悲喜交々

カブトムシ719

てとて

人はみな愚かだ。
1番大切にしなきゃいけないもの、
1番返さなきゃいけない恩、
その全てを忘れ見えなくなってしまう。
そんな当たり前の事実に気づいたのは,私が丁度20歳になった頃だった。




真夜中の住宅街。
私は徐々に重くなってゆく足を無理やり動かし歩いている。
そして自分の家の前で立ち止まると、大きなため息をついて玄関を開けた。

家に入ると私は無言で靴を脱ぎ、階段を登る。。

「咲希、来なさい。」

父の声がリビングから聞こえてきた。

私は階段に置いた右足をそっと下ろし、リビングに入る。

「なに?」

ダイニングテーブルに両手を置いて座っている父は「座りなさい」と静かに呟いた。

私は不機嫌そうに父の前に座る。

「今何時かわかるか」

「1時」

「門限は?」

「18時」

「何時間過ぎてる」

その父の言葉を聞いた時、
私は「もういいでしょ」と呟いた。

その瞬間

「何も良くないだろ!!!!」
父はテーブルを思い切り叩いて怒鳴った。

「ルールも守らないで遊んだ上に、学生の分際で夜遊びなんかしやがって!!ふざけるな!」

私はぐっと拳を握る。

「もうほっといてよ!!」

私は父にそう叫ぶと、リビングから飛び出した。

「咲希!話はまだ終わってないぞ!!」

後ろの方から聞こえる父の声を無視して私は自分の部屋の扉を勢いよく閉めた。


重い空気に支配される自室。

ドアの外から小さく聞こえる父の声。

私は両目を固く閉じ、両耳を手で強くふさぎ込んだ。
そして、ドアの前で小さく縮こまった。


父は昔から厳しかった。
なにをやるにしてもダメ、ダメと厳しい家庭ルールを決めて、それに従わないと大説教。

初めはそんな父に対しての些細な反抗だった。

少し遅く遊んでみたり、携帯を夜に使ってみたり。
しかし父はそんな私を許さなかった。
ルールを破った私に対してまた更にルールを追加し、私はそれを破る。
そして家に帰るとさっきみたいに喧嘩する。

毎日その繰り返し。

私の家はいつしか癒しの場ではなく嫌いな場所になっていた。

それから数年後、私はすぐに家を出た。

大学進学のために一人暮らしをするという私に、もちろん父は反対した。

しかし一刻も早く家から出たかった私は、バイトで貯金したお金を使って家を借り、誰の目も気にしない自由な空間を手に入れた。

その時私の体を長い間苦しめてた鎖が解け、私の世界は180度変わった。

どんなに遅く遊んでもなんにも言われない。
どれだけ夜更かしをしても怒られない。


そして、どれだけ大学を休んでも、憎い声は聞こえなかった。


「ねー、今日大学終わったらカラオケ行かない?」

大学の休憩中、肌の黒い金髪の女性が咲希に話しかける。

「全然いいよ。でもさ、最近コロナでカラオケ時短になっちゃってるから全然歌えないよ?」

「じゃあ今から行けばいいじゃん」

「なにそれ、名案すぎ」

友達と遊んでいる時が1番楽しい。
やらなきゃいけない課題や先生の言葉全てを忘れさせてくれる。
ずっとこんな生活が続けばいいのに。



「お前、このままだと進学できないぞ。」

昼下がりの教務室。
先生の重い言葉が私の心を沈めた。

「入学当時はあんなに頑張ってたのにどうしたんだ?なんか悩みとかあるのか?」

質問に答えずひたすら下を向いている私を見て先生は小さくため息をこぼす。

「咲希、このこと親にはちゃんと話してるのか?」

この言葉を聞いて私は一瞬顔を上げるが、すぐに顔をさげた。

「これで留年なんかしたら親泣くぞ?もう今年で20になるんだからもっと危機感を持たないと。」

「親なんか関係ありません。」

私は小さく呟いた。
続けて「私のことなんか....」と拳をギュッと握りしめた。


この日の夜、私はなかなか寝付けなかった。
こんなに自由なのに、こんなに楽しい事ばかりしているのに、いつも消えず日に日に大きくなってゆく胸の疼き。
この疼きの正体がわからない。
ふと思い出す「もう20」という先生の言葉....
この先一体私はどうなってしまうのだろう。
漠然とした将来の不安が私の心を蝕んでいく。

「昔はこんなことなかったのにな」

私はそっと呟いた。



『ピリリリリリ』

その日の夜、咲希は騒がしく鳴る着信音に起こされた。
相手は母からだ。

「もしもし?」

私は重い瞼を手で擦り電話に出た。

『もしもし咲希?ごめんね突然』

「なにお母さん、どうしたの?」

『最近お父さん調子悪くてね、昨日病院に行ったのよ』

「うん」

『そしたらお父さんコロナに感染しちゃってたみたいで....』

突然の報告を受け、私は呆然と母の話を聞いていた。

『だから今お父さん入院してるんだ。』

「お母さんは大丈夫なの?」

『うん、検査したら私は大丈夫だった。』

「そっか」

『お父さんのこと心配?』

その母の言葉を聞き、一瞬今までした父との喧嘩を思い出す。

「でもコロナが蔓延して時間立ってるし大丈夫だよ」

私が返す。

『うん、、そうだよね』

心配そうな母の声。

「あの頑固おやじがコロナごときにやられるわけないって」

あれ?私なんでそんなこと言ってるんだろう。

『そうよね!あの人頑固だもんね』

母の安心した声が私の心に染みる。

少しの沈黙。

『咲希?聞こえてる?』


あれ、、なんで私泣いてるんだろう。


もしかしたらお父さんが死んでしまうかもしれない。
そんなことどうでもいいはずなのに。
こんなに嫌いで大嫌いなのに。
なんでこんなにもお父さんに会いたいんだろう。。。

