イレンディア・オデッセイ

サイキハヤト

第10話 熟練の戦士たち

ラジャヌ湖を抜けたジャシード達は、平原を歩いていた。南の方から、少し湿った風が吹いてくるのが感じられる。
イレンディアの南東端に位置するケルウィムは、半島を丸ごと街にした場所だ。それ故、街に近づけば近づくほど、海の臭いが漂ってくる。
海の臭いは、目標値点が近くなっていることを示していた。

「今日はこの辺で休もう」
一行は海のすぐ側まで歩いてきた。日はとっぷりと暮れ、暗闇が辺りを支配しようとしていた。海の向こう側に、うっすらと光る物が見えた。

「何か光ってるよ」
テントの設営を手伝い終えたジャシードは、海の向こうに微かな光があるのを見つけた。
「あの光があるところが、ケルウィムよ。あともう少しね」
ソルンは、食事の支度をしながら、光のある方を向いて言った。
「あと少し……」
ジャシードはぽつりと呟くと、微かにしか見えない光を目をこらして眺めていた。
レムリスを出て四日、片道一週間かかるかも知れない旅は、早くも明日で往路を終えようとしている。だがそれでもまだ半分だ。
ケルウィムで霊薬を受け取ったら、それをマーシャへの元へと運んでいかなければならない。そして忘れてはいけないのは、まだ半分に到達していないと言うことだ。

暗闇が運んでくるものは静寂だけではない。イレンディアの夜は多くの怪物たちが活性化する時間だ。
街道沿いと違って、この辺りは夜になると怪物たちの声が響いてくる。遠吠えの森はもうかなり離れた位置にあるが、ワーウルフが何ともおぞましい遠吠えをしているのが聞こえてくる。

街道でも怪物に襲われることはあったが、こことは比べものにならないほど安全だったと気づかされる。
街道から離れると言うことが一体どういう事なのか、現在耳に入ってくる音だけでも十分理解させてくれる。

おぞましく恐ろしい音に包まれジャシードは眠れないかと思ったが、今日はこれまでよりも疲れていたようで次第に瞼が重くなり、ついぞ眠りに落ちた。



ふと気がつくと、ジャシードはレムリスの外れにある林にいた。木の葉を揺らす風が髪を揺らしていって、おでこがくすぐったくなった気がした。隣にはマーシャが木にもたれ掛かったまま、静かに寝息を立てていた。

(なんだ、夢か……)

ジャシードはそう思って起き上がった。近くの木に小鳥が止まり、ピイピイと囀っている。
マーシャを起こさないように、そっと歩き出すと、すぐ近くにある広場に抜けた。振り返ると、マーシャはまだすやすやと寝ている。
広場には焚き火のあとがあって、昨日の楽しい思い出が燻っているようだった。昨日は楽しかった。そう、楽しかった。

(あれ、何が楽しかったんだっけ?)

ジャシードは思いだそうとしたが、どうしても思い出せなかった。何か楽しいことがあった気がする。だからぼくたちは疲れて眠ってしまったんだ。
そう考えながら、もう一度マーシャの方を振り返ると、マーシャの周囲に醜いオークがたくさん集まってきていた。

(マーシャ! 起きて! オークが!)

ジャシードはマーシャがいるところへ走ったが、辿り着かない。マーシャ、起きて、マーシャ……。



「ジャッシュ、起きて!」
現実と夢の区別がつかなくなっていたジャシードは、ソルンが血相変えて我が子を起こそうとしているのも夢なのかと思った。
しかしソルンがほっぺたを叩いたため、ジャシードは漸く目を覚ました。そして何か恐ろしい出来事を予感して、寝床からがばっと起き上がった。

「ご、ごめん。夢を見てて……」
「いいから早く起きて。今、襲撃されているの! いつでも逃げられるようにしておいて!」
ジャシードの言い訳が殆ど届かない様子でソルンは捲し立て、テントの外へと出て行った。

漸くジャシードの耳に、周囲の音が入ってきた。その音は呻るような声、どこかで聞いた声、震え上がるような声だった。
それは、ワーウルフの声だった。一体ではない、それは複数いる。

ジャシードは短剣を拾い上げると、テントの外側をチラリと覗いてみた。

星の光がワーウルフを闇に浮かび上がらせる。その姿は、ジャシードが見上げるほど大きな怪物だった。
身の丈はオーガと同じぐらいあるが、筋肉が発達していて細い印象すら受ける。

