貞操観念逆転世界におけるニートの日常

猫丸88

第17話 やはり誰得だったのかという




 大鳥奏視点


『クロロンさん? 敵来てますよ?』

 前衛の壁役をしていた【クロロン】さんが敵を素通りさせているのを見てチャットで言葉をかける。
 すぐに謝罪がやってくる。
 PTは持ち直したけど、それでも【クロロン】さんのミスの影響は大きかった。
 ポーションを消費しながら戦況を立て直す。
 最近こんな感じのことばかりだった。
 レベル上げ中に突然止まったり。
 チャットが返ってこなかったり。
 装備の耐性違ってたり。
 HPのポーションとMPのポーション間違えてたり。
 【クロロン】さんはお世辞にもプレイヤースキルが高いとは言えない人だ。
 なので数回くらいならあり得るのかなとも思ってたんだけど……
 さすがにそれ以上になれば何かあったのかと心配にもなる。 
 しばらく続けていたけどやはりミスが目立った。

『ごめんなさい、今日は落ちますね』

 そう言って【クロロン】さんは今日もログアウト。
 心なしかチャットにも元気がない気がした。

『おつぅ!』

『ノシ』

 【クロロン】さんがログアウトしてフレンド一覧の名前の中から彼女の色が消えて行く。
 その時を見計らってギルドの皆に聞いてみた。

『最近クロロンさんの様子がおかしい気がするんですが』

『あー』

『あー……』

『ああ……』

 同じような言葉がギルチャ欄に並んだ。
 やはり何かあったのか。
 あまり踏み込むべきではないかもしれないけど……さすがにこれは心配にもなる。
 お節介だとは思ったけど聞いてみた。

『もしかしてリアルで何かありました?』

『まあ……リアルにも影響は出てますけど』

『あんまり話しかけないであげたほうが良い感じですかね?』

『それはそれで落ち込みそうなのでいつも通り接してやってください』

『ふむ?』

 よく分からなかった。
 僕が心配するようなことでもないのだろうか?

『ひょっとしてこの前のチャットミスまだ気にしてます?』

 過ぎたことだから、気にし過ぎないでほしいけど……

『いえ、それに関しては大丈夫です』

 それはどうやら考えすぎだったようだ。
 僕にはどうすることもできないことなのかな。
 だけど、それと心配しないってのは別問題だ。

『カナデさん』

『ん?』

 【りんりん】さんからだった。
 僕はすぐにチャットを打ち返した。

『クロロンはちょっと色々あってですね』

『fm……』

『よければ元気付けてあげてもらえませんか?』

『勿論構いませんよ』

 僕は迷うことはないと即座に答えた。

『ありがとうございます。明日は私たちはインしないのでその時にでも』

『分かりました』

 どうやら明日は僕と【クロロン】さんの二人きりになるらしい。
 ほかの【グリードメイデン】のメンバーもそんなことを言ってくる。
 皆も何か思うところがあるようだった。
 僕は【クロロン】さんのことを任された。
 皆がログアウトしていき僕と【りんりん】さんが残った。
 そうして【りんりん】さんが最後に聞いてくる。

『あの、カナデさん』

『はい?』

『もしクロロンが本気で悩んでたらどうしますか?』

『僕にできることならなんでもしますよ』

 咄嗟に答えていた。
 ……ちょっと格好つけすぎただろうか。
 顔も知らない相手にこんなこと言われても信用できないかもしれないけど。
 間違いなく本心ではあった。

『ありがとうございます。カナデさんで良かったです』

『? 何がですか?』

『なんでもないです( ̄∀ ̄〃)』

 よく分からないけど……今の答えで良かったのだろうか。
 それから皆と同じように【りんりん】さんもいなくなる。

『お疲れさまー!ノシ』

 ちょっと遅れたけど聞こえただろうか?
 ログアウトする【りんりん】さんを見送り、フレンド一覧を開く。
 いつの間にか僕一人だけだった。
 さっきまで賑わっていたチャット欄はもう静まり返っている。
 それを見て胸の奥に穴が開いたような感覚を覚えた。

「……寝ようかな」

 なぜかソロでゲームをする気分にはなれなかった。
 たぶんフレンドさんが困っているからなのだろう。
 僕も少し気持ちが落ち込んでいるのかもしれない。
 【クロロン】さんが悩んでるなら助けてあげたい。
 話くらいは聞いてあげられるだろう。

「…………」

 なかなか寝付けなくて寝返りをした。
 ヒキニートなんてしてるとたまにこんな気持ちになる。
 無性に誰かと会いたくなる。
 いつものことだ。
 人と会わないヒキニート特有の発作みたいなものだ。
 そのうち治まるだろうと僕は布団を被り直した。
 だけど、本当にそれだけなのだろうかと……そんな疑問が浮かんだ。

