【初稿版】特オタ~特撮ヒーローズオルタネイト~

青空顎門

第四話 恐怖 ③召喚の副作用と特効薬

 気がつくと、雄也は窓から差し込む茜色の光の中、自室のベッドに横になっていた。
 体を起こそうとするが、何となく反応が鈍い。痛みはないのだが……。

【まだ起きちゃ駄目】

 眼前に文字が浮かぶと共に、視界の中にアイリスが入ってきて両肩に手を置かれる。

「アイリス……」
【学院長の治癒魔法で傷は治ったけど、その分体力を消耗してるから】
「……分かった」

 力を抜いてベッドに体を預ける。

【少し待ってて。学院長とティアを呼んでくる】

 そう言って部屋を出ていくアイリスを横目で見送ってから、雄也は一つ深く息を吐いて目を閉じた。そして、真超越人ハイイヴォルヴァーとの戦いを思い返す。
 手も足も出なかった。完敗だった。
 頭の中で幾通りかシミュレーションしてみても、正直勝てるイメージが全く湧いてこない。相手の手の内をある程度見ても尚、決定的に技量に差があり過ぎて。

(俺の命を狙うとか言ってたし、また襲われるのは確実なのに……)

 目を開いて天井を見詰めながら眉間にしわを寄せる。
 全く厄介なことになってしまった。

(とりあえず、召喚の副次作用のおかげで奴に対する恐怖心はないし、あれがトラウマになって戦えないってことはないだろうけど……)

 今のまま再び戦闘になれば、次は本当に命を落としかねない。とは言え、つけ焼刃でどうにかなるレベルでもなし、抜本的な解決策が必要だ。

(昭和の特撮なら、敗北の次は謎の特訓からのパワーアップがテンプレなんだけどなあ)

 そんな若干現実逃避気味の考えを脳裏に浮かべたところで、部屋の外に人の気配を感じて思考を打ち切る。アイリスが二人を連れて戻ってきたのだろう。

「体の調子はどうだい? ユウヤ」

 部屋に入ってきて開口一番フォーティアが心配そうに尋ねてきた。

「まだ、ちょっと違和感があるな」

 それでもアイリスが二人を呼びに行っている間に大分マシになったので、体を起こす。

【治癒魔法がなければ命に関わる怪我だったんだから当然。学院長に感謝しないと】
「そ、そこまで酷かったのか?」

 さり気なくベッドの一番近くに陣取ったアイリスの言葉に驚く。
 意思に反して体が動かない程だったのだから改めて考えれば当たり前の話なのだが、痛みがなかったせいで余り実感がない。しかし、雄也の問いに首を縦に振ったアイリスの表情は怖いくらいに真剣で、深刻さを伝えてくれる。なので――。

「ラディアさん、助かりました。ありがとうございます」

 アイリスに言われた通り、ラディアに感謝を示す。それに対し、彼女はどこかばつが悪そうに視線を下げつつ口を開いた。

「怪我を負ったことは構わない。そんなものは私がいくらでも治してやる。……だがな」

 ラディアは一呼吸置き、意を決したようにこちらを見据えて続けた。

「どうしてあんな戦い方をした? フォーティアは時間を稼げと言ったはずだ。それを真っ向勝負に出てどうする。今のお前で倒せると思ったのか?」
「う……そ、それは……」
「早々に無力化された私が言えた義理ではないが……あのような力押しではなく、例えば魔法で目眩ましをするとか他にやりようはあったはずだ」

 静かに諭すような言葉に、改めて真超越人ハイイヴォルヴァーとの戦いを頭の中に描き起こす。
 言われてみれば、オルタネイトのスペックを頼みにした単調な戦い方をしてしまっていた気がする。何より、いつの間にか時間稼ぎという当初の目的を見失っていた。

「確かに……何で……」

 思えば、先程行ったシミュレーションもまた、次も真正面から戦うことを前提としたものだった。戦闘を回避する選択肢を最初から排除していた。

(己の命も顧みず、なんて日本の平凡な大学生には普通無理だ。少なくとも以前の俺なら逃げに徹して然るべきなのに……)

