鈴蘭には毒がある-見た目に騙されてはいけません-

叶 望

エピローグ

 カイル王子の行った事はすぐに王妃の耳に入る事となった。
 当然の事ながらカイルを呼び出して事の真相を問う。
 そしてそれが真実であると分かると大きなため息と共に想いを吐き出した。


「いっその事最後まで遂げてしまえば良い結果を得られたでしょうに。」


 意外そうにカイルは己の母の顔を見た。


 彼女が公爵家の養子であれば爵位的には何の問題も無い。
 正妃として向かえるのであれば今の内に手篭めにするべきであったと正妃は言う。
 高貴な身分の物が侍女に手を出したなんて良くある話だ。


 それがたまたま公爵家の令嬢であればそのまま妻として迎えれば良いだけの事。
 しかしそれはレオン王子によって未然に防がれた。
 残念でもあるが大した事では無い。


 それよりもレオン王子が王位を望まないと明言した事のほうが王妃にとっては重要だった。
 安心は出来ないがそれでも不安に駆られる毎日を過ごすよりはずっとマシだからだ。
 どうしても出来の良いレオンの様子は嫌でも耳には言ってくる。


 それはカイルも同様だ。
 何をやるにも比べられるカイルが捻くれたのもそのせいだと言って過言では無い。
 レオンに殴られて兄の人間らしいところを垣間見たカイルはどこかすっきりしたような表情を浮かべていた。


 顔は見事に腫れ上がっていたのだが、それに気にせず王妃とこうして会っている。
 当然その傷はすぐに魔法医によって治されてしまうのだろうが、それでも何かが吹っ切れたのか今までのカイルとは若干様相が変わっていた。


 それが好ましい方向への変化であるのなら王妃にとっても国王にとっても望ましい事だった。


――――…


 レオン王子になぜかあの後も抱きかかえられて王子の自室へと連れてこられたリリーナはやっと状況に慣れたのか強張らせていた体をレオン王子に預けていた。
 きらりと視界の隅に光るものが映りこむ。


 それはかつてリリーナが王都のスラム街である少年に渡したはずのお守り。
 自分の作ったものであるからこそ見ればリリーナはすぐにそれだと気が付いた。


「これ私の作った……。」


「やっと気が付いた?」


 頭上から声が降ってきてリリーナはレオンの顔を見上げた。
 レオンの瞳はしっかりとリリーナの視線を捉えて離さない。


「でも、あれは……まさか。」


「私だよリリーナ。ずっと気が付くのを待っていた。」


「嘘、レオン君?」


「そう、あの時は君が私の手を引いて助けてくれたんだったな。」


 懐かしそうにレオンの目が細められる。
 リリーナは唖然として固まってしまった。
 なぜならあんな場所で出会った少年が王子様だなんて誰が思うだろうか。


 全くの別人だと信じて疑わなかったリリーナは王子が着替えの時に毎回不機嫌になっていた事を思い出した。
 気付かないリリーナを誰が責められようか。
 だからこそジェイクもあのような答え方をしたのかと今更ながらに気が付いた。


 レオンはリリーナをそっと降ろしてソファーに座らせる。
 そして着替えを持ってくるように侍女に指示を出すとレオンはリリーナの隣に腰掛けた。


「リリーナ、どうして公爵家の養子になった事を黙っていたんだ?」


「陛下もご存知でしたのでとっくに知っておられるものだと思っておりました。」


 公爵令嬢であればそのまま婚約者として迎えられたものをとレオンは心の中で毒づいた。


「あ、の。もう大丈夫です。殿下は会場にお戻りください。」


 王子が夜会を抜け出したままなんて問題だろう。
 リリーナはそう言ったのだがレオンは嫌だと突っぱねた。
 そしてレオンはそっとリリーナの頬に手を添えた。


「夜会なんてどうでもいい。私にとってはリリーナが一番大事だ。」


 熱の篭った目でリリーナをじっと見つめるレオンの視線に耐えかねてリリーナは目を伏せる。
 それを拒絶だと受け取ったレオンはリリーナを引き寄せて抱きしめた。


「どうして、私を拒むんだ。」


「えっとレオン殿下……私は。」


「ずっと君が好きだった。君と出会ってから私の気持ちが変わったことなど一度も無い。」


「もったいないお言葉です。」


「私の何がいけないんだ?どうすれば受け入れてくれる。」


「そ、その……。」


 何かを言いかけたリリーナはその言葉を呑み込む。
 頬を染めて視線がうろうろと彷徨う。


「リリーナ?」


「私が公爵家の養女になったのは、養父様が子を持たない為です。」


「あぁ。」


 レオンはかつて対峙したリリーナと同じ色を持つ男を思い出した。


「なので、私はお婿さんを迎えて公爵家を存続させねばなりません。」


 そこまで言われてレオンはリリーナの言いたい事にやっと気が付いた。


「なんだ、そんな事か。だったら私が君の婿になれば問題は無いわけだ。」


「は……えっ?」


 リリーナは思わずはいと言いかけてレオンの言葉を聞き直す。


「うん。だから私が君の婿になれば問題ないだろう?」


「えっと……。」


 同じ言葉を聞いてリリーナは固まった。
 何を言っているのだろう。
 王子様が公爵家に婿入りする?


