一度世界は救ったので欲望のままに生きようと思います

福原りん

episode2-2 探求者エヴァ・アンヌンツィアーテ

「ああ、荷物は一先ず其処に。私は茶を入れてくるとしよう」

 王都の端に構えた小さな木造の小屋。それが探求者エヴァ・アンヌンツィアーテの王都ロームでの拠点だ。
 その内装は、家というよりもまるで倉庫のようだと私は思った。置かれている家具は椅子や寝床などの最低限のものだけで、残りの空いた場所には用途不明の物体と大小様々な書物がこれでもかと積み上げられていた。生活感も余りなく、近くの棚に目をやれば所々に埃が積もっているのが確認できる。

「すまないね。一年の殆どを外で過ごしているからか、各都市の拠点として購入した物件は何処も基本的に物置小屋と化していてね。少し居心地が悪いかとは思うが我慢してくれ」

 私を部屋の中に招き入れたアンヌンツィアーテさんは、そう言い残すと茶を沸かす準備をしに隣の部屋へ消えていった。私はその姿が見えなくなったのを確認すると、その場にへたり込んだ。
 ギルド協会での手続きは問題なく行えた……筈だ。実はアンヌンツィアーテさんに手を差し出されたあの瞬間から、この小屋へと来るまでの記憶が殆どない。あの時の脳の機能の殆どは、アンヌンツィアーテさんとの会話の中で失礼な事を言っていなかったかどうか、その記憶の掘り起こし作業に使われていた。正直、此処からギルド協会までの道を引き返せと言われても無理だろう。それほどまでに私は上の空であった。

「さあ、これでも飲んで落ち着き給え」

 ふと声が聞こえ、顔を上げるとそこには私に向かって金属製のカップを差し出すアンヌンツィアーテさんの姿が。
 礼を言ってそれを受け取る。カップの中には薄紅色をした液体が並々と注がれており、甘い花のような香りと共に白い湯気が立ち上っていた。
 彼女に促されるままそれに口を付けると、優しい甘味と温かさが口一杯に広がる。ぼんやりとしていた意識も少しはっきりとしてきた。

「美味しい……ありがとうございますアンヌンツィアーテさん」
「イタロアーナの南方で栽培されている茶なのだが、口にあったようでなによりだ」

 そう言うと、彼女は私の手をとって部屋の中央のテーブルまで案内して椅子に私を座らせ、対面するような形で彼女も腰を下ろした。
 そこまでして漸く私も落ち着きを取り戻したのか、周囲を見渡す余裕もでてきた。先程は用途不明の物体と形容していたそれらも、今見れば、形や彫り込まれた紋様等から、様々な地方特有の民芸品や魔法道具の類だろうと推察できた。いや、用途不明のものには違いないが。それに、あちらにある紙に描かれているのは魔法文字だろう。
 魔法文字というのは、様々な魔法を私たちが普段扱っているものとは異なる特殊な文字といった形にして封印したものを指す。魔法文字は微量の魔素を流し込むことによって発動するため、強力な魔法も一度魔法文字に変換しておけば、後に少ない魔素消費で発動が出来る。この形にしてしまえば普段ならその魔法を扱えないものでも容易に魔法を発動できる為、戦力の増強や非常時の際などに役に立つ。
 とはいえ、危険なものが簡単に発動されてしまっても困るので、発動に必要な魔素量の調整や他の条件の設定なども魔法文字の制作者の手ですることが出来る。きっとこの紙に記された魔法文字にも何かしらの条件が定められているのだろう。でなければ、こんなに雑に放置してあるはずがない。

「さてと、早速で悪いが、契約の話をするとしよう」

 そんな風に部屋のあちこちを観察していた私の意識を、アンヌンツィアーテさんがそう言って自らに向けさせ直すと、次にテーブルの上に一枚の紙を取り出した。その紙面上には、探求者と副手となる人物との間で契約するにあたっての待遇面や規約等のことが事細かに綴られており、縁には金色の細かい魔法文字が刻まれている。
 恐らく、この魔法文字には、契約者が一方的に契約を破棄した場合、何かしらの罰を与える呪いの魔法が籠められているのだろう。国や大きな組織を介する契約ではこういった魔法文字が刻まれた契約書を用いることが多いと聞いていたが、実際に目にしたのは初めてだ。

