イレンディア・オデッセイ

サイキハヤト

第28話 魔法使いバラル

ジャシードが手紙を出してから数日が経過した。マーシャは刺々しさがなくなり、ジャシードとの時間を大事にするようになっていた。

毎日、ジャシードの時間が空いているときには二人で特訓し、ジャシードが『コボルドハンター』になっている間は、ソルンと魔法の練習に励んだ。最近はソルンが得意な雷の魔法と、火の魔法に加え、水の魔法を基本的なところまで発動ができるようになってきた。

ソルンは雷の魔法は得意だが、火の魔法は実は余り得意ではない。それ故、魔法の杖の力を借りて威力を強化している。ソルンが直接教えられるのは、雷と火の二種類だけだが、マーシャは魔法理論の本を読んで、それを自分の物にしようとしていた。

この変化にはソルンもほっとしていた。魔法は心が安定しなければ上手く行かない。今まではそれをどんなに説明しても、焦ってしまってできなかった。
しかしここ数日は何があったのか、マーシャの心は安定しているように見え、その成果として魔法の発動が上手く出来るようになってきている。
それに加えて、ソルンが教えてもいない水の魔法を使い始めた。なかなか凄いことだ。マーシャは一体、どんな魔法使いになるのか、ソルンは楽しみになってきていた。

◆◆

「ねえ、ジャッシュ! 見て見て! 私、魔法が出るようになってきたのよ!」
マーシャが、『コボルドハンター』を終えたジャシードに駆け寄ってきた。

「すごいじゃないか。広場で見せてよ」
「うん!」
マーシャは、ジャシードの手を引いて広場へと小走りで向かった。足が地面に付く度に、マーシャの髪の毛がフワフワと揺れているのが見え、微かな香りが鼻の奥をくすぐる。
暫くの間マーシャに会えないと意識すると、なんだか胸が苦しくなって、繋いだ手を少し強く握った。

「ジャッシュ、見ててね」
マーシャは、片手を前に出し手の平を開いて精神を集中した。手の先にパリパリと電気が走り、近くの木へ小さな雷が弾けた。

「すごいじゃないか!」
ジャシードは素直に驚いた。今まで全くできなかったマーシャが、すごい速度で進化しようとしていた。

「まだあるのよ」
そう言ってマーシャは、今度は川の側へとジャシードを誘い、川へ人差し指を向けた。
人差し指の先から三センチぐらいの火の玉が出現し、マーシャが指を振るのと同時に火の玉は発射され、川に当たってジュッと音を立てて消えた。

「この前まで、可愛い炎だったのに、どうやったらそんなに上手く行くんだろうね」
「分からない。でもなぜか、上手く出来るようになってきたの。じゃあ次ね」
マーシャはジャシードに手を向けて、握り拳を作ってから開いた。手の平から水が噴射され、ジャシードはずぶ濡れになってしまった。

「ちょっと!?」
「あはは! びしょ濡れ! あははは!」
「やったなあ!」
ジャシードは、川の水を皮の兜に汲んで、手で掬ってはマーシャにかけ始めた。水の掛け合いでは、ジャシードはマーシャに勝てず、ジャシードはもはや全身水浸しだ。

「すっかり濡れちゃった」
「そうね。乾かさないとね」
二人はクスクスと笑った。

「そこのお二人さん。お楽しみの所すまんが……」
二人が声の方を見遣ると、そこには壮年の男が立っていた。深い緑色のとんがり帽子を被り、深い青のローブを着て、杖を持っている。顔にはシミがいくつか付いていて、少し深い皺が刻み込まれている。

「こんにちは」
二人揃って、壮年の男にあいさつした。

「うむ、こんにちは。実はな、人を探しておるのだが、ジャシードという子を知らんか?」
壮年の男は、二人を見下ろしながら言った。

「ジャシードは僕です」
「おお、お前さんがジャシードか。偶然というのもあるものだな。わしはバラル。オンテミオンに頼まれて、お前さんを迎えに来た」
「オンテミオンさんに!?」
「そうだ。ドゴールに連れて行くためにな……。なんだ、水浸しだな。二人とも、わしの前に立て」
二人がバラルの前に立つと、バラルは杖を二人に向けた。彫刻が刻まれた杖から、急激に暖かい風が吹いてきたかと思うと、濡れていた身体が、服が、皮鎧が見る見るうちに乾いていった。

