を読んで総成は尋ねた。その言葉に彼はどう答えて良いのか分からず顔をしかめて考えてしまった。
「少なくともまともには見えませんけど?あなたにぴったりではないですか?」
「僕は彼らほど個性的ではないよ?」
「何を仰いますやら……坊ちゃんも十分に個性的じゃないですか。それに、そう言われて悪い気はしないでしょう?」
総成は笑みを含んで、またスープを飲んだ。
「まあ…そうだね」
すると、総成はスープを飲み干し立ち上がる。
「ん?坊ちゃん、どちらへ?」
「報告しなければいけない相手がいるんだ。明日から忙しくなるし、今すぐ行っておきたい。葬式の時は行けなかったからね」
「そうですか。それでは、私はそのお母様の下へ伺うとしましょう」
レオナルドが立ち上がると、レンも立ち上がった。結局、スープが熱くて飲めなかったようだ。
「休む時間もない」
「休んでいていいんだよ?」
レンに言葉をかけるが、彼女は頭を横に振った。
「あなたといるのが仕事。何より重要」
そして、また光に包まれて青いスマートフォンに変わると総成の掌に落ちる。
「我が家は仕事熱心すぎるね?」
「あなたに言われたくはないですよ」
レオナルドの笑い声を背中で聞きながら、総成は玄関へと向かっていった。

同日 午後10時1分 稲歌町東地区 墓地
夜の墓地。明かりが墓地内の外灯しかなく、あちこちに点在しているせいで虫が群がり、点滅している。
総成は赤や黄、ピンクの花束と一緒に薄暗い闇の中を歩いていた。
総成は、そのまま墓地内の小道を歩きながら、奥の方へと進んでいく。
そこには1メートルくらいの直方体の墓石の前で総成は止まる。『飽田家』と刻まれ、その表面は掃除が何度も行き届いているように輝いていた。
総成は、早速花を銀色の花瓶に差そうとしたが水を持ってきていないことに気がついた。
「あっ、桶で持ってくるのを忘れてたな…」
「よお、これ使うか?」
総成は、突然聞こえた声の方を向くと、宗教ジャージを着た拓磨が木製の桶を総成に差し出していた。中には水がたっぷり入っている。背中には「天丼よりもたまご丼!」と当時の教祖の辞世の句が書かれていた。
「今回もレオナルドの差し金?」
驚きを通り越して総成は、呆れていた。そして、拓磨から桶を受け取る。
「偶然だ。ちょうど散歩したいと思っていたんだ。そしたら、墓地の方に向かうお前を見かけて尾行した」
「アイオーンも意地悪になったものだな…」
総成は、ブツブツ呟くと花瓶に水を入れ、花を差し、そして墓石に水をかけた。
「そこにいるのが、友達か?」
拓磨が、総成の姿を見ながら尋ねる。
「少なくとも、僕にとっては友人だった。彼も…そうだったと思いたいけどね」
総成は、そのまま合掌した。拓磨も手を合わせる。1分ほど続けた後、拓磨は総成の背後から尋ねた。
「一生の友人って奴か?」
「正直、彼と友達だった期間は2週間くらいなんだ。不思議だろ?たった、それだけなのに一生の友人に思えるんだ。彼にとって、僕は迷惑極まりない存在だったかもね」
「雪子さんの会話を聞いた感じだと、お前は友達だったみたいだぞ?」
総成は、驚いたように拓磨の顔を見る。
「あの人に聞いたの?」
「ああ、お前を助けて欲しいと言われた。正直言うと、俺たちが助けて欲しいと言いたかったんだけどな」
拓磨は、ため息を吐きながら苦笑する。
「彼女は…怒っていた?」
総成は、気持ちを落ち着かせながら拓磨に尋ねた。そんな総成を見て、拓磨ははっきりと答える。
「それは自分で確認するべきだ。前に電話した時に言ったろ?」
「他人の言葉を鵜呑みするのではなく、自分の目で見て、耳で聞いて、頭で考えたものでなくては信用するに値しないだっけ?」
拓磨の台詞を大幅に改造して、総成が言った。
「なんか色々パワーアップしてないか?」
「僕、改良するの得意なんだよ。分かったよ。後で、必ず確認する」
得意げに言う総成の笑顔を見て、拓磨は初めて彼の真の姿を見たような気がした。弓道場で何となく作っているような印象を受けた顔。それが今は喜怒哀楽で成長する普通の高校生の笑顔に変わっていた。
「なぜ、僕を信じたの?」