「まあ、それにも書いてはあるが、一応私の口から説明しておこうか。君の仕事は、私の補佐で文書の作成から家事まで多種多様だ。一応、寝泊りする場所として私の保有する拠点の部屋を提供することになってはいるが、仕事柄どちらかと言えば世界各地方にある宿、もしくは大自然の中での野宿が基本となるだろうな。その際の交通費や宿泊費等は此方が負担するので安心してくれ。給金は最低でもそこに記されているだけは保証する。働き次第では昇給もあるぞ」 

 彼女の話に合わせて、契約書の対応する箇所を目で追っていく。給金の金額が書かれている欄にとんでもない桁数が見えた気がするが、余り其処は視界に入れないようにしておこう。他の話が入ってこなくなってしまう気がする。

「休養日は主に私と同じ日になる。全く無いとは言わないが、保証も出来ないので留意しておいてくれ。それと同様、就業時間も私と同じだ。規則正しい生活は望んでくれるなよ?契約期間は一先ず一年間、つまり来年の弓引ゆみひきの月20の日までだ。その際、次の契約を交わすか否かを再度話し合うことになる」

 そうだ、彼女の言う通り、この探求者と副手の契約は一年単位での契約となる。定められた違約金を支払っての途中解雇などを認める条項も存在するが、基本的には一年間はこの主従の関係が続く。私の副手としての第一の目標は、この一年間でアンヌンツィアーテさんからの信頼を確固たるものにすることだといえるだろう。

「後は……そうだな、この仕事は常に死の危険が付き纏う。少しでも気を抜けば、出血死、溺死、圧死、毒死、病死……行く場所行く場所が死の気配で満ちている。そこで命を落とそうとも私は一切の責任を負えない」

 アンヌンツィアーテさんの声は変わらず落ち着いたものだが、その話になって何というか、圧が増したような気がする。
 どんな仕事かは承知の上で志願したし、その危険性も理解して覚悟した上で私は此処にいる。しかしその声を聞いていると、言いようもない緊張感が私の体を包む。

「正直、かなり割に合わない仕事だよ。確かに他の職と比べれば各方面での待遇は良いし、報酬も良い。けれど、それが危険性と釣り合っているかと問われれば、私はそうは思わない。どこか狂っていないとやれない仕事だよ、これは。それでも、君はこの世界に足を踏み入れるのかい?」

 ジッと、私の瞳を見つめながら言うアンヌンツィアーテさん。しかし、私の心は決まっている。五歳の時に決意し、これまでずっと考えてきたのだ
 。今更、その思いは揺るがない。

「はい、全て覚悟の上です」

 その目を真っすぐ見返して、私は決意を言葉にする。暫く、アンヌンツィアーテさんも目を逸らすことなく私の視線を受け止めていたが、私の思いが伝わったのか、笑みを浮かべて一度席を立ったかと思えば、近くの棚から羽ペンとインクとを取り出して契約書の近くに置いた。

「うん、いい目だ。契約書にサインするならそれをつかってくれ。ああ、けど決意は固まっているとはいえ、契約書は細部までしっかり読んでくれよ。話の中では飛ばした箇所もあるし、後で文句を言われても困るからね」

 最終試験は合格を貰ったと考えて良いだろうか。私は安堵の息を吐いて契約書の確認作業に入る。パッと見た感じ問題ないとは思うが、念のためと目の前の探求者からの印象も考えて二、三回は見直しておくことにする。
 その間、無言でいるのも気まずいので、ちょうど良いとばかりに疑問に思っていたことを尋ねてみることにした。

