氷の涙と魔女の呪い

叶 望

北の魔女

 屋敷から姿を消したスノウだが、屋敷に出向いたのは彼女自身ではない。
 スノウは冬の女王としての役割を果たさなければならない為、塔から出ることはできない。しかし、それでも彼の声を気にしないままではいられなかった。


 冬が嫌われるのはいつものこと。


 だからこそ冬が終わらなければなどという願いの理由を知りたくなったのだ。スノウは四季の塔でベッドに横たわると自分自身の意識を切り離した。
 それは精霊の魂そのもの。器を塔に残したままスノウは願いの主に会いに行ったのだ。
そして、その状態を見て彼が呪いにかかっていることを知った。何もしなければ冬の時期が終わる頃にはその命は尽きていただろう。それほど呪いは進行していた。
 しかし、呪いもまた継続してかけ続けなければならないはずだ。一体誰がそこまでして彼を呪い殺そうとしているのか。


 スノウはその呪いの跡を追いかけた。


 夜が更けて、外は薄っすらと明るみを帯びている。極寒の北の地の端に小さな森があった。そこには人が決して辿り着けないように迷子の魔法がかかっていた。
 そして同時に必要な者とそれに関わりのある者だけを招き入れる魔法もかかっている。それは精霊であるスノウには全く効果がないものだったが、森に掛けられた魔法の違和感がスノウをその場で立ち止まらせた。精霊の扱うような普通の魔法であればスノウが気に掛けることは無い。
 その魔法は純粋な魔法ではなかったのだ。魔力に何かが混じっている。人の意思の混じるそれが森全体に広がる魔法を歪に見せていた。
 ふわりと雪が舞うようにスノウは森の中に立つ小さな家の前に降り立った。木造りの素朴な外観の家だ。そこには窓はなく、家の中の様子を伺うことはできない。
 意を決しスノウがその戸を叩こうとしたその時、きぃと音がして戸は自然と内側に開いた。中からは入り混じった薬の香が漂ってきた。家の中は薄暗くランプの灯りがゆらゆらと揺れていた。


「朝早くから何か御用かい。」


 奥から声が響いてスノウはゆっくりと家の中に足を踏み入れた。家の中には一人の老婆が鏡を置いた小さな祭壇の前に座っていた。
 老婆はゆっくりと顔をこちらに向けると驚いたように目をしぱしぱさせた。


「これは珍しい。精霊がお客なんてね。」


 薄い紫色の髪が黒いローブの隙間から僅かに覗いている。深い皺の刻まれた顔に大きくぽつぽつとした茶色のしみやイボが顔に広がっている。その割に声ははっきりとしていて、年を感じさせないものだった。


「私は四季の精霊の一柱、冬の女王。愛し子にかけられた呪いの跡を辿ってきたの。」


「呪い?あぁ、シューメル王子のことかい?確かに私がかけているものだ。」


 きひひと奇妙な笑い声をあげて老婆は言った。


「私は北の魔女と呼ばれるミロワール。3年前に頼まれて呪いをかけ続けているのさ。」


「彼の呪いを解いて欲しい。」


 スノウの言葉にミロワールは首を横に振った。


「それは無理だね。一度始めた命を奪う呪いだ。止めることはできないよ。」


「どうして?かけたのであれば、解くことも出来るでしょう?」


「いいや、人の生は一方通行だからね。途中で止めれば私が死んじまうよ。そんなのはごめんだね。」


「そんな!」


 目を見開いて叫んだスノウに老婆は続けた。


「でも代わりを立てることはできるのさ。あんたは精霊だろう?精霊に死は存在しないと聞いたよ。だからあんたが身代わりになれば王子は死なないで済むだろうよ。」


「本当に?」


「あぁ、その代わりあんたは死ぬほど苦しい思いをすることになるだろうね。それでもやるのかい?」


「やるわ。それであの子が救われるなら。」


 初めて冬を望んでくれた彼を救えるのであれば痛みなど耐えてみせるとスノウは心を決めた。


「良いだろう。契約成立だね。」


「ええ。お願いするわ。」


 スノウの言葉にミロワールはにぃっと口の端を歪めて笑った。スノウは魔女という者を理解していない。
 だからミロワールが笑った理由が分からなかった。ミロワールは祭壇に備えていた呪いの元となっている王子の髪を燃やし呪文を唱えた。
 その呪文の意味は分からなかったがスノウは自分に向けられた呪いを跳ね返すことはせずに受け入れた。
 呪いは茨のようにスノウの体を縛り上げる。


