イレンディア・オデッセイ
第41話 チカラの開放
「ない! ないない!」
ようやく治療を終えたスネイルが声を上げた。
「どうしたの?」
ガンドは、滅多に見られないスネイルの慌てっぷりに驚いて尋ねた。
「ワスプダガーがない!」
スネイルは見た目に焦っていた。ワイバーンが倒れている辺りを、その周囲を探し始めた。
「ワイバーンの下敷きじゃないのか?」
バラルが元いた場所から移動し、ワイバーンの近くに寄っていった。
「んん、武器をなくしたのか? 砂に埋もれておるかも知れんぞ……さて折角倒した事だし、ワイバーンの部品も貰っていくとするか」
オンテミオンは、長剣を鞘に納め、代わりに短剣を抜いた。
「アニキも探してよお」
スネイルが、そわそわしているジャシードに寄ってきて、腰の辺りをポンポン叩いた。
「待って……静かにしててくれないか」
「なんだよ、アニキのケチ」
「ねえスネイル……何か感じないかい?」
「ワスプダガーがないのを感じる」
「そうじゃなくて……なんだろう……背中が冷えるような感覚を感じるんだ……」
「汗じゃない?」
「僕はふざけてないよ。スネイル」
「う……? うーん……。何も感じない」
「そうか……なんだ……何かが……」
ジャシードは、心拍が上がっていくのを感じていた。レムリスでも感じた事のある、感覚……。
集中、集中するんだ、と、ジャシードは心に語りかけ、何か変化がないかを感じ取ろうとしていた。
◆◆
あと一息だったのに、あの魔法使いは移動してしまった。もう一度あの魔法使いに行くか、近くの戦士にするか、フグードは迷った。
やはり初志貫徹、爆裂の魔法で酷い目に遭わせてくれたあの魔法使いを始末するべきだ。そして近くにいるあの子供も、連続で始末してやる。フグードの心は決まった。
そろり、そろりと歩を進めていく。あと数メートル、飛びかかりたい衝動を抑えながら、フグードは息を潜めて接近していく。不可視の膜は、素早く動けないことだけが弱点だ。
戦士はワイバーンを解体するのに夢中、このダガーの持ち主と思われる子供――小さいのか、太っているのかどっちかは分からないが――は、砂をかき分けている。そんなところを探しても見つからないのに、だ。
慎重に歩を進めていたフグードは、遂に魔法使いの背後を取った。
◆◆
ジャシードは呼吸を荒げながら、どこかにある何かを感じ取ろうとして必死になっていた。
視界が暗くなっていくような感覚、近くにいるみんなの呼吸まで捉えられるような感覚……まるで世界に自分一人になったような感覚。
ジャシードは感じていた。仲間の動きを、周囲の動きを、空気の動きを、全ての動きを……。
そして遂に、いつも感じていなかった違うものを捉えた。それは、バラルの背後にあった。
その距離は二メートルほど……。殺気が、悪意が、興奮に変わろうとしているのを感じた。
ジャシードは、抜刀しながら跳んだ。バラルがジャシードの動きに気づいて、驚いた顔を『しようとしている』のを、ゆっくりと流れゆく時間の中に感じた。
バラルの顔が驚いた顔に『変わった』時、ジャシードが抜刀した剣はバラルの背後、数センチの空間を轟音と共に切り裂いた。
金属がかち合う音が静寂の支配するタンネッタ池に響き渡り、スネイルのワスプダガーがジャシードの剣に弾かれ空に舞った。
何もいなかった、何も見えなかった空間から、いつか見た醜い生物が姿を現した。その生物は、剣撃でがら空きになったジャシードの脇腹に、発達した筋肉が繰り出す拳を喰らわせた。
凄まじいチカラで殴られ、ジャシードは宙を舞って砂地に叩き付けられた。完治していない場所への攻撃と、砂地に激突した衝撃で、少年は気を失ってしまった。
「アニキ! ワスプダガー!」