「アンヌンツィアーテさん、あの、何で私を副手に選んでくれたのですか?」

 確かに人一倍努力はしてきたつもりだが、それでも受験者の中には私よりも成績が良かった者は居たはずだ。人生経験という視点で見ても前世の分と合わせて三十四年。特殊な人生ではあるが、年数だけで見れば私よりも長く生きているであろう者たちも試験会場には何人も見受けられた。
 だからといって、その人たちに劣っているつもりはない。そう自分では思ってはいるが、納得しきっていないのも確かだ。合格する理由は解る、しかし合格を決定づけた理由が解らなかった。
 仮に自分が採用する側だったとして、いくら優秀な人材だったとはいえ数多居る優秀者の中から、十五歳の小娘を雇うだろうか。魔法が存在するということを考慮しても、肉体的にも身体的にも大人と比べ未熟であることは明白だ。
 ならば何故、私の何処に惹かれたのか。その不安要素を払拭するほどの要素はなんだったのか。私はそれが知りたかった。
 そういった思いを込めて彼女に疑問をぶつけた。すると、彼女は可笑しそうに笑ってその理由を説明してくれた。

「そうだな、確かに受験者の中には君よりも優れた者は何人もいた、多少世間に名の通った冒険家や研究者なんかもね。君は寧ろ最終選考にギリギリ残った部類だった」
「であれば、何故」

 その言葉を聞いて余計に疑問が深まった。それならば、本来いの一番に切り捨てられるのは私だろう。

「ふふ、君を採用することにした理由は……志望動機だよ」
「志望……動機?」

 志望動機、志望動機か。確かに試験の最中にそんなことを聞かれた気がしたが、それに何か光るものなどあっただろうか。寧ろ一番印象の悪くなりそうなことを言ってしまっていたような気がするが。

「そう、君はその質問に対して『世界中の美食を探求し、食べ尽くしたいから』なんて答えたんだろう?試験の担当者からそれを聞いた時はつい笑ってしまったよ」

 ああ、そうだ、嘘を吐いてもどうせ後でバレてしまうだろうと思って正直にそう答えたんだっけ。あの時の私は、相手に印象の良い答えをでっち上げるなど悪手でしかないと考えていた。希少だが思考を読む魔法も此の世には存在することも知っていたし、それをこの国が保有していることも知っていた。それを使われて嘘がバレれば評価は急降下、そんな風に考えていた。まあ、それを使われるようなことは結局無かったが。

「他の受験者は皆、身近な場所で私から学びたいだの、この国の為に尽くしたいなどと言う。私たちから、より良く思われようとね。勿論、それが本心の者もいるだろうが、大抵は嘘、少なくとも心からの本心ではないのだろう。まあ、そんなことはどうでもよかった。問題は、そのどれもが実に真面目で平常なものであったことだ」

 私の視線は契約書に向いているので、アンヌンツィアーテさんの顔を窺うことは出来ないが、きっと退屈そうな顔をしているに違いない。その声色を聞いて私はそう思った。しかし、その声はすぐに喜色を帯びることとなる。

「しかし、君は違った。美食を口にしたいから、新たな食材を発見したいから探求者の副手になりたい……ああ、狂っていると思ったね!美味しいものを食いたいだけなら幾らでも他の道があるだろうに」

 そんな言葉と共に、クククという笑い声が聞こえてくる。

「でも、きっとそれでは食い損ねるモノが出てくると考えたのだろう?しかし、だからといってこの仕事を選ぶかね。聞けば君は学校の類にも通っておらず、独学で勉強してきたのだとか。きっと君は、その年にして、娯楽も友人関係も犠牲にして、ただ食欲という欲望のために時間を費やしてきたのだろう?いやはや、実に狂っている。素晴らしい狂気だ」

