氷の涙と魔女の呪い
エピローグ
小さな精霊の目がシューメルに向けられる。そして春の女王の元から駆け出すとシューメルに向かって走って来た。
そして目の前で立ち止まるとじっとシューメルの目を見つめる。
それはまるで中まで見透かされているような奇妙な視線だった。
そしてしばらく経ってから小さな精霊はやっと満足したのかにっこりと笑った。そして白いドレスを摘まんでお辞儀をする。
「初めまして、私は新たな冬の女王ネージュです。」
「…スノウではないのか。」
別の名を名乗られてシューメルはスノウが生まれ変わったのだと僅かに期待していた分がっくりと落ち込みを見せた。
「スノウは先代の女王の名です。私は先ほど生まれたばかり。」
「ではやはりスノウは死んだのか。」
シューメルは膝から崩れ落ちて悲しげに呟いた。精霊は死なない。それはやはりおとぎ話であったのか。
「死んだというのはちょっと違うかもしれません。」
ネージュは困ったように眉を下げて答えた。
「先代の女王は季節を滞らせて世界を混乱させてしまいました。廻るべき季節を止めることは大罪です。例えどんな事情があろうともそれは許されることではないのです。」
シューメルは悔しくて地面に拳を叩き付けた。自分の呪いを解こうとしなければ彼女は季節の廻りを止めることは無く、死ぬこともなかったのだ。
「精霊たちの王はその罪を繰り返さない為に、冬の女王の記憶を私に継承することをしませんでした。」
「では精霊が死なないというのは…。」
「精霊にだって寿命は訪れます。ただ、記憶を引き継いで生まれてくるので死という概念が存在しないのです。それは死の無いことと同じようなものでしょう?」
「つまり君はスノウの生まれ変わりではあるが、記憶はないから別人だということなのだな。」
「そうです。私は多くの精霊たちに先代のことを尋ねました。とても素晴らしい女王だったそうですね。そして、貴方は先代の唯一であり最後の愛し子。」
その言葉にシューメルは顔を上げる。
「…貴方にお願いがあります。」
ネージュのお願いは塔の中に入り、先代の眠ったままの器が身に着けている冬の女王である証の冠を持って来て欲しいというものだった。なぜ自分でやらないのかというと、同じ季節の精霊が触れ合えば混じり合ってしまう。
だからネージュはまだ冬の女王には触れられない。女王の冠をつけている間はまだ継承が終わっていないということだからだ。
スノウの冠を受け取って初めてネージュは真の冬の女王となれる。
そしてもう一つのお願いがあった。
それは先代の女王を塔から連れ出して欲しいというものだった。通常であれば器ごと消えて新しい精霊が生まれるはずなのに今回は異例の出来事で、それが上手くいかなかったのだ。精霊の魂を失った器をそのままにしておくことは出来ない。
シューメルは扉を開いて塔の中へと入った。本来は人の身では入れないはずの塔はシューメルを自然と受け入れた。その理由はシューメルが口にしたスノウの涙の効力だった。
その力でシューメルは見えないはずの精霊の姿を見ることが出来たし、声を聴くことも出来た。そして、先代の魂から流れ出た涙はシューメルをスノウと同等の存在として受け取って、塔へと入ることが出来たのだ。
塔の部屋の奥にベッドがあった。ベッドには美しい女性が眠っている。スノウは出会った時と変わらない姿のままだった。
「スノウ…。」
失って初めて気が付いた最愛の精霊の姿。人ではなかったがシューメルは確かにスノウに恋していた。出会ったのは僅かではあったが、彼女の仕草や裏のないまっすぐな思いにシューメルは惹かれたのだ。
精霊に恋した王子なんて夢物語のようだ。出会いそのものが幻のように儚く、そして失ってなおシューメルの心を占めている。
彼女の被っていた冠を優しく取り外し最後にシューメルはスノウの唇にそっと口づけた。
