貞操観念逆転世界におけるニートの日常

猫丸88

第16話 スペース1文字





 大鳥奏視点


 人と人の繋がりは見えない。
 それはたった一言で崩れるほど脆い関係性。
 こちらが気にしないことでも向こうにとってそうじゃないことっていうのは結構あったりする。
 そして、人間関係っていうのはそんな些細なことで修復できなくなることが多々ある。
 僕自身もそうなった人を何人か見たことがあった。

『りんりん! 変なこと言い過ぎて私おかしい人になってるんだけど!? 絶対変な奴って思われてるよこれ! エロいこと言ってもらうの無理そう!』

 まずこの時点で僕は色々と察した。
 最近の皆の言動や行動とかを思い出しながら、ああ、そういうことかって思った。
 断片的にだけど点と点が繋がった気がした。
 次に静まり返ったギルドチャット欄を見てこれが予期せぬチャットミスの事故であることも理解した。
 貞操観念の逆転した世界で今の現状が何を意味するのかも。
 色々と繋がったからこそ手が止まった。
 それはたぶん向こうにとっても同じなのだろうけど……

(……これは、ちょっと困った)

 前の世界の記憶の面影が一瞬だけ重なった。
 この世界へ来る数日前の出来事。
 仲が良かった幼馴染のリアフレと一緒にやっていたネットゲーム。
 誘ってくれたのは向こうからだった……嬉しかったし楽しかった。
 だけどある日、チャット欄から流れてきたチャットミス。

『カナってほんとウザいよね』

 そんなつもりじゃなかったのは分かっていた。
 ちょっとした愚痴みたいなものだったのだろう。
 だけど言ってしまったチャット欄の言葉を取り消す機能なんてものはそのネットゲームには存在しなかった。
 スペース1文字だけの入力を連続で繰り返して必死にチャットの言葉を流そうとする友人。
 見ないふりをした方が良かったんだと思う。
 だけど……それでギクシャクすることになった人間関係。
 少しだけぎこちなくなったギルドチャット。
 ネトゲにインしたらギルドを除名させられていた。
 フレンドも何人かいなくなっていた。
 何があったのかは分からないけど、僕との関わりを断つことを選んだ人がいるのは紛れもない現実のようだった。
 僕は自分があまりそういうことを気にしない人間だと思っていたけど……ショックだった。
 そんなことを考えながらだから事故に遭った。
 突っ込んでくる乗用車に気付かなかった。
 だけどそれ以上に、それがどうでもいいと思えるほどに……そんな曖昧な関係だったことに苛立った。
 友達だと思っていたのに。
 いや、友達ではあったんだと思う。でもだからこそ、友達だったからこそ許せなかった。
 たったそれだけの関係だったのだと言われた気がしたから。

 だから思ったんだ。
 フレンドだろうと友達だろうと変わらない。
 そんな括りに意味なんてない。
 同じだ。
 どちらも簡単に壊れる。
 その場で草でも生やして謝ってくれればよかった。
 次に会った時に「ごめんごめん」って言ってくれたらそれで良かったんだ。
 帰り道でジュースの一つでも奢ってくれたら僕は何も気にしなかったのに。
 その程度で壊れるなら、と。
 そう思ってしまった時。


 人と関わるのが馬鹿らしくなった。 


 だけど、それでも。
 結局元には戻らなかったけど、あの時の空白の言葉は……
 チャットを流そうと必死にスペース1文字だけを入力してくれたのは……きっとなかったことにしたかったからなのだと信じたかった。
 スペース1文字分くらいには、僕たちの友情は本物だったのだと信じたかったんだ。
 【クロロン】さんの発言を最後に動かなくなったチャット欄。
 彼女はどうなんだろう。
 僕は【クロロン】さんと仲良くできていたのかな。
 あの時みたいにスペースは打たれないけど、今にも壊れそうになってるけど……ちゃんと僕たちは友達だったのかな?

(本当に……困った)

 ただの冗談……って訳にもいかないんだろうな。
 例えるなら元の世界での女子へのセクハラに近いはずだ。
 だけどそれは向こうにとっての話だ。
 この世界の人間じゃない僕にしてみたらどうということでもない。
 色んな事を話し合った。
 馬鹿みたいな事も、楽しい事も、嬉しい事も。
 時には真面目な相談だってした。誰かが落ち込んだ時はそれを他の皆で慰めた。
 友達みたいだった。
 毎日同じ時間を重ねたんだ。
 楽しかったんだ、本当に。
 なのに……なんでこの程度で揺らぐんだよ……

「クロロンさん」

 名前を呼んだ。
 慌てているのか泣きそうな声で拙い言葉が返ってくる。
 前と同じだ。
 きっと僕が何もしなければこの関係には亀裂が入る。
 そこの亀裂から歪み始めて、しばらくすれば消えてなくなるんだろう。
 たったそれだけの関係なのだ。
 現実でもネットゲームでも。
 人の関係なんて所詮その程度のものなんだ。
 もう世界の何処にも居ない友達を思い浮かべながら……僕はそんなことを思った。





 黒崎加恋視点


 ぴろりん!