 余りに可笑しそうに笑うので、私は思わず契約書を読むのを止めて彼女の方を見てしまう。

「先程言っただろう?この仕事はどこか狂っていないと出来ない仕事だ。だから、私は君を選んだという訳さ。こういう人間は何があろうとも折れない強靭な精神力が、心にしっかりした芯が一本ある。他の連中はどうか知らないが、私は探求者として、自らの右腕となる人材を雇うのであればそれを重要視する」
「成る程……アンヌンツィアーテさんが雇い主で幸運でした」
「そうだな。ただ、だからと言って自分を卑下する必要は無い。あくまで私が口を出せるのは最終決定のみだ。そこまで上がってきたのは間違いなく君の努力の賜物だよ」

 ふむ、狂人と評されるのは色々と複雑な気持ちだが、取り敢えず精神面を評価してもらったということにしておこう。まあ、一度死という最大級の恐怖を経験しているのだし、多少のことには耐性があるのかもしれない。
 さて、改めて契約書に目を落とす。思っていたよりも会話が続けられたおかげか、残りもあと少しだ。私は直ぐに最後まで読み終えると、羽ペンをインクに付けて契約書にサインする。すると、サインすることが発動の鍵だったのか魔法文字が紙面上から消え、代わりに滲み出るようにして黒い光が出現し私の体を包み込んだかと思えば、そのまま溶け込むように消えていった。これで、契約成立だ。

「さて、フィア・シラティエ。これで晴れて君は、私の副手となった訳だ」
「はい、アンヌンツィアーテさん」
「おいおい、もう君と私はパートナーなんだよ?そんな他人行儀な呼び方は止めてくれ。私も君の事はフィアと呼ばせてもらうからさ。さあ、エヴァ、エーちゃん、姉さん、お姉様の中から好きなのを選んでくれ」

 私の返事がお気に召さなかったのか、呼び方の変更を求めてくるアンヌンツィアーテさん。確かに他人行儀な呼び方だという指摘はもっともだが、かといって提案された呼び名も今の私にはいささか難易度が高い。今日顔を合わせたばかりの女性をいきなり姉と呼ぶのは恥ずかしいし、かといって友人のように呼ぶのも恐れ多い。

「……では、エヴァさんと」
「うん、まあ、今はそれで良いだろう。いずれはエーちゃんと呼ばせてみせるからな」

 ……それが第一希望だったのか。
 兎に角、まだ不満げではあるもののお許しは頂けたので、これからはエヴァさんと呼ばせて頂くことにしよう。

「それでは、フィア。早速、副手としての最初の仕事だ。実に君にピッタリな仕事だぞ。実は、先日仕事で向かった地域で珍しい肉が手に入ったんだが……」

 最初の仕事、そう前置きをして話し始めるエヴァさん。どうやら、仕事の最中で何か珍しい食材を手に入れたの事。そこまで私に伝えて、何ともわざとらしく此方に視線を向けてくる。きっと、それを聞く今の私の瞳は光り輝いていることだろう。

「世界中の美食を食べ尽くしたいと言っていたんだ。料理は勿論、出来るのだろう?」
「はい!」

 確信を持った声で、エヴァさんが私に尋ねてくる。
 勿論だ。世界中の美食を食すのであれば、私自身が調理できなければ始まらないだろう。私はその問いに対して、力強く頷いた。


 この家に併設されている炊事場で私は今、漆黒に輝く肉塊と相対していた。ナイフは自前のものを持ってきているし、その他の調理道具はエヴァさんに貸してもらえたので、必要になりそうなものは揃っている。共に用意してもらった調味料や他の食材は代表的なものから訳の分からない代物まで過剰と言っていい程の種類がある。調理の為の火は魔法で用意できるし、水も同様だ。
 さて、料理を始めるための準備は完了している。しかし、私はその手を動かすことが出来ずにいた。
 その黒々とした肉が、魔法が掛けられた木箱の中に厳重に収められていたからだ。そして、この木箱に施されている魔法を私は知っている。
 結界魔法。文字通り中に収められたものを外界から遮断する魔法だ。つまり、この結界の中に収まっている肉は何かしら、外に悪影響を及ぼすものだということを意味している。

