イレンディア・オデッセイ

サイキハヤト

第17話 旅の終わり

ジャシードは、うねうねと動いているスライムの近くへと寄っていった。
すると、スライムはピタリと止まり、ジャシードの居る方向が盛り上がったと思うと、うねうねと寄ってきた。

「なんか、倒さなくてもいい気がするんだけど」
ジャシードは、セグムのいる方に顔を向けた。
「余所見すんな!」
セグムは、ジャシードが顔を向けていない方を指さした。

と、その時、腹部に衝撃が走り、ジャシードはよろけて地面に倒れた。彼が視線をスライムへ戻したとき、スライムは次の攻撃のために膨れていた。

「スライムは普段柔らかいが、攻撃するときはその部分だけ硬くなるんだ。そんで、意外と伸びるから注意しろよ」
セグムは楽しそうに、ジャシードが倒される様を見ていた。

「それは最初に言ってよ!」
ジャシードは、スライムが伸びて攻撃してくるのを観察し、さて伸びる、と言うタイミングで地面を転がって回避した。

素早く立ち上がったジャシードは、自分が攻撃されてようやく集中し始めた。
スライムの膨らみに注目しながら、周囲をぐるりと回ってみると、スライムの膨らみはどの角度へも自由に発生することが分かった。

(どこへでも自由に攻撃できるなら……。一回攻撃でやっつけるか、攻撃を避けて攻撃するか)

ジャシードがそんな事を考えている間に、スライムの膨らみが大きくなってきた。

(一回じゃ無理だ。避けて攻撃しよう)

ジャシードは動きを止めて短剣を構え、スライムの膨らみに集中した。

徐々に膨らんでいくスライムの本体……そして飛び出す瞬間……時間が遅くなったような感覚を受けながら、飛び出してくる膨らみへ向かって飛び出す。
右手で持った短剣を左手のそばで構え、膨らみを引きつけてから身体を捩って躱した。
ジャシードの左腕のすぐ外側を、スライムの膨らみが通過していくのが見えた。

膨らみが通り抜けたのを確認したジャシードは、その擦れ違いざまに右手に握った短剣を下から振り上げ、伸びてきた膨らみを斬った。

ぷりゅりゅ、と変な音を立てて、膨らみがスライム本体から切り離された。

「見ろ、セグム。あの身の熟し……まるで攻撃が完全に見えているようだ。そして躱す動き……攻撃を準備しながら躱しているぞ」
「驚いたな……。あんな動きを教えた覚えはないのだが」
オンテミオンとセグムは、戦いを見ながら小声を交わしていた。

「んん……。スライムはチカラこそ強くはないが、どこへでも射出できる『腕』の速度はそこそこある。それを、ああも易々と躱すものか。子供が」
オンテミオンは髭を引っ張っていた。

「ジャッシュは、家の中では、頭の中で色んな想像を巡らせていたのよ。身体を動かしながら……。私にはお遊戯にしか見えなかったけれど」
「……バカを言うなよ。想像を巡らせてその通りに身体が動くのならば、どんな奴にも訓練は必要ない」
ソルンの話を受けて、セグムはソルンの顔を覗き込んだが、ソルンは肩を竦めただけだった。

ジャシードは、スライムの膨らみを斬った後、素早く短剣を左手に持ち替えた。そしてそのままの流れで地面を掬うように短剣を振り抜き、スライムの本体を切り裂いた。スライムの本体を抜けたところで、足を踏ん張り急停止、再びスライムへ向かって跳ぶ。跳びながら、膨らみかけたスライムの本体をざっくり切り裂いた。更にもう一度……。

ぱぴゅるるる……ぷしゅるるる……、と何やら空気が漏れるような音を立てながら、スライムは水たまりのようにペシャンコになった。

「ふう……やっつけたよ。これでいい?」
ジャシードは、大人達がやっているのを真似して短剣を一振りし、スライムのぐねぐねした切りカスを落としてから、鞘に仕舞った。

「やるじゃないか。最初の油断は必要なかったけどな」
セグムはジャシードの頭に手を当てて言った。
「だって、初めて戦うのがあんなぐにぐにだなんて……」
「はっはは、ちょっと見てみたかったんだよ。すまなかった」
セグムは、口を尖らせている息子の頭をポンポンとしてやった。

ジャシードは、父親に頭をポンポンされながら、オンテミオンの方を見た。オンテミオンは微笑を浮かべつつ、うんうんと頷いてるのが見え、何となく褒められたような気分になった。

一行は再び海岸を歩き始め、日が沈む少し前ぐらいに岬へと到達した。
この岬は低い草が生えている草原で、三方を海に囲まれているため、野営中の見張りがとても楽な場所だった。



夜、ジャシードは再び、オンテミオンと特訓をすることになった。

「今日もよろしくお願いします!」
昨日が最後だと思っていたジャシードにとって、剣聖オンテミオンとレムリスまで同行できるのは、その理由が何であれ喜ばしいことだった。

「んん……。始める前に、一つ聞いておきたいんだが」
オンテミオンは顎髭を引っ張りながら、しゃがみ込んでジャシードの顔を覗き込んだ。少年は、なに、と首を傾げた。

「今日のスライムとの戦い。どうだったかね」
「うん、ちょっと最初油断したけど、弱いね。スライム」
ジャシードは、短剣の鞘を武器さながらに振りながら、満面の笑みを浮かべた。

「君は、スライムの攻撃が見えていたのか?」
「よく見えたよ。あんまり遅いから、ちょっといじめすぎたかも……」
「いいんだ。怪物と人間はどのみち相容れない。ところで、あれを遅いと感じたのか?」
「遅かったよね、見てたんでしょう?」
オンテミオンの言葉が不思議だと言わんばかりに、ジャシードは首を傾げた。

