この声が届くまで、いつまでも叫び続けたい

@tsushi

28.言葉の力

「…あの、本当に、ご迷惑じゃなかったですか?」


「え?そんな、迷惑だなんて!むしろ嬉しいぐらいなんです」


「嬉しい?」


「えぇ。その、なんて言うか…こんな形で自分が必要とされると思わなかったから」


「それもそうですよね」




彼女はクスッと笑った。
だけどその笑顔の裏に残る影を、俺は見逃さなかった。




「あの…無理にじゃなくていいんですけど」


「はい?」


「よかったら、携帯の番号とアドレス、交換しませんか?」
え?


「え…でも」


「俺でよかったら、矢田さんの傷が癒えるまで励ましてあげたいんです」


何を口走っているんだ俺は?


「お気持ちは嬉しいんですけど…悪いですよそれは」


「悪いとか、そういう風に思わないでください。本当に俺は、矢田さんの力になりたいんです」


やめろ、彼女が困っているじゃないか。


「でも…」


「お願いします」




これじゃあまるでナンパしているように思われても仕方ない。
そんなつもりはない。
そんなつもりはないんだ。




「…でも、やっぱり、そこまでご迷惑おかけするわけには」




「遠慮なんてしないでくださいよ!」












その瞬間、凍てつく波動が広がった。














静、寂。
永遠にも等しい沈黙。
一瞬にして凍りついた空気は、その雪解けの時を待っていた。




馬鹿。
俺の馬鹿。




今、何を言った?
なんでそんなことにこだわっているんだ?


遠慮とか、そういう問題じゃないだろう。
明らかに彼女は困っているじゃないか。
どうしてその気持ちを汲み取ってやることができない。




「…お気持ちは嬉しいんですけど、一応彼氏がいる身なので、勝手なことができないんです。本当にごめんなさい」




見ろ。
彼女に余計な気を使わせてしまった。
本当に何をやっているんだ俺は。


何かがおかしい。
どうして俺は、こんなに興奮してしまったのだ?
理解ができない。
自分の言動に驚きを隠せない。




だけど、止められなかった。
口が勝手に動き、激情が津波のように押し寄せた。
まるで自分の体が自分ではない誰かに乗っ取られたような気分だ。
何が起こったのか、一瞬自分ですら理解することができなかった。




「…すいません、そうですよね。すいません。今のは忘れてください」




必死に謝っている自分が情けなかった。


俺は戸惑っている。
そう、自分の中にある不思議な感情に、戸惑っているのだ。


この気持ちを説明することは今の自分にはできそうになかった。




「あの…もしかしたら、嫌なことを思い出させるだけかもしれないんですけど」


「はい?」




彼女が不思議そうな目で俺を見た。




「よかったらその事件当時のこと、聞かせてもらえませんか?もちろん俺に話して、楽になるのならば、ですけど…」




話題が欲しかったわけではない。
確かに自分の混乱具合を誤魔化す部分もあったかもしれないが、それ以上に彼女の苦しみをリアルに知りたいと思った。
ほとんど、自然に近い形で口をついて出ていた。




「…はい、わかりました」




彼女が一瞬迷ったのはすぐにわかった。
本当にこれでよかったのか、俺自身も迷ってしまった。
だけどもう、後戻りはできない。




「…いつも通り、本当にいつも通りの帰り道でした。月曜日は毎週五限まで講義があるので、その日も辺りはもう暗くなっていたんです。地元の駅に着いて、自宅まで歩いて十分ぐらいの距離なんですけど…途中の、人気のない道で二人の大学生風の男達に…襲われたんです」




彼女はその悲痛な表情を隠そうとはしなかった。






「必死に抵抗したんですけど、やっぱり力じゃかなわなくて…二人いたので、体の自由も奪われました。私が暴れると、顔を殴られたりして…途中からは、半分諦めた気持ちになっていました」




彼女の目をまともに見ることができない。
それをしてしまったら、激情が自分の中に流れてしまうことを知っていたからだ。




「それで…その、口で…やらされて。もちろん濡れてもいないので無理矢理入れられて…すごく、すごく痛くて」


痛みが、逆流してくる。


「全部終わった後も、しばらく呆然としちゃって。それでも家に帰らないと両親が心配するから…何事もなかったように振舞って帰ったんです。自分の部屋に入ってからは、夜通し泣いちゃいましたけど」


溢れ出したのは、血だったのか気持ちだったのか。


「それで、すぐに病院に行きました。今思えば、妊娠も病気も見つからなかったのが唯一の救いだったのかもしれません」


「…そうですよね。不謹慎かもしれませんが、不幸中の幸いだったと言えなくもないと思います」






必死に、言葉を探した。


俺は医者じゃない。
ましてやボランティア精神なんてものは欠片も持ち合わせていない。
だけどそれでも、彼女の傷に塩を塗りこむようなことはしたくなかった。


言葉には、それほどの力がある。




「後は、さきほど話した通りです。…あは、なんか不思議な感じ」


「え?」


「すごい、すっきりしました。おかしな話ですよね、雨宮さんとは初めてお会いしたのに。…こんなに落ち着いて話せたのは、初めてかもしれません」


「そ、そうですか、それはよかった。少しでも矢田さんのためになれたのなら、こんな嬉しいことはありません」


「本当にありがとうございます。なんか、雨宮さんにならなんでも話せる気がします。本当に…不思議」










彼女は、気付いていないのだろうか。








どうしてそんなに、嬉しい言葉をくれる。


どうしてそんなに簡単に、俺の求めていたものを与えてくれるのだ。








不思議に感じていたのは、むしろ俺の方だった。

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