甲斐犬黒蜜のお使い

牛耳

第49話

熱海駅前。
バスやタクシーの止まるロータリーで黒蜜おばばを待つ私は何故か観光客のお爺さん達と並んで機関車と吹き出す温泉の前で記念写真を撮っている。

熱海で十日程温泉を堪能すると言っていた黒蜜おばばから私のスマホに電話があり夕方に熱海駅前で落ち合い晩御飯を食べてホテルに一泊して温泉に入ろうと言われ駅前で待っていたら。
新幹線を降りて改札口を出て来たお爺さんの団体客が浴衣に買い物籠姿で佇む私を見て一緒に記念写真を撮ってとせがまれて写真を撮っている所だ。
今夜は花火大会があるそうで駅前は大変混んでいる。

最後のお爺さんと写真を撮ってバイバイと手を振っていたら上下黒の夏用のセーラー服に黒い帽子を被った黒蜜おばばと薄黄色のチャイナドレス姿の震電さんに真っ黒なワンピース姿のお婆様のカミーラさんと私以上に目立つ三人がこちらにやって来た。

その三人を見た先程のお爺さん達がカミーラお婆様の前で土下座している。
何か弱みでも握られているのかしら?
「黒田式火星将軍ロボを次に出撃させるなら元総理の私目にどうか御一報を下さいませ。万全の体制でサポート致します。魔導列車砲より強力な武装を用意致しますので次こそは米帝本土に黒田善哉氏の作りし火星将軍報復兵器V2を打ち込みましょう」

男の人ってみんな報復兵器とか好きねぇ。

土下座しているお爺さん達にニヤリと笑顔を向けたカミーラお婆様が私に気がつき手を振る。

近づく私の手を引き黒蜜おばばが。
「蜜や、美味しい洋食を食べて温泉に入ってホテルから花火大会をみましょう。洋食屋さんに寿甘すあまやたるとちゃんも待っているから急ぎましょう」
土下座するお爺さん達ににお辞儀をした私は黒蜜おばば達と駅前のお土産物屋通りを下って行った。

温泉の蒸気で蒸す温泉饅頭や名物の沢庵、射的屋さんにスマートボールの遊技場等珍しいお店を眺めながら歩いて行くと河の近くにある一軒の洋食屋に着いた。
店の奥の個室には寿甘さんと、たるとちゃんが赤ワインを飲んで楽しそうにお喋り中。

たるとちゃんも少女の様な見た目と違って成人済みなのでお酒もOK。

私達が席に着くと追加の赤ワインと料理がテーブルに運ばれて来た。
この洋食屋の名物は、ビーフシチュー。
昔からの温泉街である熱海は芸者さんのいる置屋に出前で洋食を出す店が多数有ったとか。
この店はかなりの老舗でホロホロに数日掛けて煮込んだビーフシチューが絶品で根強いファンが遠くから食べにくるそう。

赤ワインで乾杯してから頂きま〜す。

一口スプーンで掬い食べると。
鼻に抜けるドミグラスソースの香りが脳を直撃する。
日数を掛けて仕込まれたドミグラスソースで無ければ出せない味深さとコク。
スプーンで触ると崩れる牛肉が早く食べてと私を誘う。
美味しいと言う表現を使うと月並みな言葉になるけれど美味しいわ。
東京や名古屋、大阪と言う都会でなく古い観光地で培われた独特な味と言うかこの地でしか味わえない料理になっている。

美味しいビーフシチューを食べながら女子トークに花が咲く。

魔道具作りの仕事が間に合わなくて来れない粒餡の魔女、十勝餡子さんが悔しがっていたそうだけどイギリスにいる先見の魔女、水無月さんの二人を除く
黒田家に纏わる女性が一堂に会するなんて中々無い。
今回は黒田の実家に帰って来た黒蜜おばばがカミーラお婆様と寿甘さんを熱海旅行に誘ったのが切っ掛けで、台北の震電さんに、たるとちゃんも誘われたそう。
本来なら男性陣もと誘ったらやって来る女性陣を聞いて我々は辞退しますと・・・。
カミーラお婆様だけでも煙たいのに震電さんが加われば生きた心地がしないらしい【笑】。
黒蜜おばばに琥珀さんは?と聞くと。
娘の瑪瑙ちゃんを連れて宴会に参加するのはちょっと無理と。
それらを聞いて私は考えた。
まあとりあえずホテルに移動してから黒蜜おばばに話してみようかしら。

ホテルは、海に面した最上階が全面展望温泉になっている珍しい建物。
黒蜜おばは達の泊まっている部屋で温泉前にお茶を飲んで寛いでいる時に私の考えていた事を黒蜜おばばに耳打ちすると。
「良い考えねちょっと頼むわ、お願いね」

