イレンディア・オデッセイ

サイキハヤト

第35話 見えない刺客

その一瞬、少年は音のない世界にいた。目の前にはミミズの怪物が大口を開け、鋭い数多の牙を突き立てようとしていた。牙は確実に下半身を捉え、食いちぎられるはずだった。
しかし、まるでフォークでゆで卵を刺そうとして逃げられるように、少年の身体に近づいた牙は少年を弾き飛ばしただけだった。

少年は強い衝撃を感じ、身体が宙を舞っている感覚を味わった。地面に着いた瞬間、砂が衝撃と共に跳ね上がり、少年は砂の味を味わった。

ガゥォォォォォォォォ!

ジャシードは砂を吐き出しつつ、咆哮がする方を見上げた。すると、先端が炎に包まれているミミズの怪物が、燃えながら苦しんでいるところだった。

「ジャシード、早く立て!」
彼の後ろから、聞き覚えのある声がした。立ち上がりながらその方向を見ると、杖を振り上げているバラルの姿があった。

「バラルさん! どうして!?」
「オンテミオンに頼まれて、お前たちが何事もなく帰りつけるように、空から見ておったのだ。何事もなく終わると思ったら、まさかこんなにデカいサンドワームが出てくるとは」
「ありがとう……僕はもうダメだと思ったよ」
「バカもん。諦めるなど、戦士のすることか。わしが氷で覆ってやらねば、お前は今頃あの口の中だったぞ」
「あれはバラルさんの魔法だったんだね」
「慣れない魔法を使ったから、体力を消耗してしまったわい」
「ご、ごめんなさい」
「良い、良い。だが今は逃げるぞ。わしは半日も飛んでいたから、今からこいつを一人で倒せるほど、魔法が使えん」
「諦めるの?」
「揚げ足を取っておる場合ではないぞ。わしはどれぐらい魔法を使えるのか、いつでも把握しておる。わし一人では無理だ」
「分かった!」
「うむ。走れるか? お前と飛べるほど余裕はない。分かったらすぐ走れ!」

バラルに言われてすぐ、ジャシードは走り出した。

「んぉっ!」
バラルは、足下から出てきたサンドワームの胴体に足を取られて吹っ飛ばされた。瞬間的に浮遊の魔法で体勢を整え、なんとか着地する。

「バラルさん!」
ジャシードはバラルの声を聞いて振り返っていた。自分が逃げることで、彼を見殺しにするのではないか、そんな思いがあった。

「バカもん! 見ている暇があったら走れ! 勝てんが負けん! わしの時間稼ぎを無駄にするな!」
バラルは叫びながら、周囲に尖った氷の固まりを無数に作り出し、サンドワームに放った。

ジャシードはその魔法の結果を見ることなく走った。バラルにはまだ余裕があった。自分なんかが心配しなくても、バラルは十分に強い。

バラルは、ジャシードの姿がほぼ見えなくなるまで、サンドワームを引き付けるために攻撃魔法を立て続けに繰り出した。

「よし、こんなもんで良いだろう」
目の前には、あちこち傷だらけになり、緑色の体液に塗れたサンドワームが、まだまだやる気満々で咆哮を浴びせてきた。

バラルは浮遊の魔法で、サンドワームの二倍ほどの高さへ飛び立った。サンドワームを引き剥がすために南へ、ドゴールと反対方向へ進もうとしていた。

その時、バラルの左脇腹に激痛が走った。見れば矢が刺さっている。激痛のため、身体を浮かせている風の生成が安定せず、バラルは高さを維持するのが精一杯になってきた。

「な……新手か……」
バラルは地面に目を凝らし、矢の発射元を捉えようとした。丁度そこへ二射目が放たれてきた。バラルは際どく二射目を躱すと、杖の先に光球を作り出し、弓の発射元へ向けて放った。光球はその砂地に着弾し、砂を撒き散らし凹みを作りながら炸裂した。遅れてドガンと言う音がバラルに届く。

