泣き虫エリオット

叶 望

自らの出自

 隠し扉を開き通路へ逃げるためにジュリアと共に走った。吸血鬼の成り損ないを剣で切り裂いてジュリアのための道を開く。


「きゃあ!」


「ジュリア様!」


 狭い部屋の中を移動していたジュリアが何かに躓いて転ぶ。エリオットは慌ててジュリアを助け起こす。


「あっ…。」


 何に躓いたのかと足元に転がるそれを見てジュリアは青ざめた。エリオットは床に転がる死体を確認して周囲を見渡す。逃げた先に遺体があるということはすでにこの場は敵の手の内にある。
 それでも立ち止まっている訳にはいかずジュリアを立ち上がらせてその手を握った。
 進もうとしたその時にざわりと空気が揺れた気配があった。


「ほう、あの話は本当だったのか。」


 室内に響く老齢な声。エリオットは声のした方へと視線を向ける。白髪の老人が漆黒の衣を纏ってそこに立っていた。
 赤い瞳が煌々と輝いており、それが人間ではないことを物語っている。
 ざわりと重たい空気がジュリアとエリオットに圧し掛かる。ふらりとジュリアの体が揺れてエリオットは慌ててジュリアを抱きしめた。
 あまりの威圧に意識を失ったジュリアは顔色も悪い。エリオットは悔しげに呻いた。
 見られているだけなのに動くことができないままエリオットとジュリアは吸血鬼たちに囲まれる。ゆらりと腕を振りながら近づいてくる成り損ないの吸血鬼。
 エリオットはジュリアを抱きかかえたまま出来ることなど睨み付けるくらいしかない。
 敵の手がジュリエットに届きそうになりエリオットの意識は弾けた。


「…触るなっ!」


 体の奥底から強力な力が噴出して吸血鬼の成り損ないたちを吹き飛ばす。まるで空気の塊をぶつけたかのように吹き飛んでいくそれらを見届けてエリオットの意識はぷつりと途絶えた。


「…大したものだ。未熟な力しかないはずなのにこの私の動きまで一瞬とはいえ止めたのだから。」


 気を失いつつも女性を抱きしめたまま離さずにいる青年に老齢の吸血鬼は感嘆の意を表した。
 そして二人を軽く抱えるとそのまま教会から立ち去って行った。


 ゆらゆらと揺さぶられて冷たい床に下されたエリオットはゆっくりと目を開いた。
 硬質な床はつるつるに磨き上げられており重厚感のある色合いをしている。手をついて体を半分起こしたところでエリオットの動きはピッタリと止まった。
 目の先には豪華な椅子がぽつんと一つだけ置いてあり、その椅子に一人の青年が座ってこちらを見ていた。
 青い瞳は紫がかっており金の髪は緩やかに流れ軽く結ってある。整った顔立ちと病的な程に白い肌。髪が短ければ写し鏡のようにエリオットには映っただろう。
 それほどまでに目の前の青年はエリオットに瓜二つだった。


「やぁ、目が覚めたようだね弟よ。」


「は?おとうと?」


 一瞬何を言われたのか分からずエリオットは聞き返す。そして先ほどまでのことを思い出して慌てるように周りを見渡した。


「ジュリア様はどこだ!」


 叫ぶようにエリオットが声を上げたのに相手の青年は淡々とこちらを観察しているようにしか見えない。慌てて立ち上がったエリオットだったが突然目の前に移動してきた青年に反応することができなかった。


「せっかく感動の兄弟の再会なのに、女の心配とか酷いじゃないか。」


「私に兄弟など…。」


 兄弟など居ないと言いかけてエリオットは口をつぐむ。エリオットは捨て子だ。兄弟がいるかどうかなど分かるはずがない。
 そんな二人に少し離れた位置からため息が聞こえた。


