イレンディア・オデッセイ

サイキハヤト

第55話 エルウィン

リザードマン、その名はスィシスシャス。彼はリザードマン部族『シャスシースシャシャース』の中で指折りの戦士だった。

しかし、越えられぬ壁があった。部族で最も強い『シーシャシャーシャ』に勝つことができずにいた。彼に勝たなければ、部族の戦士長になることができない。
だが、スィシスシャスは勝てなかった。何度も何度も挑んだが、回数で何とかなる相手ではなかった。
スィシスシャスが沼地の端っこで、もはや諦めるしかないと思っていた頃、背中から声をかけられた。

「おい、お前……強く、なりたいか……?」
流暢なシャース語で話しかけてきた、灰色のローブを纏うそいつは、ローブの奥に切れ長の光る目をぎらつかせている同族リザードマンだった。

「強く、ならなければ、軍門に降るのみ……」
スィシスシャスは言った。

「ならば、強く、なるか……?」
「……選択の余地は無いが、ずっと勝てない」
「ではお前を、強くしてやろう」
灰色のローブを纏うそいつは、スィシスシャスの目に何かを無理矢理突っ込んできた。スィシスシャスは激痛を味わったが、叫ぶことも、動くこともできなかった。

「な、何をした……」
スィシスシャスはまだ続いている目の激痛に、頭の激痛に喘ぎながら言った。

「チカラを授けた。お前は同族リザードマンで最強の戦士となり、人間を根絶やしにするのだ」
「待て、人間などどうでも良い。望むのはシーシャシャーシャからの勝利……」
「果たして、そうかな?」
灰色のローブを纏うそいつの目がきらりと輝く。

「根絶やしにする……シーシャシャーシャを倒し……人間も」
「そうだな。シーシャシャーシャを倒したら、次に倒すべき相手が分かるだろう……」
気がつけば、灰色のローブを纏うそいつは、もうどこにもいなかった。

スィシスシャスは、シーシャシャーシャに勝利した。圧倒的な勝利だった。やらなくてもよい、シーシャシャーシャの首を刎ね、天高く掲げた。
部族に恐怖が広がっていくのを、スィシスシャスは感じた。もはや、誰も彼に挑まないだろう。



スィシスシャスは、攻撃を避けようともしない人間の急な変化に戸惑っていた。避ける前提から放たれる攻撃ならば、攻撃を誘導し、備えれば防ぐことができる。
しかし、避けるのか玉砕覚悟なのかが分からない。幅の広がった今は、誘導したとしても、その先は玉砕覚悟かも知れない。

スィシスシャスは、この人間の攻撃を防ぎ切れなくなり始めた。そして次第に傷が深くなる。
周囲を見ると、二つのグループに分かれた人間共が、同族をもう殆ど殺してしまった。

そしていよいよ、目の前の人間の攻撃が激しくなってきた。手数が明らかに増え、圧され始めた。

◆◆

ジャシードは、リザードマンを圧し始めた。力場に加え、長剣ファングを使った特技を織り交ぜた。
それは、剣に生命力のチカラを乗せて攻撃する、『フォーススラッシュ』と呼ばれる特技だ。この特技は、武器の切れ味を向上させ、更に実際には触れなくても傷を与えることが出来る範囲を作り出す。
リザードマンは、このフォーススラッシュを避けきれなくなっていた。大きく避けないと当たってしまうが、大きく避けると、更なる隙を生み出すことになる。

リザードマンは、大きく後ろへと跳ねていき、沼地の深いところへと身体を預けた。沼はリザードマンを飲み込んでいった。

「逃げた、か……」
ジャシードは、力場を解除し、周囲の気配を探った。しかし、もはやリザードマンの気配は無くなっていた。リザードマンは撤退したようだった。

「どこかに繋がってんの?」
スネイルは、リザードマンが消えていった沼を見つめたが、良く分からなかった。


「ジャシード、君はその歳でフォースフィールドを使えるのか!」
ナザクスが大剣を背中の鞘に突っ込みながら、ジャシードに近づいてきた。

「ん? 力場のこと?」
「こっちでは力場と言うのか? 同じことだ」
「うん。練習したから」
「凄いな……フォースフィールドは、練習したからと言って、上手くなるものでも無いと言う」
「そうなの? 僕は練習して、上手く出せるようになったんだ」
「才能だよ、それは」
ナザクスは手放しで褒めていた。

