一度世界は救ったので欲望のままに生きようと思います

福原りん

episode1 物語の始まり

 さて、ふと気が付けば、この新たな世界に転生を果たしてから早くも十五年の月日が流れました。既に前世の人生の四分の三以上の年数をこの世界で過ごしてきたことになります。
 私がこの世界で生まれ落ちたのは、この世界を三分する国家の一つ、イタロアーナ王国。その一番の都市である王都ロームから少し離れた小さな村。
 印象はと問われれば、静かで長閑。諍いのない実に平和な場所であり、私はその村民の女性、ライラ・シラティエの子としてこの世に生を受けました。
 父であるロイス・シラティエはローム、延いてはイタロアーナ国王に兵として仕えており、一年の殆どを王都にて過ごしているので、私と母は二人で暮らしているようなものではありますが、私たち親子の関係は良好であり、一年の終わりである雪星の月には母子で王都に赴き、毎年、三人で机を囲んで次の年の訪れを祝っています。そういえば、去年の終わりに父に買ってもらった王都の砂糖菓子は実に美味なものでありました。ああ、いけない。つい涎が。
 ……話を戻しましょう。両親にフィアと名付けられ、偶然にも今世もフィア・シラティエとして生きていくこととなった私ではありますが、現在までの十五年での私の行動範囲は、その殆どが村内であり、外出などは年の末の食事とたまの買い出しの際に母に連れられて訪れる王都の市場くらいのものでした。
 当然ですが、幼い身で村の外に勝手に出るわけにはいきませんし、王都を訪れた際にも常に両親の目がありましたのでそれほど自由に行動は出来ずにいました。しようと思えば抜け出すことも出来たのでしょうが、欲のままに生きると決意したとはいえ、両親や村の方々に無用な心配を抱かせてまで実行するようなことは、私の心が許しませんでしたので。欲望に正直にというよりは、心に正直にと言ったほうが正しいのかもしれません。
 とはいえ、村での生活は前世での教会での生活と比べると、実にのんびりした非常に良きものでした。何よりも、食事のおかわりを出来るということが素晴らしいと言わざるを得ません。しかしながら、人間というものは一度美味なるものを味わってしまうと、更に上等なものを求めてしまう生き物でありまして。のんびりした良い生活、というのも十数年も繰り返していると流石に慣れてくるというか、飽きてくるというか。この平和を目の前にして実に傲慢な考えだとは思うのですが、長年欲を封じていた反動か、私の心は我儘さんになってしまったようです。
 とはいえ、新たなものを環境を望むのならば、それ相応の努力を成さねばなりません。何もせずに手に入る幸せなど微小なものです。
 兎も角、私はその新たな環境を手にするために、この十年の間、母の仕事の手伝いをする傍らにあることに没頭しておりました。
 そして、その結果が、本日実を結ぶか否かが決まるのです。









「フィア。いよいよ今日ね」

 朝食に出されたパンを食む私に向けて、温めたミルクの注がれたカップに口を付けながら、母であるライラ・シラティエが言う。
 私は口の中に残っているパンを咀嚼し飲み込むと、笑みを浮かべて母の方に顔を向ける。

「はい、お母さん。ですから、私、今日は朝からどうにも落ち着かなくて」

 何せ、今日は私がこの世界で五歳となったときに知った「ある事」のために、十年という歳月をかけて積み上げてきた努力が実を結ぶか、水の泡と化すのかが決定する日なのだ。今朝は、何時もよりも早く目が覚めてしまったし、身体もなんだかふわふわしているような気がする。

「まあまあ、今更結果は変わらないんだから。なあに、貴女のことは天におわす神様よりも詳しいつもりよ。貴女の努力も誰よりも見てきたわ。きっと大丈夫。落ち着いてどんと構えていなさいな」

 手に持ったカップの底で軽く私の頭を小突きながら笑う母。

「ふふ、お母さんがそう言うのならきっと大丈夫なのでしょう」

 そんな母の姿を見て、私も幾何か肩の力が抜けたような気がします。それならばと、改めて私は目の前に並べられた朝食に向き合う。己のエネルギーを充填する作業に取り掛かるとしよう。母の予想通りの結果が出るとするならば、今後はかなり忙しくなるだろうことが予測できるからだ。しっかりとエネルギーを蓄えておかなければ。
 早速、本日に二つ目のパンに手を伸ばそうとしたが、その動作は我が家の玄関扉を叩く乾いた音によって中断させられた。
 食事を一時中断して、母が訪問者の応対をするために扉を開ける。しかし、そこに人はおらず、代わりに一羽の美しい小鳥が空中に佇んでいた。その鳥は扉が開けられたのを認識すると、勢いよく家の中に飛び込んできた。しかもよく見るとただの鳥ではなく、その体は水によって形作られているようで、背景が透けて見え、窓から差し込む陽の光を反射してキラキラと輝いている。