「うっ…。」


 スノウは感じたことのない痛みを受けて思わず呻いた。こんな思いをずっとあの子は耐えていたのかと人間の強さに驚く。


「これで王子は死ぬことは無いよ。安心したかい?」


「えぇ、ありがとう。」


「じゃあ、対価を貰おうか。」


「たい…か?」


「そうさ、対価だ。まさかタダで魔法を移し替えて貰おうなんて言わないだろう?」


「待って、何のこと?」


「契約はすでに成立した。対価は、あんたの魂そのものさ!」


 ミロワールがそう告げると黒い茨がスノウの足元から伸びる。先ほどの呪いとは別の魔法だ。黒い茨はスノウを閉じ込めたかと思うと次の瞬間には鋼鉄の籠へと変化した。
 スノウは何が起こったのか分からず混乱した。突然周りの景色が変わって見えたからだ。全てが巨大になり、まるで巨人の住処に足を踏み入れたかのようだった。
 声を出そうとしてもスノウの口から声は響かなかった。おかしいと感じ手を喉に伸ばして気が付く。スノウの目に飛び込んできたのは真っ白な鳥の翼だ。


『一体何が起こっているの?』


 きょろきょろと見回すと遠くに姿見が見えた。そこに映っていたのは黒い鳥かごに入った真っ白な鳥の姿だ。瞳の色はスノウと同じ青い澄んだ泉のような瞳。スノウが手を動かせば鏡の鳥も羽を広げた。


『嘘!そんな…。』


 スノウは小さな白い鳥になっていた。慌てて本体に戻ろうと意識をするが上手く魔法が制御できない。使おうとしても魔力が上手く定まらず魔法にならないまま消えてしまうのだ。


『どうしたらいいの?』


 白い鳥は籠の中で項垂れて途方に暮れた。魔法が使えない。
 それは精霊であるスノウにとっては初めてのことだった。


「こんなに簡単に精霊を捕まえることが出来るなんてね。」


『まさか騙したの?』


「人の言葉をそのまま信じるなんて馬鹿な精霊だ。」


『そんな、じゃあ彼は…。』


 羽をばたつかせてスノウは声にならない叫びを上げた。


「心配しなくても呪いの元は燃やしてしまったから王子は死ななくて済むさ。しばらくすればきっと普通の生活を送れるくらいにはなるだろうよ。」


 どうやら魔女にはスノウの言葉が通じているようだ。巨大に見えるミロワールがスノウの籠を掴んで棚に並べる。


「お前は永遠にここから出られないだろうけどね。」


 きひひと奇妙な笑い声が部屋に木霊した。魔女は愉快そうに大声を上げて笑っている。魔法が使えないスノウには籠から逃げ出す術はない。秋の女王であるノーチェは趣味で食べたり飲んだりしているが、本来精霊は水も食事も必要としない。
 つまり世話をする必要がないのだ。この檻が開けられることは無いだろう。スノウはやっとそのことに思い至る。


『大変だわ。このままでは春を、フローリアを呼ぶことが出来ない。』


 冬の終わりの時期が来たのに、その年は冬が終わらなかった。フェアリーランドの人々は混乱した。春を待ち遠しく願っているのにいつまで経っても季節が変わらない。食べ物の蓄えは冬を越せるくらいの量しか準備していなかった多くの人々は食べる物が無くなり困ることになった。
 スノウには魔法は使えなくても人々の願いは嫌でも聞こえてくる。しかし、スノウには魂を本体に戻すことも春を呼ぶことも出来なかった。人々の声がスノウの心を抉る。応えてあげたいのに何も出来ないもどかしさがスノウを苦しめた。


 そして、終わりのない冬が始まった。



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