「しかし一体、何だったんだろうね」
ガンドが言った。スネイルに救われたが、危ういところだった。

「分からないね。こんなにエルウィンに近いところで攻撃してくる意味が、何かあるんだろうか」
オーリスがジャシードたちの所に近づいてきた。

ガンドを狙ったのかな、とスネイルが言っていたが、たまたま狙われただけかも知れなかった。

「何のため、とか、誰を、とかを放置してもだ。あのリザードマン、喋っていたぞ。人間のような言葉を……。あんなに知能の発達している怪物は、今回初めて見た。……いや、元々知能の発達している怪物は、いるのかも知れん。人間の言葉を話せぬだけで……」
バラルが、目を覚まさせたラマを引きながら寄ってきた。

「バカな。もしそうなら、怪物全体への見方を変えなければならない」
シューブレンが言った。

「ここ何年か、怪物絡みで不可解なことが……我々の常識を覆すような事が幾つも起こっている……」
「不可解とはどういうことだ?」
ナザクスがバラルに言った。

「例えば、レムリスでは七年前に怪物たちの大襲撃を経験している。怪物たちは組織化しないというのが常識だったが、そいつらは完全に組織化され、指揮系統があったと見て間違いない。メリザスではそう言う事は無いか?」
「聞いたことがないな」
ナザクスは他の三人に目をやったが、有意な話は出てきそうになかった。

「どうも、一連の事柄に、何らかの繋がりがあるような気がしてならない。杞憂だと良いのだがな」

「あのお、みなさん。こんな所で立ち話もあれなんで、エルウィンに行かない?」
ガンドが提案した。

「どうせ、ぴっかりんは、腹が減っただけだろ」
スネイルがからかうと、ちょうどガンドの腹が鳴った。

「真実すぎて否定する気にもならないよ……」
ガンドは恥ずかしそうに先頭を歩き始めた。

◆◆

グーベル沼地を越えて、一行は遂にエルウィンの入口へとやってきた。緑色をした石の城壁が、延々と長く南北へと延びている。南の城壁は暫くすると西へと折れていくようだが、北向きはどこまで続いているのか良く分からない。
街の周囲は水で囲われているが、バラルによると、これは海であって川では無いらしい。エルウィンは街の周囲を掘って海水を流し込む事によって現在の状態を作ったという事らしい。何とも大胆なことをする街だ。

「んじゃ、おれたちはここで。やらなきゃいけないこともあるからな」
「あ、そうなんだ。じゃあ、また」
ジャシードはナザクスたちに別れを告げた。ナザクスはいちいち寄ってくるミアニルスを遠ざけながら、街の西の方へと歩いて行った。

「さて、じゃあまずは……し、食事かな」
飢えた獣のようなガンドの表情を見ながらジャシードが言うと、獣の表情が明るくなった。

一行は、バラルが気に入っているという酒場に行ってみることになった。酒場に行くだけでも、いくつもの角を曲がる。もう一回門を目指せと言われても、ジャシードは戻れる気がしなかった。

「ここだ」
バラルが扉を開けた。外に下がっている看板には『ベル』と書いてある。
店の中には、明るい光が差し込んでいる。天井には幾つかガラス張りのところがあり、そこから光が入ってくる。
そのため、この店の中は昼間は明るく、夜は月が見えることもあるそうだ。とても雰囲気のいい店で、皆も一瞬で気に入った。

「なんでバラルさんは、こんなお洒落な店を知ってるの?」
マーシャは意地悪く質問した。

「もちろん、美女と来るためだ」
バラルは、マーシャの意地悪さなど、少しも気にしていない様子で言った。

「来たことあるの? 美女と」
「無いわけではない」
「へええ、どんな人なんだろうねー?」
「マーシャ、お前、何を言いたいんだ?」
「んーん、なんでもない」
マーシャは、ニヤニヤしながら話を打ち切り、壁に掛かっているメニュー板を眺めた。



「はぁ……満足」
腹をさすりながら、ガンドが酒場から出てきた。他の面々も続いて出てくる。

「この後はどうするんだい?」
オーリスが言った。

「バラルさん、マーシャルさんの所は近い?」
「ん? 徒歩二十分くらいかな」
「じゃあ、マーシャルさんの所に行こう。バラルさん、案内お願いしてもいいかな」
「そうか。なら付いてこい」
エルウィンは、その大きさだけでなく、街並みも素晴らしい。通りに面している壁は、橙とほんのり茶色に染まった白で統一されている。
バラル以外の五人は、キョロキョロと街並みを眺めながら歩いていった。たくさんの人々が行き交い、人口の多さが良く分かる。