「これは……魔造生物ね」

 天井付近を輪を描くように飛びまわる鳥を眺めながら、母がポツリと呟く。
 魔造生物。それは、この世界に存在する技術「魔法」によって創られた、主人に忠実な人造の生命体。作成者の技量によって多少の差異はあるが、基本的に創られた際に籠められた主人の命令に従って行動するという代物だ。つまり、この家に訪れたこの鳥も、この魔法生物を創った何者かの命に従って此処にやってきたということだ。
 さて、この世界には魔法という何とも便利なものが存在する。
 簡単に説明すると、心臓の近くにある「魔臓」という臓器で生成される「魔素」と呼称される物質を変質させることにより様々な現象を発現させる技術……といったところか。この魔法というものは、病を患っているだとか魔臓を欠損しているという者を除くと、程度の差はあれど誰しもが扱えるものであり、現に母も私も日常生活で当たり前のように使用している。火を起こし、傷を癒すなど、その効果は多岐にわたり、歴史書の類を捲れば至る所で目にすることができる程度には、この世界での人類の進化と発展に貢献している実に素晴らしいものである。
 前世でも似たようなモノは存在していたが、それは人類の中でも才のある者にしか扱うことが出来ず、この世界のように、誰もが扱えて生活に深く根差しているものではなかった。私もこの世界に生まれてから、言語と文字の次に母から学んだのが魔法だ。

「これは、もしかして」

 その私の声に反応したかのように、水の鳥はその高度を徐々に下げて私の眼前まで迫ってきたかと思えば、青い光と共にその体を破裂させた。驚いたのもつかの間、四方に飛び散った水が今度は文字を形作って空中に文章を綴る。
 ああ、やはり私の想像した通りのものだ。自分の身体がぶるりと震える。

「あら、何ともお洒落なこと」

 ふわふわと浮かぶ水文字を突きながら、母が感嘆の言葉を述べる。確かに綺麗で見事なものだとは思うが、私はそれに見惚れていられるような精神状態ではなかった。何故なら、これこそが私の努力の成果が記されたものなのだから。激しく鼓動を刻む心臓を落ち着かせながら、私は恐る恐るその文章を読み上げていく。
「フィア・シラティエ殿。貴殿は、聖暦549年花文はなふみの月16の日に実施された探求者エヴァ・アンヌンツィアーテの副手選抜試験の結果、合格となりましたのでお知らせします。ついては、聖歴549年弓引ゆみひきの月20の日までに──」
 そこまで読んで、私は思わず母に抱き着いた。