「俺が信じたかったからだ。それじゃ、不満か?」
「不満だね。できれば、理由を教えて欲しいな」
すると、拓磨は桶を持つと答えずに総成を指で招いて墓地を移動した。足下に気をつけながら移動を続け拓磨が止まる。そして、拓磨が止まったところに別の墓石が置いてあった。
そこには「金城家」と書いてあった。
「これは、確か高校の先生だった人?」
「誰かが俺たちの尻ぬぐいをしているのは知っていた。だから、第3者…つまり、お前のことだが悪い奴には思えなかったわけだ。命を救われた人は大勢いるからな。それが理由の半分。そして、もう半分がこれだ」
総成の質問に直接答えず、拓磨は桶の水を墓石にかけた。
「はっきり言うと、小2の時のお前が4月の時の俺なんだ。もっとも、俺はお前みたいに責任とか何も背負ってなかったけどな。金城先生に出会ったことが、ライナー波と関わるきっかけだった」
「つまり、彼は恩師?」
「いや…俺も1ヶ月くらい…いや、3週間くらいか?それくらいしか先生と思い出が無いからな。恩師といえばそうだけど…そこら辺も含めてお前と似ているんだよな。短い期間しかいないのにとても心に残ったというか…なんというか上手く言葉にできないが」
拓磨は、語彙力の無い自分に腹が立ちながら、墓石の前で合掌した。総成もそれにならい手を合わせる。
「欲を言うと、もっと色々話をしたかったな。あまりにも期間が短すぎた。運命だと言えばそれまでだが、いくら何でも早すぎた」
「それは、僕も同感だね」
合掌を終わり、発した拓磨の心からの言葉に総成も同意した。そして、総成に向き直る。
「俺はお前じゃないから、お前の苦しみは分からない。けれど、何となくお前の置かれている状況は理解できた。そして、そんな時に助けてくれたのが俺の友人だった。だから、今度は俺が同じ事をお前にしてやろうと思った。これが残りの理由だ」
つまり、僕は不動君を助けた友人に感謝しなければいけないということか。
気持ちとは不思議だな。良くも悪くも人を通じて伝わっていく。僕は、幸運なことにそれに助けられたということか。
自分の境遇に満足しながら、総成は幸せを噛みしめていた。
「君は友達に恵まれているんだね?うらやましいよ」
「ずいぶん他人事だな?これから、お前もそれに加わるんだぞ?」
総成は、目を丸くして拓磨を見た。そして不意に目頭が熱くなりかけ、それを誤魔化すように目のゴミを払うような仕草をする。
「ああ、そうか…。それじゃあ、色々頑張らないといけないな」
「特に頑張って欲しいのは、暴走機関車の2人を一緒に止めて欲しいことだ」
総成の目頭が急に冷えた。
「それって、祐司君と大悟君?」
「あの2人、一見仲が悪そうに見えるが実はすごく相性が良い。いつも仲良く喧嘩している。片方がボケをやるなら、片方がツッコミ。阿吽の呼吸で漫才の流れが出来ている。ただ、どちらもエスカレートしやすい性格でいつも暴走する。正直、俺はもう疲れた。お前には、あいつらが暴走しないように俺と一緒に見張っていて欲しい」
拓磨は、間違っても成ってはいけない事例を挙げるように会話を作り、総成に助力を求めた。
「君は彼らの保護者もやっているの?」
「好きでやってるわけじゃない。誰かがやらないとリベリオスと戦うことすら危うくなるからやっているんだ。だから、頼む。俺を助けてくれ。機関車2人から救ってくれ」
拓磨は、頭を下げて手を差し出した。
総成は、呆気に取られていたが、苦笑しながら渋々拓磨と握手した。
「言っておくけど、僕も暴走するよ。これから作戦とか色々立てるけど、全てこちらの指示に従ってもらうからね」
「お前が暴走したら、レオナルドさんに言いつけてやるから、それは心配していない」
拓磨は帰り支度をしながら冷酷な一言を口にした。
「不動君、頼むからそれだけは止めてくれない?」
総成は、拓磨の後を追いながら必死に懇願した。
こうして、御神総成はたくさんの個性豊かな動物たちの一員になったのである。

週末 稲歌町中央地区 御神デパート 屋上 午前10時
総成が仲間になった週末、拓磨はレオナルドに電話で呼び出された。幸いなことに今回まるで出番が無かったゼロアもすっかり回復し、拓磨の胸ポケットに収まっている。