 まるで思考に妙なバイアスがかかっているかのようだ。

「すまない。責めるような言い方をするつもりはなかったのだが……。私はお前に己の歪な精神状態を自覚して貰いたかったのだ」
「歪な精神状態、ですか?」
「うむ。色々と言ったが、実のところユウヤに非はないのだ。根本原因は召喚にあるのだからな。もっとも、それを抜きにしても同じ判断をすると言うのなら話は別だが……」

 ラディアの問うような視線に、雄也は首を小さく横に振った。
 戦いの場を離れ、かつラディアの指摘を受け止めた今となっては、あの時の戦い方は確かに間違っていたと思う。完全に撹乱に徹すれば、勝利できないまでも無傷で逃げ延びることは可能だったかもしれない。
 そんな内心の反省を感じ取ったのか、ラディアは軽く頷いてから再び口を開いた。

「以前の補足だが、召喚された存在は魔法的に暗示をかけられ、戦闘を躊躇わせるような感情を抱きにくくなる。望郷の念と恐怖を失い、結果として短絡的で好戦的な行動に出てしまうのだ。それは追い詰められれば追い詰められる程に顕著と聞く」
「そもそも召喚は捨て石や囮を作るための魔法だからね。そのせいでユウヤの思考もそっち寄りに傾けられてるって訳さ」

 ラディアの言葉に続き、フォーティアが噛み砕いてつけ加える。
 実際に召喚された人間としては不快になる内容だが、通常は呼び出す対象が人外であることを考えると仕方のない仕様と言うべきだろうか。

「そこで、だ。ユウヤから召喚の影響を取り払いたいと思う」
「え? そ、そんなことが可能なんですか?」
「うむ。これも一種の呪い、魔法的な精神干渉だからな。〈ディスペル〉を使用すれば解くことができる。本当ならば一年程度経った頃に行うつもりだったのだが……状況が変わってデメリットの方が大きくなってしまったからな」
「いや、でも、確かこうやって話ができるのもそのおかげだったんじゃ――」
「心配無用だ。改めて翻訳魔法を使えば問題ない」

 そう告げてこちらに近づいてきたラディアは、ベッドの脇に立つとその手を雄也の腕に伸ばしてきた。どうやら〈ディスペル〉は接触が必要なようだが――。

「って、ちょ、ま、待って下さい!」

 慌ててラディアを制止する。

「どうした?」
「今それをなくしたら俺、戦えなくなっちゃいますよ!」

 特撮ヒーローに憧れているだけの単なる大学生が今まで曲がりなりにも戦ってこられたのは、まず間違いなく痛みに対する耐性と恐怖をなくす作用のおかげだ。

(それがなきゃ初っ端の戦いで怯えて動けなくなって殺されてただろうし……)

 よしんば生き残っていたとしても、トラウマになって引きこもっていたかもしれない。
 そんな思考を見透かしてか、ラディアは少し表情を険しくしながら口を開いた。

「恐怖なき者の戦意など蛮勇、無謀に過ぎん。それで戦えなくなるのなら、そうなった方がマシだ。以前言った通り、今のお前の命にはアイリスの命も懸かっているのだからな」

 強い言葉とその内容に反論できずに口を噤む。
 さすがにアイリスのことを言われると弱い。

「あの真超越人ハイイヴォルヴァーも言っていただろう。痛みや恐怖なくして戦士足り得ないと。敵の言葉ながら、それは正しい。恐怖を真正面から受け止め、乗り越えられなければ、これから先戦い続けていくことなど不可能だ。だから――」

