氷の涙と魔女の呪い

叶 望

呪われた王子

 フェアリーランドには二人の王子がいる。一人は王妃の子で第一王子。一人は側室の子で第二王子。第一王子と第二王子とでは年の差が5つあった。兄弟仲は良好だが、それを側室であるユベリアは快く思っていないようで事あるごとに第一王子であるシューメルから息子のスティールを引き離しにやって来た。
 そんな母親を見て弟であるスティールは余計に兄のシューメルに近付こうとした。兄のシューメルは特にそれを咎めることはなく、どこへ行くにも付いてまわる弟を愛おしく思っていた。
 それが余計にユベリアを苛立たせていた。王妃であるレジーナはそんなユベリアを呆れたように見ていたが、王子同士が仲良くすることは良いことだと見守ることに決めていた。
 それは国王であるマリクスも同様だった。
 今年で12歳になったばかりの第一王子は3年前から病にかかり年ごとに弱っていった。城の医師も原因が分からずに困り果ててしまった程だ。
 体に異常など無いはずなのに弱っていく王子が一体何の病にかかっているのか城に仕えるほどの名医でもさっぱり分からないのだ。病の対処法が分からないまま時は過ぎて、もはや医師から来年の春まで命は持たないだろうと宣告を受けてしまった。
 王子は療養という名目で城から遠く離れた屋敷で最後の時を過ごすことになった。第一王子であるシューメルには初め多くの側近や護衛騎士が付いていたが、余命幾ばくか分からないと知ると手の平を反すようにほとんどの者が第二王子へと流れた。
 屋敷について来たのは幼い頃から共に育った護衛騎士であるソードと世話役としてついて来た老齢の教師シェルマーとその妻だけだった。王子の世話をするというにはあまりに少ない。
 もちろん屋敷には元々雇われている者たちがいるのだが、原因不明の病と聞いて逃げ出したものさえいるという。城で勤めている者たちと違って、離れた土地にある屋敷の使用人はほとんどが現地の人間だ。つまり貴族ではない平民ということになる。
 それなりに見られるようにと指導は受けているようだが、城に勤めている者には到底及ばない。それは態度にも表れている。ここにいる者たちは王子がもうすぐで命を落とすと知っているのだ。


 殺伐とした屋敷の空気に第一王子であるシューメルは、一人になるとベッドから見える外の景色を見て思わず呟いた。呟きは掠れて声にはなっていなかったのだが。


 それは冬が後少しで終わりを迎える頃のこと。


 命の期限が刻々と近付いてきていたシューメルにとって、冬の終わりは自らの命の終わりと同義であった。宣告を受けたからと言って必ずそうなるとは決まっていない。
 しかし、自分の体のことは誰よりも王子自身が知っている。医師の言う通り、冬を越すことはきっと叶わない。


「冬がこのままずっと終わらなければいいのに。」


 決して叶うことのない願い。


 その言葉は塔で冬の世界を支配していたスノウに届けられた。


 人の言葉になど耳を傾けることは有り得ないはずだったスノウだが、届けられた想いに思わず意識を向けてしまった。


 それは無理もないこと。


 スノウに届く思いのほとんどは冬の終わりを望む声と冬そのものの否定の声。冬を望まれたのは初めてだったスノウが、思わず願った人物に興味を持ったのもごく自然の流れだったのかもしれない。


 それは雪が深々と積もる夜だった。


 月明かりが仄かに窓から届き、ランプの炎とは違った明るさがシューメルの部屋を僅かに照らしている。薄暗い部屋の中、原因不明の痛みや熱がシューメルを支配していた。それは内側から外に向かって溢れ出ようとしている何か。端正な顔を苦しげに歪めて冷たい汗が全身から噴き出していた。金色の本来はサラサラであるはずの髪は汗で額に張り付いている。細った手足もはやろくに動かすことなどできなくなっていた。
 自分の息遣い以外に聞こえるものはないはずの部屋に誰かの気配を感じてシューメルはゆっくりと目を開いた。雪の降る夜の冷気よりも冷たい色を持つ少女がシューメルの傍に立っていた。
 その姿は若干透けていてまるで物語に出てくる幽霊のようにぼんやりとした光を纏っている。銀の髪は月の光を浴びて白く輝き、青い瞳はまるで全てを見透かしているように澄んでいる。
 薄紫色の唇は不健康そうに見えるが、整った顔立ちと真っすぐに伸びた長い髪が冷たい印象を更に強くしている。青みがかった白のドレスを着た美しい少女だ。