スネイルは素早く自分のダガーを拾い上げ、ジャシードのいる場所へと走って行った。ガンドは訳も分からずスネイルの後に続いた。今度はジャシードを治療しなければならない。それだけは分かっていた。
「こいつ、どこから出てきおった!?」
バラルは驚きつつ距離を取った。
「こやつ……! セグムを刺した怪物だな! まだ生きていたのか!」
オンテミオンは素早く剣を抜くと、フグードの方へと走った。
フグードは、今度はジャシードが落とした剣を手に取り、オンテミオンの剣撃を受け止めると、剣を弾いて距離を取り、再び不可視の膜を張って全員の視界から消えた。
「んん……。またしても……」
オンテミオンは剣を構えたまま、周囲の気配を探ろうとしたが、フグードの気配を探ることはできなかった。
「あの怪物に以前も相見えたのか?」
バラルは辺りを窺いながら、オンテミオンに話しかけた。
「んん……。ああ。レムリスが怪物共の大規模襲撃を受けたときに、わしの冒険者仲間のセグム……ジャシードの父親だが、彼を背後から刺した怪物だ。見れば分かるが、完全に姿を隠す能力を持っている」
「ふむ。魔法で吹き飛ばすか」
「んん、それも良いが、今どこにいるか分からんぞ。場所を確定させるか、全員を退避させて、ここら一帯を吹き飛ばすぐらいのことをしないとな」
「次に現れたときに、壁で囲って捉えるか」
「んん……。その前にやられなければな……。ヤツの存在を捉えられるのは、ジャシードしかいない。何故それが出来るのか分からんが」
オンテミオンとバラルは、下手に動けなかった。見えない敵に相対するというのは恐怖だ。気が付いたときには、もう手遅れになっているかも知れない。
「ジャッシュ、しっかり!」
ガンドは、必死に治癒魔法をジャシードの全身に掛けていた。だが、ガンドもそろそろ限界を迎えつつあった。
魔法を使いすぎると、意識が引き剥がされるような感覚に襲われる。ガンドも今、その感覚と戦っていた。
それでも、仲間をそのままにはできない。何とか、意識を戻してやりたい。傷を治してやりたい。その一心が全ての原動力だった。
◆
フグードは、圧倒的有利な状態にあった。不可視の膜を見破る事のできる者はもはや無く、あとはじっくり殺すだけだ。殺してから、あの忌々しい子供を始末すればいい。
ジャシードの長剣を構えながら、フグードはオンテミオンに近づいていた。
◆
「ぅぁ……」
ガンドの懸命な治癒魔法で、ジャシードは意識を取り戻した。激痛で自然とうめき声が出る。
「ジャッシュ、だ、大丈夫かい?」
「アニキ!」
ガンドの治癒魔法で、ジャシードは目覚めた。近くにはスネイルもいて、心配そうな顔を覗かせていた。
「あ、あいつは……」
「まだ……。見えないから、何もでき……てないよ」
ガンドは、見た目に弱ってきていた。それでも、治癒魔法の行使を止めようとはしない。
「ガンド……もう、いいよ。起き上がれる」
「でも、まだ……ダメだ」
「このままだと、ガンドが……ダメになる。魔法の……使いすぎは、命に係わるって、母さんが言ってたよ」
ジャシードは、ガンドを振り切るように立ち上がった。まだあちこち痛いが、やせ我慢をした。
「アニキ……」
「スネイル、あいつの気配を……探るんだ」
「何もいない、分かんない」
「君なら、できる。遠くにいたアリも、カクタラスも、ワニも、ワイバーンだって……。君は探れていたんだ。必要なのは、集中、すること……さあ、早く。僕たちが、オンテミオンさんと、バラルさんを、助けなきゃ」
「わ、わかった」
スネイルは集中し始めた。何か、見えないものを感じ取ろうと頑張った。
「わからない……」
「冷たい気配を、探るんだ」