「フェスター様…だから先ほど申し上げたではありませんか。状況も何も理解していない相手にそれを求めるのは酷だと。」


 エリオットがそちらに視線を向けると先ほど対峙した老齢の吸血鬼だった。


「先ほどの…。」


「ラングル。我ら吸血鬼にそのような時間などかける必要はないだろう。血がすべてを語ってくれるのだから。」


「人間として暮らしてきた彼にそれは通じませんよ。」


 呆れたようにラングルと呼ばれた老齢の吸血鬼は告げた。しかしフェスターが言うのもまた正しい。血がすべてを語る。吸血鬼は血液から様々なことを読み取ることができる。過去、記憶、感情、健康状態などあらゆるものを知ることができるのだ。
 エリオットは二人の言葉を呆然と聞いていた。頭ではジュリアを探さなければと考えているのだが先ほどからの会話で自分の存在に疑問が生じて混乱している。
 あり得ないと思いつつも思い当たることが多すぎてエリオットはそれを退くことができないでいた。
 まるで自分の足元が今にも崩れそうな感覚に陥って思わずよろりと後退る。


「あぁ、女性の方は丁重にお部屋で休ませておりますので、ご安心めされよ。」


 エリオットの心情を察したのかラングルは優しく声をかけたつもりだったのだが、どうやら逆効果だったらしい。
 エリオットは吸血鬼の城でジュリアが一人でいる状態というのを知って青ざめている。吸血鬼ばかりの城で一体何を安心すれば良いというのか。


「もう、女の事ばっかり。ねぇ、名前何ていうの?私はフェスターというんだ。」


「エリオット…。」


 目を輝かせてエリオットの手を取って尋ねるフェスターにエリオットは若干引き気味で名を告げる。
 目の前の存在はエリオットと瓜二つではあるがそのコロコロ変わる表情は幼い子供を彷彿とさせた。


「エリオット。私の弟、かわいそうなエリオット。何も知らない私の弟。」


 歌うようにエリオットの名前を呼ぶフェスターに不気味なものを感じてエリオットはまた一歩引き下がった。


「吸血鬼の王の双子は不吉だからって捨てるなんて酷いよね。」


「え?」


「でも捨てに行った下級吸血鬼はヘルハウンドに追われて崖で君を落としたって言うんだ。でも崖の下は川だからもしかしたら生きているかもってずっと思っていたんだよ。」


「……川。」


 川から流れてきたという捨て子のエリオット。そんなはずはないと頭で何度も反芻する。


「森の向こうの人間の町で私に似た者を見かけたと聞いてラングルに探しに行かせたんだ。そしたらエリオット。君が居た。」


「まさか、あの襲撃は私を探して?」


「そうだよ。私にそっくりな存在を確かめるために連れてきてってお願いしたんだ。」


 エリオットは教会での襲撃は結界を張らせないために襲われたのだと考えていた。だが、実際は自分を探しに来たのだと知り愕然とする。


「ずっと会いたかった。」


 エリオットはフェスターに抱きつかれても身じろぎ一つしなかった。あまりの事に理解が追いつかなかったのだ。フェスターはエリオットの首筋に顔を埋めて匂いを嗅いだ。


「やっぱり、同じだね。私と近い匂いがするよ。」


 エリオットはフェスターの言葉に心が凍るような思いを感じた。こうしてフェスターに抱きしめられていても不思議と嫌だと思うことがない自分。まるで暗闇にでも放り込まれたような感覚に包まれる。


「ずっと大人になれないまま人間として暮らしてきたんだね。」


「何を言って…。」


 吸血鬼が大人になるという意味が何かを考えた時にエリオットは今度こそ背筋が凍った。


「獲物を一人で狩れるようになって一人前。血を吸って初めて大人になるんだ。」


「い、嫌だ。私は人間だ!吸血鬼などにはならない。」


 エリオットはフェスターから逃れようとしたがびくともしない。あれほど国でも上位に数えられるほど強さを身に着けたエリオットがまるで子供のようにフェスターには敵わなかった。


「初めての時は大人が子供の吸血衝動を引き起こすように誘導するんだ。だから、安心して身を任せてねエリオット。」


 無邪気に笑うフェスターにエリオットはぞくりとまるで心臓を鷲掴みにされたように感じた。逃げようと身を捩るエリオットの首筋をペロリとフェスターが舐める。びくりと肩を震わせたエリオットだが、逃れることはできなかった。
 ずぶりとフェスターの牙が突き刺さりエリオットは自分の血液が飲まれる音を聞いて震える。失われていく血液と共に朦朧とした意識はゆっくりと確実にエリオットの奥底にある何かを刺激していった。


「お帰りエリオット。」


 意識が途切れる際に優しげなフェスターの声を聴いた気がした。

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