イレンディア・オデッセイ

サイキハヤト

第40話 激戦の間隙

池の底。池と呼ばれているそこは、池などと言うほど浅くはなかった。
深い深い場所から、水上へ向かう者があった。二つの赤い目を持つそいつは、散々使った『怪物に知性を与える魔法』で奪われた知性を、最大限に使って行動を開始した。

「ニンゲン、コロセ。ニンゲン、コロス。われ、うで、なくなた、なくなっっった。ふくすう、ふくしゅうう」
二つの赤い目を持つそいつは、片手両足だが持ち前の筋力で浮上していった。特技である不可視の膜で、姿がすぅっと見えなくなっていった。

◆◆

「ここからは力場なしだ。攻撃が分散するかも知れんから、気を付けてくれ」
オンテミオンはそう言って、長剣を握り直した。目の前にはワイバーンが大きな羽を広げ、次の攻撃を繰り出そうとしていた。

「少年が一人離脱しておるから、わしが代わりに頑張るか」
バラルはそう言って、杖をワイバーンの下側へと向け、ぐいっと上に上げた。

ワイバーンの足元から、多数の長い岩でできた針が飛び出てきて、ワイバーンを貫いた。ワイバーンは痛みよりも怒りが優先したか、バラルを睨み付けて咆哮をあげた。そしてすうっと息を吸い込んでいく。

「おいおい、わしだけか!?」
バラルは、後ろに誰もいない場所へと移動し、身構えた。

その時スネイルは、密かにワイバーンの足元へと迫っていた。バラルに注意が行っている今、尻尾の動きも、脚の動きも疎かになっていたのだ。

「わしに近づくでないぞ!」
バラルは、足元に風の魔法を集めながら叫んだ。

「誰がいくもんか!」
ガンドは、ジャシードを治療しながら言った。

ワイバーンは、バラルに向かって強烈な炎を吐き出した。灼熱の炎がバラルに迫っていく。
しかし、来ると分かっている攻撃は避けられる……。バラルは風の魔法で空に舞い上がった。バラルの足下を通過していく炎。あんなものに焼かれたらたまらない。

そして、ワイバーンが来ると分かっていない攻撃は、今、その腹に炸裂しようとしていた。

スネイルは、狙い澄ました一撃を、ワイバーンの腹へ繰り出した。ワスプダガーの突きはしっかりとワイバーンの腹に突き刺さった。突き、そして引き裂く……!

キァァァァァァァァ!

ワイバーンは足をばたつかせ、スネイルを弾き飛ばした。スネイルは更に尻尾に弾かれ、砂地を転がっていった。スネイルはそのまま動かない。お気に入りのワスプダガーが遠くに弾き飛ばされた。

「ガンド、スネイルの所に行ってあげて」
「でもまだジャッシュの傷は完治してないよ」
「いいから、行って」
「わ、わかった」
ガンドはスネイルの方へと走っていった。

「ガンドが大活躍では、困るよね」
ジャシードは、長剣を支えにして立ち上がった。

「ジャシード、無理はするな!」
空の上からバラルが声をかけた。

「わかってる」
そう言いながらも身体にはまだ痛みが残っていたが、それを乗り越えられるほど、ジャシードはやる気に満ちていた。

ワイバーンは、スネイルにやられた傷を気にしながら、オンテミオンに攻撃を集中させた。
噛み付き、首を振って顔を錘のように使っての体当たり、前足での引っ掻き……。変化を付けながら、油断すれば即大怪我となる攻撃を続けた。
しかしオンテミオンも然る者、剣聖と呼ばれた男は伊達では無い。全ての攻撃はオンテミオンの剣技によって弾かれ、受け流されて、オンテミオンの次の攻撃の足がかりとなった。ワイバーンにとっては全てが裏目に出たことになり、さぞ悔しいことだろう。

バラルは、ワイバーンから追加の炎が来ないのを確認すると、地面に降りてきた。

「まだまだ、お仕置きが足りんようだな」
バラルは杖の先に魔法力を集中し始めた。

バラルが魔法力を集めている間に、ジャシードは動き出した。ちっとも動かないスネイルのことが心配でたまらないが、まずは目の前の怪物を倒さなければ、全員食べられてしまう。
……いや、バラルだけは逃げおおせるだろうが、バラルはそんなことをする人間では無いだろう。いずれにしても、ジャシードが目の前の敵を倒さない理由はなかった。

ジャシードは、自分の方を向いたワイバーンに臆することなく、その全身の動きを視野全体で捉えていた。一撃たりとも、もらってはいけない――その思いが、ジャシードの思考能力を向上させた。