スネイルは、更に集中した。気温のせいか、一人が二人に見えるような気がしてきた。頭の中がぼんやりしてきて、今にも倒れそうになる。それでもスネイルは更に集中しようとした。
――違和感。何かがおかしい。スネイルはそれを感じ始めていた。彼には一人が二人に見えていた。周囲には、二人……四人……六人……八人……九人。……九人? 一人が二人なのに、余計なのがいる、とスネイルは感じ取った。
「見つけた……! オンテミオンさんの後ろ、あと少し」
「よし、い、行くよ!」
二人は走り出した。今ジャシードは、フグードの姿が全く見えない。それでも何とかしなければいけなかった。痛みを堪えつつ、ジャシードは走った。
二人は、フグードに迫りつつあった。
スネイルは、ワスプダガーをフグードに向け突き出した。確実にフグードを捉えたような気がしたが、攻撃されたのはスネイルの方だった。顔面にフグードの肘打ちを喰らい、鼻血を噴出しながらスネイルは仰向けに倒れた。
「スネイル! この……!」
その時、ジャシードにも再び見えた。今にもジャシードの長剣でオンテミオンを貫こうとしている、二つの赤い目を持つ者、フグードの姿が。
ゆっくりと動く時間の中、オンテミオンが振り返ろうとしているのが分かったが、もう剣先は身体に到達しそうになっていた。
だが長剣を止められるような武器もなく、ジャシードにはどうやってその攻撃を止めたら良いのか、分からなかった。
『あれは、力場って言うのよ……。力場も魔法に似ていて、生命力を使って操るらしいわ。本人の生命力の強さを越えるような攻撃が来ない限り、どんな攻撃も本人に到達できなくなる、強力なチカラなのよ……』
ジャシードの頭の中に、以前母親が言っていた言葉が甦る。そして、守衛所で襲われた記憶が甦った。同じ事を、やるしかないと考えた。
生命力……良く分からない。良く分からないが、身体の中にある、熱いもの……。それを引っ張り出し、外へ放つ……。もっと、もっと強く……放つ!
「させるかあ!」
ジャシードは赤い靄に包まれ、オンテミオンに刺さりそうになっていた長剣の先端に手を差し込んだ。剣先はそこで止まる。フグードがどんなに強く押し込んでも、もはや動きはしなかった。
ジャシードはそのまま剣を掴んで、チカラいっぱい投げ飛ばした。
フグードの姿が露わになり、砂地を転げていくのが見える。ジャシードの剣はその手から離れ、砂地に転がった。
バラルはフグードの姿を捉えると、瞬間的に業火の魔法を使った。フグードのいる場所の地面が裂け、紅蓮の炎がフグードを包み込む。
「あきょううぐあああ!」
フグードは悲鳴を上げながら炭化し、動かなくなった。砂地に吹く風が、立ったまま炭化していたフグードを横倒しにした。
「んん……。前回のことを踏まえると、こやつは再生するのだな」
オンテミオンは炭化したフグードに近づくと、無言でその首を身体から切り離した。ゴロリと頭が転がり、炭化した頭にヒビが入るのが見えた。
「お、終わった……」
ジャシードは力場を引っ込めると、その場にへたり込んだ。不思議と、先ほどまであった身体の痛みは無くなっていたが、凄まじい疲労感が残った。
「ジャシード……大丈夫か? ……助けられたよ。ありがとう」
オンテミオンは、ジャシードの手を取って立ち上がらせてやった。
「オンテミオンさんも、怪我は無い?」
「んん。わしの心配より、自分の心配をしろ。まさか力場を自分で引き出すとは思わなかった。今回が初めてではないが、君には驚かされる」
「そ、そうかな……」
「んん……。もう君は、立派な戦士だ、冒険者ジャシード」
オンテミオンは、ジャシードの肩を叩きながら言った。
「ア、アニキ……! すげえ!」