「エヴァさん……これ、呪いの魔法が掛かってるんですか?」

 いきなり何てものを部下に扱わせようとしているのだ。こんなもの、普通なら即廃棄されるような代物だろう。
 隣に立つエヴァさんに多少の非難の気持ちも込めてそう尋ねると、彼女は何とも面白そうに口を歪めながらこの肉となった生物について解説してくれた。

「呪いが掛かっている、というよりは呪いを自ら掛けていると言った方が正しいな。自らの身体に呪いの魔法を掛け、自分に触れるものや周囲の物に無差別にそれをまき散らす、そういう奴だったよその生物は。立入禁止区域産の食材だ、市場には出回らない希少品だぞ?」

 ああ、やはり彼女が言っていたように、この仕事はどこか狂っていないと出来ない仕事のようだ。これを食べてみたいという気持ちは解るが、幾ら何でも結界を張っているとはいえ、こんな場所に置いておいていいものではない。
 とはいえ、容易に私にこれを見せたことや、今のニヤニヤした表情からして、きっとこれに掛かっている呪いの魔法を解く方法は既に確立させているのだろう。しかし、その上で彼女はそれをせずに私に調理しろといっているのだ。ただの悪戯か、私がこれからこなしていく仕事の危険性を実際に理解させるための試練なのかは判らないが、少々性質が悪いと言わざるを得ない。
 まあ、良い。上等だ、やってやろうではないか。
 このままだと普通に調理は出来ないだろうが、幾つか方法はある。まず、この呪いの魔法について調査し、この呪い用の解呪魔法を創り出すことだ。数日単位の時間が必要だが、こういった一般的でない呪いに対しては確実で安全性がある。次に、私の知っている解呪魔法を片っ端から試していくことだ。立入禁止区域のものだと言っていたので研究は殆どされていないものだろうが、それでも呪いは呪い。効果があるものがあるかもしれない。しかし、この方法は確実性に欠けるうえ、失敗すればただ時間を浪費するだけになってしまう。となれば、前者の方法を選ぶべきだが、食材を知らなかったとはいえ自信満々に調理できると言ってしまったので、ここで数日時間をくれとは言い出しにくい。
 そこで私は、ちょっとしたズルをすることにした。
 肉を収めた木箱の上に手をかざし、瞼を閉じて集中する。

「『Fbnbujbsbi』」

 祈るように、その言葉を呟く。魔法にはその威力を高めるための詠唱と呼ばれる術が存在するが、コレはそれとは全く異なるものだ。
 これは、聖女の力。私が神に賜り、前世で振るっていた力の一欠けら。あらゆるモノを浄化するこの力をまさか食材相手に使うことになるとは思わなかったが、効果は絶大だったようで肉に掛かっていた呪いはおろか、木箱に掛かっていた結界魔法まで消し去ってしまった。これで大丈夫、仮に呪いのほかに毒があったとしてもそれごと消滅させていることだろう。

「これは、驚いた。まさか、一日どころか数秒もかからぬ内に解呪してしまうとは。私としては、コレを次の週までの課題としようかと考えていたのだが……当てが外れたな」

 その光景を見ていたエヴァさんが隣で驚きの声を上げる。
 しまった、素直に時間を貰えるように言っておけば良かった。
 この力は実に便利なものではあるが、ごっそりと体内の魔素を持っていかれるのだ。前世ではえも言えぬ倦怠感に包まれたものだが、この世界ではこの世界用に神が調整してくれているのか、魔法と同じように体内の魔素を消費するようになっていた。魔素は一日に体内で生成される量も体内に蓄積できる量も限界量があり、日に際限なく使えるというものではない。負担、とまでは言わないが、余り使いたいものでもない。

「それに、見たことのない魔法、聞いたことのない詠唱だ。イタロアーナ語でもないようだし……」

 私の手や腕を取りながら、ぶつぶつと呟くエヴァさん。どうやら、この力は彼女の研究者としての顔を出させるには十分だったらしい。それはそうだ、私だって今まで聞いたことのない言葉で見たことのないことを目の前でやって見せられれば気になるに違いない。