周囲の人の目を気にすることなく、拓磨はベンチに座りながら、レオナルドを待った。
「ゼロア、調子は元に戻ったか?」
「まあ、機械いじりができるくらいまで回復したよ。悪かったね。大事なときに寝込んでしまって」
電話をかけるふりをしながら、拓磨はゼロアと会話をする。
「大変だったんだぞ?電話は使えなくなる、ウェブスペ―スには行けない。おまけに祐司と大悟は喧嘩で、新しい仲間は暴走して取り返しのつかないことになりかけた」
「御神総成か…。ずいぶん頼もしい仲間が加わったじゃないか?」
ゼロアの期待がこもった声に拓磨は小さく笑う。
「ボヤボヤしていると、全部総成に立場を取られるかもしれないぞ?」
「むしろ、そうしてもらいたいよ。1人で色々作るのは大変なんだから」
ゼロアは、本気でそう思っているように拓磨に同意した。
拓磨は、今回の出来事は仲間を得た以上に大きな意味を持つと思っていた。
1番の利点はやはり個々の負担の軽減である。
人数が少ないとどうしても負担に偏りが生まれる。能力の差もあり、何かが出来る人は優先的に動かなければならない。ゼロアがまさにそれだった。
その結果、彼の負担がピークに達し、あっという間に危険に陥ったのだ。
技術提供という意味では総成の加入は非常に大きい。俺たちの核になってくれるはずだ。
「あなたはどこにいても目立ちますねえ、不動君」
横からのんきな声が聞こえてきたので、拓磨がそちらを向くと、スーツ姿の白髪執事が両手に飲み物を持ってこちらを見下ろしていた。拓磨は携帯電話をポケットにしまうと、彼を見上げる。
「教頭先生と呼んだ方がいいですか?」
「いえ、レオナルドと呼んでください」
拓磨の質問に笑顔で軽く答えると、拓磨に麦茶の入った飲み物を渡し、隣に座った。
「あなた方には礼の言葉しかありません。非協力的だった我々に対し、過分な配慮をいただいて感謝しています」
レオナルドは、素直に頭を下げた。拓磨はそれを見ると、小さく笑みを浮かべる。
「礼を言われるようなことはしていません。俺は自分のためにしか行動していませんから」
「つまり、総成坊ちゃんと仲良くするのはあなたの利益のためだと?」
「ええ、もちろん」
拓磨は笑みを浮かべながら、麦茶を飲んだ。レオナルドは、拓磨の目を見たまま再び話し始める。
「どんな利益なのか教えていただけますか?」
「大した理由じゃありません。堂々と話す事じゃないですよ」
拓磨はやんわり断ったが、レオナルドは諦めなかった。
「あなたという人間を知るためにどうかお願いします」
拓磨はため息をつき、レオナルドのしつこさに負けを認めた。
「うちはパン屋を経営しています。商売である以上、どうしても客が必要になります。だが、リベリオスはその客に危害を及ぼす。商売の邪魔をする奴らを見逃す理由なんて無いでしょう?」
「ほお~、御神グループや心堂君の家にも通じる理論ですな。客のために戦うですか…自分の家の経営のために。生活のために戦う、これ以上無く単純で簡単と言えるでしょう」
拓磨の考えにレオナルドは頷いた。
「それが半分の理由。もう半分はもっと単純です」
「聞かせてもらえますか?」
「俺がそうしたいからです」
レオナルドは、笑い出した。拓磨は、変なことを言ったのかと自分の発言を疑う。
「はっはっは!あなたの半分くらい、総成坊ちゃんも気楽なら私ももっと楽になれたのでしょうね。彼は責任感の塊ですから。『力がある者は他者のために奉仕する義務がある』。ずっと、責任と戦ってきましたからね」
「それでは、いつか爆発するでしょう。俺ならそうなる」
拓磨の言葉にレオナルドは、味わうように記憶を思い出していた。
「ええ、噴火しましたね。正直、あの時初めて本当の彼を見たような気がしましたよ。あの子が積極的にリベリオスに立ち向かっていこうとしたのは、あなた達が理由なのです。あなたと病院で初めて話したときから、徐々に変わっていったのです」
「今、総成はどこに?」
拓磨は周囲を見渡して、総成を探すがどこにも見当たらなかった。