 そして、ラディアは抑揚を無理矢理抑え込んだような硬い口調で告げながら、今度こそ雄也の手に触れた。

「勝手な願いだが、乗り越えてくれ、ユウヤ。……〈ディスペル〉」
「待っ――」

 せめて心の準備を、と再度制止の言葉を発するよりも早く、ラディアの魔法が発動する。瞬間、真超越人ハイイヴォルヴァーとの戦いの全てが脳裏にフラッシュバックした。

「え、あ、あ……?」

 まるで今し方経験したことであるかのように、襲いかかってくる敵の姿が鮮明に思い起こされる。その時に感じるはずだった死への恐怖が封を解かれたように漏れ出てくる。
 攻撃を尽く防がれ、逆に受けたダメージにより体が動かなくなっていく。まるで手足を一本ずつもがれていくように、少しずつ追い詰められていく絶望感を思い出す。
 そんな感情を己に与えた存在に今も尚、命を狙われている事実に今正に恐れを抱く。

「あ、あああっ」

 渦巻く恐怖を吐き出すように呻きながら、雄也は勝手に震え出した己の体をかき抱いた。
 しかし、一度解き放たれた恐怖は呼び水となって、さらなる恐怖を引きつれてくる。無意識に関連づけられていた記憶を引き上げてくる。
 中央広間での目を背けたくなるような悲惨な光景。
 ドクター・ワイルドの研究室で目の当たりにした異形と化していく基人アントロープの姿。その表情。超越人イヴォルヴァーとして安定できずに呆気なく崩れ去っていく様子。
 それら全てが瞼の裏に甦り、胃の中のものが全て込み上げてきそうな吐き気を催す。

「うあ、ああああああああっ!!」

 幾人もの超越人イヴォルヴァーと化した基人アントロープを葬り去ってきた事実に今更ながらに強烈な罪悪感を抱いて、両手で頭を押さえながら叫ぶ。さらには、異世界に放り込まれたその時から胸の奥に抑え込まれてきた郷愁と孤独感までもが一気に溢れ出してきた。
 いくつもの抑圧された感情が綯い交ぜになり、歪な奔流となって思考をかき乱す。
 やがて雄也の心は激しく揺れ動く自身の感情に耐え切れなくなり――。

「あ、ああ、あ……」

 そうして雄也は意識を手放したのだった。

    ***

「うあ、ああああああああっ!!」

 頭を抱えて叫び声を上げるユウヤに、思わずアイリスは震える彼の両肩を抱き締めた。
 しかし、彼はそれに気づいた様子もなく、見開かれた目は焦点が合っていない。

「ちょ、ちょっと先生、これ、ヤバいんじゃ――」

 後ろではフォーティアが慌てたようにラディアに詰め寄っていた。
 対するラディアは目の前の事態に呆然とするばかりで反応が鈍い。
 そうこうしている間にユウヤは精神的に限界を迎えたのか気を失ってしまった。
 そんな彼をベッドに静かに横たえて、アイリスもまたラディアを睨みつけた。

【学院長、これは一体どういうこと!?】

 荒々しく作った文字を突きつけると、ラディアは視線を揺らした。どうやら彼女自身にとっても想定外のことらしい。ハッキリと動揺が目に見える。

「……む、無意識の部分では、思った以上に追い詰められていたのだろう。召喚の副次効果でそうとは見えなかったし、本人も自覚していなかったようだが」

 視線を下げながら、どこか硬い口調で絞り出すように推測を口にするラディア。自責の念が見て取れる姿に、アイリスは責めるような内容の文字を掌の上から消した。

「召喚の影響に対する〈ディスペル〉って、必ずこんな風になるもんなんですか?」
「い、いや、そんなはずはない。恐らくだが…………早過ぎたのだろう」
「早過ぎた……ですか」

 確認するように繰り返したフォーティアに対し、ラディアは力なく頷いた。

「ユウヤがこの世界に来て、まだ二週間程度。だが、その僅かな間に様々なことが立て続けにあった。そうでなくとも異世界という全く異なった環境での生活だ。本来なら多大なストレスを感じていて然るべきだ」
「それは……そうでしょうね」