ワイバーンは、首を少し引いて角度をつける。この動きは、首を振っての体当たりだ。
ジャシードは首の動きを予測して、更にワイバーンの懐へと飛び込んだ。ジャシードの後ろを首が通過し、その風圧が感じられた。
足元では、ワイバーンが既に蹴る準備を整えていたが、ジャシードはその動きがよく見えた。
世界がゆっくりと動いていく感覚――これはいつか味わったことのある感覚だった。
その感覚の中、ワイバーンの蹴りを身体を回転させて躱すと、そのまま剣を抜いき、回転する勢いを乗せた一撃を、ワイバーンの腹に見舞った。赤黒い体液が噴き出してくるのが見える。
更にジャシードは動きを止めることなく、流れるように下段からの切り上げを放つ。それもワイバーンの腹に命中し、スネイルが与えた傷を更に開かせた。そのままの流れで、ジャシードは腹の下を抜け、進入方向とは反対側へ抜けようとしていた。

「バラルさん!」
ジャシードは魔法力を集めていたバラルに合図を送った。バラルが待っていましたとばかりに、杖を強めに振ると、ピシピシと稲光が弾ける巨大な青白い玉が発射された。青白い玉は、ワイバーンと対峙しているオンテミオンの右上を越えてワイバーンに着弾し、ワイバーンの全身を青白い光が包み込んだ。バリバリ、ビシビシと大きな音がし、激しい電気エネルギーで焼かれたワイバーンのあちこちから煙が上がった。

キャァァァァァァァァァシュ!

ワイバーンはたまらず叫んだ。ワイバーンは全身火傷を負った様子で、動きが緩慢になってきたように見える。

オンテミオンはその時を逃さない。チカラがやや抜けて垂れ気味になった首を目掛け、最下段からの切り上げを放ち、更に返す刃を振り下ろした。ワイバーンの首に大きな二ヶ所の裂傷ができ、そこから赤黒い体液が噴出しだした。

だがこれだけ傷を与えても、ワイバーンは倒れなかった。

◆◆

二つの赤い目をもつフグードは、池から顔を出した。顔を出したと言っても、誰もフグードの姿を見ることはない。フグードの特技、不可視の膜は、誰にも見破られない――あの子供を除いては。いや、必ず見破られていたわけではない。見破られていないときもあった。だが、最終的には見破られ、左手を切り落とされた。それに加えて顔にも大きな切れ目を入れられた。

フグードは、一つ一つの傷をつけた相手を覚えている。そして一人残らず復讐してやると誓っていた。
フグードの操った怪物に命を奪われた者も多くいた。その時初めて、フグードはそいつにやられた傷を撫でながら、ニヤリと笑うのだ。

だが最近、それができない。
あいつらのせいで、それができない。
何だかどんどん、考えられなくなる。

フグードは二年前に子供に滅多切りにされ、ようやく復活できたと思ったら、今度は爆裂の魔法であわや粉々にされるところだった。砂に隠れていたからか、右腕と脚は、皮一枚くっついていた。
フグードの再生能力は驚異的だが、身体にくっついていなければならない。一旦切り離されると、その部分はもう再生することができなくなる。

――フグードは、昔の出来事を思い出していた。

「お前に特別なチカラをやろう」
フグードに声を掛けてきた者がいた。その時のフグードは、人間にこっぴどくやられて、命からがら逃げてきたところだった。まだ近くに人間の気配がしていた。

「この目をお前にくれてやる。強くなるぞ、欲しいか」
その者は、手の平に二つの目玉の形をした半球のものを持っていた。欲しいと頷くと、その目玉の形をしたものを、目の中に無理矢理入れてきた。

「ハギャキュイアアアゥゥ!」
フグードはたまらず苦悶の声を上げた。人間たちに聞こえなかったのは幸いだった。

「これでお前は『チカラある者』の仲間入りだ」
フグードは自分の身体を眺めると、既に傷は癒え、不思議な感覚に包まれていた。沸々としたチカラに満たされる。

「お前が頂点に立ち、怪物を使役するのだ」
その者は、フグードに怪物の操り方を教えた。

「そのチカラを使って、人間共を討ち滅ぼせ。それが『チカラある者』の使命だ」
その者は、そう言ってその場を離れていった。その者が一体誰だったのか、どうしても思い出せない。