 僕はなんで【クロロン】さんに対して何も言わなかったんだろう。
 元々怒ってなかったからとか。
 いつも仲良くしてもらってるからとか。
 まだギルドの皆と遊びたいことが沢山あったからだとか。
 理由はいっぱいある。
 そのどれもが正解に思えた。
 でも、一番は違う気がした。

 僕は元々ソロプレイヤーだった。
 そっちの方が気楽だからって自分に言い聞かせた。
 引き籠ったこともそうだ。
 自分勝手な理屈で独りを選んだ。

 けど、たまにだけど考えてしまうことがある。
 もしかしたら、僕がもう少しだけ頑張っていたら……あの幼馴染で友達だった彼女の隣に僕はまだいることができたのだろうか。
 あの時、今にも泣き出しそうだった彼女に冗談交じりに笑いかけていたら――
 前の世界でまだくだらないことを言い合えていたのだろうか?
 これは思春期を拗らせたヒキニートの独り善がりの感傷で、また違った結末もあったんじゃないかって……
 自分の中にそんな後悔だけが残った。
 そのたびに誰が得をするのかも分からない嘘で、誰も聞いていない独り言を口にした。

 仲の良いギルドのメンバーとPTを組んでる人が羨ましかった。
 フレンド同士で楽しそうにチャットをしている人を気付けば目で追っていた。
 2年前この世界にやってきた時からそう決めていたのに。
 望んで孤独になった癖に。
 このまま僕はずっと一人なんじゃないかと……そんな不安に駆られた。

『あの、もしよかったら私と――』

 いつか【クロロン】さんが言ってくれたチャット欄の言葉が脳裏を過ぎった。
 怖かったんだ。
 孤独に死んでいくその瞬間を想像して恐ろしくなった。
 だから僕にきっかけをくれたあの時の一言が。
 僕は――……

「………………」

 いつの間にか眠っていた意識がゆっくりと覚醒した。
 随分と懐かしい夢を見ていた気がする。
 まだ夜明け前なのか、薄暗く白い天井が視界に広がる。
 僕は枕の上で顔を動かして視線を横に向けた。
 何も映さない液晶テレビとデスクトップパソコン。
 飲みかけのお茶が入ったペットボトル。
 積み重なった漫画本。
 充電中のスマホが小さく点滅していた。 
 誰もいない部屋。
 自分だけしかいない世界。

 だけど。

 不意にギルドの皆が浮かんだ。
 やってくる何度も繰り返したお決まりの定型文。
 無性に皆とチャットしたくなった。
 また【クロロン】さんの声が聞きたくなった。 

 あの変なギルド名は誰が考えたんだろう。
 今度誰かにこっそり聞いてみようかな……

 【ラブ】さんは言葉遣いは荒いけど凄く乙女なところあるよね。怒られそうだから言わないけどさ。
 ギルドに入ったばかりの時に気に掛けてくれたことが嬉しかったのを覚えてる。

 【レン】さんはなんで僕を様付けで呼ぶんだろう。
 皆は草生やして面白がってたけどあの時は本当にびっくりした。
 もっと気楽に接してほしい気もするけど、慣れちゃったからそうなった時は少し物足りなく感じるかも……僕って結構面倒な奴だよね。

 【ゆーら】さんは絶対天然だと思うんだ。
 黄金蛙はカエルだよ……初めて遊んだ時にタヌキって言ってけど、どうやって間違えたんだろう。
 本当に面白い人だよね。
 学校でもそんなキャラなのかな?

 前に皆が料理の話をしてるのを聞いて自分でもちょっとだけやってみたんだ。
 意外とハンバーグが上手く作れなくて……よかったら今度教えてほしいな。

 エロいことって何を言わせようとしてたんだろう?
 実は結構気になってたんだ。
 たぶんだけど【りんりん】さんが言い出しっぺだと思うんだ。
 当たってるかな?

 そうそう。
 そういえばこの前……

 ……まだいっぱいある。
 まだまだ皆と話したいことが沢山あるんだ。
 今度は皆もボイチャしようよ。
 皆の声も聞かせてほしいんだ。
 また、皆で――

「なんだよ……」

 皆の顔文字交じりの言葉を思い浮かべた時、本当に今更過ぎることを自覚した。
 自分を偽った言い訳でムリヤリ誤魔化していた感情に気付いてしまった。
 いつも心の中にあった感情を見ないように、必死に顔を背けて気付かないふりをしていたのに。
 皆といることが楽しかったのも。
 チャットでのミスのことも。
 何よりも僕が彼女達との繋がりが切れることを恐れたのは……

「やっぱり寂しいんじゃないか」





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