 フォーティアの肯定にアイリスも心の中で同意した。
 いくらラディアという保護者がいたとしても、異国の地、どころか異世界に一人放り出され、挙句の果てにドクター・ワイルドという狂人につき纏われて。
 正直、精神干渉を受けていなければ、心を病んでいてもおかしくはないと思う。

「当初の予定通り、一年後に〈ディスペル〉を使用していれば、その間に無意識に折り合いがつき、ここまで取り乱すこともなかっただろうが……」

 向き合うでもなく、ただ無意識下に抑圧されて放置されてきた様々な感情。
 長い時を経れば、確かにそのまま霧散してくれたかもしれないが、僅か二週間の時の中で容易く消えてなくなるようなものではない。
 挙句、今日正に真超越人ハイイヴォルヴァーに殺されかけたのだ。
 このタイミングで〈ディスペル〉を使うことは、それこそ燻り続けていた火種に盛大に酸素を送り込んで火薬をぶち込むようなものだろう。

【今でなければ駄目だったの?】

 説明は聞いていたが、改めて問いかける。

「……ああ。必要なことだ。これから先、ユウヤが生き残るために」

 対するラディアは目線を少し下げながら、己に言い聞かせるように告げた。後悔を隠そうとして隠せていない。
 そんな指導者らしからぬ彼女の姿にアイリスは苛立ちを覚え、眉間にしわを寄せた。

【なら、そんな顔しないで。堂々として】
「そう、だな。すまない」

 ラディアはそう言うと、しばらくの間表情を隠すように頭を下げ続けた。

(……一番役に立ってない私が言える義理じゃないかもしれないけれど)

 それから少しして顔を上げた彼女は、普段通りの学院長らしい姿に戻っていた。幼さを打ち消すように表情を引き締めている。

(……何だか、さっきの姿を見た後だと違和感がある)

 正直、外見的に合っているのは先程までの動揺しっ放しの姿だ。もしかしたら、学院長としての顔は仮面であり、外見相応の姿こそ本当の彼女なのかもしれない。

(そう言えば、そもそも妖精人テオトロープはそういうものだったはず)

 光属性特化の妖精人テオトロープは治癒魔法との相性がよく、そのおかげで他種族よりも健康を保ち易く老いにくく、かつ寿命が長い。反面、精神年齢の成長は遅いと聞く。
 具体的には外見年齢と同等なのだそうだ。そして、大抵の妖精人テオトロープはそこにコンプレックスを抱いていて大人振ろうと言動を取り繕うのだとか。
 妖精人テオトロープの常識から考えると、どちらが本当のラディアの姿か分かるというものだ。
 それを思うと先程の糾弾に少々罪悪感を抱く。

「ま、何はともあれ、今はユウヤが意識を取り戻すのを待つしかないね」

 やや気まずくなった空気を変えようとしてか、フォーティアが二度手を叩いてから言う。
 そんな彼女の気遣いに意図的に表情を和らげながら頷き(実際に和らいでいるかは分からないが)、アイリスはユウヤへと視線を戻したのだった。

    ***

 夢を見ていた。元の世界での夢だ。
 特別な意欲もなく何となくで大学に行き、モラトリアムを無駄に消費するように友人達と遊び呆け、当たり前のように家族と呑気に過ごしていた。
 そこには当然重大な悩みもない。強いて挙げれば中二病の名残のような平凡な日常への倦怠感があるだけ。それもいずれ日々の流れの中に埋もれていく程度のものだった。
 そうした苦々しくも平穏な普通の世界が遠くなっていく。
 いや、雄也だけが突然隔絶され、急激に遠ざかっていった。
 やがて全ては夢幻の如く消え去り、暗闇の中に一人佇むこととなる。
 そんな夢から目覚めても、雄也の瞳に映るのは闇だけだった。まるで夢の続きを見ているように思えて、言い知れぬ孤独感が募っていく。

(……今頃、皆何してっかな。……俺を心配してくれてたりすんのかな)

 恐怖心からの逃避に郷愁を選び、しかし、その感情は意外と強くて心が沈み込む。

(ああ、親不孝だなあ、俺)

 罪悪感と同時に、幼い頃に迷子になった時のような心細さを抱く。居場所をなくしてしまった気分だ。己がこの世界にとっての異物であるかのような疎外感も拭えない。

(帰れない……んだよな。いわゆる天涯孤独の身に……ん?)