「お母さん!」
「言ったでしょ?貴女なら大丈夫だって」

 母は驚きつつも私の体を受け止め、優しく頭を撫でながら得意げに言った。
 ああ、嬉しい!この合格通知こそが、私がこの十年間で何よりも求めていたものだった。
 探求者の副手として働くことを認める。簡潔に言えば、それがこの水文字で綴られた内容だ。
 探求者とは、国から特別に認可された冒険家兼研究者のことを指す。世界各地を巡り、未開の地の発見、新種の発見、新たな魔法や技術の研究等、様々な分野に渡る探索と研究を行う職であり、一介の冒険家や研究者では決して立ち入ることのできない地域や、閲覧禁止の書物であっても申請すれば許可が下りる。他にも、許可証無しでの他国への入国をはじめとして、様々な方面での優遇措置を受けることができる。
 さて、その探求者であるが、幅広い仕事の補佐や雑用をこなす存在、副手を雇う場合が多い。副手は国と探求者本人が合同で実施する選抜試験によって選ばれるのだが、その副手の座までの道のりは実に、実に厳しいものとなっている。理由としては、まず探求者自体の人数が非常に少ない点が挙げられるだろう。各方面に多大な影響力を持つ探求者は当然ながら、その認可を得ることに対して非常に厳しい条件が設定されている。知識や戦闘技量は勿論のこと、人格や有事の際の判断能力といったありとあらゆる要素を加味して判断される。毎回、国中の所謂天才と呼ばれる者共が集うその認可試験だが、合格率は一割にすら届かない。天才の中の天才、神に愛された存在にしか許されない地位。それが探求者と呼ばれる者たちなのだ。するとなれば当然、その傍に仕える副手の試験も異常な倍率となる。何せ、最も近い場所で探求者から直に学ぶことができるのだ。いずれ探求者を目指す者たちがその座を奪い合うことは必然のことであった。
 だが、この私、フィア・シラティエは他の者たちとは違う理由で今回の副手選抜試験に臨んでいた。
 その理由とは、「探求者の副手となれば、比較的安易に世界各国を巡ることが出来、様々な地域で『美味しい料理や食材を食べ回ったり発見する』ことができるだろう」という他の受験者が聞けば笑って一蹴してしまわれそうな、実に俗っぽいものだ。
 しかし、その「此の世の美味しい料理を喰らいつくしたい」という欲望だけで、私はこの十年間、学びに学んだ。王都にあるような学校に通わせてもらえるほどのお金は我が家にはなかったので、父の知り合いの学者やなんやらを総当たりして知識を得ることにした。母からは何も探求者の副手にならないでも各地域の食事は食せるだろうと言われたが、探求者とただの冒険家では行ける場所に天と地ほどの差がある。きっと、食べることのできない料理も多数出てくることだろう。それでは私はきっと後悔する。そう伝えたところ、母は動機に呆れながらも笑って応援してくれた。
 今世の私の目標は「欲望のままに生きること」。そして、私の中の一番大きな欲望とは何かと考えてみたところ、まず浮かんだのは食欲だった。思い返してみれば、転生する前も後も、常に食べ物のことばかり考えていた気がする。それに思い至ったのがこの世界に生まれて一年程経った頃、そして色々と最大限食欲を満たせそうな道を探していて探求者、ひいては副手選抜試験という存在を知ったのが五歳のこと。非常に険しい道のりではあったが、やりたいことはとことん追求するをテーマに掲げて私は死に物狂いで自らを磨いてきた。
 そして、その欲望に満ちた私は、他の並み居る天才たちを抑え副手の座を掴み取ったのである。本音としては副手ではなく探求者になることができれば一番良かったのだが、探求者認可試験に臨むにあたってどうしても満たせそうになかった条件が幾つかあったので泣く泣く諦めた。

「ありがとう、お母さん。お母さんが応援してくれたから、私」

 ぎゅうっと母の身体を抱きしめて感謝の言葉を伝える。普通なら、こんな私の夢なんて諦めるように言うのだろう。こんなただの村娘が合格するはずがないだろうと。早く現実を見ろと。しかし、母は応援してくれた。それどころか少ないお金をかき集めて私に学術書の類を買い与えてくれたし、家の仕事の手伝いも出来るだけ私の勉強する時間が確保できるように計らってくれた。
 何が何でもやるとは決めていたが、両親の協力が無ければきっと実現はしなかったのだろう。

「お礼なんて必要ないのよ。子供の夢を応援するのは親として当然の事だから」

 母も私を抱きしめ返してくれる。私は恵まれた家庭に生まれたことを神に感謝しながら、読み途中だった合格通知の続きに視線を戻した。
 続きには、期日までに一度、王都ロームに訪れて手続きを済ませた後、私の雇い主となるエヴァ・アンヌンツィアーテさんの元へ向かい、そのまま契約を交わすようにという指示が記してあった。読み終わると、合格通知は掌大の青い結晶となって私の手の中に納まった。結晶には期日と手続きを行う王都の施設の場所が赤い文字で刻まれていた。
 兎も角、これで私は私の夢への道をまた一歩踏み出すことが出来たという訳だ。これから先、私はこの十五年間など比べようもないような、もっと沢山の不思議と多くの困難を経験することになると確信できる。もしも、私の第二の人生を物語として執筆するのであれば、その第一章はきっと、この瞬間から始まることになるのだろう。
 さあ、聖都へ向かう荷物の準備も今は置いておいて、今は冷めてしまう前に朝食を食べてしまおう。来月には、この村を発ち王都へ向かう。その後はそのままエヴァさんの元で暮らすことになる。そうなれば、この母の手料理も暫くは口に出来ないだろう。いまのうちにめいっぱい味わっておかなければ。
 そして私は、この世界で何度目かも覚えていない「おかわり」をするのだった。

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