 そんな馬鹿な。


「リリーナ、私を受け入れて。君と一緒ならどこでもいい。」


 手を掴まれてリリーナは目の前の状況に困惑していた。
 リリーナにとってはまだ3月ほどしか共に過ごしていない。
 いきなり受け入れてと言われてもリリーナが頷く事なんて出来るはずがない。


 だが、レオンの熱の篭った瞳に見られるとどうにも断る事が出来ない。
 リリーナの視線が泳ぐ。
 そんな中、侍女がリリーナの着替えを持って戻ってきた。


 解放されたリリーナは着替えてくることをレオンに告げてその場を後にしようとした。
 だが、扉近くでリリーナはレオンに後ろから抱きしめられて固まった。


「リリーナ、愛している。これからもずっと君以外なんて欲しく無い。」


 耳元で囁く声にリリーナの背筋がぴんと張る。
 ぞわぞわと込み上げてくるものがリリーナにはそれが何なのかが理解できずにいた。


 がっしりとした腕に抱きしめられて、レオンの息遣いが聞こえる程に近く密着していると意識すると自然とリリーナの頬が赤く染まった。
 それが脈ありだと感じ取ったのかレオンはそのまま囁いた。


「これからは遠慮なんてしないから。覚悟してねリリーナ。」


「ひゃっ、れ、れおん…殿下」


 ぴくりとリリーナの肩が震えてぞわりと何かが這い上がってくる気配に思わず声が上ずる。


「レオン。そう呼んで?」


「いけません、私は侍女で……ひゃあ!」


 その言葉に締め付けが強くなる。
 有無を言わせない力にリリーナは涙目でレオンを見上げた。


「そんな目も愛らしくて堪らないな。リリーナ、レオンと呼んでくれるまで離さないから。」


「そ、そんな……れ、レオン様。」


「駄目。やり直し。」


「ひぅ。れ、レオン。離してくださいませ。」


 耳元で囁かれる声がリリーナの体の奥に何かを燻らせる。
 レオンの腕になぜか更なる力が篭る。
 だが、決して痛いわけでは無い。


「どうしよう。リリーナが可愛すぎて離したくない。うん。こうなったら外堀から埋めるしか無いよね。」


 なんだか不穏な言葉が聞こえてきたが、リリーナは聞かなかった事にした。
 聞いてしまったらなんだか危険な気がしてならないからだ。
 そっとレオンの拘束が解けて体が自由になる。


 ぺこりと部屋を辞して着替えを済ませてそのまま戻ろうとした時、リリーナは先程のやり取りを思い出してぺたんと床に座りこんだ。


「一体どんな顔をして会えばいいのよ。」


 リリーナの呟きはそのまま空気に飲まれて消えていった。


 結局大勢の貴族の前で恥をかくことになったナタリアは、社交界に出るたびに自分に向けられる視線を耐えられなくなり領地へと引き篭った。


 身から出た錆とはいえ、先日まで子爵家であったリリーナにあの場で謝罪することは出来ても本心から公爵家の令嬢として扱おうという気持ちにはそうそうなれなかっただろう。


 これまで自分が一番だと信じて疑わなかったナタリアには屈辱に決まっている。
 ましてやナタリアを褒めたたえていた友人たちが、手の平を反すようにナタリアを扱うようになったとなれば猶更だ。
 ナタリアに近しかった者たちは口を揃えて領地に篭る直前の彼女を見てこう言った。


 憔悴しきった彼女はまるで老婆のようだったと。


 あの日から勢力的に動き出し、見事に外堀を埋めたレオンはリリーナとの婚約を勝ち取っていた。
 唖然としたリリーナを颯爽と抱き上げてくるりと廻る。


「もう逃がさないから。」


 耳元で囁く声にぞくりと体が震える。


 レオンのにこやかな笑みがリリーナにはなんだか黒く見える。
 あわてて周囲に助けを求めても助けなどは当然来ない。
 そのままその日は完全にレオンのペースに呑まれてしまった。


 部屋へとリリーナを連れ込んだレオンはリリーナをしっかりと抱きしめる。
 無事に婚約者となったレオンは遠慮なんてしないという言葉を実行する。


「私のことは嫌い?」


「き、嫌いじゃ、ないです。」


「じゃ、好きだね。」


「……好き、なのかな?」


 冒険が好きで走り回っていたリリーナだったが、恋にはめっぽう鈍かった。
 首を傾げて可愛らしく答えるリリーナ。
 レオンは立ち上がる熱を理性で必死に抑えつつ、その柔らかな唇にキスを落とした。


 優しい口付けにリリーナは目を見開く。


 初めてのキスは甘くリリーナの心をじわりと溶かした。


 ナタリアと共に行動を起こしたカイル王子はというと、あの後こっそりと二人に謝罪していた。
 あれほど憎んでいたはずだった兄なのに殴られてからは憑き物が落ちたかのようにすっきりしており、凝り固まっていた確執は砂糖菓子のように溶け去った。


 これまでのカイル王子を知る者が見れば驚くほどの変化だった。


 リリーナも怖い想いはしたけれど、普段は魔物と対峙するほどの強者だ。
 すでにあの日の事はけろりと忘れ去っており、あっさりと許してしまった。
 そんなリリーナを見てかレオンも渋々とカイルを許し、見事に仲直りをしたのだがリリーナが許しても許さない者が他にもいた。


 クライム公爵家の当主であるレスター・クライムその人である。
 カイル王子の事を知ったレスターは、王子相手であるにも関わらず事あるごとにネチネチと嫌味を言い続ける事になった。
 それはレオンがリリーナの夫となり爵位を継ぐまで続いた。


 なぜかレオンが当主となってからも国王となったカイルはレオンとリリーナに頭が上がらなかったという。
 あまりにもその様子が酷かった為、レオンとリリーナが哀れなものを見るかのような目でカイル国王を見るも、それを余計に勘違いしてしまう程だったとか。


‐END‐



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