 そうやって今更ながらに自分の状況を再確認していると、ふと右手に温かで柔らかな感触があることに気づいた。その温もりに少しばかり心が平静を取り戻す。

(ああ、暗いのは単に夜だからか)

 視界が真っ暗な理由に気づき、雄也は魔動器を操作して灯りを点けた。何故だか右手が動かしにくいので左手で。

「って、アイリス?」

 温かで柔らかな感触の正体はアイリスの両手だった。
 彼女は雄也の右手を包み込むように掴んだまま、ベッドの空きスペースを枕に寝息を立てていた。が、部屋が明るくなったので眩しげに眉をひそめている。今にも起きそうだ。
 案の定と言うべきか、雄也が驚いている間にアイリスは目を覚ました。
 ゆったりと体を起こした彼女は、いつもの半眼のさらに半分ぐらいしか開いていない目をこちらに向け、軽く首を傾げる。少し寝ぼけているようだ。
 アイリスは何か言おうとしてか口を開き、そこでようやく完全に覚醒して自身にかけられた呪いを思い出したのか、雄也の右手から片手を離して掌を上に向けた。

【ユウヤ、大丈夫?】

 そして、心配そうに顔を覗き込んでくるアイリス。

「あー、うん。まあ、多分。さすがにもう気を失ったりはしないとは思うよ」

 恐らく、気絶したのは色々な感情が一挙に噴出してしまったせいだ。心の処理能力が追いつかず、パニック状態に陥ってしまったのだろう。
 言わば、ダムが決壊して起きた鉄砲水のようなものだ。極端な変化は最初だけで、しばらくすれば水位が上がって激流と化していても見た目の変動は少なくなる。
 それが今の状態だ。
 しかし、それは傍目には落ち着いたように見えても実体は別ということでもある。
 実際、意識的に真超越人ハイイヴォルヴァーとの戦いを思い返してみれば、恐怖心が鎌首をもたげて体が勝手に震え出してしまう。

【ユウヤ?】
「あ、ああ、ちょっと今日の戦いを思い出してさ。そ、それより……もしかしてアイリスはずっとここにいてくれたのか?」

 雄也が誤魔化し気味に問うと、アイリスは控え目に頷きながら再び文字を作り始めた。

【うなされてたから】

 理由をつけ加えた彼女は一旦文字を消し、新たに字を起こすために掌の上に塵を集め出す。しかし、少しの間、彼女の逡巡を表すようにそれは取り留めない形で渦巻いていた。
 それから躊躇いがちに塵が形を作り始める。

真超越人ハイイヴォルヴァーが怖い?】
「あー……それもある。けど、今更ながらに元の世界に戻れないことが寂しいなって」
【元の世界に帰りたい?】
「そりゃあ帰れるものなら…………いや、けど――」

 何故だか後ろ髪を引かれるような妙な感覚を抱く。望郷の念も嘘ではないのだが……。

「今は何だか一人ぼっちになった気分が強い、かな」

 そう言うと、右手を握るアイリスの手に力が込められた。結構痛い。

【私がいても?】

 そして、目の前に不機嫌そうに若干乱れた文字が突きつけられる。その内容と久し振りにハッキリと感じた痛みに少し驚いて、アイリス自身に視線を移すと彼女と目が合った。

【私だけじゃなく、学院長やティア達がいても?】

 さらに重ねられた文字の不満げな乱雑さとは裏腹に、アイリスの瞳の奥には悲しみと心配の色が見て取れ、雄也はハッとした。
 目覚めてから、どこか視線が上滑りして彼女をしっかりと見ていなかった気がする。彼女の言葉が意識を素通りしてしまっていた気がする。

(ああ、そうだよな)