私は部屋の玄関に脱いでいた黒下駄を履き下駄箱下の暗闇に紛れた。

先ずはイギリスの水無月さんの元へ。
熱海は夕方五時半だったのでこちらは朝の九時半。
暖炉前で紅茶を飲んでいた水無月さんに女性陣が集まりこれから熱海で温泉に入り花火大会を見ながら宴会ですがいらっしゃいます?と聞くと跳び上がって是非にと抱きついてきた。
旦那さんのペッパーさんと出かけている義父のソルト氏にメールを送り暖炉上で寝ているペルシャ猫の使い魔、群青ぐんじょう君に出かけて来ると手を振る。
私の手を握り二人で熱海のホテルの部屋に移動。
驚く皆の前に水無月さんを置き次の場所に移動した私。
世田谷に有る粒餡の魔女の工房に姿を現した私は。
「お仕事の様子はどうですか?餡子さん。時間があれば熱海のホテルで温泉に入って花火大会を楽しみませんか?」
と机に向かう小柄な女性に声を掛けた。
女性が腰掛けた椅子がこちらを向く。
どう見ても小学校の高学年にしか見えない女の子が。
「えーー!行くー!やっと作っていた魔道具に魂が定着した所なんだ。こればっかりは眼を離せ無いからね。連れてって蜜!シコタマ飲んでやる!」
ウキウキしている餡子さんに水玉君と餡子さんの使い魔でプレイリードッグの”勝俣”さんが行ってらっしゃーいと手を振る。
皆んな怖い女性だらけの場所には行きたく無いみたい。
餡子さんの子供は長男一人で都内の魔道具屋に勤めている魔術師で別の場所で一人暮らし。
旦那さんは早くに亡くなっている。
餡子さんの手を握り机の下の暗闇に紛れる。
ホテルの部屋に餡子さんを置き次は上野の琥珀さんの家へ。
呼び鈴を押し待っていると琥珀さんが玄関から顔を出す。
琥珀さんに熱海まで連れて行き帰りも御宅に直ぐ帰れますがと話すと玄関奥から瑪瑙ちゃんを抱いたご主人が。
「気にしないで行って来なさい。瑪瑙の事は僕が見てるから」
「嬉しい!ありがとうね貴方、瑪瑙」
旦那さんと瑪瑙ちゃんにキスをして玄関にある止まり木に止まっている使い魔で木菟みみずくの小次郎君に頼むわねと言うと私の手を握った。

これで黒田の女性陣が全員揃った。
どんな宴会になるか見ものだ。

琥珀さんが揃い全員で最上階の展望温泉に行く前にフロントへ。

はしゃぐ見た目小学生の餡子さんに見た目中学生の黒蜜おばば、金髪少女のたるとちゃんに高校生位に見える私。
二十歳位に見える水無月さんと寿甘さん琥珀さん。
三十代に見える震電さん。
正体不明の外国人女性のカミーラお婆様。
これらのメンバーで部屋での宿泊と宴会時の人数追加をフロントに告げると余りの混沌としたメンバーとその迫力に若いフロント係の女性が泣きながら対応していた。

エレベーターに乗って最上階へ。
花火大会は八時からなのでゆっくり温泉を堪能出来る。
広い展望温泉で早速泳ごうとする餡子さんのお尻を叩く水無月さん。
どちらが姉か分からない。

身体を洗い温泉へ浸かる。
ふう〜生き返るわ。

温泉からは熱海の海が一望出来る。
初島が綺麗。
花火見物の屋形船が多数見える。
屋形船で海の幸の天麩羅を食べながら花火見物も良さそうね。

怒られても仰向けに浮いている餡子さんを指で突いて震電さんの方へ押してからサウナに入り汗を流す。
甲斐犬だと汗をかけないから人の身体は楽しい。

サウナでカミーラお婆様とたるとちゃんが我慢比べをしていたけれど大丈夫かしら?

水風呂に入ると気持ち良い。

熱海の温泉はしょっぱい。
海から温かいお湯が出ていて熱海だとか。
打ち身や挫き、筋肉の疲れに効くそうだ。
箱根越えの前や後で身体を昔の旅人は癒したのだろう。

ゆっくり温泉を堪能して部屋に帰ると畳の上に置かれた座卓に刺身や海老のおつまみが並べられている。
ビールや焼酎、日本酒にウイスキーに紹興酒まで。
誰だ?こんなにお酒を頼んだの?
男性陣が嫌がる筈だ。
修羅場が待っていると思うこれは。

びっくりしたのは小学生にしか見えない餡子さんがカパカパお酒を飲んでいる姿だ。
何処に入るんだ?その小さい身体に?

花火大会が始まると窓の外からお腹に響く重低音が。
一時間程の花火大会を見ながらお酒と刺身を楽しむ。
海老のお刺身が甘い。
新鮮な鯛やイカは近くで取れた物だろう。

驚く事に花火大会が終わるとあれだけあったお酒がもう無い。
その割に酔っ払った人が誰もいない。
カミーラお婆様なんて顔も赤くなっていない。
もちろん餡子さんも。

急いで内線で追加のお酒を頼む。
乾き物のつまみも追加する。
このペースで飲まれたら男性陣もたまった物ではないな。

結局、フロントがラストオーダーと言う時間まで飲み疲れた顔の中居さんが布団を敷きに来たのでお開きになり二間続きの広い部屋で床に就いたのはもうすぐ次の日になる頃だった。

翌日六時半頃に眼を覚ました私は先に眼を覚ましていた黒蜜おばばと部屋を抜け出し展望温泉へ。
サウナで酒精を抜いていると他のメンバーもやって来た。
二日酔いなんてこの人達には関係無いらしい。

部屋に帰るとシャケの切り身と焼き海苔に卵焼きの朝御飯の用意がしてある。
旅館とかのお櫃の御飯てなんでこんなに美味しい。かしら?

朝御飯の後でゆっくりしてからまた温泉へ。

気がつくと十一時過ぎ。
黒蜜おばばが散歩してから昼食をと言うので昨夜の洋食屋さんより先の河近くにあるワンタン麺を食べに行く。

少し並んでから食べてみると。
一発でファンになってしまった。
普段イギリスにいる水無月さんはワンタン麺を食べて泣いている。
旦那を置いて娘と日本で暮らそうかを真剣に考えているわ。

ワンタン麺を食べ終え海で散歩すると言うメンバーと別れ私は帰るの嫌だと泣く水無月さんをイギリスに連れ帰り琥珀さんを上野に送り横浜に帰った。
餡子さんはもう何日か逗留するらしい。

自分の住むマンションにもどると温泉で疲れを取った筈なのに疲れがドッと出て来た。
ソファーにヘタリ込む

あの家族は濃過ぎるわ・・・。

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