「く……まだ……落ちん……ぞ……」
バラルは痛みと魔法の使いすぎによる、意識が引き剥がされるような感覚と戦いつつ、よろよろと上下しながら東へ進路を取った。

バラルの眼下には、まだやる気満々のサンドワームが、魚が水を行く速度で砂を泳いで追ってきていた。

◆◆

スネイルはようやくドゴールに辿り着いた。息が乱れ、話すことも困難だ。

「君、オンテミオンの所の……怪物に追われているのか?」
衛兵がスネイルに駆け寄ってきた。街の防衛をしていると、こういったことは稀にある。
こう言う人の後ろには、列を成した怪物が付いてきていることが多い。しかし、周囲を見ても特に何もいなかった。

「デカい、ミミズ、怪物が……アニキを……オンテミオンさん……」
スネイルは、街に着いた安心感で気を抜いてしまったため、もう動ける気がしなかった。

「よし分かった、オンテミオンを呼んでこよう。この子を門の内側へ頼む」
他の衛兵が小さなスネイルを抱え、衛兵用の休憩所へ連れて行き、水を飲ませた。

少し遅れて、別方向からガンドが走ってきた。ガンドはぽっちゃり体型と背中の荷物のため、違う意味で息も絶え絶えの様子で門に走ってきていた。

「何だ、もう一人来たぞ」
衛兵はガンドを迎え入れた。

ガンドは背中に背負っていた『虫の部品セット』を放り投げると、水筒から水をグビグビ飲み、自らに治癒魔法を使って元気になった。
そして目に入ってきた、疲弊して寝込んでいるスネイルを見つけて駆け寄り、治癒魔法をかけてやった。

「大変なんです! ミミズの怪物が、凄い大きなヤツが、僕の仲間を襲ってきて……」
ガンドが衛兵にそこまで言った所で、初めの衛兵に連れられたオンテミオンが門に走ってきた。

「ガンド! スネイル! ジャシードはどうした! バラルは何をやっておる!」
オンテミオンは珍しく狼狽した様子だった。

「オンテミオンさん、サンドワスプは倒したんだけど、凄い大きなミミズみたいな怪物に攻撃されて……ジャシードは僕たちを逃がすために……」
「んん、よく分かった。場所はどの辺りだ?」

ガンドはオンテミオンから貰っていた地図で、大まかな場所を指し示した。

「君たちはバラルに会ったか?」
「会ってないよ」
「んん!? ヤツは何をしておったのだ! 任せたのは間違いだったのか!?」
オンテミオンは、二人が首を振るのを見て憤慨した。

「んん、まあいい。わしはジャシードを助けに行く。お前達は家で待て」
オンテミオンはそう言ったが、二人の訓練生たちは揃ってイヤだと言った。

「んん? 何を言っておる。君たちでは……ええい、こんな所で時間を使っている場合ではない。行くぞ!」
オンテミオンは、二人を連れてドゴールから南へと向かった。

三人は、できるだけの速度で早歩きした。走ると必要以上に体力を消耗してしまうからだ。しかし早歩きでも暑さで息が上がる。

しばらく歩いていると、少し離れた西側を走る人影を発見した。目を凝らせば、それはジャシードだった。

「ジャッシュ!」
「アニキ!」
訓練生たちは、声を上げて手を振った。ジャシードも気づいたようで、進行方向を変えて走ってきた。

「オンテミオンさん! バラルさんが……!」
ジャシードは、ガンドの治癒魔法を受けながら、今まであった事を説明した。

「んん、それを聞いて安心したぞ。バラルがサボっていたのかと勘違いしておった。ヤツなら負けんだろうが、サンドワームを放置するのはまずい。倒しに行くぞ……その前に……」

オンテミオンは、懐から飴玉を取り出して、訓練生たちに食べさせた。

「これは、クアニと言う木の蜜と薬草を混ぜて作った飴だ。余り美味くはないが、元気が出る」
「うわ、本当に美味しくない」
「アニキにあげる」とスネイルが舌を出した。
「ち、ちゃんと自分で食べなよ。口に入ったのは嫌だよ」
案の定、訓練生たちに大好評だったようだ。

味は美味くなかったが、飴を食べながら歩いていると、不思議と身体の疲れが飛んでいくのが感じられた。オンテミオンは、自分が作ったものでもないのに鼻高々の様子だった。

ジャシードを加えて四人になった一行は、ジャシードが最後にバラルと別れた場所へとやってきた。
そこには夕焼けに照らされた戦いの痕跡があった。もはやシミのようにしか見えない、怪物の体液の痕が、砂の文様と合わせて南へと続いていた。

