氷の涙と魔女の呪い

叶 望

冬が終わるとき



 シューメルが家の中に入るとぱたりと戸が閉まり中で鏡を覗き込んでいた女がゆっくりと王子の方へと顔を向けた。その顔はシューメルが良く知る人物のものだった。


「おや、この顔を見ても驚かないとはね。」


 女は顔色一つ変えていないシューメルを見て口の端を吊り上げにぃっと笑った。髪の色は違うがその顔は王の側室であるユベリアと同じもの。彼女が自白して顔が変化したことでシューメルは魔女の力に心当たりをつけていた。


「あなたの魔法は何かを移し替えるものなのだな。」


 王子の言葉に魔女は声を上げて笑った。その声は耳障りの悪い音。


「そうだよ。だけどちょっとだけ言葉の意味が違うかもしれないね。私は北の魔女ミロワール。私の魔法の神髄は映すことさ。単に移動させるだけじゃない。その存在そのものを映しとる。鏡の魔法だよ。」


 そういって魔女は王子を指さした。


「お前に掛けた魔法も同じさ。多くの病を持つ者から病の炎症をお前に映した。病そのものは無いから医者でも病を突き止められなかっただろう?かけ続けるのは大変だったがね。」


「そういう…ことか。だが、そんなことはどうでもいい。冬の女王がここに来たはずだ。彼女はどこにいる!」


「冬の女王?何のことを言っているのか。」


「とぼけても無駄だ。彼女の残した魔法がここにいると教えてくれている。どこに隠した!」


 シューメルは胸のあたりに微かに残る彼女の魔法の残滓によってそれと同じ気配のする存在が家の中にいることを感じ取っていた。


「ひひ、冬の女王ならさっきからそこに居るよ。」


 魔女は棚の方を指さして王子に示した。


 そこは無造作に並べられた物が散乱している棚。その中でひと際大きく目を引くものがあった。黒い茨の装飾がされた黒い鳥かごだ。
 中には真っ白の美しい鳥が閉じ込められていた。鳥の瞳は目の冴えるような青。シューメルはその瞳に既視感があった。
 鳥はシューメルと目が合うと悲しそうに目を伏せて顔を首に埋めた。


「まさか、スノウ?」


 その瞳はスノウと同じ青い泉のような澄んだ瞳。雪のように真っ白なその鳥は冬の女王を彷彿とさせる姿だった。


「綺麗だろう?冬の女王の魂を鳥の姿に映して捕らえたのさ。私のお気に入りのコレクションの一つだよ。」


「何ということを。彼女を解放しろ!そして元の姿に戻すんだ。」


 シューメルの言葉に魔女は笑いながら答えた。


「嫌だね。せっかく上質な魔力を持つ精霊を捕らえたんだ。それに私の魔法は映すことはできても解くことは出来ないのさ。現にあんたは自力で体力を回復させただろう?」


「嘘をつくな!魔法には必ず解き方がある。今すぐ解かなければ容赦はしない。」


 シューメルは剣を抜いた。ギラリと光る剣先を魔女へと向ける。


「いいのかい?私を殺せば私と繋がりを持った者たちも一緒に死ぬことになるよ?」


「どういう意味だ!」


「映しているということは相手と繋がっているということなのさ。あんたも死んでしまうかもしれないね。きひひ。」


「卑怯な…。」


 シューメルには魔女が本当のことを言っているのか、それとも嘘をついているのか見当がつかない。判断は出来ないが、いつまでもこのままという訳にはいかない。シューメルは鳥かごに囚われているスノウに視線を向ける。


 はたりとスノウと目が合った。


 その目は何かを訴えているかのように見えた。スノウがゆっくりと頷くのが目に入る。その瞬間、シューメルは先ほどの迷いが綺麗に晴れた。


「民の命を守ることこそが王族の務めだ。」


 そう言って北の魔女ミロワールの心臓を剣で突き刺した。魔女は思いのほか軽く、シューメルの剣ごとすぐ傍にあった暖炉の中へと押し込まれてしまった。


「いぎゃぁああああ!」


 魔女は叫びもがき苦しみながらあっという間に燃え尽きた。
 まるで紙屑のように焼かれ灰となると魔女の魔力が解放され強い風が吹き荒れた。あまりに強い風が吹きシューメルは思わず目を瞑る。
 目を開いた時には部屋の中は荒れて何年も人など住んでいないようなあばら家に見えるほど朽ち果てた家になっていた。