ジャシードは大人たちの姿を探した。
セグムはワーウルフ一体、オーガ一体と睨み合い、オンテミオンは二体を前に長剣を構えている。
ソルンはテントの近くに仁王立ち、ジャシードに近寄らせまいとしていた。

均衡を破ったのはオンテミオンだった。低い姿勢から、地面を強く蹴って一気に距離を詰めた。

ワーウルフはそれに素早く反応して、オンテミオン目掛けて蹴りを放つ。二体目のワーウルフは、オンテミオンを掴もうと手を伸ばした。

オンテミオンは更に地面を横に蹴り、ワーウルフの蹴りを身体を回転させながら躱した。そのまま回転力を使って、自分を掴もうとしている腕の二の腕辺りを切り裂いた。

ジャシードは、まるで踊っているかのようなオンテミオンの動きに、目を奪われた。

腕を斬られて喚いているワーウルフを気にかけることなく、蹴りを放ったワーウルフは、そのまま回し蹴りに入った。
まだ体勢が整っていないオンテミオンに、回し蹴りが襲いかかった。

オンテミオンは、素早く長剣の平らな部分を自分の前へ盾のように構えて、左手を長剣の中程に添え、剣で斜めの坂を作った。

長剣で作った坂にワーウルフの回し蹴りが到達し、オンテミオンは少し押されたものの、ワーウルフの回し蹴りは長剣の坂に沿って上へと逸らされていく。
その途中、オンテミオンは長剣の角度を微妙に変化させた。微妙な角度は、紙で指を切ってしまう時のように、勢いづいたワーウルフの脚を切り裂いた。

ワーウルフたちが立て続けに攻撃されて怯んだのを見て取ったオンテミオンは、足を切られたワーウルフのもう片方の足、内もものあたりを目掛けて切り上げた。
痛みで気が散っていたか、ワーウルフはその攻撃を避けられない。内ももを深く切り込まれ、その場所から血が噴き出し、地面にどうと倒れた。

オンテミオンはその流れで振り返りざまに、接近してきていたもう一体のワーウルフの腹を真横に切り裂こうと剣を振った。
しかしこの攻撃は察知されため、ワーウルフが前進する勢いを殺し、浅い傷に留まった。

オンテミオンの攻撃を避けたワーウルフは、剣の勢いが止まっていないうちに追撃しようと、その発達した長く鋭い爪をオンテミオンに振り下ろした。
剣の勢いを止められないと判断したオンテミオンは、地面を蹴ってワーウルフの懐に飛び込んで行き、爪の攻撃を避けつつ、自分の動きに付いてきた長剣をワーウルフの腹から上へ向けてぐいと差し込み、捻った。

オンテミオンが相手していたワーウルフ達は、剣聖の流れるような攻撃で一瞬にして無力化された。辺りに悲鳴のようなおぞましい鳴き声が響いた。

オンテミオンが攻撃を開始した頃、セグムにワーウルフの爪が迫ってきた。

セグムは後ろへ飛んで爪を逃れた。ちょうど着地する場所へ、今度はオーガの巨大な拳が迫ってきていた。
セグムは避けきれず、剣を盾代わりにして受け止めた……と思ったが、オーガの力は半端ではなかった。そのまま五メートルほど宙を舞い、地面に叩き付けられた。
しかしすぐさま起き上がり、追撃に来たワーウルフの爪をギリギリ躱すと、オーガの方へと突進していった。倒しやすい方から倒して総数を減らす、これは冒険者の鉄則だ。

オーガは再び、巨大な拳を高く上げて振りかぶった。オーガが右の拳を振り下ろそうとしたその時、ソルンの腕からバリバリと音を立てる電撃の弾が発射され、オーガの腕を直撃した。
ソルンの魔法はオーガの腕を痺れさせ、攻撃の手が止まった。オーガはチカラこそ強いが動きが鈍いため、一旦止まってしまうとなかなか動き出せない。
そこへセグムの剣が襲いかかった。セグムが狙ったのは痺れているであろう腕の下部、二の腕の辺りだ。
セグムの剣は、オーガの弛んだ二の腕に、大きな切れ目を入れることができた。
切れ目からは、オーガの血が吹き出てくる。一瞬置いてオーガは痛みに苦しみ出した。オーガは痛覚も一瞬遅れているようだ。