「だ…れ、だ?」


 掠れた声がシューメルの口から紡がれる。問われた少女は答えないまま、ベッドに腰かけてシューメルの額にそっと手を翳した。
 すると仄かな淡い光が生まれ、シューメルの体に溶け込んだ。


 それは冷たいのに温かい何か。


 ふんわりとした雪の結晶を一粒だけ取り出して飲み込んだならそんな感覚を得られるだろうか。その光はシューメルの体に染み渡ると先ほどまで苦しかったのが嘘のように体を蝕む熱や痛みが消え失せた。
 目を見開いて驚くシューメルの頬をそっと撫でると少女は問いに対する答えをくれた。


「私はスノウ。」


 シューメルはその名を聞いて思わず目を瞬いた。この国に住む者であれば誰もが知っている名だからだ。
 そして先程までと違って今度はすんなりと声が出た。


「スノウ?冬の季節の女王の名と同じだ。」


 シューメルの言葉にスノウは少しだけ悲しそうな表情を浮かべた。
 それはスノウをよく知る女王達くらいしか見ても気づかないほどの変化だったが、シューメルは病に臥せるようになってずっと人の表情を見て来たので、その僅かな変化を見逃すことはない。
 だが、それについて言及することはしなかった。尋ねても答えることはしないだろうと察したからだ。


「病を治してくれたのか?」


 シューメルが尋ねるとスノウは首を横に振った。そしてシューメルの緑の瞳をしっかりと見据えて答えた。


「あなたは病にかかっている訳じゃない。それに私の力でも一時的にあれを遠退ける効果しかないわ。」


「え?」


「貴方は呪いをかけられている。それはいずれその身を呑み込んで滅ぼしてしまう強力な呪い。その呪いを解かない限り、貴方の苦しみが終わることは無いわ。」


 シューメルは今まで腑に落ちなかった医師でも解明できない病が呪いだと聞いて、すんなりとそれを聞き入れることが出来た。医師では手に負えない呪いであれば、どれほど手を尽くしても医師の力では治すことが出来なくて当然だからだ。
 そしてシューメルには呪いを受ける理由も呪いをかけるように願った相手も察しがついていた。だがそれを受け入れることは到底出来ない。


「春まで持たないと言われた。それでも、私は生きていたい…。」


「だから冬がずっと続けばいいと望んだのね。」


「聞こえていたのか…。」


「私たちには人の願いが聞こえるから。」


 スノウが僅かに自嘲の笑みを浮かべたがそれもまた微かな変化だった。
 そしてシューメルはしっかりとその変化を捉えていた。


「愚かな願いだと思ったかい?」


「いいえ、生きたいと願うのは人として当然のことよ。」


 スノウはベッドから立ち上がると窓の方へ向かって歩き出した。
 そしてくるりとシューメルの方へと体を向ける。


「それに冬を望んでくれた。とても嬉しかったわ。」


 ふわりと微笑むスノウはここに来て初めての笑顔を見せた。先ほどまでとは違って自然な笑みにシューメルの心がドキリと跳ねた。


「だから私は貴方を助けたい。」


「スノウ…?」


「私を信じて諦めないで。貴方は死なせない。必ず呪いを解いてあげるわ。」


 スノウの姿がすっと薄くなって消えていく。


 まるで初めからそこには何も無かったかのように、姿が消えてその余韻さえも残らない。先ほどまでの出来ことは夢だったのかとシューメルは思わず頬を抓った。シューメルの体には未だに仄かな温かさが残っていて痛みや熱は消えている。
 久々にゆっくりと眠れるはずがスノウの笑顔が脳裏に浮かんで、シューメルはなかなか寝付けない夜を過ごした。



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