「そうだ、スノウ…。」


 シューメルが振り向くと黒い鳥かごが床に落ちていた。その黒い鋼鉄の鳥かごは、蔦のように解けていく。中にいた白い鳥がゆっくりと立ち上がった。その大きさはあっという間に女性の姿を象り、銀の髪が美しい青い瞳の女性の姿になった。
 雪のように白い肌と薄紫色の唇も以前会った時と変わらない。声をかけようとしたシューメルだったが、なぜか口を開くことは戸惑われて出来なかった。


「ありがとう。助けてくれて。ずっと貴方の声が私に希望を与えてくれていた。」


 スノウは感謝の言葉を口にした。シューメルにはそれがなぜか別れの言葉のように聞こえた。


「これでやっと春を呼べる。貴方はもう大丈夫。」


 スノウの瞳から大粒の涙が頬を伝って流れ、一粒の氷の雫となって床に転がった。


「だから、もう冬が終わらなければいいなんて望んでは駄目よ。」


 スノウの言葉が終わるか終わらないかの瞬間にピシリと嫌な音が響いた。シューメルは目を見開いてスノウのその姿をただ見ているしかできなかった。
 スノウの体を黒い茨のようなモノが侵食する。シューメルはそれを見て自分に巣食っていたモノは今、スノウの中にあると本能的に悟った。


「待ってくれ!」


 シューメルがスノウに手を伸ばしたが、触れるか触れないかしないうちにスノウの体は氷が砕けるような音と共に弾けた。
 スノウの体は粉々に砕けて散り、精霊の存在などなかったように消え去った。
 それと同時に冷たい空気がふわりと暖かな熱を持ってシューメルの頬を掠める。
 その瞬間、あばら家の戸が開かれ騎士たちが家の中に入って来た。


「ご無事ですか!王子。」


 ソードの声でシューメルは我に返った。余りの出来事に我を忘れてしまったようだ。シューメルはスノウがいた辺りの床に目を落とす。


 そこには大粒の丸い氷が残されていた。


 スノウが流した最後の涙が結晶化したものだ。シューメルがそれを手に取るとあっという間に溶けて水になった。
 シューメルはスノウを真の意味で救えなかったことを悔やんだ。溶けた水をそのまま流すことが出来ずにシューメルはその水を自らの口に運んだ。
 涙で出来ているはずの氷が溶けた水はなぜか湧き出たばかりの水のようにシューメルの体に染み渡った。
 それはとても優しい冷たさを持ったスノウそのものの様だった。


 フェアリーランドに春がやって来た。


 多くの民は喜んで3年ぶりの春を迎えた。長い冬は終わり春がやって来たのだ。あまりの嬉しさにお祭り騒ぎのようになっていた。シューメルはあの後、魔女の家から外に出て驚いた。徐々に春が来るのではなく魔法のように季節が塗り替えられたような形になったからだ。
 それはスノウが砕けてしまったことと関係があるのかもしれないと感じた。冬が終わり、春が強制的に迎えられたのだ。


 シューメルは魔女を退治した後、そのまま四季の塔へと移動していた。本来であれば報告のために城に戻るのが通常だが、後味の悪い結果に冬の女王がどうなったのか…。
 会えるかどうかは分からないが、精霊たちに尋ねる必要があったからだ。


 精霊は死なない。そのはずだったからだ。


 塔に辿り着くと季節の女王達が集まっていた。その姿をシューメルに見せているということに驚く。だが、それ以上に驚いていたのは精霊たちの方だった。


「おい、あの人の子は私たちの姿が見えていないか?」


背の高い男言葉の夏の女王ソレイユがシューメルを指さして言った。


「あら本当。不思議ねぇ。」


 のんびりとした口調の小さな丸い秋の女王ノーチェが面白そうに眺めている。シューメルが唖然としていると塔から一人の少女とその陰に隠れる小さな幼い少女が出て来た。一人は金色の髪の春の精霊フローリア。
 そしてその陰に隠れているのは銀の髪を持ち青い瞳の幼いとても小さな精霊だった。



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