セグムがオーガに向いている間に、セグムの背中を捉えようとワーウルフが接近しようとしていた。
ソルンは腕を高く掲げ、ワーウルフに向かって振り下ろした。すると、上空から稲妻が放たれ、バリバリと向きを変えながら、ワーウルフに直撃した。
稲妻の直撃を受けたワーウルフは、焼け焦げて動きが鈍った。

雷撃を待っていたかのように、セグムは振り返ってひとっ飛び、ワーウルフの腹を目掛けて横一文字に斬り付けた。
迸る鮮血が剣士を染めた。セグムは着地後すぐにワーウルフの左足を何度も斬り付け、ワーウルフはグラリとバランスを崩して倒れた。

ソルンはセグムがワーウルフに取り付いている間に、オーガへ雷撃の魔法を放った。轟音と共にオーガを直撃する雷は連続して二度放たれ、オーガは丸焦げになって倒れた。

セグムとオンテミオンはそれぞれ、倒れた怪物どもに、だめ押しの攻撃で止めを刺した。怪物どもは全て、三人の冒険者によって撃退された。

「ふう……。漸く終わったか。わしの見張りの時には来ないで貰いたいものだ」
オンテミオンは溜息をつき、ワーウルフの牙と爪を短剣で丁寧に切り取った。

「それも素材になるのか?」
セグムはオンテミオンの作業を覗き込んで言った。
「知らん……だが、素材になるかも知れんだろう」
オンテミオンはぶっきらぼうに答えた。
「なるほど、可能性のあるものは全て回収しておいて、後で実験してみると言うことか」
セグムは剣を振るってから鞘に収め、短剣を取り出した。
「おれは毛皮を全部頂いておくよ。生活費ぐらいにはなるだろう」
そう言ってセグムは、ワーウルフの毛皮を手早く引き離した。

「ジャッシュ、もう平気よ。一時はどうなるかと思ったけど」
ソルンがテントの方を振り返ると、ジャシードは英雄を見るような目で大人たちを見ていた。
「すごい、すごいよ!」
ジャシードはつい大声を出してしまったことに気づいて、ハッと両手で口を覆った。
「んん、まあこんなのは朝飯前だがな」
オンテミオンは鼻高々になって言った。

「取り敢えず、テントを畳んで荷物を仕舞って移動しよう。散々騒ぎになってしまったから、ここはもう危険だ。ほら手伝え」
セグムが言いながら、テントの杭を外しに掛かった。

まだ日の出までは時間があるが、セグム達は荷物を纏めて歩き出した。

ジャシードは先輩冒険者達に、どうやったらあんな動きができるのか、怪物の攻撃をどうやって避けながら攻撃するのか……。後ろの敵の攻撃をどうやって察知するか、などなど、歩きながら質問攻めにした。

一行がケルウィムの近くにある森に辿り着いた頃には、空が白んできた頃だった。
「このまま行くか」
セグムは全員が問題無いことを確認すると、森へ足を踏み入れた。

この森は、吹き抜けていく南風が気持ちの良い場所だった。木々は適度に間引きされて明かりが漏れてくるようになっており、鬱蒼として暗い森のイメージはここにはない。

「全然、怪物がいないね」
ジャシードはキョロキョロしながら言った。
「ケルウィムの衛兵達は、街の近くの森にいる怪物を、定期的に駆逐しているのよ」
ソルンが息子の疑問に答えた。

一行は暫く無言で、この森の気持ちの良さを楽しみながら歩いた。少し離れたところからは、波の音が聞こえてきた。
徐々に高度を増している陽の光は、森にいくつもの光柱を作り出している。光柱は徐々に地面を温め、地面は夜の間蓄えていた水分を空気に放出した。
光柱はそうして空気に含まれた湿り気を小さな粒として映し出し、小さな粒は光を受けて、また上の方へとゆらゆら昇っていった。

歩き続けて彼らは、森の奥に丸太で造られた壁を見つけた。丈夫な木々を組み合わせ、高さ十メートルほどの頑丈そうな壁は、高さ違いに三重になっている。それぞれの壁の上には衛兵が直立不動で見張りをしている。

「着いたわ。ここがケルウィムよ」
ソルンは、安堵の溜息に言葉を乗せながら、ここまで頑張った息子の背中にそっと、手を添えた。

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