「家でパソコンとにらめっこですよ。ウェブライナーが味方になったことで、加速度的に出来ることが増えたそうです。次に会ったときには想像以上のものをあなた方に振る舞えそうですよ」
「それは楽しみだ。あのスーツは是非とも着てみたいと思ってたんですよ」
拓磨は本音を言った。
「なんて言うか…ようやく色々動いた感じがします」
感慨深げにレオナルドは呟くと拓磨もそれに同意した。
「それは俺たちも同じです。今まではリベリオスに対して受け身でしかなかった。なんていうか、空回りしていたんだと思います。俺たちは1人1人が意味のある歯車みたいなものなんでしょう。だが、1人で回転していても意味がない。いくつかの歯車が重なり、お互いを支え動かしあって、初めて大きなことを成し遂げられる。総成が空回りをしていたのなら、俺たちがあいつを上手く動かせば良いし、その逆も然りだ」
「いやはや、あなたはリーダーに向いているかもしれませんね。中心人物として他をまとめられそうだ」
レオナルドは、拓磨の見解に感心していた。
拓磨は、その褒め言葉を素直に喜べなかった。『リーダー』という言葉を聞いて、祐司が言っていた『僕らのクラブのリーダー』が頭に響いてきたからだ。
なんかまた貧乏くじを引きそうな気がする。余計なことに巻きこまれ、さらに祐司たちの都合に振り回される気がするのが妙に癪に触った。
嫌なことが起こらなければ良いが…。
色々話をした拓磨だったが、ふと気になったことがあった。
「そうだ。いくつか聞きたいことがあるんです」
「何でしょう?」
「あのレンとかいう女性。ウェブライナーのガーディアンみたいですけど、彼女は何者ですか?」
レオナルドは、拓磨の質問に答えず笑みを浮かべながら黙って飲み物を飲んでいた。
「4人目のガーディアンはカイアス。リベリオスの幹部の関係者で、すでに亡くなっていると話を聞いたのですが」
「残念ですが、不動君。私より総成坊ちゃんの方が彼女に詳しいと思いますよ。彼女は彼のパートナーですから。あなたとゼロアさんと同じように」
レオナルドの解答を拓磨は納得できなかった。
俺はゼロアのことをよく知らない。
リベリオスに対抗している科学者。リベリオスの幹部の1人、ラインと旧知の仲であること。知っているのは、それぐらいだ。それに、ゼロアは叔父と叔母のことを知っていた。2人も彼のことを知っていた。
分かっているのは、ゼロアが俺たちに隠し事をしているということだ。
無理に聞き出すわけにはいかないが、いずれちゃんと答えを聞く必要があるかもしれないな。
「それはいずれ、総成か彼女が話すのを待つとしましょう。もう1つ、質問です。あなたは、総成を補佐していたわけですよね?」
「ええ、今もやっていますよ」
「総成は最初、俺たちと関わるのを避けていた。だが、あなたは俺たちに積極的に関わってきたように思えるんです。彼の要望とは真逆の行動をしていた。思えば、あなたの行動は怪しいものばかりでした」
最初は、この屋上で俺と話をした。その後、携帯電話がおかしいことに気づいた。それで、俺はレオナルドさんが怪しいことに気づいた。
でも、よく考えると別に俺と話をする必要はなかった。俺たちを邪魔するだけなら、影でこっそり俺の携帯電話をハッキングすれば良い。
大悟に自分が怪しいと思うように仕向けたことも、俺と総成を弓道場で会わせたこともはっきり言えば不自然だ。
全部総成の願いとは逆の行動を行って、俺たちの注意を引いてばかりだった。
「不動君。執事の仕事は何だと思います?」
「それは…主人の願いを叶えることですか?」
「まあ、ざっくり言えばそうでしょう。執事は主の要望を聞き、それを実現するための進言や補佐したりします。だから、そのために動いたんですよ」
拓磨はレオナルドの言葉を聞くと、理解したように笑みを浮かべた。
「総成が口で言っていることと心で思っていることの違いを理解していたわけですか。だから、俺たちにバレるようにした」
「半分は、勘でしたけどね。坊ちゃんの本音を聞いたとき自分は正しかったんだと、ほっとしました」
「何で総成があなたに逆らえないのかがよく分かりましたよ。味方になってくれてよかった」