「えーと、これは私が開発した魔法と言いますか。詠唱のほうも独自の暗号を使っているので聞き覚えが無くて当然かと……」

 このままでは私の体から離れてくれそうにないので、ここではそのように説明しておくことにしよう。
「神から授かった力で、詠唱も前世で用いられていた言語なので見覚えも聞き覚えもないのは当然です」なんてことを言ってしまえば話が長くなるのは目に見えている。
 そう言うと、渋々ながらも手を離してくれたので、気を取り直して調理を始めることにしよう。

「ふむ……」

 改めて、木箱から調理台の上に出した肉と向き合う。
 黒い、相変わらず第一印象はそれだ。この炭のような黒色は呪いの魔法によってもたらされたものでなかったようだ。
 暫く、調理法を考えたが、初見の肉となればしっかりと火を通す調理法が好ましい。
 ……よし、ここは素直にステーキにしてしまおう。捻りはないが、変な調理をして失敗してしまうよりはマシだ。
 そうと決まれば、私は自宅から持ってきたナイフを取り出して、肉を適当な大きさに切り分けるために刃を入れる。上等なものとは言えないが、丁寧に手入れもしており切れ味は十分だろうと思っていたが、その刃は表面に軽く溝を作ったところで止まってしまった。

「……『数多を断つ力を』」

 仕方がないので、刃の魔法をナイフに掛けて無理矢理切断する。普通は、戦闘の際に剣に使用して切れ味と耐久性を上昇させるための魔法だが、何事も応用が大切だ。とはいえ、切り分けれはしたものの、このままステーキにしたとて噛み切ることができないだろう。早くもメニュー変更だ。
 私は引き続き刃の魔法を維持しながら、肉を細かくなるように刻んでいった。いや、終盤は叩くといった表現が的確だろう。兎に角、ペースト状になるまで無心でナイフを振るった。
 そうして原型のなくなったそれを一度端に避けて、次に香草とナッツ、ニンニクと王都名産のチーズを用意する。それら全てを粉砕の魔法で細かく砕き、鍋に入れてイタロアーナ名産オリーブオイルを少量加えて蓋をし、今度は風の魔法で鍋の中に強風を発生させて混ぜ合わせる。すると、簡単に香草のペーストが完成する。いやはや、魔法というものは実に便利だ。
 今度はその香草ペーストを少量のミルクと共に肉に加えて捏ねていき、十分それらが混ざり合ったのを確認してから金属製の四角い型に詰めていく
 。後はそれを十分に熱した調理窯で焼いていくだけだ。

「うーん……そろそろかな」

 黒すぎて焼き加減が分かりにくいが、香りや焼き時間、表面の感触等で判断して窯から取り出す。僅かに表面から滲み出ている肉汁も真っ黒なので少し不安だが、食べてみるしかないだろう。兎に角、これで完成だ。
 ……最後にもう一度だけ浄化の力を使っておく。念のためね。

「出来ましたよー」

 料理を盛った大皿と取り皿を持って、先程までいた部屋へと移動する。
 すると、テーブル近くの椅子に座っていたエヴァさんが読書を中断して顔を上げ此方を見る。調理の途中で彼女は「楽しみは後に取っておく方なんだ」と言って元居た部屋に戻っていた。

「おお、さて、どんな料理が完成したのやら」

 私が来たことに気付くやいなや、熱心に読んでいたはずの本もそそくさと仕舞って此方に向き直るエヴァさん。何というかその動作が子供っぽくて可愛らしい。

「えー、っと……そういえば、この生物って何て名前なんです?」

 ただ単に出すのも何だったので料理に名前でもつけようかと思ったが、そういえばこの肉となった生物の名前すら知らないことに気が付き、エヴァさんに尋ねる。

「それが、実は新種らしくてね。今、国がせっせと考えているところじゃないかな」

 しかし、私が望んでいた回答は帰ってこなかった。というか、新種の生き物をこんな風に調理して食べても良いのだろうか。まあ発見した本人が許可を出しているのだから良いのだろう。

