36話　待っていた絶望

　赤く燃え盛る絶望―――


　絶望を告げて猛る朱。熱いはずであろう炎は命を焼き尽くし奪っていく。その様相は冷たく感じるものでもある。馬車が着き、シャーナルとセルバンデスは馬車から勢いよく飛び出し、集落へ向かうがその惨状は目を背けたくなるものだった。


「あぁ…そんな……なんということを…!」


「ラフィーク!!　ロゼットを見ていなさい!　ハーフェルは近隣の国境警備隊に接触を取って頂戴!」


「近くにいるのか!?」


「こんな目立つ狼煙、彼らが見逃すはずない直ぐに見つかるはずよ!!　運よければ紫苑の部隊と出くわせるかもしれない!　急いでッ…!」


　ハーフェルは馬車と身体に繋がれた皮製のベルトを外し、急ぎ単騎で国境警備隊の捜索に当たる。セルバンデスとシャーナルは生存者の捜索を行なうとし集落へ入る。


「私も探しますっ!」とロゼットも願い出るがシャーナルから「駄目!!　大人しくしていなさい!!」と声が飛んでくる。
　あまりに語気の強い言葉に一瞬怯むがそれでも堪らず彼女は馬車から飛び出し、集落へ向かう。


「おいおい…勘弁してくれよ…嬢ちゃん待てって!」


　ラフィークも追従し、集落へ入るがロゼットの目に映ったものはあまりにも凄惨な光景。


血の雨でも降ったのかと思わんばかりに血溜まりがあちこちに溜まり、簡素な作りだった建物は原型を留めていなかった。


炎の勢いは留まることを知らず、焼けただれ建物も崩れていく。


ロゼットは言葉どころか声すら出せず、時折吐息が震えるように出るだけだ。


その情景を見て彼女はあの『朱あかい情景』が思わず脳裏に浮かぶ。左手に身に付けたブレスレットが熱く感じ思わず右手で握り締めるように悲痛な表情でその惨状を眺める事しかできない。


　ラフィークも彼女に追い付くと、惨状の酷さに顔を顰しかめる。絶望が広がる景色の中でセルバンデスは集落の長の部屋の扉を開けると猛々しく音と炎が飛び出してくる。


　中には熱気と共に鉄を帯びた死臭が鼻の奥にまで浸透してくるように分かる。思わずたじろぎ気分を害したのか壁に手をつき膝をつく。


「ぐっ……なんと惨むごいことを…」


　シャーナル皇女は広場にて小屋へと向かうがその隅で野犬がうごめいているのを見るが何を貪っているのか直ぐに分かり剣を取り出し追い払う。


　無残に広がる血と亡骸を見て、冷淡な彼女でも思わず口に手を当て目を背ける。すると後方からロゼットの声が聞こえてくる。


「シャーナルさん…!　大丈夫ですか!?」


「っ…ロゼットあっちへ行ってなさい!!」


　ロゼットを追い払おうとするが彼女の目に映ったものは――…。


　原型を留めていない無残な姿と成り果てた子供達の亡骸なきがら。陰に隠れていたとはいえ、彼女の目にははっきりとなんであるのか理解はできた。　


　脳は認識はしていてもその現実に感情が追い付けず理解出来ずに佇たたずむ彼女をシャーナルは見て直ぐにその場から離す。


　亡骸には近くにあった布を被せられ、ロゼットの目に映らないようにされた。彼女はその場で座らされ、シャーナルはラフィークを呼びにいくも生存者がいると逆に手助けを求められた。


　身体はわずかに震えていたがロゼットの中で感情が入り乱れる。自分でも理解が出来ないものが押し寄せてくるのを感じてもなぜか体は動いていた。そして自分も生存者を探さなければいけないという衝動に駆られ走り出す。