 ぴろりん!

 ぴろりん!

 ひっきりなしに鳴り響く通知音。
 だけど、私は動けなかった。
 感情がごちゃごちゃする。
 現実味がなさすぎて頭の中が真っ白になった。

『クロロンさん』

 通話途中で放置していたスケイプからカナデさんの声が聞こえてきた。
 いつもは優しい声。
 それが少しだけ硬く聞こえた。

「あ、あのっ」

 感情が言葉にならない。
 それでも何か言おうと無理矢理喉を震わせた。

「違うんですっ! いや、違くはないんですけど……その、友達が、ですね……いつも変なこと言うんですよ! そんな感じで……」

 何を言っているんだ私は。
 上手くまとまらない。
 慌てて言おうとするけど墓穴を掘ってる感じがした。

「それで、あの……上手く言えないんですけど……え、っと……ゆっ、許してもらえたらなって」

 ああ、駄目だ。
 やっぱり言葉にならない。
 なんだか情けなくて涙が出てきた。

「ご、ごめんなさい……っ」

 涙声でそれでもなんとか謝れた。
 言い訳のような謝罪。
 皆には悪いことをした。
 もっとしっかり確認すればよかった。
 いや、そうじゃない。
 そもそもこんなことを考えなければ……もう遅いけど。 
 遅すぎるけど……

『クロロンさん、ギルチャ見てください』

 恐る恐る顔を上げる。
 モニターを見た。
 そこにカナデさんはいないけど。
 困った笑い顔を浮かべる優しそうな男の人が見えた気がした。




『やばい、超あるあるですよそのミスwww』




 その言葉は――
 ギルチャから流れてきたカナデさんの言葉は……私たちを嫌悪するものではなかった。
 ただ優しいだけの、私のミスをからかうだけの一言。
 いつものやり取りのような、いつも通りの言葉。
 だからこそ一瞬何を言われたのか分からなかった。

『というかクロロンさん意外にムッツリだった!?(ノ∀≦*)ノぷぷ~っ!』

 私をからかい、大袈裟に草を生やしてログを流してくれた。
 チャットが流れて消えていく。

 静まり返ったギルドチャットの中で――よくある事だと、彼は笑った。

 何も変わらないカナデさん。
 茶化すようなそのチャットを見て理解した。
 全部分かったんだ。
 私が馬鹿だったことも。
 カナデさんの優しさは本物だったことも。
 確かめる必要なんてないくらい、カナデさんはいつものカナデさんだった。
 カナデさんが男の人だからとか、私たちが女だからだとか……何も関係なかったんだ。
 それに対して色んな感情がごちゃごちゃして……嬉しくなった。
 嬉し過ぎてまた涙が出てきた。

『ムッツリスケベなクロロンさん……いや、これからはエロロンさんとでも呼びましょうか(。-`ω´-)』

 チャットは続く。
 冗談交じりの言葉がログを埋めていく。
 カナデさんの『何か問題でもあったか?』と言うようなその優し過ぎる言葉が……時を止めていたギルドのチャット欄を再び動かした。

『エロロン!』

『似合い過ぎてるw』

『どうしよう、違和感がない(;゚Д゚)』

 ギルドチャットの賑わいはいつもの日常のようだった。
 何事もなかったように流れていくチャット欄。
 下卑た欲望に利用されていたこと。
 女にこんなことされて怒っても良いはずなのに。
 彼は全部承知の上で許してくれたのだと分かった。
 今までにない感情が沸き上がる。
 それは今までも感じていたもののはずだった。
 男の人というだけで盲目的に抱いていた恋愛感情。
 だけど、それとはハッキリ違うと分かった。
 カナデさんがカナデさんだからこそ感じる気持ち。
 私の心の奥深くがそれを理解する。

「……カナデさん」

 名前を呼んだ。
 切なくて苦しくなった。
 堪えきれない感情がせきを切ったように溢れ出てくる。

『はいはい、なんでしょう?』

 穏やかな声。
 それに答えるように。
 カナデさんに少しでも今の感情を知ってほしくて……私は一言だけ伝えた。

「……ありがとうございます」

『いえいえ』

 滲む視界の中、私はLEINを開いた。
 通知はもう鳴らない。
 そこに一言打ち込んだ。

『やばい』

 既読が付く。
 そこへ続けて打ち込む。
 ネットゲームでよかった。

『カナデさん好き過ぎて辛い』

 とてもじゃないけど……今の顔は見せられないだろうから。





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