両目から溢れる熱い涙が、今までの私を否定する。

この思いも、普段から大きくなるこの胸の疼きの正体も、本当は全部分かってる。
でもその度、私の醜く肥大しねじ曲がったプライドが邪魔をする。
気づかないふり、わからないふり、見て見ぬふり。
そんなことを続けた結果がこれだ。
きっとお父さんはそんは私のことを見抜いてて、見抜いているからこそ、私の行動に制限をかけたんだ。

一人になってから今までの私の行動を見たら一目瞭然。
なんで今さらこんな事わかるんだろう。
こんな事にならないとわからない自分が憎い。

お父さんが退院したら会おう。
そしてこんな私のことをいつもみたいに叱ってもらおう。

そう決意した数日後、父は死んだ。

父は元々肺炎の持病を持っていた。
それがコロナウィルスで悪化し、父の死因となってしまった。

父と最後に交わした言葉、それは私が父に向かって言った「大嫌い」の3文字だった。

私は父が嫌いだ。
あんなに頑固で口うるさいクセにこんなにあっさりと逝ってしまうなんて。
悔しい。
憎い。
許せない。
まだあなたに謝ってもいないのに。



暑い夏の日、私は風鈴のなる和室で骨壷に入っている父を睨みつける。すると廊下の奥から母が1冊の薄い本?を持ってきた。

「なにこれ?」

私は母に尋ねるが、母は涙を浮かばせ私にその本のようなものを差し出すだけであった。

私は母からそれを受け取り、恐る恐る開くと急に動画が流れ始める。

『ん〜、これ本当に撮れてるのか?
あー、あー』

その不思議な本の中には、病衣を身にまとった父の姿があった。

『久しぶりだな。』

父は私の目を見て話しかける。

『こんな世の中だ、俺はいつ死んでもおかしくない。だから、せめてお前に1つ伝えたいことがあってな』

そう言って父は少し恥ずかしそうに頭を搔く。
そしてその後父が放った言葉は私の予想とは全く違う内容だった。

『咲希、今まですまなかった。
俺は今までお前に強く当たりすぎてたのかもしれない。お前が家を出ていった時、俺は今までの事を凄く考えた。
夜中の携帯の使用を禁止、夜遊び禁止、バイトも禁止。毎日禁止禁止って辛いよな。
これじゃ友達も出来ないし、学校も楽しくなくなってしまう。』

違う。違うのお父さん。
私、気づいたの。お父さんが今まで私に口うるさく言ってきた言葉の意味を。。

『でもな、咲希。
これからお前の行く社会ってのは、こんなのとは比べ物にならないほど辛くて、理不尽で、楽しくない。
これからのお前を俺がどれだけみれるか分からない。俺はこれからもお前のことを見守ってやりたいが、もう叶わないかもしれない。
もし叶わなかった時、お前が悩んでいたらきっと迷ってしまうだろう。
だからその時、どうしたらいいのかを教えてやる。』

父はそう言うと大きく息を吸い込んだ。



『何があっても大丈夫!お前はいつでも俺の自慢の娘だ!』


父はそう叫ぶとゴホンゴホンと激しく咳をする。

『だからそんなに悩まなくてもいい。
そんなに悩みを溜めなくてもいい。
お前は俺の娘なんだからもうそんな顔するな!』

そう言って父は昔のように優しい笑顔で笑った。

私は今までこんな人にあんな言葉を使っていたのか。。

改めて自分の愚かさを自覚する。

あんなに拒絶して、あんなに反抗して、今こんなにダメになってしまっているのに。
きっとその事を知っているはずなのに。
こんなに、こんなに、こんなに、、、、

私は酷いことしてたのに。。

それでもなお、あんなに優しい言葉をくれて、笑ってくれて、、自慢の娘って言ってくれて。。

「なんの顔もしてねぇよ。バカ」

両目から大粒の涙を流し、今亡き父に向けて強く。強く。思う気持ちはただ、、

「今までありがとう。」

声にならない言葉をただ強く。父に送った。






「咲希ぃ~、今から終わったらカラオケ行いこうよ」

大学の昼休み、肌の黒い金髪の女性が咲希に話しかける。

「ごめん!私これから授業だから無理!」

そう言うと私は荷物を持って教室を出た。


少し前の私はそんなこと言えなかった。
自分を正当化させて、嫌な方から逃げて、見ないふりしてた。

だけどもう何からも逃げない。
進むべき方向を見誤らない。
もう絶対。

未だ時々この先の事が不安になるけど大丈夫。だって私は、、

あなたの自慢の娘だから!!


人はみな愚かだ。
1番大切にしなきゃいけないもの、
1番返さなきゃいけない恩、
その全てを忘れ見えなくなってしまう。
そんな当たり前の事を教えてもらった、、、



私と大嫌いで大好きな父との物語り。



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