「ロゼット殿!?　どちらへ向かわれます!!　危険です」


「アーガストさんたちの小屋に誰かいるかも知れません!!　探してきます!!」


「ロゼット様っ!!」


　思わずセルバンデスは普段の呼び方で制止しようとするがロゼットは止まらなかった。


　アーガストの小屋へ着き中を開けると男性が逃げ込んでいたようでまだ息がある。ロゼットは駆け寄り彼の安否を確認する。


「だ、大丈夫ですか!?」


「あ…き、君は…以前の」


　ロゼットを覚えていたようで彼女達が助けにきたのかと思った男性は事の次第を話し始めた。


「フロ…ゼ…ルの高官が…――物資を根こそぎ…ごほっ…がはっ…」


「フローゼル…?」


「魔…物を放っ…て……みんな…殺さ…れた」


　遅れてやってきたセルバンデスが彼の言葉を聞き驚く。フローゼルがドラストニア国内に入り込んで集落を襲うメリットなど何処にもない。


　ましてや同盟国として強固な関係となった今のタイミングを狙ってこんなあからさまなことをやってくるなどありえない。


　その後ロゼットの腕の中で男性は事切れる。人の死を目の当たりにしたのはアズランド以来であったがこんな凄惨な現場で見ることになるとは思いもよらなかった。彼女は妙に落ち着いていた。


　小屋の火の手が勢いを増し男性の亡骸を共に運び出してシャーナル達と合流しようとした矢先、燃え盛る大木が倒れ行く手を阻む。周囲はかなりの高さのある岩場とも山とも言いえぬものに囲まれているため行き場のない状態。


「ロゼット!　セバス!!　大事はないの!?」


「大事ありません!　しかし…問題がございました!!　そちらへ戻り次第お伝えします!」


「土砂を持ってくるわ!　ラフイィィーク!!」


　そう言ってシャーナルは火を消すため土砂を集めにラフィークを呼ぶ。


　ふと、ロゼットは妙な感じを覚える。


　唸り声のようなものと獣のような軽快な足音。振り向くと高台に聳そびえ立つ影が浮かびよく見るとそれは人のいでたちのような獣―――狼の姿をするそれはこちらを見ていた。


　もはや恐怖を通り越し、声も出せずに震える手でセルバンデスの裾すそを何度も引き合図を送る。


「っ…ウェアウルフ…!!」


「狼男…!?」


　こちらが気づいたことに反応し、軽く飛び上がりかなりの高さのある高台から何事もなく降り立ちこちらへ疾風の如く速さと物凄い勢いで迫ってくる。


「ロゼット様ッ…!!　何とかお逃げください!!　私が時間を稼ぎます!」


「そんな無茶…!!　相手は魔物ですよ!?」


「私も似・た・よ・う・な・も・の・です!」


　セルバンデスは腰に携えた中型のメイスを構え応戦する。


　人狼は小型の個体のようであったがふたりの視点ではとてつもなく強大で凶悪な魔に見えてくる。


先ほど見せた脚力で迫り、鋭い牙と爪を立てている。


　あんなものに抉えぐられたらひとたまりもないとハッとして、ロゼットは二手に分散し攪乱かくらんするように提案する。鋭い爪による強襲が襲い掛かりセルバンデスはメイスでなんとか往なす。　


　避けられた勢いでそのまま前進していくウェアウルフだがその勢いで裂いた地面にはとてつもない力で抉られたような爪痕が残る。


　二人は二手に分かれ分散し、人狼もそれに反応、踵きびすを返しすぐさま足の遅いセルバンデスに標的を定め一挙に距離を詰める。


　それに気づいたロゼットは人狼へと向かい献上された細剣で応戦に出る。


「なっ…ロゼット様!!　無茶です!　おやめくださいッ!!」


　人狼もそれに気づき反応、すぐさまロゼットへと転換し襲い掛かる。寸でのところで反応でき細剣で防ぐがほとんど弾かれた状態で体勢を崩していまい相手との力の差に驚愕する。


　一裂きでもされたら致命傷となってしまう。すぐに体勢を整え、速さを活かして逃げながら迎撃を行なう。かろうじて反応が出来ていることが幸いでシャーナルとの鍛錬が積まれていなければ先ほどの一撃、反応すら出来ずに即死であっただろうに。


「セバスさん!　私の剣では太刀打ち出来ません…ッ!　隙を作るのでメイスで止めを!!」


　破壊力のあるセルバンデスのメイスで不意を突く以外の方法がないと悟り、ロゼットは何とか自身の速さで応戦する。


　何合か打ち合いのようなせめぎ合いをするもどれも力負けしてしまうため動きに慣れてきたロゼットは相手の視線を見て攻撃を身のこなしだけで避ける。細剣は攻撃にのみ集中させ、斬り込むことに転じる。