 そうして少しの間アイリスと言葉もなく見詰め合っていると、郷愁もこの世界からの疎外感も小さくなっていく。救われた気持ちになる。独りではない実感が湧いてくる。
 どうやら、突然湧き出た元の世界への思いで目が眩んでいたらしい。馬鹿な話だ。

(……少なくとも孤独感なんて錯覚だ。大事な友達がいるんだから)

 いつだったかのように安堵によって目が潤む。思えば、あれは隠されていた孤独感が反応したことによるものだったのかもしれない。

【大丈夫?】
「ああ、うん。大丈夫。もう……大丈夫だ」

 軽く目を擦ってからアイリスに笑みを向ける。

「何か急に元の世界が恋しくなったせいで混乱してたみたいだ。ホームシック気味なのは間違いないけど、まあ、そこはまだ異世界に来て二週間だから仕方がない、かな」

 独り立ちのタイミングが早まったとでも思うべきか。もっともラディアに世話になりっ放しなので、全く以て自立とは程遠い状況だが。

「うん。そうだ。俺は独りじゃない。アイリスもいるし」

 寂しさも望郷の念も確かに胸の内にあるが、孤独感さえなければ、きっと時間が解決してくれるはずだ。そう思って、握られたままの手を軽く握り返す。
 すると、アイリスは今更少し恥ずかしげにその手に一度視線を向けてから、再びこちらを真っ直ぐに見詰めてきた。ほんのり頬が赤い。

【私がいれば寂しくない?】

 小首を傾げて問うアイリスに雄也は首を縦に振って答えた。
 ちょっと恥ずかしいが、事実は事実。
 少なくとも今、こうして落ち着いていられるのは確実に彼女のおかげだ。

【だったら、もう二度と一人ぼっちだなんて思わないように約束する】

 アイリスは一瞬だけ文字を作って消して、両手で雄也の右手を持ち上げた。

「アイリス?」

 それから彼女は雄也の小指と自身の小指を絡め、左手を離して言葉を紡ぐ。

【アイリス・エヴァレット・テリオンは偉大なる勇者ユスティアの名にかけて誓う。何があろうとユウヤを決して独りにせず、共に歩むことを】
「指切り……これって」
【そう。最上級の約束の仕方。もしも私が約束を破ったら、私のことを煮るなり焼くなり好きにしていい】

 どこか冗談めかして表情を和らげるアイリス。小指は絡められたままだ。
 それが彼女との確かな繋がりのように感じられ、胸の奥が温かくなる。喜びが心に満ちる。
 これがあれば、この先この世界と真正面から向き合っていけそうだ。

「……ありがとう、アイリス」

 感謝を言葉にすると彼女は一つ頷いて、それから何故か恥ずかしげに視線を逸らした。
 そのまま文字の内容が変わっていく。同時に彼女の肌が珍しい程に真っ赤っかになった。

【呪いが解けたら一生ものの約束】
「うえっ!? あ、え、ええっと、それはつまり……」

 そういう意味だろうか。彼女の様子を見る限り、さすがに勘違いではないはずだが。
 そんな雄也の言外の疑問に答えるように、アイリスは顔を微妙に背けたまま小さく頷く。

【私の気持ち、ちゃんと言葉にするのは呪いが解けてから】
「そ、そっか。じゃあ……その……是が非でも呪いを解かないとな。うん」

 自分も顔が真っ赤だろうな、と思いながらそう言葉を返す。すると――。

【待ってる】

 アイリスはそう文字を作って、ようやく真っ直ぐこちらを向いてくれた。頬の紅潮はそのままに、控え目な微笑みを浮かべながら。

(……うん。絶対に呪いを解く)

 小さくも愛らしい笑顔と繋がったままの小指に、彼女との約束を守る決意を新たにする。
 彼女の命と彼女との、彼女達との未来のために。

(さて、そうすると、まず恐怖心をどうにかしないとだよなあ)

 互いに小指の離し時をなくしたまま、雄也はそう思った。

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