「わあ、すごい! これどうやるの!?」
「お前さんは魔法の手習いがあるのか。これは、火の魔法と風の魔法の合わせ技だ。子供には難しいな。杖の助けがあった方が良いかも知れん」
「杖かあ。いつか欲しいな」
マーシャは、美しい彫刻が刻まれた杖をしげしげと眺めている。

「まずは杖よりも、魔法の基本を覚える方が良いぞ。して、ジャシード。準備は良いか?」
バラルは杖を引っ込めてジャシードを見下ろした。

「えっ、よくありません。まだ挨拶とかしてこないと……」
「では、この辺りで休んでいるから、準備ができたら来るがいい。持ち物は武器と着替え、あれば大事なもの。荷物は最小限にしてくれ」
バラルは近くにあった岩に座り懐からパイプを取り出すと、葉っぱを詰めて火を点けた。

◆◆

ジャシードたちは、急いで家へと戻り、セグムとソルンに今の状況を伝えた。ソルンが服などを詰めてくれるようで、その間、挨拶回りをしてこいとセグムが言った。

東門、西門、衛兵詰め所、城壁の上一回り……。その時に担当の衛兵たちに挨拶回りをした。皆口々に、これからコボルドは誰が倒すんだ、などと文句を言っていたが、最終的には気持ちよく送り出してくれた。

最も残念がったのは言うまでもなくオーリスだった。だが、オーリスは冒険者志望ゆえに、最も強く応援してくれた。そしていつか、共に冒険に行こうと言っていた。オーリスならば、すぐに経験を積んで、ジャシードよりも早く、一端の冒険者になるような気がした。

「準備できました」
ジャシードは、セグム、ソルン、フォリス、マーシャを連れて、バラルの元へと戻ってきた。

「なんだ、随分時間が掛かったな」
バラルは、パイプをコンコンと岩に叩いて灰を落とした。

「初めましてバラルさん。おれはジャシードの父親セグム。こちらが母親ソルン、同居しているフォリス、そしてその娘マーシャ。息子の見送りに来たんですが、そちらは一人なんですかね?」
「うむ、わしは一人だ。セグム。オンテミオンから名前は聞いているよ」
バラルはセグムに催促された握手に応え、手を握り返した。

「で、二人でドゴールまで?」
「そうだ。何か問題でもあるか?」
「ちょっと危険かと思ってね」
「なあに、危険など大してありはしない。わしは魔法使いだからだ」
セグムの心配を、バラルは軽く手を振って退けた。見送りの四人とジャシードは、お互い顔を見合わせた。疑問は一つ、どうやって行くというのか、だ。

「では行くか、ジャシード」
「は、はい」
バラルは、しゃがんでジャシードに背中を向けた。

「えっと……?」
「背負っていく、早く乗れ」
「え。あ、はい……うわっ!」
ジャシードはおずおずとバラルの背中に身を預けると、バラルの身体に吸い寄せられるように固定された。

「よし、では行こう。見送りご苦労だったな」
ジャシードを背中に負ぶった……否、張り付けたバラルは、立ち上がって見送りの四人に向き直った。見送りの四人は、全員が分からないという表情をしている。

「お前たちは知らんのか、魔法使いを」
そう言うと、バラルは杖を下に構えてから勢いよく振り上げた。

「わ、わああ……」
ジャシードは、味わったことのない感覚に驚いて変な声を出してしまった。それもそのはず、バラルはジャシードを背中に張り付けたまま、数メートル上昇したからだ。

「な、なにい! アンタ飛べるのか!」
「初めて見たわ……」
元冒険者のセグムとソルンですら、かなり驚いている様子だ。フォリスにマーシャは、口をあんぐり開け、もっと驚いていた。