「言うほど遅いとは思わんかったがな」
「あんなのなら、十体ぐらいいても勝てるよ」
「ふっ……思い上がりは身を滅ぼすぞ。さあ、特訓しようか」
オンテミオンは、少年の肩をバシンと叩き、立ち上がった。



その日も無事に朝を迎えた。

レムリスの近くは、北東方面から風が吹いてくることが多い。
レムランドの北東側には、雪に包まれたメリザスという大陸があり、朝はそちらから冷えた風が流れ込んでくる。

「うう、寒い」
身体を震わせながら、少年がテントから出てきた。大人三人は既にテントから出てきており、いつものように硬いパンと、そこら辺から摘んできた葉っぱを食べ、水を飲んでいた。

「遅かったな」
セグムは一足早くパンを食べたのか、草原で横になっていた。

「起こしてよ。今日はレムリスに着く日なんだから」
ジャシードは、ソルンが差し出したパンを急いで食べ始めた。

そう、今日は遂にレムリスへと到達する日だ。

マーシャはまだ無事でいるのだろうか。ジャシードは、心の深くに仕舞い込んで、あまり取り出さないようにしていた彼女への心配を、街に近づいてようやく引っ張り出した。
しかし、いざ取り出してみると、今すぐ走ってレムリスへ行きたくなってしまう。ジャシードは我慢するために、もう一度心の深くへ仕舞い込んだ。

一行は食事を終え、再び早足で歩き始めた。

「今日はお昼過ぎぐらいで森を抜けられるはずよ。その後は、レムリスの状態を見ながら行動ね」
ソルンは、宙に地図らしきものを描きながら言った。

「母さん、それ、あんまりよくわかんないよ」
ジャシードは、ソルンが宙に描く地図らしきものを指さして言った。

「何となく分かるでしょ」
「な、なんとな……」
「分かるならいいじゃない」
ソルンは、ジャシードが言い終わる前に割り込んだ。
「は、はい。ソルン先輩」
「ちょっと、忘れてたのにまた言わないで」
ソルンはジャシードに、軽くげんこつを喰らわせた。



海沿いの旅は気分がいい。晴れ渡る空、吹き抜けていく潮風は、心に掛かった雲をも洗い流してくれる気がする。
北から吹いてくる潮風は、早足で暖まりそうになる身体を適度に冷やし、四人を支援してくれているかのようだ。

海沿いの平原は、ぐねぐねと蛇行ながら、北西へと向かっていた。
南西側に続いている森は、いつもならオークやら、ゴブリンやら、コボルドあたりがうろついているような場所だ。
しかし、少なくとも海から見える森には、それら怪物の姿は見えなかった。

足跡や気配をつぶさに観察しながら先頭を行くセグムは、時折全員を制止させた。
近くに付いている足跡を調べては、その足跡が少なくとも数日は経過しているような古いものだと呟いていた。

海岸線はやがて真西へと伸びるようになり、トゥール森林地帯の北端を示していた。森が遠くなる前に、四人は少し早い昼食を摂った。



「これから平原になって、レムリスが見えてくる。そうすれば、街の様子が分かるはずだ。考えたくは無いが、守衛所の状態を見るに、街が酷いことになっている可能性もある。ともすれば交戦中かも知れないし、怪物たちはドゴールへ向かっていて、レムリスへは来ていないかも知れない」

セグムはそれぞれの顔を見渡しながら続けた。

「全員、落ち着いて行動しよう。特にジャシード。いいな。誰か一人の勝手な行動で、全員が危険な目に遭うこともある。分かったら行くぞ。合図があるまで動くなよ」

ジャシードは黙って頷いた。何を言われるまでもなく真剣だった。そして逸る心を抑えるので精一杯だった。

姿勢を低くして、セグムはまるで草原に溶け込むように前進していった。
レンジャーは、こうして自然に溶け込み斥候する事に長けている。必要なら、そこから弓や投げナイフで先手を打つこともできる。
多くのレンジャーが最も得意とするのは、弓での精密射撃だ。とは言えセグムは、剣での戦闘を主軸に置いているため、精密射撃することはできない。

セグムは、少し盛り上がっている丘へと向かった。そこならば、自分の身を隠しながら、全体を眺めることができる。緩やかな坂を登っていき、丘の頂上にほど近いところで停止した。
そっと頂上から頭を上げると、いつも通りのレムリスが見えた。城壁は壊れていないし、怪物が攻めてきているわけでもない。普段通り、衛兵が街の外を見張っている様子だった。

セグムはほっと胸をなで下ろした。状況が見えた今、早めにレムリスへと向かった方がいい。そう判断したセグムは、急いで三人を待たせている海岸線へと向かった。

戻ってきたセグムの報告を聞いて、残っていた三人も、セグムと同じように、あるいはセグムよりも安堵感を覚えた。

「これで安心して街に戻れるね」
「まだ安心しているわけじゃない。まだ、これから何かあるかも知れないからな」
「街に戻ってきてから怪物たちがたくさん来たら、ぼくは家で留守番だね……」
「当たり前だ。スライムに勝ったぐらいで図に乗るな。子供の出る場面じゃない」
セグムは息子を指さしながら強く言った。

三人は、レムリスへと進路を取った。久しぶりに見えてきたレムリスの城壁が懐かしかった。まるで何年も旅してきたような、そんな懐かしい気持ちが、幼い冒険者の心に溢れていた。

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