スネイルが興奮して走り寄ってきた。
「スネイル、鼻血を拭きなよ……」
ジャシードが指摘すると、スネイルは服の端っこで乱雑に拭った。彼の鼻血は薄く塗り広げられた感じになったが、もうどうしようもなかった。
「力場? あれ力場? すげえ!」
「ああ、うん……。多分ね。スネイルもよくやったよ。みんなが見えない怪物を見破ったんだからね」
「すげえ! 力場すげえ! アニキカッコいい!」
スネイルは、目をキラキラさせていた。自分の事などはどうでもいいようだ。
ガンドを見遣ると、彼は砂地で大の字になって寝ていた。
「ガンド……平気?」
ジャシードは、スネイルと共にガンドの側へと戻ってきた。
「だめ。ダメだよ。もうダメ」
「アニキは元気なのに、何寝てんの」
スネイルはガンドに軽く蹴りを入れた。
「酷い……一所懸命治療したじゃないか」
「あ……ごめん。ありがとう」
「へへ……。いいよ。仲間だろ」
「うん」
二人は文句を言いながらも、とても仲がいい。
「ガンド、立てる?」
「ジャッシュこそ、怪我は?」
「なんだろう、何ともないよ」
「なんだい、治療する必要なかったのかな」
「治療してくれたから、元気になったんだよ」
ジャシードはガンドを起こして、肩を貸してやった。反対側にスネイルが入って、腰を支えた。スネイルはまだ背丈が小さいが、健気にできることをやろうとしていた。
「こんなに苦戦する戦いになるとは思っておらんかったが、とにかく、勝てて良かったな。さあ、ドゴールへ帰ろう」
五人はそれぞれ疲労を感じつつも、とても充実した気分を胸に、ドゴールへと戻っていった。
◆◆
二つの赤い目をした怪物フグードは、五人の冒険者によって完全に息の根を止められた。だが、まだ問題が解決したわけではない。とは言え、彼らにはそれを知る由も無かった。
ようやく治療を終えたスネイルが声を上げた。
「どうしたの?」
ガンドは、滅多に見られないスネイルの慌てっぷりに驚いて尋ねた。
「ワスプダガーがない!」
スネイルは見た目に焦っていた。ワイバーンが倒れている辺りを、その周囲を探し始めた。
「ワイバーンの下敷きじゃないのか?」
バラルが元いた場所から移動し、ワイバーンの近くに寄っていった。
「んん、武器をなくしたのか? 砂に埋もれておるかも知れんぞ……さて折角倒した事だし、ワイバーンの部品も貰っていくとするか」
オンテミオンは、長剣を鞘に納め、代わりに短剣を抜いた。
「アニキも探してよお」
スネイルが、そわそわしているジャシードに寄ってきて、腰の辺りをポンポン叩いた。
「待って……静かにしててくれないか」
「なんだよ、アニキのケチ」
「ねえスネイル……何か感じないかい?」
「ワスプダガーがないのを感じる」
「そうじゃなくて……なんだろう……背中が冷えるような感覚を感じるんだ……」
「汗じゃない?」
「僕はふざけてないよ。スネイル」
「う……? うーん……。何も感じない」
「そうか……なんだ……何かが……」
ジャシードは、心拍が上がっていくのを感じていた。レムリスでも感じた事のある、感覚……。
集中、集中するんだ、と、ジャシードは心に語りかけ、何か変化がないかを感じ取ろうとしていた。
◆◆
あと一息だったのに、あの魔法使いは移動してしまった。もう一度あの魔法使いに行くか、近くの戦士にするか、フグードは迷った。
やはり初志貫徹、爆裂の魔法で酷い目に遭わせてくれたあの魔法使いを始末するべきだ。そして近くにいるあの子供も、連続で始末してやる。フグードの心は決まった。
そろり、そろりと歩を進めていく。あと数メートル、飛びかかりたい衝動を抑えながら、フグードは息を潜めて接近していく。不可視の膜は、素早く動けないことだけが弱点だ。