「もっと勉強せい、魔術の広がりは無限だぞ。では、さらばだ!」
「み、みんな、ま、またね!」

バラルが少しずつ上昇していくにつれ、セグムが、ソルンが、フォリスが、そしてマーシャが、だんだん小さくなっていく。

ジャシードには、彼らのいる場所だけがずっと視界の中心にあった。そこから目を離すことができなかった。

別れを惜しむジャシードを引き剥がすように、バラルは速度を上げて一気に上昇し始め、城壁の何倍もの高さに飛び上がった。あっという間にレムリスが小さくなっていく……。

「一応、わしに手を回して掴まっておれ。風の魔法で固定しているが、何かがあったときに落ちては困る」
バラルにそう言われて、ジャシードはバラルの首に手を回し、しっかり自分の腕を掴んだ。

「では、行こう」
バラルは進行方向を南西、トポール山の方へ取り、かなり速い速度で進み始めた。眼下の景色が変化していく。ジャシードは初めての体験に目を白黒させつつも、キョロキョロとして周囲の景色を覚えようとし始めた。

「どうやって飛んでるの!?」
「これは風の魔法だ。わしの周囲に風の流れを作って飛んでいる。魔法にはいくつもの属性があるが、風の魔法は移動手段として使う事もできる。もちろん、わしのように風の魔法を習熟している人間は、それほど多くはないがな」

「二年前に、オンテミオンさんと旅をしたけど、その時はオンテミオンさんは歩いてた。バラルさんが乗せていってあげれば良かったんじゃないの?」
「バカを言うな。何でわしがブドウばかり食っている、耄碌じじいのハンフォードに手を貸してやらにゃいかんのだ。オンテミオンになら良いが、間接的にハンフォードに、となれば話は別だ」
バラルは、ハンフォードという人物の名前ですら、吐き捨てるように言った。

「ハンフォードさんって、どんな人なの?」
「わしに聞くな」
バラルはそれ以上話してくれるなと言わんばかりに、一瞬で話を打ち切った。

「そんな事よりジャシード。周囲の景色をよく見ておけ。この魔法の限界は、恐らく高さ五百メートルほどだが、周囲の地形なんかを見るのには十分だ。もっと高く飛べるのならば、レンドール山やら、トポール山の上に行ってみたいが、さすがにあの山々は何千メートルもあるらしい」
バラルはいろいろ言っていたが、既にジャシードの心は周囲の眺めに移っていた。
トゥール森林地帯の広さも何となく分かった。所々に森が切れている空き地のような場所がある、と言うのも今まで知らなかった。
果てしなく続いている森だと思っていたが、そうではなかった。トポール山から流れている川で、トゥール森林地帯は終わっていた。

「あの川はなんて言うの?」
「トポール山からの川か。あれはマッシオーベ川と名が付いている。シャルノ平原とヴォルク火山地帯を分け、ヨセンバク沼地、アセンバク沼地を越えて海へ繋がっている川だ。街道とマッシオーベ川が当たる部分には、マッシオーベ橋と守衛所があってな、ナイザレア――ドゴールがある地域のことだが――の怪物どもが、レムランドの方へ行かないように見張っているのだ」
バラルが説明している間に、マッシオーベ川を越えた。バラルならば、レムリスからケルウィムへもひとっ飛びで行けるのだろう。

「左側、遠くに見えるのはオウメリ湖、右側前方に見える大きな湖はバダーフォール湖だ。ナイザレアには湖が四つあるが、そのうち最も大きいのがバダーフォール湖だな」
バラルはそう言うと、一気に高度を落とし始めた。進路をトポール山の方、北方向へと急激に変更する。

「まずい」
「どうしたの?」
「ワイバーンに見つかった」
「ワイバーン?」
「この辺で空を飛んでいる怪物の中では最強の部類に入る。一旦森に隠れるぞ」
ジャシードが周囲を見渡すと、巨大なトカゲのような姿に翼の生えた怪物が、こちらへ向かって飛んでくるのが見えた。かなり遠いのに、巨大だというのが分かる怪物だ。それがあっという間に距離を詰めてくるのが分かる。

「こりゃ振り切れんな……。さすがに今のわし一人ではワイバーンに勝ち目はない」
バラルはトポール山の麓に広がる森へ進路を定めると、真っ逆さまに落ちると錯覚するぐらいの角度で急降下した。もう森はすぐ近くまで来ている。そしてワイバーンも……。

ジャシードは不安になった。ドゴールに着く前に、食べられてしまうのではないかと……。

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