「何人くらいいるんだろうな」
「エルウィンの人口は、だいたい五十万だとかだろうな、多分。わしも詳しくは知らんが」
「多分?」
「詳しくは知らん」
バラルは、オーリスの疑問を振り払うかのように繰り返した。

バラルは、人通りの多い道を通り抜け、街の中心部から離れた場所へとやってきた。
そこには、巨大な造りをした、ステンドグラスの窓がたくさんある建物があった。その建物にはひっきりなしに人が入っていったり、出て行ったりしている。

「あの建物は何?」
「あれは、『心の灯火ともしび』という宗教の教会だ」
バラルは、スネイルに答えて言った。

「なんだそりゃ。ヘンテコだなあ」
「何かを強く願うと叶う、と言う宗教だ。彼らは、世界平和だとか、子孫繁栄だとか、そう言った類いの願いを叶えたいと言っている」
「良いことかな?」
「見た目にはそうだ。彼らは願いを言うが、誰ひとり行動しようとしない。願いを届けるための代表……何と言ったか忘れたが、そいつを支援するために金を払っている。そいつは、偉そうなことをクチにはするが、特に何をしているわけではない」
「アニキとは大違い」
「まあ、そんな程度の団体だ」
バラルは、教会を一瞥してから前を向いた。

教会を抜けて、大通りを左へ曲がると、突き当たりに立派な建物が見えてきた。門構えも立派で、門の前には衛兵が立っている。

「あれが、マーシャルの家というか、『アントベア商会』の本拠地だ」
「アントベア商会? 何だかかわいらしい名前ね」
マーシャが名前だけに反応して言った。

「ああ。マーシャルの商会の名前だ。遙か昔に、アントベアと言う名前の、アリを食べるクマが生息していたらしい。アリのような小さな要望も、しっかり対応するって事で、そう言う名前を付けたとかどうとか言っていた気がする」
「へえ。近所のお買い物なんかも行ってくれるのかしら」
「金を払えばな」
「あ、そうよね……お高く付きそうだわ」
「商売だから、そんなもんだろう」

一行は、アントベア商会の門に到着した。石造りの門には、鉄で出来た門扉が取り付けられている。
よくある大きな建物には、塀や壁と言った中を窺い知ることができない仕切りがあるが、ここは鉄の柵で区切られているのみで、中を見ることができる。

「どちらさまで?」
衛兵が一行を止めた。

「どちらさまで? じゃない。バラルと、オンテミオンの使いが来たと言え」
バラルは面倒くさそうに手を振りながら言った。

衛兵はオンテミオンの名前を聞くと、すぐさま中へと入っていき、すぐに戻ってきた。

「お入りください、バラル様」
「おうおう。わしの顔を覚えておけよ」
「失礼しました。……ラマはこちらで預かります」
衛兵は恭しく敬礼すると、ラマを連れて庭の厩舎へ移動していった。

一行はぞろぞろと門を通過し、屋敷に続いている庭を通過していった。庭には、噴水の周囲に白いテーブルと椅子が並べられている。
植木などはきちんと切り揃えられていて、手入れが行き届いているのが分かる。

「お金持ち……って感じのお庭ね」
マーシャはキョロキョロして、かわいらしい花を見つけてはしゃがみ込んで眺めた。

「レイフォン家並みだな」
オーリスはボソッと呟いた。

「おーい、マーシャル」
バラルは立派な両開きのドアを乱暴に開け放った。

「バラル様ですね、こちらへどうぞ」
バラルの非礼をサラリと受け流した召し使いは、一行を正面の部屋へと案内した。

「これはこれは、バラル殿。ようこそいらっしゃいました。オンテミオンのお弟子たちも、こちらに」
マーシャルは、栗色と金髪が入り交じった髪を掻きながら、少し皺の入り始めた笑顔を見せつつ、もう片方の手で長テーブルへと手を向ける。

それぞれが長テーブルに座ると、召し使いが素早く紅茶を用意してきて、部屋の中に香しい香りが漂った。紅茶の皿の隣には、いくつかのクッキーも用意された。
きれいに整えられた部屋は、とても大きく、家具一つ取っても、これまで見たことのないような、素人目に豪華だと分かるものばかりだ。

ジャシードは、自分が凄く場違いな訪問者であるような気がしていた。何もかもが、レムリスの自分とは違いすぎていた。

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