戦士はワイバーンを解体するのに夢中、このダガーの持ち主と思われる子供――小さいのか、太っているのかどっちかは分からないが――は、砂をかき分けている。そんなところを探しても見つからないのに、だ。
慎重に歩を進めていたフグードは、遂に魔法使いの背後を取った。
◆◆
ジャシードは呼吸を荒げながら、どこかにある何かを感じ取ろうとして必死になっていた。
視界が暗くなっていくような感覚、近くにいるみんなの呼吸まで捉えられるような感覚……まるで世界に自分一人になったような感覚。
ジャシードは感じていた。仲間の動きを、周囲の動きを、空気の動きを、全ての動きを……。
そして遂に、いつも感じていなかった違うものを捉えた。それは、バラルの背後にあった。
その距離は二メートルほど……。殺気が、悪意が、興奮に変わろうとしているのを感じた。
ジャシードは、抜刀しながら跳んだ。バラルがジャシードの動きに気づいて、驚いた顔を『しようとしている』のを、ゆっくりと流れゆく時間の中に感じた。
バラルの顔が驚いた顔に『変わった』時、ジャシードが抜刀した剣はバラルの背後、数センチの空間を轟音と共に切り裂いた。
金属がかち合う音が静寂の支配するタンネッタ池に響き渡り、スネイルのワスプダガーがジャシードの剣に弾かれ空に舞った。
何もいなかった、何も見えなかった空間から、いつか見た醜い生物が姿を現した。その生物は、剣撃でがら空きになったジャシードの脇腹に、発達した筋肉が繰り出す拳を喰らわせた。
凄まじいチカラで殴られ、ジャシードは宙を舞って砂地に叩き付けられた。完治していない場所への攻撃と、砂地に激突した衝撃で、少年は気を失ってしまった。
「アニキ! ワスプダガー!」
スネイルは素早く自分のダガーを拾い上げ、ジャシードのいる場所へと走って行った。ガンドは訳も分からずスネイルの後に続いた。今度はジャシードを治療しなければならない。それだけは分かっていた。
「こいつ、どこから出てきおった!?」
バラルは驚きつつ距離を取った。
「こやつ……! セグムを刺した怪物だな! まだ生きていたのか!」
オンテミオンは素早く剣を抜くと、フグードの方へと走った。
フグードは、今度はジャシードが落とした剣を手に取り、オンテミオンの剣撃を受け止めると、剣を弾いて距離を取り、再び不可視の膜を張って全員の視界から消えた。
「んん……。またしても……」
オンテミオンは剣を構えたまま、周囲の気配を探ろうとしたが、フグードの気配を探ることはできなかった。
「あの怪物に以前も相見えたのか?」
バラルは辺りを窺いながら、オンテミオンに話しかけた。
「んん……。ああ。レムリスが怪物共の大規模襲撃を受けたときに、わしの冒険者仲間のセグム……ジャシードの父親だが、彼を背後から刺した怪物だ。見れば分かるが、完全に姿を隠す能力を持っている」
「ふむ。魔法で吹き飛ばすか」
「んん、それも良いが、今どこにいるか分からんぞ。場所を確定させるか、全員を退避させて、ここら一帯を吹き飛ばすぐらいのことをしないとな」
「次に現れたときに、壁で囲って捉えるか」
「んん……。その前にやられなければな……。ヤツの存在を捉えられるのは、ジャシードしかいない。何故それが出来るのか分からんが」
オンテミオンとバラルは、下手に動けなかった。見えない敵に相対するというのは恐怖だ。気が付いたときには、もう手遅れになっているかも知れない。
「ジャッシュ、しっかり!」
ガンドは、必死に治癒魔法をジャシードの全身に掛けていた。だが、ガンドもそろそろ限界を迎えつつあった。
魔法を使いすぎると、意識が引き剥がされるような感覚に襲われる。ガンドも今、その感覚と戦っていた。