　何度か人狼の身体切り刻むが致命傷には至らない。紙一重で人狼の切り裂きはロゼットの身体に当たらずにいたがいつ直撃するかもわからない手に汗握る危険な攻防。


　あまりに危なげな戦い方にセルバンデスも堪らず飛び入りロゼットに向けられる攻撃に重いメイスの一撃を浴びせる。


　人狼もその一撃にたじろぐもすぐさま反撃に移り、紙一重でメイスで受け流すが僅かに掠かすめ、彼は右肩に僅かな切り傷を負う。


　ロゼットは地面を思いっきり蹴り上げ砂埃と土砂で人狼の研ぎ澄まされた視界を潰し、そのままの勢いで刺しに掛かるが暴れ回られ剣を弾かれ、振り回す前足によってセルバンデスもロゼットも吹き飛ばされる。


　視界が回復すると同時に視線をロゼットに向けて鋭い爪が生え揃った前足を振り下ろす。身体を立て直そうと必死に動かそうとするが激昂げっこうした人狼の動きが先程よりも上回る。


　まずいまずいっ…!!間に合わない―――……


　殺される…!!――…


　絶望の中で死が過よぎる。そして思い浮かぶは


　あの「朱い情景」――


　死屍累々ししるいるいの血肉と炎によって描かれる地獄と呼ぶに相応しいあの朱。


　悪夢で見たあの時の情景、灼熱の炎は命を燃やし尽くすが如く冷たく感じたのを思い出す。


　命の危険を察知した身体は冷や汗と恐怖で冷え切っていたのに吹き飛ばされた際の痛みのせいか目が熱く感じ、突如として駆け巡る血流によって身体も熱を帯びる。


　その熱に感応し、左手につけていたブレスレットが光り輝き熱を帯びる。


　その光がやがて表面化するエネルギーの塊となり一気に放出され彼女とウェアウルフの間で爆発する。エネルギーは目の前の魔物に向かって牙をむき、熱い燃え盛る灼熱の火炎の塊となって襲い掛かった。


　瞬く間に人狼の身体に燃え広がり火炎の熱さに暴れ回り、転がりながら必死に炎を鎮火させようと悲鳴のような唸り声を上げる。


　同時に高台から人狼の頭部の飛んで向う小さな影が強襲する。


「澄華すみか!!　ダメェエッ!!　離れて!!」


　馬車においてきた澄華が主の危機を察知したのか、小さな体で小さな雄たけびを上げながら人狼に襲い掛かり鋭く尖った後ろ足の爪で目を抉り潰す。


　ウェアウルフは頭部を思いっきり振り払い、澄華を吹き飛ばす。立ち上がり反撃体勢を整えていたセルバンデスはその隙を逃さず右後ろ脚に目掛けてメイスを渾身の力を振り絞って下ろす。


　叩き付けられた魔物の脚は変な方向へと曲がり、そのままの勢いで右前脚にもメイスを振るう。肉が裂け鈍い音と共に大量の血液が飛散し魔物は悲鳴とも雄たけびとも言い表せぬ叫びを上げる。


　ロゼットもその隙を突いて一気に目の前の人狼目掛けて捨て身の突進、魔物の体勢を崩す。馬乗り状態となり突進の際に魔物の体を貫いた細剣を引き抜こうと暴れまわるが少女も剣を握り締め絶叫を上げながら剣で斬り込みを入れていく。


　激痛に絶叫のような鳴き声を上げる人狼の身体を思いっきり剣で裂き開き、大量の血液と臓物が飛び散る。


　セルバンデスが最後のとどめに心の臓腑に向かって『銀色に輝くナイフ』を一突き、人狼の動きが鈍り先ほどまでの絶叫は見るみる内に衰えていくのが分かり虫の息へと変わる。


　しかし最後の力を振り絞り左前足でロゼットの体を思いっきり引き裂く。


　勢いによって彼女は吹き飛ばされ、魔物は完全に息絶えた。思わぬ反撃に遭いロゼットに駆け寄るセルバンデスの表情は今までに見たこともないほど焦燥しきったもので彼女の名前を叫び続けていた。


「ロゼット様!　お気を確かに!　ロゼット様ッ…ロゼット様あぁッ!」


　薄れ行く意識の中で澄華も彼女の元へ駆け寄ってきたのを最後にロゼットは意識を失った。