「んん、これはどう見るべきか……」
オンテミオンは、顎髭を引っ張りながら、戦いの痕跡を調べている。

「僕を逃がそうとしてくれたのだから、サンドワームを南に連れて行くと思う」
南を指差しながらジャシードが言った。

「んん……。そうだな。それが一番あり得る」
オンテミオンも同意し、四人は更に南へと向かった。

しばらく歩いていると、スネイルが嵌まったような、すり鉢状の場所があった。

「こんな所、あったかな?」
ガンドが不思議そうに、すり鉢状の場所を覗き込んだ。
「アリジゴクがいるかも」とジャシード。
「なんだこれ」
スネイルは、弧を描く木でできた物を拾い上げた。

「んん? これは弓だな。過去に捨てられた物では無さそうだな……。割としっかりしている。それに、焼け焦げた跡がある。すると、つい最近、ここで戦いがあったと言うことになる。お前達、弓を使う怪物などいたか?」
オンテミオンは、分析結果から質問してみたが、訓練生たちは首を横に振った。彼らが出会ってきたのは大きな虫ばかりで、サンドワームが初めての『虫以外』だった。

「んん……。とすると、ここに我々の知らぬ新手がいたことになる。武器を使える新手がな」
オンテミオンは、すり鉢状の場所へと降りていった。

すり鉢状の場所は、アリジゴクの住処ではなかった。四人はしばらく付近を散策し、スネイルが一振りの古びた短剣を見つけた。短剣は鞘と柄の部分が焼け焦げており、鞘から腰につり下げるための紐が焼き切れていた。

「この場所は、戦いの跡だな。恐らくバラルは、ここで何か知性のある敵に遭遇して、爆発の魔法を使ったのだろう」
四人はすり鉢状の爆発痕から出ると、恐らくサンドワームが付けたと思しき、うねうねと残っている跡を辿って東の方へと歩を進めた。

徐々に辺りが暗くなってきた。夕焼けがおさまり、星の輝きが目立ち始めている。

「ガンド。光の魔法で照らせんか?」
「えっ!」
三人の訓練生たちは、一律『やるの?』という顔をした。

「今のままでは見えなくなる」
オンテミオンは辺りに手を振りながら言った。星の光だけでは心許ないほど暗い夜が訪れようとしている。

「でも、ガンドの光は目潰しだよ。何も見えなくなる」とスネイル。

「上手く調節せい。手に載る程度のものを作って、それを空中に上げる感じだ。多分だが」
オンテミオンは、ガンドが渋い顔をしているのを無視して言った。

ガンドは、左手で目を塞ぎながら、右手に光を集中させた。両目をガッチリと塞いでいるジャシードとスネイルのすぐそばで、徐々に光が強くなってきた。
ガンドが右手をほいと上に上げると、光球がフワリと浮いて、ガンドの頭の上に固定された。

「やればできるではないか。欲を言えば、もう少し上にならんのか?」
オンテミオンは、ガンドが頭の真上に光を固定したのを見て言った。光はなかなか強く、ガンドの顔は真っ黒になっているように見える。

「も、もう無理」
ガンドは光球を上げるのを諦めた。

「まあガンドの顔が見えにくいだけだから、良しとするか」
オンテミオンは苦笑しながら言った。

四人は、ガンドのテカる頭に照らされて進み始めた。うねうねとした跡は、まだまだ東へ、最初に奇麗な甲を持つ虫に出会った場所へ向けて続いていた。

突然、四人の目の前にあった砂地が弾けた。

グォォォォォォォォォォァ!

聞いたことのある咆哮が響き渡った。四人の目の前には、光に照らされている部分よりも高く、サンドワームがその姿を現していた。

「よし、ジャシードは側面から、スネイルは背後から。ガンドは少し後ろに下がって全体を照らしつつ、怪我があれば治療、前に出るなよ。胴体が急に出てくるから気をつけろ。動け!」

四人はそれぞれ、ガンドの光に照らされるサンドワームを取り囲むように動き出した。

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