フグードは、試しにオークを睨んでみた。オークは始めこそ『なんだテメェ』と言う顔をしていたが、すぐに命令を聞くようになった。

癖になる感覚があった。フグードは怪物を使役して、自分を酷い目に遭わせた人間たちを襲わせ始めた。

しかし、それでも順風満帆とは行かなかった。多数で徒党を組む人間には、どうやっても勝てなかった。

ある日、フグードはふと、思った。怪物どもの軍隊を作れば、人間に太刀打ちできるのではないかと。

フグードは、片っ端から赤い目を使って回った。大軍勢になると思っていたが、何日も連れて回ると魔法が切れてしまうし、なかなか言うことを聞かなくなる。

そうして攻め込んだのがレムリスだった。しかし結果は惨憺たるものだった。衛兵に侵攻を防がれ、街の背面から迫ったフグードも、謎の強さを持つ者たちにやられて散々な目に遭った。

サンドワームをけしかけて、奴らに復讐しようとすれば、今度は別のヤツに邪魔された。あいつらは一体何なのだ。忌々しい存在だ。

そいつらが近くにいる。ワニはあっさりやられてしまったが、今は運のいいことにワイバーンと戦っている。今のうちに近づいて、奴らを殺してやる。武器がないが、腰に付いてる短剣でも奪えばいい。

そうしてフグードは、誰に気づかれることもなく池の畔に向かって動き始めた。

◆◆

「あっ!? いたたた!」
スネイルはガンドの治癒魔法でハッと目覚めた。

「まだ動かないで。骨がくっついてない」
ガンドはスネイルが気絶している間に、骨の位置を合わせておいた。あとは治癒魔法で回復力を高め、くっつけるだけだ。

「ごめん」
「何言ってんの。これが僕の役割だからね。ホントは棒術じゃない」
ガンドは治癒魔法を続けながら、スネイルにニッと笑ってやった。

「全くしぶといな」
バラルは次の魔法を準備しだした。元々、火の魔法が主戦力のバラルにとって、火に強い怪物は相性が悪い。

その時ジャシードは、ワイバーンの尻尾の辺りにいた。前方ではオンテミオンがワイバーンの首に攻撃を加えたところだ。
ぐらつきよろめいたワイバーンの尻尾に、下段からの切り上げを放ったジャシードは、確かな手応えと、どこかで感じたことのある寒気を感じた。
ワイバーンの尻尾がドスンと落ち、悲鳴を上げたワイバーンの声が聞こえなくなるほどの……それは殺気だった。

◆◆

フグードは、少し黄色がかったダガーを発見した。きっとワイバーンと戦っているあの人間たちの物だ。そうフグードは思った。
手に取り上げ、眺めてみる。……なかなかのダガーだ。切れ味も良さそうで、フグードは気に入った。

誰を刺してやろうかと、フグードは辺りを見渡した。見知った顔が二つある。一人はワイバーンと真っ向から戦っている男、そしてもう一人は、あの忌々しい子供だ。
あの子供は、レムリスの時に何故か不可視であるこの膜が、まるで効いていないようだった。そんな記憶をフグードは取り出していた。
アイツは後回しだ、とフグードは消え行く知性の端っこで考えた。

フグードがよく見ると、もう一人、見たことがあるような人間がいた。あの魔法使いは爆裂の魔法を撃ち込んできた、フグードにとって憎たらしい人物だった。
アイツのせいで死にかけた、と心の中で反芻したフグードは、最初のターゲットを決めた。

フグードは、少し大回りにバラルの方へと歩を進めていった。一撃で殺してやる、そんな意気込みがフグードから漏れていた。

◆◆

「おお、尻尾を半分落としたぞ」
バラルは満足げに言った。ワイバーンの攻撃方法はいくつもあるが、尻尾の攻撃は結構厄介だ。それがほぼ使えなくなったのは喜ばしい。
首にも多数の傷、腹にも多数の傷、左翼はジャシードによって裂かれた。もうこのワイバーンは飛ぶこともできないだろう。

バラルは、杖の先に氷の槍を作り出すと、大きく杖を振るった。氷の槍は真っ直ぐにワイバーンへと飛び、その身体を完全に貫いた。

ワイバーンは大口を開けて首がぴんと伸びた。もはや咆哮を発することもできない様子だった。そこへオンテミオンが走り込み、長剣をずぶりと根元まで刺し込んだ。

ワイバーンは、砂煙を上げながら、ズシンと横倒しに倒れた。

「あーあ。間に合わなかった……」
ガンドに治療されながら、スネイルは独り言ちた。

一人だけ、キョロキョロと落ち着かない少年がいた。彼は何かを察知していたが、それが具体的に何か、と言うところには到達していなかった。

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