それでも、仲間をそのままにはできない。何とか、意識を戻してやりたい。傷を治してやりたい。その一心が全ての原動力だった。
◆
フグードは、圧倒的有利な状態にあった。不可視の膜を見破る事のできる者はもはや無く、あとはじっくり殺すだけだ。殺してから、あの忌々しい子供を始末すればいい。
ジャシードの長剣を構えながら、フグードはオンテミオンに近づいていた。
◆
「ぅぁ……」
ガンドの懸命な治癒魔法で、ジャシードは意識を取り戻した。激痛で自然とうめき声が出る。
「ジャッシュ、だ、大丈夫かい?」
「アニキ!」
ガンドの治癒魔法で、ジャシードは目覚めた。近くにはスネイルもいて、心配そうな顔を覗かせていた。
「あ、あいつは……」
「まだ……。見えないから、何もでき……てないよ」
ガンドは、見た目に弱ってきていた。それでも、治癒魔法の行使を止めようとはしない。
「ガンド……もう、いいよ。起き上がれる」
「でも、まだ……ダメだ」
「このままだと、ガンドが……ダメになる。魔法の……使いすぎは、命に係わるって、母さんが言ってたよ」
ジャシードは、ガンドを振り切るように立ち上がった。まだあちこち痛いが、やせ我慢をした。
「アニキ……」
「スネイル、あいつの気配を……探るんだ」
「何もいない、分かんない」
「君なら、できる。遠くにいたアリも、カクタラスも、ワニも、ワイバーンだって……。君は探れていたんだ。必要なのは、集中、すること……さあ、早く。僕たちが、オンテミオンさんと、バラルさんを、助けなきゃ」
「わ、わかった」
スネイルは集中し始めた。何か、見えないものを感じ取ろうと頑張った。
「わからない……」
「冷たい気配を、探るんだ」
スネイルは、更に集中した。気温のせいか、一人が二人に見えるような気がしてきた。頭の中がぼんやりしてきて、今にも倒れそうになる。それでもスネイルは更に集中しようとした。
――違和感。何かがおかしい。スネイルはそれを感じ始めていた。彼には一人が二人に見えていた。周囲には、二人……四人……六人……八人……九人。……九人? 一人が二人なのに、余計なのがいる、とスネイルは感じ取った。
「見つけた……! オンテミオンさんの後ろ、あと少し」
「よし、い、行くよ!」
二人は走り出した。今ジャシードは、フグードの姿が全く見えない。それでも何とかしなければいけなかった。痛みを堪えつつ、ジャシードは走った。
二人は、フグードに迫りつつあった。
スネイルは、ワスプダガーをフグードに向け突き出した。確実にフグードを捉えたような気がしたが、攻撃されたのはスネイルの方だった。顔面にフグードの肘打ちを喰らい、鼻血を噴出しながらスネイルは仰向けに倒れた。
「スネイル! この……!」
その時、ジャシードにも再び見えた。今にもジャシードの長剣でオンテミオンを貫こうとしている、二つの赤い目を持つ者、フグードの姿が。
ゆっくりと動く時間の中、オンテミオンが振り返ろうとしているのが分かったが、もう剣先は身体に到達しそうになっていた。
だが長剣を止められるような武器もなく、ジャシードにはどうやってその攻撃を止めたら良いのか、分からなかった。
『あれは、力場って言うのよ……。力場も魔法に似ていて、生命力を使って操るらしいわ。本人の生命力の強さを越えるような攻撃が来ない限り、どんな攻撃も本人に到達できなくなる、強力なチカラなのよ……』
ジャシードの頭の中に、以前母親が言っていた言葉が甦る。そして、守衛所で襲われた記憶が甦った。同じ事を、やるしかないと考えた。
生命力……良く分からない。良く分からないが、身体の中にある、熱いもの……。それを引っ張り出し、外へ放つ……。もっと、もっと強く……放つ!