「今後は不動君達も手伝っていただきますよ。私も自分のために動いている人種ですからね。坊ちゃんは才能が服を着たような人物です。彼に必要なのは余裕を与えること。それさえできれば彼は無敵です。あなたたちは、彼の友人として物理的にも精神的にも支えて余裕を与えてもらいたい。そうすれば、必ずあなたたちにも恩恵が返ってきますし、リベリオスを倒せるでしょう」
拓磨は、レオナルドの言葉に黙って頷いた。その目にはギラギラと勝利の光が輝いている。
「そんな簡単なことで良いのなら、喜んで」
「期待していますよ、他の友人にもそう言っておいてください。さてと、それでは早速行きましょうか?」
レオナルドは話を切り上げると立ち上がった。
拓磨は彼の言葉がよく分からなかった。
「これから、君の家のあんパンを買いに行かないと」
「おっ!ならすぐに行きましょう」
拓磨も新しい客ができたことに気分は晴れ晴れだった。
「今回の謝礼として新店舗が造れるくらい出資しましょうか?」
「それは遠慮しておきます。叔母が調子に乗るんで。すでに町の暴君として振る舞っているので、むしろ対抗店舗に援助して叔母をぎゃふんと言わせてください」
拓磨は、すぐさまレオナルドの申し出を断った。
「それでは、あなたが損をするのでは?」
「どうせ、お金をもらうんだったらパンを売って、それを誰かに買ってもらいたいんですよ。やってもいないのにもらっても、嬉しくない」
「ほんと…、坊ちゃんは良い友達を持ちましたよ」
拓磨とレオナルドは、意気揚々で屋上を去って行った。
いろいろな形のものが組み合わさり、何か大きなものが動き出した。それを2人は感じていた。

某日 ウェブスペース リベリオス本部 司令室
リベリオスの司令室は、いつも以上に静まりかえっていた。
最近は、ウェブライナーの出現によって賑やかだったこの部屋も今日ばかりは、誰かが亡くなったように音が死んでいた。
部屋の中央には、中華料理店のテーブルのような丸机が用意され、それを囲むようにバレルを除いてリベリオス全員が座っていた。
視線は、全て一点に集中している。微笑みながら、肘をテーブルに置いている老人、ジークフリードその人だ。
「今日も集まってくれて感謝する」
そのジークフリードの挨拶を遮るように人差し指でテーブルをコンコンとフード姿の青年が叩き始めた。
その音にジークフリードの隣に座っている、アーロンが不快な表情を浮かべる。
「ザイオン、説明の途中だぞ?」
すると、ザイオンは指を動かすのを止めてアーロンをまっすぐ見つめる。フードの中で2つの閃光が輝いていた。
「悪いが、今回は俺たち全員ジークのおっさんに聞きたいことがあるんだ。まずはそっちから先にしてくれないか?」
「俺は無いけど?」
ザイオンの隣に座っていた京士郎は、手を挙げた。
「いいから、お前は黙って座ってろ」
ザイオンは空気を乱した京士郎を睨み付けた。京士郎はクスクス笑いながら、両手で口を塞ぐポーズを取った。
すると、白衣を着た司令官のラインが口を開いて切り出した。
「今回の作戦、何の意味があったのでしょうか?」
ジークフリードは、笑みを浮かべたままラインの目を見つめる。
「質問に質問をするようで恐縮ですが、司令はどう見えましたか?」
「第3者をあぶり出して、亡き者にしようとしたら、ウェブライナーの妨害に遭い、失敗」
「おまけにそいつがウェブライナーの一員になって、さらに戦力が強化された。つまり、大失敗!俺たち、ピンチ!」
ラインの説明に怒りを込めてザイオンが補足した。
ジークフリードは、アゴをなでながら2人の言葉を味わうように聞いていた。
「『失敗』……。なるほど、少なくとも司令とザイオンにとってはそう見えるということですかな?」
「違うのか?」
余裕の態度を取り続けている老人を前にして、ザイオンは怒りを抑えて様子を伺った。場の空気を読んだのだ。明らかに参謀は、この反応を予知しているようだった。まるで意に介していない。
つまり、自分たちがジークフリードとは違うものを見ているということになる。
まさか、この失敗に思える作戦は実は成功していた?