口づけと共にぴくりと瞼が反応して眠っていたスノウはゆっくりと目を開く。それは一種の奇跡だった。魂を失い永遠に覚めないはずのスノウは王子のキスで目覚めたのだ。
「わたしは…確か。」
「スノウ!」
呆然としたスノウをシューメルは抱きしめた。状況が呑み込めないままではあったが、スノウはそっとシューメルの背を撫でた。
それは親が子をあやすような仕草だ。二人はしばらくそのままで動かなかった。言葉は無かったが気持ちは通じ合っていた。
塔からシューメルがスノウと共に現れると季節の精霊たちは驚いた。目覚めないはずのスノウが目を覚ましたからだ。だが、その理由はすぐに分かった。シューメルに取り込まれたスノウの魂の欠片がキスを通してスノウに戻ったためだ。
スノウは普通の精霊とはもう違う存在になってしまった。器に宿った魂はほんの僅かな欠片でしかない。精霊としての力もほとんど残っていないし、寿命もずっと短い。
だが、それは精霊として考えた場合の事だ。力を失ったスノウは精霊としては生きることは出来ない。スノウは残された時間を人として生きることに決めた。
スノウの冠はシューメルからネージュに渡されて、新たな冬の女王がここに誕生した。四季の精霊に見送られてスノウはシューメルと共に人の世界へと歩き出した。
それからシューメルはスノウを連れて城へと戻った。国王は驚いたがスノウを人として迎え入れることを許した。
その後、シューメルは世界を混乱させるきっかけとなったことを理由に王位継承権を放棄して遠く離れたあの屋敷に謹慎という名目で暮らしている。
その隣にはかつて精霊であったスノウの姿があった。
「ねぇ、スノウ?」
「何かしら。」
「君は私のことを子供のように見ているけど、いつかきっと振り向かせて見せるよ。」
「急に何を言っているの?」
首を傾げるスノウにシューメルは優しく微笑んだ。精霊と人の感性は違う。だからスノウがシューメルに感じているのは親が子に持つような愛情だ。人として生きる道を選び歩み始めたスノウ。
そのスノウを愛し共に生きることを選んだシューメルはいつしかフェアリーランドの救世主として後世に語り継がれることになった。
それは、シューメルの弟であるスティールが兄に出来る唯一のことだった。長い冬をもたらした原因ではなく、冬を終わらせた英雄として。冬を愛した男として。
国王はスティールが大きくなって王位を継げる年になるとすぐに王位を退いた。ユベリアを止めることが出来なかったというのが退位の理由だ。国を混乱に陥れた原因であるユベリアを側室に迎えたのも王だ。
そして彼女の暴走に気付くことが出来なかった。王は王位を退いた後、王妃と共にのんびりと隠居生活を送っているらしい。
シューメルを呪うように魔女に依頼した側室であるユベリアは老婆の姿に変わった後、魔女の死と共に息を引き取ったという。魔女の言葉は真実であったのだ。シューメルが死ななかったのはその呪いをスノウが引き受けたから。
そして奇跡が起きてスノウはこうして今もシューメルと共に生きている。
季節は廻る。
今度は滞ることはない。
春には花が咲き誇り、虫たちや動物が目を覚ます。夏にはさんさんと太陽が照り付けて、作物が強く育つ。秋には虫たちが音楽を奏で、作物が実る。冬には雪が降り積もり、作物は春に向けて力を蓄える。
以前と一つ違うところは、冬でも人は盛んに働くようになったこと。
長い冬は人の生き方に新しい道を示した。工夫して生き抜く術を与えた。それは人々の生活をさらに豊かにし、幸せをもたらしたのだ。
そして、新しい命が先人の意思を受け継ぎ、それは樹木の枝葉ように伸び広がっていく。長い冬が終わって数年後、シューメルとスノウの元に新しい命が生まれていた。
精霊と人の愛の結晶だ。
新たな命を育みながら、彼らは幸せな日々を過ごしている。
-END-
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