この声が届くまで、いつまでも叫び続けたい

@tsushi

35.ありがとう、そしてさようなら

講義終了のチャイムと同時に、俺は教壇に向かった。
あの論文と手紙がちゃんと彼女の手に渡ったか、先生に確認を取るためだ。


総ちゃんに「ちょっと待ってて」と言い、人の波にその身を委ねる。
今日もいつも通りコメントを提出する人がいるため、なかなか先生のところまで辿り着けない。
逸る気持ちを抑え、顔のない生徒達を掻き分ける。
ようやく坂本講師が、俺の存在に気付けるぐらいの距離になった。




「あ…」




ふと視線をずらすと、そこには矢田さんがいた。


彼女も俺の姿に気付く。
すると不思議なことに、あっという間に人の波が引いていく気がした。


一瞬の沈黙さえも、二人の間では既に当たり前の空間になっていた。
少し驚いたが、すぐに平静を装って挨拶を交わす。




「…お久しぶりです。体調の方は、大丈夫なんですか?」


「はい、おかげさまで。先週は申し訳ありません、約束を破ってしまって…」




こころなしか、元気がない気がする。
顔色も悪い。
まだ体調が万全ではないのだろうか。




「いえ、気にしないでください。えっと、約束のものはもう手に渡りましたかね?先生に頼んでおいたんですけど…」


「え?いや、まだ…」




なんのことだかわからないという様子で、彼女は少し戸惑いを見せた。
しかしそこですかさず坂本講師が間に入って説明を加える。




「ごめんなさいね、雨宮君。まだ矢田さんには渡してないの。せっかくだから、自分の手で渡してみたらどうかしら?」




そう言われたら、従わないわけにはいかない。
実を言えば俺も、できれば自分の手で渡したかった。
その役を誰にも奪われたくはなかった。




「あ、じゃあ…」




少しはにかみながら、二冊の論文と手紙を彼女に渡す。


たいしたことじゃない。
ただ目の前にいる人に、自分の書いた文章を読んでもらうだけだ。
ただそれだけのことだ。


ただ、それだけのこと。






手は震え、汗は滲んだ。


だけど決して悟られてはならない。
なんでもないことのように、あくまで自然を装わなければならない。
視線は彼女の目を見ているようで、その実は空を泳いでいた。




「ありがとうございます。それじゃあ、お借りしますね」




そう言うと、彼女はそそくさと去っていってしまった。
おもいのほかアッサリとした彼女の反応に、俺は肩透かしをくらってしまう。




…何やっているんだか。




これってもしかして、空回りってやつ?
少々気分が萎えつつも、俺は毅然とした態度で先生に挨拶をする。
気が付けばもう周りには人がほとんどいない。
ただ、少し離れたところで総ちゃんがジッとこっちを見ていた。












本当は、気付いているんだろう?










二度目の彼女との出会いを思い返す。
言葉はほとんど交わすことなく、本当に目的を果たすだけで終わってしまった気がする。
彼女に迷惑はかけたくない。
だけど、話したいことはたくさんあった。


あの日、俺と話したことで彼女は何か変われたのだろうか。
彼女の傷を少しでも癒すことができたのだろうか。
後悔はしていないか。
立ち向かえているか。




そして何より、俺の方が彼女にお礼を言いたかった。






















本当は、気付いているんだろう?






















あの手紙を読んだ彼女は、どう思うのだろう。
それでもまだまだ足りない気がする。
俺はもっとあの子の支えになってやれる。
何年かかってでも、彼女の傷は必ず俺が治してやる。


それは俺にしかできない。
彼女の傷をわかってやれるのは、俺しかいないんだ。










































そう、思いたかっただけなんだ。






























本当は、気付いているんだろう?




























四度目は、ないってことに。


















胸を手で押さえ、痛みがないか確認する。
「雪か…」
二度目の彼女との出会いの次の週、俺達は会うことはなかった。

「この声が届くまで、いつまでも叫び続けたい」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「現代ドラマ」の人気作品

コメント

コメントを書く