「今回の作戦の目的は、第3者を表舞台に出すことです。それ以外に何も求めていない」
「彼が敵になったことも予定通り?」
ラインと同じく白衣を着たリリーナの質問にジークフリードは、笑顔で頷いた。
「敵が強くなって、俺たちに何の得があるんだよ?」
「その質問、逆に尋ねよう。彼らが強くなることで、我々にどんな不利なことがある?」
ザイオンの問いをジークフリードは素早くはじき返した。
「そりゃ……敵が強くなったら負けるかもしれないじゃねえか?まあ、俺は負けねえけど」
「『負ける』か…。別に彼らに勝とうが負けようがどちらでも良いと思うが?ですよね、アルフレッド博士。そして、司令」
ジークフリードは、何か重要なものを手に入れたような確信めいた声で2人に尋ねた。すると、アルフレッドとラインは我らの参謀の意図に気づいたように驚くと、2人とも笑みを浮かべた。
「なるほど……確かにそうじゃな。さすがは参謀。やっと意味が分かった!」
「できればもう少し分かりやすく伝えて欲しかったですよ、大佐。これじゃ、まるで授業を受けているようだ」
ジークフリードは笑い始めると、入り口のドアの方を向く。ドアの向こうでは足音が聞こえていた。
「おっと、最後の1人が到着したようだ」
自動ドアが開くとドアの奥から坊主頭がこちらにやってきた。青い作務衣姿で、目は冷たく鋭く輝いている。
「おっ、謹慎帰りか?バレルさん」
京士郎の軽い発言に対し、バレルは目もくれずラインの近くまで行くと頭を下げた。
「司令、前線に復帰させていただき感謝します」
「前線に出て感謝を言われたのは、初めてだ。みんな、嫌がるんだ。何はともあれ、これからよろしく頼むぞ」
ラインは、隣の席にバレルを座らせると再びジークフリードを見た。
「さてと、大佐。役者が揃ったことで今後の方針を聞かせてもらえますか?」
「うむ。まず、これからは私の作戦の下、行動してもらう。そして、記念すべき最初の作戦だが、我々リベリオスは……」
ジークフリードは真剣な顔でテーブルを囲んでいる全員を見渡して、タメの時間を作るとふと笑みを浮かべ、軽くこう答えた。
「逃げる」
予想外すぎる答えに誰もが口を出す機会を失った。
そんな中、ザイオンが全身を怒りで震わせ、先陣を切った。
「ジークのおっさん。悪いが、あんたにボケは向いてねえよ。だって、ツッコミに困るんだからな。あのさ…何で逃げるんだよ!!俺たち、地球を攻めているんだぞ!?」
「だから、攻めるために逃げるのだよ」
ジークフリードの答えもザイオンにとって、ワケが分からなかった。
「俺たちのやることはウェブライナーをぶっ飛ばすことだろ!?」
「はあ……なるほど。お前はそう考えているのか、だから会話がかみ合わないわけだ。とりあえず、指示は追って出す。みな、すぐに動ける準備を整えておいてくれ」
ジークフリードは、ため息をつくと会話を打ち切り、会議を終わらせる。
意味不明な指示を出した我らが参謀とアーロンは立ち上がると、さっさと部屋を出て行ってしまった。ザイオンは、怒り心頭で2人の後を追っていく。京士郎は何か面白そうだから、その後を追っていった。
「もう寝ても良い?」
「ああ、これから忙しくなるんだ。そんなときは寝られないからな」
リリーナはあくびをすると、ラインの許可を受けて部屋の外に出て行った。開いたドアからザイオンの怒鳴り声が聞こえる。
「あの沸騰したヤカンにも困ったものです」
「ははは!上手いことを言うじゃないか。謹慎中はツッコミの練習をしていたのか?」
ザイオンの暴走を見て、バレルの呆れ果てた感想にラインは拍手する。
「私のやるべき事はリベリオスの使命を完遂することです。ただ…そのために逃げるというのはどうも理解できません」
「いや、ジークの言葉は何よりも大局的な見方じゃ。ここは逃げる方が最善なのだよ」
アルフレッドは、早速キーボードの前に座ると手を動かした。
彼の後ろに2人とも移動し、目の前のモニターを眺める。
「それで私への命令は?」
「前線に出ることは無い。むしろ、お前も戦局を俯瞰することを学んでもらう」
ラインは目を輝かせながら、モニターを眺めていた。
そこに映っていたのは、全裸の人間の男性だった。ただし、その両目と髪の毛は7色に輝いている。そしてこちらをまっすぐ見つめていた。
「何ですか、これは?今までのモンスターとは…」
「全然違うだろ?これぞ研究の成果だよ。言うなれば、彼は人間の進化した姿と言うべきかな?まだ、試験運用もしていないが、そろそろ始める頃合いだろう」
バレルの驚きの声に、ラインはワクワクしながら答えた。
「さてと、役者は揃った。では、逃げるとしよう」
アルフレッドは、満足そうに呟くとモニターの電源を消した。
こうして、様々な思惑を抱きながらリベリオスは逃走を開始したのである。
拓磨達が、その事実に気づくのはもう少し先のことだった。


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