「それでは、『漆黒のミートローフ』ということで」

 結局、見たままの印象で何の面白みもない名前を付けたそれをテーブルの上に置いた。
 見た目のインパクトは凄い。悪い意味で。何処から見ても真っ黒。まるで炭化したパンのような見た目だ。せめてもの彩りとして添えられた野菜が私の悲しみを物語っている。

「ふふ、面白くていいじゃないか。折角、希少な食材を使ったんだ、これくらい驚きのある見た目じゃあないとね」

 しかしながら、私の感想に対して、エヴァさんはこの料理の見た目を気に入ってくれたようだ。
 二人とも席に着き、食前の神への祈りを捧げる。きっと互いに祈りを捧げている神は違うのだろうが、対象はどうあれ、この祈る気持ちというものが大事なのだ。
 さて、祈りも済んだことだし、恐らく人類で私たちが初めて食すのであろうこの肉料理を味わうことにするとしよう。
 ミートローフを切り分けるためにナイフを入れる。すると、今度は何の抵抗もなく刃は進み簡単に切ることが出来た。良かった、調理法はこれで正解だったらしい。

「おお、中まで真っ黒だ。さて、肝心の味のほうは……」

 エヴァさんも自分の分を切り分けたのを確認すると、二人で同時にそれを口の中へ運んだ。
 美味しい、まず頭に浮かんだのはそれだった。牛や羊のような濃厚な肉の旨味と、魚介類のようなコクのある深い味わいが同時に口の中に広がる。ほんの少しの獣臭さのようなものはあるが、練りこまれた香草ペーストのおかげか殆ど気にならない。寧ろ、それが独特の味わいになっているくらいだ。更に食感が素晴らしい、あの刃の通らなかった硬さは弾力といった形で残っており、噛み砕ける程の柔らかさは有しながらも食べ応えは十分。歯から伝わるプチプチとした食感が何とも楽しいものとなっている。
 兎も角、私の拙い語彙力では表現できぬ程に美味しい。これ程の味を王都の食堂で求めたら幾ら金を積まねばならないことだろうか。
 対面で頬張っているエヴァさんも私と同じ意見のようで、満足気に何度も頷いている。
 結局、殆ど無言のまま食事は進み完食。まだまだ食べたりないくらいだ。

「何とも美味しかった。筆舌に尽くしがたい美味しさとはこういうものを指すのだろうね」

 食後の茶を飲みながら、エヴァさんがそのように評してくれた。全くの同意見だ。

「さて、これが探求者にしか食べられない食材というわけだが……どうだい、やる気は出たかな?」

 出るに決まってる。元々、やる気はこれ以上ない程にあったが、これを食べて更に、更に上昇した。
 勿論、全てがそうではないだろうが、私たちがこれから訪れる場所にはこれのような、いやこれ以上に未知で美味な食材が待っているのだろう。

「はい!やる気満々です!エヴァさんのお手伝いは勿論ですけど、新たな食材の発見や料理にも全力で取り組みます!」

 私の返事に満足したのか、エヴァさんは笑みを深め大きく頷いた。

「それじゃあ、改めてこれからよろしく頼むよ、フィア」
「よろしくお願いします、エヴァさん!」

 いよいよ始まるのだ。この探求者エヴァ・アンヌンツィアーテさんの元で、冒険と危険と発見と美食に満ちた、私の欲望を満たす日々が!

「まずは黒い生物これの調査報告書を国に提出しなければならないから、作成の手伝いをよろしくね」
「あ、はい。分かりました」

 訂正。来月くらいから始まるのだ!











「そういえばエヴァさん、この生物って肉になる前はどんな姿だったんです?」
「ああ、港町の方で食べられているウナギって魚がいるだろう?アレを巨大化させて、鋭い牙と羊の手足を付けた感じだな。呪いの魔法の他にもヌルヌルした粘液を分泌していたぞ」
「ええ……」

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