「させるかあ!」
ジャシードは赤い靄に包まれ、オンテミオンに刺さりそうになっていた長剣の先端に手を差し込んだ。剣先はそこで止まる。フグードがどんなに強く押し込んでも、もはや動きはしなかった。
ジャシードはそのまま剣を掴んで、チカラいっぱい投げ飛ばした。
フグードの姿が露わになり、砂地を転げていくのが見える。ジャシードの剣はその手から離れ、砂地に転がった。
バラルはフグードの姿を捉えると、瞬間的に業火の魔法を使った。フグードのいる場所の地面が裂け、紅蓮の炎がフグードを包み込む。
「あきょううぐあああ!」
フグードは悲鳴を上げながら炭化し、動かなくなった。砂地に吹く風が、立ったまま炭化していたフグードを横倒しにした。
「んん……。前回のことを踏まえると、こやつは再生するのだな」
オンテミオンは炭化したフグードに近づくと、無言でその首を身体から切り離した。ゴロリと頭が転がり、炭化した頭にヒビが入るのが見えた。
「お、終わった……」
ジャシードは力場を引っ込めると、その場にへたり込んだ。不思議と、先ほどまであった身体の痛みは無くなっていたが、凄まじい疲労感が残った。
「ジャシード……大丈夫か? ……助けられたよ。ありがとう」
オンテミオンは、ジャシードの手を取って立ち上がらせてやった。
「オンテミオンさんも、怪我は無い?」
「んん。わしの心配より、自分の心配をしろ。まさか力場を自分で引き出すとは思わなかった。今回が初めてではないが、君には驚かされる」
「そ、そうかな……」
「んん……。もう君は、立派な戦士だ、冒険者ジャシード」
オンテミオンは、ジャシードの肩を叩きながら言った。
「ア、アニキ……! すげえ!」
スネイルが興奮して走り寄ってきた。
「スネイル、鼻血を拭きなよ……」
ジャシードが指摘すると、スネイルは服の端っこで乱雑に拭った。彼の鼻血は薄く塗り広げられた感じになったが、もうどうしようもなかった。
「力場? あれ力場? すげえ!」
「ああ、うん……。多分ね。スネイルもよくやったよ。みんなが見えない怪物を見破ったんだからね」
「すげえ! 力場すげえ! アニキカッコいい!」
スネイルは、目をキラキラさせていた。自分の事などはどうでもいいようだ。
ガンドを見遣ると、彼は砂地で大の字になって寝ていた。
「ガンド……平気?」
ジャシードは、スネイルと共にガンドの側へと戻ってきた。
「だめ。ダメだよ。もうダメ」
「アニキは元気なのに、何寝てんの」
スネイルはガンドに軽く蹴りを入れた。
「酷い……一所懸命治療したじゃないか」
「あ……ごめん。ありがとう」
「へへ……。いいよ。仲間だろ」
「うん」
二人は文句を言いながらも、とても仲がいい。
「ガンド、立てる?」
「ジャッシュこそ、怪我は?」
「なんだろう、何ともないよ」
「なんだい、治療する必要なかったのかな」
「治療してくれたから、元気になったんだよ」
ジャシードはガンドを起こして、肩を貸してやった。反対側にスネイルが入って、腰を支えた。スネイルはまだ背丈が小さいが、健気にできることをやろうとしていた。
「こんなに苦戦する戦いになるとは思っておらんかったが、とにかく、勝てて良かったな。さあ、ドゴールへ帰ろう」
五人はそれぞれ疲労を感じつつも、とても充実した気分を胸に、ドゴールへと戻っていった。
◆◆
二つの赤い目をした怪物フグードは、五人の冒険者によって完全に息の根を止められた。だが、まだ問題が解決したわけではない。とは言え、彼らにはそれを知る由も無かった。
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